Tuesday, December 29, 2009

Strolling City of Chicago -winter break #2-

昨日今日のChicago滞在記を手短に。

■ Museum of Contemporary Art
今回はほとんど事前の下調べを出来てなかった上に、引っ越しのドタバタで、虎の子の『地球の○き方-全米編-』を紛失。というわけでホテルに着くなり、ミニコミ誌を必死にめくるはめに。ホテルから近かったのと、「館内のレストランが秀逸」との文字に惹かれ、まずはMCAを訪れる。ご飯は確かにおいしかったが、ランチビュッフェ$38(税抜き)はボリ過ぎ。何?肝心の作品の話をしとらんではないかと?? んー。現代アートですからね…。ようわからんかったです、はい。(ほななんで行ったんやという話、これあり。)


■ Willis Tower, "Sky Deck"
blue-ink先生からは、ジョンハンコックセンターの方を勧められていたのだが、先生の言い付けを守らず、Willis Tower(旧称"Sears Tower")の方に向かう。というのも、雪雲が低ーく垂れこめていて、湖の視界はまったく期待できそうになかったから。どうせあんまり見えないんだったら、有名な方に上りましょうというミーハー根性で、かつて、高さ世界一の座を極めたビルの最上階に上る。不順な天候のせいで、目の覚めるような夜景、というわけにはいかなかったが、それでもやっぱりChicagoの夜景はキレイ。均整のとれたgrid模様は、まさにこの街の性格を表しているかのよう。


■ The Loop
Chicagoの中心地区は'L'と呼ばれる近郊電車の高架路線で囲まれている。東京の山手線や大阪の環状線と似ていると言えば似ているのだが、ChicagoのLoopの方が圧倒的に小さい。駅は全部で9つだが、駅間は、どこも2~3ブロックなのであっという間。Loop専用の電車はなく、各路線がLoopに乗り入れては出ていくシステム。このLoop、面白いのは路線が文字通り長方形の形をしていること。なので、その四隅では、完全に直角に曲がる。この乗り心地はなかなか衝撃的。遊園地の乗り物的ですらある。下の写真は、Willis Tower最寄りのQuincy駅。


■ Andy's Jazz Club
Willis Towerで夜景を見た後は、ホテルの部屋に戻って、Chicago Blackhawksの試合をテレビ観戦。そんなことChicagoまで来て敢えてやらんでもと言われそうだが、アイスホッケー自体もさることながら、あまりに寒過くて休憩が必要だったから。Blackhawksの勝利を見届けたところで(別にこのチームのファンでもないんですけど…)、ミニコミ誌のNightlifeコーナーの上の方に載っていた、有名そうなJazz Clubへ向かう。

バンドは、ピアノ、テナー、ベース、ドラムスという構成。メロディアスでわかりやすい、乗りやすい感じの曲目を中心にやってくれていた。どうでもいいが、こういう場では、自分のアルコール許容量の小ささが本当に嫌になる。楽しい音楽を聴きながら、気の利いたお酒の一杯や二杯もいただければ、こんなに幸せなことはないだろうと、頭では容易に想像がつくのだが、体がそれを許さず。結局、Bud Lightをグラスに半分だけ呑んだところで、僕の中の緊急停止ボタン発動。哀しいかな、これが現実。


■ Museam of Science and Technology
アルコール類もさることながら、絵画をめでるという感性も、ほとんど完全にと言っていいほど欠落している僕。二日目は、都心にあるArt Instituteをあっさりパスし、敢えて、郊外にある科学工学博物館の方に向かう。都心からは郊外電車で20分ほど。

昨日から、Chicago市内はすっかり人も少なかったので、ここもガラ空きだろうと思って行ってみたら、予想外の激混み。どちら様も、クリスマス前後、ずっと家にいて親戚のおじさん・おばさんの相手ばかりさせられていた子供たちを久々に外に連れていってやろうという魂胆のようで(←特に根拠なし)。入場券を買うだけで30分も並ばされる。いざ、館内に入ってみると、思っていた以上にお子様対象な感じ。ちょっと失敗したかなぁ…と思っていたら、建物の端っこに置かれているNavyコーナーに度肝を抜かれる。おいおい、どんだけ金かけてんすかという充実ぶり。海軍からも相当おカネが突っ込まれてるんじゃないですかね。Navyコーナーからそのまま地下に降りると、どどーん、旧独軍潜水艦のご登場!!

第二次大戦中、連合国側を苦しめた、かのU-boatの実物なんだそうな。なんでも、大戦中にアフリカ沖で戦闘の末に拿捕した船を、そのまま展示してあるらしい。まぁ、ナポレオンがエジプトからかっぱらってきた遺跡をルーブルに展示するのと発想は同じっちゃぁ同じなのかも知れない。若干(??)、こっちの方が嵩張るけど。当然ながら、この展示室では第二次大戦中の事件・事案etcが詳細に紹介されているので、日本人としては、いささか複雑。。

■ University of Chicago
わざわざ郊外の博物館までやってきたのには、もうひとつ理由が。それというのは、科学工学博物館と同じ駅にあるシカゴ大学のキャンパスを見学するため。この時期なので、当然、学生はほとんどいなかったが、落ち着いた雰囲気のキャンパスをそぞろにぶらつかせていただいた。広大なキャンパスには、蔦の絡まる歴史的な建物が並ぶ。その様子は、さながら、英国の古い大学のよう(行ったことないけど)。bookstoreに立ち寄ると、わかりやすくも、“Super-Freaconomics”が平積みで売られていた(笑)


■ 総括
去年、この街を訪れたある知人は、この街のことを銀座に喩えていたが、行ってみて、その気持ちがよくわかった。僕なりに、少し言葉を足させていただくと、東京の「大人」な部分―銀座、表参道、日本橋、etc.―を寄せ集め、それらを丸ごと一回りか二回り、アップグレードしたような感じ。とにかく街全体が洗練されている。NYCや新宿のような(良くも悪くも)猥雑な感じはまるでない。仕事を持った大人が、自分の仕事を大切にしつつ、同時に日々の生活も楽しむのにもってこいな街といった印象。住めば住むほど愛着がわいてきそうな街であるような気もした。もちろん、零下10℃に達しようかという寒さに耐えられることが前提条件だが(笑)

この季節、マンハッタンを歩けば、きっと日本人観光客がわんさといるんだろうが、シカゴでは二日間の滞在中、日本人らしき人をほとんど見かけず。まぁ確かに、こんな極寒の季節に敢えてシカゴに行こうなんてモノ好きは、そうそう多くないに違いない。ただ、そんな中でも、中国人の若者たちは普通に見かけるからスゴイ。本国からの旅行者か、はたまたアメリカ留学中の子たちなのかはわからないが、いずれにせよ、さすがと言わせてもらうほかない。ガーナからシカゴまで、どこに行っても彼らのプレゼンスからは逃れられない。

というわけで、駆け足でしたが、二日間のシカゴ滞在記でした。最後にシカゴの風景写真をいくつか。

San Francisco, Dec 28, 28:29PST

Considering previous exploits

San Franciscoに到着。暖かいくらいなのかと思っていたら、案外肌寒い。ただ今の気温、7℃。ちなみにChicagoの今の気温は-9℃らしいので、それに比べればだいぶマシ(笑)

Chicagoからの移動中、昔、自分が参加していた、とある勉強会の資料を読み直していた。一言で言えば、うちの組織の過去の業績を、諸先輩方の「語り」を通して振り返ってみるという趣旨の勉強会。実際に活動していたのは2~3年くらい前なのだが、改めて読み直してみると、当時は気付けなかった新たな発見もあって、非常に面白い。何かを体系的に勉強するなら本を読むのが一番だが、ある事柄について深く知りたいときには、とにかくその道のプロに話を聞きに行くのが一番の近道だなと改めて実感する(ただし、事前の準備はmust)。

当時とは少し違った感じ方をしている自分がいることにも気づく。環境問題というissueを、より相対的に見るようになった気がする。当時から、その気があったことは自覚していたが、当時と比べても、自分の中の「引っ掛かり」のようなものが薄れたのを感じる。迷いなく、「相対的なスタンス」をとれるようになったというか。それって、東京に戻った時にどうなんだろう…という気がしないでもないが、とりあえず今は、より大局的な見方が身に着いたということで素直に喜んでおこう。

先輩方の言葉の中には、今尚まったく色褪せることなく、そのまま実戦に使えるものもたくさんあるが、同時に、環境問題・環境行政が、ここ十年、十五年で、新たなフェイズに入ったんだということを印象づける言葉も見られる。その新しいフェイズの下、うちの組織はどういう仕事をしていけばいいのか。まだ十分なコンセンサスがあるわけではないし、僕自身も定見を持てているわけではない。ただ、少なくとも、組織として、これまでとは違った仕事の仕方も身につけていかなければならない時期に来ていることは強く感じる。そのためには、組織の「中」だけでなく、「外」にある知見からも積極的に学び取る姿勢が必要だということも。

組織の「中」にある知見を掘り起こすという意味では、当時の勉強会はそれなりに成功だったと思っているのだが、組織の「外」にある知見から如何にして上手に学ぶかは、新たな知恵の使いどころ。ad hocな交流の機会だけに止まらない、何か継続的な学びの「システム」を設けられれば理想的なのだが。
(経由地のLas Vegasの夜景。話の筋とは全く関係ないですが…)

San Francisco, Dev 28, 26:00PST

Sunday, December 27, 2009

“traditional but not religious” Christmas Party

少し時間が前後するが、DC滞在最後の夜は、とあるアメリカ人(「Rさん」としておく)宅のクリスマスパーティに参加させていただいた。

このRさんとは、一廉ならぬ御縁がある。僕がインターンをしていた機関の職員にして、逆にRさん自身も、以前、僕の出身機関で半年間働かれた経験をお持ち。当時は週末を利用して、足繁く北陸の温泉に通われたらしい。DCでは、徒歩3分のご近所さんでもあった。そこにもって来てこのRさん、「ナイスなアメリカ人」を絵に描いたような御仁。ここまで来ると、もうラッキーとしか言いようがない。幸運なめぐり合わせに大いに感謝しつつ、有難くも、お呼ばれに預かってきたのであった。

Rさんの言葉を借りれば、“traditional but not religious”なクリスマスパーティ。僕のような、クリスチャンでない日本人にとって、こんなに有難いものはない。現に、参加者のバックグラウンドは多彩で、Rさんの奥さん&お母さんの他は、ポーランド系Jewishとインド人の夫妻+双子の子供と、中国からの移民二世と南米からの移民二世の夫妻+その赤ちゃん。そこにもってきて僕というメンバーだから、まぁ普通に考えてもキリスト教徒は参加者全員の半分前後といったところか。

一方で、出される料理の方は、まさに“traditional”。Rさん一家お手製のクリスマス料理(パンプキンスープに始まり、ターキー、マッシュポテト、スウィートポテト、アップルパイetc.)を「もうお腹に入りません」というまでたっぷり堪能させていただいた。しかも、翌日のドライブ用にとおみやまで付けていただいて、まさにもう至れり尽くせり!!

その場で聞いた話によると、アメリカのJewish家庭には、「クリスマスに中華料理を食べに行く」という伝統があるんだとか。なんでも、ユダヤ人も中国人も、クリスマスは関係ないから、ということらしい。確かに、そのクリスマス当日の日、旧居の近くの大通り沿いのお店は例外なく全て閉まっていたが、中華料理屋さんだけは空いていた。それを見たときは少しだけ奇異に感じたのだが、その話を聞いて完全に納得。

いま僕が滞在しているシカゴについても、興味深い話を聞いた。この街は、“World biggest Polish city”なんだそうだ。つまり、ワルシャワの総人口よりも、シカゴ在住のポーランド人の方が多いということ。月並みな感想ながら、アメリカという国は、本当に奥が深いなと改めて実感。
Chicago, Dec 27, 12:04CST

Overnight Train -winter break #1-

Amtrakに丸半日揺られ、最初の目的地、Chicagoに到着。

昨日のblogにも書いたとおり、Upstate NYにほとんど雪はなかったのだが、朝起きてみると、Illinoisは一面の銀世界。というか、時折、車内に普通に寒風が吹き込んできて、夜中に何度か目が覚めた(苦笑)

毎度のことながら、Amtrakは頑ななまでに旧時代のシステムを死守している。空席管理は徹底したアナログ方式。車掌が手持ちのメモにどこが空いているかを記録しており、客は乗車時に、席の番号が書かれただけのテキトーな感じの厚紙を車掌から手渡されるという仕組み。ケータイから、「窓側」「通路側」まで指定できるどこぞの国の新幹線とは、圧倒的なまでの違いがある。

客は客で、席を適当に移ったりもするものだから、車掌に指定された席に向かうと誰かが既に座っていたなんてこともたびたび。その都度、車掌は調整に追われるので、駅ごとの停車時間がやたらと長い。一両あたりの車掌の数もやたらと多い。この国の鉄道、車輛そのものの改良もさることながら、システム面での改善しどころも満載である。

もっとも、これがアメリカの実力かというと、もちろんそんなことはなく、飛行機の予約システムなんかは、日本のそれよりむしろ洗練されている。要するに、競争に晒されているかどうかということなんだろう。この国は、良くも悪くも市場主義が社会の隅々にまで沁み渡っているので、競争のフィールドから除外されたサービスの停滞ぶりには、逆にすさまじいものがあったりする。(たとえばこんな感じで。)まぁ、確かに、それはそれで、供給側にとってみりゃ合理的な戦略なんだけどさ(苦笑)

もっとも、鉄道というのは、熱烈な固定ファンを有する、ある種、特殊な乗物なので、「むしろそんな感じの方がグッと来る」みたいなAmish的要望が根強くあったりするのかも知れない。僕自身、敢えて鉄道なんぞで移動している辺り、その気が全くないと言えばウソになる。ただ、そこまで筋金入りの「テツ」ではないので、もう少し改善していただきたい点も多々あり。とりあえず、あの寒さだけはどうにかしていただきたい(笑)

シカゴ駅到着後の様子

Chicago, Dec 27, 12:01CST

Saturday, December 26, 2009

What is Environmental Policy? #2

23日のエントリーの続き。

前回は、「環境政策とは何ぞや」という問いかけに始まって、「(広義の)環境政策の本旨は、いくつかの関連するファクターをバランスさせる(=政治的調整を図る)ことにあるのではないか」というところまで書いた。また、そこで考慮すべき重要なファクターとして、①国民経済、②外交、③技術、④(環境影響についての)科学的知見の4つを挙げた。

では、その政治的調整に至るプロセスの中で、(politicalではない)環境屋さんはどういう仕事をすればいいのか、というのが今回のお話。

「政治的調整」の前段階を担当するわけであるから、彼らの(というか「僕らの」なんだが)仕事は言ってしまえば、一種の「お膳立て」である。しかし、環境問題、とりわけ、温暖化みたいな巨大な問題になってくると、前回も触れたとおり、経済や外交といった超重要ファクターが複雑に絡み合ってくるので、「調整」とはいっても、関係者の話を聞いて直観的に落とし所を言い当てるといった名人芸のレベルははるかに超えている。となると、その政治的決断のための「お膳立て」も、単に判断材料をきれいに並べればいいというようなものではなく、各ファクター間の対立構造そのものをプログラムの中に取り込み、(理想的には)ある変数の値を決めることで、ファクター間の調整が自動的に図られるような次元までpolicy programを作り込む必要がある。そして、そこにこそ、環境屋の活躍の場あるのではないかと思うのだ。

この着想の直接のきっかけを得たのは、今学期のレポート執筆に際して調べた、Kerry-Boxer法案やWaxman-Markey法案のcap-and-trade制度から。たとえば、cap-and-tradeの中で、「emission allowanceの総量」という変数を決めることは、すなわち、①国民経済と④科学的知見の間での妥協点を決めることになる。また、その値を、中長期に亘って決めていく際には、implicitlyにではあるが、環境技術の開発見込みを織り込まなければいけない。Carbon Marketの価格安定化システムの一部として登場する、「allowance市場価格の上限額」という変数も、同様に、①国民経済と④科学的知見の妥協水準を決めるためのものである。

また、自国産業の“competitiveness”を守るためのBorder Carbon Adjustmentの仕組みには、いくつかの公式が組み込まれており、adjustment措置発動の当否が――少なくとも見かけ上は――公式のoutputで以て客観的に決まるようにデザインされている。これは、恣意性の入り込む余地を極力小さくすることで、①国民経済と②外交(我が国の対外的立場)の対立に④科学的知見からの要請が絡む、極めてタフな政治的調整を、出来る限り効率的な形で行うための工夫とも言えるのではないかと思う。

