Monday, November 30, 2009

Galápagosisation

だいぶ前にkinokumiya Bookwebの通販で買いながら、本棚(今の部屋に本棚はないので、正確に言うと地べた)に積んだままになっていた宮崎智彦著『ガラパゴス化する日本の製造業』をこの連休中に読んでみた。

本著を貫くメッセージは、日本の製造業の、いわゆる「ガラパゴス化」に対する警鐘である。本著「刊行にあたって」の言葉を借りると、『国内独自企画の超ハイエンド市場とBRICsを中心とする世界市場で市場特性が大きく異なるダブルスタンダード化が進行』した(or している)結果、『日本市場が世界市場から孤立し、個性はあるが独自の生態系を持った閉鎖的な島に閉じてしまっている』状態が“ガラパゴス化”。

このメッセージ自体は大変分かりやすいし、納得感もあるのだが、いざ、もう一段階、深く理解しようとすると、途端に個別技術の世界(半導体、液晶パネル、携帯電話、太陽電池 etc.)に入り込んでしまい、文系出身かつ背景知識ほぼゼロの僕には、いささか、perspectiveを掴みにくかったというのが偽らざるところ。まぁ、「技術」というのは、そもそもそういうものなのかもしれない。

世の中、何について考えるときでも、一方の極には「具体」的なアプローチがあり、他方の極には「抽象」的なアプローチがある。「抽象」化を究極まで進めていくと、行きつく先は「自明」の領域であろう。「未解決な問題は、解決困難だからこそ未解決なのだ」なんて言ってみたところで、そんなテーゼは「自明」以外のなにものでもなく、実践的には何の意味も持たない。あらゆる事象に適用できそうな(それだけ「抽象」的な)テーゼではあるが、ただそれだけのことである。

これはやや極端すぎるアホな例かも知れないが、ともあれ、ここから言えることは、ジェネラリストといえども、まともにモノを考えるためには、ある程度の深みまで、「具体」の世界に続く階段を下りていく必要があるということ。「技術」というものに関して言えば、この「具体」へ続く階段が、下り始めてすぐのところで、非連続的にいきなり深くっているように思う。「自明」とは言わないまでも、実践の用に供するには抽象的すぎるテーゼ(ex. 「これからの時代、環境技術はますます重要になる」)から、もう一段踏み込もうとすると、いきなり深くなってしまう(=その分、具体的な事柄について勉強しないと、次のステップまで踏み込めない)、といった性質があるように思う。これがたとえば「経済」や「法」だと、もう少し小刻みにステップが用意されているように思うのだが。

そういった性質をもつ「技術」というものに、ジェネラリストたる自分(※)は、どうやって向き合っていけばいいのだろうか――そんなふうに考えた(或いは、ぼんやりとそう思った)というのが、本著を読んでみての率直な感想。今のところ答えはない。日本に帰るまでに何がしか指針的なものを掴めればいいなぁと思う。

※ ある人間がジェネラリストであるか、スペシャリストであるかは、きわめて相対的な問題であるが、世の中全体の中での自分の立ち位置というものを考えれば、まぁ、ジェネラリストと自称すべき領域に属しているのではないかと思う。
my room, Washington DC, Nov 29, 23:59

Sunday, November 29, 2009

Car sharing with city office

大阪人的には、箕面山の猿で有名な箕面市が、「市役所公用車のカーシェアリング化」に踏み切るとの由。以下、同市役所の報道発表より。
箕面市では、市役所本庁で使用している公用車の全て(23台)をカーシェアリングによる運用に転換するという全国的にも珍しい取り組みを、平成22年度からの5年間で実現します。

これにより、車両を有効活用した上で年間約130万円の経費が削減できるとともに、ハイブリッド車や電気自動車を配置することによりCO2排出量の削減にも寄与します。また、市民に気軽な外出手段と新たな利便を提供するとともに、福祉車両も配置し、車いす利用の家族とのお出かけ時などに新たな交通手段として利用できます。
なかなか斬新なアイデアだと思う。もともと、休みの日の公用車なんて車庫に停めてあるだけなんだから、単純に考えれば、カーシェアリングの利用率がどれだけ低くても、やらないよりは儲かるはず。運営事業者へのfeeや保険料の上乗せ分などを考えても、カーシェアリング単体で事業を実施するのに比べれば、損益分岐点をかなり引き下げることができるだろう。

カーシェアリング事業そのものについては、CO2排出削減の観点からもぜひ推進すべしといった議論が昔からあるが、同事業が本格的に軌道に乗ったという話はあまり聞いたことがない(アメリカではzipcarをちらほら見かけるようになってはきたが)。気候変動のようなlong-termの問題への対策が本格化するのは、よりshort-termの喫緊の課題(この例で言えば、箕面市の財政難(←たぶん))への対応と相乗りするようなときなのかも知れない。環境屋としては、そういった、ある意味での「チャンス」を逃さずに食いついていかないといけない、ということだろう(ただし、悪ノリは厳禁)。

というか、「お前、どこで暮らしてんの?」と言われそうな話題。いちおう、DCで暮らしています(笑)
my room, Washington DC, Nov 29, 18:45

Saturday, November 28, 2009

C&T vs Carbon Tax, in the long view

今日読んでいたMurray, Newell, and Pizer (2008), “Balancing Cost and Emissions Certainty -- An Allowance Reserve for Cap-and-Trade --”の中に、以下のような一節を見つけた。
for a cumulative emissions problem like greenhouse gases, a cap-and-trade program with sufficient banking and borrowing can in principle deliver a better outcome than taxing emissions.
cap-and-tradeとcarbon taxの優劣を巡る論争は、昨日のエントリーでも書いたとおり、議論の尽きないところであるが、このペーパーは、
  1. 「蓄積型」の問題を有する物質が排出削減の対象であること(すなわち、毎年のフローの排出量ではなく、過去からの排出ストックの方が問題になる物質であること)
  2. bankingとborrowingが認められていること
という二つの条件が成り立つ場合には、長期的に見れば、cap-and-tradeの方が、税よりも好ましい結果をもたらすと断言している。

なぜそんなことが言えるのか。同ペーパー曰く、
most previous analyses have either ignored or underappreciated both the evolution of information and the dynamic nature of policymaking that are core features of a long-term problem like climate change
との由。つまり、気候変動対策のような非常に大きな不確実性を伴う政策課題では、政策当局が一発で、適正な水準に排出削減目標を設定できる保証はどこにもなく(というか、制度の更新・改定のごとに少しずつ適正水準に近づいていくと想定する方が現実的)、そうである以上、非規制主体(民間企業)が、「(政府によって設定された)今期の排出削減目標は、本来の適正水準と比べて強すぎる/弱すぎる」と考えた場合には、次期以降に削減目標が今よりも弱くなる/強くなることを想定し、自らの判断でborrowing/bankingを行う余地のある制度(=cap-and-trade)の方が、長期的に見れば効率的である、という主張。税の場合、非規制主体は、当期の目標水準をどう(過多or過少)見るかにかかわらず、政府によって設定された税率に従うしかないので、こういった形でintertemporalなarbitrageが働く余地はない。
  
非規制主体の合理性を過剰に評価している感は否めないが、考え方としては非常に興味深いと思う。
my room, Washington DC, Nov 28, 22:30

Another option for offset

生煮え、悲観的、かつ、誰かが既に考えていそうなアイデアではあるが、せっかく思いついたので、忘れないようにつぶやいておく。
  
先進国内での排出削減に限れば言うに及ばず、途上国でのCDMを考慮に入れたとしても、短期的に削減可能な温室効果ガス(GHG)の量には、現実的に言って、上限というものがある(コストを省みなければ上限はないが、そういった議論にあまり意味はない)。このことを考えると、先進各国がいくら野心的な排出削減をコミットしたとしても、最終的にcreditがshortし、schemeそのものが破綻する可能性を否定することはできない。
  
schemそのものの破綻という最悪の事態を避けるためには、先進国(=排出削減義務国)が途上国で実施するadaptation事業からも(mitigation事業と同様に)creditを得られるようにしておく、というのが一案ではないかと、さっき、スタバでコーヒーを飲みながらふと思いついた。もちろん、それを実際に運用するとなると、どれだけのadaptaition事業とcredit一単位を等価とするか、credit発行のための手続きをどのように設定するかなど、実務上の問題が目白押しなのではあるが、大筋の発想としては、ナシではないような気がする。
my room, Washington DC, Nov 28, 20:43

"Macroeconomics and Climate Science: compare and contrast"

例の“Climategate事件”(と世間では呼ばれているらしい)に触発されたカナダのエコノミスト(Nick Rowe)が、マクロ経済学と気候科学(climate scienc)の類似点・相違点をblogに書いている。himaginaryの日記さん経由。himaginaryさんのエントリーには、同氏による邦訳も付されている。僕自身も、財政規律の問題と気候変動問題の類似性/相違性について(非常に稚拙な内容ながら)エントリー(10/18)を立てて論じたことがあったので、興味深く読ませていただいた。

両者の相違点として、Roweが最も強調しているのは、マクロ経済学には、その学界の内部に学派間の大きな論争があるが、気候科学にはマクロ経済学に見られるほどの大きな内部対立は見られないという点。これについては、himaginaryさんの記事へのトラックバック記事の中で、onkimoさんという方が、
気候学の場合、温暖化する、という定性的なところはまあ争いがありません。何度上がるか、という定量的なところはまだ意見の一致が見られていない、というより、まだだれも確実に知らない、ということでしょうが。
と書いておられる。なるほど。
my room, Washington DC, Nov 28, 12:28

Friday, November 27, 2009

cap-n'-trade vs carbon tax

cap-n'-trade と carbon taxではどちらがより効率的か――この議論については、このblogでも過去、何回か扱ってきた。
  • 2009/10/03: Mankiwの語る「cap-and-tradeよりも税の方が市場の歪みをより小さくできる理由」について。
  • 2009/09/11: 「税の方がcap-and-tradeより優れている6つの理由」by Nordhaus
  • 2009/04/28: 「quantity-type approachよりもprice-type approachの方が優れている」とするNordhausの著作に対する僕自身の考え。
自分の頭の悪さを棚に上げて言わせてもらうと、この論争は、何気に相当複雑で、この論争に結論を出すなんてのは、そう簡単なことではないように思われる。世の中(特にアメリカ)では、「理論的に言えば税の方が本当はいいんですけどね…」と言われることが多いが、果たして本当にそう言い切ってしまえるのだろうか。そもそも「理論的には」ってどういうこと??ってお話。「理論的には」と言うからには、両者とも、理想的状況(かそれに近い状態)を想定して比較しているのだろうが、そのときに、どこまでのノイズを考慮するかは、論者によってまちまちのような気がする。

こういった複雑な問題と相対するに当たっては、まずは、基本の「キ」の字を押さえておくことが大事だろう。最近読んだ、IMF機関紙(Financial & Development)の記事(2008年3月号)に、「どういう条件が整えば、cap-and-tradeとcarbon taxは無差別だと言えるか」がコンパクトに書かれた一節があったので、忘れぬように引用しておく。(下線はblog筆者)
If all emission quotas under a cap-and-trade arrangement are auctioned to the highest bidders, and with full certainty about emissions (and the emissions price), the two mechanisms are equivalent: replacing a cap-and-trade scheme with a carbon tax at a rate equal to the market-clearing permit price, emissions, and government revenue will be exactly the same. [Benjamin Jones, Michael Keen, and Jon Strand, 2008,"Paying for Climate Change," Finance and Development, Volume 45 (March), pp.28-31]
my room, Washington DC, Nov 26, 25:13

Thursday, November 26, 2009

Mercy & Logic


少し前に読んだ後藤田正春氏の回顧録『情と理 ―カミソリ後藤田回顧録―』()の感想をまとめておく。正確に言うと、感想というより、僕自身が後で読み返すときのための読書メモ。そのまま引用させていただいたところ(二重鍵カッコ)と、僕が勝手に「小見出し」的な要約を付けさせていただいたところがあるので、要約部分について詳しくお知りになりたい場合は必ず原典に当たってください。
  
