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Monday, June 21, 2010

思い出づくり

二年前に買ったまま、これまで一度も使う機会のなかった“Hiking New York”なる本を活用するべく、突然思い立って、ハイキングを企画してみた。行き先は、Syracuseから二時間ほど北東に走ったところにある、ちょっとしたトレイル。こんな「藪から棒」企画にお付き合いくださったのは、MPA/IRの二年目組アメリカ人の皆さんと、日本人MPA生の皆さん。ありがとうございます(って、ここで書いても前者の人たちには届かんな)。心配された雨に遭うこともなく、終日、気持ちいい快晴の下、いつになく健康的な一日を過ごしてきました。

ハイキングコースに向かう道すがら、wind firmの真っ只中を通過。規模がメチャクチャ大きかったので、これはもしやと思って帰って調べてみたら、やはり、NY州内最大のwind firmであることが判明。このwind firm、僕の書いた論文に、ダメな風力発電の例として登場するもの。建ても建てたり、195基の風車を建てたはいいが、作った電気を送りだす送電網容量が不足していて、ピーク時には電気を100%送り出せないというのが現状らしい(参考)。せっかく電気作ったのにね、残念…。
二年間連れ添った愛車、CR-Vとの遠乗りも今日のハイキングがたぶん最後。思いがけず、トレイルヘッドに繋がる最後の数mileが未舗装のダート道だったので、わざと水たまりのあるとこを選んで走ったりしながら、最初で最後の“RVらしい”走りを満喫してみました。そういう意味でも良い思い出を作れた一日。
my home, Syracuse, June 20, 25:37

Sunday, June 20, 2010

デカいにもほどがある。

同級生M君とのドライブ旅行第二弾。第一弾の報告、まだ書いてなかった気がするけど、まぁなんしか第二弾。

今日の行き先は、感覚的にはお隣(?)大学のCornellさん。農学、ホテル学、開発学etc.で世界にその名を轟かす名門中の名門。我がSyracuse大学とは、upstateの雄の座を二分する関係にある(と思っているのは、たぶんうちだけ。)
  
Cornell大学は相当な田舎に位置している。Syracuse在住の分際で何を抜かすか!と突っ込まれそうだが、はっきり言って、うちの比ではない。何せ、Cornell生にとっては、このSyracuseに「出て」来て買物するのがイベントになるというくらいだから、その田舎ぶりが察せようというもの。

そんなわけで、都会人bayaとしては、「いつかそのうち行ってやろう」「行けなかったらそれはそれでOK」くらいに思っているうち、いつしかその存在すら忘れかけていた。このたび、M君からの貴重なるお誘いを受け、ついに訪問する機会を得たわけだが、いざキャンパスに足を運んでみて、実物をこの目で見るなり、直観。

ワタクシ、見くびっておりました。

何はともあれ敷地がデカい。うちとCornellを同縮尺で比べると、うちの大学がかなり貧相に見えてしまう。
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実際、キャンパス内を歩いてみて、その広さと風格に圧倒されてしまったワタクシ(とM君)。学び舎の風格という意味では、これまで見てきたどの大学(Harvard、MIT、Columbia、NYU、Chicago U、Naval Academy、UC Berkley、GWU、AU)よりもCornellの方が上に感じられました。広いといっても、ただだだっ広いだけでなく、アイビーリーグの名にふさわしい気品を漂わせているところがこれまた素敵(←完全にやられちゃってる人)

ただ、問題は、結局元に戻るが、「田舎すぎる」ということだと思う。Syracuseもたいがいだが、Cornellで車がないと、移動の自由が本当になくて難儀すると思う。Ithacaの街からは完全に隔絶されているので、歩いてキャンパス外に出るのは事実上不可能だし、キャンパス内の移動にしても、車がないとかなりきつそう。学期中になれば、バスが頻繁に運行されはするんだろうけど。まぁそうやって荒さがしをしながら、Syracuse大の相対的な優位点を必死に探していた、というのが本当のところなのかも知れません…。
キャンパスの中を貫く渓谷の壮観
my room, Syracuse, June 19, 26:00

Monday, May 17, 2010

Precious experience??

Syracuse到着予定時刻まで1時間を切った正午過ぎ、前掲のエントリを準備していたら、突然、大きな「ガタン」という音とともに、車輛両側の窓が粉塵に包まれる。「さすがに運転荒すぎだろう」と思っていたら、慣性力を使いきったところで列車は停車。と同時に、石油の臭いが車内に発ちこめはじめた。

「え?事故??」なんて思っていると、「車両後方に移動せよ」との車内アナウンスが。小さい方の鞄だけ引っ掴んで人の流れに乗る。車両後方の出口から地面に降りたところで待機命令…。というわけで、見事に鉄道事故に見舞われたのでありました。

現場では、事故原因についての説明はなかったが、この記事によると、隣に停まっていた貨車の破片を拾ったのが直接の原因だったらしい。その破片が、ディーゼル機関車の燃料系統を破損。線路の上にディーゼル燃料を撒き散らすとともに、機関車は自走能力を損亡。一瞬、火の手があがったとの話もあったが、その辺のところはよくわからない。とにもかくにも、幸い、けが人は一人も出なかった模様。
(とりあえず追い出されてみた人たち。)

線路の脇で2時間ほど待たされた後、地元消防署のバスに分乗して、最寄りのUtica駅に移動する。後続の列車が同駅に到着したところで、僕ら先行列車の乗客が乗り込む。それが3時半ごろ。事故現場の安全確認が出来次第、出発するという話だったが、それが結局8時ごろまでかかり、日が暮れかかった頃になってようやく出発。途中、事故現場で一旦停車し、事故列車から運び出された乗客の荷物をピックアップした上で、残りの旅程に向かった。幸い、僕の荷物は問題なし。

それにしても、こういう場面でのアメリカ人のおおらかさには驚かされる。日本で同じことが起これば、乗客の詰問の嵐の中で右往左往する乗務員の姿が容易に想像できるが、そういった局面は、最初から最後まで、一度も訪れなかったといっていい。「荷物はどうなるの?」との質問が出ても、乗務員が「消防署の現場検証が終わるまではまったく手出しが出来ないし、それが何時に終わるかも我々Amtrak側にはわからない」とだけ言ってしまえば、乗客の側はあっさり納得する。日本での様子を見慣れている側からすると、そのやり取りは、まるで魔法か何かのよう。線路で待たされている間もガタピシ文句は言わず、知らない者どうし、自然と会話を初めて適当に盛り上がるのみ。Utica駅への送迎に来た消防バスの運転手が「このバスは無料ですよ」なんて場違いなギャグを飛ばしたところで、「不謹慎だろう」的な反応はなく、皆、手を叩いて喜ぶ(それも、いわゆる「乾いた笑い」でなく、ホントの笑い)。というか、そのギャグを「場違い」だと感じたこと自体、そのバスの中では僕だけだったのかも知れない。

昔から思っていることだが、こういう局面で、なぜアメリカ人が「大人」な反応をとれるのかはよくわからない。一方の日本人が、ヒステリックに反応し過ぎなだけという気がしないでもないが、ただアメリカ人とて、あらゆる場面で「大人」なわけでは決してなく、むしろ子供っぽい性向の強い人たちでもあるわけで、なぜ事故や災害で交通機関が遅れたときの反応がこんなにおおらかなのかは、僕的に非常にナゾなまま。今日の事故で、そのことを改めて感じた。

