Saturday, October 3, 2009

but, but, but, but...

午前中、特に予定もなかったので、遅まきながら、Krugmanの“How Did Economists Get It So Wrong?”に端を発する一大論争(?)をfollowしようと思っていたのだが、himaginaryさんのblogなんかを拝見しているうちに、気づいたら、炭素税/Cap'n Trade論争の方に足を取られていた(苦笑)

その中で見つけた、Mankiwのコメントが、短いながらも非常に正鵠を射ているように思うので、以下、himaginaryさんのblogから、該当部分とその邦訳(by himaginaryさん)を抜粋させていただく(下線は当blog筆者);
The basic problem is that a new tax on carbon-intensive products C1 is also an additional tax on consumption C, unless there is some other offsetting tax change.

A carbon tax without a compensating income tax cut makes one problem better and one worse. The question then is which problem is bigger. I don’t think there is a consensus among economists on this last question. That is why reasonable people can disagree about the bill being debated in Congress.

But there is a consensus, more or less, that we could fix one margin of adjustment without distorting the other margin more. That requires a cut in income or payroll taxes to be a key part of the environmental policy.


(himaginaryさんによる邦訳)
基本的な問題は、製造に際し炭素を多く排出する製品C1への新たな税金は、どこか別のところの税金の変化で打ち消さない限り、消費C全体への追加の税金にもなってしまう、ということだ。

補償的な所得減税を伴わない炭素税は、一つの問題を改善するが、もう一つの問題を悪化させてしまう。となると、問われるのは、どちらの問題が大きいか、ということだ。この最後の問いに関し、経済学者の間でコンセンサスがあるとは思わない。それが、現在議会で討議されている法案について、理性的な人々の間で意見が分かれ得る理由だ。

しかし、片方の限界的調整を、もう片方の限界的調整をさらに歪めることなく改善することができる点については、コンセンサスが存在する。そうした改善のためには、所得もしくは給与税の減税を、環境政策の一つの重要な柱とする必要がある。
元ネタは、9/26のMankiwのエントリーに対するJohn Whiteheadのblog上での反論に対するMankiw本人のコメント(あぁ、ややこし)。ちなみに、himaginaryさんの10/2付エントリーで、Delongによる、このMankiwコメントの「図解」が示されているので、ご興味ある方は併せてご参照を。

しかし、である。このMankiwの指摘は、「温暖化対策は確かに大事かも知れんけども、経済をいくらか失速させてまでやる価値があんのか??」という、日本でもアメリカでも毎日のように交わされている至極感覚的でありながら本質的でもある議論を、ちょっとキレイに整理して(その代り、ちょっと難しい言葉も織り交ぜて)見せただけではないのか…という気もする。結局のところ、温暖化対策にそれだけの「価値があんのか」ないのかについては、「経済学者の間でコンセンサスがあるとは思わない」と言ってしまっているわけだし…。ましてや、当然のことながら、この指摘には、経済学のお約束とも言うべき「仮定」が(implicitlyに)多分に含まれている。たとえば、実際の世の中では、ある年度にいじられる税制度が、炭素税と(その税収還元としての)所得税減税だけ、なんてことはあり得ないわけで、他にもいろんな税が上がったり下がったりする、まさにカオス的状況の中で、炭素税の税率と、Mankiwのいう「補償的所得減税」の大きさとを ―実際に導入するのであれば― 決めないといけないわけだ。こういった局面において、この、抽象的かつfairly simpleな指摘が、どのくらい、実用に耐えると言えるだろうか…。
 
しかし、実務家にとって、こういう「理屈」をアタマに入れておくことが全く無意味かというと、決してそんなことはないと思う。この点については、僕自身、以前にもこのblogの中で思うところを書いたことがある。自分への念押しの意味も込め、駄文ながら、以下にもう一度載せさせていただく。
経済学の結論は、たとえそのままでは「使えない」にしても、ひとつの理想形として、(なぜそれが理想と言えるのかという理屈も含めて)きちんと理解しておく必要がある。実際の意思決定の現場では、そんなことを言っていられない修羅場に出くわすことも多いのだろうが、逆に言えば、だからこそ、どちらに向かう方が(少しでも)より理想に近いのかを、時間をかけずに直感的に判断できるよう、普段からしっかりとした理解を腹に落とし込んでおく必要があるんじゃないかと思う。
しかし、しかしである。どの分野も大同小異だろうとは思うものの、市場メカニズムを利用したGHGの排出削減政策に関する分野は、経済学の中でも、とりわけ、未開拓な部分を多く抱えた分野であるように思われる(近年の発展には著しいものがあるようだが)。つまり、
  1. 経済学サイドにも未解決な議論が多く残されている
  2. 経済学の外側にある諸要素にも、非常に大きな不確実性が存在する
  3. 1. 2. 両方についての最先端の議論をfollowし続けるのは物理的に不可能
といった状況の中 、実務家として「良い働き」をしていくためには、いったい、どういったattitudeで臨むのが最も効率的なのだろうか…。

すぐには答えが出そうにもないので、とりあえず映画でも観に行ってきます。
my room, Washington, DC, Oct 3, 14:04

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