別に、通産省(や今の経産省)が好きだ嫌いだという話を(ここで)するつもりはないし、本石町さんご指摘のように、「一般の官僚観はむしろ良い」ということがこのドラマ放映を通してわかったのだとしたら、個人的には多少なりともうれしい(←ただ、実際には視聴率が取れた理由は、そういうことではない気がする。単純に佐藤浩市効果??)。しかし、「国民車構想」なる“どPlanner”な政策が主題となったストーリーを、21世紀もそろそろ10年が過ぎようかとしているこの時代に扱うことについては、アナクロ感が否めず、僕の中では「なんだかなぁ…」という感想になる。経産省の中にも、同じように歯がゆく思っていらっしゃる向きがあるのではないだろうか。
僕はこの小説を4年くらい前に読んだが、その時点でも既に十分「古い」なと感じた。同じ城山三郎でも、『男子の本懐』や『落日燃ゆ』は、時代を超える普遍的な価値のある小説だと思うが(『落日燃ゆ』で描かれている広田弘毅像が正確かどうかについては、賛否あるようだが、それはともかく。)、『官僚たちの夏』は、「賞味期限」のある作品だなと。
Planner型政策が、いついかなるときにも機能しないとは言いない。シンガポールでは未だに十分機能していると思うし、韓国の経済的躍進も、基本的にはPlanner型政策によってもたらされたものと言えるだろう。『官僚たちの夏』で描かれている「国民車構想」自体の真偽・是非はともかくとして、より一般的な意味で、日本の高度経済成長が多分にPlanner型性格を帯びていたのは事実だと思うし、またそれがある時期(まさに『官僚たちの夏』が書かれた時期)、大成功を収めたのも事実だとも思う。
しかし、Planner型政策が機能しうるのは、一国の経済規模がある程度の大きさまで、ある程度の複雑さまでのときだけであって、それを超えると、もはやPlanner型政策は機能しない。まともに経営(学)を学んだこともないのにこんな話を持ち出すのはやや不安だが、事業の成長・拡大に成功した結果、巨大化し、高度に複雑化し(、身動きが取れなくなっ)た大企業が、「トップダウン」型経営をやめて、「カンパニー化」に走る事例がまま見られる。最近では、日立がそれに踏み切るといったニュースを見た。やや荒っぽい議論かもしれないが、国のかじ取りも、根本の部分ではこれと同じではないかと。一定以上、一国の産業構造が複雑になってしまっては、政府がトップダウンでいちいち口を差し挟むよりも、基本的には市場に信頼を置き、そこでのtrial & errorに委ねる方が、よっぽどスムーズなリソース配分(←資本・人材その他あらゆる意味での)が可能になるのではないかと(なんてことを、ここで敢えて言及するのもためらわれるくらい、これって市場主義経済の基本の「キ」なわけですが。)。
蛇足ながら、通産省を描いた物語としては、『官僚たちの夏』よりも、『白洲次郎 占領を背負った男』の中に出てくる、省発足のストーリーの方がよっぽどかっこいい。白洲次郎が、新生、通商産業省に籠めた「創造的破壊」という役割こそが、通産省・経産省のレゾンデートルだと思うのだが…。他人事ながら。
my room, Accra, Ghana, July 12, 8:00
3 comments:
この前実家に電話したら、官僚たちの夏をやっているというので、youtubeで検索したら、コブクロが歌っている主題歌の部分だけ編集されたものがありました。
http://www.youtube.com/watch?v=ZZCx0RSGotg
TBSで配役を見たら、風越が佐藤浩市、鮎川を高橋克実、庭野を堺雅人となっていて、原作を読んだ頃の僕の印象からすれば、鮎川と庭野の配役は逆だろ、という気がしました。
うちの親父・お袋の世代だと、こういう時代のことがしっくり馴染むようです。
情報、ありがとうございます。
結局、TBSも僕らの両親世代のセンスで番組作りやってるってことなんですかね。まぁ、人口からみて、それが一番、率取れるので、合理的と言えば合理的なわけですが、いま、この作品ってのは、ちょっとなぁ…と思ってしまいました。日曜9時枠TBSの『華麗なる一族』には、僕もはまりましたけどね(笑)
確かに、日曜のあの時間帯なら、この時代のものは受けるでしょうね。
まず、何歳の時に、うちにテレビがきたとか、東京オリンピックをテレビで見た、とか、そういうノリで入れる。
そうやって見てたら、プロジェクトXばりの演出がくる。何とかして豊かな国日本を作りたいと熱く燃える男たち。
もしかしたら、単に草食系男子と比較したいだけってことかな、とも思いました。
個人的には熱い系は好きですけどね。
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