そもそも、公共交通機関に対する期待値が低いということもあるのだろう。サービスに対する期待値が一般に低いということなのかも知れない。レストランのウェイター/ウェイトレスのサービスの悪さには、今でもたまに腹が立つことがあるが、アメリカ人のお客さんが、苛立っているような様子は見たことがない。

ただ一方で、苦境の時ほど力を発揮する、彼ら一流のユーモアの精神も功を奏しているのかなとは思う。この点に関しては、日本人も大いに学んで欲しい気がする。まぁアメリカ人にはそれと同じかそれ以上の勢いで、東アジア的勤勉さを学んでいただきたいですけど…(笑)
で、結局Syracuse到着は夜の10時。DCを3:15に出て以来、都合19時間の長旅でした。へとっ。
my home, Syracuse, May 16, 25:48

Precious friends, precious words

前回のエントリをアップして以降は、NYとDCで密度の濃い36時間を過ごす。金曜午後、NYで勉強会(+ 懇親会)に参加した後、土曜朝一のバスでDCに移動。お昼前に到着後、DC時代の友人宅でのお好み焼きパーティにお呼ばれ。夕方からは、来月アメリカを発つ予定の、とある後輩のフェアウェルパーティに出席。三次会まで盛り上がった後、日曜早朝3:15amのAmtrakでワシントンを発。朝、NYで乗り継ぎ、Syracuseに向かう列車の中でこのエントリを執筆中。

DCでの僕の交友関係は、昨秋の、その後輩君との出会いをきっかけに、何倍にも広がった。そんな彼の送別会には、実にたくさんの人たちが集まり、彼の交友関係の広さと、人望の厚さとを物語っていた。彼との親交は、留学終了後も、末長く維持し続けていきたい交友関係の一つ。また、彼のおかげで知りあうことができ、昨日、数か月ぶりにお会いできたDC在住日本人の方の中にも、同じように連絡を取り続けたいと思える方がたくさんいらっしゃる。こうした出会いの機会を得られたことは本当にラッキーだったと思う。
    
その前夜、NYでは、こちらでお仕事をされてそれぞれ20年、30年になる在米邦人のお二人から、いろんなことを教えていただく機会を得る。お二人曰く、数としては、在米日本人はそれなりにいるけれども、「お客さん」ポジションを脱し、他のアメリカ人と変わらぬ扱いで、米国社会の中核に食い込めている日本人は、本当に少ないんだとか。加えて、日本本国の側が、そのことの重要性を認識できていないとも。むしろ、そういった方々の存在を「見なかったこと」にしようとする心理が働きがちだともおっしゃっておられた。
 
一方で、日本人(或いは非欧州系米人)がどうあがいても越えられない、ある種、本能的な「壁」が存在する可能性についても言及しておられた。それは、僕らが、自身の拙い英語力の故に感じるコミュニケーションの壁とはまったく異質のものなのだろう。何不自由なく英語を使いこなし、組織や社会に何ら遜色のない貢献を果たしていても、越えられない「壁」。それは、この国(の主流派)の人たちの、ある種本能的な反応であり、彼らが非常事態に見舞われ、理性が限定的にしか働かなくなったときに、顕在化するものなのかも知れない。
   
いずれにせよ、日本人が、この国の中でどのあたりまで食い込めて、どのあたりで「壁」を感じるのか、そこの微妙な感覚は、彼らのように、何十年もかけてこの国で苦労を重ねながらキャリアを積んでこられた方々にしか把握しきれないものなのだろうと思う。こういった、本ではとても勉強できないようなお話をうかがえたことも、留学の非常に大きな成果だと思う。
Amtrack車中にて May 16, 12:00 

Sunday, May 9, 2010

Second Straight Win

シカゴから無事帰還。シカゴの空港でのチェックイン時に、「目的地のお天気:1℃/Snow」と表示されているのを見たときは、正直、我が目を疑ったが、幸い、僕が到着したときには雪は降りやんだ後だった。もっとも、お昼間には、かなり本格的な雪が降っていたらしい。卒業式間近だからと言って、天気の神様もそこまで本格的に演出を施す必要はないと思うのだが…(って、アメリカ人の頭の中に、“卒業式=寒いモノ”なんてイメージはそもそもないのか)。

シカゴでは、このブログでも予告(??)していた通り、数年ぶりに会う後輩と何をするでもなくぶらぶらと過ごす。お互い、是が非でも観光地を巡らねばというタイプではないので、非常に気がラク。街をぶらぶら歩いたり、ホテルの部屋でTVを観るともなく観たりしながら、近況報告に華を咲かせる。
    
二カ月の短期間とはいえ、こちらにいる間、アメリカ人の部下を従えて仕事をしているという彼の話は、なかなか面白い。英語自体もさることながら、労働習慣という意味でも、日米の違いに日々接しながら、次々と押し寄せる壁を乗り越え(たり乗り越えられなかったりし)ているのだろう。そう考えると、自分も、去年の秋インターン中、もっともっと積極的にアメリカ人ワーカーたちと絡むべきだったなぁと反省。。

ゼミの同期や先輩/後輩の近況話になると、ややしんみりした気持ちにもなる。卒業から10年近くも経てば、当たり前だが、結婚していたりしていなかったり、東京にいてたり地元に戻っていたりと、各人各様の人生を歩んでいる。互いに比べてみたところで何の意味もないのだが、数年前には、みな、だいたい同じ地点に立っていたのが、今や、「てんでバラバラ」とまでは言わないまでも、人それぞれに違った方向を目指して進んでいっていることを思うと、彼らもそうだが、自分自身も、戻りようのない数年間を送ってきたんだなという事実に気付かされる。必ずしも、いまの仕事を一生続ける必要はないにしても、これまでの経験をチャラにして新しいことを始めるのには遅すぎる年齢に達しているのもまた事実。良きにつけ悪しきにつけ、これまでの蓄積を土台にして、その上にキャリアを積み上げていくしかない。蓄積なくして大きな仕事はできないので、むしろ、積極的に評価すべきことなのかもしれないが、自分の取りうる選択肢が狭まりつつあることに、寂しさや、一抹の不安を覚えるのは、それはそれで、人間のサガというものだろう。

なんてことを書いてはみたものの、シカゴ滞在中は、完全に弛緩しきったモードで過ごす。一昨晩に続き、連夜の野球観戦となったWhite Sox vs Toronto戦では、途中、野球を観るより、周りの人間の人間観察に忙しくなる一幕もあったが(突っ込みどころ満載な人多すぎ!!)、気が付けばWhite Soxが勝利を収めていて、前夜のSyracuse Chiefsに続き、僕の中では二連勝。試合後には、予想だにしていなかった勝利の花火大会までオマケで付いてきた。

唯一問題だったのは、5月ともあろうに非常に肌寒く、街行く人たちがコートを羽織っている中、我々二人は、シャツにセーターという薄手の出で立ちでChicagoに乗り込んでしまった点。後輩君は結構寒さにまいってしまって、ホテル帰宅後には、寒さからくる腹痛に苦しめられていたほど。非常に申し訳ないことをしてしまったのだが、僕はというと、なんだかんだでまぁまぁやり過ごしてしまい、二年間のSyracuse生活の成果を改めて確認する結果に(←そこで!?)

