Friday, April 30, 2010

Double Down

日本でも少し話題になっているみたいだったが、ここ、アメリカのKFCでは、“Double Down Sandwich”なる新商品が販売されている。この“Double Down”、「パンの代わりにフライドチキンを使ってハンバーガーを作ってみました」というシロモノ。「そりゃなんてったって、ケンタッキー“フライドチキン”だもんね。これまで、そんな商品がなかったのがおかしいくらいだよ」――なんて話にはなるはずもなく、ここアメリカでも、「アレ作った人は、どう考えてもアホやな」というコンセンサスが出来上がりつつある。
(KFCのweb siteから。「どーーーーんっ」て効果音を付けたくなります)

今日は、奥さんがGW旅行中で、このblogを見てないはずなのを良いことに(というわけでもないんですが)、そんな、アホ丸出しの“Double Down”に、手を出してしまいました。実物のアップ写真が、こちら。
(改めてこうして見てみると、自分のしでかしたことの重大さに気付かされます…)

感想としては、「パンの代わりにフライドチキンで作ったハンバーガー」というよりも、「(なぜか)ベーコンとチーズが間に挟まってしまった二つのフライドチキン」と言ったほうが適当かと。普通、ハンバーガーを食べるときって、パンとパンの間に挟まってるものが勝負なのであって、上下のパンの味は二の次(というか、フレッシュネスに行きでもしない限り、普通、あんまり気にしない)と思うのだが、“Double Down”の場合は、はっきり言って、味覚の95%まではチキンの味で占められる。残りの5%で、「ん?なんかニュルッとしたもの(=チーズ)とギトッとしたもの(=ベーコン)があったな」と感じる程度。ま、そんなこと、かじるまでもなく、写真見れば一目瞭然だろ、という話なのだが…。

実は今日は、この他にも息抜き企画を開催。クラスメイトと一緒に、“How to Train Your Dragon”なるDream Worksの映画を観てきた。最初から最後まで、水戸黄門ばりに予想通りのストーリーが展開されていくのだが、最後のところで、不覚にもうるっときそうになってしまった辺り、capitalismにしてやられたみたいでなんだか悔しい。まぁ、そのあとKFCに行ってアホなサンドイッチを頬張ってる時点で完敗なんだけど…。資本主義バンザイ!! ということで。。 
Maxwell School, Syracuse, Apr 29, 26:00

Thursday, April 29, 2010

EPA's modeling of Climate Bill

昨日のLA Timesの記事によると、Kerry-Graham-Lieberman climate bill(いわゆる“KGL Bill”)が、正式な公表を前に、EPAに送られたとのこと。EPAに送って何をするかと言えば、EPAがモデルを回して、同法案の効果を予測するらしく、記事によれば、
a modeling process that will take an estimated four to six weeks, after which the EPA will report how much the bill is likely to reduce greenhouse gas emissions, boost renewable energy and, most importantly, cost the average consumer. Many key senators have said they won't commit to the bill until they see those results.
との由。

immigration法案との絡みで揺れる、KGL Bill提出の政治情勢については正直そこまで興味はないが(というか、そこまで追いかけていたら切りがない)、こういった、法案の審議プロセスを見ておくのは興味深い。

「完全に公平」なんてことは、この世の中にあり得ないが、アメリカの政治プロセスを見ていると、少なくとも、「公平性を担保するための努力はしましたよ」と言えるだけの工夫は、随所に織り込まれていることに気づく。

“four to six weeks”後にまとめられるという、EPAのモデリング結果が公表されたとき、世間がそれをどう受け止めるのか――単なる“pretend”だと見るのか、信頼のおける客観的考察だと受け止めるのか。その点の興味深いし、時間があれば、モデルの中身も少しくらいは覗いておきたい。
Maxwell School, Syracuse, Apr 29, 13:43

Cause of defeat

論文執筆が失敗に終わった原因は何だったんだろうかと考えてみる。

まぁ、まだ完全に失敗と決まったわけではないし、それにそもそも、失敗であろうがなかろうが、もうしばらく書き続けないといけないことには変わりはない。たとえ「失敗作」であったとしても、いちおうは完成させなければIndependent Study分の単位が降って来ず、単位が降って来なければ、卒業させてももらえない。というわけで、否が応でも、もうしばらく(たぶんあと一週間くらい)は書き続けないといけないわけだが、いろいろと自分自身に対するフラストレーションが溜まっている今だからこそ、思いのたけを書いておけば、あとあと何かの役に立つかなと思ってみた次第。negativeな空気を排出しちゃってゴメンなさい(ある種の外部不経済ですね)。

敗因を一言で言えば、「経済学という道具は、どういうふうに使えば、上手にモノを斬れるのかをよくわかっていなかった」、約めて言えば「経済学をよくわかっていなかった」ということかと。情けないけど認めます。

経済学であれ何であれ、あるディシプリンの基本様式を十分習得し切らないうちに、応用編に走りだしてしまうのは、昔からの悪い癖。学部時代の卒論も、おかげでぐだぐだ~な仕上がりになってしまった。

こういうタイプは、環境をやっている人間(特に文系)に多い気がする。僕自身、学部時代の反省を踏まえ、自分の周囲の環境屋さんたちの、そういう生半可な姿勢を批判してきたものだが、蓋を開けてみれば、結局、自分も改心し切れていなかったということか。残念なことこの上ない…。

いまは、econometricsだとか、マクロ経済モデルだとか、そういう、ちゃんとした経済学を、もう少しきちんとした形で勉強しておきたかったなぁという思いが強い。まぁ、それをテーマに論文を書いていたらいたで、「もっとプラクティカルなことをやりたかった」と今頃愚痴っていたのかも知れないが(というか、その可能性は非常に高いに決まっている)。

こう、ついつい、「王道」をよけて、変な道から押し通ろうとしてしまう辺り、自分自身、要領が良いんだか悪いんだか、よくわからんなぁとときどき感じる。寄り道せずに、一発でシュパッと王道を見つけだし、シュルシュルッとその道を突き進んでいく人を見ると、非常に羨ましく思う。要するに、何をするにも、我流で乗り切ろうとするのではなく、もう少し謙虚になって、先人から学ぶ姿勢を大事にしなさい、ということなのかも知れない。天才でもなければ、「守」にかける時間をケチって「破」や「離」の境地に向かったところでロクなことはない。(そしてもちろん、天才ではない。)

そもそも、mandatoryでもないIndependent Studyを受講し、莫大な時間を費やして論文を書いてきたのは正解だったのだろうか、という疑問もある。確かに、電力の分野にそれなりに詳しくなりはしたけれども、それ以外の勉強――たとえば、上に書いたような、正統的な経済学の勉強――をしたり、nativeの人たちと積極的に絡んで、language skillを磨いたりする時間を犠牲にするという意味での、相応の機会費用を払ってきたのも事実。ただまぁ、こればかりは、しばらく年数が経ってからでないと、良いも悪いも評価は下せないのかな…。そんな気もする。

そんなことを言いだすと、論文に限らず、二年間の留学全体の過ごし方はどうだったんだ、という話に繋がってくる。しかし、それを議論し始めると、また随分と時間がかかってしまいそうなので、とりあえず今日はこの辺で。ぼちぼち、おうちに帰ります。
Maxwell School, Syracuse, Apr 28, 25:10

Tuesday, April 27, 2010

Lisa P. Jackson @ "The Daily Show With Jon Stewart"

昨日の“The Daily Show With Jon Stewart”にUS-EPA(環境保護庁)長官のLisa P. Jacksonが登場。

中身的には、間もなく提出か(????????)と言われている、上院energy/climate法案(“Kerry-Graham-Lieberman Bill”)の話と、EPAによる温室効果ガス排出規制(regulation)の話がおよそ半々。もちろん、どこまでがlegislationの話で、どこからがregulationの話かなんて厳密には分けられないが。

序盤で“Massachusetts v. EPA” (2007) の話が出たり、後半では、economy wideのcap-and-tradeと産業別規制のどっちがいいか的な質問が投げられたりと、それなりにちゃんとした内容。現役閣僚を呼んでいるんだから、当たり前と言えば当たり前かもしれないが、climategate云々といったしょうもない話もなく、プロから見ても(いちおう、プロです。いちおうね)、まぁそれなりにまともな内容だったかなと。視聴者にリベラル層が多い番組だから、ということもあるのかも知れない。

「economy-wide or 産業別」に関する質問への、Lisa Jacksonの回答は、「下院案はeconomy-wideで通ったが、今はもう少し柔軟に考えています」的な感じ。KGM法案については、「EPAとして、発案者からの質問には答えているが、中身については全く知らない」とのこと。
The Daily Show With Jon StewartMon - Thurs 11p / 10c
Lisa P. Jackson
www.thedailyshow.com
Daily Show Full EpisodesPolitical HumorTea Party
Maxwell School, Syracuse, Apr 27, 21:33

Law vs Politics

Int’l Trade Lawの最終講義(除、review session)は、LawとPoliticsとの接点について。

米国国内法(Trade Agreements Act of 1979)は、貿易に関する国際法又はそれに基づく措置が、何らかの米国内法に抵触する場合の、自動執行を禁じている(19 U.S.C. § 2504(a))。つまり、米国のある措置が、WTOの紛争解決機関(DSB)によって、WTO法上「クロ」と判定されたとしても、争点となったその措置が米国内法上「合法」のものである限り、DSBの判定は、自動的には履行されないということ。当然ながら、履行しなければ、米国は、国際法上の違法状態に陥るわけで、また、、国内法の規定を盾に国際法違反を正当化することは、ウィーン条約(Vienna Convention on the Law of Treaties)で明確に禁じられている( Article 27: “A party may not invoke the provisions of its internal law as justification for its failure to perform a treaty.”)。

ではどうするかだが、米国内法は、米国政府機関に対し、WTO-DSBの裁可に従うための措置を講じるに際しての、議会(Congress)との協議を求めている(19 U.S.C. § 3533(g), 3538(a), 3538(b))。これはつまり、本来、“legalかつmultilateral”なはずの貿易紛争を、“politicalかつbilateral”なものにすり替えるための仕組みである、というのが教授の解説。

実際、以前にこのblogでも紹介した、米-ブラジル間の貿易紛争(アメリカの国内綿花農家に対する補助金のWTO違反が確定しているにもかかわらず、米国が具体的な改善措置を採らなかったため、ブラジルがWTO協定に準拠する形での報復関税の適用に訴えようとしたもの)はちょうど先週、米国が、問題の補助金を多少引き下げる(と言っても、WTO協定上の違法状態が完全に解消されるわけではない)のに加え、軍事協力の提供という、貿易とは全く関係のない便宜供与をブラジルに申し出ることでdealが成立したらしい。

言うまでもないことだが、こうしたdealは、WTO協定に則った純legalな交渉からは、間違っても生まれない。“Politicalかつbilateral”な交渉によってのみ到達可能な解だろう。経済学的には、Pareto基準ベースでガチガチ喧嘩しないといけない純legalの世界から、貿易以外の何かでの“補償”を議論に絡めて来られるKaldor-Hicks基準の世界に移行することで、双方にとっての交渉の幅が広がった、というふうにも言えるかもしれない。もちろん、アメリカという国にしてみれば、そうした客観的メリットに加え、「一対一の交渉に持ち込んだ方が自分にとって有利」という、世界一の国力を笠に着れる立場であるが故の特殊事情もあるのだろう(というか、その方が大きいけどね、絶対)。

この話を、僕自身の関心分野にひきつけて言えば、たとえば、昨秋、このblogでも何度か(こことかこことかで)取り上げたcarbon tariffについて考えるとき、それが、WTO上、シロかクロかというところで思考を止めてしまうのではなく、(「シロ」と判定されるに越したことはないが)仮に「クロ」であったとしても、その後に、どういう展開・交渉が可能かと考えること――さらに言えば、最初から、そこまでの見通しを織り込んだ上で、プランを練ること――が大事なんだろうと思う。

何はともあれ、ことほど左様に、非常に良い勉強になった良いクラスだったと思う。このクラスの先生とは、卒業後も、ぜひとも関係をkeepしておきたいところ。
Maxwell School, Syracuse, Apr 27, 18:07

