Sunday, November 1, 2009

Living-in – Business Insight #2 –

前回のエントリーでは、実際の世の中は、必然だけで構成されているわけではなく、偶有性――必然ではなく不可能ではないという様相――に満ち溢れている、という筆者の世界観を紹介した。偶有性の支配する世界にあっては、「絶対の真理があるわけでなく、必然の論理でもって戦略を組むことが難しい」(p.236)ため、「経営者は跳ばなければならない」、すなわち、インサイトが必要、ということになるわけであるが、では、そのインサイトを得る確率を高めるためには、我々はどういう努力をすればいいのか。今日のエントリーでは、この点を巡る本著の議論を紹介したい。

著者は、ポランニーの術語である「対象に内在する=棲み込む」(p.111)という表現を援用しつつ、「インサイトに至る過程には対象に棲み込むという機制が働いている」(p.122)と主張する。

この「棲み込む」という行為について、著者曰く、

ポランニーが言う「対象に棲み込む」とは、結局、ある対象があったとして、あらかじめ何か既存の視点でもって理解しようとするのではなく、その対象との距離を縮め、そのあらゆる可能性を既存の視点に影響されることなく把握してしまおうとするプロセスである。(p.119)
との由。また、
この棲み込み方法は、… 論理実証主義のそれとは対極にある… 。論理実証主義の世界では、研究者は対象とはできるかぎり距離を置くということが肝心要の方法である。研究者は、いわば当事者とは距離をもつ第三者(あるいは神様)の立場に立って、対象の配置や動きや関連を眺めて、その規則性を発見していく。(p.121)
とも述べている。

「対象に棲み込む」という表現は、正直、簡単には理解しづらいのだが、具体的にどういった行為を指しているのか。これについては、本著p.111~p.117で、(1)人に棲み込むパターン、(2)知識に棲み込むパターン、(3)事物に棲み込むパターンの具体的説明がそれぞれ示されている。「棲み込む」の意味をきちんと理解しようと思ったら、本著の該当部分を読むしかないと思うのだが、たとえば、「知識に棲み込む」ということについて言えば、ある論文を読んで理解しようとするときに、「その著者に代わってその論文を書くことができるところまで理解しただけでなく、その理解が著者の理解なのか自分の理解なのか、わからなくな」るところにまで至ることが、「棲み込む」という行為なのだという。

なぜ、この「棲み込む」という行為が「インサイト」を得る上で重要なのか。この点については、実は本著の中で、あまり明示的に示されていないように思うのだが、全体の構成から察するに、こういうことなのではないかと思う。

つまり、商売というのは、「他者」(顧客、市場、技術、資源etc.)を実証主義的に分析することによって、必然的に正しい答えに行きつけるようなものではなく、「他者」との関わり(コミュニケーション)の中で現実が生成するものである(p.236)。この偶有世界に対処するためには、「働きかける側と対象に切り分けるのではなく、両者を、相互に依存し、影響しあう一つのシステムとして認識しようとする姿勢」(p.238)が重要であり、それこそが、「他者=対象に棲み込む」ということに他ならない――と。

とまぁ、本著のエッセンスをこの短いエントリーに納めようと思うと、何とも難解な文章になってしまうのだが(ちなみに、言い訳だが、もとの著作自体も決して簡明な本ではない)、本著を丁寧に読んでいくと、非常に大事なことが書かれている一冊であるように思われる。なぜ大事かといえば、この本に書かれている内容は、単なる一つのknowledgeではなく、物事と向き合い対処していくためのアプローチの在り方そのものに関する提言だからである。つまり、この本の言わんとしているところを習得し、実践すれば、(やや極端にいえば)あらゆる知的活動の質を高めることができるように思うのだ。それは、たとえ「経営者」ではない、僕らのような他の職業の人間であっても、同様に。

本旨からは、やや離れたところに位置付けられている第4章及び第5章も、それぞれ、ケース学習の本質、論文を書く上でのポイントに関する著者なりの考えが示されていて示唆に富む。

また、「やりすぎ」とか「時間の無駄」とかさんざんに言われながら(笑)、ほぼ毎日blogを書いている身にとっては、「あとがき」中の以下の一節が、非常に身に沁みた。しかし、冗談ではなく、ここで言われていることについては、深く納得申し上げるところである。

知が、一人の頭の中に収まっているというのは仮象でしかない。コンピュータからファイルを取り出すように、自分の頭の中にあった知の塊を取り出す場面がないとは言わないが限られている。知は、会話するという形であれ、書くという形であれ、人に語りかけるプロセスの中において、その場その場で新たに紡ぎ出される。(中略) もう少し言うと、新しい知は、いつも私たちの頭の上、宙を漂っているような気がしている。そして、仲間と議論する中で、宙を漂う知が、あるとき、誰かに降臨し、さらにうまくいけばお互いの承認の中でコンセプトやモデルの形に構成され、そして一つの知として表現される。知は、関係あるいはプロセスの中で創造される。
my room, Washington DC, Nov 1, 22:57

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