Tuesday, June 30, 2009

Computer in the Crowd

最近読み終わった二冊の本の感想文を。

一冊は、William Easterlyという世銀エコノミストの書いた“The Elusive Quest for Growth”6月7日のエントリーでも触れたとおり、なぜ多くの途上国で経済成長の模索が失敗に終わったのかが書かれている(『エコノミスト 南の貧困と闘う』という邦題で訳本も出ているみたい)。全編を通してのキーワードは“incentive”。政府も含め、あらゆる主体は“incentive”に導かれて行動する。先進国ドナーによる多くの援助は、その事実を無視(或いは軽視)して行われてきたため、大した成果をあげることができず、それどころかマイナスの影響を与えることも多かった――というのが著者の主張。

その前に読んだ『クラウド化する世界』(後述)があまりに素晴らしかったので余計にそう思ったのかもしれないが、経済学を一通り学んできた人間にとっては、ある程度当たり前に思える主張が多く、「目からウロコ」な記述には残念ながら出会うことができなかった。ただ、具体例の提示が多いので、ものを考えるきっかけを得るには悪くない本。「前時代の遺物を抱えていない途上国は、先進国よりむしろスムーズに新技術に適応できる可能性がある」と述べられたChapter 9は、裏から読めば、如何に先進国でinnovationを起こすのが大変かというようにも読め、日本の現状を思うと非常に耳の痛い話。

もう一冊は、Nicholas Carrの『クラウド化する世界』邦訳版(原題“THE BIG SWITCH”)。この二年くらいの間に僕が読んだ本の中で、一番と言っていいくらいにおもしろい一冊だった。

「クラウド(=雲)コンピューティング」と呼ばれる現代のコンピュータ社会を、いろんな側面から解き明かした一冊で、無理やり分類すれば、数年前に大ヒットした梅田望夫氏の『ウェブ2.0』と同じジャンルに位置づけられるのかも知れない。ただ、あの本より数倍深い(←正直に言うと僕も、当時は、『ウェブ2.0』に熱狂した)。

前半では、いま、webやコンピュータをとりまく世界で何が起こっているのか、またそれは何を意味し、その結果としてどんなことが可能になるのかが、総じて肯定的なトーンで描かれている。反面、後半では、コンピュータのクラウド化によって、現代人や現代社会(←「ネット社会」ではなく、社会そのもの・社会全体)がどのように変化していくのかが予測的に描かれており、底流に流れるトーンはどちらかというとネガティブ。クラウド化が人間社会にもたらすものは、決してプラスの要素だけではなく、マイナスの要素もあり、それらの一部は、人間や人間社会の本質的な部分にも関わるものだということが率直に述べられている。(だからといって、「クラウド化を止めるべき」なんていうナイーブかつ無意味な主張はもちろんなされていない。)

前半部分では、コンピューティングのクラウド化のアナロジーとして、発電システムが分散型から集中型へと推移していった歴史的経緯がかなり詳しく紹介されている。この箇所(特に、中央発電システムに先鞭をつけたインサルの事例)は、「要するにイノベーションってどういうこと?」かを極めて具体的に現している。どんな分野においてであれ、「イノベーション」というものを考えるときに、大いに参考になる著述だと思う。

斯く具合に、前半は前半で、示唆に富んでいて非常に面白いのだが、本著の心髄はむしろ後半部分にある。後半は、「ネット論」「コンピュータ論」の範疇を超え、「社会論」或いは半ば哲学の域に達しているとさえ思える。そのくらいに深い。こんな文章は、ただ一つの分野に精通しているだけの人にはまず書けないだろう。分野を超えた膨大な知識を一個の脳ミソの中に貯め込み、咀嚼して初めて紡ぎだされる文章ではないかと思う。