Monday, April 26, 2010

How to educate in Public Policy Schools

久しぶりに徹夜をしてみたら、朝からまるでアタマが働かない。歳をとったものだと思う。

とりわけ英語がアタマに入らないので(と言う訳でもないんですが)、しばらく前に頂いたままになっていた、outernationjpさんからのコメントについて、考えてみる。

“行政系大学院は、…「公共セクターの担い手あるいは行政府の職員はこうあるべきだ」という理念が先にあってそれに併せてプログラムをくみ上げてる側面もある”とのご指摘は、まさにおっしゃる通りかと思います。要するに、supply-pushではなく、demand-pullで教える内容が決まってくる世界なんだろうなと。

ただ、そうだとすると、その“pull”は誰がしているのか、つまりその、誰がどういった形で、行政官の「あるべき像」を発信しているのか、というところが次に気になってくる。

僕自身、「行政官たるもの、こうあるべきだ」的な像は(本人が実行できているかどうかは別にして)いちおう持っているし、そのイメージを、後輩に求める(そしてウザがられる)こともある。ただ、そういった像/イメージを、組織としてのものに昇華し、ワンボイスで外部に発信できるかというと、正直、なかなか難しいし、私的所有ならざる公的機関が、そういった「職員のあるべき像の一元化」を図ることが好ましいことなのかどうかも良く分からない。

では、artificialな「取りまとめ」をしないにしても、採用の機会などを通し、自然な形で、需要側(=行政機構)の集合的意思が、供給側(=大学)にフィードバックされる、といったことは起こっているのだろうか。少なくとも日本での経験で言えば、これは非常に怪しい(起こっていたとしても、非常に弱い)と思う。部署ごとの裁量で人を採る傾向の強いアメリカでは、そういったフィードバックが働く可能性はより低いのではないだろうか。

議論が堂々巡りループに入ってきつつある気がするので、そろそろ閉じようと思うが、「あるべき像」を容易に特定できないのが行政官という職業の特徴だとしたら、逆に、一定の多様性をプールしておくのが賢い戦略。となれば、その職業の反射である公共政策大学院も、特定の「色」や「行動様式」を持つ卒業生をマスに輩出するのではなく、生徒に相当程度の自由を与えた上で、好きなように勉強させるというのが、一見、非効率なように見えて、実は、その社会的使命に見合ったスタイルなのかも知れない。

そもそも、この議論に意味があるんだかないんだか、自分でもだんだんよく分からなくなってきている(笑) でもおかげで、いちおう頭が冴えてきたので、そろそろ(って、もう夕方だよ!!)論文執筆の続きに取り掛かります。
Maxwell School, Syracuse, Apr 26, 17:33

追記: 夜に読み直してみて思ったこと。アメリカの方が、日本に比べて「一元採用」の度合いが弱く、多元的な採用活動が行われており、より「(労働)市場」と呼ぶにふさわしいものがそこに存在しているからこそ、需要サイドの集合的意思は、逆にフィードバックされやすいのかも知れない。

Friday, April 23, 2010

How does differ "discussing" from "reporting"?

論文執筆に没入しはじめて今日で4日目。予定では、昨日までに書きあげているはずだった分量のうちの半分くらいを、昨日までに書きあげた。ほぼ予定通り(!?)

先日いただいた「“論文”と“報告書”は違う」とのご指摘を踏まえ、構成を編み直してみる。正直、最初はピンとこなかったのだが、やっているうちに、その違いが何となく見えてきた気がする。

僕的には、“論じる”ことと“報告する”こと、というふうに両方とも動詞形にた上で比較する方が、何となくしっくり来るのだが――もちろん、言わんとしていることは同じ――、“論じる”の方が「説得する」に近いイメージなのに対して、“報告する”の方は(やや極端に言えば)見聞きしてきたことを「並べる」「開陳する」に近いイメージなのかなと。

いちおう、単なるアホではないので――そうだと思いたい…――、何の脈略もなく、知っていることをただただ「並べる」なんてことは、元々していなかったはずで、曲がりなりにもテーマを設定し、それに関するストーリーを描いた上で、それに沿わせた形で“収集物”を並べる、くらいのことはしていたように思う。

ただ、「テーマ」という言葉で表わされるsomething ambiguousをpaperの礎石に据えるのと、「paperの目的=○○というquestionに答えを与えること(だけ)」という意味での“research question”を明確にidentifyした上でpaperを書き進めるのとでは、やはり明らかに質的な違いがあるなと。それによって、要る部分/要らない部分がはっきりと見えてくるようになるし、また、「知ってはいるが自分のものにし切れていない理論・考え」というのも如実に浮き上がってくる。そういったものは、引用という形で単に「並べる」ことはできても、自分の頭で理解し切れていなければ、読者を「説得」するための材料としては使えないので。

このことは、おそらく、「paperを書く」という行為に限らず、一般化可能ではないかと思う。何か物事を見るときに、ただ漫然と眺めている――本人的には手を抜いている、サボっているといった意識はなくても――のと、何らかの問題意識を持ってそのperspectiveから分析的に眺めるのとでは、理解の深さが全然違ってくる、という意味で。たとえばスポーツを観るとき、ある選手、あるポジションの視点から試合を観るようにすれば、何となく全体(或いはボールの周辺だけ)を見ているだけより、ゲームの流れをより深く理解できるようになる、というのもその一例。

去年の同級生の方(そう、あなたです。笑)が、よく「この問題をどう斬るか」「この論者のこの斬り方が面白い」といった文脈で「斬る」という動詞を使っていた。今思うと、彼の言う「斬る」のイメージも、これに近いものだったのかなぁ…なんて思ってみたり。「全然違いますよ。分かってないなぁ~」なんて怒りのコメントが早速入るかも知れませんが…(笑)
Maxwell School, Syracuse, Apr 23, 11:48

Thursday, April 22, 2010

Half of the Administrator's Skill 

outernationjpさん、いつもながら含蓄溢れるコメントありがとうございます。じっくり咀嚼させていただいた上で、改めて返信させていただきます。

さて、そのouternationjpさんがコメントを付けてくださった、前回エントリの続編を。続編とは言ってみたものの、spin-offと言うべきか、はたまた単に“思考の残滓”とでも言うべきか、その辺は書いてる本人もよくわからない。

昨日のエントリにも書いたとおり、ざっくり言って、行政官の仕事の半分は「弾を作る」(=政策案を考える)ことで、残りの半分は「弾を撃つ」(=考えたことを組織の内外で通す)ことだと思う。これも昨日のエントリに書いたことだが、いわゆる公共政策系の大学院で教えてもらえるのは、基本的に前者(=弾作り)の方。後者(=弾撃ち)っぽい授業も、一応、ないわけではなくて、うちのスクールで言えば、MPA必修の“Public Organization & Management”なんてのは、まさしく、弾の「撃ち方」を教える講座なんだろうが、実際に5年も6年も職場で働いてきた人間からしてみれば、瞠目に値するような「撃ち方」メソッドはそれほど教えてもらえなかったように思う。毎回の授業自体はそれなりに楽しんでいた気がするが、振り返ってみて、「その講座で何を得たのか?」と聞かれれば、やや答えに窮するかなと。まぁ、最初の学期に受講したので、こちらの英語力が拙すぎて聞き取れていなかっただけ、という可能性は否定できない。

留学中、日々、「弾作り」のことばかりを考えて暮らしていると、「弾撃ち」の方もしないといけない日常に戻るのが、正直、億劫にも思えてくる。前者が、理論的に物事を整理し、本来ありうべき方向性を予測・提示する領域だとすれば、後者は、せっかく前者がきれいにまとめた「方向性」を、いじくりまわした挙句に骨抜きにしてしまう、おそろしーぃ魑魅魍魎の世界――そんなイメージが1mmもないかと言われれば嘘になる。

しかし、そんなふうに、「理屈で論じられる世界」と「それ以外」とか、「本筋」と「ノイズ」みたいなかたちで、「弾作り」と「弾撃ち」を捉えてしまうのではなくて、両方とも、「行政官に絶対必要なスキル」として、同列に並べた上で、「たまたまアカデミズムに馴染んだ方」と「たまたま馴染まなかった方」というふうに捉え直せば、見え方が違ってくるのではないか。後者については、大学(院)で学べないとは言え、行政官にとって必要であるという点では、前者となんらかわりはないのだから、“それ以外”という形で消極的に捉えるのをやめ、(ディシプリンとまでは言えないまでも)一つの「スキル群」として捉えたうえで それを有自覚的に、また、体系的かつ科学的に、習得しようと試みれば、職業人としての成長効率を高めることができるのではないか。

そんなことを、Comparative Foreign Policyの授業を(聞くともなく)聞きながら、考えていた次第。我ながら、『あなたを変えるナントカ力』的なビジネス書に出てきそうなメッセージみたいで、若干気持ち悪いんですけど…。
Maxwell School, Syracuse, Apr 22, 27:10

Tuesday, April 20, 2010

The Limits of Public Administration School

今日のInt'l Trade Lawのクラスは、いつにも増して秀逸だった。と、同時に、これと同じだけ「役に立つ」授業を公共政策系のスクールでするのは、構造的に無理なんじゃないかと思ってしまった。

要は、その職業で使うメインのスキルが、教室で教えられるような類のものであるかどうか、ということだ。実際にやったことはないので本当のところ、どうなっているのかはわからないが、おそらく、法律家が法律家として生きていく上で必要なスキルの大半は、文字通り、「法律」に関するものなのではないかと思う。相手を攻撃したり、自分(のクライアント)を守ったりする上で、いかに巧みに法律を使えるか、その出来不出来で、法律家としての資質の大半が決まってくると言っても過言ではないのではないかと。

行政官という職業に、それに対応するようなmajorなスキルがあるかというと、たぶんない。人付き合いの良さだとか、チームワークの能力だとか、そういう「社会人基礎力」と呼ぶべきなような基礎的スキルはさて置いても――こういったスキルなら、法律家にしても必要だろう――、法律学、経済学、政治学に始まって、関連する自然科学諸分野から、果ては“経験・勘・度胸”の世界に至るまで、必要とされるスキルは極めて広範囲に散らばっている。この時点で既に、一つの「スクール」という形態で以て、その道のプロを養おうというのには、些か無理があるように思えてくる。

糅てて加えて、実際の業務の中で使うスキルは、多かれ少なかれ“経験・勘・度胸”の方に偏っている。“経験・勘・度胸”なんてものは、あんまり教室で教えるような性質のものではないし、ケースを使って教えられなくもないとはいえ、こんどは教える側の人間の問題として、そういうアカデミズムに馴染みにくい世界を、敢えて自分の専門にしようという人はたぶんそんなに多くはないはず。結果、経済学なり、統計学なり、政治学なり…といったところが、カリキュラムの核になってくるわけだが、それらは本当は、あくまで「経済学」であり、「統計学」であり、「政治学」なのであって、直接的に行政官が日常的に用いるスキルを習得・鍛練するための講座ではない。この意味において、公共政策系スクールの授業は、どう頑張っても、法律家の卵たちにとってのlaw schoolの授業ほどには、職業訓練として「役に立つ」ように提供することは不可能なんじゃないかと思う。別にMaxwellが悪いということではなく、行政官という職業の構造上、どうにもならない問題なのではないかと。

と、なんだか悲観的なことを書いてしまったが、その上で、公共政策系スクールは、生徒に何をどう教えるべきなのか、また、そこに通う生徒たちは、そこで何を学ぶべきなのかを考えることが大事なんだろうなと思った次第。一つ確実に言えることは、公共政策系スクールで何を教え、何を学ぶべきかは、law schoolのそれらに比べてはるかに曖昧で、定式化されておらず、それだけに、学ぶ側にしてみれば、どういう戦略で臨むかによって得られる効果が大きく違ってくる、ということではないかと思う――問題は、その「効果」を計る尺度からして、非常に曖昧だということなのだが…。
Maxwell School, Syracuse, Apr 20, 16:42

Icelish??