こういった形で、調整課程そのものを定型化し、policy programに組み込んでいくところ(或いは、そういったprogramを事務的にデザインするところ)に、今後の環境屋の活躍しどころがあるのではないかと、最近考え始めている。

もちろん、こんな仕事が容易にできるはずもなく、(環境影響についての科学的知見は言うに及ばず、)経済、外交、技術それぞれについての深い背景知識が、この仕事をするための必須の前提条件となる。また、そもそも、環境屋だけで全うできる仕事だとも思わない。他分野の専門家との協働が絶対的に必要だろう。

しかし、チームは組むにしても、人任せにせず、環境屋こそが、この手の本質的に「妥協」を伴う仕事に、主体的かつ主導的に取り組んでいくべきだと思う。「経済や貿易のことはわからないから」と、自らの役割を科学的知見の「知恵だし」だけに限定しようとしたり、ましてや、ネガチェックだけに血道を上げるなんてのは最悪。環境屋だけが、ひとり、「キレイ」なポジションを死守したところで、物事が前向きに進むわけではないのだから。

というのが、僕自身の仕事に関して、この秋に、僕なりに考えてみたことの、とりあえず今時点での結論。非現実的なほどに野心的な目標だが、それにしても、最終的なアウトプットの出し方まで、とりあえず何らかの道筋が一本見通せたというのは僕にとって大きな収穫。何を学び、何を考えるべきかの判断をする上で、有効な指針となってくれると思う。

留学期間も残りわずかとなってきた。このイメージを常に意識しながら、時間と労力の重点配分を徹底していきたい。
underground study room, Eggers Hall, Syracuse, Dec 26, 17:00

Back to Syracuse

朝一にDCの旧居を出て、北へ北へとひた走ること7時間。途中、メリーランドからペンシルバニアにかけ、結構な風雨に襲われ、ハンドルがとられそうにもなったが、大きなトラブルもなく、無事、Syracuseに到着。新居への荷降ろしも済ませ、ちょっと一息。

DCでは、日本人・アメリカ人問わず、みんなから「北国」だの「雪国」だのと、散々バカにされ続けてきたSyracuseだが、いざ着いてみると予想に反して暖かい。雪もほとんど残っていない。若干、肩すかしを喰らった気がしないでもないが、今日の気温だけで比べれば、誇張抜きで、DCの方がはるかに寒い。まぁ、そんなピンポイントで、勝ったの負けたの言ってても仕方ないんだけど(笑)

北上するI-81から眺めるダウンタウンのビル群は、思っていたより立派な印象。DCで暮らしてきたこの数ヶ月間、僕自身も、この町のことを聊か過少評価しすぎていたかも知れない。まぁ実際、そのビル群の足元に行けば、「ここはゴーストタウンか」というくらいに昼間から人影がまばらだったりするので、僕の「印象」もあながち間違ってなくはないのだが(苦笑)

新居の部屋は年明けからしか使えないので、さっそく今夜から旅に出ることに。21:40発の夜行列車でChicagoに向かい、そこで一泊した後、28日にSan Franciscoに飛んで、29日の朝に、成田から飛んでくる奥さんと合流予定。冬のYosemiteで2010年を迎えてきます。

荷降ろしを済ませた後、久々にMaxwellに乗り込んで、grad students専用自習室を使おうとしたのだが、扉の前まで来たときに暗証番号なるものが必要だったことを思い出す。以前は、いちいち考えなくても、指が勝手に動いていたものだが、この半年間で、すっかり忘却の彼方へ…。現役Maxwell生の方(別に現役じゃなくてもいいです)、どなたか番号、教えてくださいまし。
underground study room at Eggers Hall, Syracuse, Dec 26, 15:59

Friday, December 25, 2009

3D Tetris in tha Holy Night

聖なる夜に、一人、“立体テトリス”に勤しむ。

二日後の引っ越しに備え、家財道具の積み込み作業。DCに来た時には確かに積んで来れたはずなのだが、いざとりかかってみると、予想通りに手こずる。バックミラーの視界をなんとか確保するべく、あれやこれやと積み方を試してみる。いちおうの目途がついたので、ただいま緑茶で休憩中。

この一年半の間に4度目の引っ越しだが、これだけは何度やっても面倒くさい。そしてそのたびに、「モノなんて増やすもんじゃないな」と痛感する。半年後には、次なる引っ越しが。今度こそ、自分自身の「学習能力」に期待したい(笑)

モデムを返しにダウンタウンに出たついでに、ホワイトハウスへ。前庭は今も一面の雪化粧。土曜日以降、雪は降っていないのだが、気温が上がらないものだから、芝生の上の雪は融けずにそのまま残っている。カメラを持った観光客たちは、ホワイトハウスの珍しい雪景色に、皆一様にうれしそうにしていた。(まぁ、僕もその一員みたいなもの。)

クリスマス・イヴのホワイトハウス周辺は人影もまばら。観光客の他には、仲間内の雑談に興じる暇そうな警官だけが目立っていた。
at the lobby of my apartment, Washington DC, Dec 24, 25:00

Thursday, December 24, 2009

shoveling out

あの大雪の日以来、初めてクルマを出そうと、駐車してあるところ(DCでは市内在住者の路駐はOK)に行ってみたところ、我が愛車CR-V(満8歳)の前後に、ものすごい雪山が出来上がっているのを発見。

「・・・・・。」

見た瞬間、完全に凍りつく僕。。。

「雪山だけに凍りつく」――うまいなぁ~(あるいは、「雪だけに寒いなぁ~」)なんて言ってる場合では全くなく、そこから、Syracuseでも経験したことのないような本格的除雪作業が始まる。

こういうときの雪というのは、非常にタチが悪い。のけてものけても、サラサラと元の位置に戻ってきやがる。スノボで新雪に突入して、あがけばあがくほどドツボにはまっていくときの悪夢さながらに。。。

零度前後の気温の中、汗だくになって雪かきすること15分。どうにかこうにか道らしきものを切り拓く。それでも路面には、まだまだザクザクの雪が残っていたが、とりあえずエンジンをかけてプッシュしてみたら、無事、一発で脱出に成功。購入から一年半にして初めて、4WDのありがたみを実感した(笑)

大雪の日(=土曜日)の朝には、少しだけクルマを使ったので、その雪は、土曜日一日で降り積もったということになる。そう考えると、やっぱりスゴイ雪だったんだなぁと実感。いくらSyracuseの雪がスゴイと言っても、一日でこれほど降り積もったことはなかったんじゃないだろうか。

明日は全身筋肉痛が心配(苦笑) とは言え、あと二、三日放っておいて、あの雪山が丸ごとカチカチの氷山になっていたらと考えると、ゾッとする。
my room, Washington DC, Dec 23, 24:22

Wednesday, December 23, 2009

Winter Semester

しばらくぶりに大学(の分校)に行って、冬学期(Winter Semester)の資料を刷ってきた。ついでに、分校のスタッフの人たちにもお別れの挨拶。

冬学期は、1月4日からの二週間(月-金)、全10コマの短期集中型。僕がとるのはPublic Administration & Lawというクラスで、ロースクールの先生(この人)が教える。キャリアの大半を連邦政府で過ごして来られた方で、御専門は、international criminal lawやnational security lawなど。

打ちだしてみて、その分量の多さに若干焦る。まぁ、今学期の2コースが特殊だっただけで、通常の学期の授業では、このくらいのreading assignmentが普通に出ていた気がしないでもないが、如何せん、僕にとっては8カ月ぶりの「通常の学期」なので、その量の多さに改めて驚いてしまう(笑)

さらっと中身を見てみると、内容的には結構面白そうなのだが、論文のことも考えると、1月前半の二週間、この授業だけにかかりきりになるのは正直避けたいところ。というわけで、あらかじめ時間を限って、その範囲でやれるだけやる作戦に出ようかと考え中。幸い、授業は午後だけなので、夜のうちに翌日の予習を終えてしまえば、午前中は論文の準備に充てられる。

ここで問題になってくるのは、blogをいつ書くかということ。まぁ、結局、睡眠時間を削るんだろうな…。(←ある意味、依存症!?)
my room, Washington DC, Dec 23, 23:41

What is Environmental Policy?

環境政策とは何か――このド真ん中直球すぎる問への答えを、この半年間、僕なりに考えてきた。

昨日のエントリーにも書いたとおり、DCには、いろんな面白い人たちがいる。スゴイ人たちがいる。外交のプロと話をすれば、如何に自分が国際政治をわかっていないかということを思い知らされるし、技術のプロと話をすれば、彼らの世界が如何に奥深いものかということをまざまざと見せつけられる。そして僕の頭をよぎるのは「環境政策とはいったい何なんだろうか」というprimitive過ぎる疑問。それは、僕ら“環境屋”がしなくちゃいけない仕事とは何なんだろうか、という疑問でもある。青臭いと思われるかもしれないが、これは非常に重要な問題。まぁ少なくとも、僕にとっては、という意味でだが(笑)

環境政策というのは、それだけで成立するようなものではない。と、言い切ってしまうとやや正確性を欠くが、そういう性質を持ったsub-領域が多くを占めているのは事実だろう。温暖化対策なんてのはまさにその典型。

僕のイメージだと、そういった、“非自立型”環境政策がカバーするのは、いくつかの(政策)分野が重なり合う部分(つまりABC∩...な部分)、ということになる。ここで、AなりBなりCなりに該当してくる分野は、数え上げればそれこそきりがないわけだが(もちろん、数え方にもよる)、とりあえずポイントを押さえるという意味では、次の4つくらいを意識しておくと良いんじゃないかと思う。
  1. 国民経済政策(如何に国民全体の(経済的な意味での)welfareを高めるか。含、産業政策。)
  2. 外交政策
  3. 技術(政策)
  4. (環境影響についての)科学的知見
そもそものレゾンデートルは、何と言っても4.。「ここまでやると環境的に(ひいては人体への影響という意味で)マズいですよ」ということを、客観的な――できるだけ客観的な――科学的知見に基づいて、他分野へと発信・要請していく。これは“狭義”の意味での環境政策とも言える。
 
しかし、哀しいかな、人間様の世界は、それだけでは回ってくれない。「将来のことを考えるのも良いが、とりあえず今日明日、食っていけるのか??」という問いにも答えないといけないし(→ 1.)、一国だけではどうにも解決できないようなとき(ex. 温暖化)には、他国との協調体制の構築――それも出来るだけ、自国が割を食わないような形での――が極めて重要なファクターになってくる(→ 2.)。また、どういう径路をとるにせよ、最終的には、新技術の開発・普及が解になることが大半なので、3.の要素も非常にcriticalだと言えるだろう。

ここで最初の問に立ちかえれば、これらのファクターを如何にうまくバランスさせるか、ということこそが、環境政策(あるいは“広義”の環境政策)なんじゃないかと思っている。

言うまでもなく、「バランス=調整」なので、このプロセスは、たぶんに政治的になりがちである。個人的な意見を言わせてもらえば、むしろ、そうあるべきだと思う。こんな、本質的に「調整」を要する業務を、(political appointeeではない)役人にやらせていたのでは、「調整」のつもりが、書面上の「帳尻合わせ」で終わってしまう、なんてことにもなりかねない。ここには、積極的な政治判断が必要だ。そんなふうに思う。

ではそういった中で、非politicalなenvironmental officerが果たすべき仕事とは何なのだろうか。明確かつ包括的な答えがあるわけではないのだが、今学期の勉強の中で、一つの方向性として見えてきたものがある。次回のエントリーでその辺のところを書きたい。
my room, Washington DC, Dec 23, 9:50

Monday, December 21, 2009

Reflecting on my DC Days

今学期、DCに住んでみて何が一番楽しかったかと言うと、DC在住の日本人の皆さんと交流させてもらえたことじゃないかと思う。アメリカに来てまでこんなことを言ってると、しょうもないヤツだと思われるかもしれないが、本当にそうなんだから仕方がない(笑)

DCの日本人コミュニティは、狭いようでいて、広いような、でもやっぱり狭いなと感じる世界である。NYCに比べれば、はるかに小さいこの街のこと、住み始めた頃は日本人なんてそんなにたくさんいないだろうと思っていたのだが、しばらく経ってみると、僕がおつきあいさせていただくような若い世代(≒アラフォー以下?)に限っても、思っていたよりたくさんの人がワシントンとその周辺に住んでいることに気付き始める。で、「あ、結構広い世界なんだな」と思い始めた矢先、「実は、あの人とあの人は知り合い」とか「あの人とあの人が昨日呑んでた」なんて話ががんがん耳に入り始める。こうなるとまさに“It's a small world”。結局、なんだかんだいって、いくつかのsub-communityが、互いに重なり合い、絡まり合いながら、密接して生息している世界なんだろうなぁと思う。まぁ、僕に見えてるのは、全体像の半分~2/3くらいなんだろうけど。

この街の日本人コミュニティの変わっているところは、皆さん、何がしかの意味で、“public”に関係する仕事なり勉強なりをされているということ。日本の政府系の人間は言うに及ばず、民間企業から来られている方でも、米政府の動きをwatchするのが、ここでのメインの仕事だったり。まぁ、この街自体がそういうふうに出来ているので、当たり前と言えば当たり前なのだが。

そんなわけで、興味関心の対象やバックグラウンドが近いせいもあってか、結構な確率で、面白い人――少なくとも僕がそう感じる人――に出会えた半年間だった。

そういう面白い人たちとの会話を通して、考えてみたこともいくつかあるので、引っ越し準備に支障が出ない範囲で、またおいおい。
my room, Washington DC, Dec 21, 22:59

Finally...

ようやく、Tradeのpaperを書き終えた。とりあえずひと段落。今の家からの退去期日も迫っているし(引っ越し準備はまだまったく…)、blogに書きたいことも溜まっているので(こっちはそんなに重要なのか、という話もある。笑)、のんびりしている暇はないのだが、気分的にはかなり解放された気がする。この数週間、ずっと頭の片隅に、このpaperのことがあったので。。

昨日のエントリーでも書いたが、僕の場合、英語を書くという作業に、想像以上の時間を取られるということが、今回のpaperでよくわかった。その辺りは、慣れと訓練の問題なのだろうが、今後一、二カ月の間に熟練度を一気に上げるというのも不可能に近い話なので、今となっては、この英語能力をgivenとして、来学期の戦略を練っていくしかない。無理繰り、何でもかんでもねじ込もうとすると、物理的に破たんしかねないので、やりたいことに優先順位を付けた上で、戦略的に取捨選択していくしかないんだろう。

その戦略作りも、この冬学期の課題の一つになりそう。まずは、引っ越し荷物のパッキングから。。
my room, Washington DC, Dec 21, 20:21

still on working

Tradeのコースのfinal paper、今日中には終わらせたかったのだが、まだあと最低でも2,3時間はかかりそうなので、今日のところは断念。明日には終わらせて、いい加減、引っ越し準備にも取り掛かりたい。

11月後半頃に立てていた予定と比べると、既に一週間遅れのペース。英語でpaperを書くときの自分のスピードがよくわかったという点は、来セメでのthesis執筆に向けての一つの成果ではあるが。

ともあれ、あともう少し。それを出し終えれば、今学期も完全に終了。
my room, Washington DC, Dec 20, 26:38

Sunday, December 20, 2009

Almost Everythng is Closed

今日は、久しぶりに、完全オフ日にしてみた。人と会って、心おきなく日本語でトークし、おいしいものを食べて、一日終了。幸せな一日。

それだけ書いたら、さながら普通の平和な一日なのだが、実際のところ、今日のワシントンは、6年ぶりの大雪で、ほぼ完全にマヒ状態。ワシントン発着の飛行機は全便運休、市バス運休、博物館・動物園の類も全て休館、地下鉄の地上部分運休(地下部分も約30分に一本)...etc. ついでに「臨時休業しているスタバ」なんていうレアな物体にまでお目にかからせていただいた(笑)



車道も歩道も、結局、夜になるまで除雪されないまま。Syracuse的にはあり得ないこの状況に、「なんと貧相な除雪能力!!」と独りごちてみたりもしたのだが、よくよく考えてみたら、これだけの雪、東京でも大阪でも僕は経験したことがない。ていうか、東京も大阪も、もっともっと少ない量の雪で、ほぼ完全に止まっていた。そう考えると、Washingtonがこんな風になってしまうのもむべなることかなと納得。除雪能力の話で、Syracuseを引き合いに出しても仕方がない。餅は餅屋。(Syracuse=除雪屋??)