ともあれ、特にこれといって派手なことはしなかったものの、後々、良い思い出として記憶に残りそうな、たいへん良い感じの週末Chicago旅行でした。以下、いつも通り写真を(なぜか表示順がランダムなので、時系列順に見たい方はflickrサイトをどうぞ)。

Maxwell School, Syracuse, May 9, 22:09

Friday, May 7, 2010

weekend trip

最近、更新が滞りがちですが、基本、元気に過ごしてます。引き続き、二本のペーパー(Independent Studyのthesisと、もうひとつ、他の授業のterm paper)と格闘中。いちおう、ゴールに近付いている…とは思いたい。まぁ、たぶん近付いてるんでしょう。そうであっていただきたい(笑)

先ほど、今学期最後のプレゼンを終えたところで、今晩からは、二泊三日のChicago旅行に行ってきます。主たる目的は、大学時代の後輩との再会。日本にいたときから長らく会っていなかったので、彼と会うのは、二年どころじゃなく、何年ぶりか。そんなわけで、観光をするというよりは、彼とゆっくり話をするのがメインになりそう。といいつつ、明日のランチは、彼がChicagoに到着する前に一人で済ませることになりそうなので、メキシコ料理チェーン店、Chipotleの在処をGoogle mapで打ち出しておく。どんだけ好きなんだよ!? と突っ込まれそうだが、この気持ちは、いつでもChipotleに行けてしまう都会の人にはわかるまい(笑)

今晩は9:41発の夜行列車に乗車。それまでは、同級生たちと一緒に、地元AAA球団、Syracuse Chiefsのナイターを観てきます。誘ってくれた日本人のN君(元高校球児)によると、今夜の試合は、昨年全米ドラフト一位の剛速球ピッチャー、ナントカ君(←名前忘れた)のAAAデビュー試合なんだとか。うまくいけば、二、三年後に、「オレは、ナントカが一軍デビューする前からずっと追っかけてたんだぞ!!」と自慢できるようになるかも(←若干、脚色気味)。そんな期待を込めつつ、今宵のナイター、楽しんできます。

ちなみに、球場と駅があるのは、ともに、市内から車で15分程かかる中途半端に不便なところ。ただ、その二つは隣り合っているので、ナイターを見終わった後に夜行列車に乗る人(←そんな人、僕以外にいるか??)にとっては非常に便利。二年間、この街に住んでいて、初めて「Syracuse駅って便利なところにあるな」と感じた瞬間。
Maxwell School, Syracuse, May 7, 17:41

Sunday, April 18, 2010

NHL Playoff

今日はシラキュースブログ界の御意見番、くもすけさんと連れだって、アイスホッケー観戦に行ってきました。
先週のAlbany二往復から続く、“NY-upstate横断の旅”後半戦(というには無理がある…)。今回は、30+のおっさん二人、片道三時間かけての観戦旅行でしたが、残念ながら、我がBuffalo Sabersは逆転負け。全米代表goalie Ryan Miller君を擁するSabersですが、今日の試合では、時間を追うごとにチーム全体の動きが悪くなり、序盤二点の先制リードを守りきれませんでした。

これまで散々、アイスホッケーのことを記事にしておきながら、今さらこんなことを言うのも何ですが、この競技、生で観るにはあまりに展開が速すぎる気が。一つ前に起こったプレイの「意味」を理解しようとしている間に、次のプレイ、その次のプレイとどんどん進んでいき、すぐにわけがわからなく(或いは、どうでもよく)なってしまいます。この感覚は、英語のヒアリングにちょっと似ているな…と、試合を観ながらぼんやり考えているあいだに、いつの間にやら(というのは言いすぎですが)、見事に逆転されていたのでありました。。今日、負けたの、僕のせい??


試合前には、くもすけさんと連れだって、Buffalo市内の散策も。NY州第二の都市というだけあって、見どころ満載!! と言いたいところですが、“Main Street”という名前のメインストリートには、朝早すぎたせいか(といっても11:00am)、休日だったせいか(ていうか、むしろ稼ぎ時だろ!!)、はたまた、もともとそういうものだからなのか(この可能性が一番高い)、営業中のお店がほとんどなく、僕ら以外には歩いている人も極めてまばら。地域最大の都市でもこんなもんかと、upstateの限界を改めて認識させられる結果になりました。

ただ、“Buffalo”というだけあって、街中のいたるところに、buffaloのレリーフを見つけられることだけは、Syracuseにはない楽しさかと。とは言え、プロ野球(AAA)のチーム名を“Buffalo Bisons”としてしまうのはやり過ぎだと思いますね。どっちが都市名で、どっちがチーム名だか、ややこしくて仕方ありません(もはやどっちでもいいのではないかという気もしてきます)。

試合後は、Buffalo wingの発祥の地(だと一応言われている)Anchor Barさんで、本家本元のBuffalo wingを堪能。くもすけさんも書いておられる通り、思っていたより控えめな味付けで、飽きが回ることもなく、一人10本のノルマをペロリと平らげてまいりました。
食後、くもすけさんと僕との間で辿り着いた結論は、「Anchor BarとDinosaur BBQ(@Syracuse)の両方を食した我々は、upstateのグルメを制覇したと言っても過言ではない」というもの。端から端まで車で片道6時間と面積的には広大なのですが、広くて狭い、upstateなのでありました(たぶん、「広くて狭い」の使い方を微妙に間違っている…)。
my home, Syracuse, Apr 17, 25:25

Sunday, April 11, 2010

Capital of Empire State

昼過ぎにAlbanyに着き、半日ほど市内を観光。予想通りの期待はずれ(笑) Albanyの観光情報を見ると、いつも写真が載っているEmpire State Plaza(長方形の池を囲むように州政府のビルが集中して建っているエリア)は確かに立派なのだが、はっきり言ってそれしかない。このビルで働く人たちが、昼休みにどこでランチをしているのかは非常にナゾ。

最初は街をぶらぶら歩こうと思っていたのだが、少し街中を歩いてみたところで、Empire State Plaza以外、観るべきものが何もないことを得心する。それでも気の利いたカフェの一軒くらいあるんじゃないかと、ダウンタウンを歩いてみたものの、空いてる店はほとんどないし、人ともあんまりすれ違わないし、挙句の果てには、辺りの雰囲気が何となく荒んだ感じになってきたので、これはマズいと途中で駐車場に引き返し、あとは、車で周ることに。

ハドソン川(←マンハッタンの横を流れている、あのハドソン川)べりの公園で、滔々と流るる川の流れを眺めてみたり、川の対岸(東側)に渡って、そこにも何もないことを確認してみたり(いちおう、ダンキンドーナツが一軒だけあった)したあとは、いよいよ観るべきものがなくなったので、ホテルに戻って、部屋のTVでアイスホッケーの試合を観戦。