しばらく投稿が滞りました。

4月もあと10日となり、いい加減、論文を仕上げにかからないといけないだろうというわけで、お尻に火が点いてきた今週。時間的にもそうですが、精神的にも、余裕が若干なくなってきつつあるようです。とりあえず論文の方は、4月中には終わらせたいなと思っていて、そんなわけで、ここ10日ほどは、blogの方は、若干、御無沙汰気味になるかも知れません。

なんて言いながら、くだらないことを考えていたりもするんですが、最近の疑問は、
  • England → English
  • Poland → Polish
  • Scotland → Scottish
  • Ireland → Irish
なのに、なぜ、Icelandの形容詞形は、“Icelish”や“Icish”じゃなくて、“Icelandic”なのか?? というもの。

他の4つは、「○○族の土地」という意味なのに対して、Icelandはそうじゃないから、ってなことかなぁとは思うんですが…。まぁ、そんなことより、とっとと論文仕上げろって話ですね。
my home, Syracuse, Apr 19, 24:46

Sunday, April 18, 2010

NHL Playoff

今日はシラキュースブログ界の御意見番、くもすけさんと連れだって、アイスホッケー観戦に行ってきました。
先週のAlbany二往復から続く、“NY-upstate横断の旅”後半戦(というには無理がある…)。今回は、30+のおっさん二人、片道三時間かけての観戦旅行でしたが、残念ながら、我がBuffalo Sabersは逆転負け。全米代表goalie Ryan Miller君を擁するSabersですが、今日の試合では、時間を追うごとにチーム全体の動きが悪くなり、序盤二点の先制リードを守りきれませんでした。

これまで散々、アイスホッケーのことを記事にしておきながら、今さらこんなことを言うのも何ですが、この競技、生で観るにはあまりに展開が速すぎる気が。一つ前に起こったプレイの「意味」を理解しようとしている間に、次のプレイ、その次のプレイとどんどん進んでいき、すぐにわけがわからなく(或いは、どうでもよく)なってしまいます。この感覚は、英語のヒアリングにちょっと似ているな…と、試合を観ながらぼんやり考えているあいだに、いつの間にやら(というのは言いすぎですが)、見事に逆転されていたのでありました。。今日、負けたの、僕のせい??


試合前には、くもすけさんと連れだって、Buffalo市内の散策も。NY州第二の都市というだけあって、見どころ満載!! と言いたいところですが、“Main Street”という名前のメインストリートには、朝早すぎたせいか(といっても11:00am)、休日だったせいか(ていうか、むしろ稼ぎ時だろ!!)、はたまた、もともとそういうものだからなのか(この可能性が一番高い)、営業中のお店がほとんどなく、僕ら以外には歩いている人も極めてまばら。地域最大の都市でもこんなもんかと、upstateの限界を改めて認識させられる結果になりました。

ただ、“Buffalo”というだけあって、街中のいたるところに、buffaloのレリーフを見つけられることだけは、Syracuseにはない楽しさかと。とは言え、プロ野球(AAA)のチーム名を“Buffalo Bisons”としてしまうのはやり過ぎだと思いますね。どっちが都市名で、どっちがチーム名だか、ややこしくて仕方ありません(もはやどっちでもいいのではないかという気もしてきます)。

試合後は、Buffalo wingの発祥の地(だと一応言われている)Anchor Barさんで、本家本元のBuffalo wingを堪能。くもすけさんも書いておられる通り、思っていたより控えめな味付けで、飽きが回ることもなく、一人10本のノルマをペロリと平らげてまいりました。
食後、くもすけさんと僕との間で辿り着いた結論は、「Anchor BarとDinosaur BBQ(@Syracuse)の両方を食した我々は、upstateのグルメを制覇したと言っても過言ではない」というもの。端から端まで車で片道6時間と面積的には広大なのですが、広くて狭い、upstateなのでありました(たぶん、「広くて狭い」の使い方を微妙に間違っている…)。
my home, Syracuse, Apr 17, 25:25

Saturday, April 17, 2010

comments on thesis draft #1

先日来の長文垂れ流しエントリ(汗)に、丁寧なコメントをいただき、ありがとうございます。いただいたコメントを元に、目下、アタマをひねっているところです。

おいおい、エントリなりコメント欄なりで、お返事を書かせていただこうと思っていますが、取り急ぎ、knj君からもらった二つのコメントについて、いろいろと考えてみました。一昨日の時点では見えていなかったところが見えてきたりもして、非常にいい勉強になりました。以下、その考察の結果です。また改めて、コメントいただければ幸いです。

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1.「水平部分の価格=MC」と言えるか?
  
No。この点、明示的には書かなかったものの、僕自身も「水平部分の価格=MC」というイメージを持っていたのですが、よく考えてみれば、この部分にも何らかのprice regulationが適用されているはずで、であれば、「水平部分の価格>MC」となっている可能性が高いのではないかと。ちなみに以下、「水平部分の価格」を、Pw/o-c(Price without-congestion)と表記します。
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2.「“Pw/o-cと価格の差”=“congestion charge”」と言えるかどうかかはともかくとして、「“Pw/o-cと価格の差”=“quasi-rent”」と言えるか?
 
Yes/No。まず、1.を踏まえ、MCをPw/o-cに置き換えています。その上で、「“Pw/o-cと価格の差”=“quasi-rent”」と言えるかどうかですが、
  • イ) Pw/o-cにquasi-rentが含まれていなければ「言える」
  • ロ) Pw/o-cにquasi-rentが含まれていれば「言えない」 ⇒ この場合、
    “Pw/o-cと価格の差”=全quasi-rent-(全quasi-rent中、Pw/o-cに含まれている額
ということになるのではないかと。また、ロ)で、かつcongestionの発生していない場合が、knj君の言う『効率的な市場でも(Externalityがなくても)』quasi-rentが発生している状態に当たるのではないかと思います。

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3.Quasi-rentが発生しているのに追加投資が起きないのは異常であると言えるか
 
これはNoではないかと思います。というのは、価格pについて、「AVC<p<AC」という関係が成立していれば、定義上、「quasi-rentは発生しているが、新たな参入を正当化できるだけの利潤を生み出せるほどには価格は高くない」という状態になるはずで、(非常にtheoreticalな議論ですが)現状のNY州送電サービス市場がこの状態にあると想定すれば、追加投資が起きない状態が「異常」だと言うことはできないのではないかと考えます。

詰まる所、「“Pw/o-cと価格の差”=“quasi-rent”」とのknj君の指摘(※ 同じく、MCをPw/o-cに置き換えました)自体は、基本的に(=2.のイの状態を仮定する限りにおいては)その通りだと思うのですが、この価格差の“quasi-rent性”に着目するapproachでは、「なぜ追加投資が起きないか」という問の答えに近付くことは出来ないのではないかと。

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4.「“Pw/o-cと価格の差”=“congestion charge”」と言えるかどうか?

2.で一旦「ともかく」とした問に戻りますが、これについては、少なくとも業界用語としては、Yesではないかと思います。たとえば、American Public Power Association(APPA)という団体の出した2008年の文書の中に、以下のような記述があります(強調付加):
The mechanism that most RTOs use to manage congestion on their transmission systems (where demand for transmission service in a specific direction exceeds the capacity of the needed lines) is to charge a premium, known as a “congestion charge” to transmission customers using those lines. When congestion prevents generation from being delivered to customers in a “constrained zone,” more expensive generation located within the zone may be provided to meet those customers’ demand. The customers’ price reflects the offer submitted by this higher cost generator, even if there are generators offering lower prices in the RTO, but that cannot deliver their power because of the constraints. The difference between the lowest price in the RTO and that charged in the constrained zone is referred to as the “congestion charge.”
この定義は、これまで読んできた、NY州の電力業界に関する論文・著作の中で用いられている“congestion charge”の意味とも合致します。少なくともこの定義に照らせば、先のモデルにおける“Pw/o-cと価格の差”は、まさに“congestion charge”と呼ぶべきものなのではないかと思います。

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5.“Pw/o-cと価格の差”は、経済学的な意味でも“congestion charge”と言えるか?

英語版Wikipediaの“Congestion pricing”の項にある説明を「経済学的な意味での“congestion charge”の定義」とみなして議論しますが、この問も実は、基本的にはYesなのではないかという気がしています。

Wiki同項の記述に見ると(強調付加)、
Congestion pricing is a concept from market economics regarding the use of pricing mechanisms to charge the users of public goods for the negative externalities generated by the peak demand in excess of available supply. Its economic rationale is that, at a price of zero, demand exceeds supply, causing a shortage, and that the shortage should be corrected by charging the equilibrium price rather than shifting it down by increasing the supply.
とあります。ここで、“public goods”=送電サービス、“negative externalities”=transmissionのcongestion、“available supply”=transmissionのcapacityと見れば、上に引用したAPPAの定義で言うところの“congestion charge”と、ここでいうところの“congestion pricing”は矛盾しないのではないかと。

ただ、違いを指摘するとすれば、いわゆる“congestion pricing”の考え方の背景に、
  • 需要家の行動次第で、需要の量は削減可能であり、かつ、
  • 需要を野放しにしたまま、供給の量を増やすことによってcongestionを解消する戦略は、何らかの理由(環境への負荷の増大、公的支出の増大、etc.)により好ましくない
という前提があるのに対して、transmissionの問題については、いずれの前提も完全には成り立たない、という点があるかと。

これらの前提も、“congestion pricing”という考え方に包含されているのだとすれば――たぶんそうだろうと思いますが――業界で使われている“congestion charge”というwordingには、ややミスリーディングな面があるなぁと思います。
my home, Syracuse, Apr 17, 26:38

Friday, April 16, 2010

America's Great Outdoors

最近巷で話題(?)のWashington Post紙の報じているところによると、16日、Obamaクンが、“America's Great Outdoors initiative”と称する自然保護政策の再編計画(ただし今回は荒々のビジョンだけ)を発表したとのこと。

この手の政策に、大統領自らが、わざわざ記者会見を開いてまで、コミットメントを表明するというのは、僕ら日本人からすると、些か違和感のある話なのだが、実際には、Obama自身が会見の中でTheodore Rooseveltに触れていた通り、この国の歴史の中では、国立公園政策が、しばしば大統領肝煎りの案件として登場してくる。そうした実績を持つ大統領としては、TRの他にもFDRやアイゼンハワーなどがいる。

それほど詳しく歴史を調べたわけではないが、この国における“国立公園”制度には、日本のそれにはない、独特のテイストが込められているように思う。

米国版国立公園制度(というか、それが“本家”ですが)の、そもそもの目的は、手付かずの自然の残る未開拓の土地を、国(=連邦政府)有化することによって、アメリカ国民全員の「公園」として保護すべしというものである。その根底には、この国特有のfrontier spirit――当然それは、この国一流のpatriotismにも繋がる――が横たわっていて、少し大げさに言えば、YellowstoneやYosemiteは、(どこの州、どこの地域の出身かに関わらず)この国の人たち全員が共有する“自分たち”の歴史の、重要な構成要素になっているんじゃないかという気がする。言うなれば、日本人にとっての京都や奈良のように。   

というわけで、そもそもの出発点からして、国立公園政策に懸ける国民の“気合い”が全然違うと思うのだが、それに加えて――これも、その“気合い”によるところが大きいのであるが――、園内の土地を基本的に全て「国有化」してしまったという点も、非常に大きな違いであるように思う。その結果、国立公園地域を単なる「保護エリア」「規制エリア」として管轄するのではなく、文字通りの「公園」として、政府自らが、観光業も含めた「経営」に乗り出すことができるし、それによって、それなりにたくさんの雇用を生み出すこともできる(cost/benefitが良いかどうかは別問題。この点、確か、Milton Friedmanが、『資本主義と自由』の中で論じていた気がする。未読。)。

実際、DC近郊のShenandoah国立公園は、FDR肝煎りのjob creation programであるCivilian Conservation Corps (CCC) の一環として整備されたものであるし、今回のObamaイニシアチブにもそのような性格が込められていることは言うまでもない。こういった政策は、国立公園内の土地が必ずしも国有化されているわけではない日本のような国では、なかなか難しい(やったとしても、ちょろっとしか効果が出ない)のではないかと思う。

というわけで、アメリカの国立公園が素晴らしいのは言うまでもないし、その分野の仕事に携わる人であれば、誰しもが憧れを抱きたくなるのは非常によく理解できるのだが、同じ「国立公園=national park」を名乗っていても、日本のとアメリカのとでは、そもそもからして、成立ちや性格が大きく違うし、そのように違った性格を持つに至った背景には、両国の発展プロセス(=“歴史”)の違いが大きく関係しているので(→ 要するに、政策レベルでどうこうできる問題ではない)、ここは潔く、「別物」と捉えて、日本は日本なりのやり方を探す方が現実的なのではないかという気がする。実際、それを模索してらっしゃる方も多いと思うんですけど。