天気予報によると、明日は晴れ間も覗くとのことだが、最高気温はマイナス2℃…。市当局の除雪には今後も期待できそうにないので、自然に雪が融ける天気を気長に待つしかなさそうである。
my room, Washington DC, Dec 19, 26:40

Saturday, December 19, 2009

Washington's winter wallop

インターン全日程終了。

なんてお祝いムードに浸っていられたのも束の間、DCは近年まれにみる大雪に見舞われている。Washington Postによると、ここ6年で最大の降雪、12月の積雪量としては70年以上ぶりの水準なんだとか。なにも、これからSyracuseに帰ろうかという人間にこんな仕打ちをぶつけてこなくてもいいと思うのだが…。それとも、練習しとけってことか??


雪の量そのものは、Syracuseのピーク時に比べればまだまだかわいいレベルなのだが、市の除雪リソース(除雪車、融雪者、etc.)が、Syracuseのそれに比べればかなり貧相なので――というかSyracuseが充実しすぎなだけという話もある――道路のコンディションはかなりヤバめ。今のところ、市内の幹線道路でさえ、除雪はままなっていないようである。

この雪、天気予報によると、明日土曜日も、ほぼ一日降り続くらしい。
my room, Washington DC, Dec 18, 27:57

Thursday, December 17, 2009

Consideration on Border Carbon Adjustment (presentation)

下手な英語で恐縮ながら、今日のGlobal Tradeの授業で使ったプレゼン資料を転載。中身は、いま書いているpaperと同じ(ただし一部省略)。
  • House passed H.R. 2454, the American Clean Energy and Security Act (ACESA, or "Waxman-Markey" Act) in June 2009.
  • The center peace of ACESA is “Cap-and-Trade”.
    • If you want to make greenhouse gas (GHG) emissions, you have to buy allowances in gov’t-hosted auctions or carbon market.
  • Big concern over “competitiveness” and “carbon leakage”. ⇒ BCA is necessary!!
    • “Competitiveness”: the firm’s ability to maintain and/or expand market position based on its cost structure.
    • “Carbon leakage”: the transfer of emissions-intensive manufacturing to jurisdictions with lesser emissions restrictions
    • Heavy political pressure mainly from energy-intensive & trade-exposed industries: such as steel and cement.
  • Border Carbon Adjustment (BCA) in ACESA
    • “Two-phased” system
    • Phase 1: Emission Allowance Rebate Program (EARP)
      • A type of home rebates.
      • Domestic industrial sectors “shown to be vulnerable to carbon leakage” would be eligible for free allowances allocation.
      • The amount of allocated allowances is planned to be decreased gradually after 2026 until achieving null in 2034.
    • Phase 2: International Reserve Allowance Program (IRAP)
      • A type of border taxation on imports from a country which has no or only insufficient climate policy.
      • Importers of eligible sectors would be imposed on a requirement to submit emissions allowances according to their carbon intensity.
      • This program may be implemented as of 2020, if a multilateral climate agreement is not in force by 2018.
  • Legality Question on EARP
    • EARP could constitute actionable subsidies covered by Agreement on Subsidies and Countervailing Measures (SCM).
    • Even if found to be “actionable”, “adverse effects” have to be demonstrated for action to be taken by another WTO member.
  • Legality Question on IRAP
    • There are three possible explanations of its legality:
    • 1) IRAP is a border tax adjustment.
      • Article II.2 of GATT allows WTO members “imposing at any time on the importation of any product … a charge equivalent to an internal tax … in respect of an article from which the imported product has been manufactured or produced in whole or in part”
      • The key questions are:
        • i. whether the energy inputs and fossil fuel used in the production of a particular product could be considered to be “an article from which the imported product has been manufactured or produced in whole or in part”; and
        • ii. whether a tax on CO2 emissions released during the production process will be considered to be a tax applied indirectly products.
    • 2) Domestic and foreign goods are not “like” products.
      • If a domestic product and an imported product are found to be “unlike”, they don’t have to be treated in a non-discriminative way.
      • The key question is whether products may be considered “unlike” because of differences in the way in which they have been produced, even through the production method does not leave a trace in the final product.
    • 3) IRAP can be justified by Article XX on General Exemptions.
      • The key questions is whether IRAP may be thought to fall within one of, or both of, the following exceptions:
        • (b) necessary to protect human, animal or plant life or health;
        • (g) relating to the conservation of exhaustible natural resources if such measures are made effective in conjunction with restrictions on domestic production or consumption.
  • India etc versus US: ‘Shrimp-Turtle’ case
    • India, Pakistan, Malaysia, and Thailand brought action in 1996 in the WTO against an U.S. law that restricted imports of shrimp not caught in nets equipped with turtle excluder devices.
    • The four governments challenged this measure, asserting that the U.S. could not apply its laws to foreign process and production methods (PPMs).
    • The WTO Appellate Body’s findings:
      • Non-product related PPMs can be justified under Article XX.
      • There is a “sufficient nexus” between the U.S. and the endangered sea turtles.
    • These findings suggest IRAP would also fall under Article XX (g).
  • “Common but differentiated responsibility” principle of UNFCCC
    • Even if EAPR and IRAP are WTO-compatible, they also have to be consistent with “common but differentiated responsibility” (CBDR) principle of U.N. Framework Convention on Climate Change.
    • That means measures which require every country including LDCs to take the same level climate policy with U.S. would be UNFCCC-incompatible.
  • Even if EAPR and IRAP have legality …
    • They have enforcement issue:
      • EAPR: how to calculate average carbon intensity (t-CO2e/product unit) of each sector, while the same sector can produce different kinds of products?
      • IRAP: how to calculate foreign industries’ carbon intensities? (more difficult, technically and politically)
    • IRAP would have only limited effect.(see Annex.)
  • Still, it could be a big step for …
    • Making U.S. climate act to be real, by attracting domestic industries’ compromise
    • Breaking the deadlock in international climate talks, by making a bilateral-climate-agreement option more realistic.
Waxman-Markey法案のBorder Adjustmentの部分、おそらくは、RFFEDFNRDCあたりが書いたんじゃないかと思われるが(単なる邪推。根拠なし)、非常によく練られているなというのが僕の印象。しばしば、「『環境』の衣を被った保護主義ではないのか」といった批判が聞かれるが、実際には、相当限られたシチュエーションでしかimporters allowanve requirementが発動されないよう、「安全装置」が二重、三重に仕掛けられている。その分、「国内産業保護」の効果は限定的にならざるを得ず、どれほど大きな効果が得られるのか疑問。この規定(特にIRAP)、実は最初から、実質的に運用しようという気はあまりなく、むしろ、国内の産業界をなだめたり、新興国に圧力をかけたりするための“ブラフ”として使うだけのつもりで盛り込まれたんじゃないかとすら勘繰ってみたり。

ともあれ、環境行政と貿易の両方の分野に長じた実務家がいないと、これだけの法文は準備できないはず。アメリカという国のこの辺りの層の厚さには感服せざるを得ない。日本に、それだけの人的リソースがあるかどうか、果たして…。

今学期のクラスは今日ですべて終了。インターンも明日が最終日で、DCでの生活も残り一週間である。
my room, Washington DC, Dec 17, 22:40

Wednesday, December 16, 2009

Trade Issues

相変わらず、Global Tradeのfinal paperにはまっています。

今朝、教授から「〆切は来週火曜日にします」とのメールが。ペーパーの〆切は、先々週の授業後すぐに、教授からメールで知らされることになっていたのですが、おじさんは、案の定、何の連絡もなしに北朝鮮に旅立ってしまい、それから一週間超の音信不通の日々。

というわけで、最後の授業(=今週木曜日)提出でもギリギリ何とか間に合わせるつもりで書いていたので、ちょっと余裕ができたというのが本音のところ。はまっていようと思えば、まだしばらくははまっていられます。ただ、いい加減そろそろ抜け出したい(というか抜け出さないといけない)気もしたり。引っ越し準備もまだまったくですし。。。

まぁそれはともかく、今回のpaperを書いていて、「貿易」というものの奥深さが、身に沁みてわかってきたような気がします。そう言えば、今学期の最初の頃に、教授のおじさんがそんなようなことを言っていた気がしないでもないですが、貿易というのは、法律・経済・政治の三分野がねっとりと絡まり合う世界。それ故、何について書くときでも、一つの見方(たとえば経済)だけをベースに書いていたのでは、あまり意味のないペラッペラな議論で終わってしまいます。そうでないようにするには、法律や政治からのアプローチも勉強しないと。勢い、読まねばな資料ばかりが芋づる式にどんどん増えて、執筆の方は遅々として進まないのでありますが、今更ながら、この世界の奥深さに少しだけ触れつつあるような気はしています。

こんなこと書くと、「paperを書き始めるまで、貿易について、ほとんどまともに勉強してませんでした」と告白するようなもんですが、まぁ、当たらずとも遠からず。正直、授業自体も結構ひどかったし…(←言い訳)。

ただ、せっかくここまで時間もかけて論文書いたりもしたわけで(まだ終わってないけど)、もう少し体系的に勉強して、実際に「使える」レベルまで、貿易の勉強をしておきたいなぁという気もしてきています。目下、眼前のpaperに向き合いつつも、来学期、Law Schoolで貿易法のauditを試みようかと妄想中…。

ちゅうわけで、論文に戻ります。
my room, Washington DC, Dec 15, 25:30

Tuesday, December 15, 2009

Legality of Border Carbon Adjustment

「温室効果ガス(GHG)排出削減対策が十分に取られていない国から商品を輸入する者にemission allowance(排出権)の提出を求める」等のBorde Carbon Adjustment (BCA) がGATTに違反していないことの理由付け、1~3;
  1. national treatment原則(国産品と輸出品のdiscriminationの禁止)を謳ったArticle IIIの第2項で、ある輸入品に対する、その“like domestic products”(同様の国産品)に対して“directly or indirectly”(直接的又は間接的)に課されている“internal taxes or other internal charges”を上回らない水準でのtax or chargesの賦課は適法とされている。
    製品の製造時に発生するCO2 emissionsへの課税は、当該製品に対する“indirectly”な課税と考えられる。(この際、Article Iを満たしている=外国間でのnon-discriminationが保たれている="most favoured-nation” statusを各国に保証していることが必須。);
         
  2. non-discrimination principles、すなわちnational treatment原則(Article III) + most favoured-nation原則(Article I)は、“like” products(同様の製品)の間にのみ適用されるもの。
    「最終製品の物理的特徴には影響しない生産工程及び生産手法」(non-product-related Processes and Production Methods (PPMs))が異なっているだけでも“unlike”(同様ではない)だと言える。;or,
          
  3. 輸入品の生産工程で発生したCO2に対する国境課税は、Article XX on General Exceptionsの“(b) necessary to protect human, animal or plant life or health” and/or “(g) relating to the conservation of exhaustible natural resources if such measures are made effective in conjunction with restrictions on domestic production or consumption”に該当しており、かつ、Article XX chapeauの条件(=“a means of arbitrary or unjustifiable discrimination between countries where the same conditions prevail”や“a disguised restriction on international trade”ではないということ)も満たしているので、一般的例外規定が適用され、GATTの他の規定に縛られない。
my room, Washington DC, Dec 14, 25:48

Monday, December 14, 2009

Wind Turbine in China

Financial Securityの最後の授業は、先週に引き続き、生徒のプレゼン大会。発表者のうちの一人が、「中国の風力発電市場に米国メーカーが食い込むためにはどうすればいいか」というテーマでプレゼンをしていた。あんまり金融には関係ない気もするが、まぁそれはともかく。。。
  
彼の発表によると、中国の風力発電市場は、現在、累積12,000MWで世界第四位(一位は米国)。しかしながら、中国政府は、2010年までに30,000MW、2020年までに100,000MWの導入目標を掲げており、早晩、世界一位の座に躍り出るのは確実視されているとのこと。
  
先進国では「発電sourceの2割以上がrenewable energyになると電気の質を保てなくなる」なんて言われたりもする中、中国での風力発電のこのcrazyなまでの伸び様は、いったいどう理解すればいいのか。「多くの場合、僻地のmicro grid用で、grid本体には繋がっていない」とか、「もともと電気のなかったところに設置するわけだから質なんて気にする必要はない」とかいった話を聞いたりもするが、なんとなく、それだけでもないような気がする。留学も残り半年となって、そんな余裕があるんだかないんだかよくわからないが、もし暇があったら、中国の電力事情・電気政策についても、ちょっと勉強しておきたいなぁと思う。
   
話はまったく変わるが、最近、貿易関係のpaperに埋没している身としては、些か気になったのがこのニュース。これこそ、暇を見つけて勉強しておかないとと思う。
my room, Washington DC, Dec 14, 23:21

Sunday, December 13, 2009

"Competitiveness" Issue of Climate Policies

引き続き、Global Tradeのfinal paperにはまり中。なんかあんまり前進していない気がします。そろそろ書き始めないとヤバいんですけど…。

それなりに読むには読んだんですが、どこに何が書いてあったかわけがわからなくなってきたので――論文を書くということに関して、これまでまともに訓練を受けたことがないので、このあたりの処理がいつまでたっても手探り状態――読んだ(skimming含む)資料の要旨を箇条書きにしておこうかと。後々、何かと便利そうだし。