本書全体を通しての、文字通りの「感想」を書こうかとも思ったのだが、後藤田さんご本人の生の言葉を前にしては、意味薄弱にして陳腐な言葉の羅列以上にはなりえない気がしたので、やめておく。以下、本書からの引用及び要約を。
  • 憲法9条に関する考え方(上巻p.124)
  • (昭和26、27年当時を振り返って)『よくぞ共産革命が起きなかったなと、今の時点で振り返ってみて思いますね。あの時期を乗り越えていった日本の政治指導者、それを認めた国民の選択の賢明さというものは、今から振り返ってみると、良かったなというのが率直な感じです。』(上巻p.133)
  • 警察に関する考え方(「忍」の一字、受身の行政、それであるが故の情報力の重要性)(上巻p.148)
  • 国家公安委員会による警察組織のコントロールのあり方(人事権を介した監督、個々の事件についての指揮監督権はない)(上巻・p.153)
  • (今の警察制度を肯定し、国家警察設立という考え方を批判しつつ)『やはり権力は諸刃の刃ということを絶えず考えていないと過去の愚を繰り返すと思いますね。』(上巻・p.158)
  • (官僚時代の後藤田氏から見た田中角栄評価として)『あの人ぐらい早く中身を飲み込む人はいない。理解が早い、そして即決する。わかった、と言ったら必ず実行してくれている。』『見通しが確か』『必ず努力してくれる。』『必ず結果の報告が事前にある。』『この人ぐらい頼りになる人はなかった』(上巻・p.184)
  • 自身の自治次官就任固辞を巡る自治大臣(当時)とのやり取り(上巻・p.226)
  • (部下を叱るときには袋叩きにはせず、逃げ道を与えてあげることが重要だとした上で)『具体的には、厳しく言った後で、「まあそういうことだよ、君な」というようなかけ声をひとつかけてやるわけですよ。』(上巻・p.235)
  • (ベトナム戦争当時のアメリカ情報機関について)『非常に合理的でお金を十分かけているし、ある意味において、合理的とでもいうか、そういう活動はしているけれど、情報機関のやり方としてはあまり上手ではないな、という印象でしたね。要するに、すべてを物量で押していくということですから、やはり情報ということから考えると少し無理なのではないか、無理というより、成果が少ないのではないかという印象でした。』(上巻・p.260)
  • 『罰則さえ強化すれば事件が減ると思っているのは、基本的に間違いだ』『要するに素人は、罰則をむやみに強化したがるんだ。』(上巻・p.271)
  • 真野毅氏国家公安委員任命の際の国家公安院長とのやり取り(上巻・p.274)
  • 日中国交回復の際の田中総理、大平外相の動き(上巻・p.338)
  • (オイルショック時の売り惜しみ買い占め問題対応法案の際の経緯触れて)『総理、罰則はあまり強いのはいけませんよ、と。なぜだ、と言うから、罰則が強いと罰則の構成要件をどうしても厳しく書かざるを得ません、そうなると、取調官庁は動きにくくなる』(上巻・p.360)
  • ロッキード事件に関する誤発表を巡る防衛庁幹部とのやりとり(上巻・p.389)
  • 日中平和条約に向けた動き(昭和52年の訪中と、帰国後の政府内部での動き)(上巻・p.412)
  • 自治大臣時代、昭和55年の衆参同日選挙の可否を巡る事務方とのやり取り(下巻・p.26)
  • (官房長官時代に田中六助氏から受けた指摘として)『後藤田さん、あなたは総理の前で他の人がおるときに平気で、それはいけない、とかやっつけるだろう、あれはよせ、と言うんだな。二人だけならいいよ、と。ああ、いいことを聞いたといって、僕はそれからは、よほどのことでないと第三者がおるときには言わなくなった。』(下巻・p.105)
  • 国鉄民営化成功の要因(カリスマ性のある会長、中曽根総理の政治手法)(下巻・p.108)
  • (行管庁・総理府の統合を巡る経緯に触れて)『私は本当にこの時に初めて、役所の統合がどれくらい難しいかを痛切に感じました。』(下巻・p.134)
  • 昭和61年の衆参同日選に向けた中曽根総理の「不退転の決意」(下巻・p.166)
  • (内閣への各省からの出向人事に触れて)『とかく母屋を見ているんですよ。それは人事ですよ。』『だいたい使いっ放しになるんだ。問題はそこにあるね。』(下巻・p.210)
  • (アメリカの大統領府に言及しつつ)『あそこの三権分立と日本の三権分立は全然違いますしね。それから役人の任命がこちらはメリットシステム(実績主義)だし、向こうは、幹部は全部スポイルズシステム(政治任用)ですよ。まったく違う。今の大統領府は、1936年のブラウンロー委員会の答申を受けてできたんですよ。ところが、あれはうまくいってるかというと、必ずしも中へ入ってみると良くないんだ。』(下巻・p.210)
  • イラン・イラク戦争時、ペルシャ湾への掃海艇派遣を巡るやり取り(下巻・p.226)
  • 掃海艇派遣への反対を最後まで貫けた理由(組織に頼らない自前の情報収集能力、「辞める腹」)(下巻・p.228)
  • (総理の座を巡る権力の奪い合いについて)『要するに、鉄砲での殺し合いから票による奪い合いになった。そこが進歩しただけだ。』(下巻・p.248)
  • 『僕は、党の改革は中でやれということで終始一貫している。出ていって、外からワーワー言っても意味はない。中からひっくり返してしまえということですよ。』(下巻・p.296)
  • (湾岸戦争後の掃海艇派遣に関して)『ショートカットで法律に規定のないことをやるのはよくない、ということです。ちゃんと法の整備をやれと言っているんです。』(下巻・p.315)
  • 宮沢内閣不信任決議の際の動き。(とりわけ、武村正義議員の動きについて)(下巻・p.331)
一言だけ、感想を述べるならば、やはり、先人の言葉に耳を傾けることは、本当に大事だな、ということ。別にネームバリューがあるというだけで、ある人の言葉をすべて鵜呑みにするということではないが、人間の営みなんて、所詮は数十年スパンで繰り返している部分が多いということを考えると、いちいち、自前でゼロから考えるより、学べるところは学びとってしまう方が効率的だと思う。また、一発勝負(=自前の試行錯誤経験に頼れない、という意味で)の危機対応などに関して言えば、それに似たシチュエーションが過去に起こった際にどういった対応が取られたかを知っているかどうかで、その後の対応に、決定的な巧拙の差が生まれてしまうのではないかとも思う。
my room, Washington DC, Nov 26, 23:30

Smart Grid / US-India

アメリカの温暖化・エネルギー政策関連ニュース二つ。

その1。この日のエントリーで触れたSmart Grid Demonstration Programs (SGDP) ($620 Million)の補助対象プロジェクトが24日に発表された。簡単におさらいしておくと、SGDPは、Recovery Actに盛り込まれている、2つのSmart Grid関連政策のうちの一つで、もう一つのSmart Grid Investment Grant (SGIG) Program ($3,400 million) が商業利用段階のdeploy政策なのに対して、こちらは実証実験段階が対象。記事によると、民間資本$1 billionと合わせ、総額$1.6 billion(約1,300億円)が全32件の実証実験に投入されるとの由。

プログラムは大きく二つに分けられ、$435 million(16件)は、regional Smart Gridの実証実験へ。残りの$185 million(16件)は、utility-scale energy storageの実証実験に充てられる。storageの方の16件の内訳は、ざっとこんな感じ。幅広く手をつけておこうといった感じか。

- CAES (Compressed Air Energy Storage)…3件(150 MW in NY, 300 MW in CA, 1 MW/4hr in NH)
- wind generation+lithium-ion battery...1件(8MW in CA)
- wind generation+hybrid-energy storage system...1件(20MW in TX)
- wind generation+EnergyFarm...1件(25MW - 75MWh  in CA) ※ EnergyFarmの内容不明
- PV+zinc-bromine flow battery...1件(2.8MWh in NM)
- flywheel...2件(20MW in IL; in CA)
- flow batteries...2件(500-kW/6-hour × 7 in NY, MA, CA; in NM)
- Community Energy Storage (CES)...2件(25kWh-lithium-ion batteries in CA, 25kW/2hr-secondary-use electric vehicle batteries, MI)
- sodium-ion battery...1件(in PA)
- vanadium redox battery...1件(1 MW in OH)
- lead-carbon UltraBattery...1件(3 MW in PA)


もう一つは、同じく24日に発表された米印間のGreen Partnership MoU先日の米中共同宣言に負けず劣らぬ興味深い内容となっている。以下、MoU概要;

- Energy Security, Energy Efficiency, Clean Energy, 及び Climate Change分野での協力の推進
- インドでのclean energy projectsの推進
- "the Copenhagen outcome must be comprehensive and cover mitigation, adaptation, finance, and technology." ("emission reduction targets for developed countries" 及び "nationally appropriate mitigation actions" への言及あり)
- Indo-U.S. Clean Energy Research and Deployment Initiativeの始動(含、Joint Research Centerの設置。)
- 太陽光・風力発電分野での協力(インドにおけるnation-wide map of solar energy potentialの作成、low-wind speed turbine technologyの開発、etc.)
- unconventional natural gas分野での協力
- インドにおけるNational Environmental Protection Authorityの設立に向けた協力
- Agricultural Cooperation and Food Security
- more accurately forecast monsoonsに向けた両国気象機関の協力
- 農業、エネルギー、global climate changeの各分野での定期的対話の継続

職業柄、特に気になるのはEnvironmental Protection Authorityの設立協力。MoUには、"focused on creating a more effective system of environmental governance, regulation and enforcement"とある。
  
いつも言っていることだが、ただ「環境が汚されています」「CO2が盛んに排出されています」というだけでは、環境技術への需要は生まれない。個別の企業(或いは家計)を義務者とした具体的なregulationが入り、それが着実にenforceされて初めて、環境技術への需要が本格化する。その意味で、アメリカは、非常に重要なところを押さえてきたと思う。
my room, Washington DC, Nov 26, 14:29

Safety Valve

先週末のエントリーに書いたとおり、これまで実施された中で人類史上最大のcarbon marketであるEU-ETSでは、credit価格のvolatility(変動性)が大きな問題となっている。このことは、アメリカの専門家の間でも当然認識されており、現在、上院で審議中の環境・エネルギー法案(Kerry-Boxer法案)に盛り込まれているcap-and-trade制度には、emission allowanceの価格にfloor(下限)とceiling(上限)を設ける仕組みがbuilt-inされている(詳細こちら)。その仕組み自体を不安視する向きがあるという話も、以前、このblogで書いた(こちら)。

スウェーデンの電力業界お抱えのElforskという研究機関が、昨年(2008年)10月、このvolatilityの問題を扱った“Managing Cost Variability in Emission Allowance Markets”というペーパーを出している。なかなかきれいにまとまった論文だったので、以下、そのポイントを。

曰く、目下、検討されている、価格変動軽減のための方策には、主に、以下の6つのものがある。最初の二つは、直接的に価格変動を抑えるものではないが、価格を抑えることによって、間接的に価格変動を抑えようという仕組み。残りの4つは、価格変動そのものを直接的に抑えることを目的とした仕組みである。

Offsets: cap-and-tradeでカバーされていない発生源からの温室効果ガス(GHG)の排出削減活動に対して、削減されたGHGの量に見合ったcredit(allowanceの代替品)を発行する仕組み。市場全体で見れば、allowance及びcreditの総供給量を増やし、allowance価格を引き下げる効果を持つ。Kyoto Mechanism下のCDM(クリーン開発メカニズム)がその代表例であるが、理論的には、必ずしも、国外で行われる活動に対象を限定する必要はない(現に、K-B法案は、アメリカ国内での活動にもoffset creditsの発行を認めるとしている。)

Investments: 省エネ促進のための投資がallowanceの需給を緩め、価格の低減に貢献するというお話。

Banking and Borrowing: 次(以降)の約束期間へのallowanceのcarrying over(Banking)及び/又は前借り(Borrowing)を認める仕組み。経済的には、①GHG排出抑制投資の長期的視点から見た最適化、②価格変動の安定化(∵排出抑制コストの長期期待に見合った値動き)、といったポジティブな効果を持つ。Bankingは、cap-and-trade制度の継続要望を高める政治的効果を伴うが、Borrowingは、そのまったく逆向きの効果を伴ってしまう。

Private Sector Instruments: 政府が対応するまでもなく、市場自ら、価格変動に対応するための金融商品(先物、オプション取引、etc.)を生み出すのではないかというお話。実際、EU-ETSとRGGIについては、先物取引が既に行われている。(※ このペーパーでは言及されていないが、EU-ETSについては、オプション取引も行われていたように思う。)

Carbon Market Efficiency Board: 通貨市場における中央銀行に当たる機関を創設し、同機関に、一定の範囲内でallowanceの供給量を調整する権限を与え、市場の価格安定の任に当らせるとする仕組み。2008年のLieberman-Warner法案で提案されていた。

Quantity-Limited Allowance Reserve: allowanceの価格が、あらかじめ設定された上限値(ceiling)を越えたときに、allowance reserveから、allowanceを自動的に放出する仕組み。allowance reserveについては、通常のプロセスの中でallocateされるallowanceとは別に、一定量を確保しておくとする方法や、将来の約束期間から“borrowing”してくる方法が考えられている。

Safety Valve: allowance価格がceilingに達した場合には、量的な制限を設けずに追加的allowanceの放出を行うとする仕組み。

以上の整理を示した上で、このペーパー自体は、Safety Valveに、ceilingだけでなく、floor(価格の下限値)も設けることによるSymmetric Cost Managementを推奨している。floorの導入により、single-sided safety valveの持つ欠点(①民間の投資計画に狂いを生じさせる点、②スキーム全体の排出削減量を減ずる点)が補われ、以下のような結果が期待される、とする。

 以下、感想。

1. Symmetric Cost Managementについてのシミュレーション(その結果が上の棒グラフ)では、①価格変動は正規分布に従うことと、②ceilingとfloorは価格の期待値から等距離(1 s.d.)に設定されることが前提とされており、その前提が狂えば、当然、上のような美しい結果は導かれない。近似的にでさえ、そのような前提が成立すると言えるのか?

2. このペーパーでは、Carbon Market Efficiency Board、Quantity-Limited Allowance Reserve、Safety Valveという3制度間での優劣比較はなされていない。それぞれ、どういったpro-conがあるのか?

3. 何らかの商品の市場において、価格変動幅を一定の範囲内に収める試みが実施されたことはあるのだろうか。また、実際には導入されないまでも、通貨市場におけるceiling及びfloorの設定が議論されたことはあるのではないかと察するのだが、あるとすれば、そこからはどういったimplecationが得られたのか。更に、固定相場制は、この制度を究極的に強めた形とも言えるように思うのだが、同制度の経験から得られるimplecationとは何か。
my room, Washington DC, Nov 26, 9:04

Wednesday, November 25, 2009

How to pick up a substitute.