そういう意味では、むしろ、ヨーロッパ各国がどうしているかを勉強する方が、プラクティカルなんじゃないかとも思うのだが、寡聞にして、欧州の国立公園政策事情などというものについては、これまでのところ、何の知識も持ち合わせていない。どなたか詳しい方がいらっしゃれば、教えていただければ幸いです。
Maxwell School, Syracuse, Apr 16, 16:58

Thursday, April 15, 2010

thesis draft #3

祝、Sabers、playoff初戦勝利。というわけで、心おきなく第3periodです。

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RPS制度とtransmissionの増設に関する同様の問題に対し、具体的な対策を講じている事例をテキサス州に見ることができる。テキサスは、RPS制度によって、これまでにもっとも大量の再生可能エネルギー(RE)発電(capacity base)を導入してきた州であり、NY州と同様、その大半は、風力発電によって賄われている。

テキサス州とNY州は、風力発電の適地と電力の消費地との間に地域的偏りがあり(テキサスの場合、風力適地は州西部、電力消費地は州東部)、両地域を結ぶtransmissionのcapacityが限られているという点で、非常に良く似た地理的条件を備えている。RPSによるRE発電の導入でNYに先んじたテキサスでは、transmissionのcongestion問題にも、NYより数年早くに直面していた。この問題に対処するため、同州議会は、2005年、以下の事項を主な内容とする “Senate Bill 20”を制定した;
  1. Public Utility Commission of Texas(PUCT)が「高いRE発電の開発可能性を有する地域(“areas with high renewable energy resource potential”)」を “Competitive Renewable Energy Zones (CREZ)”に指定する。指定に当たっては、各地域におけるRE発電事業候補者のfinancial commitmentの程度も勘案する(実際には5つのCREZsを指定)。 
  2. PUCTが、CREZsと電力消費地とを結ぶtransmission網の建設シナリオを複数策定する(実際には4つのシナリオを策定)。 
  3. ERCOT (Electric Reliability Council of Texas) が各シナリオの建設コストを試算する。 
  4. ERCOTの試算に基づきPUCTがtransmission網の拡張計画を決定する。 
  5. 同計画に含まれる各transmissionの事業主を、一定の基準を満たす事業者の中からPUCTが選定する。 
  6. 選定を受けたtransmission事業者は、transmission拡張計画の詳細を固め、PUCTからの最終承認を受ける(“シナリオ”の時点では、建設計画の詳細まで完全に固められているわけではない)。 
  7. このプログラムによるtransmissionの増設コストは、sub-areaに関係なく、ERCOT管轄地域全域のratepayerによって、一律に負担される。 
なお、ここで出てくるPUCT及びERCOTは、それぞれ、NY州におけるPublic Service Commission (PSC)、New York Independent System Operator (NYISO)に相当する。

2010年4月現在では、transmission事業者の選定(上記5.)までしか進んでいないため、同政策の成否を今の時点で評価するのは時期尚早である。非常に大胆な政府介入政策であるため、今後、何らかの“government failure”的非効率が発生する可能性はもちろん否定できず、プラス・マイナス両面を加味した最終的な評価を下すには、さらに数年、結果を見守る必要がある。

しかし、この政策が、――“government failure”という副作用をどの程度伴うかはともかくとして――先に挙げた送電サービス市場の、諸market failure要因を克服する手立てとなっているということは少なくとも言えるだろう。そういった意味において、RE発電の導入増に伴うtransmission不足に対処する政策としては、(少なくとも米国内で)もっとも先進的な取組であるということもできる。

では、今後、ますます増加する(と予想される)遠隔地RE発電施設からの電力供給により、transmissionのcapacity不足の深刻化が懸念されるNY州に、このCREZ政策を導入しようとした場合、どのような点が課題となるであろうか。導入に当たり、大きなchallengeとなりそうな二点を、以下、指摘しておきたい。

一点目は、この政策によって発生するtransmission建設コストの費用負担の問題である。先にも述べたとおり、NY州では、transmission建設コストの負担に関して、伝統的に、“beneficiary pays approach”の考え方が取られてきた。一方、テキサスのCREZ政策の肝は、transmission建設の費用負担を「域内一律」とした点にある。それによって、(上流-下流の費用負担論争に左右されることなく)純粋に効率性の観点から敷設シナリオを検討できる環境を確保できたという実務的メリットに加え、RE発電普及による利益(温室効果ガス排出の削減、energy securityの強化、etc.)は、特定の地域(発電地域and/or電力消費地域)にのみ帰属するものではなく、域内のratepayerに一様に帰属するものであるという根本的な問題構造の面から見ても、この費用回収方法は、理にかなっていると言える。

そもそも(RPSとの関連以前の問題として)、transmissionについては、競争的な電力市場を“可能にするもの(enabler)”と捉え、それ自体は競争政策の埒外に置くべき(したがって、政府が、その供給に積極的に関与するべき)とする考え方と、NY州のように、transmission自体も発電施設の競合財と捉え、競争政策の中で同列に扱うべしとする考え方とがある。それら二つの考え方の優劣を巡る議論はこの論文の射程を越えているが、双方の考え方に長所・短所があるということ、また、それらのうちどちらを選ぶかは、電力政策上、RE導入促進に関わる問題よりも、より高次に位置づけられるべき政策判断であるということが言える。

したがって、ここでNY州の“beneficiary pays approach”を非難する意図はまったくないし、また、RE導入促進との相性が悪いという事実だけを以て、NY州が、そのapproachを根本的に見直さなければならない必然性もない。ただ、“beneficiary pays approach”の方針を全く曲げずにCREZ政策を単純に「接ぎ木」することはできないというのもまた事実であろう。このため、NY州にCREZ政策を導入するとならば、費用負担に関する考え方の違いから生まれる「矛盾」をどのように解消するかが一つの大きな課題となると考えられる。

もう一つの課題は、組織の構造と意思決定に関するものである。

NY州内の電力系統の運用を統括するNYISOは、電力の安定供給と経済運用のみをミッションとする機関であり、RE発電の導入促進に自発的に協力しなければならない立場にはない。それどころか、現行のルールの下で、NYISOが、RE発電施設に有利なようにtransmissionを敷設する計画を支援したとすれば、そのことは、彼ら本来のミッションである経済運用との間で支障を来しかねない。

一方、RPSプログラムの執行に責任を負うNYSERDAの方は、RPSプログラムとの関連においては、制度の執行にのみ責任を負う機関であるため――別途、研究機関としての役割も担っているが――、送電網の敷設という(少なくとも現行制度の下では)RPS制度の完全に外側にある事柄に対して、何らかの積極的働きかけを行いうる立場にはない。

これら二機関を管轄下に置き、“order”という形でルールを制定する権限を有しているのは州政府の一セクションであるPSCである。彼らは、RE発電の導入促進とtransmissionの拡張という、両方の課題を同時に視野に入れられる立場にあるわけだが、RPSの目標値の引き上げを決めた“Order Establishing New RPS Goal and Resolving Main Tier Issues”(2009年決定)の中では、RPSの今後にまつわるいくつかの懸念事項が論じられているものの、transmissionのcongestion問題については、一切の言及がなく、そもそも、彼らがこの件に問題意識を持てているのかどうかさえ定かではない。

このように、関連三機関の立場・言動を見渡してみると、“RE発電の導入促進に伴うtransmissionの不足”という形で、統合的にこの問題を捉えられている機関が、NY州政府内には今のところ存在しない可能性がある。テキサス同様、最終的には、立法府による行動が必要だとしても、日々の執行を司る――それゆえ、問題発見に一番近い場所にいるはずの――担当者の間でさえ、十分な問題把握・問題理解が醸成されていないとならば、元来、専門家以外の者による理解が難しいこの問題が、世間や州議会議員の耳目を集める可能性は、非常に低いのではないかと察せられる。このことから、NY州における、現在の関連組織間の責任分担構造が、CREZ政策をNY州に導入しようとするならば、二つ目の大きなチャレンジになるのではないかと考えられる。
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この後に、多少、implication的なものをくっ付けてconcludeしようかというのが、とりあえず今の時点での全体構想。実際書いてみて、最後の方が、定性的というか説明的というか、要するにグダグダだということがよくわかりました…sigh

テキサスの事例を引き合いに出してくるところまでは良いとして、そのあと、どういう方向に持っていくか。今の案のまま、頑張ってロジックを詰めるか、あきらめて別の展開を用意するか。。。
Maxwell school, Syracuse, Apr 15, 22:24

thesis draft #2

今日開幕のNHL Playoffをちら見してリフレッシュ。こんな話、どうでもいいと思いますが、今日あった東地区の二試合は、二戦とも、下位シードのチームが上位シードのチームを食う結果に。この流れが、明日のSabersの試合(Sabers=第3シード。第6シードのボストンと対戦)に乗り移らないことを祈るばかり。。

さて、リフレッシュも終えたところでthesis draft後半戦。

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こういった不都合の原因となりうる送電サービス供給量の硬直性は、同市場に見られる諸々の“market failure”要因によって説明できる。

まず何より、transmission事業は、「初期投資(capital cost)が莫大で、規模の経済(economies of scale)が働きやすい」という、自然独占(natural monopoly)の典型的条件を兼ね備えている。このため、新規参入が難しく、NY州においては、電力自由化以前からの“legacy transmission owners” 8社による、事実上の寡占状態となっている。これらの既存transmission事業者にとっては、transmission capacityの不足によってgrid内の二地点間で電力単価(Locational Based Marginal Price (LBMP))の開きが生じていたとしても――congestionが一切なければ、送電ロスのrecovery費用を除いた電力単価はgrid内全域で等しくなるはず――、その差をcongestion chargeとして徴収できるので、送電サービスの供給不足が、transmissionの積極的な増設を促すことにはならない。

公共財(public goods)的性質を色濃く持つが故の、費用負担の問題も深刻。NY州では、「transmissionの建設コストは当該transmissionの新設によって恩恵を受ける者=beneficiariesによって負担さるべき」とする“beneficiary pays approach”が取られているが、そもそも、beneficiariesの特定が非常に困難。遠隔地の電力を安く使えるようになるとは言え、transmission建設コストの全額負担は割に合わないと考えるdownstateと、自分たちが恩恵を受けるわけではないのに(一部とはいえ)transmission建設コストを負担させられるのは嫌だと主張するupstateの対立に、その中間地域におけるsiting(立地)問題が絡み、その必要性自体は広く認識されていても、具体的なプロジェクトとなると、なかなか話がまとまらないといった状況がNY州では長らく続いている。

Enforcement costsの問題もある。Transmission ownerにしてみれば、発電事業者が約束通りに新規発電所の建設及び送電サービスの利用を行ってくれなければ、新規transmissionの建設コストを回収できず、一方、発電事業者にしてみれば、transmission ownerが約束通りにtransmissionを建設してくれなければ、プラン通りの発電事業を行えないといった状況が想定されうる。このような場合、互いに相手方の約束履行の確証が得られなければ、双方ともに事業の実施に踏み切ることはできず、結局、事業の実施が見送られる事態に陥りがちである。

規制が送電サービスの供給を妨げている可能性もある。NY州においては、安定供給の面からその必要性が認められる場合を除き、新規transmissionの建設の認可を受けるためには、①“strict cost-benefit tests”をクリアするとともに、②州内load serving entities(LSEs・配電事業者)の80%以上からの賛同を得なければならないことになっている。この仕組みは、理論的には、ratepayerがtransmissionの過剰投資に伴うコストを負担させられる事態を防ぐために設けられているものであるが、LSEsの多くがlegacy transmission ownersの子会社であるという現実を考えると、既存transmission事業者を過度に利するかたちで機能している可能性がある。

以上は、RPS制度の導入如何にかかわらず、NY州の送電サービス市場が本来的に抱えている“market failure”であるが、これに加え、RPSとの関連では、externality(外部不経済)の問題も指摘されうる。そもそも、RPS制度は、既存の電力市場が「温室効果ガスの排出」や「国外産エネルギーへの依存に伴う安全保障の脆弱化」といった「外部不経済」を適切に評価しきれていないという反省に立ち、それらを内部化(internalize)するために導入されている制度であるが、transmission建設認可の際の、上記“strict cost-benefit tests”では、そういった外部性がまったく考慮されず、explicitlyに示されるbenefitのみが勘案の対象とされる。このため、ある地域へのtransmissionの延長が、新規RE発電施設の導入を促すと予想されるとしても、それに伴う社会的価値は考慮の対象とはならないので、そういったtransmission建設案が“strict cost-benefit tests”に耐えられる可能性は低いままとなる。(to be continued.)
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「後半」のつもりでしたが、この先、もうしばらくかかりそうなので、第3ピリオドは、また稿を改めて。
Maxwell School, Syracuse, Apr 14, 24:29