■ J. Stehenson and S. Upton (2009) “Competitiveness, Leakage, and Border Adjustment: Climate Policy Distractions?”, OECD
  • 「世界が同時に気候変動対策を始めなければ、先進国の企業の“competitiveness”(競争力)が危険に晒され、果ては、温室効果ガス(GHG)排出の“leakage”をも引き起こす」といった主張がある。
  •  「企業単位又はsector(産業)単位で見ればcompetitivenessへの悪影響は大きなものになるはず」といった研究結果も見られる。
  • 経験的証拠は、leakageが限定的にしか生じないことを示している。
  • leakageの規模を算定するより難しいのは、それ自体、問題があって防止されるべき変化なのかどうかを判断することである。
  • leakageの発生パターンによって、国内措置で対応できるものとできないものとがある。
  • ときにextremeにさえなるcomepetitiveness concernは、強い政治的影響力を持ち、しばしば環境政策の前進を阻んできた。
  • 企業単位のcompetitiveness問題に対応するoptionとしては、free allocation of emission permits と border adjustments の二つがある。
  • EU-ETSでは、free allocationの方が好まれてきたが、それぞれに長所と短所があって、一概にどちらがいいとは言えない。
  • 産業を補助金中毒に陥らせてしまうリスクがないという点で、border adjustmentsの方がよりsustainableな解決策だと見る向きがある。
  • 自国企業のcompetitiveness確保を追及する政策は、UNFCCCの“common but differentiated responsibilities”(CBDR: “共通だが差異ある責任”)原則とバッティングしうる。
  • しかし、leakage問題と一緒に考える場合においては、competitiveness問題は、一国にとどまるものではなく、system全体の懸念対象となりえる。
  • leakage対策をUNFCCCと調和したものとするためには、その対策を、途上国をdiscriminateするようなかたちで行ってはならない。
  • 「排出削減を推進すべし」というpolicy signalsを弱める政策の行使には慎重であるべき。その判断に当たっては、国際貿易ルールの背後にある論理(rationale and reasoning)に依拠するべきである。
  • やりすぎにならない範囲でcompetitiveness concernに対応することは、先進国における排出削減対策の実行を円滑化する上で有効であると認める方が建設的。
■ P. Wooders, A. Cosbey and J. Stephenson (2009) “Border Carbon Adjustment and Free Allowances: Resonding to Competitiveness and Leakage Concerns”, OECD
  • 一般に、Competitiveness問題とleakage問題は、ある国が、他国の採用していないpolicies and measures (PAMs)を採用した場合、或いは、各国間でPAMsの形態が異なる場合に発生する。これらの問題に対する懸念は、過去においても環境政策を弱め、或いは歪めさえしてきた。
  • GHG排出削減対策の実証的証拠はまだ少ないので、different GHG PAMsの影響・効果を図る際しては理論的考察に頼らざるを得ないが、その予測の結果には、大きな幅がある。これは、企業の生産場所移転の判断は、気候変動政策以外のさまざまな要素も加味して行われるものであり、それらをどう織り込むかによって結果が変わってくるからである。
  • その経済的必要性は必ずしも明らかにされていないにしても、ある国がGHG PAMsを導入しようと思ったら、competitiveness and leakage concernsに対応することは、政治的に不可欠である。
  • EU-ETS (PhaseIII)では、同政策によってcompetitivenessを脅かされると考えられる産業分野の企業に対し、(従来通りの操業を行うのに)必要なallowancesの大半を無料で与えることとしており、Waxman-Markey法案も同様の措置を持ち込もうとしている。
  • 施行後のreviewの結果如何によっては、BCA (Border Carbon Adjustment) を導入することが、Waxman-Markey法案には明記されている。EU-ETSも将来の検討対象の一つとしている。
  • 企業に対してfree allowancesを与えるか否かで、政府収入には、年間数十億$オーダーの開きが出る。
  • 国内外の企業の競争条件をlevelにするのに、完全にeffectiveな方法はない。実務的に言えば、GHG排出を正確に測ろうとすればするほど、それに要するadministrative costは、effectivenessとのtrade-offを来す。
  • competitiveness and leakage concernsに対応する政策は、既存のさまざまな国際約束に反しない形で制定されなければならないが、その際の要点は以下の2点である:
    • “common but differentiated responsibilities” (CBDR) …すべての国で生産された製品に対して同等のcarbon costを課すPAMsは、おそらく、このCBDR原則に反する。
    • non-discrimination between "like" goods…本来の“like”の定義には製造方法は含まれない(=違った製造方法の結果、同様の製品が生産されれば、“like”とみなす)が、GATT Article XXは、environmental benefitを含む限られた条件を満たす場合に、その例外を認めている。competitiveness and leakage impactsへの対応策にこの例外が適用されるかどうかはnot clearでdesign specifics次第。
■ Carolyn Fisher and Alan K. Fox (2009) “Comparing Plicies to Combat Emissions Leakage: Border Tax Adjustments versus Rebates”, Resources For the Future
  • border adjustments(border tax on imports, export relief, and home rebate)は、貿易法上の議論があるというだけでなく、leakage分を加味したoverallのemissions reductionsの改善という点で見ても、あまり効果的でない可能性がある。
  • USAからのleakageを防止するためには、home rebateがもっとも有効。ただし、
    • 電力sectorと石油精製sectorを除く。これらでは、rebateがGHG排出削減のインセンティブを削ぎ、国内での排出が拡大することに。
    • home rebate自体は、貿易相手国間での区別をしないので、アメリカと同等かそれ以上の措置を取っている国に対しては、何らかの措置が必要。
  • border adjustmentsを実施するには、実務上、いくつかの重大な課題がある:
    • import adjustments…外国製製品の生産過程におけるGHG排出量をどのように算定するか、原産地規則(rules of origin)をどのように規定し、執行するか。
    • home rebate、export relief…firm-levelではなく、sector-wideのemission intensityに依拠して行われるべき(“subsidy supports output not emissions”)ただし、sectorごとのaverage intensiyを算定するには、分母=生産単位(the unit of production)を定義せねばならず、実務上、非常にchallenging。
■ Carolyn Fisher and Richard Morgenstern (2009) “US Industry and Cap-and Trade: Designing Provisions to Maintain Domestic Competitiveness and Mitigate Emissions Leakage”, Enery Security Initiative at Brookings
  • the American Clean Energy and Security Act of 2009 (ACESA, or Waxman-Markey Act) の国内産業competitiveness擁護措置は、そういった政策には本質的な限界があるという明確な理解の上に書かれている。「energy-intensive, trade-intensiveな企業に対するoutput-basedのrebatesの供与」 という構造から成るこの措置は、細部設計がうまくいけば、排出削減やイノベーションに対するインセンティブを減ずることなしに、国内産業への打撃を緩和することができる可能性がある。
  • ACESAがアメリカの国内外においてcost-effectiveな排出削減を促進できるかどうかの成否は、究極的には、諸外国が、どれだけアメリカと同等の措置を適時に講じるかどうかにかかっている。
  • ACESAにも修正すべき点がいくつかある。
    • energy-intensive, trade-exposed ("EITE") sectorsへのover-allocationが発生する可能性が高い。特に制度開始当初。電力sector及び石油精製sectorが対象の特例的allocation mechanismに非効率が内在している可能性も。
    • allowance販売益は、公的債務の返済と税率の引下げに用いられるべきであり―それらは経済全体の競争力を向上させる―、特定の利益のためには、原則、用いられるべきでない。
  • こういったborder adjustment措置の導入に当たっては、想定し得る他国の反応や、より広い意味での国際的文脈を注意深く考慮しなければならない。最終的には、international participationのnature and extentがglobal climate mitigation effortの有効性を決する。成功するアメリカの政策とは、国際的な協調的行動をcatalyzeするものであるはずである。
■ Christopher L. Weber and Glen P. Peters (2009) “Climate Change Policy and International Trade: Policy Considerations in the US”, Energy Policy 37 (2009) 432-440
  • competitivenessを守るためのborder措置は、たとえそれがlegalであったとしても、不必要なものであると言わざるを得ない。一部の産業を擁護できるに過ぎない反面、このような各国間の協力が絶対的に必要な状況下において、非生産的な効果をもたらす可能性がある。
  • 長期的に見れば、carbon-tariffのようなconsumption-basedの政策は有効であろうが、短期的には、技術移転や、先進国・途上国の両方を巻き込んだsectoral agreementsに注力する方が効果的である。
■ Timothy E. Deal (2008) “WTO Rules and Procedures and Their Implication for the Kyoto Protocol”, US Council for International Business
  • Shrimp-Turtle caseに関するAppellate Bodyの判断は、「non-product related PPMsに対して貿易上の制約を課すのは、『世界共有の資源を護るため』と主張できる範囲においては合法」という原則を確立した感がある。
  • Shrimp-Turtle decision と、Uruguay Roundにおける補助金に関する合意の改定(製造過程で使用された財・サービスに対する間接税に関するborder adjustmentの合法化)が、BCAへの扉を開いたと言える。
my room, Washington DC, Dec 13, 20:32

    Saturday, December 12, 2009

    "Sudden-Death" Win

    アイスホッケーを観に行ってきました。

    3-3で、“sudden-death”方式の延長戦にもつれ込んだ試合は、地元Capitalsのサヨナラゴールで勝利!!

    勝ったから言うわけではないが、アメリカ4大スポーツの中では、(野球はちょっと別格として)アメフトよりバスケより、アイスホッケーがダンゼン面白いと思う。(まぁ、あくまで「僕的には」という話。)

    試合がプチプチ切れないのも良いし、点数がアホみたいにたくさん入らない(=一点ずつが重い)のも良い。それに、なんだかんだいって、昔やってたスポーツと似ているところもままあるので、ある程度、選手のプレイの「うまさ」がわかるのが見ていて楽しい。まぁ、結局のところ、最後の要素が一番大きいのかもしれない(笑)

    Syracuseに戻ってしまったら、今日みたいに、NHLの試合を生で観れなくなるのが残念だが、ゆる~いノリで、二軍球団Syracuse Crunchの試合を観に行くのも、それはそれで良いかもしれない(昨シーズンの観戦の様子はこちら)。でも本当は、暇を見つけて、Buffaloまで遠征したいなぁ…なんて野望も抱きつつ(笑)
    my room, Washington DC, Dec 11, 25:54

    Friday, December 11, 2009

    Border Adjustment

    Global Tradeコースのfinal paper用草稿。

    この6月に下院を通過したH.R. 2454-the American Clean Energy and Security Act of 2009 (ACESA) (通称 Waxman-Markey Act)には、いわゆるborder adjustment措置が盛り込まれている(Title IV, Part F)が、その規定内容を、こちらの記事をもとに和訳・要約すると以下の通り。
    1. “carbon leakage”の影響を受けやすいと思われる国内産業には、法順守コストの一部を補填する。なお、補填には(ACESAの別の章によって創設されるcap-and-trade制度の)排出権を充てる。
    2. 1.の「補填」措置は、産業(sector)ごとに適用。適用の是非は、当該産業の、エネルギー集約度(energy-intensity)、温室効果ガス集約度(GHG-intensity)、貿易依存度(trade-intensity)をもとに判断。
    3. 大統領は、2020年までに、輸入業者(importer)に対して、排出権(emissions allowances)の提出義務を課すことができる。
    4. 2018年までに、温室効果ガス(GHG)の排出削減を各国が協調的に行うことを担保する国際合意が成立しなかった場合、大統領は、3.の権限を行使しなければならない。
    5. 2018年までに国際合意が成立しなかったにもかかわらず、輸入業者への排出権提出義務が発動されないのは、①大統領がそのような義務を課すことは合衆国の経済的又は環境的利益に沿わないと判断し、かつ、②議会両院がその判断を承認した場合に限られる。
    6. ただし、全世界生産量の85%以上が、排出削減基準(emissions reduction criteria)に合致する形で生産されていると大統領が判断した産業に対しては、3.の排出権提出義務は課されない。
    7. さらに、6.の基準その他の基準に合致している国からの輸入品に関しても、3.の排出権提出義務は課されない。
     以下、法案本文を読みながらの補足。
    • 補填allowanceは、「unitごとにいくら」という形で発行される。【Sec.763(a)(1)】
    • 各対象企業(covered entity)に割り当てられる補填allowanceの量は2026年以降徐々に減っていき、2035年以降はゼロ。【Sec.764(a)(1)(B)】
    • 各covered entityに割り当てられる補填allowanceの量は“direct carbon factor”と“indirect carbon factor”の合計に基づいて決定。【Sec.764(b)(1)(A)】
    • 〔direct carbon factor〕=〔過去二年の平均産出量(unit)〕×〔産業ごとに算定された単位産出量当り平均“直接”GHG排出量(t-CO2e/unit)〕【Sec.764(b)(2)】
    • 〔indirect carbon factor〕=〔過去二年の平均産出量(unit)〕×〔electricity emissions intensity factor(t-CO2e/kWh)〕×〔elecricity efficiency factor(kWh/unit)〕【Sec.764(b)(3)】
    • 6. の排出削減基準(emissions reduction criteria)は以下のいずれかを満たすこと【Sec.767(c)(1)】;
      • (1) 輸出国が、米国も加盟する国際合意に加盟しており、その合意が経済全体を覆う国ごとの排出削減約束(a nationally enforceable and economy wide greenhouse gas emissions reduction comittoment)を含んでおり、かつ、当該輸出国の削減約束がアメリカに対する約束と同等以上に厳しい場合。
      • (2) 輸出国が、米国も加盟するセクターごとのバイ又はマルチの国際合意に加盟している場合。
      • (3) 輸出国の当該セクターのenergy-intensity又はGHG-intensityが、米国の同セクターのそれらの指標よりも小さい場合。
    • 輸入業者に対して売り出されるinternational reserve allowancesの価格は、直近の(米国内)allowance auctionの落札価格と同額。【Sec. 768(a)(1)(B)】
    • 7. のその他の基準は、以下のいずれかを満たすこと。【Sec. 768(a)(1)(E)(ii),(iii)】
      • 国連の指定するLDC(低開発国)からの輸入品である
      • 「全世界のGHG排出に対する責任が0.5%以下であり、かつ、当該製品の米国への輸入全体に占める割合が5%以下である」と大統領が認めた国からの輸入品(当該製品に限る)である
    my room, Washington DC, Dec 10, 25:11

    Thursday, December 10, 2009

    The Climate Deniers vs The Consensus on a Beautiful Chart

    前に、「2012年問題」真偽論争のチャートを紹介して、「Climate Changeの真偽を巡る論争にも、こんな感じのうまい絵があるといいのに」と書いたことがあったが、まさにその「2012年」チャートを作ったInformation Is Beautifulという人たちが、こんどはClimate Change真偽論争のチャートを作ってアップしてくれた。オリジナルへのリンクはこちら

    ざっと見た感じ、ありがちな論点は一通りカバーしているし、説明文も簡潔かつ明瞭。このチャート、Information Is Beautifulさんにジンギを切って、和訳させてもらう価値ありじゃないかと思うんですけど、どうでしょう?
         
    このチャート(の“Skeptics”サイド)の中にも二度ほど出てくるが、最近、いわゆる「懐疑派」の人たちの文章を見ていると、某AGさんの名前を見かけることが多い。観ずにこんなこと言うのもなんだが、例の映画の中で、結構乱暴なデータの使い方をしてたんじゃないのかなぁと勘ぐってしまう。だとすると、なかなか罪作りなこと。まぁ、あの映画がきっかけで、気候変動問題への関心が、世界的に高まったのは否定できないだろうから、それはそれで彼の貢献として、素直に認めてあげないといけないんだろうけど。
    Caribou Cafe, Lst, Washington DC, Dec 10, 18:36

    Wednesday, December 9, 2009

    Don't lose desire, just temper it.

    先週水曜日の授業で話をしてくれたエネルギーコンサルの方(詳細はこちら)に、その授業が終わった後、青臭いメールを出してみた。ざっくり言うと、「あなたのような、エネルギー業界の表もウラも知り尽くしている人の話を聞くのは、すごく面白いし、僕のような環境屋にとっても非常に重要なことだと思うが、一方で、そういう話を聞いていると、世の中の趨勢なんて、環境屋には触れるどころか見えさえしない、巨大なパワーゲームの中で決まっているような気がしてきて、やや大げさに言うと、仕事をする上での目標を見失いそうになる。事実を直視しながら、その上でなお、環境の分野で仕事をしていくためには、どういうスタンスで臨むのがいいと思いますか」といった感じの質問。
     
    しばらく返事がなかったので、流されたかなと思っていたのだが、今朝、ひょっこり返信が届いた。しかも、結構丁寧な内容で。以下、(勝手ながら)その一部をご紹介させていただく。(強調はblog筆者)
    When I was younger I was more idealistic, as I gained experience I became more realistic. But to be happy, successful and respected, one must not yield to either extreme.

    Japan and the world needs realistic environmental policy experts. If that's your inclination, I would go in that direction. But guard against excessive idealism and delusion by searching for and consulting realistic, objective experts and studies of the issues you face. Don't lose your idealism or desire to improve the environment, just temper it somewhat with a realism and sensibility. There are now easy options and nearly all public policy choices carry trade-offs and uncertainties that must be acknowledged and assessed. In Japan, I've been impressed with your IEEJ (Institute for Energy and Economics Japan). Here in the US, the Resources for the Future is an excellent think tank on energy and the environment.
    “Don't lose your idealism or desire to improve the environment, just temper it somewhat with a realism and sensibility.”(理想主義や、環境を良くしたいという情熱を失ってはならない。ただ、現実主義や感受性でもって、その情熱の程度を調整しなさい。) 当たり前のことを言ってるだけと言ってしまえばそれまでだが、その当たり前のことを実践していくのが大事。この一言、心に留めておこうと思う。
     
    そしてまたもや登場、IEEJ(前回登場は、今年9月)。アメリカのエネルギー業界の間で、相当高い評価を集めているようだ。
    my room, Washington DC, Dec 9, 21:33

    Expectation Adjustment

    DCメトロのエスカレーターは、だいたい3~4割の確率で止まっている。「止まっている」のか「止めている」のか知らないが、とにかく、外形的には「止まっている」。困ったことに、この町の地下鉄は、基本的に、駅が深い。したがって、長い長いエスカレーター(の機能を有していたはずの階段)を、延々、上ったり下りたりさせられることもしばしば。それでも、駅員さんに文句を言ってる人なんて見たこともないし、アメリカ人の友人との間では、このことが話題になったことすらない。彼らには、これを「当たり前」の現象として受け入れている風情がある。

    今日の帰り道。8月に越してきて以来、一度も動いているところを見たことがなかった、最寄り駅のエスカレーターが、「試運転」(←まだ人は乗せていない)されているのを発見。「エスカレーターの試運転なんて日本で見たことないぞ」と一瞬、思わないでもなかったが(笑)、僕の中のそんな冷笑的な反応は、「おぉ、ついに動いたかっ!!」というポジティブな感動にオーバーライドされていく。

    人間の、公共サービスに対する期待度なんて、実は案外、susceptible。この国に住んでみて、発見できたことの一つである。
    my room, Washington DC, Dec 9, 18:53

    Cap-and-Trade vs Carbon Tax, in plain words

    COP15が開幕し、US-EPAがendangerment findingをfinalizeした今週月曜、KrugmanとMankiwが、そろってCap-and-Trade vs Carbon Tax論争をblogで取り上げた。こちら(Krugman)とこちら(Mankiw)。たまたま二人同じ日に、同じテーマで書いたと言うだけであって、いものように、blog上でガシガシやりあっているわけではない――少なくとも今のところは。なお、Mankiwエントリーの方は、彼自身が書いた記事ではなく、別の人が上院に提出した説明資料からの引用である。