留学前から読もう読もうと思いながら、なかなか手をつけられずにいた、Milton Friedmanの『資本主義と自由』(邦訳版)を読み始める。帰りの電車の中でほんの少し読み始めたところだが、「まえがき」からして、既にエッジが効きいている。
自分をほんとうに説得できるのは自分だけである。暇をみつけては問題点をじっくり検討し、いろいろな意見を考慮に入れ、煮詰めていくことが必要だ。漠然と選んだ考えを確信に昇華させるには、そうして長い時間をかけなければならない。[1982年版まえがき(p.15)]
いざ危機が発生すると、誰でも手近にある意見や理論を頼りに行動しようとする。私たち学者の基本的な役割は、ここだ。現代政策に代わる政策を用意しておく。ウォーミングアップを整え、いつでも選手交代に応じられるようにしておく――政治的に不可能だったことが不可避になる日のために。[1982年版まえがき(p.16)]
二つ目の点は、選手交代に応じる側(=学者)だけでなく、そのオーダーを出す側の人間にとっても傾聴に値する。オーダーを出す側も、「いざ」というときに的確な選手起用をするためには、日頃から、個々の選手(=政策案)のポテンシャルを見極めておかなければならない。

これには、組織としてやるべきことと、個々の職員としてやるべきことがあるように思う。組織としてという意味では、Obama政権着任時のエネルギー・環境政策の仕込みは、本当に鮮やかだった。これについては、このblogでも以前に簡単に触れたことがあるし、また、いわゆるアルファブロガーのお一人(なんだと思う)であるLilacさんが、ちょうど今日(11/25)のエントリーで書いておられる内容も参考になる。

もっとも、良いか悪いかは別にして(いや、良いわけはないんだが…)、実際には、そんな組織的な対応をとっていられないくらいのショートノーティスで、「案」の提出を求められることもある。そう考えると、個人のレベルでも、日頃からアンテナを高く張り、自ら知識の収集に努めると同時に、いざというときにはより深いレベルの知識を提供して貰えるネットワークを築いておくことが、決定的に重要。政策を作るための「材料」(知識、情報、コンセプト、etc.)をすべて内製するなんて、いまどき出来っこないんだから、外の専門家から「材料」を仕入れるルートを、如何にうまく築けるかが勝負になってくると思う。少なくとも、もはやこんなことをやっていてうまくいくような時代ではない。
   
Friedmanから、少し話が逸れてしまったが。同著の感想文はまた追って。
my room, Washington DC, Nov 24, 24:53

Tuesday, November 24, 2009

Thanksgiving Eve Eve

都会で暮らしているからか、インターン先で社会人たちと一緒に過ごしているからか、はたまた、単にアメリカ生活に慣れてきたからか、今年は、去年に比べてThanksgiving Weekを実感する機会が増えたように思う。
   
今日の授業でも、DCを既に発って欠席している人や、授業終了後、その足で実家に向かいますという人がちらほら。街中の交通量も、心なしか少なかったような気がする。インターン先でも、明日辺りは、年休を取ってお休みする人が何人かいたりもするようだ。
  
典型的なアメリカ人の11月第4週の過ごし方は、
  1. とりあえず実家に帰り、
  2. Thanksgiving Day当日には七面鳥の丸焼きを食べ、
  3. 一家揃ってアメフトのゲームを観戦し、
  4. 翌金曜日には“Black Friday” Saleに繰り出す
といった感じのものらしい。「七面鳥」を「おせち料理」に、「アメフト」を「箱根駅伝」に、「“Black Friday” Sale」を「初売り大売出し」にと置き換えれば、どこかの国のお正月とそっくりである。まぁ、水曜日の夜に、国民的歌謡番組が放送されるなんて話までは聞いたことはないが…(どこかのチャンネルで格闘技の中継をやってたりはするかも。笑)
  
僕はといえば、特に出かけたりはせず、おとなしくDCで過ごす予定だが、幸いなことに、木・金連日で、お食事会にお招きいただいた。クランベリーソースで七面鳥をいただくという習慣には、いまいちしっくりこないものを感じてしまうのだが(笑)、ともあれ、今週は少しリラックスしつつ、Thanksgivingの雰囲気を味わって過ごしたい。
my room, Washington DC, Nov 24, 23:46

Technology issue should not be a "Black Box"

ごく最近、技術のことを少し真面目に勉強するようになって、ある分野の技術については、ほんの少しだけ、わかるようになってきた。技術について、ほんの少しだけわかっただけでもわかるようになったのは、技術の中身をきちんと理解していない人の発する「技術は大事だ」という言葉ほど、人の心に響かないものはないということである。

具体的な技術について詳しく知ることは、我々文系の人間にとっては、ただ難しいというだけでなく、心理的に非常に億劫なことでもある。結果、技術関連のあれやこれやを、すべてまとめてblack boxに放り込み、「技術(開発)は重要である」とのお念仏を唱えることに専念する人が続出することになる。

人間、ある程度の歳を過ぎると――特に、頭が良い人ほど――、何をするにも近道を探す癖が顕著に現れるようになる。もちろん、最小の時間で最大の成果を残すという意味での「要領の良さ」も、それはそれで非常に大事なので、近道を探すことが一概に悪いというわけではないのだが。

「近道を探す」というのは、要するに「法則性を見出す」ということだ。「法則」さえ掴んでしまえば、いちいち個別の事象を勉強する手間を省くことができる。しかし、技術というのは、「法則」の通用しにくい世界である。もちろん、法則めいたものが全くないなんてことはないが、「技術」(或いは、僕らの世界で言えば「環境技術」)なんていう、極めて抽象的な概念(或いは領域)全体を覆う法則なんてものは、あまりないのではないだろうか。あったとしても、ほとんど自明のようなものしかないのではないだろうか。

つまり、技術のことをわかろうと思えば、ショートカットに頼らず、具体の世界に降りていかねばならないということだ。そのことに薄々気づいているからこそ、普段からショートカットに慣れ親しんでいる「利口な」人たちは、敢えて具体の森に分け入るなんていう「愚行」に走ることなく、森を丸ごとblack boxに放り込むオプションの方を選択するのではないだろうか。

しかし、逆に言えば、法則のない(少ない)世界であるからこそ、具体を知らないことには、実質的なことは何も言えない、わからない――そういうことなのではないかと思う。したがって、技術の中身のわかっていない人から聞く技術の話には、まるで迫力がないわけだ。

一方、技術の世界はどこまで行っても行き当たりばったりで、何らの法則性や教訓も導き出せない世界かというと、もちろんそんなことはない。その世界全体を一刀両断できるような、そんな便利な道具はあまりないとは思うけれど、その部分、部分の特質を鋭く言い当てる法則(ある種、専門家の「勘」みたいなもの)は、かえって多々見受けられる世界なのではないかと思う。

受験勉強的に手っ取り早く抽象的な法則を一通り身につけてしまおうという姿勢ではなく、丁寧に一つ一つの技術を勉強しようという姿勢で臨んでこられた方、そして、そうやって身に付けた具体的な知識の山の中から、自ら何らかの法則性を発見されてきた方の言葉には、非常な説得力がある。

最近、「技術」というものについて考えているのは、そんなところである。
my room, Washington DC, Nov 23, 25:58

Right job?

昨日、ある人と晩御飯を食べながら話している最中に思ったのだが、僕は、なんだかんだ言って、今の仕事が好きなんだと思う。

別に、固有名詞としての、今の組織を特別気に入っているわけではないし、「好きだ」なんていう100%ポジティブな形容動詞を何の迷いもなく使えるほど、迷いがないわけでもない。であるからして、「この業態の組織で働くことは自分には合っているのかも知れない」くらいに抑制を利かせておく方が、僕の心情描写としては、より正確な言い方かも知れないが。

この仕事、まじめに取り組もうと思えば、常に、ある集合の中での「最適解」を探しながら、同時に、視点をどんどん高めていって、自分の視野の中に入る「集合」の数そのものを増やしていかなければならないものである(と思う)。「最適解を見つけ出す」と言えば聞こえはいいが、その営みというのは、言ってしまえば、互いに矛盾する複数の主体の間に妥協点を見出すことに他ならない。視野に入る「(部分)集合」の数が増えれば増えるほど、妥協点の模索という事業は、一層、困難の度を極めるし、その結果、生み出される妥協点が奇々怪々な様相を呈する可能性も高くなる。それでも、何らかの妥協点にたどり着けたのなら、まずは御の字と言うべきなのかも知れない。

ことほどさように、「勧善懲悪」でもなければ、「クリアカット」でもないこのお仕事であるが、そんな、ノイズだらけの複雑怪奇な世界に生きているからこそ、逆に、世の中の本質に近づけるときがあるんじゃないかと思う。より正確にいえば、「本質に近づきたい」という衝動に駆り立てられるときが。
   
留学に来る前、就職活動中の学生さんから「この仕事をしていて、一番良かったと思った瞬間はどんなときですか?」みたいな質問をされることがときどきあった。その都度、どんなふうに答えていたか、今となっては正直、忘れてしまったが(…汗)、いま、率直に思うのは、「あるプロジェクトが完了したとき」とか、「誰かに自分の貢献を認めてもらえたとき」とか、そういうことではなくて、むしろ、この仕事をしてきたことによって、上に書いたような、「本質に近づきたい」という衝動を与えてもらえたこと――それが、僕にとって、この仕事を選んで良かったと思える一番のポイントなのではないかと思う。

転職経験ナシでこんなことを言うのは、無知蒙昧にして傲岸不遜の謗りをお受けするかもしれないが、少なくとも日本に関して言えば、これと同じような機会を与えてもらえる業態というのは、他にそうたくさんはないのではないかと思う。というわけで、この人、それなりには、今の仕事を気に入ってるみたいです。
my room, Washington DC, Nov 23, 24:42

Sunday, November 22, 2009

SHUHARI

といっても、カフェの方の話ではない。本来の意味での「守破離」のお話。(というか、「カフェの方」のSHUHARIなんて、関西人にしかわからんですよね…)
  
深夜のマンハッタンを、カニアレルギー(容疑者)のY君と一緒に歩いていた。ある交差点に着いたところで分かれるはずだったのだが、二人とも、軽くアルコールが入っていたせいもあってか、ついつい話が盛り上がり、折からの寒さも気にせず(←某雪国で一年間過ごした結果、そもそも寒さの気にならない体質に変わってしまったという説もある)、交差点の隅っこで立ち話を開始。とはいえ、最初はものの2、3分で済ませるつもりだったのだが(たぶんY君もそうだったんじゃないかと思われる)、あれやこれやと話し始めると止まらなくなってしまい、気づいたら1時間くらいその場でしゃべり続けていた。
  
温暖化のこと、技術政策のこと、「陰謀論」のこと、云々。いろいろと思いのたけを話させていただいたのだが、結局のところ、僕の話は経済学関連のところに収斂する。一つの指針(或いは原則)として経済学という軸を自分の中に持っておくことが如何に有効であるか、経済学の原理を現実に適用していくためにはどういった心がけが必要であるか――そういった話を、(僕自身、まだ答えの出せていない悩みの開陳も交えながら)率直に話させていただいたように思う。
  
それを聞いていたY君が、「それは要するに、日本の芸事の『守破離』のようなものだね」という趣旨のことを言った。その一言を聞いて、「あぁ、なるほどな」と、自分の頭の中が一気に整理されたような気がした。
   
まずは原理原則を押さえる。それを徹底的にやる。しかし、それだけでは対応しきれない事態というのがそのうち必ず出てくる。そのときに初めて原則を「破」り、自分なりの対応の仕方を試してみる。そういった試行錯誤を繰り返して行った先に、最終段階として、ようやく、原理原則を「離」れ、自分なりの流派=考え方というものを構築する段階に至る――これぞまさに、「守破離」の訓えそのものである。
   
思うに、今の日本には、「経済通」を騙りながら、「守」を疎かにしているやからが大変多いのではないだろうか。最初から、「破」や「離」に手を染めていながら(それは、厳密にいえば、「守」を経ていないという点で、本来の意味での「破」や「離」でさえない)、経済学をわかったような気になっている人間が多すぎるのではないだろうか。
 
「お前はどれだけ経済学の基礎理論を忠実に習得しているのだ」と言われれば、正直、怪しいところはある。というか、多々ある。その点、自戒半分のエントリーではある。しかしながら、「なんだかんだと言っても、教科書通りのセオリーは、すべての議論の出発点とされるべきものである」、「まともな説明もないままにそのセオリーをスキップするなんてのは、恣意的判断以外の何物でもない」くらいの信念は持っているつもりである。
  
というわけで、NYの寒空の下、素敵な「気づき」を与えてくれたY君に感謝。お礼に今度ごちそうするので、カニでも食べに行きませんか??
my room, Washington DC, Nov 22, 15:28

Carbon Markets #2

―前回からの続き―

3.市場動向
今日のCarbon Marketの特徴(或いは欠点)として、もっともよく指摘されているのは、そのvolatilityの大きさである。前掲のFigure1からも見て取れるように、2008年9月以降、carbon market全体の大幅な価格下落が発生した。もっともvolatilityの高いEUA(spot)の価格は、2008年7月に最高値(€28.73)を記録して以降、7~8か月の間に75%近くも下落。この間、sCERの取引価格も同様に下落した。また、CDM事業に要するコストとの関係上、一定以下の価格には下がり得ないpCERについては、sCERとの価格差が縮まった結果、市場から追い出される事態に発展、2007年には552million t-CO2eあった取引量が2008年には約3割減の389 million t-CO2eにまで落ち込んだ。

このようなcredit価格の下落が生じた原因としては、
① Global economic downturn → 京都議定書の義務を負う先進国におけるlower emissions
② ヨーロッパにおける economic downturn → EU-ETSの義務を負うEU域内企業のlower emissions
③ EU域内民間企業のmoney shortage → 手持ちcreditの売却・現金化
④ 初の本格的なAAU取引の開始 → 他credit需要へのしわ寄せ
などが指摘されている。[出典:World Bank “State and Trends of the Carbon Market 2009” p.5, p.53]
  