Wednesday, April 14, 2010

thesis draft #1

うだうだ言っていてもはじまらないので、とにもかくにも、現在手持ちの知識と考察で、論文の骨子を書いてみることにした。ご意見いただければ幸いであります。

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Renewable Portfolio Standard(RPS)政策は、市場メカニズムの中で決定される「最低価格」で以て、再生可能エネルギー(RE)発電の導入を進めようとする制度であり、温室効果ガスの排出削減やenergy securityの観点から、米国内でも多くの州で導入されている。ニューヨーク州は、カリフォルニア、テキサスと並び、RPSによるRE発電導入を最も積極的に進めている州の一つであり、現在は「2015年までに州内消費電力の30%」をRE由来にするとの目標を掲げている。

市場メカニズムに立脚するその方法論から、RPS政策は、同政策の支持者の間で「所定のRE導入目標をもっとも経済的かつ効率的に達成できる方法」と考えられている。しかし、この命題は、政策の対象である商品(=RE発電)が、競争的な市場で取引されているという前提の下でのみ成立するものである。加えて、発電施設がstand-aloneでは機能せず、送電網(grid)に繋ぎ、送電網(transmission)会社から送電サービスの供給を受けてはじめて機能するものであることを考えると、この前提は、送電サービス市場においても満たされていなければならないものである。

送電サービス市場が競争的であるならば、RPS制度の導入で、新設RE発電事業者からの送電サービス需要が増えることにより、より多くの送電サービスが――それに伴って価格も上がるにしても――供給されるようになるはずである。そのためには、送電サービスが、滑らかな供給曲線を持たなければならないが、実際には、送電サービスの供給媒体であるtransmissionは、簡単には増設されにくい特性を有しており、NY州内では、RPSの導入開始(2004年)後はおろか、1980年代半ば以降で見ても、ごく小規模なものを除いて、transmissionの新設・拡張は行われていない。このことから、送電サービスの供給曲線は、滑らかではない右上がりの階段状をしており、より短期的に見れば、右下に頂点のあるカギ形(ある量までは水平、その量に達した時点で垂直)の形状を有していると考えられる。

このような市場において、需要曲線の右上シフトが続けば、あるところまでは、需要に応じた量のサービスが問題なく供給されるが、ある水準(=transmissionの物理的なcapacity)に達した時点(=需要曲線が、供給曲線の屈曲点を通る時点)で、それ以上は供給量が増えず、価格だけが上昇する局面に至る(この局面で積み増される追加的な価格がtransmissionの“congestion charge”(混雑料金)に相当する)。実際のところ、NY州におけるRE発電の主力である風力発電の適地は、電力の消費地(=downstate=NYC& Long Island)から離れたupstate(特に州北部及び西部)に集中しており、従来、発電施設の多くなかったこれらの地域では、既存transmissionの送電容量が限られているため、今のペースでRE発電施設の新規導入が進めば、早晩、transmissionのcongestion問題が深刻化するであろうと予測する向きは少なくない。

送電サービスの供給過少が生じた際、もっとも直接的に懸念されるのは、RE発電事業者が、当初契約通りのRE電力を送電(delivery)できなくなるという事態である。実際、2008年には、transmissionのcongestionが原因で、RPSプログラムに参加するある大規模wind firmがdelivery不足に陥り、RPS プログラム上のdelivery commitmentの下方修正を余儀なくされる事態も発生している。ただし、このような事態は、RE発電事業者の側にも追加的な負担を強いるため、今後、congestionが頻発するようにな(ると予測され)れば、論理的には、congestion chargeがRPSの入札額に織り込まれるようになり、そのことが、RPS入札額の値上がりにつながると予想される(ただし、transmissionのcongestion chargeが、RE発電事業の全事業コスト、ひいては、RPSの入札額にどの程度のインパクトを持つかについては、定量的な情報を得られていない)。

NY州のRPSプログラムでは、ratepayerから消費電力量に応じて徴収されるお金を原資に、NYSERDA(New York State Energy Research and Development Authority)が一括してRE発電電力(厳密には、物理的な電力そのものから切り離された「REで○kWhの電力を発電しました」という権利)を調達する仕組みが取られているので、RPS入札額の値上がりは、①原資不足による目標の未達成、又は②(あくまで目標を達成するための)対ratepayer課金単価の値上げ、のいずれか(或いはそのcombination)という結果を招く。また、将来、①②のうちの、どちらの政策がとられるかわからないという不確実性の存在そのものが、RE発電開発コストを押し上げている可能性もある。

こういった不都合の原因となりうる送電サービス供給量の硬直性は、同市場に見られる諸々の“market failure”要因によって説明できる。(to be continued.)
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頭がオーバーヒートしてきたので、続きは次回にて。
Maxwell School, Syracuse, Apr 14, 19:12

Tuesday, April 13, 2010

Interview #2

昨日は、NYSERDA(New York State Energy Research and Development Authority)へのインタビューに行ってきた。
  
“Advance innovative energy solutions in ways that improve New York’s economy and environment.”をミッションに掲げるこの組織は、州法に基づき1975年に設立されたNY州政府の一機関。元々は、化石燃料の消費を減らすためのR&Dに特化した研究機関だったのだが、時代が下るにつれ、行政的役割も担うようになってきている。州のRPS Programにおいては、“the central procurement administrator”、つまり、公募を主催し、発電事業者から再生可能エネルギー電力(厳密には、“再生可能エネルギーで○kWhの電力を発電しました”という実績に伴う権利のみ。物理的な電力は、別途、電力市場に売りに出される)を買い取る役割を担っている。

先週、NYISO(こちらは、電力系統の運用・電力市場の運営などに責任を負っている)にインタビューに行った際、“RPS? So what??”的な反応を返されたという話をその日のエントリに書いたが、今回は、期待通り(?)にその真逆で、“Transmission? So what??”的な反応が分かりやすくも返ってきた。

彼らの発想並びにスタンスは、「RPSの目標達成上、transmissionのcongestionが深刻なbarrierとなる可能性は想定していない」というもの。文字通り、「想定していない」といったご様子で、NY州のtransmission事情についてなら、むしろ僕の方が詳しいんじゃないかと思ったくらい。もちろん、応対に出ていただいた方の専門分野ではなかったから、ということもあるのかも知れないが。

実際のところ、transmissionの問題が、今後、どの程度、再生可能エネ普及の足枷になるのかは、よくわからないところがある。直接的に知りたければ、再生可能エネ発電事業者のコスト構造を覗かせてもらうのが一番なのだろうが、何社かにインタビューの依頼を出してみたものの、これまでのところ音沙汰なし。まぁ、元々、ダメもとのつもりで出していたお願いなので、無視されたとしても無理はない。

むしろ、論文の中では、そういった不確実性――この場合で言えば、「transmissionの問題が再生可能エネの普及にどの程度の悪影響をもたらすか」、より具体的には、「transmissionのcongestion chargeの値上がりがどの程度発生し(厳密には、「発生すると予測(expect)され」)、それが、RPSのbid価格をどの程度上昇させるか――を可能な限り絞り込むための努力を行政の側ができているかという点と、それでもなお残る不確実性が、制度上、適切に扱われているか、という点にフォーカスを当てるべきかとも思う。PSC、NYSERDA、NYISOという、関連する三機関の責任分担構造にも絡めつつ。

というような話を昨日の夕方にはアップし、その勢いで、論文の執筆に取り掛かろうと思っていたのだが、昨日の午後は、クリエイティブな方向にアタマを働かせる気力が出ず、だらだらとInt'l Trade Lawのリーディングをして終わる。慣れない長時間運転の疲れのせいもあったとは思うが、論文漬けの生活に、若干、疲れが出ているのも事実。たかだか、1セメスターのことではあるんだけれど。

いろんな意味で(もう一つくらいの意味しかありませんが…)、ちょっと運動した方がいいかもなぁ…。
my home, Syracuse, Apr 13, 11:14

Monday, April 12, 2010

hard to pick up

MaxwellのMPAでは、春学期が終わった後、“MPA Workshop”なる、“仕上げ”的コース(4週間)が付いてくる。5~7人ずつのチームに分かれ、City of Syracuse、連邦政府、地元NPO等々、いちおう“リアル”なクライアントからの要望にお応えする形で論文を書き、プレゼンをする、というもの。

5月17日の開始に先立ち、先週の木曜日、今年のプロジェクト一覧(全23件)が発表された。目下、各生徒には、その中から第1~第4希望を選択し、今週火曜までに提出するという課題(?)が課せられている。

去年の同級生(←一年前にこのカリキュラムを経験)の中には、「プロジェクトのコンテンツより、誰と一緒になりそうかで選ぶべし」という人もいて、それはそれで良く分かるのだが、僕の場合、今年の同級生にどんなヤツがいるのかさっぱり把握していないので、おとなしく、プロジェクトの中身だけを見て決めることにする。

と言っても、これがなかなか難しい。さっきからずっと、行きつ戻りつしながら、プログラム概要を読んでいるのだが、なかなかズズッと触手の動くものがない。中身がショボそうというよりは――いや、そういうのも、実際、あるのだが――、プロジェクトの分野に些か偏りがあり、その偏りが、僕の守備範囲から遠ざかる方向に顕れているので、どうしたもんかなと。まぁ、クライアントを探してくるのもそれなりに大変だろうから、そう満遍なくは集めて来られないのもよくわかるんですけど。

「これちょっと面白そう」というプロジェクトを第1希望欄に、「これならまぁやってもいいかな」というプロジェクトを第二希望欄に記入…したところで、指が止まる。第3希望と第4希望に何を選ぼうか…。長考の末、いちおう、残りの二つも決定。望むらくは第2希望までに収まりたい。

どういうメンバー構成になるかは、その次にやってくる大問題。今週金曜日には、それも発表されるらしい。もっとも、日本人の方と、僕と同じdual-degreeのヤツらを除いては、名前だけ見せられても誰が誰やらさっぱりわからんというのが痛いところ。まぁ、ぼちぼち頑張ろ。

関係ないけど、ホテルでTVが見れるのを良いことに、TVつけながら仕事(?)してたら、こんなCMに遭遇。下らないけど、面白い。“IT IS America!!”な感じ(笑)
Holland Ave., Albany, NY, Apr 11, 25:52

Sunday, April 11, 2010

Capital of Empire State

昼過ぎにAlbanyに着き、半日ほど市内を観光。予想通りの期待はずれ(笑) Albanyの観光情報を見ると、いつも写真が載っているEmpire State Plaza(長方形の池を囲むように州政府のビルが集中して建っているエリア)は確かに立派なのだが、はっきり言ってそれしかない。このビルで働く人たちが、昼休みにどこでランチをしているのかは非常にナゾ。

最初は街をぶらぶら歩こうと思っていたのだが、少し街中を歩いてみたところで、Empire State Plaza以外、観るべきものが何もないことを得心する。それでも気の利いたカフェの一軒くらいあるんじゃないかと、ダウンタウンを歩いてみたものの、空いてる店はほとんどないし、人ともあんまりすれ違わないし、挙句の果てには、辺りの雰囲気が何となく荒んだ感じになってきたので、これはマズいと途中で駐車場に引き返し、あとは、車で周ることに。

ハドソン川(←マンハッタンの横を流れている、あのハドソン川)べりの公園で、滔々と流るる川の流れを眺めてみたり、川の対岸(東側)に渡って、そこにも何もないことを確認してみたり(いちおう、ダンキンドーナツが一軒だけあった)したあとは、いよいよ観るべきものがなくなったので、ホテルに戻って、部屋のTVでアイスホッケーの試合を観戦。