僕には、これ以上、この本を解釈したり要約したりする力量はないので、代わりに、本著からの引用を一節。
インターネットの能力、範囲および有用性の拡大がもたらしたもっとも革命的な結果は、コンピュータが人間のように考え始めることではなく、我々がコンピュータのように考えることなのだ。リンクを重ねるたびに、我々の頭脳は「“ここ(HERE)”で見つけたもので、“これを行え(DO THIS)”、その結果を受けて、“あちら(THERE)”に行く」ように訓練される。その結果、我々の意識は希薄になり、鈍化していくだろう。我々が作っている人工知能が、我々自身の知能になるかもしれないのだ。
ここで書かれていることは、確かに実感として感じるだけに、正直、薄ら寒いものを覚える。卓見と言えるのではないだろうか。
my room, Accra, Ghana, June 30, 24:34

Monday, June 29, 2009

Geopolitics of Energy Seminar in Kennedy School

ハーバードのケネディスクールで今年の春に行われた“The Geopolitics of Energy Seminar Series”という題の連続講義(全8回)の動画が、webにアップされている(RealPlayerが必要)。各回のトピックはというと、

 第1回:The Future of Oil and Gas
 第2回:Europe and the Caspian
 第3回:China
 第4回:The United States
 第5回:Russia
 第6回:India
 第7回:Energy, Markets, and Geopolitics
 第8回:Geopolitics of Energy: Looking Forward

といった感じ。今日見てみたら、第2回と第5回以外は動画がアップされていた。ブロードバンド環境の世界に帰ったら見てみようと思う(ひとり夏期講習?)。
Accra, Ghana, June 29, 17:32

Free Trade or Environment Protection

昨晩のコンフェデレーションズカップ決勝、ブラジルvsアメリカは、予想をはるかに上回る好ゲームだった。アメリカは前半に2点を挙げ、2-0で折り返したが、後半、ブラジルに3点を返されて万事休す。とはいえ、アメリカの2点目のカウンターはめちゃくちゃきれいだったし、ゴールキーパー Howard の働きもamazing。そして何より、アメリカイレブンの必死さが画面からひしひしと伝わって来た90分間だった。皆さんご存じのとおり(?)、基本、このblogはアメリカに対して辛口なのだが、昨日ばかりは、アメリカびいき。試合終了の笛を聞いたときは観ているこっちまでがっくりきてしまったが、ブラジルベンチでドゥンガが子供のように喜んでいる姿を見ると、これはこれでうれしかった。「勝って当然」というプレッシャーの中、0-2から逆転し、きっちり優勝をさらっていくブラジルのすごさは言うまでもない。

さて、アメリカメディアがマイケルジャクソンで持ちきりだった先週金曜日、米下院ではWaxman-Markey法案が可決されたわけだが(詳しくはknj君のblogを)、同法案には、3月の記事で書いたように、“Carbon Tariff”と呼ばれる関税措置(温暖化対策の取組が足りていない(とアメリカが認めた)国からの輸出品に対して関税を課す措置)が含まれている。奇しくも同法案の下院通過とまったく同じ日、WTOは、UNEPとの連名で“Trade And Climate Change”というレポートを発表した。まだ実物には触れていないのだが、NY times(Web版)によると、「自由貿易は、意外にも、気候変動対策にプラスのインパクトをもたらすのです」みたいなことが書かれてあるらしい。

それだけだったら、「WTOさんとUNEPさんの間で、よく妥協点が見つかりましたね。大変だったでしょう。」というだけの話で面白くも何ともないのだが、LA timesは、同じレポートを別の切口から報じている。“WTO admits some trade limits may be necessary to stop climate change”と題されたその記事によると、
"WTO case law has confirmed that WTO rules do not trump environmental requirements," the global commerce body said. Import taxes on goods coming from countries that fail to meet environmental standards might be among the measures exceptionally permitted under global free trade laws, WTO said. (WTOは「WTOの判例は、WTOのルールが環境規制を凌駕しないということを認めている」、「環境基準を満たしていない国からの輸入品に対して関税をかけることは、国際自由貿易法において例外的に認められている」と述べた)
とのこと。まさに“Carbon Tariff”に対するGoサインともとれるような発言である。