プレイオフ進出の懸ったNYレンジャースとフィラデルフィアの一戦。勝った方はプレイオフに進出、負けた方は即シーズン終了という、ドラマチックな状況の中での一戦だったのだが、更にドラマチックなことに延長戦でも勝敗がつかず、結局、shootout(サッカーのPK戦に当たる)の末に、フィラデルフィアが勝利。このホッケーTV観戦が、今日Albanyに着いてからしたことの中で一番楽しかったんじゃないかという気がする。まぁいいんですけど。それはそれで。

以下、いちおう、今日の成果物を。


Albanyの名誉のため(?)に言っておくと、Empire State Plazaの一角にある、NY State Museumは、それなりに見応えあり。絵心(描くだけじゃなく、見る方も)のない僕としては、美術館より、この手の博物館の方が、断然楽しかったりする。

展示の中身は、NY州の自然史から、Native Americanの習俗、開拓時代の歴史、マンハッタン島の開発史に至るまで。911関連の展示にもそれなりのスペースが割かれており、折れ曲がった鉄骨や、瓦礫の中から掘り出された消防車なんかが展示されてあった。

博物館の展示によると、その昔、NY州には、こんなのや、
こんなのや、
こんなの(?)が
住んでいたんだそうな。ちなみに、こんなのだったら、頑張れば(たぶん、めっちゃ頑張らないとダメだけど)、今でもupstateで(Syracuseの周辺でも)見られるらしい。
素晴らしき哉、upstate。でも、こんなのに夜道でばったり出会ったりしたら、さすがにビビるだろうなぁ…。普通の鹿ならサウスキャンパスに、普通に出没するらしいですけど。
Holland Ave, Albany, NY, Apr 11, 20:38

Thursday, March 18, 2010

The rest of Toronto Stay

バスターミナルの隣のスタバで、帰りのバスを待ちながらblogを書いてます。旅行記書くのにも(予想通り)そろそろ飽きてきたので、初日の午後以降は、手短かに。

【16日午後】
● Hockey Hall of Fame
平日にも関わらず大変なにぎわい。この国におけるホッケー人気の高さを改めて実感する。Jリーグ登場前の日本のプロ野球人気並み(あるいはそれ以上)のものがあるのではないか。子供そっちのけで展示に見入るお父さんたちの姿には、ON時代(関西的に言うと、村山・小山時代)を懐かしむ古き良き日本の野球オヤジに近いものを感じる。

その昔(といっても比較的最近まで)フィールダーはヘルメットをかぶっていなかったという話は聞いたことがあったが、その更に前の時代には、ゴーリーも、首より上に何も着けていなかったということを初めて知った。下がその証拠写真。今から思うと、ほとんど冗談みたいな絵である。(ちなみに、このゴーリーの人は、殿堂入り。マスクなしなのに頑張ったから、という理由ではない。たぶん。)
展示は、大きくNHLコーナーとナショナルチームコーナーに分かれていて、ナショナルチームのコーナーには、カナダがアベック優勝を飾ったバンクーバー五輪の展示が早くもなされていた。決勝でCrosbyが決勝ゴールを決めたときのパックも、近く、ここに運ばれてくるらしい。

● CN Tower
海外の街に行って、そこにタワーがあれば、ほぼ間違いなく上ってしまう僕。今回も、半ば義務感に駆られながら(…)CN Towerとやらに上ってみた。Towerのビジネスモデルは、世界中、どこに行ってもだいたい同じ。CN Towerも、忠実にその例に倣っている。エレベーターに乗る前には強制的に写真を撮られ(あの写真、買う人いるのかなぁ…)、展望階にはコジャレた(っぽい)レストランが設けられてあり(絶対、値段ほどの味はしないと思う)、入場料は「法外」と言っていいほど高い。まぁ、それでも僕みたいなのがひょいひょいと上るもんだから、値段下げたり、新しいサービス考えたりしようというインセンティブが湧いてこないんだろうけど。

エレベータのお姉さんのChinese Englishに衝撃を受けたという話は昨日のエントリに書いたとおり。以下、地上百何十mかからの(あるいは、CN$30也の)眺望を。

夜は、数か月ぶりの日本人板さんの握った ―アボカドやキウイやチリソースの入っていない― お寿司を堪能。「最高」の一言に尽きる。隣のテーブルでは、国際結婚夫婦と、その旦那の両親と思しき4人組が会食中。会話を途切れさせるまいと英語で奮闘するお父さん(いちおう、それなりには話される御様子)の姿が見ていて微笑ましかった。

【17日午前】
● Lake-side Walk
朝は、湖畔エリアを散策。トロントのウォーターフロントは比較的最近、開発が進んだものと見え、築後そんなに経っていないピカピカのタワーマンション(←日本語で言うところの)が林立している。
沖合1kmほどのところに島(埋立地ではなくて天然の島)があり、市民のレクリエーションに使われているらしい。船で渡りはしなかったが、『歩き方』によると、避暑用のコテージやら、ヨットハーバーやらがあるんだとか。
(湖岸からのToronto市街の眺め)

対岸島の端っこ(その部分は埋め立てだと思う)は、飛行場になっていて、本土からは狭い運河を隔てた目と鼻の先。
面白いことに、空港ターミナルは、運河の両側に分かれて建っていて(本土側は、上の写真の右側の丸くて白い建物)、僕らが成田でゆりかもめの出来損ないみたいなのに乗るように、乗客は連絡船に乗って搭乗口へと向かう。
  
小さな空港なので、大型機は止まれないが、それでも40人乗りくらいのプロペラ機が就航していて、毎日、シカゴ6便、ボストン4便を飛ばしている。そういう意味では、こう見えて、いちおう「国際」空港。値段がいくらくらいなのかはわからないが、街の中心から車で10分で行けてしまう空港というのは正直、魅力的。それなりに繁盛していると見え、ターミナルの前では、到着客狙いのタクシーがびっしり待ち構えていた。

―ここまで書いたところで時間切れ、バス搭乗。以下は、Syracuseの自宅にて―

【17日午後】
リトルイタリーで少し早目の昼食を済ませた後は、再び、ダウンタウンの散策へ。ポルトガル人街、ケンジントンマーケット(“トロント版アメ村”)、Toronto一番の繁華街、Yonge通りなどを渡り歩く。
(ポルトガル人街)
(ケンジントンマーケット)
前にもどこかで書いたが、基本的に、「絵画を愛でる」という感性が欠落している僕 ― 奥さんには、「美術館と音楽会が似合わない」と言われている。ちょっと悔しいけど、反論する材料が全く見当たらない ―、 美術館の類には、それがどれだけ有名であっても、あまり依り着かないのだが、ケンジントンマーケットでたまたま立ち寄ったCD屋兼Japanese “Kakejiku”屋の店主(奥さんは僕の実家の隣町の出身らしい)から、「州立ギャラリーが今日はタダだ」という話を聞き、それならばということで、夕方、ギャラリー(Art Gallery of Ontario)に行ってみる。
  
タダだったからと言って、突然、絵を愛でる感性が湧き上がってくるはずもなく(そりゃそうだ)、あまり興奮を覚えないまま(スイマセン)、ぶらぶらと、一通り館内を見て回る。建物は、2008年にFrank Gehryのデザインで増改築されたもの。ファサード部分が、木組みとガラス張りの長い廊下になっていて、内部は、なかなか魅力的な空間に。
ついでに、美術館の前でみつけたマクドの写真を。Mの字の真ん中にカナダ国旗のカエデマークがあしらわれています。もはや美術館とはまったく関係なしですが(笑)