また、creditを初期に無料で割当てすることの弊害を、主に公平性の観点から指摘する声も大きい。EU域内においては、初期に比較的多めのcredit割当てを得ていた産業(主に重厚長大の多炭素排出型産業)ほどEUAの売却によって大きなwindfallを得ているとする批判がある。また、Kyoto Marketに関して言えば、ロシア、ウクライナ等の市場経済移行国がAAU売却の「含み益」を有している反面、実質的な買い手はEUと日本のみという状況であり、公平性の問題もさることながら、この状況下で市場が十分に機能しうるかといった問題もある(前掲Table 5参照)。この問題を解消する手段として、auctionによるcreditの配布方法が検討されており、2013年の開始が既に合意されているEU-ETSのPhase IIIでは、この手法を部分的に取り入れるとされている。[出典:World Bank “State and Trends of the Carbon Market 2009” p.10]
  
2012年以降の制度の見通しが立たないことも、市場に大きな悪影響をもたらしている。次期枠組みで全体のGHG排出削減量を増大させるためには、また、米国等における新たな地域carbon marketの立ち上がりによりoffset需要が高まる可能性を考えると、CDMの更なる促進が不可欠。しかし、post-Kyotoの国際約束に目途が立たない中、CDM開発に向かう資金の量は、経済情勢とも相俟って、大きく縮小しており、EUのprivate sectorのみが何とか買い支える状態となっている(EU-ETSについては、Phase III(2013~2020)の実施が既に決まっているため)。CDMの開発(計画~CERの発行)には、通常、2~数年の期間を要するため、昨今の新規CDM開発の沈滞が続くと、数年後のcarbon market(既存の二大marketsに限らず、今後、新たに本格的に立ち上がることとなるmarketも含めて)に大きな問題(credit供給の不安定化)をもたらす可能性が高い。

4.今後の見通し
一時は、約束達成のために、官民で相当のcreditsを買い集めなければならないと見られていたEU及び日本であったが、世界的な経済状況の悪化を受けて、2008年以降はGHGの排出量を大幅に減らしており、当初予測されていたほどのcredit購入は必要なくなるのではないかとの見通しである。これを受け、ロシア、ウクライナをはじめとする市場経済移行国が保有しているAAUは、最終的に供給過多となる可能性が高まってきており、今後、post-Kyotoの枠組みを議論する中で、今期のcreditの余剰分を来期に繰り越す“banking”を認めるかどうかが、一つの大きな争点になってくるものと考えられる。
 
また、CDM制度については、主に先進国側からの批判が根強く、次期枠組みにおいては、least developed countries(LDC)での実施に限定すべきとの意見が強い。この点が、どのような決着を見るかは、未だ見通しの立たない状況であるが、その結論次第によって、2012年以降のcredit需給の構図が大きく様変わりする可能性がある。
my room, Washington DC, Nov 22, 12:54

Carbon Markets

月曜日のFinancial Securityのクラス。次回のテーマは「気候変動問題と国際金融」。僕には“Carbon Markets”というお題でプレゼンしなさいとのお達し。ひどい丸投げ発注だとは思いつつ、まぁ良い機会なので(と自分を納得させて)、一通り、勉強し直してみた。以下、プレゼン原稿日本語下書き前篇。

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“Carbon Market”と一口に言っても、実際には、取引されるcarbon creditの種類ごとに、いくつかの市場に分かれている。Kyoto Mechanisms (KMs)、EU-Emission Trading Scheme(EU-ETS)、CCX,、RGGI、etc.。ただし、取引量(数量(tCo2e)ベース及び金額ベース)で見ると、前二者の規模が圧倒的。国際的な重要度、制度の成熟度合いといった意味でも、この二つは別格。というわけで、Kyoto MechanismsとEU-ETSの二つの市場に絞って見ていくことにする。
 
1.市場の背景
Kyoto Mechanismsの根拠である京都議定書(1997年採択、2005年発効)は、国ごとに温室効果ガス(GHG)の削減目標(legally binding)を課す国際約束。約束期間は2008~2012の5年間。削減義務は、いわゆる先進国に対してのみ課せられている。言わずもがなだが、アメリカは、この議定書から脱退したので、削減義務からは自由。削減義務対象国は、自らGHGの排出削減を行う他、carbon creditを排出削減の一部に充てることもできる。

一方のEU-ETSは、EU域内の企業を対象とするGHG排出削減枠組み。規模、業種等一定の条件を満たす企業には、排出削減義務が課せられており、それらの企業は、Kyoto Mechanismsの場合と同様、自ら排出削減を行うか、carbon creditを取得することにより、削減義務を達成しなければならない。現在行われているPhase IIの期間は京都議定書と同じ2008~2012年。その前に、試行的性格を有するPhase I(2005~2007年)が行われた。

2.市場の構成
次の図は、carbon credit市場の構成を示したものである。[World Bank “State and Trends of the Carbon Market 2009” p.1のTable1を編集。]

それぞれの青色の円の大きさは、各sub-marketの市場規模(数量(tCo2e)ベース。2008年値)を表している。もっとも、AAUとERUの円は、小さすぎてほとんど見えなくなってしまっている。

EU-ETSルールに基づくcreditは、EUA(EU-Alliance)の一種のみだが、京都議定書(及びその運用細目であるマラケシュ合意2007)に基づくcreditにはAAU、ERU、CERの三種類がある(Carbon Marketでの取引対象にならないRMUについては割愛)。

これらのcreditは、allowance creditかproject-based creditかで分類することが可能。allowance creditに分類されるEUAとAAU(Assigned Amount Unit)は、自らに課せられた削減義務の達成に余裕のある企業又は国が、自らへの初期割当量(その量までならGHGを排出してもよいとされている量)の一部をcarbon creditとして、他の主体に販売するもの(又は、それが転売されたもの)である。
 
一方、project-based creditに分類されるERU(Emission Reduction Units)とCER(Certified Emission Reductions)は、具体的な排出削減活動の見合いとして発行されるcredit。それぞれ、削減義務対象国で行われる削減事業(共同実施事業(JI))、非削減義務対象国で行われる削減事業(クリーン開発メカニズム(CDM))に対応。CERは更に、CDMプロジェクト実施事業者から直接買い付けるpCER(primary CER)と、その転売商品であるsCER(secondary CER)に分けられる。pCERについては、CERの発行(issuance)が確定する前に売買契約を結ぶのが一般的なため、issuanceに関するリスクを伴う(その分、sCERよりは安い)。また、プロジェクトのどの段階で売買契約を結ぶかは、CDM事業ごとにまちまちであり、それに応じてpCERの価格には幅がある(当然、契約するのタイミングがプロジェクトの早い段階であればあるほど、issuance失敗のリスクは大きくなるので、その分、価格は安くなる)。

当然ながら、EUAはEU-ETSの目標達成に、また、AAU、ERU、CERの三種のcreditは京都議定書の目標達成に用いられるのが原則だが、実際には、必ずしもそのとおりになっていない。というのも、EU-ETSには、“Linking Directive”と呼ばれるルールがあり、ERU及びCERをEU-ETS上の約束達成に用いることを認めている(換算比率=1対1)。このため、EU-ETSのMarketとKyoto MechanismsのMarketは、ERU及びCERという両Marketsで通用する商品を介して事実上繋がっている。[出典:UNEP “Guidebook to Financing CDM Projects” p.20]

更に言うと、単に繋がっているというだけでなく、Kyoto MechanismsのMarket全体に占めるEU-ETS参加者からの需要が巨大。World Bankは、5年間の全需要1,635 Mt-CO2eのうち、750 Mt-CO2eがEU-ETSで義務を負う民間企業(private sector)からもたらされると試算している。[出典:World Bank “State and Trends of the Carbon Market 2009” p.55]

このため、EU-ETS Marketの市況がCER市場(pCER及びsCER)の価格形成に大きな影響を与える状況となっている。このことは、下の図からも見てとれる。2008年秋以降、EUA、sCER、pCERの価格が揃って下落しているが、こうした値動きは、主に、EU-ETS参加企業の動向の結果として生じたと見るのが一般的である。[出典:World Bank “State and Trends of the Carbon Market 2009” p.6]

(次回に続く)
my room, Washington DC, Nov 22, 10:32

Saturday, November 21, 2009

Infinite Quest of Innovation

別のある方から伺ったお話。

技術革新を進めていくと、その技術を商品化することで、―少なくとも短期的には― 自社の利益をかえって減じてしまうのではないかとの懸念を伴う新規技術に遭遇することがたびたびある。しかし、そういった場面で、技術の出し惜しみをしてしまっては、その時点で負け。その技術が、顧客や社会にとって、本当に価値のあるものであれば、自社が商品化をしなくても、結局、早晩、ライバル企業が商品化に踏み切ることになる。であれば、他社に先を越されるくらいなら、むしろ積極的にその技術の商品化を進める方が得策。技術革新の結果として発生する利益単価の縮小は、販売数(市場シェア)の拡大によって補う――そのくらいの心意気で、飽くなき技術革新を進めていかなければ、中長期的には必ず負ける。
Grand Central Station, NYC, Nov 21, 14:41

Three Key Technological Fields of Smart Grid

ある方から伺ったお話。

曰く、Smart Gridに関して、いま、アメリカでもっとも注目されている技術領域は、以下の3つとのこと。
1. Transmission
2. Demand Management
3. Micro Grid
1.は、アメリカの送電線が古すぎるので近代化が必要だというお話。規制や補助の話に加え、州間での負担の分担といった政治的問題も絡む。2.は、distribution(配電網)~consumer sideへの新技術の投入により、如何に電力需要(特にpeak時)を抑えられるかといったお話。具体的な技術としては、smart meterやstorageなどが絡む。目下、アメリカで一番関心が高まっているのはこの領域とのこと。そのお話は、16日のエントリーで触れた、Recovery Act財源の配分方針とも符合する。3.はREを含む小規模発電やstorageといった技術を活用しながら、如何に(grid本体から)自律したmicro gridを構築できるかといったお話。これには、需要家による安定的電力確保といった目的も強い。

1.については、日本は、既に相当程度措置済みとのこと。いろんなところで言われている通り、それは確かにそうなんだろう。2.についておっしゃられていたのは、集めたデータを如何にうまく活用できるかが次の勝負になるとのこと。要は、元来、lazyな生き物である現代人に、電力需要に対してsensitiveな行動を取らしめるには、utility側がどういったビジネスモデルを構築すればいいのかといったお話。

少し意外だったのは、日本にとって、今後一番活躍が期待できる領域は、3.のmicro gridであるとおっしゃっておられた点。残念ながら、その意味するところを更に掘り下げてお聞きすることはできなかったのだが。今週は、micro grid関連の記述にも、もう少し目を向けてみようと思う。
Grand Central Station, NYC, Nov 21, 14:19

Thursday, November 19, 2009

"Rising Tigers, Sleeping Giant"

NYT.comのGreen inc.に“Rising Tigers, Sleeping Giant: Asian Nations Set to Dominate the Clean Energy Race By Out-Investing the United States”という論文が紹介されていた。Breakthrough Instituteとthe Information Technology & Innovation Foundationの共著。
  
「アメリカがちんたらしている間に、日中韓の三か国が省エネ・新エネ技術を伸ばしまくっている。このままではヤバい。どうするんだ、アメリカ!!?」という、さして目新しくもないラインに沿って書かれた単純な論文だが、日中韓三か国+アメリカのclean energy分野での取組が詳しく紹介されているので、データソースとしては使える。「中国は今後10年間でclean energy関連分野に少なくとも$440 billion ~ $660 billionの直接投資を実施予定(“China, which is planning new direct investments totaling at least $440 to $660 billion over ten years.”)」なんて数字を見せられると、「こりゃかなわん」という気にさせられる。ちなみに、日本と韓国の投資予定額は、今後5年間に、それぞれ$66 billion、$46 billionらしい。詳しい算定方法は確認していないが、とにかく、文字通り、「ケタ違い」のようだ。

この論文の中に出てくる「Clean Energyの普及を妨げる4つの要因(Four Barriers to Widespread Clean Eneregy Adoption)」という整理が分かりやすかったのでメモしておく。
  1. 化石燃料との大きな価格差
  2. knowledgeのspill over(に対する懸念) → 個別企業のR&Dへの過少投資
  3. 大きな不確実性の存在 → 収益性算定が困難
  4. 既存エネルギーインフラの問題(既存技術との相性がよく、新興技術にとっては不利)
この論文には、日中韓の三か国を“Rising Tigers”で一括りにし、より大きな「脅威」として見せることによって、アメリカに奮起を促そうという意図があるんだろうと思われるが、言うまでもなくこのフレーミングには無理があり、“rising”の圧倒的割合は中国の寄与によるものである(他二国の中には、むしろ“sinking”しているんじゃないか思われる国も混ざっている。苦笑)。
  
ここ三、四年の中国(あと、インド、ブラジルも)における新エネの伸びには、本当に目を見張るものがある。これには、CDMの貢献も大きいのではないかと思うのだが、どうだろうか。中国におけるclean energyの伸びとCDMの相関性について書かれた論文などがあれば、教えていただければ幸い。
Starbucks Coffe, Farragut North, Washington DC, Nov 19, 18:20

Tuesday, November 17, 2009

"G2" Presidents on Clean Energy

Obama-Hu Jintao 両“プレジデント”による共同宣言(11/17@北京)の中で、clean energy及び気候変動の分野における両国の協力が謳われている。ホワイトハウスのwebサイトのほか、DoE(米国エネルギー省)のサイトGristの記事に詳しい。以下、Grist記事をベースにメモ。

1. Greenhouse gas inventory
気候変動分野におけるキャパビルに関するメモランダム。当初は中国におけるインベントリー作成に焦点を置く。この項目だけは、DoEではなくUS-EPAが米側の当事者(カウンターパートは国家発展展改革委員会)。
2. Joint clean energy research center
clean energy技術に関する共同研究施設の設置について。もともと7月に発表されていたが、今回、より具体化。設置当初の焦点は、省エネでクリーンな石炭火力発電技術(CCS含む)とclean vehicleに置かれる予定。
3. Electric vehicles
共通基準の開発、実証実験プロジェクトの実施、etc.
4. Energy efficiency
省エネ建物基準及び同評価システムの開発、産業別ベンチマークの設定、省エネ試験手続きの調和、etc.
5. Renewable energy
ロードマップの策定、地方政府間での協力。
6. 21st century coal
CCS技術の開発、Integrated Gasification Combined Cycle (IGCC) plant技術の開発、etc.
7. Shale gas
アメリカの技術を用いた中国国内におけるshale gas採掘の開発。
8. Nuclear
不拡散のリスクに配慮しつつ、国際合意に即したかたちでの、核技術の商業利用を促進。
9. Public-private partnerships on clean energy
U.S.-China Energy Cooperation Program (ECP) をベースにした民間ベースでの協力の促進。予定されるプロジェクトの実施分野は、“renewable energy, smart grid, clean transportation, green building, clean coal, combined heat and power, and energy efficiency.”