これについて、イギリス紙Guardianは、

For more than 60 years, the GATT/WTO process has been animated by the goal of reducing barriers to trade. While the tax adjustments and carbon tariffs would not violate the letter of the agreements, they would certainly mark a revolutionary shift in the spirit. (60年以上の長きにわたり、GATT/WTO プロセスは、貿易の障壁を減ずるという目標によって突き動かされてきた。税の調整やcarbon tariffは、合意文書の文言に反しはしないが、WTOの精神からすると、革命的な変革を示すものと言える )

と書いている。Guardianは、「税の調整やcarbon tariffは、合意文書の文言に反しはしない」と断言しているが、その点については、まだ議論の余地があるという話を昨年12月に書いた。少なくとも、(Guardianとは違い、)その点に議論の余地ありとする勢力はまだいるということだ。それだけに、今回のレポートは、WTOにとって、それなりに大きな方針転換を意味するものといえるのではないだろうか。

今のところ、新聞情報にしか当たれていないので、近いうち、レポート本篇も読んでみようと思う。ともあれ、Carbon Tariffの世界にも少し動きが出てきたみたいだ、ということで。
Accra, Ghana, June 29, 7:03

Sunday, June 28, 2009

Rainy Season

たまには生活のことも。

ガーナに来てすぐの頃、「日差しがきつくてかなわん」と書いたが、あの頃が、本格的な雨季に入るちょうど直前だったみたいで、最近の日差しはそこまできつくはない。気温も穏やかで、最高でも30℃に届くか届かないかくらい。夜は20℃くらいまで下がるので結構心地いい(←温度計がないので全部体感温度)。一年以上Accraに住んでいる人たちに言わせると、今が一番過ごしやすい季節なんだとか。ラッキー。

ただ、雨季と言うだけあって、雨は確かに多い。この週末も朝から晩まで、ほとんど休みなくずーっと降り続いている。洗濯物を干すタイミングがない。仕方ないので、自分のベッドルームに紐を張り巡らして洗濯物を干している。やっぱ、乾燥機欲しいかも…。

ウィークデイはいつも、始業時刻の7時半から、夕方7時頃までofficeにいる感じ(ちなみに定時は7時半~4時半)。行きは「トロトロ」と呼ばれる乗合バスで出勤し、帰りはタクシーで帰る。帰りもトロトロに乗ろうと思い何度かトライしてみたのだが、いつも満員で乗れないので、あきらめてタクシーに乗ることにした。ちなみにトロトロだと片道20 peso(約13円)、タクシーだと片道4 Cedi(約250円)。

悩ましいのはお昼ごはん。隣の保険会社のビルに地元料理のお店が入っているのだが、そこの料理は残念ながら僕の口にはあまり合わない(東南アジアと違って、アフリカでは地元料理に期待できないというのがdevelopment関係者の常識らしい)。ハンバーガーショップや、中華料理屋が一応あるにはあるのだが、毎日行くにはちょっと高くて(といってもたぶん8ドルくらい)、結局スーパーまで歩いてパンを買いに行くこともたびたび。先週は、ワークショップにお昼ビュッフェがついてきたのでとても助かった(笑)

夜は、officeからそのまま家に帰って来ることが多いが、ときどきは、インターン先の同僚や、Accra在住の日本人の方から夕食にお誘いいただくことも。昨晩は、とある日本人の方のお宅へお邪魔。数か月ぶりの日本風カレーをいただいてきた(!!)

Ghanaで暮らし始めて、早や一か月。働いていると、やはり時間が過ぎるのが早い。仕事の方は、CDMを中心に、勉強2/3、アウトプット1/3といった感じ。この一か月で、CDMに関しては、かなり詳しくなれた気がする。これもラッキー。残りの一か月では、何か形になるアウトプットを残すことと、温暖化以外の分野(特に廃棄物処理)についてもガーナの現状を知ることが目標。Accraの外にも行かないとなんて言いながら、結局Accraの中だけで一か月過ごしてしまったので、早いうちに地方の様子も見に行きたい。
Rainy Season in Accra
my room, Accra, Ghana, June 28, 15:59
  