    この一年、このblogでも、Cap-and-Trade vs Carbon Tax論争を何度か追いかけてきた(※)。追いかけてきて、最近少しわかってきたのは、cutting-edgeな議論をfollowするのも大事だ(し、楽しい)けれど、practitionerにとって、たぶんそれより大事なことは、経済学のバックグランウドのない人に、平易な言葉で、二つの制度の長所/短所、共通点/相違点を説明できる能力を身につけることではないかということ。
      
    その意味で、今回のKrugmanとMankiwのエントリーは、どちらも非常に参考になる。両方とも、かなり分かりやすい言葉で書かれている。ただし、その主張の中身はというと、(大変不肖ながら)agree出来ない部分がないわけではない。というわけで、彼らのエントリーへの反対意見を平易な言葉で述べる、というexerciseに近々取り組んでみようと思う。


    ※ MSJでの過去の「Cap-and-Trade vs Carbon Tax論争」関連エントリー
    • 2009/11/28: 長期で見た場合のcap-and-tradeの優位性。
    • 2009/11/26: cap-and-tradeとcarbon taxの効果が「無差別」になるための条件。
    • 2009/10/03: Mankiwの語る「cap-and-tradeよりも税の方が市場の歪みをより小さくできる理由」について。
    • 2009/09/11: Nordhausの語る「税の方がcap-and-tradeより優れている6つの理由」について。
    • 2009/04/28: 「cap-and-tradeよりも税の方が優れている」とするNordhausの著作に対するblog筆者の考え。
    my room, Washington DC, Dec 9, 8:15

    Tuesday, December 8, 2009

    Interactive Charts of Global Carbon Emissions

    NYtimes.comに出ている世界の温室効果ガス排出についてのInteractive Charts(クリックしたら情報がいろいろ飛び出してくる絵)が秀逸。「アニメーションはこうやって使うんだ」というお手本みたいな一品。パワポでアホみたいに字を動かして喜んでる場合ではない。(常習犯、ここに約一名。)
          
    アメリカのchart(日本語的に言えば「ポンチ絵」?)には、本当によくできたものが多い。「所詮、資料は中身が勝負。見せ方なんて表面的」と言うことなかれ。伝えたいメッセージを、相手にきちんとわかってもらうことが「資料」の存在意義である以上、見る側が難なくメッセージを把握できるかどうかは、表面的どころか、「資料」にとって、極めて重要な要素の一つである。
        
    このcharts、さくさくさくっと6回ほどクリックすれば、如何に中国が悪いヤツ(だとNY Timesが言いたい)かが、難なく伝わってくる。。。。見せ方って大事。というか、恐ろしい…(笑)
    my room, Washington DC, Dec 8, 24:24

    Sinocentrism

    前回エントリーで書いたレポートのプレゼンは、本日無事終了。とりあえず、肩の荷が半分だけ下りた。残り半分は水曜のコース(Global Trade)のfinal paper。それを出せば今学期もほぼ終了。といいつつ、まだほとんど手はついていないのだが(苦笑)

    今日は、僕含め四人の生徒がプレゼンをしたのだが、そのうちの一人のテーマが人民元のmanipulation問題で、彼のプレゼン終了後、中国政府にmanipulationを止めさせるには、どうやって説得するのがいいかとのディスカッションになった。ちなみにクラスの構成は、アメリカ人…7、モンゴル人…1、日本人…1(=僕)で、先生はアメリカ暮らしの長いインド人。  

    まぁ確かに、先生のそのフリ自体どうなのよ?? という話はあるのだが、自信満々に発言する生徒たちの口から出てきた答えは、「『manipulationを止めれば、資源の購買力が増しますよ』と言って説得する」、「『manipulationを続ける限り、あなた方の国の国民・消費者が犠牲を被り続けることになるんですよ』と言って説得する」...etc. ちょっとちょっと、中国を軽く見過ぎていやしませんか?? まぁ、「じゃぁお前言ってみろ」と言われても、良い答案は出せないんですけど。(笑)   

    なぜ彼らの意見がこんなに軽々しいのか。一つの答えは「学生だから」。それはある。間違いなくある。ただし、いちおう断わっておくと、(このクラスのメインテーマである)金融政策の話をしている限り、彼らは、とびきりスマートとまでは言えないまでも、とりあえずバカではないし、痛々しいほどナイーブということもない。となると、他にも何か別の理由が?   

    n=7のサンプリングから、こんなことを言うのも乱暴の極みなのだが、そこを敢えて言ってしまうと、一般的なアメリカ人は、中国についての重要な二つのポイントを見落としているのではないかと思う。 

    一つは、中国の国内情勢。いくら失業率が10%を越えたとは言え(最近ちょっと改善したんだっけ?)、アメリカの国内情勢なんて中国のそれに比べればstableそのもの。いくら“G2”なんて言われるようになったとはいえ、国内的には、彼の国の政府は、今もなお、「暴動」という匕首をずっとのど元に突き付けられながら日々の執務に当っているようなものなのである(実際、毎年数件は起こっているし)。相手方がそういう切迫した状態にあるんだという認識を、どのくらいのアメリカ人が持てているだろうか。

    もう一つは、中華思想。彼の国の人たちにしてみれば、中国は、まさしく「中華」の国なのであって、そんじょそこらの国と一緒にしてもらってはプライドが許さないのである。もっとも、アメリカは、既に中国を特別視し始めている。そういう意味では、確かに、「そんじょそこらの国」と一緒にはしていないわけだが、それは単にアメリカが中国の持つmaterialな要素(経済、人口、etc.)を警戒し始めているからであって、間違っても、spiritualな面で敬意をはらい始めたからとか、中国人特有の「中華思想」mentalityを理解し始めたからとか、そういうことではない。中国の「中華思想」を紛いなりにも理解できているアメリカ人なんて、専門家を除けば、ごく一部なんじゃないかという気がする。 

    「だからもっと中国を大目に見てやれ」とか「もっと畏敬の念を持って接しなさい」なんて言う気は毛頭ない。言うべきことは言うべきだし、(国際常識から見て)正すべきことは正すべきだと思う。しかし、この辺りの事情をわきまえず、ただただ単刀直入に突っ込んでいくと、逆にアメリカの方が、しなくてもいいケガをするなんてことにもなりかねない。もちろん、中国問題の専門家たちは、そんなこと、百も承知だと思うが、外交というものは、結局のところ、ある程度(かなりの程度?)、その国の一般国民のperceptionに縛られてしまうものなんじゃないかという気もするので…。

    今日のディスカッションを聞きながら、少しだけ、そんなことを考えてみた。
    my room, Washington DC, Dec 8, 25:00

    Sunday, December 6, 2009

    Evaluation of Stabilization Mechanism of K-B Act

    学期末。というわけで、final paperの季節。とはいえ、今学期は受講しているコースがそもそも二つだけなので、普段の学期に比べればだいぶ楽、のはずなんだが…。

    以下、Global Financial Securityのfinal paper下書き。金融政策に関係する何らかのトピックを選び、それに関する提言レポート(4枚程度)を作成して、授業中にプレゼンする、というのがこのコースの期末課題。まぁ、final paperと名乗るには、いささか軽すぎる課題です。目下、「マジ」paperで苦しんでらっしゃる皆さん、スイマセン(笑)
    ==================
    1. Introduction
    The Clean Energy Jobs and American Power Act (S.1733。通称Kerry-Boxer Bill)やそれと同様の法案で提案されているcap-and-trade条項の経済的効果については、未だ激しい論争が繰り広げられているが、その論争の中心的議題の一つに、carbon allowance価格の変動性(volatility) の問題がある。allowanceの市場取引価格が、2008年7月からの7~8か月間で75%近くも下落したEU-ETS (EU-Emission Trading Scheme) の経験(*1)は、cap-and-trade制度に基づくemission trading marketが、現に非常にvolatileになりやすい性質を有していることを示唆している。cap-and-tradeの持つadvantageを維持しつつ、高いvolatilityによるnegative impactを最小限に抑えるためには、どのような制度設計がなされるべきなのか。この問は、環境政策の遂行上、答えを出すことが非常に重要なものであるというだけでなく、金融政策にとってみても、これまでの豊富な知見の蓄積を活かすことのできる格好の機会であると言える。この点を踏まえ、本レポートでは、Clean Energy Actで提案されている市場安定化措置の有効性について、主に経済学的見地からの検証を行う。なお、本レポートでは、cap-and-tradeに関して指摘されることのある、その他の問題点(allocationの公平性・効率性、enforcementの制度など)については扱わない。

    2. Volatility of Carbon Markets and Methods to Curb it
    market based approachによる温室効果ガス(GHG)の排出削減政策は、世界中の環境政策担当者の間で、年々、その支持を高めつつある。中でも、近年、もっとも注目を集めているのがcap-and-tradeであり、その政策手法は、EUの気候変動政策のcenterpieceともなっている。伝統的なcommand-and-control型のアプローチとは対象的に、cap-and-tradeの下にある企業は、十分な量のallowances(いわゆる「排出権」)を保有している限りにおいて、どのような方法で、また、どの程度まで、GHGの排出を削減するかについてのflexibilityを有する。また、cap対象企業間でのallowancesのtradeを通し、安価なGHG排出削減手法が見出され、それにより、社会全体としての削減コストの削減が図られることも期待されている。(*2)
      
    一方で、GHGについては世界初のsubstantialなcap-and-tradeである、EU-ETSの本格運用が続けられる中で、emission trading marketに本質的に内在する高いvolatilityが明らかになりつつある。
      
    現在のemission trading marketにおいて、取引総額がもっとも大きい3つの商品――EUA ($ 91,910 million), pCER ($6,519 million), 及び sCER ($26,277 million) (取引総額はいずれも2008年の値)――はいずれも、2008年の後半から2009年の前半にかけて、大きく価格を落とした。中でもEUAは、2008年7月に€28.73を記録して以降、7-8か月の間に75%近くも値を下げ、2009年2月には€7.96にまで達した。(下図)(*1)

    このような“Carbon Crunch”が発生した原因として、World Bankは、以下のような理由を挙げている。(*1)
    1. Europe and elsewhereにおけるeconomic slowdownの結果、製造業の生産量・活動量が落ち、セメント・鉄鋼などの高炭素排出型産業の企業がallowancesを購入する必要性を失った。
    2. 更に、厳しい信用状況に耐えかねた企業が、当座のcashを得るため、手持ちのallowancesのsell offに走った。
    3. 加えて、初めて本格的取引が行われたAAUが、その競合商品であるpCER及びsCERに対する需要の一部を奪った。
    これらの現象は、今回限りのものでもEU圏内に特有のものでもないので、今後、cap-and-tradeの導入を検討している政府機関は、emission trading marketのvolatilityを緩和するための措置を併せて導入することを検討すべきである。
     
    一方で、そういったvolatilityを緩和するための方法論に関する知見の整理も進みつつある。それによると、private sectorによる自発的なfinancial instrumentsの開発の他に、政府が措置することのできるvolatility緩和策としては、大きく分けて、① banking 及びborrowingの導入と ②政府当局による市場への介入の二つがある。(*2)
     
    bankingとは、今期の排出権の余剰分を、将来に繰越すことであり、borrowingはその逆に、将来期間の排出権を前借りしてきて今期のcomplianceに充てることである。cap-and-tradeの適用を受ける企業に、これらの選択肢を与えると、allowanceの価格は長期的な排出削減コスト期待を反映するようになるため、marketにおける短期のdisruptionをoverrideするのに効果的である。規制当局から、排出削減目標の長期的見通しが示されている場合には、特に効果的であると言える。
     
    市場介入とは、allowanceの市場価格があらかじめ設定されたレベルを超えた場合に、追加的なallowancesを市場に供給し、更なる価格の高騰を抑える仕組みである。介入を、あらかじめ設定された一定量の範囲内でのみ行うallowance reserveと呼ばれる制度と、量に制限を設けることなく市場から求められるだけのallowance供給を行うsafety valveと呼ばれる制度が提案されている。
       
    safety valveには、allowance価格のceiling以上への高騰を完全に防ぐことができるという利点があるが、同時に以下の二つの深刻な問題を有する。 一つは、環境保護派からの評判が非常に芳しくないというpoliticalな問題であり、今一つは、①bankingが認められており、かつ、②ceilingの将来的な値上げが規制当局によってnotifyされている状況での発生が合理的に予想される、制度開始後早い段階でのbanking目的のallowance買込みに歯止めをかけることができないという問題である。allowance reserveは、safety valveのように、ceilingを厳格に維持することはできない(このため、allowance reserveの設定するceilingは“soft ceiling”とも呼ばれる)代わりに、これら二つの問題に対しては、safety valveよりもより柔軟に対応することが可能である。(*3)

    3. Stabilizing Mechanisms of the Clean Energy Act
    米国においても、cap-and-tradeをcenterpieceとする気候変動対策法を制定する動きが、連邦議会で進んでいる。Henry Waxman [D-CA30] とEdward Markey [D-MA7] によって提案されたThe American Clean Energy and Security Act of 2009 (H.R. 2454) が6月26日に下院を通過した後、上院では、9月30日に、John Kerry [D-MA] とBarbara Boxer [D-CA] によりThe Clean Energy Jobs and American Power Act (S.1733) が提案され、現在、その審議が行われている。

    Kerry & BoxerのClean Energy Actにおける市場安定化措置に関係する規定の概要は以下のとおりである。(*4)
    • 2012年から2050年までの各年におけるallowanceの総量を設定(Section 721)
    • 以下の条件の範囲内でbanking及びborrowingを容認(Section 725)
      • banking … 無制限に可
      • 次年度分からのborrowing …無制限に可
      • 2~5年後分からのborrowing … compliance obligationsの15%までに限り、使用可。ただし、その際には8%のpremiumの支払い義務あり。
    • “market reserve stability”制度の創設(Section 726)。具体的には;
      • Section 721によって設定されたallowance総量の一部を用いてmarket stability reserveを設ける。
      • Administratorは、market stability reserve allowancesのauctionを四半期ごとに実施する。
      • market stability reserve allowances auctionの最低入札価格は、$28 in 2012とし、その後、2013年から2017年までは5%(+ inflation rate)ずつ、2018年以降は7%(+ inflation rate)ずつ、毎年、上昇していく
      • market stability reserve allowancesの量は、2012年から2016年までは、その年のallowance発行総量の15%まで、2017年以降は、同25%までとする。ただし、Administratorが必要と判断した場合には、発行数上限の調整可。 等
    4. Evaluation of the Clean Energy Act
    Clean Energy Actの市場安定化措置については、以下のように評することができる。

    まず、bankingとborrowingの容認措置は、volatility緩和の観点から肯定的に評価できる。規制を受ける主体は完全に合理的であるという仮定――すなわち、将来分allowanceの前借りへの過度の依存は起こり得ない、とする仮定――に立てば、borrowingに制限を付す規定については、長期的なmarginal abatement cost expectationsを適正に反映するallowance価格の形成を妨げるものとして、negativeな評価を下さなければならないが、実際には、被規制主体は限定合理性の下で行動しており、このような仮定が成立する可能性は低いと考えるのが自然なので、このborrowing制限規定を容認することは十分可能である。また、Section 721において、2050年までの長期に亘る排出削減目標値が具体的に示されていることも、banking/borrowing容認制度と相まって、volatilityの緩和に貢献すると考えられる。

    また、Section 726のmarket reserve stability制度は、allowance reserveの思想をほぼ忠実に具体化したものであり、現時点で考えられる範囲では、もっとも洗練されたvolatility緩和策に近いものであると評価できる。なお、marketのsoft ceilingとなるauctionの最低入札価格を如何なる水準に設定するかは、非常にchallengingな課題である。理論的に言えば、ceiling priceは排出削減のmarginal benefitから大きく外れない水準に設定されるべきであるが、そもそも、厳密なmarginal benefitの測定はほぼ不可能と言っても過言ではないので、stakeholdersにとって“not too high”な価格の設定を目指す方が現実的である。(*3)

