Sunday, March 24, 2013

生物多様性はなぜ必要か?

生物多様性はなぜ必要か?——我々、環境問題に携わる者にとって、この問いは、非常に基本的でありながら、なかなかストレートに答えられない問いでもある。

これについて、江崎保男は、その著書『自然を捉えなおす —競争とつながりの生態学—』の中で、次のように述べている。
とある研究会の席上のことでした。私たち鳥類を研究材料とする生態学者の大先輩である橘川次郎氏がこうおっしゃったのです。「受け入れるしかないのですよ。」このとき、はっとしました。そして「生物多様性は掟なのだ!」と思ったのです。(中略)生物多様性もあたりまえのように目の前にある進化の産物なのであり、人がこれまで生きつづけてこられた基盤であって、決して犯してはならない「掟」なのです。
なるほど…。無理筋の理屈をこねくり回すより、ある意味、「掟ですけど何か?」と言われた方が、説得力あるかもしれない。

Tuesday, March 19, 2013

里山学のすすめ

龍谷大学の宮浦富保先生にもらってきた『里山学のすすめ』(2007 丸山徳次・宮浦富保 編)なる書籍の序説で、丸山先生が「里山」という語について論じておられる。少しメモしておこうと思う。

「この語はすでに江戸時代に用いられてい」たが、1960年代、「高度経済成長を通して、農用林が、農業との関係を失い、薪炭から石油やガスへとエネルギーが大きく転換されることによって放置され、都市化の波に押されて宅地造成やゴルフ場建設によって破壊されてゆく」中で、森林生態学者 四手井綱英によって再発見された(四手井氏本人は自身の造語であると主張)。

しかし、「里山の研究となると、ようやく1980年代になって本格化」。守山弘、田端英雄、両名の功績が大。田端は、「貴重種をもち出しての運動では限界があり、貴重種が生息する自然の全体を保護する論理がどうしても必要になった。それが里山研究の始まりでもあった」と回顧している。1987年には、行政用語としても、初めて「里山」が登場(第4次全国総合開発計画)。1994年に策定された環境基本計画においては、「山地自然地域、平地自然地域、沿岸海域と並んで「里地自然地域」という用語が用いられ」た。

丸山先生曰く、里山とは「人の生活の場としての里と、生活にとってなくてはならないヤマとが組み合わさった地域生態系であり、人の暮らしがそこにおいて成り立っていたひとつの生活空間」。また、「里山とは「文化としての自然」であって、たんに自然科学のみの研究によって明らかになるものではない」とも。

Sunday, March 17, 2013

吉崎御坊

昨日は吉崎御坊へ。なかなかに曰く多き土地。

元はと言えば、浄土真宗中興の祖 蓮如上人が、北陸布教の拠点として15世紀に立ち上げた坊舎。一向一揆の根拠地となり、朝倉氏の返り討ちにあって攻め滅ぼされるも、18世紀、蓮如時代の寺山の麓に御坊を再興。ところが、この時代、本願寺は、既に西と東に分裂。両宗派が別々に建立する形となり、東御坊と西御坊は、旧御坊跡地(寺山の山頂部分)の帰属を巡って対立。結果、幕府の捌きにより、その部分だけ天領となる—というような一件も(今は、両派共有の地)。

その名残か、旧境内(寺山の頂上)に繋がる階段道は、東・西両別院の壁に囲まれた、なんとも歪な回廊。明治初期には、更にいろいろ顛末があったようで、お東さんの敷地の中には、「願慶寺」なる末寺と、東本願寺の別院が、別々に立地。敷地外には、近年の「お東騒動」の対立派閥が立ち上げた、蓮如上人の記念館まである。

兎にも角にも、ややこしく、それ故に、奥深い土地のようである。

Saturday, March 16, 2013

CPAC

全米保守派の年次総会“CPAC”(Conservative Political Action Conference)が開催中。今年の主要議題は「移民政策」。具体的には、現在、上院で審議されている移民制度の改正案に、乗るか反るか。この改正案が通れば、1100万人いると言われる不法移民(illegal immigrants)に一時就労ビザが与えられ、とりあえず「不法」状態ではなくなる。

なぜ保守派がそんなことを言い出したのかと言えば、ヒスパニック系の人口割合がいや増す中、従来通り、移民に厳しいスタンスを取り続けていては、この先、選挙に勝てなくなるという危機感から。

保守派内でまだまだ意見は割れているようであるが、そもそも、こうしたことが主要議論になるということ自体、米社会の中で、ヒスパニックの影響力が増しているということ。

Wednesday, March 13, 2013

black smoke

バチカンで、ベネディクト16世の後任を選ぶ教皇選挙(Conclave)始まる。115人の枢機卿たちの互選により、誰かが3分の2超の得票を得るまで、連日、投票を繰り返す。

しきたりにより、新教皇が決まったときには白い煙を、まだ決まらないときには、黒い煙を、それぞれ、システィーナ礼拝堂の煙突から出して、外部に知らせることになっている。前々回(1978年)のConclaveでは、白とも黒ともつかぬ灰色の煙が出て、混乱を招いたこともあったんだとか。それ以降、煙に黒い色をつけるため、特殊な薬品が使われている(wikipedia)。バチカンのしきたりも、今や、「ただただ昔ながらの作法を墨守します」では、世間様に許してもらえない。

Conlave初日の煙は、大方の予想通り「黒」。報道によると、今回の選挙は「本命不在」とのことで、白い煙が出てくるまでには、もう数日かかりそう。