Saturday, June 27, 2009

Wraping-up CDM workshop

昨日で、三日間のCDMワークショップが終了。掛け値なしに、いい勉強になった。アメリカや日本にいても、あんな内容の濃いレクチャーを聴ける機会はなかなかないと思う。司会者の南アなまりの英語が多少聞き取りにくかったことを除けば◎。以下、ワークショップに出てみて、CDMについて思った点をいくつか。

低開発国にとってこそCDMをする価値がある。
あるプロジェクト(小型水力発電にせよ、廃棄物処理場の回収にせよ、なんでも)を、CDMとして行うとなると、プロジェクトの計画段階から、いろんな主体(CERの買い手、プロジェクト資金の貸し手、CDMコンサルタント、etc.)がコンソーシアムを組んで、プロジェクトに参画することになる。彼らは、それぞれの分野(CDM developing、project financing、engineering、etc.)のプロフェッショナルだというだけでなく、「利益を得るためにはCDM登録を成功させなければならない」という状況に置かれているので、プロジェクトマネジメントを必死に行おうとするインセンティブを持つ(←CDMの元となるプロジェクト(=小型水力発電、廃棄物処理場回収、etc.)が予定通り遂行されなければ、そもそもCDMは成り立たない)。プロジェクトマネジメントの能力に限りのある低開発国(←政府や援助機関が、開発プロジェクトを十分効率的にマネジメント出来ているかというと疑問。プロジェクトマネジメントの人的リソースは、質的and/or量的に不足している面がある)にあっては、そういったプロのプロジェクトマネジャーが、健全なインセンティブを持って(←好奇心に駆られた実験気分で参加するのではなくて、という意味)プロジェクトに入って来てくれるということは、かなり新鮮で、有効なことではないだろうか。中・印・伯・墨のようなemerging countriesであれば、有能なプロジェクトマネジャーはたくさんいると思うので、敢えてCDMにしなくても彼らがプロジェクトを回してくれる。しかし低開発国ではそういったプロジェクトマネジャーがなかなか見つからない。そう思うと、CDMというスキームは、低開発国にとってこそ大きな効果(←ただし、in terms of “development,” not “emission reduction”)があるのではないだろうか。

プロジェクトのファイナンスがボトルネック?
しかし皮肉なことに、低開発国(特にアフリカ)では、これまでほとんどCDMが行われてこなかった(数字はこちら)。走り始めて途中でこけたケースもあるのが、そもそも、走り始めた案件数自体が少ない。これはつまり、上に書いたように一旦コンソーシアムが出来てしまえば強力なマネジメントサポートを得られるのだが、そもそもコンソーシアムを組むところまでたどり着けていないということではないかと思う。考えてみれば当たり前の話で、プロジェクトの開始にあたり、いろんな主体を連れて来て、コンソーシアムを立ち上げるためには、広い知識(CDM制度、ファイナンス、エンジニアリング、etc.)と広いネットワークがないと無理。そんな仕事を、これまで間近でCDM案件の成り行きを見たこともない低開発国の人たち(←中印であれば、参考事例は身近にごろごろ転がっている)にやれと言っても、不可能に近いだろう。援助機関の国際スタッフにしても、別にCDMのプロフェッショナルとして雇われているわけではないので、そういった能力をはじめから持っているケースは極めて稀だと思う。コンソーシアムを組むにあたり、特に難しいだろうと思うのは、プロジェクトへの融資を引っ張ってくること。純粋な民間企業がproject ownerとなるケース(たとえば工場の省エネ化。一般的に言って、その国・地域の開発と言う意味では効果は薄く(あるいは間接的で)、“additionality”の面でも微妙)は比較的、融資を取りやすいと思うが、municipalityやインフラ系公社がproject ownerとなるケース(たとえば電源の開発やwaste management。開発の効果は大きい(=poverty reductionに直接的に資する)し、“additionality”もより明らか)では、規模が大きい上に、返済がCER売却益頼みということもあって、商業銀行が単独で融資するのは非常に困難。ここに、低開発国でCDMが進まない大きなボトルネックがあるのではないかと思う。