プレイオフ進出の懸ったNYレンジャースとフィラデルフィアの一戦。勝った方はプレイオフに進出、負けた方は即シーズン終了という、ドラマチックな状況の中での一戦だったのだが、更にドラマチックなことに延長戦でも勝敗がつかず、結局、shootout(サッカーのPK戦に当たる)の末に、フィラデルフィアが勝利。このホッケーTV観戦が、今日Albanyに着いてからしたことの中で一番楽しかったんじゃないかという気がする。まぁいいんですけど。それはそれで。

以下、いちおう、今日の成果物を。


Albanyの名誉のため(?)に言っておくと、Empire State Plazaの一角にある、NY State Museumは、それなりに見応えあり。絵心(描くだけじゃなく、見る方も)のない僕としては、美術館より、この手の博物館の方が、断然楽しかったりする。

展示の中身は、NY州の自然史から、Native Americanの習俗、開拓時代の歴史、マンハッタン島の開発史に至るまで。911関連の展示にもそれなりのスペースが割かれており、折れ曲がった鉄骨や、瓦礫の中から掘り出された消防車なんかが展示されてあった。

博物館の展示によると、その昔、NY州には、こんなのや、
こんなのや、
こんなの(?)が
住んでいたんだそうな。ちなみに、こんなのだったら、頑張れば(たぶん、めっちゃ頑張らないとダメだけど)、今でもupstateで(Syracuseの周辺でも)見られるらしい。
素晴らしき哉、upstate。でも、こんなのに夜道でばったり出会ったりしたら、さすがにビビるだろうなぁ…。普通の鹿ならサウスキャンパスに、普通に出没するらしいですけど。
Holland Ave, Albany, NY, Apr 11, 20:38

expectation adjustment

ここのところ、英語の調子がいま一つだったのだが――といっても、未だかつて、調子がノリノリだったことなんて一度もないが――、昨日のAlbany往復のクルマの中で、声に出して英語をしゃべっていたら、少しは調子が上向いてきた(気がする)。留学期間もあとわずかというこのタイミングで、今さら何を言っているのかと言われそうだが、改めて、「喋る」ことの大切さを実感した。誰かと話ができれば、それに越したことはないのだろうが、独り言でもそれなりの効果はあると思う。まぁ、普段、如何に会話をしていないかがバレバレなのだが。

英語の不調ぶりと反比例するかのように、このところ、髪の毛がどんどん伸びていて――間違いなく、英語の出来・不出来とは関係ない――、いい加減、自分でも鬱陶しくなってきたので、今日の午後、いつも使っている、ショッピングタウン・モール(という名前のモール)の中の美容室に行ってきた。

この美容室、誰に切ってもらうかで、仕上がり具合に結構な差が生まれるという、エンターテイメント性抜群のお店。指名すればいいのだろうが、名前を覚えたり、電話をかけたりするのが面倒なので、結局、毎回、出たとこ勝負。

今日、僕を担当してくれたのは、愛想と恰幅だけは頗る良いが、肝心の鋏の腕前に、相当、難のあるお姉さん。当然ながら、仕上がり具合も、それ相応のレベルに…(素材がそもそもイケてないという話は、ここでは関係ない)。鏡越しに自分のアタマを見て、一瞬、「あ~ぁ」と思ったが、「愛想が良かっただけでも良しとするか(だってここ、アメリカなんだし♪)」と、すぐに納得して帰宅。この辺りの、期待値のだだ下がり具合には、我ながらときどきビックリする。日本に戻ったら戻ったで、今度は、逆方向の期待値調整に戸惑うのかも知れない。まぁ、上方への修正は、一瞬で出来てしまうのかな。(人間ってダメな生き物…)

interview第二弾が月曜午前にあるので、今回は、一泊二日でAlbany入り。明日は、早めにSyracuseを出て、少しは観光的なこともしてみる予定。まぁ、Albanyごときで何を観るのかという話なのだが、州議事堂ぐらいは、観ておいてもいいかなと。曲がりなりにも、足掛け二年住まわせてもらった州の最高機関なわけだし(←この発想が既にマニアックなんだろうな。)。あとは、日本人シェフを擁するというウワサ(←それだけで既に魅力的@upstate standard)の日本食料理屋さんにでも行ってみようかと考え中。
my home, Syracuse, Apr 10, 24:50

Saturday, April 10, 2010

Environmental Regulations vs Free Trade Rules

Int'l Trade Lawの教科書が、環境保護のための国内措置と、自由貿易に関する国際ルールとの間にバッティングが生じる典型ケースを整理してくれている。一通り、頭に入れておくと便利そうなので、以下、ざっくりと要約。

1.途上国との関係
 環境に害悪を及ぼしていると考えられている、ある製品の販売規制が、その製品の輸出国である途上国からの輸入に、大きなインパクトを及ぼすと見込まれる場合、規制を敷く側の先進国は、当該途上国への経済的影響に配慮して、何らかの特例措置(移行期間の設定、技術支援等)を講じるべきであるか。

2.“Like Products”の解釈
 WTO法上、“Like Products”(同種の産品)については、いずれの国(輸入国自身を含む)の商品も非差別的に扱わなければならないとされているが、どこまでが“Like Products”と解釈されるべきか。たとえば、温帯に位置している国が、温帯林産の材木と熱帯林産の材木とを「“Like Products”ではない」と解釈し、熱帯林産の材木にのみ規制を課す(したがって、当該国の国産材木には同様の規制はかからない)ことはWTO法上、許されるか。

3.製造工程規制
 ある製品の製造工程に規制を課している国が、同等の規制を課していない国からの同製品の輸出を禁じる措置には、GATT Art XX: General Exceptionが適用可能か。
 
4.「緩い環境規制」に対する相殺関税 
 「環境規制の緩い国は、その国の企業に対して“事実上の補助金”を与えているのと同じ」とみなし、そういった国からの輸入品に相殺関税(countervailing duty)を課すことは、WTOのAgreement on Subsidies and Countervailing Measures(SCM Agreement)上、認められるか。
  
5.「環境補助金」に対する相殺関税
 その国の企業に、環境投資補助金を与えている国からの輸入品に対し、相殺関税を課すことは、SCM Agreement上、認められるか。

6.製造者に対する、商品の販売に付随する規制
 ある製品の製造者に対し、使い終わった自社製品をリサイクルする施設の設立を義務付ける措置は、WTO法上許されるか?(そういった施設の設立は、外国企業にとって、本質的に不利であると考えられるが)  また、梱包材の使用制限を、国内・輸入企業に一律に課す措置についてはどうか?

7.他の国際環境条約との関係
 ある国際環境条約(Multilateral Environmental Agreement: MEA)でauthorizeされた措置がWTOルールに抵触しているときに、そのMEAの締約国がそのような措置を実際に講じたならば、WTO法上、当該措置はどのように裁かれるか。

8.border tax adjustment
 国内で炭素税を課している国が、同様の税を、他国からの輸入品に対して課すことは、WTO法上認められるか。
    Maxwell School, Syracuse, Apr 10, 21:47

    after ‘shrimp-turtle’

    昨日のエントリの続きと言えば続きの話。今朝のInt'l Trade Lawのクラスでの教授のコメントが面白かったので、メモしておく。ちなみに教授曰く、そのコメントは「このクラスのprofessorとして」ではなく、彼一個人としてのもの、とのこと。

    議論のベースは、昨日のエントリでも触れた“India etc vs US: ‘shrimp-turtle’”事件。書き始めると長くなるので、詳細は端折るが(ご興味ある方はこちらを)、端的に言うと事件の経緯はこうである。
    1. 米国が、ウミガメの混獲防止措置を取っていない国からのエビの輸入を禁止する法的措置を施行。
    2. インド、マレーシア、パキスタン、タイの4か国は、米国のこの措置が、WTO協定に違反するとして提訴。
    3. Panel(一審に相当)、Appellate Body(二審に相当)とも、米国のWTO協定違反を認める。
    問題は、米国の措置(Section 609 of Public Law 101-162)がなぜWTO協定違反とされたかという点なのだが、米国自身、この措置が、輸入の量的制限(Quantitative Restrictions)を禁じたGATT Art XIに違反しているという点については争っていない。したがって、当該措置が、GATT Art XX: General Exceptionsの適用を受けるかどうかが争点となった。

    Art XXの適用を受けるかどうかは、①当該措置が、Art XX各項に定める例外事項のscopeに該当するか否か、と、②(If so,)当該措置が、Art XX chapeau(柱書き)の要件を満たしているか否か、の二段階のテストで以て判定される。Section 609は、①のテストをクリアしたものの、②のテストで「否」とされ、結果、「WTO違反」と判定されるに至る。

    Section 609を「WTO違反」に追いやったArt XX chapeauの原文は以下の通り(下線、blog筆者);
    Subject to the requirement that such measures are not applied in a manner which would constitute a means of arbitrary or unjustifiable discrimination between countries where the same conditions prevail, or a disguised restriction on international trade, nothing in this Agreement shall be construed to prevent the adoption or enforcement by any contracting party of measures:
    つまり、“arbitrary or unjustifiable”(恣意的な又は正当化できない)な方法で以て、ある国と別の国とを“discriminate”していないかどうかが判定のポイントとなる。

    本事件において、Appellate Bodyは、以下の二つの理由により、アメリカの取った措置は“unjustifiable”であると判定した;
    1. エビの輸出国に対し、事実上、米国の国内規制とcomparable(同程度)なだけでなく、essentially the same(本質的に同じ)な措置を取るよう求めた。⇒ 必要以上に輸出国のflexibilityを制限しすぎ。
    2. unilateralな措置を講じる前に、一部の国との間でのみ、真摯な国際交渉(negotiation)を行い、それ以外の国と同様の交渉を行う努力を怠った。⇒ discriminatory & unjustifiably
    判決後の米国は、Section 609自体は維持しつつも、他国の規制措置をより柔軟に認めるよう、ガイドラインを改定するとともに、インド等エビ輸出国との協定締結に向けた交渉を実施。‘shrimp-turtle’事件の判決から三年後に、マレーシアが、米国の判決不履行(=Section 609を撤回していない)に関して、再度の提訴を行った際には、Panel、Appellate Bodyとも、「米国の改善努力は十分行われており、その結果、Section 609は、今や“justified under Article XX”なものになっている」との判定を下している。

    前置きが長くなってしまったが、この事件に関してのColares先生の指摘は以下の二点;
    1. Appellate Bodyの二つ目の判定理由(一部関係国との真摯なnegotiationの不実施)には、それを以て“unjustifiable”かどうかの判定理由とするだけの十分な根拠がない。
    2. かつ、米国の措置を“unjustifiable”と断じたその判決が、結果的には、同国による「“multilateral”を騙った“unilateralism”の遂行」をauthorizeするという、皮肉な事態を招いた。
    つまり、一回目の訴訟の判決が、「協定締結に向けた交渉努力をしさえすれば、米国の措置はWTO上、“シロ”と判定される」との状況を準備した形になり、米国は、訴訟に負けたにもかかわらず、「“真摯”に交渉を行った」という実績さえ作れば、unilateralなエビ禁輸政策を大手を振って執行できるという、考えようによっては非常に美味しい結果を得た、というもの。二回目の訴訟の結果は、実際、その通りになっている。

    いつもながらに辛口のColares先生、ご自身の同僚(特に環境法の先生)の中にも、この判決を「国際環境問題の分野におけるunilateralismの否定、multilateralismの勝利」を打ちたてたものであるとして、肯定的に評価する向きが少ないくいことに言及しつつ、そういった見方は「表面的(superficial)である」と、バッサリ。

    貿易関連のlawyerとして、実務畑でもそれ相応の実績を積んでこられた方であるが故の、洞察とでも言うべきか。
    my home, Syracuse, Apr 9, 27:10

    Friday, April 9, 2010

    Interview #1

    Interview企画第一弾。州都Albany郊外のNYISOを訪問してきました。

    正式名称は、New York Independent System Operator。念のために言っておくが、“ISO14000”とか“ISO9000”とかの“ISO”とはまったく関係ない。あちらさんは、“International Organization for Standardization”の略。こちらのISOは、“company”という体裁をとってはいるが、non-profitの機関で、NY州内の①電力系統の運用、②電力市場の運営、③電力網建設の長期計画、④技術の開発・普及(Developing & Deploying )という4つの役割を担っている。電力自由化のタイミングに合わせ、1999年に設立。

