いちおう、2月7日のFTの記事へのコメントという体裁になっているが、オリジナルの記事の方はたいして面白くもないので読む必要なし(何様だ、オレ?) Pirrongの記事だけ読んでも十分理解できるし、Pirrongの記事だけ読んでも十分に時間がかかる――blog記事にしてはめちゃ長い(笑)
この記事のポイントは、
although there is a strong conceptual case to be made for offsets (if it is cheaper to capture carbon somehow rather than reduce carbon output on other margins), the practical difficulties make it highly problematic to rely heavily on them.
The practical objection relates to transactions costs, notably what is sometimes called the measurement branch of transactions cost economics.
(拙訳) (他の利益に伴って発生する炭素の排出を削減するのと比べて、どちらが安いかということに関して)オフセットを支持する強い理論的論拠があるが、実務上の難しさを考えると、オフセットに強く依存することは大変疑問である。その実務上の反対理由となるのは、トランザクションコスト、とりわけ、その中でもmeasurement(測定)に関する部分である。というところにある。
なぜそう言えるのかについて、blog後半で(長々と)論じられているが、Pirrongの論点は、大きく分けて、以下の三点に集約できると思う。
1. carbonは“bads”である。
carbonは、正の価値を持つ“goods”ではなく、負の価値を持つ“bads”なので、goodsの場合とは違って、“consumer”は、真面目にその品質をmonitorしようというincentiveを持たない。よって、その測定に関してはpublic regulationが必要となり、transaction costが発生する。
2. 債権としてのpermanence(永続性)の保障が困難。
オフセット事業を実施するdeveloperが倒産した場合、約束されたはずのcreditが発行されなくなってしまう(=permanence loss risks)。このリスクをmanageするという目的で、保険が売り出されたり、オフセットの「格付け」機関が登場したり、CDOs ― carbon derivative obligations ―が開発・販売されたりするだろうが、先のfinancial crisisで一般の債権について起こったことを思い起こすと、これらの仕組みが十分に機能するとは思えない。
3. additionality(追加性)の測定・判断が困難。
additionality(追加性)とは、あるオフセット事業から「産出」されるcarbon creditの量を算定する際にベースとなる考え方で、creditの販売益という「補助金」があろうがなかろうがいずれにせよ行われていたはずの事業と、実際にオフセット事業として行われる事業とのギャップを見ることによって、「追加的」に削減されるcarbon emissionの量を特定しようというもの。しかし実際には、「いずれにせよ行われていたはずの事業」(“base line scenario”と呼ばれる)の排出量を特定するのが非常に困難。Pirrong曰く、“highly, highly subjective, and built on layer after layer of assumptions.” (とてもとても主観的で、何層もの仮定の上に立脚するもの)
Pirrongがこの記事の中で言っていることは、去年の夏、僕がガーナでインターンをしながら実際に感じた印象と非常に近い(参照1、2、3)。だからといって、「CDM廃止論」や「オフセット無用論」に直行するわけではないが、CDMやオフセット(ひいては、cap-and-trade)を考える際に、こうしたmeasurement問題への配慮が少なすぎるというPirrong指摘には全面的に同意できる。
経済学の観点からbig pictureを掴むのも大事だが、こういうB-School的な観点からの議論も、政策を考える上では非常に重要。問題は、経済学の議論以上に、耳を傾けてくれる人が政策畑には少なそうだということ。説明側の能力の問題と言ってしまえばそれまでなのだが…。
My room, Syracuse, Feb 9, 15:02