登録要件の緩和は本当に解なのか。
低開発国でのCDM案件数を増やすため、CDMの登録要件を緩和すべしとの声があり、国際会議においても、それなりに有力な意見となっているようである。具体的に、どこをどう緩和すべしということなのか、そこの議論は正直followできていないのだが。おそらく、いくつか論点があり、中には妥当なものもあるのだろう。だが、現学習段階での僕の印象を言わせてもらうと、要件の緩和は本質的な解決策にはならないのではないかという気がする。たとえば、“additionality”の要件を緩和し(←今回の講義によると、CDM理事会における登録rejectの57%までは、additionalityの証明不十分が理由とのこと)、「CDMなかりせば…」の基準を緩めるとしよう。そうすると、確かに、登録案件数自体は多少なりとも増えるだろう。しかし、この要件緩和によって恩恵を被るのは、上に書いたような純粋民間企業ownedのケースであり、そういったプロジェクトは、CDMにならなかったとしても、他の経済的利益だけで十分break evenし、implementされていた可能性が高い。もちろん、より大きなCDM資金がそういった分野に流れることによって、これまで以上に民間企業の省エネ/低炭素型事業が活性化されるという主張はありうる。それは確かにそうなのだが、逆に言うと、限りあるCDM開発資金が、そういった「グレー案件」(←additionalityの面で「グレー」。別に法的・倫理的に悪いことをしているわけではない。念のため)に持っていかれてしまい、本当の意味で開発に資する案件へのお金の流れがますます干上がってしまう可能性もある。これをGHG削減の観点から言えば、「CDMがなかったとしても」行われていたプロジェクトを「CDM」だと追認してあげることで、CDM案件数自体は増えるが、それによるGHGの追加的な(=文字どおり“additionally”な)削減はあまり期待できない、ということ。

一番の解決策はCERの値上げ。
では、今後、低開発国でのCDM開発を促進するにはどうすればいいかだが、経済学的に言って一番合理的な方法は、単純に、CERの値段を引き上げることだろう。そうすれば、おのずとより多くの資金がCDM開発市場へと流れ、開発のより困難な(しかし、additionalityは大きい)案件の掘り起こしも進むことになる。それをするためには、排出削減義務を負う国の排出削減量の総和を大きくする(=より厳しい削減目標を課す)ことが必要。(個人的には各国が、排出削減達成に用いることのできるクレジットの割合に上限を課す必要はない(というか、課すべきではない)と考えている。)もちろん、これは簡単なことではないが、これをすることによって、先進国の中でも儲けを増やせるセクターは必ずある。コンサルティングの市場が広がるのは間違いないし、インフラ技術を(援助ではなく、ビジネスとして)輸出できる機会も増える。それに何より、金融機関や機関投資家にとっては、新たな投資先が増えることを意味する。Wall St.の上の方の人たちが、温暖化問題やCDMを、本音の部分でどう考えているかという点は、非常に気になるところ。

最後に一言。ガーナのような未だCDM登録ゼロの国であっても、実業界(特に金融)には、豊富なCDM知識を持った人がそれなりにいる。政府の役人だけを見て、それがこの国の最高レベルの理解度だと勝手に決め付けてはいけない。今回のワークショップからの教訓。
my room, Accra, Ghana, June 27, 13:53

Friday, June 26, 2009

more 365 days...

マイケル=ジャクソンが死んで、CNNの画面から、イランのニュースが消えた。昨日まで、あんなに大騒ぎしてたのに。マイケルが死んで一番喜んでいるのは、アフマディネジャドだったりするんじゃないだろうか。なんて言ってる僕も、Yahoo!にマイケルのニュースが出ていたら、思わずクリックしてしまう(苦笑) ご冥福をお祈りします。
  
今日は、Maxwell School MPAコースの卒業式。僕のような、一部の落ちこぼれ留年学生(ではなくて、dual degree二年コースの生徒)を除き、大半の同級生たちは、晴れてSyracuseの学び屋を旅立っていった模様。目下、僕のFacebookの画面には、そんな同級生たちの晴れがましいコメントが並んでいる。MPAの皆さん、ご卒業おめでとうございます。Congratulations!! (←と、英語で書いたところで、誰も見に来ないんだけど。笑)
  