Toronto最後の夕食は、そのCD屋兼掛け軸屋のおやじに教えてもらったラーメン屋へ。おそらくは韓国人店主の経営と見え、メニューには、些か怪しい日本料理も載っていたが、ラーメン自体は、期待以上の出来栄え。二日間の旅行に、見事な「有終の美」を添えてくれた。

ただ、そこで少し気になったのは、中韓留学生の多さに比べての、日本人留学生の圧倒的なまでの少なさ。そのラーメン屋も、大変な盛況ぶりで、店の外まで学生(ほぼ皆さん東アジア系)が溢れていたのだが、英語、中国語、韓国語は聞こえて来れど、日本語はまったく聞こえてこず。繁華街を歩いていても状況は同じ。

もちろん、一人ひとりに関して言えば、留学すればそれだけでOKとか、留学しなければ即OUTとか、そんな単純な話ではまったくないが、集団として見たときには、中韓の僕ら(~もう少し下の)世代は、留学性の多さの分だけ、日本人より、集団内部に豊かな多様性を持てているということ。その差が、数年後、数十年後に、大きな差となって表れて来ないとも限らないのではないか… ― 改めてそんな気持ちにさせられたトロント最後の夜であった。(まぁどっちか言うと、ラーメン食べれた喜びの方が大きかったんだけど。)
  
23:15発のバスでTrontoを経ち、深夜、Buffaloの入管を通って、アメリカ側に戻る。 朝6:00前、Syracuse着。短い日程ではあったが、丸二日間滞在できたこともあって、大満足の旅行であった。さて、そろそろ、勉強に戻るとしますか。
my room, Syracuse, Mar 18, 9:50

Wednesday, March 17, 2010

Today's Top Newses on CBC

今朝のCBC(Canadian Broadcasting Corporation)ニュースで報じられていたトップニュースをご紹介。

「Health Care法案を巡る議論、正念場に ― DCの議会周辺では、Tea Paryがデモ活動中 ―」
→ CBCを観るつもりが、間違えてNBCを観ていた、なんてわけではありません。これが、正真正銘、今朝のCBCのトップニュース。

「ノース・ダコタの河川で洪水発生中」
→ ノース・ダコタと国境を接する、カナダ・マニトバ州に影響が出る可能性があるんだとか。このニュース、本国アメリカの全国ニュースでは、こんなに大きくは報じられていないだろうなぁ…。(アメリカ人にとってのノース・ダコタ=「田舎」「辺境」の代名詞)

「アイスホッケー、ワシントン・キャピタルズのキャプテン、Alex Ovechkinに対し、二試合の出場停止を命令が下る。」
→ この辺りになってくると、これが本来、隣の国で起こったニュースだ、という感覚すらなくなってくる。ちなみに、この国でのアイスホッケー人気は、やはり相当のもの。スポーツニュースの冒頭は、常にホッケーだし、それも、日本のプロ野球並みの時間枠を取って、丁寧に報じられている。

「カナダドル、米ドルとのレート差が縮まる。」
→ ようやくカナダオリジナルのニュースが!! といってもやっぱり対米関係なんだけど(笑)下は、Yahoo!から拝借した、この一年間のUSD/CNDレートの推移。素人目でも、この一年、加ドル高が進んできたことがよくわかる。

この国では(少なくともTorontoやOttawaでは)街中での普通の決済に米ドルを使うことも可能。といっても、いちいちレート換算をするわけではなく、1USD=1CNDのどんぶり勘定なので、加ドルが安かった頃は、Torontoの街中のリテイラーが、小遣い稼ぎを出来ていたということになる。

今朝のニュースによると、USDとCNDのレート比は、今日にも逆転しそうな勢い。実際、カナダ国内で米ドルを使う人がどのくらいいるのか知らないが、その割合によっては庶民生活にも直接的な影響が…?? まぁ逆に言えば、それだけ、(お隣に比べて)カナダ経済は比較的堅調ということの表れなのかもしれない。

てな具合いに、若干の寂寥感の伴う(…)CBCニュースであったが、前夜のホッケー中継中に流れていた、このCMは非常にいい感じ。その名もずばり、“Canadian”という商品名のビールのCM。
Starbucks, Toronto, Mar 17, 17:16

Subjective Discussion on Canada

午後の行程に移る前に、独断と偏見による個人的カナダ考を。

直前のエントリでも書いたとおり、Torontoは、北米随一の移民の街。街を歩いていても、白人以外のいろんな人種の人たちとすれ違う。アメリカ同様、カナダも ― 少なくともオンタリオのこの辺りは ― 「人種のるつぼ」なわけだが、米加両国を較べてみると、「るつぼ」の具合いがかなり違っている気がする。一言で言うと、カナダの方が、人種間の壁がより小さく、融合が進んでいるように見えるのだ。

カリフォルニアに遊びに行ったときには、幾分マシなようにも感じたが、少なくとも、僕の暮らしてきたSyracuse、DCといった米国東海岸の街では、人種ごとの職業の住み分けは、かなりはっきりと残っている。もちろん、カナダでも、そういった傾向が皆無ではないのだろうが、街を歩いていて、職場の同僚どうしが人種を異にする人たちである確率は、アメリカのそれより格段に高かったように思う。彼らが何の違和感もなく談笑を楽しんでいる姿は、米国から来た身からすると、やや新鮮ですらある。 

中でもすごいなと思ったのは、CNタワー(後述)のエレベーター運行係の女性。地上百何十メートルかまで上がっていく間に、タワーの沿革やら構造やらを説明してくれるのだが、強烈な中国語なまりの英語で、正直、僕は半分以上聞き取れなかったし、ネイティブにしても聞き取りは難しかったんじゃないかと思えるほど。それでも、彼女を雇い、エレベータ運行係に据えるという雇い主の方針もなかなか徹底していると思うし、社会の側にもそれを受け入れる準備があるんだろう。

あと、これは極めて卑近な話なのだが、トロントでは、ホテルの受付にせよ、スタバにせよ、客を待たせているとわかると、店側の人たちが、急いで仕事をしようとする。少しでも早く処理して、客の待ち時間を少なくしようと努力してくれる。

日本でこの記事を読まれている方は、「そんなの当たり前じゃないか」と思われるかも知れないが、アメリカでこの記事を読まれている方には、僕の言いたいことが分かっていただけるはず。今日、このホテルにチェックインした時、僕も含めて客が二、三組並んでいたのだが、少しでもこちらの待ち時間を短縮しようと、テキパキと、同時並行にチェックインの処理を進めていくフロント係員さんの姿を観て、軽く感激。お礼の言葉を連呼してしまったのだが、落ち着いて考えれば、僕の中の期待値のダダ下がり具合に驚愕である(苦笑)

最後に、カナダのポスター事情を少々。個人的には、なかなかイケてると思うのだが、どうだろうか?この辺りのセンスも、アメリカとは結構違っている(気がする)。僕がSyracuse基準でモノを考えているから、というわけでも、必ずしもないと思うのだが…。
ついでに、こんなadも…