    建物の外壁には、それが「NYISO」であることを示す表示は一切なされておらず(もちろん、表札なんてご丁寧なものはない)、一旦、行き過ぎてから引き返し、恐るおそる守衛さんに尋ねてみて初めて、そこが目的地であることを確認できた。道路からやや奥まったところに位置するその建物は、小ぶりの要塞かと見紛うほどの堅牢な建造物。聞いてみれば、州内全域をカバーする電力系統のオペレーション業務がこのビルの中で行われているんだとか。マンハッタンへの電力供給も、ここでコントロールされているということを考えると、建物の造りがそれだけdefensiveなのもむべなるかな。 

    現地では、事前にメールで送っておいた質問リストに沿って、“Senior Communications & Media Relations Specialist”なる肩書きのおじさんから2時間弱の説明を受ける。英語のリスニング能力不足のせいか、はたまた、工学的バックグラウンド知識の不足のせいか――まぁ、両方だろうな…――、おじさんの説明を隅から隅まで理解できたわけではなかったが、関連資料をがっさりいただき、「読んでみてわからんことが出てきたら、またメールで教えてね」とお願いして帰ってくる。まぁ、間違いなくメールするな(笑)

    今後、renewable energy(RE)発電の導入量が増えれば――少なくともNY州においては、“風力発電の導入量が増えれば”とほぼ同意である――、RE発電の“産地”(=upstate)から“消費地”(=downstate=NYC+Long Island)に電力を運ぶtransmission(送電線)の不足が、更なるRE導入のボトルネックとなりうる。というか、その問題は既に発現し始めている(参考)。そんな最中、NY州は、昨年12月、RPSの目標値(州内の全電力消費量に占めるRE起源電力の割合)を「2013年までに25%」から「2015年までに30%」に引き上げる決定を行った。

    この状況を、「電力網建設の長期計画」を担うNYISOとしてはどう見ているのか――今日のinterviewでは、この点を一番聞きたかったのだが、二時間弱のinterview全体から受けた印象としては(※ 彼が具体的にこう言ったわけではない)、「NYISO的にはあまり深刻には捉えていない」といった感じ。何と言うか、要するに、「他人事」なのだ。

    なぜそうなるのか、interviewの最中、或いは、帰りの車の中で、いろいろ考えてみたのだが、察するに、一番の理由は、文字通り「他人事だから」なんだろう。

    NYISOの2008 Annual Reportの背表紙には、“The NYISO operates New York’s bulk electricity grid, administers the state’s wholesale electricity markets, and conducts reliability and resource planning for the state’s bulk electricity system.”とある。この一文、(明記はされていないものの)NYISOのstatement of purposesと見て良いと思うのだが、「環境保護」に関する取組には、一切、言及がない。つまり、究極的に言えば、電力の「安定供給」と「経済運用」だけが彼らのmissionなのであって、それ以外のこと(including 環境対策)は、知ったこっちゃない――文字通り「他人事」なのだ。

    とは言え、州の政策の中で、「環境保護」(ここで具体的には、「RPS目標値の達成」)が絶対的な目標として位置づけられているのであれば、NYISOとしても、その実現を所与とした上で、「安定供給」と「経済運用」を達成しなければならなくなるわけで、間接的にではあるが、「RPS目標達成」が他人事ではなくなるはず。

    しかし、実際には、NY州におけるRPS目標値の位置付けは些か曖昧。日本や、米国の他の多くの州のように、各utility companyに、bindingな達成目標を負わせているわけではなく、州政府の一機関であるNYSERDAが、唯一の買い手として、公募・入札をするという方式なので、目標年次までに目標値に到達しなかったとしても、「政治責任」以上の問題が発生するわけではない。となれば、今後、transmissionの不足に伴うcongestion(混雑)問題の顕在化などにより、REの発・送電単価が上昇した場合、州政府としては、rate payer(電力消費者)への課金額を値上げしてでも目標値の達成にこだわるか(←NYSERDAによる買取の原資は、電力使用量に比例してrate payerに課されるお金で賄われている)、目標達成をあきらめる代わりに課金額の上昇を抑えるか、という選択を迫られるかたちになる。この構造からすれば、RPSの目標値は、「絶対的ではない」と見る方が自然だろう(ましてやこの秋には知事選を控えている)。

    つまりその、「環境問題に取り組まないNYISOが怪しからん」と言いたいわけでは全くなくて、transmissionの拡張が、今後のRE普及のカギを握っているのにもかかわらず、transmission敷設計画の任を負うNYISOに「環境保護」のmissionが課されていない、或いは、RPSを取り仕切るNYSERDAにtransmissionを云々する権限が与えられていない、という、現状の責任分担構造そのものに問題があるのではないかと。この辺り、もう少し深めれば、論文の結論部分に持って来れるかなと思ってみたりもしている(甘い?)

    ちなみに、帰り際、窓越しに、“operation room”も覗かせていただいた。もちろん、撮影禁止なので、ここで写真で紹介することはできないが、だいたいこれとよく似た感じ。一チーム5人の12時間交代制なんだそう。PCのディスプレイが、一人当たり、7,8枚はあったように思う。さながら、飛行機だか宇宙船だかのコックピット×5セットの様相。とはいえ、暑くも寒くもない今日みたいな日は、発電capacityにも十分余裕があると見え、皆さん、のんびりと仕事をこなしておられた。
    Maxwell School, Syracuse, Apr 9, 23:23

    Thursday, April 8, 2010

    with a lot of potential?

    IBM Many Billsというwebサービスが、今日、launchしたらしい。曰く、“Many Bills is a web based visualization that aims to make congressional legislation easier to digest. It presents bills from the House and Senate organized into collections and split into sections which are color coded and labelled to indicate what topic each section is about.”なんだとか(下線、blog筆者)。  

    どうやって使えばその妙味を活かせるのか、いまいちよく分からないが、アップされている“使用例”を見ると、例えばこんな感じ。(クリックで大きくなります)

    これは、“Canada”と“the Environment”で2009年の法案を「and検索」してみた場合のアウトプットで(たぶんそういう意味なんだろうと思う)、グラフの作者曰く、この絵から、「“It seems environmental legislation related to Canada focuses on the Great Lakes region and water quality, specifically in 2009.”(2009年について言えば、カナダが関連する環境法案は、五大湖地域と水質にフォーカスが当てられていたようだ)ということが分かる」ということらしい。 

    このサービス、もうしばらくいろんな人にグリグリ遊んでみてもらわないと、「使える」かどうか、俄かには判断できなさそうだが、いずれにせよ、ここまで作り上げるのに相当の労力(とそれを支える資金)が費やされたはず。

    と考えると、プロジェクトの始動前から、「こういうサービスがあると便利」なり、「こういうサービスがあれば確実に使うよ」といった声が、それなりに寄せられていたということなのだろうが…。少なくとも、日本でこれをやってもあまり役には立たなさそうだが、アメリカだと、一つの法案に、雑多な規定がごった煮状に盛り込まれていたりするので、意外と役に立つのかな。。。なんて言いつつ、見た目のカッコよさに惹かれて、思わずblogに掲載。
    Maxwell School, Syracuse, Apr 8, 16:36

    cherry blossom in campus


    Spring in Campus, Syracuse, NY, originally uploaded by ::baya::.
    日本のと違って、葉っぱと同時に花が咲き始めるので、遠目にはそれとわかりにくいですが、うちの大学内にも、いちおう桜(らしきもの)があります。

    上は、今朝、登校するときに撮ってきた写真。七分咲き、くらいでしょうか。アメリカ(←屋外での飲酒は違法)なので、桜の下で酒盛りしている人はいません。非常に地味ぃに咲いているので、そもそも、何人の人が「桜」と認識できているか、ナゾですが(笑)

    ここ数日は、明日と来週月曜のヒアリングに備えてIndependent Study関連の勉強に没入中。いちおう、最終稿の骨格は固まってきたかなと。来週月曜のヒアリングが終わったら、ちょっと他のことにも目を向けないとなぁと思う今日この頃。そろそろ帰国準備も始めないとですしね。
    Maxwell School, Syracuse, Apr 8, 10:10

    General Exceptions (GATT 1947 Article XX)

    GATT 1947 第20条の規定する“General Exceptions”に関するAppellate Bodyの見解(@India etc vs US: ‘shrimp-turtle’)。Int'l Trade Lawの教科書から引用(斜体原文)。
    It appears to us (= Appellate Body), however, that conditioning access to a Member's domestic market on whether exporting Members comply with, or adopt, a policy or policies unilaterally prescribed by the importing Member may, to some degree, be a common aspect of measures falling within the scope of one or another of the exceptions (a) to (j) of Article XX. Paragraphs (a) to (j) comprise measures that are recognized as exceptions to substantive obligations established in such measures have been recognized as important and legitimate in character. It is not necessary to assume that requiring from exporting countries compliance with, or adoption of, certain policies (although covered in principle by one or another of the exceptions) prescribed by the importing country, renders a measure a priori incapable of justification under Article XX. such an interpretation renders most, if not all, of the specific exceptions of Article XX inutile, a result abhorrent to the principles of interpretation we are bound to apply.
    要するに、「第20条(a)~(j)の各項に規定する例外事項のいずれかに該当している限り、ある国が、他のWTO加盟国からの輸入品に対して、一方的(unilateral)な措置(measure)を課したとしても、そのことを以て自動的に、WTO協定違反とはならない(だって、そうなってたんじゃ、第20条を置いてる意味ないじゃん)」ということかと。

    ちなみに、環境規制に関係してくるのは、(g)項。以下、chapeauと(g)項の原文を。
    Article XX: General Exceptions
    Subject to the requirement that such measures are not applied in a manner which would constitute a means of arbitrary or unjustifiable discrimination between countries where the same conditions prevail, or a disguised restriction on international trade, nothing in this Agreement shall be construed to prevent the adoption or enforcement by any contracting party of measures:
    (g) relating to the conservation of exhaustible natural resources if such measures are made effective in conjunction with restrictions on domestic production or consumption;
    Maxwell School, Syracuse, Apr 8, 11:42

    Monday, April 5, 2010

    joyful note

    直近のエントリでも書いたとおり、昨晩は、結局、答えを出せないまま、重ーい気分でベッドに入ったのだが、寝ている間に、三人の方からコメントをいただき、朝一にそれを読んで、またちょっと頑張ってみようという気分になる。持つべきものは友かな、と。三人の方々、ありがとうございます。のちほど、コメント方には、別途、御返信させていただきます。

    今朝は、もう一つうれしい知らせが。職場の後輩の今年の夏からの留学先が、お隣のCornellに決まったとの由(両校の位置関係)。upstateの魅力(と冬の悲惨さ!?)を共有できる相手が、身近に一人増えると思うと、無性にうれしくなってくる。予定的には、週末一つ分くらいは滞在期間がかぶりそうなので、上手く行けば、諸々、引き継ぎ(?)めいたこともできるかと。
    Maxwell School, Syracuse, Apr 5, 10:49

    elusive quest?

    Independent Study。一通り、日本語・英語交じりで荒々書いてみたのだが、なんとも面白くない論文になりそうな予感。構成の仕方に“originality”があるとは言ってはみたものの、パーツパーツはどこかで既に書かれてあることの寄せ集め。単位を取れるかどうかということより、あと一カ月、僕自身がこの面白みのない論文に付き合ってられるか、というところで疑問を感じ始めてしまった。もう少しひねりを加えられないかと考え始めてはみたものの、既に数時間経過。まったく答えらしい答えが見えてこず…。

    「面白い」議論をするには、まだまだこの世界のことを知らなさすぎなんだろう。書かれてある主張の一つ一つは理解できても、その間を埋める空間がどうなっているのかを把握できていない。結果、自分なりに、この分野を斬るということができない。誰かが既に通った道しか通れない。。。

    出口が見えず、ちょっとまいり気味。。
    Maxwell School, Syracuse, Apr 5, 25:54

    Sunday, April 4, 2010

    Clean Water Act for regulating CO2?

    Clean Water Act(CWA)でCO2を規制してはどうか、という話があるらしい。元ネタはこれ:“EPA may try to use Clean Water Act to regulate carbon dioxide”@McClatchy Posted on April 4.