僕にとってのアメリカ生活は、ずっと彼らと一緒だったので、帰米後の学生生活がどんなふうになるのか、今はまだ想像がつかない。まぁ、アメリカに帰った後も、DCに半年、Syracuseに半年と流浪の日々が続くので、二年目の留学生活は、一期一会の繰り返しの中で過ぎていくのかもしれない。
  
ともあれ、今日がMPAの卒業式だったということは、一年後の今日には僕もたぶん卒業してしまうということ。正直な実感としては、「まだ一年もある。ラッキー!!」って感じかなぁ。やりたいことは山ほどあるが、この一年間でそれなりのことをやってこれたという(勝手な→)自信もある。残り一年間でどれだけの知識を得、考えを深め、ビジョンを描くことができるか――。自分との勝負だと思う。(あ、あと、どれだけ体脂肪を減らせるかも…)
Accra, Ghana, June 26, 18:23

Thursday, June 25, 2009

Corporate Finance Class

ワークショップ二日目。話がかなり「マジbanker」向けになってくる。Corporate Financeの知識のない僕にとっては、いささか苦しい内容も。とはいえ、ガーナでこんなに詳しい金融の話を聞かせていただけるなんて露も予想せず。非常に得した気分になりながら、帰宅後も配布資料をめくって復習に励む。

今日の講義では、午前中からNPVIRRの二語が飛び交う。NPV (Net Present Value) の方は経済学でも出てくるので、まぁ一応わかるのだが、IRRの方は、話の筋から何となくわかるものの、実際、何のabbreviationなのか、恥ずかしながら最後までわからず。帰宅後ググってみると、Internal Rate of Returnの略らしい。 直訳してもよくわからないが、意味的には「投資収益率」のような感じ。

CDMの世界では、additionality (追加性: the planned reductions would not occur without the additional incentive provided by emission reductions credits)を証明する過程でIRRの概念が用いられる。additionalityを証明するには、いくつかのステップをクリアしなければいけないが、そのうちの一つがinvestment analysis。「提案されているCDMプロジェクトが、CER売却からの収益なしではfinancially attractiveではない」ということを証明しなければいけない。具体的には、CER売却益を含まないときのIRRが、ベンチマーク(たとえば、同様のプロジェクトに対する市中銀行の一般的な貸出金利)を下回っているということを証明しないといけない、というわけ。

CER売却益を含んだときのIRRは、CDMの申請上、問題にならないが、プロジェクトを黒字にするためには、当然、ベンチマークを上回っている必要がある。つまり、IRRが大きすぎず小さすぎず、絶妙の幅に収まっていることが「良いCDM案件」の条件というわけ。IRRが大きすぎては、そもそもadditionality要件をクリアできないし、小さすぎてはCDM化してもbreak evenしないので、誰かが赤字をかぶってくれないとプロジェクトとして成り立たない。

ちなみに、これでも一応、ただ座って講義を聴いているだけではなくて、仕事(=他の参加者とのネットワーキング&情報収集)の方でも、今日は一つ、成果があった。ワークショップの参加者の中から、僕らのユニットが、参考事例にしたいと考えている西アフリカ某国のCDM化案件(まだCDM登録には至っていない)のprojectに参加している某銀行の行員の方を発見。同案件のこれまでの経緯について、いろいろ教えていただいた。
  
彼は非常に若い(たぶん僕と同じくらい)のだが、名刺を見ると、“Assistant of the Chairman & CEO”とのこと。聞くと、学部からアメリカに留学し、学部で経済学をMajorしたあと、某アイビーリーグ校のMBAを卒業、母国に戻って銀行に就職、という輝かしい経歴。次は、更に、economicsのPhDを目指しているらしい。非常に育ちもよさそうで、もしかしたらその銀行の重役か、政治家の息子とかなのかも。PhDでは、Environment Economicsを学ぼうとしてるんだとか。彼のような地元の超一流エリートが、環境を、自身のコアコンピテンシーにしようとし、現にCDM案件に尽力している姿を見ると、全くもって他人事ながら、勝手に何となくうれしくなってしまった。
my room, Accra, Ghana, June 26, 24:11