Strathcona Hotel, Toronto, Mar 16, 25:04

Downtown Toronto

スタバでの一人作戦会議の後は、トロント・ダウンタウン一周の旅に出た。

トロントは、オンタリオ湖畔に形成された碁盤の目状の近代都市。「湖畔」、「碁盤の目」、「高層ビル群」という取り合わせは、年末に訪れたシカゴにも通じるものがある(ちなみにシカゴはミシガン湖畔)。

人口250万を有するカナダ最大の都市だけあって、近郊住宅地は、それこそ果てしなく広がっているのだが、いわゆるダウンタウンと呼ばれる区域は、せいぜい、南北2.5km東西1.5kmの長方形の範囲内。そう考えると、東京にせよ、大阪にせよ、日本の都市のダウンタウンの広さ(というか、多さ?)は、ある種、異様ですらある。日本の場合、ダウンタウンの中でも、(オフィス街ではなくて)商業区域の面積がやたら大きいように思うのだが、あれは、日本人が、家の外で飲み歩くことと、衣料品の買物をすることを、こよなく愛する民族だからなのだろうか(そういう意味では、ソウルの街のつくりも、東京・大阪のそれに似ていると思う)。

それはさておき、まずは、その縦長長方形のダウンタウンの四辺を歩いて一周してみることに。
(ダウンタウンエリアでは、市電を頻繁に見かける。こういったところは、アメリカというより欧州的。)

旅行の直前に予習したWikipeiaの記事によると、トロントは、マイアミに次いで世界で二番目に、人口に占める移民の割合が高い街らしく、それが証拠に、ダウンタウンの周囲には、韓国人街、イタリア人街、ポルトガル人街など、エスニックタウンが広がっている。

唯一、ダウンタウンの内側にまで勢力を張り出しているのが、言わずと知れたチャイナタウン。そこで朝食(「アワビと鶏肉の中華粥」的な感じのタベモノ)を済ませ、一路、ダウンタウンの北半分に広がるトロント大学キャンパスを目指す。

ダウンタウンは広くないと書いたが、にもかかわらず、そのうちの半分は、大学のキャンパスに充てられている(日本人とカナダ人の志向の差を反映!?)。『地球の●き方』によると創立は1827年なんだそうで、こんな、いかにもな感じの古めかしい校舎もあるかと思えば、
廊下(?)の一部が飛び出した、こんな斬新な作りの建物も。
音楽スクールでは、古くなった音楽堂を、モダンな建物で囲って使い続ける工夫がなされていた。

キャンパス内に位置する(といっても、アメリカの大学と同じで、敷地境界に壁があるわけではないので、厳密な意味でキャンパスがどこまでなのかはわからないが。)二つの博物館にも一応立ち寄ってみる。といっても中には入らず、外からの写真撮影。
(Bata靴博物館)
(Royal Ontario Museum (新館))

トロント大学キャンパスの散策後は、目抜き通りのUniversity Avenueを通り、ダウンタウンの南半分、Financial Districtに戻る。
(Unicersity AveからFinancial Districtを望む。)
  
Financial Districtのビルに多いのは、①反射する外装、②広大なグラスハウス、或いは、そのどっちも、というパターン。厳しい冬の間、少しでも有効に太陽の光を活用しようという意図の表れなのだろう。

といった感じで、午前中の日程は終了。午後の行程は、また稿を改めて。
Strathcona Hotel, Toronto, Mar 16, 24:07

Tuesday, March 16, 2010

Crossing the Border

1:30AM、Tronto行きのバスに乗車。

夜行バスに乗るのは何気に久しぶり。少なくとも、アメリカに来てからは、初めてな気がする。まぁ、「もうそんな歳でもないでしょ」と言われてしまえばそれまでなんだけど。思い返してみれば、大学4回生の時、初めて日本を脱出し、ロンドンに着いた次の日の晩には、さっそくリバプール行きの夜行バスに乗っていた。あれから早や8年。いろんなところで、いろんなバスに乗ってきたものだと、軽く感慨に浸る。

下は、Syracuseの駅兼バスターミナル。いつもながらの場末感が漂う(笑) こんな写真を撮っていたら、DC帰りのくもすけさんにばったり遭遇。くもすけさんの乗ってこられた、NY発Toronto行きに入れ替わりで乗車。

4:20AM、Buffalo(カナダ側の街の名前はわからない)の国境を通過。

一旦全員バスから下ろされ、入管ビルで手続きを済ませる。いつもどおり、無駄にビビってみるも、いつもどおり、何事もなく国境を通過。下は、入管ビルを出てきたところ。木をふんだんに使った建物が既にカナダっぽい(かいかぶり過ぎ?)

6:30AM、Toronto到着。やべ、めっちゃ都会かも!!!

で、さっそくスタバで休憩。こうなることはわかっていたのに、到着後の予定をまったく決めてこなかったので、慌てて一人作戦会議中。下、スタバの内装。アメリカのスタバと(日本のスタバとも?)なんら変わりはありません(笑)

休憩中の店員さん(バリスタ、とか言うんだっけ?)が、話しかけてきてくれる。ソウル出身の子で、一年間のワーホリ中なんだとか。今週いっぱいで「ワー」の方を終え、その後2カ月半、「ホリ」に専念する御予定とのこと。とりあえず、オタワ、モントリオール、ケベックシティとカナダを旅し、後は、アメリカをぐるぐる回るらしい。
そんなこともあって、「やっぱカナダって(某隣国に比べて)断然、感じいいわ」とさっそく気分良くなってみたところ。もちろん、カナダというより、彼女がフレンドリーなだけだったのかも知れないけれど(笑)

というわけで、これから丸二日間、Torontoの街をふらふらさまよってみます。
Starbucks, Toronto, Mar 16, 7:38

Saturday, March 13, 2010

torontoron

Independent Studyにどっぷり沈降気味の日々。これはこれで楽しいのだが、少しは春休みらしいこともしようと、Toronto往復の夜行バスチケットを買ってみた。というわけで、来週火・水、現地一泊+往復バス泊でToronto旅行に行ってきます。

アイスホッケーのHall of Fameに行くこと以外は、今のところ特に予定なし。読者の中のToronto通の皆さん(いるのか??)、お勧めスポットとかあったら、ぜひとも伝授してくださいまし。


View Larger Map
(何気に、Syracuseからだと、NYC行くより近かったりします。)
Maxwell School, Syracuse, Mar 13, 13:32

Sunday, January 17, 2010

My voice was totally broken...