8日のエントリーで書いた“A Roadmap for U.S.-China Collaboration on Carbon Capture and Sequestration”(by Asia Society & Center for American Progress)の内容も色濃く反映されていると言える。この分野における米中の協力政策は、今後も、Asia Societyが引っ張っていくということなのだろう。

以下、共同宣言からの抜粋(強調はblog筆者)。
Regarding the upcoming Copenhagen Conference, both sides agree on the importance of actively furthering the full, effective and sustained implementation of the United Nations Framework Convention on Climate Change in accordance with the Bali Action Plan. The United States and China, consistent with their national circumstances, resolve to take significant mitigation actions and recognize the important role that their countries play in promoting a sustainable outcome that will strengthen the world’s ability to combat climate change. The two sides resolve to stand behind these commitments.
In this context both sides believe that, while striving for final legal agreement, an agreed outcome at Copenhagen should, based on the principle of common but differentiated responsibilities and respective capabilities, include emission reduction targets of developed countries and nationally appropriate mitigation actions of developing countries. The outcome should also substantially scale up financial assistance to developing countries, promote technology development, dissemination and transfer, pay particular attention to the needs of the poorest and most vulnerable to adapt to climate change, promote steps to preserve and enhance forests, and provide for full transparency with respect to the implementation of mitigation measures and provision of financial, technology, and capacity building support.
my room, Washington DC, Nov 17, 23:45

"Your Paul Krugman crib sheet"

池田信夫blog経由、Daniel W. Drezner(Fletcher School教授)のblogより。

「Krugmanは、同じことを何度も書くので、以下の7点を押さえておけば、彼のコラムを、いちいちfollowする必要はない」という内容のblogエントリー。以下が、その7点である。(邦訳はNewsweek日本版より)
1. The root of macroeconomic imbalances is the Chinese (undervalued) peg to the dollar;
2. Obama and Geithner should be "tough" on China's dollar policy;
3. Concerns about incipient U.S. inflation are... er... inflated;
4. That goes double for long-term concerns about rising debt levels;
5. The February 2009 stimulus was too small;
6. The Republicans are blinkered;
7. The Obama administration should act in a more partisan and progressive manner.

1.マクロ的不均衡の元凶は、中国が人民元をドルに連動させて(割安に保って)いることだ。
2.オバマとガイトナー財務長官は中国のドル政策に「厳しく」対応すべきだ。
3.アメリカのインフレ懸念は、いわばインフレ状態にある(誇張されている)。
4.上昇する債務水準への長期的な懸念は、もっとインフレ状態にある。
5.2009年2月の景気刺激策は小さ過ぎた。
6.共和党員は視野が狭い。
7.オバマ政権はもっと党派的かつ進歩的に行動すべきだ
膝を打つとはまさにこのこと。記事を読みながら思わず笑ってしまった。Krugmanはこの記事にどう反応するんだろうか。たぶん、何も変わらないんだろうな。でも結局、明日も読んでしまいそうな気がする(笑)

ちなみに、Dreznner教授は「Krugmanの言ってることは全面的に間違いだ」と言っているわけではない。“it's not like Krugman is wrong in what he's saying. It's just that he's saying the same damn thing over and over again.”と書いて、記事を締めくくっている。
my room, Washington DC, Nov 17, 21:03

Smart Grid in Recovery Act

“Smart Grid”と一口にいっても、実際には、かなり幅広い分野をカバーしているらしいという話は、以前のエントリーで書いた。DoE(エネルギー省)の地方部局が発行している刊行物中に「smart gridというのは、いろんなボールを詰め込んだバスケットのようなものであって、一つのコンセプトや技術ではない」“a smart grid is not a single concept or technology, but rather like a basket containing various balls.” なんて文書が見られたりもする。(Energy Services Bulletin 2009年10月号

それは確かにそうなんだけど、実際、連邦政府はどの辺にお金をつけているんだろうかと思って、Recovery ActのSmart Grid該当部分について調べてみた。
  
DoE Office of Electricity Delivery and Energy Reliabilityのサイトなどによると、Recovery Actのうち、Smart Gridの推進に直接関係しているのは、Smart Grid Investment Grant (SGIG) Program ($3,400 million) とSmart Grid Demonstration Programs (SGDP) ($615 million) の二つ。前者(SGIG)が商業利用段階の技術の普及促進施策であるのに対し、後者(SGDP)は、その一歩手前の技術の実証実験に対する補助施策である。

SGIGの方は、10月27日に、既に全額の支給先が決定・発表されている。支給対象となるプロジェクトは、Category 1 ~6に分類されているが、その内訳は以下の通り。
金額ベース

件数ベース
  • Category 1: Advanced Metering Infrastracture
  • Category 2: Customer Systems
  • Category 3: Electric Distribution Systems
  • Category 4: Electric Transmission Systems
  • Category 5: Equipment Manufacturing
  • Category 6: Integrated and/or Crosscutting Systems 
この分配の仕方が、どの程度狙い通りのものなのかはわからないが、いずれにせよ、結果からみると、(「合わせ技」ないし「その他諸々」であるCategory 6を除けば、)advanced meter(smart meterとも呼ばれる)の普及が一番、distributionの改良が二番、ということになっている。Distributionといっても、各プロジェクトの中身を見ると、“two-way communication”や“peak demand”に力点を置いたものが多い。さらに言えば、Category 6の中にもdemand monitor & demand control的なものが多く、同Category中、最高額の$2 billionの補助金を獲得した4プロジェクトは、すべてsmart meter絡みのものだったりする。 
 
というわけで、少なくとも短期的には、smart meterの普及やdistribution施設の改良を通した、電力供給の「双方向化」或いは、電力需要のリアルタイム管理といったところが、smart gridの中心になってきそうである。
 
一方、SGDPの方の支給先はまだ発表されていないが、同施策の補助要綱(Funding Opportunity Announcement:FOA)によると、支給予定の内訳は以下の通り。(Smart Grid Demonstration Programsの中に、(狭義の)Smart Grid DemonstrationsとEnergy Storageという二項目があり、Energy Storageの下に5つの小項目がぶら下がる構成。 )

そもそも、SGIGの方に比べると、額が一ケタくらい小さい感じであるが、その中でもStorageの内訳を見ていくと、だいたいこの辺が、DoEの注目している技術だということが分かる。もっとも、2.2、2.3、2.5は特定技術の縛りはないので、要件を満たせば、どの技術でもapplyできるようになっている。逆にいえば、2.1のbatteryはともかく、なんでCAES狙い撃ち??(2.4)という印象を受けないでもない。地理的制約の大きい技術なので、あまり将来的な汎用性には期待できないのではないかと個人的には思うのだが…。
my room, Washington DC, Nov 16, 25:31

Monday, November 16, 2009

“a successful failure”


11月12日付のFTの記事“How to make a successful failure out of Copenhagen”がわりと面白い。まぁ、環境屋の間では普通に語られているような話ばかりと言ってしまえばそれまでだが、これが新聞記事だということを考えると、やはり「さすが」だと言えるだろう。温暖化問題をめぐる日本国内での議論に比べれば、一周、二周、先を行っているのは確実。以下、抜粋(下線はblog筆者)。
I detect a hint of I-told-you-so smugness about some of the gloomy advance commentary on Copenhagen. It is almost as if climate change campaigners are relieved that the US has lived up to its let-the-planet-go-to-hell stereotype. The process has been derailed, a spokesman for Greenpeace said the other day, because, predictably enough, Washington had bowed to “Big Carbon”.
The world badly needs to fix a carbon price if governments and businesses are to take the measures needed to drive down greenhouse gas emissions. The political and the economic incentives to reduce CO2 emissions depend on establishing an agreed global framework. The longer negotiations drag on, the greater the risk of permanent prevarication. The fate of the Doha trade talks provides a salutary warning.

There have been some encouraging signs too of compromise in the emerging world. ... Behind these shifts lies the self-interest that flows from an appreciation of one of the central unfairnesses of climate change. If the west bears most of the responsibility for global warming, the effects will be felt more quickly and acutely in the emerging world. China and India need only to look at the impact on their water supplies of melting Himalayan ice caps to understand that simply blaming the US for the problem does them little good.
my room, Washington DC, Nov 16, 23:11

chart porn

ChartPorn」というblogを購読している。毎日、2、3コ、絵が紹介されて、それに筆者の短いコメントが添えられる、ただそれだけのblog。ちなみに、絵といっても、風景画とか肖像画ではありません。日本語でいうところの、いわゆる「ポンチ絵」―― ん?ポンチ絵って日本語か??
  
ともあれ、これがなかなか面白い。毎回、非常にセンスがいい。ここ数日、特にお気に入りの「絵」が続いたので、その中から3つほどご紹介。(下の絵自体は、ChartPornではなくて、そこからリンクの貼られている元のblogからそれぞれ拝借。)

China vs United States from The New York Times




2012: End of the World?  from Information is Beautiful

3つ目の絵とか、本当によくまとまっていて、かつて、「ポンチ絵」作りに多大なる時間を投入してきた者としては、心から感心してしまう。Climate Changeの真偽を巡る論争にも、こんな感じのうまい絵があるといいのになぁ…なんて思ってしまった。
my room, Washington DC, Nov 16, 22:09

Sunday, November 15, 2009

Conception for Renewables Deployment

以前にもこのblogで書いたように思うが、留学中最後の学期となる来学期には、単位発行を伴う(つまり、授業受講の代替となる)論文を書くことにしている。テーマについては、正直、まだあまり絞り込めていないのだが、とにかく、再生可能エネルギー(RE)の普及政策の絡みで書くというところまでは、指導教官との間で合意が取れている。

今日のエントリーでは、その論文の、現段階での構想を書こうと思っていたのだが、いざ書き始めてみると、そこまで一足飛びにはたどり着けなさそうなので、まずは、その前段階として、電力部門における温室効果ガス(GHG)排出削減策に関する、自分なりの大枠の理解を書いておきたい。

政策の意思決定過程(いわゆる政治プロセス)を一旦度外視し、また、(“GHG排出過多”という外部不経済が生じていることを除けば)市場は完全であるという前提に立てば、政策の対象に「枠」を設けず―つまり、すべての財・サービスを対象とし―それらから生じるGHGの排出に、できるだけニュートラルに(或いは市場に任せるかたちで)値段をつける方法―具体的には、課税対象に歪みのない炭素税又は全量オークションによるcap-and-trade―が一番望ましいと言える。

このことを論理的に証明するのはさして難しいことではない。では、日本を含め、世界のいくつもの国々で実施されているRE普及施策は、すべて欠陥政策なのかといえば、一概にそうとは言えない。なぜかといえば、上の段落で一旦度外視した「政治プロセス」と、同じく「前提」の中で脇に追いやった「市場の不完全性」が、実際には、利いてくるからである。

たとえばごく単純な話として、歪みがなく、税率も十分に高い炭素税が導入されれば、それに越したことはないわけだが、政治プロセスを考えれば、その導入は容易ではない。おそらく、いかなる国であっても、税よりは補助的政策の方が、導入に至る政治的障壁がはるかに低いであろう。ひたすらに炭素税の導入を待ち続けるのではなく、より手のつけやすいところから手をつけていくという政策判断は、当然、あり得べきものである。

また、電力という市場の特異性(発電事業者としての電力会社の売手寡占状態;送電網運営会社としての電力会社の買手独占状態;各供給者(=発電事業者)の供給する商品(=電気)が直接最終需要家に届けられるわけではなく、すべての商品は一旦ストックヤード(=送電網)上で混ぜ合わせられてから発送されるため、各供給者の商品の質が市場全体に一律に影響してしまうという特性;その商品全体の品質管理の責任は送電網運営会社としての電力会社に委ねられているという現実 etc.)を考えると、仮に、上記のような「理想的」な炭素税が導入されたとしても、電力会社が発送電に伴うGHGの排出を減らす方向に舵を切るとは必ずしも限らない。市場の特異性=市場の歪みの存在により、電力会社にとっては、固定資本の増大(=経営リスクの増大)を伴うRE拡充(及びそれに見合った送電網補強)に走るよりも、炭素税支払いに起因する利幅の縮小を甘受する方が、経営判断として「合理的」なものとなる可能性があり得るからである。