Wednesday, June 24, 2009

CDM lecture for bankers

今日から3日間は、世銀 & Ecobank(←西アフリカ・中央アフリカ各国で展開しているアフリカローカルの国際商業銀行)主催の、ワークショップに参加。「CDMの何たるか」に始まって、CDMプロジェクトの開発の仕方から、それに伴うリスクまで、CDMの実務面を、3日間で学びましょうという会。参加者は、7割が金融関係者(その大半はEcobank行員)。残りの3割は、事業会社の人たちと政府の職員が半分ずつ。トーゴやナイジェリアといった近隣国からやって来ている人も多い。

レクチャー自体は基本的な内容もそこそこ混ざっているのだが、いざ、ディスカッションが始まると、一部参加者のCDM知識の豊富さに驚かされる。多少なりともビジネスの絡むお話になると、役人より実業界の人たちの方がよく事情に通じているという状況は、日本でもアフリカでもあまり変わりがないようで。こういう人たちを巻き込むのに成功したという点においては、何はともあれ、CDMの功績は大きいように思う。
  
ただ、そうやって、それなりにCDMを理解している人たちはいてくれているのに、結局これまで、ガーナで一件もCDMが成立していないのはなぜなんだろうと考え始めると、頭が痛い。おとといのエントリーにも書いた通り、プロジェクトの資金の出し手(≠CERの買い手)が見つからないことが、ボトルネックの一つになっているんじゃないかと思うのだが、もしそうだとしたら、僕らは何をすればいいんだろうか??
  
レクチャーの中で紹介されていたUNEP Risoのweb siteを見て驚いた。 CDM Pipeline overview というダウンロードファイルが秀逸。これまでにregisterされた(あるいはregistraton申請中の)CDM案件にまつわるありとあらゆる統計情報が一つのエクセルファイルに詰め込まれている。きっと、エクセルをちまちまいじるのが好きで好きでたまらない担当者さんがUNEP Risoにはいらっしゃるんだろうな。僕もあながち、その気がなくもないので、彼/彼女の気持ちはよくわかる(笑) ともあれ、このファイル、非常に有益。これまでUNFCCCのサイトから、いちいち時間をかけて、pdfファイルをダウンロードしていたのがアホみたい。今晩は、このエクセルシートを眺めながら、いろいろ思いを馳せてみよう(←ちょっと変態?)

関係ないが、目下、米下院ではWaxman-Markey法案の審議が大詰め。金曜日には採決が行われる予定らしい。Washington Postによると、環境系NGOは、この法案のロビイングに既に$ 10 million以上の巨費を投じているんだとか。良い悪いは別にして、DC政治のこういうところはすさまじいの一言に尽きる。確かに、DCの地下鉄に乗ると、advocacy系の広告がやたら貼られているのが目につく。ああいう光景は、世界広しといえども、DCくらいでしか見れないんだろうな。

ちなみに、同記事によると、Starbucksは法案に賛成、Friends of the Earthは反対なんだそうで。
my room, Accra, Ghana, June 24, 22:10

Giant Killing

コンフェデ準決勝、アメリカが 2-0 でスペインを下す。

後半開始5分1-0のところから観たのだが、試合終了まで、possessionは、ほとんどスペイン。アメリカは、後半ほぼ唯一と言っていいチャンスをものにして追加点を挙げた。スペインは、もっとシンプルに攻めればいいところを、持ちすぎてチャンスをつぶす場面多し。正直、ちょっと舐めてたんじゃないかな。。アメリカに二点目が入って以降は、明らかに焦りが見え、淡白な攻めに終始。86分にアメリカの選手がレッドカードをもらい、一人多い状態になったものの、一点すら返すことができず。