    Clean Energy Actの市場安定化措置に関して、一点、改善すべきと考えられるのは、市場価格の下限値(floor)を明確には設定していない点である。(market stability reserve allowances auctionではない)通常のallowanceのauctionに最低入札価格($10 in 2012;その後、毎年5% (+ inflation rate) ずつ増加 )を設けること(Section 778(b))や、market stability reserve allowances auctionの収益を市中creditsの吸収に充てること(Section 726(g))は規定されているが、一定のfloor価格を下回った場合に、Administratorが、積極的にallowances(又はcredits)の買取を行うべき旨を示した規定はない。また、Fundにauction収益が残っていない場合には、そもそも、Administratorによるcreditsの買取りは行えない規定となっている。このように、上方にのみ(softとは言え)価格の限界が設定されていて、下方には、同様の価格限界が設けられていない状況では、企業のallowance価格expectationsに下方方向の歪みが生じ、結果、環境・省エネ技術への投資が過少となって、社会全体として、当初目標通りの排出削減を達成できない事態に至る可能性がある。

    このため、ceilingと同様にfloorも明確に設定し(allowance auctionの入札最低価格と同価格に設定するのが自然であろう)、allowanceの市場価格が、その水準を下回った場合には、一定の範囲内でallowance又はcreditsの買取りを実施する旨を明確に示した規定を設けるべきだと考える。

    5. Conclusion
    以上の考察から、本レポートでは、以下の三点を提言したい。
    • 2012年から2050年に至る長期の目標設定(Section 721)、Banking及びBorrowingの容認(Section 725)、Market Stability Reserveの導入によるsoftな価格上限値(ceiling)の設定(Section 726)といったClean Energy Actの規定は、いずれも、carbon marketのadvantageを維持しながらvolatilityを抑制するのに資するものでありCongressは、これらの規定を維持すべきである。
    • Soft ceilingの具体的な値(現行案では、$28/t-CO2e in 2012, rising 5% over inflation annually)は、政治的観点から設定されるべきである。
    • private sectorによる低炭素技術への投資戦略に与える悪影響(ひいては、スキーム全体としての排出削減目標達成能力に与える悪影響)を抑えるためには、ceilingのみでなく、価格下限値(floor)も設けるべきである。
    --------------------
    *1 World Bank (2009) "State and Trends of the carbon Market 2009"
    *2 Palmer, Burtraw, and Wråke (2008) "Managing Cost Variability in Emission Allowance Markets"
    *3 Murray, Newell, and Pizer (2008) "Balancing Cost and Emissions Certainly: An Allowance Reserve for Cap-and-Trade"
    *4  "the Clean Energy Jobs and American Power Act [S.1733]"

    my room, Washington DC, Dec 5, 27:15

    Saturday, December 5, 2009

    horizontal division of labor

    数年前、派遣職員の方を部下に持って仕事をしたときのことを思い出しながら、水平分業と「判断」との関係について、以下のような仮説を考えてみた。(ほぼ自分用メモ)

    ====================    
    あらゆる仕事(タスク)には、「判断」が伴う。言い換えれば、「あらゆるタスクは、「判断」と、「判断」を伴わない純粋な「作業」とに分けられる」と言うこともできるかも知れない。あるタスクが水平分業可能かどうかのジャッジメントは、そのタスクに内在する「判断」を軸に行うべきではないか。その際、考慮すべきと考えられる点は以下のとおりである。
    1. 当該「判断」のもたらすインパクト……世の中には、間違っても大したことのない「判断」と、大したことのある「判断」とがある。
    2. 当該「判断」の難しさ……ここでは、当該「判断」に内在する客観的な意味での「難しさ」と、分業の委託先主体の能力との相対的関係を考慮。
    3. 「判断」が必要となる事態の発生確率……通常は「判断」を要しないが、不測の事態が生じた場合には「判断」が必要となるタイプのタスクも存在する(というか、そういったタスクはわりに多い)。「不測の事態」の発生がレアなのであれば、バックアップ装置をbuilt-inしておくことで対応可能であるが、それが頻繁に起こるようであれば、(委託に出さずに)その都度、自分で判断する方が早いかも知れない。
    4. 求められる「タスク」の完成度……「1.」で「大したことがある/ない」という話をしたが、大したことがあるかないかのジャッジは、当然ながら、当該タスクの成果に求められる完成度の高さに依存する。
    「水平分業適正指数(仮称)」(=あるタスクが水平分業に適しているかどうか)は、1.~4.の要素の減少関数として捉えることができる。
    ====================    
    僕自身の、その数年前の経験から言うと、意外に難しく、手間もかかり、それでいて非常に大事なのは、最初の時点で、「タスク」をどう切り分けるということである。普段、僕らが上司から「あれやってて」「これやって」と言われるときの「あれ」や「これ」は、「判断」と「作業」とがごちゃ混ぜになった状態のもの。これを如何にきれいに「判断」と「作業」とに選別できるかが勝負ではないかと思うのだ。
      
    あるタスクの「作業」純度を高めれば高めるほど、そのタスクに含まれる(客観的な意味で)難しい「判断」の量は減る。最終的には、自分で責任を取らないといけない以上、「委託先主体の能力」はconservativeに見積もらざるを得ないが、それにしても、上手なタスクの切り分けを行うことで、委託先に任せられるタスクの量は実質的に増やすことが可能である。また、「不測の事態の発生確率」を下げるためにも、タスクの切り分けは非常に重要なポイントであるように思う。

    その上で、であるが、自分の経験を振り返ってみて、ポイントだなぁと思うのは、「4.」でいうところの「完成度」のレベル。これを高めようと思えば、(「1.」と連動して、)委託に出せるタスクの範囲は必然的に狭まる。しかし、タスクAの完成度をどんどん高めていくことが、ある従業員の、彼/彼女の組織に対する貢献を、必ずしも高めるとは限らない。組織に対する一人の従業員の貢献度は、言うまでもなく、その従業員の担当するタスクA, B, C, …X, Y, Zの完成度の加重平均によって測られるべきものであり、その加重平均値を高めるためには、比較的重要度の劣るタスクの完成度を、敢えて低いレベルで甘んじる、といった判断も当然あり得る。

    各従業員レベルの話と、企業レベルの話を、analogyとして比較することの無理を承知で書かせてもらうと、日本人は、この手の「敢えて低い完成度に甘んじる」という戦略的判断が非常に下手であるように思う。何事にもベストを尽くすのが日本人の美徳、という考え方を端から否定する気はないのだが、その「美徳」を楯にとって、思考を停めてしまうのは、単なる惰性以外の何物でもないと思う。
    Starbucks Cafe, Connecticut Ave., Washington DC, Dec 5, 14:49

    Friday, December 4, 2009

    Acid Rain Program

    環境コミュニティの間では有名な話であるが、cap-and-tradeを世界で初めて導入した国は、他でもない、アメリカである。1990年のClean Air Act (CAA) 改正の際、東部及び中西部諸州の110の石炭火力発電所を対象とする、SO2排出についてのcap-and-trade制度――通称“Acid Rain Program”――が導入された。このAcid Rain Programは、単に「世界初」のcap-and-tradeだったというだけでなく、政策としての評価も非常に高く、現に以下のグラフに見られるように、SO2排出量の大幅な削減(emissions)と、予想(project cost)を遥かに下回る削減コスト(actual cost)の両方を、同時に実現している(制度の開始は95年。その年を境にemissionsが大きく下降したことが見てとれる。99年のphase I終了後、2000年からはphase IIを開始。phase IIでは、対象事業所の範囲を拡大するとともに、排出制限レベルの強化が図られた)。


    今日、幸運にも、当時のEPAで、その'90年CAA改正を担当された方と、昼食をご一緒させていただく機会に恵まれた。なぜこんな斬新な政策の導入が可能だったのか――そのことが知りたくて、注文した料理が出てくるのも待ち切れずに、早速おうかがいしたところ、「当時の状況は、いろんな意味で非常にラッキーだった」と断った上で、同Programが実現した理由として、以下の6点を挙げられた。

    1. 機が熟していた。
    「酸性雨」の危険性が社会一般に知られるようになっていたにも関わらず、1981~1989年のRegan政権下では、CAA改正法案が毎年のように提案されては廃案となっており、早急な、SO2排出規制強化を求める社会的機運が高まっていた。ちなみに、N.J.Vig & M.E.Kraff 編Environmental Policy (Sixth Edition)p.133にも、以下のように書かれてある。
    Success on the Clean Air Act was particularly important because for years it was a stark symbol of Congress's inability to reauthorize controversial environment programs. Passage was possible in 1990 because of improved scientific research that clarified the risks of dirty air, reports of worsening ozone in urban areas, and a realization that the U.S. public would tolerate no further delays in acting.
    2. 大統領の強力なコミットメントがあった。
    1989年に大統領の職に就いた(パパ)Bushは、着任早々、CAA改正の意思を明らかにするなど、この案件を、政権の最重要課題の一つに位置づけていた。背景には、Great Lakes周辺での酸性雨被害が、カナダとの間で大きな懸案事項になっていたと、いったようなこともあったらしい。

    3. 野党大物政治家の強力なサポートがあった。
    「野党」と言っても、当時の上院はDemocratsがmajority。そのmajority leaderであるGeorge Mitchell (D-Maine) こそが、誰あろう、Regan政権時代に何度もCAA改正法案を提出しては苦杯をなめ続けていた張本人であっただけに、Bush大統領のイニシアティブを強力にサポート。両党(実質)トップの共闘により、bipartisan体制を築けたことが、この法案の成立を図る上で非常に大きな後押しとなった。

    4. 制度の根幹の部分はexecutive branchで立案した。
    議会に提出する法律案はexecutive branch主導で作成された。つまり、実質的に書いたのは役所(EPA)。それ故、いわゆる“pork barrel”の部分はさておき、制度の根幹部分については、合理的かつ実質的な設計となっている。(ここのアプローチは、現政権とは大きく異なる)

    5. cap-and-tradeという制度自体に「新鮮味」があった。
    Regan政権時代に何度もポシャっていたCAA改正法案は、いずれも、command-and-controlを柱とするconventionalな法案だった。このため、旧来型の「規制」ではない新しい制度を提案したということが、「規制」に反対であった人たちの間でも、比較的好意的に受け止められた可能性があるとの由。

    6. 国会議員の多くはcap-and-tradeの中身をほとんど理解していなかった。
    その実、cap-and-trade制度の具体的な中身はというと、ほとんどの国会議員が理解できていなかった。しかし、それがかえって幸いして、法案の骨格の部分に関しては、無駄に揉みほぐされることもなく、ほぼ提出案のまま、成立させることができた。

    このお話をしてくださった方は、まさに、その改正案の立案作業に当っておられたうちのお一人。当時、この法案に反対する人たちには、cap-and-trade制度(当時はまだ、この言葉自体はなかったそうだが)の“efficiency”を強調して、説得に当られたとのこと。「efficientである」ということそれ自体についは、誰も反対のしようがないから、と。また、折角新しい制度を作るのだから、「新しいタイプの失敗をすることはあっても、古いタイプの失敗を繰り返すことだけはしたくない」との姿勢で制度設計に臨まれたとのこと。このことが、画期的とも言えるContinuous Emission Monitoring Syrstem (CEMS) ――連続測定、一時間ごとのEPAへの報告、データのWeb上での公表、etc.――の導入にもつながっており、このシステムがあるからこそ、Acid Rain Program全体の信頼性が担保されていると言っても過言ではない。(ちなみに、それまでの規定では、「二年に一度の報告」だけが課されていたとのこと)。

    食事の最後、お話の全体を振り返りながら、「Acid Rain Programの導入は、私の人生の中で、もっとも大きな仕事だろうなぁ」とおっしゃっていた。まだまだ現役の方なので、「そんなこと言わずにこれからも頑張ってください」と申し上げたくなる反面、これだけの画期的な仕事に立ち会える機会というのは、確かにそうそう多くはないだろうという気もした。その意味では、おっしゃられた言葉の意味が非常にしっくりも来たりもする。まさに、「役人冥利に尽きる」と言うべき経験だろう。
    my room, Washington DC, Dec 4, 22:48

    追記: Gristが、12/2の記事でAcid Rain Programについて書いているのを発見。書かれている中身自体は基本的だが、リンクがたくさん貼られているので便利。

    Domestic Content Requirements

    普段なら、木曜日の夜は、インターンから直接家に帰ってのんびりと過ごすのだが、今週はInternational Tradeのmakeup(補講)が。なんでも、Professor氏(例のSAISおじさん)が来週一週間、海外出張で不在になるらしい。出張の行き先はというと、今また話題の北朝鮮。さすがSAIS。何かにつけてやることが怪しい(←褒めてます)。

    そんなわけで二日連続で行われたTradeのクラス(昨日のクラスではほとんどtradeの話はなかったけど。笑)。今日の授業のテーマは、Government Procurement Agreement(と、Custom Valuationと、Technical Barriers)だったので、授業の復習がてら、この秋に完全施行されたカナダOntario州のGreen Energy Actに盛り込まれているDomestic Content Requirementsについて、簡単にまとめておきたい。

    この州法(カナダなので、厳密にいえば、province法?)、目玉は、再生可能エネルギー(biogas, biomass, landfill gas, solar photovoltaic (PV), wind and waterpower)を対象にしたFeed-in-Tariffなのだが、このFiTの受給の対象になるためには、Domestic Content Requirements(州産品要件)をクリアしなければならない決まりになっている。

    Ontario州エネルギー&インフラ省発表の文書(2009/9/24)によると
    (FiTの受給対象となるためには)Developers will be required to have a certain percentage of their project costs come from Ontario goods and labour at the time they reach commercial operation.

    • For wind, the requirement will start at 25% and increase to 50% on Jan. 1, 2012.
    • For micro solar PV (10 kW or smaller), the requirement will start at 40% and increase to 60% on Jan. 1, 2011.
    • For larger solar PV, the requirement will start at 50% and increase to 60% on Jan. 1, 2011.
    との由。つまり、今年2月のRecovery Act制定の際に、米国内外で大きな議論となった「Buy-American条項」顔負けの保護主義的政策が取られているわけである。

    このGreen Energy Act、抵触が疑われるのはAgreement on Government Procurement(以下GPA)という国際合意。GPAというのは、Tokyo RoundからUruguay Roundにかけて、GATT/WTO本体の交渉と並行して議論されてきた、政府調達に関する国際合意だが、WTO条約とは別立てになっており、WTO加盟国のすべてに適用されるわけではない。GPAを採択している28か国に対してのみ適用される(ちなみにカナダは加盟国)。[GPA制定・改正の経緯はこちら] GPAのエッセンスは、政府調達の際に、国産品と輸入品とで異なった扱いをすることの禁止(non-discrimination原則)にあり [Article III]、まさに、Domestic Content Requirementsのような措置を防ぐための国際合意であると言える。

    しかし、結論から言ってしまうと、おそらく、このOntarioのケースは、(政治的にはともかく)法的には「シロ」。というのも、GPA加盟国は、自国内でのnon-discrimination原則の適用範囲について、①procuring entity(中央政府、地方政府、公営企業、etc.)、②財・サービスの種類、③購買額ごとに条件を設定できる決まりになっており、カナダは、②に関する条件の中で“public utilities”を、適用範囲から抜いている。[Notes 4. of Annex 4 (for Canada) of Appendix I]

    日本のAnnex 4 of Appendix I を見ると(Appendix IのAnnexesは、加盟国ごとに制定されている)、“public utilities”を適用除外とする同様の規定は見当たらないので、仮に日本でオンタリオと同じようなことをしようとしたら、GPA上、「クロ」ということになるのかも知れない。とはいえ、「だから日本もAnnexを改定すべき」ということが言いたいわけではないので悪しからず。
    my room, Washington DC, Dec 3, 26:45

    Thursday, December 3, 2009

    Elevated and Volatile

    水曜日はInternational Tradeのクラス。今日は、エネルギー問題の専門家がゲストスピーカーとして登場。これまで、このクラスにやって来たゲストスピーカーは、テロ対応の専門家、インドでITベンチャーを起こしたおじさん…etc.。Professor氏が、授業の看板である「貿易」はそっちのけで、自身のSAIS almuniネットワークの中から、気の合う仲間を呼んできては喋らせている感がなくもない(中にはかなり微妙な人もいた…)。しかし、少なくとも今日のスピーカーに関して言えば、(「貿易」との関連性はさておき)そう滅多に聴くことはできないだろうと思うくらいの面白い話を聴かせてくれる人だった。