二日半ぶりにSyracuse帰還。

昨晩は、久方ぶりに(アメリカに来てからはたぶん初めて)呑み明かし(或いは「歌い明かし」)、今朝のAmtrakでは5時間半の爆睡。検札にも反応できなかったらしく、机の上に置いておいた切符は、気付いたときには、もぎられて三分の一のサイズになっていた(笑)

Brooklyn Bridgeを歩いて渡ったことを除けばまったく観光せずに、ひたすら人と会っていたが、「現地のホテルで何時間寝たっけ?」というくらい、充実した2日半だった。留学先で日本人ネットワークを広げられるのも留学の隠れたメリットの一つ、と言われる理由を実感。片道5時間半かけて、NYCまで出ていくだけの価値はある。(ホントは、もうちょっと近かったら、もっと嬉しいんだけど…。苦笑)
my room, Syracuse, Jan 17, 13:48

Saturday, January 16, 2010

"The" Bronx

“borough”と呼ばれるNYCの区の数は5つ。Manhattan、 Brooklyn、 Queens、Staten Island、そして、The Bronx――“The”?なんでBronxだけ“The”が付くの?? と、地下鉄の地図を見ていてら、やたら気になり始めてしまいました。

(地図の左上、川を挟んでManhattan島の北側が“The Bronx”)

ホテルの部屋に戻り、さっそくWikipediaで調べてみる。

それによると、“The Bronx”の歴史は――もちろん、西洋人にとっての歴史は、という意味だが――、1639年、オランダ西インド会社のスウェーデン人雇われ船長Jonas Bronckさんによる入植に遡る。その土地が、定冠詞付きで“The Bronx”と呼ばれるようになった由来としては、
  1. 地域名としての“The Bronx”が定着する前に、この地区を貫流する川が、Bronckさんの名にちなんで、“Bronx River”と呼ばれるようになった。その後、この地区が“Bronx川の区”を意味する“Borough of the Bronx”と呼ばれるようになったため。(英語では、慣用的に、“the + 固有名詞”で川の名前を表す。)
  2. 「Bronck家の所有(地)」を意味する“The Broncks'”に由来。(“the + 姓 + s”で「○○家」。それの所有格。)
の二説があるらしい。なるほど…。

今日の昼間は、そのthe BronxならぬBrooklynへ。とある人のお宅を訪問した後、Manhattan Bridgeをてくてく歩いて帰ってきました。

Manhattan, NYC, Jan 16, 17:43

Frozing River

朝一のAmtrakに乗って、NY Cityへ。爆睡して、“Friends”観て、本読んでと、大満足のうちに5時間半が過ぎる。面倒くさい乗り換えなしに一発で都心まで連れてってくれるし、鉄道ってやっぱ素敵。

途中、ほぼ完全に氷結しているHudson川の風景を堪能。こんな大きな川が凍っているのなんて、初めて見た。Upstate、恐るべしである。

NYCには、二泊滞在予定。今日と明日で、ミーティング、呑み会、etc.を三件はしごする。とりあえず一件目終了。いつもながら楽しい会でした。明日は、Brooklynに初潜入予定。
Manhattan, NYC, Jan 15, 27:21

Saturday, January 2, 2010

Happy New Year from San Francisco

謹賀新年。MSJも足掛け三年目を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いします。

年末年始は、短い休みを縫ってはるばるアメリカまで会いに来てくれた奥さんと一緒に、サンフランシスコとヨセミテを観光してきました。先ほど、空港で奥さんの帰国便を見送り、今は自分のフライトを待つ身。デトロイト経由の夜行便で帰ります。

たかだか5日間とは言え、パソコンから完全に離れて一日中リアルな会話に没入した後、しばらくぶりにインターネットに向かうと、なんだかちょっと不思議な気分がします。新鮮と言えば新鮮ですが、ただそれだけでもないような。何と言うか、毎日毎日、一生懸命パソコンに向かって、blogを書いたり読んだりしている自分の姿が少し滑稽に思えてきたりもします。こういう感覚を覚えておくことも大事ですね。 

ともあれ、今夜の夜行便でSyracuseに戻れば、その翌日からは冬学期が開講。8カ月ぶりのSyracuseでの日々が始まります。長かった留学期間も残り半年。ここまで学んできたことを如何に上手く形に残せるかと、帰国後の更なる進歩に向けた布石を如何にうまく打っておけるかが、この半年の勝負かなと思っています。あ、あと、帰るまでに多少なりとも体型を元に戻すという宿題も…。

というわけで、本年もMSJをよろしくお願いいたします。以下、YosemiteとSan Franciscoの写真を。


Yosemiteは、僕の中では「アメリカ版上高地」。Yellowstoneの雄大さはないですが、観光と自然保護のバランスを巧みに図っているなという印象を持ちました。国立公園にも(あるいは「国立公園にこそ」)「経営」のセンスが必要なんだと気付かせてくれる公園。前提条件がいろいろ異なるとは言え、日本の国立公園もそこから学ぶべきことがたくさんあるように思います。


サンフランシスコは夏に続いて二回目ですが、カメラ片手に街に出れば、いくらでも歩いていられる街という印象は変わらず。坂の一つ一つが各ストリートに違った表情を与え、角を折れるごとに、新たな発見を期待させてくれます。この街を歩いていると、なかなかカメラをカバンの中にしまえません。カリフォルニアの人たちの親しみやすさも印象的。街で見ず知らずの人からいきなり話しかけられるなんてこともしばしば(と、スタバで書いているしりから、となりのおじさんに「そのシャツ良いね。どこで買えるの?」と話しかけられた。笑)。東海岸とは随分違った空気が流れていることを実感します。
San Francisco, Jan 2, 16:57, 2010

Tuesday, December 29, 2009

Strolling City of Chicago -winter break #2-

昨日今日のChicago滞在記を手短に。

■ Museum of Contemporary Art
今回はほとんど事前の下調べを出来てなかった上に、引っ越しのドタバタで、虎の子の『地球の○き方-全米編-』を紛失。というわけでホテルに着くなり、ミニコミ誌を必死にめくるはめに。ホテルから近かったのと、「館内のレストランが秀逸」との文字に惹かれ、まずはMCAを訪れる。ご飯は確かにおいしかったが、ランチビュッフェ$38(税抜き)はボリ過ぎ。何?肝心の作品の話をしとらんではないかと?? んー。現代アートですからね…。ようわからんかったです、はい。(ほななんで行ったんやという話、これあり。)


■ Willis Tower, "Sky Deck"
blue-ink先生からは、ジョンハンコックセンターの方を勧められていたのだが、先生の言い付けを守らず、Willis Tower(旧称"Sears Tower")の方に向かう。というのも、雪雲が低ーく垂れこめていて、湖の視界はまったく期待できそうになかったから。どうせあんまり見えないんだったら、有名な方に上りましょうというミーハー根性で、かつて、高さ世界一の座を極めたビルの最上階に上る。不順な天候のせいで、目の覚めるような夜景、というわけにはいかなかったが、それでもやっぱりChicagoの夜景はキレイ。均整のとれたgrid模様は、まさにこの街の性格を表しているかのよう。


■ The Loop
Chicagoの中心地区は'L'と呼ばれる近郊電車の高架路線で囲まれている。東京の山手線や大阪の環状線と似ていると言えば似ているのだが、ChicagoのLoopの方が圧倒的に小さい。駅は全部で9つだが、駅間は、どこも2~3ブロックなのであっという間。Loop専用の電車はなく、各路線がLoopに乗り入れては出ていくシステム。このLoop、面白いのは路線が文字通り長方形の形をしていること。なので、その四隅では、完全に直角に曲がる。この乗り心地はなかなか衝撃的。遊園地の乗り物的ですらある。下の写真は、Willis Tower最寄りのQuincy駅。