こう考えると、まずは、理想形(炭素税or C&T)をスタート地点とした上で、回避不可能な「政治プロセス」と「市場の不完全性」を一つ一つ織り込んでいき、どこまで「スタート地点」から離れる必要があるかを見定めていくというのが本来あるべき姿勢なのではないかと思われる。言うまでもなく、スタート地点からは、できるだけ離れないに越したことはない。必要以上にスタート地点から離れてしまえば、その分、その制度(厳密にいえば、当該制度がembedされた状態の市場)の効率性を低め、それにより、社会全体のwelfareを毀損してしまうからである。

こういった理解に基づきながら、理想形=スタート地点からの距離が最適である政策とは、具体的にどういったものなのかに迫る論文にしたいというのが、現時点での大枠のスタンスである。文字通り、非常に「大枠」であるが…。

しかし、これを厳密にやろうと思うと、電力政策にまつわる「政治プロセス」と、電力市場の「不完全性」とを十分に知らないといけないわけで、そのための勉強をこの先の半年間でやりきれるかという点には非常に不安がある。更にメタ的に言えば、何を以て「やりきった」とするかも定かではない。調べていけば、次から次にいくらでも論点になりそうなポイントが見えてきて、下手をするといつまでたってもテーマを絞り込めないなんてことになるんじゃないかという不安もある。この辺は、むしろ、このissueに固有の問題というよりも、論文執筆スキルに関する問題かもしれないが。

というわけで、まだまだまとまりがないのだが、とりあえず、今日はこの辺で。師走の声を聞く前に、もう少し詰めておきたいと思う。
my room, Washington DC, Nov 15, 23:35

American Professional Sports

NBAの試合を観に行ってきました。


こんなこと言うと、バスケをやっておられた方や、スラムダンクの愛読者の方に怒られてしまうかもしれませんが、このバスケットボールというスポーツの、何とも言えぬ間延びした感覚が、いまいち、僕の肌に合いません。一緒に観に行ったアメリカ人の友人たちは、「サッカーなんてほとんど点が入らないからboringだ」と言うわけですが、僕に言わせりゃ、それぞれのチームが一回の試合で100点前後も取ってしまうバスケの方が、一点ごとの緊張感が希薄で、よっぽどboringだ、ということになるわけです。
  
もっとも、バスケというスポーツそのものの性格もさることながら、この国一流の演出方法が、試合の雰囲気を緩慢にしてしまっている可能性も無きにしも非ず。ハーフタイムはもちろんのこと、タイムアウトのときにも、いちいち、アトラクション的な催し物が挟まるんですよね。チアリーダーのダンスショーに始まって、気ぐるみマスコットのパフォーマンス、観客参加によるスリーポイント・シュート・コンテスト、アクロバットチームによるトランポリンショー、スクリーンに映し出されたカップルにkissを迫る"Kiss Cam"企画、Tシャツ配り、ドーナツ配り、果ては、ブリトー配り(←これには正直、触手が動いた。笑)と、本当にまぁ何でもござれ。。。ハーフタイムとかにやるのは、ファンサービスの一環としていいのかも知れないですけど、終盤、抜きつ抜かれつの攻防の中でのタイムアウトのときくらいは、正直、試合に集中させてくれと言いたくなります。僕なんかは、「固唾を呑んで見守る」瞬間といったものをスポーツ観戦に期待しているわけですが、そういうのが、まるでないんですよね…。本当はあるのに、演出の仕方で、そういう雰囲気をつぶしてしまっているのかも。
  
こういう演出の仕方って、実は、アメリカの4大スポーツ(アメフト、バスケ、野球、アイスホッケー)すべてに共通だったりします。アメリカ人の人たちは(一緒に行った友人たちも含めて)、なんら疑問を感じずに、ただただその雰囲気を楽しんでいるみたいだったので、外モノの僕がああだこうだ言う問題でもないのかもしれませんが。
  
まぁでもそれにしても、「こら、お前ら、Tシャツ欲しかったら、騒がんかい」と(いう趣旨のことを)言われて、アホみたいにみんなしてワーキャー騒いでる姿は、できることならあんまり見たくないなぁ…。
my room, Washington DC, Nov 14, 25:36

Saturday, November 14, 2009

Applications of Storage

最近、勉強中のpower storageについて、自分用メモ。今後、このテーマで書くことが増えてくるかと。

とりあえず今日は、Applications of Storage、つまり、storageにはどういった役割が期待されるかについて。NY州エネルギーR&D機関(NYERDA)というところが2007年に出したレポート“Guide to Estimating Benefits and Market Potential for Electricity Storage in New York”によると、storageの主な用途としては、以下の14項目を挙げることができるとのこと。

■ Grid Capacity 関連
   1. Electric Energy Buy Low – Sell High
   2. Electric Supply Capacity
   3. Reduce Transmission Capacity Requirements
   4. Reduce Transmission Congestion
   5. Transmission and Distribution Upgrade Deferral
■ Ancillary Services 関連
   6. Operating Reserves
   7. Regulation and Frequency Response
   8. Transmission Support
■ Electricity End-user Applications 関連
   9. Electric Service Reliability
 10. Electric Service Power Quality
 11. Electric Service Bill Reduction: Demand Charges
 12. Electric Service Bill Reduction: Time-of-use Energy Pricing
■ Renewables Applications 関連
 13. Renewables Electricity Production Time-shift
 14. Renewables Capacity Firming

1.はgridから安い時に電気を買っておいて、高くなったら、gridに売り戻す、電気の裁定取引に使えますよ、ということ。2.は、独立系の発電事業者にとっても、storageを持っていると商売しやすいですよというお話らしい。3.と4.はともに、peak時の送電網使用を減らすことで、送電網会社への支払いを節約できますよというお話。3.と4.の違いはよくわからない。5.は、送電網会社が、storageをうまく使うことで、大規模な工事を先送りすることができるという話である。
  
6.は、もしものときのためのバックアップ電源。多くのタイプの発電機は、稼働までに時間がかかってしまうので、この目的では、発電機よりもstorageの方が有利。7.は日常的な周波数調整用。8.は、送電網にまつわる諸問題へのサポート用(6.との違いがいまいちよくわからないが)。
  
9.は、gridから流れてくる電気がunreliableなとき、userが自前でstorageをもっておけば、使用する電気のreliabilityを高められますよというお話。10.は逆に、supply側が電気の質を一定に保つ目的でstorageを使えますというお話。11.と12.は、peak時の電力購入量を減らすことで、稼げますよというお話である。
  
13.と14.は、ともに再生可能エネルギー(RE)の発電機と併用することで、旧来型の発電(主に化石燃料)への依存を減らせますよという話であるが、13.はフローで、14.はストックの話。つまり、13.は、毎日の化石燃料の使用量を減らせますという話で、14.は、旧来型の発電施設の建設自体を減らせますよという話。

ちなみに、同機関の試算によると、これら14項目のうち、NY州にとって、今後10年間の潜在的なbenefitが一番大きいのは、2.のElectric Supply Capacityで、10年間で28.1億ドル。それに、12.のElectric Service Bill Reduction: Time-of-use Energy Pricing(27.8億ドル)、13.のRenewables Electricity Production Time-shift(22.5億ドル)が続く。逆に8.、9.、14.の効果は小さいとはじいている(それぞれ、0.47億ドル、0.25億ドル、0.61億ドル)
my room, Washington DC, Nov 14, 9:20

Friday, November 13, 2009

Krugman's Third-best Answer

Krugman blogの今日のエントリー“It’s the stupidity economy”に、経済対策に対する、今の彼の考え方がわかりやすく示されている。これが全面的に正しいとは思わないが、今の彼の立ち位置を押さえる意味で便利なので、以下、抄訳。
  • 我々は今、liquidity trap(流動性の罠)の中にいる。これはつまり、伝統的金融政策が効かないということ。What should we do?
  • Best answer: 中央銀行が信頼できる形でインフレを約束("to credibly commit to higher inflation, so as to reduce real interest rates.")。ただし、これを実現するためには以下の3条件をクリアすることが必須。
    (i) convince current policymakers that it’s the right answer
    (ii) make that argument persuasive enough that it will guide the actions of future policymakers
    (iii) convince investors, consumers, and firms that you have in fact achieved (i) and (ii).
    → 実際には、(i) からも程遠い状況。なので実現不可能。
  • Second-best answer: 需給ギャップを埋めるに十分なだけの、真に大規模な財政拡大を発動("really big fiscal expansion, sufficient to mostly close the output gap")。
    → これも政治的にまずムリ。
  • Third-best answer: 雇用確保のための補助金 及び ワークシェアリングの促進("subsidizing jobs and promoting work-sharing")
my room, Washington DC, Nov 13, 23:08

Wednesday, November 11, 2009

Traffic-Light Framework on Subsidy Issue

今日のInternational Tradeの授業のポイント。自分用メモ。

GATTのSubsidies and Countervailing Measures Agreement (SCM) では、subsidy(補助金)とcountervailing duties(CVDs。相殺関税)の関係について、以下のように規定。
  • あらゆる補助金は、以下の3つのカテゴリーのいずれかに分類される。
  • Red-light: export subsidies(輸出補助金) → そもそも禁止。
  • Green-light: 以下の3つのタイプのいずれかに当たる補助金であって、所定の条件を満たすもの → 全面的にOK、つまり、“non-actionable”=これに対するCVDsの発動は不可。
    • research [SCM art. 8.2(a)]
    • disadvanaged regions [SCM art. 8.2(b)]
    • environmental requirements [SCM art. 8.2(c)]
  • Yellow-light: 上記2カテゴリー以外のすべての補助金。→ 当該補助金が以下のいずれかを引き起こしていると判断される場合は“actionable”=CVDs発動可能。
    • injury in another member country's domestic market [SCM art. 5(a)]
    • nullification or impairment of GATT benefits [SCM art. 5(b)]
    • serious prejudice to members in other countries [SCM art. 5(c)]
このうち、environmental requirementsに係る規定の原文は以下のとおり。
8.1 The following subsidies shall be considered as non-actionable:
(a), (b) (略)
(c) assistance to promote adaptation of existing facilities* to new environmental requirements imposed by law and/or regulations which result in greater constraints and financial burden on firms, provided that the assistance:
(i) is a one-time non-recurring measure; and
(ii) is limited to 20 per cent of the cost of adaptation; and
(iii) does not cover the cost of replacing and operating the assisted investment, which must be fully borne by firms; and
(iv) is directly linked to and proportionate to a firm's planned reduction of nuisances and pollution, and does not cover any manufacturing cost savings which may be achieved; and
(v) is available to all firms which can adopt the new equipment and/or production processes.

* The term "existing facilities" means facilities which have been in operation for at least two years at the time when new environmental requirements are imposed.
久しぶりに「係る」とか言ってみた。変な日本語(笑)
my room, Washington DC, Nov 11, 23:45

Fall of the Berlin Wall



ベルリンの壁の崩壊から20年ということで、このところ、ベルリンではお祭り騒ぎのようである。アメリカのメディアもここ数日、このニュースをこぞって報じてはいるものの、一方では、先週のFort Hood乱射事件やHealth Care法案絡みのニュースも忙しく、単純にお祝いモード一色というわけにはいかないようである。

ベルリンの壁とともに冷戦が崩壊してから20年がたったわけだが、中国は、今も立派に(??)、共産主義の看板を標榜し続けている。もっとも、あの国が未だに字義通りの「共産主義」を採用しているだなんて信じている人はほとんどいない。現在の中国(政府)にとって、「共産主義」は、「一党独裁体制」とほぼ同義なのだろう。「一党独裁体制」は、「共産革命」という目的を推し進めていくための手段だったはずなのだが、皮肉というかなんというか、今やその「手段」だけが「共産主義」の看板の下で温存される結果となっているわけだ。

経済学的に見れば―あるいは、そうした前提を置かなくても―、現代という文脈の中で、各国の性格を分析する上でもっとも大事なポイントは、政治的にどういった体制を採っているかではなく、「成長」と「分配」のどちらにより重きを置いた政策運営が行われているかという点にあるように思う。その基準でいえば、中国なんてのは、むしろ「成長」陣営を代表する国の一つであるし、一方で、日本なんかは、「分配」陣営に位置づけられても不思議ではない、というか、いまや、それを堂々と公言してしまう国になろうとしている。

とりあえず書いておきたかったのはそれだけで、それ以上、どうということもないのだが。学生時代、バカにするだけ馬鹿にして、マル経というものをまったく勉強しなかったので、原著レベルで、マルクスがどう言っていたのか、まったく知識が無い。今思うと、僕らが普段、「これが共産主義だ」と思っているものの、どの部分がマルクス自身の主張で、どの部分は後から付け加えられたものなのかくらいはわかるようになっておくと良かったなぁと思う。まぁ、今さら資本論を読む気にはさらさらなれないんだけど(笑)
my room, Washington DC, Nov 10, 25:44

Tuesday, November 10, 2009

"How are you?"