    エネルギー関連のコンサルティング会社を経営するRobert McNallyというのがその御仁。エネルギー市場のアナリストとして、キャリアを積んできた人で、子Bush政権時代(一期目)には、National Economic Councilのメンバーとして、White Houseでの勤務も経験している。その話しぶりは、頭の切れる人特有の「超高速マシンガントーク」であり、それがために、僕の耳が彼の喋った内容をどこまで正確に拾えていたか、正直言って、あまり自信はないのだが、そのことをお断りした上で、以下、氏の講演内容の中から気になったポイントをメモしておく。
    • エネルギー市場は、2000年以降、新時代(new era)に入った。そこでは、単にエネルギー価格が上昇(elevate)したというだけでなく、価格変動性(volatility)そのものが増大している。この傾向は、今後ますます強くなっていくだろう。
    • cap-and-tradeの導入を目指すか否かという一点を除けば、実は、子Bush政権とObama政権のエネルギー政策には、それほど大きな違いはない。
    • 早晩、shale gasがエネルギー分野でのhot issueになる。アメリカでは、(shale gasを含む)天然ガスは「クリーン」なエネルギーの一つとして位置づけられているので、shale gasの採掘が本格的になれば、風力や太陽光との間で、「クリーン」エネルギーの市場を食い合う可能性すらある。
    • 一方で、shale gasの採掘が水質汚染をもたらし得るのではないかという懸念がある。これについては、子Bush政権下のEPAが「問題なし」との調査結果を発表していたが、先日、Obama政権下のEPAが、この件に関する再調査を実施する旨、発表した。(おそらくこの記事。)
      (blog筆者コメント: ちなみに先日発表されたそれぞれとの共同宣言の中には、中・印両国におけるshale gas開発の援助が盛り込まれています。)
    • ニクソンは、マンハッタン計画とアポロ計画を引き合いに出しつつ、「石油依存からの脱却」を宣言したが、その後、30年以上が経っても、未だ実現しないどころか、むしろ、石油への依存度は当時よりも高まっている。石油からのエネルギー転換は、それほどまでに難しいということ。
    • 環境コミュニティ以外で、cap-and-tradeの導入を後押ししているのは、ヘッジファンドなども含む金融(とりわけGS?)業界のほか、農業系の利益団体、utilityの一部など。
    • 今後、climate-energy法案の審議が佳境に入った際には、cap-and-tradeの価格ceiling(K-B法案では、初年度=$28/t-CO2e、rising 5% over inflation anually)をいくらに設定するかというところで、両党間の妥協点が探られる可能性が高い。
    • とはいいつつ、climate-energy法案の成立可能性は現在のところ、50%以下と見る。health care法案の前にclimate-energy法案を審議していたならば、勝算は、もう少し高かったかもしれない。
    • Clean Air Actの二度の大改正(※ '70年改正と'90年改正?)はいずれも、共和党政権下で行われたものだった。民主党政権下で、大きな環境法案を通そうとすると、どうしても審議がpartisan化してしまって成立しづらい。①共和党政権下であり、かつ、②目に見える危機が社会全体で共有されている、というのが、法案成立には最も好ましい状況。
    • Manitoba大のVaclav Smil教授の論考がすばらしい。技術、経済、政治、歴史といったあらゆる要素が彼の議論のベースとなっており、エネルギー問題に関して、この人ほど深い議論を展開している人を他に知らない。
    いろいろと気になるトピックもあるので、適宜、フォローアップしていこうと思う。それにしても、エネルギーの世界――それも、その世界の限りなくコアに近いところ――で生き抜いてきた彼のような人の話を聞いていると、環境政策なんてものは、所詮、もっともっと大きな力学の中で設定される「ストーリー」の範疇でしか泳げない、微力な存在なのではないかという気がしてきてしまう…。
    my room, Washington DC, Dec 2, 26:41

    Wednesday, December 2, 2009

    Wind Turbine in Great Lakes

    地元(?)ネタ。NY州が、エリー湖とオンタリオ湖に、洋上風力発電を建設を計画しているそうです。
    NY Power Authorityの報道発表(2009/12/1)

    こういうネタこそ、ほんとはTwitterでつぶやけばいいんでしょうね(立ち上げてはみたものの、まだなんとなく、本格的に使おうという気になれてません。来学期の課題かな。)
    my room, Washington DC, Dec 2, 23:31

    Tuesday, December 1, 2009

    December...

    早いもので、気がつけば、今年も師走に突入。ということは、僕の30歳も残すところ48時間を切ったということ。まぁそれはどうでもいいんだけれど、DC滞在最後の月に入ったという事実には、正直、少なからぬ焦りを感じてしまう。ガーナから戻り、DCで暮らし始めたのが8月の半ば。それからずっと、「アメリカに帰ってきて、まだ間なし」という感覚が抜け切らないまま過ごしていたのだが、気がついてみれば、暑かったDCの気候も、近頃では、めっきり肌寒くなり、住み始めたころには青々と茂っていたご近所の街路樹の葉っぱたちも、枯葉となってほぼ完全に散ってしまった。今さっき、このアパートでは最後となる、12月分の家賃を納めてきたところ。具体的な日はまだ決めていないが、残り3週間ほどで、この部屋からも出ていくことになる。

    こんなことを書く時点で、31歳を目前にした男としては青臭すぎると言われてしまうかも知れないが、今学期のここまで、時間と機会を最大限有効に使ってこれただろうかと考えると、微妙だなぁ…という気がしてならない。いちおう、それなりにはコツコツと勉強をしてきたような気はするのだが、隙がなかったかと言われれば決してそんなことはない。なんとなく漫然と、3カ月間を過ごしてしまったような気もする。英語も、伸びたような、あんまり伸びてはいないような…(苦笑)

    ともあれ、年内に済ませないといけないことを数えてみると、若干、お尻に火が点いてきた。しばらくは、睡眠とblog執筆に費やす時間を節約しながら(これまでが時間をかけ過ぎていただけ、という話もある)、今年最後の一カ月、ちょっと必死にもがいてみようかと思っている。
    my room, Washington DC, Nov 30, 24:33

    Monday, November 30, 2009

    Galápagosisation

    だいぶ前にkinokumiya Bookwebの通販で買いながら、本棚(今の部屋に本棚はないので、正確に言うと地べた)に積んだままになっていた宮崎智彦著『ガラパゴス化する日本の製造業』をこの連休中に読んでみた。

    本著を貫くメッセージは、日本の製造業の、いわゆる「ガラパゴス化」に対する警鐘である。本著「刊行にあたって」の言葉を借りると、『国内独自企画の超ハイエンド市場とBRICsを中心とする世界市場で市場特性が大きく異なるダブルスタンダード化が進行』した(or している)結果、『日本市場が世界市場から孤立し、個性はあるが独自の生態系を持った閉鎖的な島に閉じてしまっている』状態が“ガラパゴス化”。

    このメッセージ自体は大変分かりやすいし、納得感もあるのだが、いざ、もう一段階、深く理解しようとすると、途端に個別技術の世界(半導体、液晶パネル、携帯電話、太陽電池 etc.)に入り込んでしまい、文系出身かつ背景知識ほぼゼロの僕には、いささか、perspectiveを掴みにくかったというのが偽らざるところ。まぁ、「技術」というのは、そもそもそういうものなのかもしれない。

    世の中、何について考えるときでも、一方の極には「具体」的なアプローチがあり、他方の極には「抽象」的なアプローチがある。「抽象」化を究極まで進めていくと、行きつく先は「自明」の領域であろう。「未解決な問題は、解決困難だからこそ未解決なのだ」なんて言ってみたところで、そんなテーゼは「自明」以外のなにものでもなく、実践的には何の意味も持たない。あらゆる事象に適用できそうな(それだけ「抽象」的な)テーゼではあるが、ただそれだけのことである。

    これはやや極端すぎるアホな例かも知れないが、ともあれ、ここから言えることは、ジェネラリストといえども、まともにモノを考えるためには、ある程度の深みまで、「具体」の世界に続く階段を下りていく必要があるということ。「技術」というものに関して言えば、この「具体」へ続く階段が、下り始めてすぐのところで、非連続的にいきなり深くっているように思う。「自明」とは言わないまでも、実践の用に供するには抽象的すぎるテーゼ(ex. 「これからの時代、環境技術はますます重要になる」)から、もう一段踏み込もうとすると、いきなり深くなってしまう(=その分、具体的な事柄について勉強しないと、次のステップまで踏み込めない)、といった性質があるように思う。これがたとえば「経済」や「法」だと、もう少し小刻みにステップが用意されているように思うのだが。

    そういった性質をもつ「技術」というものに、ジェネラリストたる自分(※)は、どうやって向き合っていけばいいのだろうか――そんなふうに考えた(或いは、ぼんやりとそう思った)というのが、本著を読んでみての率直な感想。今のところ答えはない。日本に帰るまでに何がしか指針的なものを掴めればいいなぁと思う。

    ※ ある人間がジェネラリストであるか、スペシャリストであるかは、きわめて相対的な問題であるが、世の中全体の中での自分の立ち位置というものを考えれば、まぁ、ジェネラリストと自称すべき領域に属しているのではないかと思う。
    my room, Washington DC, Nov 29, 23:59

    Sunday, November 29, 2009

    Car sharing with city office

    大阪人的には、箕面山の猿で有名な箕面市が、「市役所公用車のカーシェアリング化」に踏み切るとの由。以下、同市役所の報道発表より。
    箕面市では、市役所本庁で使用している公用車の全て(23台)をカーシェアリングによる運用に転換するという全国的にも珍しい取り組みを、平成22年度からの5年間で実現します。

    これにより、車両を有効活用した上で年間約130万円の経費が削減できるとともに、ハイブリッド車や電気自動車を配置することによりCO2排出量の削減にも寄与します。また、市民に気軽な外出手段と新たな利便を提供するとともに、福祉車両も配置し、車いす利用の家族とのお出かけ時などに新たな交通手段として利用できます。
    なかなか斬新なアイデアだと思う。もともと、休みの日の公用車なんて車庫に停めてあるだけなんだから、単純に考えれば、カーシェアリングの利用率がどれだけ低くても、やらないよりは儲かるはず。運営事業者へのfeeや保険料の上乗せ分などを考えても、カーシェアリング単体で事業を実施するのに比べれば、損益分岐点をかなり引き下げることができるだろう。

    カーシェアリング事業そのものについては、CO2排出削減の観点からもぜひ推進すべしといった議論が昔からあるが、同事業が本格的に軌道に乗ったという話はあまり聞いたことがない(アメリカではzipcarをちらほら見かけるようになってはきたが)。気候変動のようなlong-termの問題への対策が本格化するのは、よりshort-termの喫緊の課題(この例で言えば、箕面市の財政難(←たぶん))への対応と相乗りするようなときなのかも知れない。環境屋としては、そういった、ある意味での「チャンス」を逃さずに食いついていかないといけない、ということだろう(ただし、悪ノリは厳禁)。

    というか、「お前、どこで暮らしてんの?」と言われそうな話題。いちおう、DCで暮らしています(笑)
    my room, Washington DC, Nov 29, 18:45

    Saturday, November 28, 2009

    C&T vs Carbon Tax, in the long view

    今日読んでいたMurray, Newell, and Pizer (2008), “Balancing Cost and Emissions Certainty -- An Allowance Reserve for Cap-and-Trade --”の中に、以下のような一節を見つけた。
    for a cumulative emissions problem like greenhouse gases, a cap-and-trade program with sufficient banking and borrowing can in principle deliver a better outcome than taxing emissions.
    cap-and-tradeとcarbon taxの優劣を巡る論争は、昨日のエントリーでも書いたとおり、議論の尽きないところであるが、このペーパーは、
    1. 「蓄積型」の問題を有する物質が排出削減の対象であること(すなわち、毎年のフローの排出量ではなく、過去からの排出ストックの方が問題になる物質であること)
    2. bankingとborrowingが認められていること
    という二つの条件が成り立つ場合には、長期的に見れば、cap-and-tradeの方が、税よりも好ましい結果をもたらすと断言している。

    なぜそんなことが言えるのか。同ペーパー曰く、
    most previous analyses have either ignored or underappreciated both the evolution of information and the dynamic nature of policymaking that are core features of a long-term problem like climate change
    との由。つまり、気候変動対策のような非常に大きな不確実性を伴う政策課題では、政策当局が一発で、適正な水準に排出削減目標を設定できる保証はどこにもなく(というか、制度の更新・改定のごとに少しずつ適正水準に近づいていくと想定する方が現実的)、そうである以上、非規制主体(民間企業)が、「(政府によって設定された)今期の排出削減目標は、本来の適正水準と比べて強すぎる/弱すぎる」と考えた場合には、次期以降に削減目標が今よりも弱くなる/強くなることを想定し、自らの判断でborrowing/bankingを行う余地のある制度(=cap-and-trade)の方が、長期的に見れば効率的である、という主張。税の場合、非規制主体は、当期の目標水準をどう(過多or過少)見るかにかかわらず、政府によって設定された税率に従うしかないので、こういった形でintertemporalなarbitrageが働く余地はない。
      
    非規制主体の合理性を過剰に評価している感は否めないが、考え方としては非常に興味深いと思う。
    my room, Washington DC, Nov 28, 22:30

    Another option for offset

    生煮え、悲観的、かつ、誰かが既に考えていそうなアイデアではあるが、せっかく思いついたので、忘れないようにつぶやいておく。
      
    先進国内での排出削減に限れば言うに及ばず、途上国でのCDMを考慮に入れたとしても、短期的に削減可能な温室効果ガス(GHG)の量には、現実的に言って、上限というものがある(コストを省みなければ上限はないが、そういった議論にあまり意味はない)。このことを考えると、先進各国がいくら野心的な排出削減をコミットしたとしても、最終的にcreditがshortし、schemeそのものが破綻する可能性を否定することはできない。
      
    schemそのものの破綻という最悪の事態を避けるためには、先進国(=排出削減義務国)が途上国で実施するadaptation事業からも(mitigation事業と同様に)creditを得られるようにしておく、というのが一案ではないかと、さっき、スタバでコーヒーを飲みながらふと思いついた。もちろん、それを実際に運用するとなると、どれだけのadaptaition事業とcredit一単位を等価とするか、credit発行のための手続きをどのように設定するかなど、実務上の問題が目白押しなのではあるが、大筋の発想としては、ナシではないような気がする。
    my room, Washington DC, Nov 28, 20:43

    "Macroeconomics and Climate Science: compare and contrast"

    例の“Climategate事件”(と世間では呼ばれているらしい)に触発されたカナダのエコノミスト(Nick Rowe)が、マクロ経済学と気候科学(climate scienc)の類似点・相違点をblogに書いている。himaginaryの日記さん経由。himaginaryさんのエントリーには、同氏による邦訳も付されている。僕自身も、財政規律の問題と気候変動問題の類似性/相違性について(非常に稚拙な内容ながら)エントリー(10/18)を立てて論じたことがあったので、興味深く読ませていただいた。

    両者の相違点として、Roweが最も強調しているのは、マクロ経済学には、その学界の内部に学派間の大きな論争があるが、気候科学にはマクロ経済学に見られるほどの大きな内部対立は見られないという点。これについては、himaginaryさんの記事へのトラックバック記事の中で、onkimoさんという方が、
    気候学の場合、温暖化する、という定性的なところはまあ争いがありません。何度上がるか、という定量的なところはまだ意見の一致が見られていない、というより、まだだれも確実に知らない、ということでしょうが。
    と書いておられる。なるほど。
    my room, Washington DC, Nov 28, 12:28

    Friday, November 27, 2009

    cap-n'-trade vs carbon tax

    cap-n'-trade と carbon taxではどちらがより効率的か――この議論については、このblogでも過去、何回か扱ってきた。
    • 2009/10/03: Mankiwの語る「cap-and-tradeよりも税の方が市場の歪みをより小さくできる理由」について。
    • 2009/09/11: 「税の方がcap-and-tradeより優れている6つの理由」by Nordhaus
    • 2009/04/28: 「quantity-type approachよりもprice-type approachの方が優れている」とするNordhausの著作に対する僕自身の考え。
    自分の頭の悪さを棚に上げて言わせてもらうと、この論争は、何気に相当複雑で、この論争に結論を出すなんてのは、そう簡単なことではないように思われる。世の中(特にアメリカ)では、「理論的に言えば税の方が本当はいいんですけどね…」と言われることが多いが、果たして本当にそう言い切ってしまえるのだろうか。そもそも「理論的には」ってどういうこと??ってお話。「理論的には」と言うからには、両者とも、理想的状況(かそれに近い状態)を想定して比較しているのだろうが、そのときに、どこまでのノイズを考慮するかは、論者によってまちまちのような気がする。