■ Andy's Jazz Club
Willis Towerで夜景を見た後は、ホテルの部屋に戻って、Chicago Blackhawksの試合をテレビ観戦。そんなことChicagoまで来て敢えてやらんでもと言われそうだが、アイスホッケー自体もさることながら、あまりに寒過くて休憩が必要だったから。Blackhawksの勝利を見届けたところで(別にこのチームのファンでもないんですけど…)、ミニコミ誌のNightlifeコーナーの上の方に載っていた、有名そうなJazz Clubへ向かう。

バンドは、ピアノ、テナー、ベース、ドラムスという構成。メロディアスでわかりやすい、乗りやすい感じの曲目を中心にやってくれていた。どうでもいいが、こういう場では、自分のアルコール許容量の小ささが本当に嫌になる。楽しい音楽を聴きながら、気の利いたお酒の一杯や二杯もいただければ、こんなに幸せなことはないだろうと、頭では容易に想像がつくのだが、体がそれを許さず。結局、Bud Lightをグラスに半分だけ呑んだところで、僕の中の緊急停止ボタン発動。哀しいかな、これが現実。


■ Museam of Science and Technology
アルコール類もさることながら、絵画をめでるという感性も、ほとんど完全にと言っていいほど欠落している僕。二日目は、都心にあるArt Instituteをあっさりパスし、敢えて、郊外にある科学工学博物館の方に向かう。都心からは郊外電車で20分ほど。

昨日から、Chicago市内はすっかり人も少なかったので、ここもガラ空きだろうと思って行ってみたら、予想外の激混み。どちら様も、クリスマス前後、ずっと家にいて親戚のおじさん・おばさんの相手ばかりさせられていた子供たちを久々に外に連れていってやろうという魂胆のようで(←特に根拠なし)。入場券を買うだけで30分も並ばされる。いざ、館内に入ってみると、思っていた以上にお子様対象な感じ。ちょっと失敗したかなぁ…と思っていたら、建物の端っこに置かれているNavyコーナーに度肝を抜かれる。おいおい、どんだけ金かけてんすかという充実ぶり。海軍からも相当おカネが突っ込まれてるんじゃないですかね。Navyコーナーからそのまま地下に降りると、どどーん、旧独軍潜水艦のご登場!!

第二次大戦中、連合国側を苦しめた、かのU-boatの実物なんだそうな。なんでも、大戦中にアフリカ沖で戦闘の末に拿捕した船を、そのまま展示してあるらしい。まぁ、ナポレオンがエジプトからかっぱらってきた遺跡をルーブルに展示するのと発想は同じっちゃぁ同じなのかも知れない。若干(??)、こっちの方が嵩張るけど。当然ながら、この展示室では第二次大戦中の事件・事案etcが詳細に紹介されているので、日本人としては、いささか複雑。。

■ University of Chicago
わざわざ郊外の博物館までやってきたのには、もうひとつ理由が。それというのは、科学工学博物館と同じ駅にあるシカゴ大学のキャンパスを見学するため。この時期なので、当然、学生はほとんどいなかったが、落ち着いた雰囲気のキャンパスをそぞろにぶらつかせていただいた。広大なキャンパスには、蔦の絡まる歴史的な建物が並ぶ。その様子は、さながら、英国の古い大学のよう(行ったことないけど)。bookstoreに立ち寄ると、わかりやすくも、“Super-Freaconomics”が平積みで売られていた(笑)


■ 総括
去年、この街を訪れたある知人は、この街のことを銀座に喩えていたが、行ってみて、その気持ちがよくわかった。僕なりに、少し言葉を足させていただくと、東京の「大人」な部分―銀座、表参道、日本橋、etc.―を寄せ集め、それらを丸ごと一回りか二回り、アップグレードしたような感じ。とにかく街全体が洗練されている。NYCや新宿のような(良くも悪くも)猥雑な感じはまるでない。仕事を持った大人が、自分の仕事を大切にしつつ、同時に日々の生活も楽しむのにもってこいな街といった印象。住めば住むほど愛着がわいてきそうな街であるような気もした。もちろん、零下10℃に達しようかという寒さに耐えられることが前提条件だが(笑)

この季節、マンハッタンを歩けば、きっと日本人観光客がわんさといるんだろうが、シカゴでは二日間の滞在中、日本人らしき人をほとんど見かけず。まぁ確かに、こんな極寒の季節に敢えてシカゴに行こうなんてモノ好きは、そうそう多くないに違いない。ただ、そんな中でも、中国人の若者たちは普通に見かけるからスゴイ。本国からの旅行者か、はたまたアメリカ留学中の子たちなのかはわからないが、いずれにせよ、さすがと言わせてもらうほかない。ガーナからシカゴまで、どこに行っても彼らのプレゼンスからは逃れられない。

というわけで、駆け足でしたが、二日間のシカゴ滞在記でした。最後にシカゴの風景写真をいくつか。

San Francisco, Dec 28, 28:29PST

Sunday, December 27, 2009

Overnight Train -winter break #1-

Amtrakに丸半日揺られ、最初の目的地、Chicagoに到着。

昨日のblogにも書いたとおり、Upstate NYにほとんど雪はなかったのだが、朝起きてみると、Illinoisは一面の銀世界。というか、時折、車内に普通に寒風が吹き込んできて、夜中に何度か目が覚めた(苦笑)

毎度のことながら、Amtrakは頑ななまでに旧時代のシステムを死守している。空席管理は徹底したアナログ方式。車掌が手持ちのメモにどこが空いているかを記録しており、客は乗車時に、席の番号が書かれただけのテキトーな感じの厚紙を車掌から手渡されるという仕組み。ケータイから、「窓側」「通路側」まで指定できるどこぞの国の新幹線とは、圧倒的なまでの違いがある。

客は客で、席を適当に移ったりもするものだから、車掌に指定された席に向かうと誰かが既に座っていたなんてこともたびたび。その都度、車掌は調整に追われるので、駅ごとの停車時間がやたらと長い。一両あたりの車掌の数もやたらと多い。この国の鉄道、車輛そのものの改良もさることながら、システム面での改善しどころも満載である。

もっとも、これがアメリカの実力かというと、もちろんそんなことはなく、飛行機の予約システムなんかは、日本のそれよりむしろ洗練されている。要するに、競争に晒されているかどうかということなんだろう。この国は、良くも悪くも市場主義が社会の隅々にまで沁み渡っているので、競争のフィールドから除外されたサービスの停滞ぶりには、逆にすさまじいものがあったりする。(たとえばこんな感じで。)まぁ、確かに、それはそれで、供給側にとってみりゃ合理的な戦略なんだけどさ(苦笑)

もっとも、鉄道というのは、熱烈な固定ファンを有する、ある種、特殊な乗物なので、「むしろそんな感じの方がグッと来る」みたいなAmish的要望が根強くあったりするのかも知れない。僕自身、敢えて鉄道なんぞで移動している辺り、その気が全くないと言えばウソになる。ただ、そこまで筋金入りの「テツ」ではないので、もう少し改善していただきたい点も多々あり。とりあえず、あの寒さだけはどうにかしていただきたい(笑)

シカゴ駅到着後の様子

Chicago, Dec 27, 12:01CST