以前にも、このblogで書いたことがあるような気がするが、アメリカに来てからというもの、激しい頭痛に見舞われる機会が増えた。日本にいたときには、あまり頭痛に縁のなかった方で、たまに軽い頭痛に襲われても、何か他のことをしていれば、そのうち忘れてしまうくらいのものだったように思う。ところが、こちらに来てからは、その日の予定をまともにこなせなくなるほどのひどい頭痛に、しばしば襲われるようになってしまった。

僕はこれは、「英語」によるものだと勝手に信じ込んでいて、脳が英語を習得していく過程で、ある種のthresholdを越えるときに発生する「産みの苦しみ」みたいなもんなんじゃないかと思っている。もっとも、それを実証する科学的根拠なんてものはどこにもなく、中には「単純に年じゃないの?」なんて愛情のかけらもない言葉を投げかけてくるクラスメイトがいたりもする。

今日は、その種の激しい頭痛に見舞われた一日だった。朝から「あれとあれとあれを読もう」と気合いを入れて出社したのだが、席についてしばらくしたら頭痛が始まり、とてもじゃないが、英語の文書なんてまともには読んでいられない状況に。よろしくないなとは思いつつ、キュービクル(半個室)であるのをいいことに、小一時間ほど、席で寝させてもらったりしながら、だましだまし過ごした一日だった。

面白いのは、speakingに限って言えば、こんな時の方がむしろ滑らかに言葉が出てくるということ。普段は余計な頭の使い方をしているということがよくわかる。スポーツで言うところの、余計なところに力が入っている状況にに近いのだろう。もっとも、スポーツと同じで、わかってはいても、その「余計な力」を抜くのが非常に難しいんだけれども…。

退社後、夜の授業に向かう前、CVS(アメリカのどこにでもあるドラッグストア)で頭痛薬を購入。とりあえずそれだけ欲しかったので、即効性タイプのTylenolだけを持ってレジに向かったところ、レジ打ちの兄ちゃんがTylenolのバーコードを機械で読み取りながら、僕に向かって“How are you?”とのたまう。頭痛薬(それも即効性!!)を買いに来た客に向かって“How are you?”はないだろうと思ったのだが、僕がそれに気づいたのは、脊髄反射で“Good”と答えた後だった。僕も結構毒されている…。
my room , Washington DC, Nov 9, 25:19

Monday, November 9, 2009

Damned by crabs

今日は一日、日本人同業他社同期の皆さんと一緒にAnnapolisへ。というわけで、簡単に旅の記録を。

秋晴れに恵まれた今日は、最高の行楽日和。前回、霧のShenandoah Tourに行ったのと完全に同じメンバーだったのだが、その後、皆さん、よほど心根を入れ替えられたらしい(笑)

目的地は、DCから車で約一時間のAnnapolis。DCのお隣、Maryland州の州都にして、かつて9ヶ月間だけではあるが、連邦政府の首都も置かれた古都。また、海軍兵学校(USNA)の置かれている町としても有名である。(右の写真は、Maryland州議事堂の外観。間違っても、Eggers Hall @Maxwellではない。笑)

Californiaの州都Sacramentoもこじんまりとした街だったが(Sacramento旅行記はこちら)、Annapolisの方が断然小さい。というか、市街地の規模で言えば、鎌倉といい勝負じゃないかというくらい。もっと小さいかも。これが人口560万人超のMarylandの州都というのだから、どうやって行政機能を果たしているんだろうかと、不思議に思えてくる。(下の写真は議事堂建物の内部。かつて、連邦の憲法立案会議場としても用いられた由緒ある建物だけあって、合衆国建国当時の星条旗がかかる。stripeだけでなく、starの数も13。)


港、海軍兵学校と見学した後、Bay Bridgeでチェサピーク湾を渡り、半島側へ。わざわざ湾の対岸にやってきたのは、とある有名店(?)で、チェサピーク湾名物のカニ料理を食べるため。

こちらのカニ料理というのは、日本のそれとは幾分異なる。まず、そもそもカニが違う。タラバガニや毛ガニよりはだいぶ小振りな、日本でいうところのワタリガニくらいのサイズのカニである。

で、こいつをカゴみたいなのに山盛り入れて、熱湯につけてひたすら煮る。煮あがったところに上からスパイスを振りかけて出来上がり。あとは、客が自ら、一人一本ずつ手渡されるハンマーでカニの甲羅をたたき割りながらひたすら食べてくださいという容量。食べ始めると皆無口になるところだけは、日本のカニ料理と同じ(笑)

まぁ、それなりに美味しかったのだが、一人、4匹も5匹も食べていると、正直、おなかがいっぱいになる前に、疲れてくる。スパイスの味が非常に濃い(塩辛い)のも日本人にはちょっと…。考えることは皆同じで、口の中がスパイス味でいっぱいになってきた頃、「今度、アメリカでシーフードを食べに行くときは、三杯酢を持参する方がいいかも」なんて、本気とも冗談ともつかない会話が飛び交っていた。

ともあれ、最高のお天気の下、Anapolis観光と、カニに呪われるんじゃないかというほどのカニの一気喰いが出来て、大満足。僕のワガママ通りのプランに付き合ってくださった同行の皆さんに感謝。
my room, Washington DC, Nov 8, 25:33

追伸: 同行のY氏が、帰宅後、蕁麻疹・下痢・嘔吐の三点セットで悲惨な目にあったらしい。「Damned by crabs(カニに呪われる)」なんてタイトルをつけていたが、冗談ではなかった。恐ろしや…。皆さんも甲殻類の食べすぎにはご注意を。

Sunday, November 8, 2009

two‐party system

自分用メモ。
  
昨今の政治情勢を受け、近頃、日本には安定的な二大政党制が根付きうるのか否かといった議論が、メディアでも、僕の周りでも、しばしば聞かれるようになった。たとえば、ジェラルド=カーティスは、日経ビジネスの記事(2009/09/15)で、「他の多くの民主主義国と違い、」「社会の分断や、人種・民族・宗教・地域・言語の対立が事実上存在しない」今の日本には、「政策本位」の二大政党制は根付きにくいのではないかという主旨のことを言っている。僕自身、今年1月のエントリーでそれに近いことを書いた。
 
しかし、日本にもかつて、立憲政友会と立憲民政党という形での二大政党制の時代があった。この事実をどう理解するのかということに対する見識が、僕には圧倒的に不足している(というか、正直に言って、ほとんど何の知識も持ち合わせていない)。時間を見つけて勉強しなければならないと思った、という意味で自分用メモ。
my room, Washington DC, Nov 8, 20:38

A Roadmap for U.S.-China Collaboration on CCS

今年1月、Pew Centerとの共同で“A Roadmap for U.S.-China Cooperation on Energy and Climate Change”とのレポートをを取りまとめたAsia Societyが、4日水曜日、今度は“A Roadmap for U.S.-China Collaboration on Carbon Capture and Sequestration”と称するレポートを発表している。今回のパートナーは、前回のPewに代わってCenter for American Progress。(2月のレポートに関するMSJ記事はこちら

なぜCCSなのか。同レポート曰く、
“One critical pathway for collaboration specifically identified in the United States and China’s recent joint commitments is carbon capture and sequestration technology, or CCS, which has the potential to mitigate emissions from coal-fired power plants.”
との由。この背景には、当然ながら、米中両国が、単にGHG排出量の多い国(世界第一位、第二位。両国合わせると世界全体の41%)であるというだけでなく、両国とも、石炭への依存度が非常に高いエネルギー構造を持つという事実がある。

レポートでは、両国が、まず協力して手をつけるべき点として、以下の3つを挙げている。
  1. Sequester the pure CO2 streams on existing commercial plants
  2. Invest in research and development on retrofitting older power plants
  3. Catalyze markets for CCS
1.は、もっともsequestrationを行いやすいパターンである、既にpureなCO2を排出しているタイプの施設(=“capture”工程が不要)で、まずはCO2のsequestrationをやってみましょう、という提案。この実証実験は中国国内のみで行うこととされており、アメリカは“substantial contributions to those projects in practice, equipment, and science”を行うとしている。

2.は、CO2とその他のガスが混ざった状態の気体を排出している施設から、pureなCO2を取り出せるようにするための改修(retrofit)の行い方について、R&Dを行いましょうというもの。この実証実験は米中両国で行うとされており、そのための研究センターについては、“which might be set up within existing U.S. Department of Energy calls for a collaborative research center” としている。

3.は、CCSが、今後、商業ベースで実施されていくためには、そこへの資金の流れを作ってあげる必要があり、その役割を果たしうると考えられるのは、①CO2排出抑制に経済的価値を与える国内法と、②現行CDMのような国際的な途上国支援枠組み、とした上で、最後には、“the United States and China will have to eventually build an international mechanism to reduce the costs of second and third generation technologies aimed at meeting global 2020 and 2050 CO2 output targets.”とも述べている。

このcollaborationによって、両国が享受しうるベネフィットとして挙げられているのは以下の9項目。
  1. Accelerate U.S. technology
  2. Create U.S. jobs
  3. Lower U.S. electricity prices
  4. Increase Chinese CCS expertise
  5. Facilitate additional collaboration in preferred Chinese areas
  6. Direct cost savings
  7. Risk sharing
  8. Financial sureness in the market
  9. Rapid emissions reductions 
僕はこれらのほかに、明示的には書かれていないけれども(←当たり前)、アメリカ国内でsequestrationの実証実験を行えば、ほぼ確実に発生すると考えられる“NIMBY”的反対運動に伴う行政的・政治的コストを回避できるというメリットも、アメリカ側は織り込んでいるのではないかという気がする。更に言えば、中国の発電所の構造を仔細に見聞する大義名分を得られるという戦略的メリットも、あるいはカウントされていたりするのかもしれない。もっとも、この点は、中国側から覗き見されるリスクも負うという意味で、諸刃の刃ではあるのだが。

共同R&D施設の米国内誘致をさらっと表明していたりもしていて、正直、アメリカにとって虫の良すぎる提案であるようにも思うのだが、大枠で見れば、気候変動の分野では、米中両国は、国内排出削減対策・外交交渉の両面で協調を図ることによって、互いの利益を増幅できるのは事実だと思う。来週末のObama訪中で、どこまで具体的な議論が交わされるのか、注目して見てみたい。
my room, Washington DC, Nov 7, 24:52

Thursday, November 5, 2009

World Energy Engineering Congress

朝、出勤してみると、案の定、例の係長氏からメールが入っている。「念のため、今日来る予定だった人たちに電話いれといて」との由。おいおい、相手が(延期メールを見逃して)本当に来るつもりしてたら、一時間前に電話したって無意味でしょうが…と内心、ブツクサ言いながら、数人に電話をいれる。幸か不幸か皆さん留守電。で、ふたを開けてみたら、結局、誰も現れず。朝10時からの会議の延期を、前日の夕方6時のメールで知らせただけで、全員にちゃんと伝わるとは、アメリカのiPhone / Blackberry文化、恐るべし…。念のため付言しておくが、「6時前だったら、普通にみんなオフィスにいてたんじゃないの?」という見立ては、たぶん正しくない、と思う。この国においては。

    
というわけで、briefingにまつわるドタバタからも解放された今日の午後は、Washington市内(というかうちのofficeから徒歩10分)で開催中のWorld Energy Engineering Congress (WEEC)にお邪魔してきた。「Congress」との名称ではあるが、実際には、日本で言うところの「○○博」とか「××見本市」に近い感じ(というか、そのもの)。Washington Convention Centerという東京国際フォーラムみたいなでっかい会場で、国内外各社によるブース展示と、Conference(テーマごとに行われるセミナー)とが3日間、行われている。今日はその2日目。上司(例の係長氏ではない)から「話を聞いてきて私に報告するように」との寛大なミッションを頂き、半日、Conferenceに参加させていただいた。
 
九つの会議室で同時並行的にセミナーが行われており、一つのプレゼンの尺は30分ずつ。というわけで、予定表を見ながら、面白そうなのをいくつか回ってみたのだが、結論から言うと、どれもあんまり面白くない。だいたいの場合、エネルギー系のコンサルタントか、そうでなければ事業会社の環境・エネルギー担当の人が、彼らのbest practiceについて喋ってくれるのだが、わりに言っていることが基本的だったり、あまり深くまで踏み込んだ話をしてくれなかったりで、少なくとも僕的には退屈な話が多かった。「僕が、実際にビジネスをやったことがないからかも」とも思ってみたのだが、僕なんかよりはるかに詳しく技術のことを知っていらっしゃる、その道のプロみたいな人たちが聞けば、ますますつまんないんじゃないかとも思われ…。
    
にもかかわらず、皆さん、安くもない参加料を払い、もしかしたら遠路はるばる駆けつけたりもして、このConferenceに参加しているのは何故なのだろうか?結局のところ、この手の見本市は「人脈作りの場」ということであって、展示やセミナーは、壮大なる「前座」(良く言って「きっかけづくり」)に過ぎない、ということなのだろうか。日本にいたときからそうなのだが、この手の「見本市」(東京モーターショーとか、全米家電ショーみたいな、やたら注目度の高いものを除く)の本当の機能がどういうところにあるのか、よくわからない。うーむ…謎。
my room, Washington DC, Nov 5, 21:54

New highway reduces city central population

With tax break, a big carbon footprint  The Boston Globe / By Edward L. Glaeser / November 5, 2009 (Mankiw's Blog経由)
In the 1950s, the Interstate Highway System encouraged Americans to flee older urban areas. Nathaniel Baum-Snow of Brown University found that each “new highway passing through a central city reduces its population by about 18 percent.” The home mortgage interest deduction further encouraged suburbanization, because rental units are disproportionately in cities while owner-occupied homes are disproportionately distant from city centers. This pro-suburb, pro-big home policy push helps keep America’s households consuming plenty of energy, both inside the home and in the car.
個人的には、温暖化問題はさておくにしても、より短期間で顕在化しうるスプロール現象の惨禍の方が気にかかる。「新しい高速道路が街の中心部を通るごとに人口が約18%減少する(“new highway passing through a central city reduces its population by about 18 percent.”)」とは、なかなか衝撃的な数字であるが、Syracuseなんかを見ていると、大いにあり得る数字だと思えてくる。
  