    こういった複雑な問題と相対するに当たっては、まずは、基本の「キ」の字を押さえておくことが大事だろう。最近読んだ、IMF機関紙(Financial & Development)の記事(2008年3月号)に、「どういう条件が整えば、cap-and-tradeとcarbon taxは無差別だと言えるか」がコンパクトに書かれた一節があったので、忘れぬように引用しておく。(下線はblog筆者)
    If all emission quotas under a cap-and-trade arrangement are auctioned to the highest bidders, and with full certainty about emissions (and the emissions price), the two mechanisms are equivalent: replacing a cap-and-trade scheme with a carbon tax at a rate equal to the market-clearing permit price, emissions, and government revenue will be exactly the same. [Benjamin Jones, Michael Keen, and Jon Strand, 2008,"Paying for Climate Change," Finance and Development, Volume 45 (March), pp.28-31]
    my room, Washington DC, Nov 26, 25:13

    Thursday, November 26, 2009

    Mercy & Logic


    少し前に読んだ後藤田正春氏の回顧録『情と理 ―カミソリ後藤田回顧録―』()の感想をまとめておく。正確に言うと、感想というより、僕自身が後で読み返すときのための読書メモ。そのまま引用させていただいたところ(二重鍵カッコ)と、僕が勝手に「小見出し」的な要約を付けさせていただいたところがあるので、要約部分について詳しくお知りになりたい場合は必ず原典に当たってください。
      
    本書全体を通しての、文字通りの「感想」を書こうかとも思ったのだが、後藤田さんご本人の生の言葉を前にしては、意味薄弱にして陳腐な言葉の羅列以上にはなりえない気がしたので、やめておく。以下、本書からの引用及び要約を。
    • 憲法9条に関する考え方(上巻p.124)
    • (昭和26、27年当時を振り返って)『よくぞ共産革命が起きなかったなと、今の時点で振り返ってみて思いますね。あの時期を乗り越えていった日本の政治指導者、それを認めた国民の選択の賢明さというものは、今から振り返ってみると、良かったなというのが率直な感じです。』(上巻p.133)
    • 警察に関する考え方(「忍」の一字、受身の行政、それであるが故の情報力の重要性)(上巻p.148)
    • 国家公安委員会による警察組織のコントロールのあり方(人事権を介した監督、個々の事件についての指揮監督権はない)(上巻・p.153)
    • (今の警察制度を肯定し、国家警察設立という考え方を批判しつつ)『やはり権力は諸刃の刃ということを絶えず考えていないと過去の愚を繰り返すと思いますね。』(上巻・p.158)
    • (官僚時代の後藤田氏から見た田中角栄評価として)『あの人ぐらい早く中身を飲み込む人はいない。理解が早い、そして即決する。わかった、と言ったら必ず実行してくれている。』『見通しが確か』『必ず努力してくれる。』『必ず結果の報告が事前にある。』『この人ぐらい頼りになる人はなかった』(上巻・p.184)
    • 自身の自治次官就任固辞を巡る自治大臣(当時)とのやり取り(上巻・p.226)
    • (部下を叱るときには袋叩きにはせず、逃げ道を与えてあげることが重要だとした上で)『具体的には、厳しく言った後で、「まあそういうことだよ、君な」というようなかけ声をひとつかけてやるわけですよ。』(上巻・p.235)
    • (ベトナム戦争当時のアメリカ情報機関について)『非常に合理的でお金を十分かけているし、ある意味において、合理的とでもいうか、そういう活動はしているけれど、情報機関のやり方としてはあまり上手ではないな、という印象でしたね。要するに、すべてを物量で押していくということですから、やはり情報ということから考えると少し無理なのではないか、無理というより、成果が少ないのではないかという印象でした。』(上巻・p.260)
    • 『罰則さえ強化すれば事件が減ると思っているのは、基本的に間違いだ』『要するに素人は、罰則をむやみに強化したがるんだ。』(上巻・p.271)
    • 真野毅氏国家公安委員任命の際の国家公安院長とのやり取り(上巻・p.274)
    • 日中国交回復の際の田中総理、大平外相の動き(上巻・p.338)
    • (オイルショック時の売り惜しみ買い占め問題対応法案の際の経緯触れて)『総理、罰則はあまり強いのはいけませんよ、と。なぜだ、と言うから、罰則が強いと罰則の構成要件をどうしても厳しく書かざるを得ません、そうなると、取調官庁は動きにくくなる』(上巻・p.360)
    • ロッキード事件に関する誤発表を巡る防衛庁幹部とのやりとり(上巻・p.389)
    • 日中平和条約に向けた動き(昭和52年の訪中と、帰国後の政府内部での動き)(上巻・p.412)
    • 自治大臣時代、昭和55年の衆参同日選挙の可否を巡る事務方とのやり取り(下巻・p.26)
    • (官房長官時代に田中六助氏から受けた指摘として)『後藤田さん、あなたは総理の前で他の人がおるときに平気で、それはいけない、とかやっつけるだろう、あれはよせ、と言うんだな。二人だけならいいよ、と。ああ、いいことを聞いたといって、僕はそれからは、よほどのことでないと第三者がおるときには言わなくなった。』(下巻・p.105)
    • 国鉄民営化成功の要因(カリスマ性のある会長、中曽根総理の政治手法)(下巻・p.108)
    • (行管庁・総理府の統合を巡る経緯に触れて)『私は本当にこの時に初めて、役所の統合がどれくらい難しいかを痛切に感じました。』(下巻・p.134)
    • 昭和61年の衆参同日選に向けた中曽根総理の「不退転の決意」(下巻・p.166)
    • (内閣への各省からの出向人事に触れて)『とかく母屋を見ているんですよ。それは人事ですよ。』『だいたい使いっ放しになるんだ。問題はそこにあるね。』(下巻・p.210)
    • (アメリカの大統領府に言及しつつ)『あそこの三権分立と日本の三権分立は全然違いますしね。それから役人の任命がこちらはメリットシステム(実績主義)だし、向こうは、幹部は全部スポイルズシステム(政治任用)ですよ。まったく違う。今の大統領府は、1936年のブラウンロー委員会の答申を受けてできたんですよ。ところが、あれはうまくいってるかというと、必ずしも中へ入ってみると良くないんだ。』(下巻・p.210)
    • イラン・イラク戦争時、ペルシャ湾への掃海艇派遣を巡るやり取り(下巻・p.226)
    • 掃海艇派遣への反対を最後まで貫けた理由(組織に頼らない自前の情報収集能力、「辞める腹」)(下巻・p.228)
    • (総理の座を巡る権力の奪い合いについて)『要するに、鉄砲での殺し合いから票による奪い合いになった。そこが進歩しただけだ。』(下巻・p.248)
    • 『僕は、党の改革は中でやれということで終始一貫している。出ていって、外からワーワー言っても意味はない。中からひっくり返してしまえということですよ。』(下巻・p.296)
    • (湾岸戦争後の掃海艇派遣に関して)『ショートカットで法律に規定のないことをやるのはよくない、ということです。ちゃんと法の整備をやれと言っているんです。』(下巻・p.315)
    • 宮沢内閣不信任決議の際の動き。(とりわけ、武村正義議員の動きについて)(下巻・p.331)
    一言だけ、感想を述べるならば、やはり、先人の言葉に耳を傾けることは、本当に大事だな、ということ。別にネームバリューがあるというだけで、ある人の言葉をすべて鵜呑みにするということではないが、人間の営みなんて、所詮は数十年スパンで繰り返している部分が多いということを考えると、いちいち、自前でゼロから考えるより、学べるところは学びとってしまう方が効率的だと思う。また、一発勝負(=自前の試行錯誤経験に頼れない、という意味で)の危機対応などに関して言えば、それに似たシチュエーションが過去に起こった際にどういった対応が取られたかを知っているかどうかで、その後の対応に、決定的な巧拙の差が生まれてしまうのではないかとも思う。
    my room, Washington DC, Nov 26, 23:30

    Smart Grid / US-India

    アメリカの温暖化・エネルギー政策関連ニュース二つ。

    その1。この日のエントリーで触れたSmart Grid Demonstration Programs (SGDP) ($620 Million)の補助対象プロジェクトが24日に発表された。簡単におさらいしておくと、SGDPは、Recovery Actに盛り込まれている、2つのSmart Grid関連政策のうちの一つで、もう一つのSmart Grid Investment Grant (SGIG) Program ($3,400 million) が商業利用段階のdeploy政策なのに対して、こちらは実証実験段階が対象。記事によると、民間資本$1 billionと合わせ、総額$1.6 billion(約1,300億円)が全32件の実証実験に投入されるとの由。

    プログラムは大きく二つに分けられ、$435 million(16件)は、regional Smart Gridの実証実験へ。残りの$185 million(16件)は、utility-scale energy storageの実証実験に充てられる。storageの方の16件の内訳は、ざっとこんな感じ。幅広く手をつけておこうといった感じか。

    - CAES (Compressed Air Energy Storage)…3件(150 MW in NY, 300 MW in CA, 1 MW/4hr in NH)
    - wind generation+lithium-ion battery...1件(8MW in CA)
    - wind generation+hybrid-energy storage system...1件(20MW in TX)
    - wind generation+EnergyFarm...1件(25MW - 75MWh  in CA) ※ EnergyFarmの内容不明
    - PV+zinc-bromine flow battery...1件(2.8MWh in NM)
    - flywheel...2件(20MW in IL; in CA)
    - flow batteries...2件(500-kW/6-hour × 7 in NY, MA, CA; in NM)
    - Community Energy Storage (CES)...2件(25kWh-lithium-ion batteries in CA, 25kW/2hr-secondary-use electric vehicle batteries, MI)
    - sodium-ion battery...1件(in PA)
    - vanadium redox battery...1件(1 MW in OH)
    - lead-carbon UltraBattery...1件(3 MW in PA)


    もう一つは、同じく24日に発表された米印間のGreen Partnership MoU先日の米中共同宣言に負けず劣らぬ興味深い内容となっている。以下、MoU概要;

    - Energy Security, Energy Efficiency, Clean Energy, 及び Climate Change分野での協力の推進
    - インドでのclean energy projectsの推進
    - "the Copenhagen outcome must be comprehensive and cover mitigation, adaptation, finance, and technology." ("emission reduction targets for developed countries" 及び "nationally appropriate mitigation actions" への言及あり)
    - Indo-U.S. Clean Energy Research and Deployment Initiativeの始動(含、Joint Research Centerの設置。)
    - 太陽光・風力発電分野での協力(インドにおけるnation-wide map of solar energy potentialの作成、low-wind speed turbine technologyの開発、etc.)
    - unconventional natural gas分野での協力
    - インドにおけるNational Environmental Protection Authorityの設立に向けた協力
    - Agricultural Cooperation and Food Security
    - more accurately forecast monsoonsに向けた両国気象機関の協力
    - 農業、エネルギー、global climate changeの各分野での定期的対話の継続

    職業柄、特に気になるのはEnvironmental Protection Authorityの設立協力。MoUには、"focused on creating a more effective system of environmental governance, regulation and enforcement"とある。
      
    いつも言っていることだが、ただ「環境が汚されています」「CO2が盛んに排出されています」というだけでは、環境技術への需要は生まれない。個別の企業(或いは家計)を義務者とした具体的なregulationが入り、それが着実にenforceされて初めて、環境技術への需要が本格化する。その意味で、アメリカは、非常に重要なところを押さえてきたと思う。
    my room, Washington DC, Nov 26, 14:29

    Safety Valve

    先週末のエントリーに書いたとおり、これまで実施された中で人類史上最大のcarbon marketであるEU-ETSでは、credit価格のvolatility(変動性)が大きな問題となっている。このことは、アメリカの専門家の間でも当然認識されており、現在、上院で審議中の環境・エネルギー法案(Kerry-Boxer法案)に盛り込まれているcap-and-trade制度には、emission allowanceの価格にfloor(下限)とceiling(上限)を設ける仕組みがbuilt-inされている(詳細こちら)。その仕組み自体を不安視する向きがあるという話も、以前、このblogで書いた(こちら)。

    スウェーデンの電力業界お抱えのElforskという研究機関が、昨年(2008年)10月、このvolatilityの問題を扱った“Managing Cost Variability in Emission Allowance Markets”というペーパーを出している。なかなかきれいにまとまった論文だったので、以下、そのポイントを。

    曰く、目下、検討されている、価格変動軽減のための方策には、主に、以下の6つのものがある。最初の二つは、直接的に価格変動を抑えるものではないが、価格を抑えることによって、間接的に価格変動を抑えようという仕組み。残りの4つは、価格変動そのものを直接的に抑えることを目的とした仕組みである。

    Offsets: cap-and-tradeでカバーされていない発生源からの温室効果ガス(GHG)の排出削減活動に対して、削減されたGHGの量に見合ったcredit(allowanceの代替品)を発行する仕組み。市場全体で見れば、allowance及びcreditの総供給量を増やし、allowance価格を引き下げる効果を持つ。Kyoto Mechanism下のCDM(クリーン開発メカニズム)がその代表例であるが、理論的には、必ずしも、国外で行われる活動に対象を限定する必要はない(現に、K-B法案は、アメリカ国内での活動にもoffset creditsの発行を認めるとしている。)

    Investments: 省エネ促進のための投資がallowanceの需給を緩め、価格の低減に貢献するというお話。

    Banking and Borrowing: 次(以降)の約束期間へのallowanceのcarrying over(Banking)及び/又は前借り(Borrowing)を認める仕組み。経済的には、①GHG排出抑制投資の長期的視点から見た最適化、②価格変動の安定化(∵排出抑制コストの長期期待に見合った値動き)、といったポジティブな効果を持つ。Bankingは、cap-and-trade制度の継続要望を高める政治的効果を伴うが、Borrowingは、そのまったく逆向きの効果を伴ってしまう。

    Private Sector Instruments: 政府が対応するまでもなく、市場自ら、価格変動に対応するための金融商品(先物、オプション取引、etc.)を生み出すのではないかというお話。実際、EU-ETSとRGGIについては、先物取引が既に行われている。(※ このペーパーでは言及されていないが、EU-ETSについては、オプション取引も行われていたように思う。)

    Carbon Market Efficiency Board: 通貨市場における中央銀行に当たる機関を創設し、同機関に、一定の範囲内でallowanceの供給量を調整する権限を与え、市場の価格安定の任に当らせるとする仕組み。2008年のLieberman-Warner法案で提案されていた。

    Quantity-Limited Allowance Reserve: allowanceの価格が、あらかじめ設定された上限値(ceiling)を越えたときに、allowance reserveから、allowanceを自動的に放出する仕組み。allowance reserveについては、通常のプロセスの中でallocateされるallowanceとは別に、一定量を確保しておくとする方法や、将来の約束期間から“borrowing”してくる方法が考えられている。

    Safety Valve: allowance価格がceilingに達した場合には、量的な制限を設けずに追加的allowanceの放出を行うとする仕組み。

    以上の整理を示した上で、このペーパー自体は、Safety Valveに、ceilingだけでなく、floor(価格の下限値)も設けることによるSymmetric Cost Managementを推奨している。floorの導入により、single-sided safety valveの持つ欠点(①民間の投資計画に狂いを生じさせる点、②スキーム全体の排出削減量を減ずる点)が補われ、以下のような結果が期待される、とする。

     以下、感想。

    1. Symmetric Cost Managementについてのシミュレーション(その結果が上の棒グラフ)では、①価格変動は正規分布に従うことと、②ceilingとfloorは価格の期待値から等距離(1 s.d.)に設定されることが前提とされており、その前提が狂えば、当然、上のような美しい結果は導かれない。近似的にでさえ、そのような前提が成立すると言えるのか?

    2. このペーパーでは、Carbon Market Efficiency Board、Quantity-Limited Allowance Reserve、Safety Valveという3制度間での優劣比較はなされていない。それぞれ、どういったpro-conがあるのか?

    3. 何らかの商品の市場において、価格変動幅を一定の範囲内に収める試みが実施されたことはあるのだろうか。また、実際には導入されないまでも、通貨市場におけるceiling及びfloorの設定が議論されたことはあるのではないかと察するのだが、あるとすれば、そこからはどういったimplecationが得られたのか。更に、固定相場制は、この制度を究極的に強めた形とも言えるように思うのだが、同制度の経験から得られるimplecationとは何か。
    my room, Washington DC, Nov 26, 9:04