    記事によると、米EPAは、現在、“the effects of ocean acidification as it relates to the Section 303(d) program”に関するパブリックコメントを行っているとの由。

    EPAの解説によると、CWAのSection 303(d) programというのは、
    1. “the Impaired Waters”(汚染水域)のリストを作成する。
    2. リストに掲載された水域ごとにTotal Maximum Daily Load (TMDL)(総負荷許容量)を設定する。
    3. TDMLに基づき、各point sources(工場・事業場等)及びnonpoint sources(住宅地、農地等、それ以外の汚染源。非人為的なものも含む)にpollutant loadを割り振る。
    4. point sourcesに対しては、bindingな総量排出規制が適用される。
    といった構造だそうだ。大気中のCO2濃度が上がることにより海水の酸性度が増してしまう、という問題自体は理解できるが、このスキームでCO2を規制しようというのには、かなり無理があるのではないか。

    普通に考えれば、汚染と汚染源との因果関係が、ある程度特定可能である場合に適用可能な制度であると言えよう。この前提は、“CO2起因の海水酸性度の増加”という「汚染」には、当然ながら当てはまらない。オレゴン沖合を“Impaired Water”に指定したからと言って、Oregon州(あるいはその周辺)のpoint sourcesに対してのみCO2の排出規制を課すというのでは、とてもじゃないが、納得は得られないだろう。

    EPAのパブコメ告知を見ると、それほど具体的なステップにまで話が進んでいるというわけではなく、「もし仮に、CWA Section 303(d)を海洋酸性化に適用するとしたら、どういった点に気をつけるべきですかね?」という段階のよう。ともあれ、パブコメの結果を踏まえて今年11月15日までに発表されるというmemorandumにはやや注目か。
    Maxwell School, Syracuse, Apr 4, 17:00

    Saturday, April 3, 2010

    Maple Farm Tour

    初夏の陽気に誘われて、Syracuse郊外のMaple Syrup農園に行ってきました。

    Maple Syrup農園なんかにやって来たのは、言うまでもなく、これが生まれて初めて。樹皮を傷つけて、そこから出てくる樹液を地道にちょろちょろ回収してるのかと思ったら、意外に合理的な(というか「強引な」?)方法で、ちゅーちゅーと吸い取られていました。(→ チューブを差し込んで樹液を吸い取っている様子)
    農園内には、近代的な“樹液パイプライン”が張り巡らされています。
    案内してくれたおじさんの話によると、mapleさんたちは、チューブで吸い取られた液体の分だけ、根っこから新しい水を吸収するので、樹液を吸い取られたからといって、ダメージを受けるわけではないし、むしろ、新陳代謝が良くなって健康に良いくらいなんだそうです。ほんまか?とも思いましたが、おじさん的にも、mapleに枯れられては困るでしょうから、たぶん、ほんとなんでしょう。「デトックス」の先駆けと言えるかもしれません。(それこそ、ほんまか?)

    集められた樹液は、この窯で煮られて、syrupになります。下の写真は、syrup職人のおじさんから製造工程のレクチャーを受けているところ。詳しい話は聞き取れませんでしたが(いつもながら恐縮です…)、要するに、「maple syrupってなものは、寒い季節に作らないと、良い味なんて出せないんだよ。こう暖っかくなってしまっちゃぁ、俺たちの仕事はもうお手上げだね」といった感じのよう。例年より、かなり早くに春(というか夏?)が来てしまったせいで、今年の工場稼働時期は、極端に短かったそうです。


    (syrupのサンプラー。煮詰める度合いに応じて、味や用途が違ってくるんだとか。一番黒っぽいsyrupは、たばこのフレーバー用だそうです。)

    おじさん曰く、maple syrupの産地は、世界でも、米加国境を挟んだこの一帯だけ。とは言え、普通であれば、「Maineが不作なら、NYは豊作」みたいに、ある程度、採れ高にばらつきがあるらしいのですが、今年の春の異常な暖かさは、MaineからOntarioまで、maple産地全体に広がっており、今後、世界のmaple syrup市況が値上がりするのは必至だろうとの由。maple syrup投資でひと儲けしようという人は、今が買い時かも知れません。
      
    おじさんの説明を受けた後は、レストランでブランチ(もちろん、maple syrup添えのパンケーキ!!)をいただき、芝生の上でごろごろ。maple農家の皆さんに、少し後ろめたい気分を感じつつも、例年よりも早く訪れた春の陽気を満喫させていただいた一日でした。
    Maxwell,School, Syracuse, Apr 3, 17:58

    EU emissions plunge

    このエントリでも紹介した、ロンドンに本拠を置くNGO“sandbag”が、昨日発表された、EU Emission Trading Scheme(EU-ETS)の最新取引状況について、分析記事をupしている。彼らの意見にすんなり同意できるわけではないが、cap-ant-tradeという制度について、political economy的な側面も含め、practicalに改めて議論し直す際の出発点としては参考になるかと。

    以下、彼らの記事の中から、事実関係に当たる部分と、彼らの主張に当たる部分を、何点かピックアップ。(下線はblog筆者)

    ■事実関係■
    New data released today reveals greenhouse gas emissions across the EU are in steep decline. Emissions covered by the EU Emissions Trading Scheme between 2008 and 2009 dropped by 11%, following on from a cut of 6% the year before.
    Power generators saw their emissions fall by 119 tonnes (8%) last year but that still left them 124 tonnes short of permits. On the other hand heavy industry including steel and cement saw a fall of 96 million tonnes (18%) leaving them with 185 million tonnes of permits spare or 30% more than they needed.
    At the moment, under the EU’s target of a 20% cut in emissions by 2020 this would mean a reduction in the cap of 1.74% a year. Today’s figures revealed that we are already half way to achieving that reduction level with a decade still to go.
    ■sandbagの主張■
    unless caps are tightened there will be no overall reduction in pollution levels. Permits issued under the EU trading scheme can be banked forward indefinitely meaning they will sooner or later be used to pollute.
    If they (=heavy industry) were to sell them at today’s prices this would raise €2.4 bn with most of this money would coming from consumers of electricity.
    Given the cuts achieved to date, which can be banked, and the levels of reductions rich countries like the EU are now expected to deliver, it would seem tighter targets are the only sensible way forward.
    いろいろと問題は叫ばれているものの、個人的には、cap-and-tradeを諦めるにはまだ早い(というか、それにまともに対抗出来うる手段がない)という気がしているのだが、殊、EU-ETSという具体的実施事例に関して言えば――目標値が緩すぎるかどうかは別にしても――、放置しづらい問題が、いくつか生じてきていると言えよう。そういった不具合がcurableなものなのかどうか、また、そうであれば、どういった対策で以て治癒できるのか、しっかり検証しておく必要があるなと思う。

    このニュースに触れ、先学期、米国のcap-and-trade法案(←瀕死)についてのエントリを書いたことを思い出し、読み直してみた。やや書生的な匂いがしないではないが、この法案、非常によく書けているなと改めて感じる。残念ながら、この国で、この法案が日の目を見る可能性は、あまり高くはなさそうだが…。
    my room, Syracuse, Apr 2, 26:43

    Friday, April 2, 2010

    Spring has come (may have gone, already)

    天気良すぎ(笑) 春を一気に通り越して、早くも初夏の様相を呈している。

    つい半月前まで雪で覆われていたキャンパス内の芝生の上には、学生たちが一斉に散らばり、夏休みのビーチを思わせる混雑ぶり。思い思いのスタイルで春の日差しを満喫しながら、「部屋の中にいたら負け」みたいな空気を撒き散らしている。

    そんな空気に当たったせいか、今日はなかなかやる気が起きない。そこらへんで、本でも読みながら、ボケーっと日向ぼっこしていたい気分。そう考えると、これまでの数か月間のSyracuseの環境が、勉強に集中するのに、如何に「恵まれた」環境だったかということがよくわかる(笑)

    論文にもなかな身が入らないので、Dunkin Donutsにコーヒーを買いに行きがてら、のんびり、写真を撮って帰ってきました。




    Maxwell School, Syracuse, Apr 2, 16:30

    "Drill, Baby, Drill!"

    2008年の大統領選の時に盛り上がった、offshore石油掘削の話が、再び盛り上がっている。

    効果があるだのないだの、毀誉褒貶の激しい(という言い方は日本語として変?)この政策(案)だが、効果のあるなし、メリット(デメリット)の大小を論じる際の評価軸は、(真面目に政策論として議論するならば、)大雑把に言って、だいたいこんなところではないかと思う。
    • エネルギー自給率の改善
    • エネルギー価格の低下
    • 雇用創出
    • 企業・政府の収入増
    • 気候変動への影響(+ or -)
    • 海洋環境への悪影響
    CFRのwebサイトに出ていた3月31日付の記事“What New Offshore Drilling Will Yield”によると、
    • エネルギー価格の低下 … 消費者が認知できるほどの変化は起こらない  
    • 企業・政府の収入増 … significant。netで$900 billionとの試算あり。 
    • 気候変動への影響(+ or -)… 他産油国の反応次第でプラスにもマイナスにも。 
    という感じになるらしい。他の項目については、特段、触れられていないが、価格がほとんど下がらないということは、供給量の増分は、おそらくたかが知れているはずで、となると、エネルギー自給率に与えるインパクトも限られているのだろう。雇用と海洋環境への影響は、この記事からだけでは何とも分からない。

    記事は、そういった真面目な政策議論よりむしろ、大統領選以来、Obamaがずっと、その効果に疑問を呈し続けてきたoffshore drillingに“go sign”を出すことで、エネルギー・気候法案の審議を本格化さるという、政治的意味合いの方が強いのではないか、との分析で閉じられている。
    my home, Syracuse, Apr 1, 26:18

    Thursday, April 1, 2010

    Obama’s new fuel-economy rules

    こちらはおそらくApril Foolではないと思うのだが、米連邦政府による自動車の新排出規制が、本日、発出されたとの由。NYTなどが報じている。

    Gristに、新規制の概要が出ていたので、転記しておく。
    The bottom line: New automobiles will have to get better gas mileage
    The numbers:
    • Current standards: 27.5 miles per gallon for cars and 24 mpg for light trucks 
    • Starting in 2012, fuel efficiency will rise more than 5 percent each year 
    • New standards for 2016: 39 mpg for cars and 30 mpg for light trucks -- an overall average of about 35.5 mpg
    The environmental benefits: 
    • Will save 1.8 billion barrels of oil over the life of the program
    • Will prevent 900 million metric tons of greenhouse-gas emissions
    • Will be like taking 177 million of today's cars off the road, or shutting down 194 coal-fired power plants
    Fans of the plan:
    • The major automakers, because they now have certainty and one clear set of regulations to follow 
    • The major environmental groups, because the federal government is actually doing something to reduce greenhouse-gas emissions
    • California and 13 other states, because they have long wanted tougher auto emissions standards
    日本とは異なり、アメリカの自動車燃費規制は、メーカーごとに、売ったクルマの平均値で判定されるシステム。先述のNYT記事によると、Nissan Leafのような電気自動車は、申告できる台数(つまり、平均値を出すときの分母の数)にリミットはあるものの、「排出ゼロ」としてカウントされる(will be classed as zero-emissions vehicles, although there is a cap on the number of all-electric vehicles that carmakers can claim credit for.)らしい。

    となると、自動車メーカーにしてみれば、電気自動車の販売台数を伸ばそうというインセンティブは、日本でよりもアメリカでの方が、この先、強く働くことになるのだろうか。そもそも、電気自動車に対する関心は、日本より、アメリカの方が強く持っている気がするけれど。
    Maxwell School, Syracuse, Apr 1, 17:04

    FlickrPad

    April Foolである。

    毎年、密かに(というわけでもないが)、GoogleのApril Foolネタを楽しみにしている。僕が一番好きだったのは、2008年の“Virgle”だが、今年も、ひねりの利いたネタを提供してくれているようで。Lilacさんの解説記事を興味深く読ませていただいた。アメリカの高速インターネットサービス事業の抱える問題は、transmissionの敷設に関する問題とも、大いに通じるものがある(と思う)。transmissionの方が、越えなければいけないハードルは、何倍か大きいような気がするが。

    Googleの影に(「Yahoo!の影に」と言うべきか)隠れて目立たないが、僕のお気に入り、Flickrさんも、blogでApril Foolネタを発表している。「AppleのiPadに対抗するFlickrPadを独自開発しました」というネタ。まぁ、見てやってください(リンク)。アホです。どアホです。大したひねりもなくて、早い話がグダグダです(笑)  
    Maxwell School, Syracuse, Apr 1, 16:35