Eisenhower政権の下で全国的に整備されたInterstate System(州間道路網)は、この国では、いまだにもっとも成功した公共事業の一つに数えられることが多い(Obamaは、先日、Smart Gridの推進を訴える会見の中で、見習うべき成功事例としてInterstate建設事業を挙げていた)。また、それによって、この国のproductivityが上がったというのも間違いない事実だろう。しかし、経済、社会、環境のいろいろな面で、弊害をもたらしたというのもまた、事実ではないかと思う。どこまで客観的にcausalityを見出せるかは怪しい気もするが、日本も、高速道路無料化に向けて大きく舵を切ってしまう前に、Interstate Systemがこの国にもたらした功罪を、よくよく勉強しておくべきではないだろうか。
 
自動車というのは、良くも悪くも、それだけの力 ―― 社会の在り方を根底から変えてしまえるだけの力―― を持った、現代社会における、おそらく唯一の商品ではないかと思う。
my room, Washington DC, Nov 5, 20:45

GOP's Victories

特にコメントすることもないのだが、後日、自分で振り返るときのために簡単なメモを。

昨日のVirginiaとNJの州知事選挙では、共和党候補がともに勝利を納め(前職はともに民主党)、当然ながら、各メディアで大きく報じられている。予想通りの結果ではあったが、ちょうど一年前のMSJの記事と比べてみても、確かに、隔世の感がある。お隣のVirgina州では、単にGOP候補が勝ったというだけでなく、大差をつけての圧勝。この赤色っぷりには、正直、驚いた。
  
もっとも、内紛騒ぎでUpstateの下院議席をDemocratsに明け渡したり、例のアラスカおばちゃんが相変わらずちょろちょろしていたりと、GOP内部も決して安泰ではない。コンサバ派と中道派の主導権争いは、引き続き深刻だ。とはいえ、ニュース番組で、民主党サイドのゲストが「いやいや、これはあくまで地方選挙ですから、国政レベルの論点とは関係ありません」なんて苦しいコメントをしているのを見るにつけ、一年前とは風向きが大きく変わりつつあるのを実感せざるを得ない。

ちなみに、昨日はNY市長選もあり、ブルームバーグが三選を果たした(へー、市長って、三期目も出れるんだ)。ブロックごとの投票結果はなかなか興味深い。Lower East Sideを除けば、マンハッタンの南半分というのは、基本的にGOP支持なんですね(まぁ、ブルームバーグの個人人気かも知れないけれど)。細かく見ていくと、その地区の全員が片方の候補者に入れているブロックもあり、ということはそこの住民がどっちに投票したのか丸わかりということ。いいのか、これ??

まぁともあれ、NYと言えばYankeesの優勝、松井のMVP、おめでとうございました。
my room Washington DC, Nov 4, 24:57

postponement

恐縮ながら昨日に引き続き、インターン先のどたばた話。木曜日のブリーフィングまで残り22時間を切った今日のお昼過ぎ、参加予定者の一人から、「ごめんなさい。やっぱ行けません。電話で参加させてください」とのメールが入る。その話を例の係長氏に伝えたところ、

「参加者が少なすぎる。来週に延期しよう。12日で可能かどうか課内の人に聞いてみて」

とのメールがぴょろっと届く。えーっと、もうとっくに24時間切ってるんですけど!!

これが日本だったら、「係長、いやいやそれは。。」と食い下がるところだろうが、ここでは、所詮インターンの身。このタイミングでの開催延期は、参加を表明してくれている人にさすがに失礼だろうとは思いつつ、とりあえず、係長氏の指示に従うことにする。

「ぴょろっとメール」で指示された通り、課内関係者の日程と、会議室の空き状況を確認して回る。とりあえず、うちの課的には12日でもOKそうということを確認して、いざ報告に入ろうとすると、今度は、係長氏本人が個室にこもって電話会議中。。。うーん、少しは焦ってくれ。

僕自身の2時からの会議の予定(まぁ、所詮聴いてるだけですけど)を袖にしつつ、招待者宛てのリスケメールのドラフトも作って待っていたのだが、待てど暮らせど、肝心の係長氏の電話会議が終わらず、GOサインを貰えない。さすがに、会議を全部すっぽかすわけにもいかず、もう待てないというわけで、係長氏の個室に飛び込み、「あんたのところにリスケメールのドラフト送っといたから、あとの送信はよろしく」と言い置いて(もちろん、了承ももらって)会議に向かう。

で、5時前。会議から戻ってみると、僕のところには、係長氏からのリスケメールは届いていない。まぁ、cc.入れずに送ったってことも考えられるわな…と淡い期待を抱きつつ、彼の個室を覗いてみると、「あぁ、いまちょうど送ろうと思ってたところだったんだ」との由。おーーーい、大丈夫か??

アメリカのビジネス慣行って、こんなもんなんでしょうか。いやいや、さすがに緩すぎる気がするぞ…。明日の10時に、ステイクホルダーさんがひょっこり現れないことを祈るのみ。。。
my room, Washington DC, Nov 4, 24:05

Wednesday, November 4, 2009

telephone calls

今週の木曜日、インターン先の上司(branchのヘッドではなく、その下の係長くらいの人)が、とある案件のステイクホルダーを集めたブリーフィングを行う。その日まであと二日となった今日、その上司から、案内メールを出したきり参加/不参加の返事が返ってきていない人達に、電話で参加の是非を確認するように、との仕事を仰せつかる。 

……。

確かに、銀行だとか、自動車保険だとか、相手にどう思われようが関係なく、とにかくこちらの要望を通せばいい(通すしかない)類の電話であれば、何とかこなせるようになってきた今日この頃ではある。しかし、B2Bの電話となると話は別。全然、別!! しかもこちらは、ギョーカイでは、それなりに名の通った組織。そこの肩書きを名乗る輩が、変チクリンな英語で電話をよこしてきたとなると、受話器の向こう側の人間が訝しがるのも、至極当然の成り行きと言え。。。

まぁ、開き直ってやるしかないと自分に言い聞かせ、立て続けに数件、電話してみたのだが、最後にかけたおばちゃんからは、「なぜこの案件で私のところに案内状が来たのか、私に何が期待されているのか、さっぱりわからない。それがわからないもんだから、悪いけど、あんまり中身も確認せずに放置してあったわ。」と言い捨てられる始末。リストを渡されて、ただただ電話している僕にも、そんなことは、もちろんわからないわけで、「上司に確認してみます」の一言を絞り出すのが精いっぱい…。

英語ができないことも去ることながら、この年になって、絵に描いたようにキレイな「ガキの使い」状態に陥ってしまった自分に凹み中。とっさの一言が出ないというのは、やはり苦しい。。
my room, Washington DC, Nov 3, 24:01

Tuesday, November 3, 2009

carbon price floor

11/2付のFT.comに、Kerry-Boxer法案の“carbon price floor”制度に関する興味深い記事が出ている。

同法案に、温室効果ガスの排出権取引価格に下限と上限(floor and ceiling)を設ける規定が含まれているという話については、Blog Action Dayの日のエントリーでも取り上げた。その日のエントリーでは、同制度の「介入」の効果に疑義を唱えさせていただいたところであるが、今日のFT.comの記事は、この制度の、別の欠陥(?)を指摘している。Kerry-Boxer法案では、その下限額(floor)が年に5%ずつ引き上げられると規定されている(The bill also proposes to raise that guaranteed floor price by 5 per cent per year.)が、この規定があることにより、投資家は、排出権をただ単に、買って持っているだけで、無リスクで儲けを得られる(traders a return simply for by buying and holding credits)ことになり、そのことが(当然の帰結として)市場に大きな歪みをもたらすだろうというのだ。

以下、記事からの抜粋。
However, codifying a rise in the price virtually guarantees traders a return simply for by buying and holding credits. The knowledge that the first credits issued will have the highest potential upside will spur heavy activity early in the cap-and-trade program and artificially inflate the short-term price of credits. This, in turn, will likely get passed along to consumers in the form of higher energy prices. In addition, New Energy Finance modeling suggests that carbon prices, particularly after the early stages of the program, would be below the established floor price if they were fully left to the market.
既存の市場でも導入されていないfloorやceilingを、carbon marketにだけ導入しようという試みには、やはり、いささか無理があるように思う。少なくとも、導入前に、相当練らなければならない論点が残っているように思う。直観的には、練ったからと言って適当な解が見つかるような性質の問題でない気もするのだが…。
my room, Washinton DC, Nov 2, 24:46

Sunday, November 1, 2009

Living-in – Business Insight #2 –

前回のエントリーでは、実際の世の中は、必然だけで構成されているわけではなく、偶有性――必然ではなく不可能ではないという様相――に満ち溢れている、という筆者の世界観を紹介した。偶有性の支配する世界にあっては、「絶対の真理があるわけでなく、必然の論理でもって戦略を組むことが難しい」(p.236)ため、「経営者は跳ばなければならない」、すなわち、インサイトが必要、ということになるわけであるが、では、そのインサイトを得る確率を高めるためには、我々はどういう努力をすればいいのか。今日のエントリーでは、この点を巡る本著の議論を紹介したい。

著者は、ポランニーの術語である「対象に内在する=棲み込む」(p.111)という表現を援用しつつ、「インサイトに至る過程には対象に棲み込むという機制が働いている」(p.122)と主張する。

この「棲み込む」という行為について、著者曰く、

ポランニーが言う「対象に棲み込む」とは、結局、ある対象があったとして、あらかじめ何か既存の視点でもって理解しようとするのではなく、その対象との距離を縮め、そのあらゆる可能性を既存の視点に影響されることなく把握してしまおうとするプロセスである。(p.119)
との由。また、
この棲み込み方法は、… 論理実証主義のそれとは対極にある… 。論理実証主義の世界では、研究者は対象とはできるかぎり距離を置くということが肝心要の方法である。研究者は、いわば当事者とは距離をもつ第三者(あるいは神様)の立場に立って、対象の配置や動きや関連を眺めて、その規則性を発見していく。(p.121)
とも述べている。

「対象に棲み込む」という表現は、正直、簡単には理解しづらいのだが、具体的にどういった行為を指しているのか。これについては、本著p.111~p.117で、(1)人に棲み込むパターン、(2)知識に棲み込むパターン、(3)事物に棲み込むパターンの具体的説明がそれぞれ示されている。「棲み込む」の意味をきちんと理解しようと思ったら、本著の該当部分を読むしかないと思うのだが、たとえば、「知識に棲み込む」ということについて言えば、ある論文を読んで理解しようとするときに、「その著者に代わってその論文を書くことができるところまで理解しただけでなく、その理解が著者の理解なのか自分の理解なのか、わからなくな」るところにまで至ることが、「棲み込む」という行為なのだという。

なぜ、この「棲み込む」という行為が「インサイト」を得る上で重要なのか。この点については、実は本著の中で、あまり明示的に示されていないように思うのだが、全体の構成から察するに、こういうことなのではないかと思う。

つまり、商売というのは、「他者」(顧客、市場、技術、資源etc.)を実証主義的に分析することによって、必然的に正しい答えに行きつけるようなものではなく、「他者」との関わり(コミュニケーション)の中で現実が生成するものである(p.236)。この偶有世界に対処するためには、「働きかける側と対象に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識しようとする姿勢」(p.238)が重要であり、それこそが、「他者=対象に棲み込む」ということに他ならない――と。

とまぁ、本著のエッセンスをこの短いエントリーに納めようと思うと、何とも難解な文章になってしまうのだが(ちなみに、言い訳だが、もとの著作自体も決して簡明な本ではない)、本著を丁寧に読んでいくと、非常に大事なことが書かれている一冊であるように思われる。なぜ大事かといえば、この本に書かれている内容は、単なる一つのknowledgeではなく、物事と向き合い対処していくためのアプローチの在り方そのものに関する提言だからである。つまり、この本の言わんとしているところを習得し、実践すれば、(やや極端にいえば)あらゆる知的活動の質を高めることができるように思うのだ。それは、たとえ「経営者」ではない、僕らのような他の職業の人間であっても、同様に。

本旨からは、やや離れたところに位置付けられている第4章及び第5章も、それぞれ、ケース学習の本質、論文を書く上でのポイントに関する著者なりの考えが示されていて示唆に富む。

また、「やりすぎ」とか「時間の無駄」とかさんざんに言われながら(笑)、ほぼ毎日blogを書いている身にとっては、「あとがき」中の以下の一節が、非常に身に沁みた。しかし、冗談ではなく、ここで言われていることについては、深く納得申し上げるところである。

知が、一人の頭の中に収まっているというのは仮象でしかない。コンピュータからファイルを取り出すように、自分の頭の中にあった知の塊を取り出す場面がないとは言わないが限られている。知は、会話するという形であれ、書くという形であれ、人に語りかけるプロセスの中において、その場その場で新たに紡ぎ出される。(中略) もう少し言うと、新しい知は、いつも私たちの頭の上、宙を漂っているような気がしている。そして、仲間と議論する中で、宙を漂う知が、あるとき、誰かに降臨し、さらにうまくいけばお互いの承認の中でコンセプトやモデルの形に構成され、そして一つの知として表現される。知は、関係あるいはプロセスの中で創造される。
my room, Washington DC, Nov 1, 22:57

Good bye DST

1:59から時計が一分進んで1:00になった。というわけで、サマータイム ―アメリカでは“Daylight Saving Time”と呼ばれる―も無事、終了。今年も長らくお疲れ様でした(← 何が?)

去年の経験から言うと、ハロウィンが終わった途端、アメリカ人の人たちは追われるようにクリスマスの準備を始める。僕としては、もうちょっとそっとしといてよ、と言いたくなるのだが(苦笑) そろそろ、Syracuseに戻る準備も始めねば…。
my room, Washington DC, Nov 1, 閏1:06