Wednesday, November 25, 2009

How to pick up a substitute.

留学前から読もう読もうと思いながら、なかなか手をつけられずにいた、Milton Friedmanの『資本主義と自由』(邦訳版)を読み始める。帰りの電車の中でほんの少し読み始めたところだが、「まえがき」からして、既にエッジが効きいている。
自分をほんとうに説得できるのは自分だけである。暇をみつけては問題点をじっくり検討し、いろいろな意見を考慮に入れ、煮詰めていくことが必要だ。漠然と選んだ考えを確信に昇華させるには、そうして長い時間をかけなければならない。[1982年版まえがき(p.15)]
いざ危機が発生すると、誰でも手近にある意見や理論を頼りに行動しようとする。私たち学者の基本的な役割は、ここだ。現代政策に代わる政策を用意しておく。ウォーミングアップを整え、いつでも選手交代に応じられるようにしておく――政治的に不可能だったことが不可避になる日のために。[1982年版まえがき(p.16)]
二つ目の点は、選手交代に応じる側(=学者)だけでなく、そのオーダーを出す側の人間にとっても傾聴に値する。オーダーを出す側も、「いざ」というときに的確な選手起用をするためには、日頃から、個々の選手(=政策案)のポテンシャルを見極めておかなければならない。

これには、組織としてやるべきことと、個々の職員としてやるべきことがあるように思う。組織としてという意味では、Obama政権着任時のエネルギー・環境政策の仕込みは、本当に鮮やかだった。これについては、このblogでも以前に簡単に触れたことがあるし、また、いわゆるアルファブロガーのお一人(なんだと思う)であるLilacさんが、ちょうど今日(11/25)のエントリーで書いておられる内容も参考になる。

もっとも、良いか悪いかは別にして(いや、良いわけはないんだが…)、実際には、そんな組織的な対応をとっていられないくらいのショートノーティスで、「案」の提出を求められることもある。そう考えると、個人のレベルでも、日頃からアンテナを高く張り、自ら知識の収集に努めると同時に、いざというときにはより深いレベルの知識を提供して貰えるネットワークを築いておくことが、決定的に重要。政策を作るための「材料」(知識、情報、コンセプト、etc.)をすべて内製するなんて、いまどき出来っこないんだから、外の専門家から「材料」を仕入れるルートを、如何にうまく築けるかが勝負になってくると思う。少なくとも、もはやこんなことをやっていてうまくいくような時代ではない。
   
Friedmanから、少し話が逸れてしまったが。同著の感想文はまた追って。
my room, Washington DC, Nov 24, 24:53

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