アメリカ代表は、派手さはないし洗練されてもいないが、基本に忠実でひたむきな、好感のもてるチーム。はっきり言って、全然アメリカ人らしくない。まぁ、アメリカ人のくせに(←失礼)サッカーなんて選んでしまう時点で、アメリカ人らしくない人たちなんだろう(笑) 最初は何となくスペインを応援していたのだが、観ているうちにだんだん気持ちがアメリカに移ってしまって、勝利の瞬間には思いもかけず、軽く感動なんてしてしまった。
my room, Accra, Ghana, June 24, 21:11

Tuesday, June 23, 2009

Green-car loans awarded to Ford, Nissan, Tesla

久々に北米発信のニュースを。

日米各紙が報じているところであるが、日産が、米国テネシー州の工場で、電気自動車の量産を始めるそうだ。NY times紙(web版)によると、これから工場の改修を行い、2012年末には生産を始めるとのこと。

なぜ日産の電気自動車量産工場第一号が、厚木ではなくてテネシーなのかと言えば、それは勿論、米国のGreen Stimulusのおかげ。今回使われた政策は、“create thousands of green jobs while helping reduce the nation’s dangerous dependence on foreign oil.”(国外産石油への危険なまでの依存を緩和するのに資するとともに数千人規模の雇用を生み出す)自動車会社に対し、政府が低利融資を行うというもの。このプランを利用して、日産はテネシー工場改修のための$1.6 billion(1,525億円)の融資を米国政府から受けることになる。
  
いくら政策融資を受けられるとはいえ、量産第一号の工場を外国に作ってしまうなんて、結構大胆だなぁと思うのだが、ハイブリッド車(HEV)でトヨタ・ホンダに水をあけられた日産にしてみれば、“nothing to lose”の心境で、電気自動車(EV)での一発逆転に賭ける思いがあるのかも知れない。
  
今回の融資第一弾の対象には、Ford、日産という既存メーカー二社の他に、Teslaという聞きなれない社名の会社も含まれている。同社は、2003年シリコンバレー創業の電気自動車スポーツカー生産専門の会社で、一部コアなファンの間では、既にかなりの人気を誇っているとか。

EVは、HEVと違い、内燃機関をまったく必要としない乗物。自動車というものが発明されて以来、当然のように、車づくりの中心に君臨し続けてきた内燃機関が完全に否定されてしまうわけだ。これほど大きな技術転換ともなると、旧技術の蓄積(見方を変えればシガラミ)を持たない新興企業の方が、既存のエスタブリッシュメントより有利な開発条件を得られる可能性がある。そんなわけで、先ほど紹介した米国のTeslaのほか、中国の電池・EVベンチャーBYDなど、最近、急速に注目を集めているEV系新興企業がいくつかある。これは、HEVの普及期には見られなかった現象だと思う。
 
もちろん、日本の既存自動車メーカーさんたちには、来るべき(←たぶん、そのうち来ると思う)EVの時代にも、これまで通り、世界を股に大活躍していただきたいわけだが、政策的には、別途、EVベンチャーを育てる手立ても講じておくのが賢いリスクヘッジというものだろう。日本政府が今行っている低公害車の減税措置も、それはそれでいいと思うのだが、販売段階の優遇だけでは新興企業は育たない。「勝って兜の緒を締めよ」ではないが、HEVの次の時代を見据え、日本も、EVの開発に的を絞った開発段階のサポート施策がそろそろ必要なのではないだろうか。

p.s. なんでGMは、General Engines ではなくてGeneral Motors なんだろうか。 どうでもいいっちゃぁどうでもいいんですけど。(もう倒産しちゃったし。)
my room, Accra, Ghana, June 23, 22:08

訂正:日産は「来年秋には追浜工場(神奈川県横須賀市)で年5万台の規模で生産を始めることを決めている」(by 日経web)そうです。たぶんこれがEVの量産第一号工場ですね。失礼しました。

Monday, June 22, 2009

Deeper reason for sub-Saharan backwardness on CDMs

なぜCDMプロジェクトには如実な地域的偏りがあるのか。中でも、南アを除くsub-Saharaの国々で、これまでほとんどCDMが行われてこなかったのはなぜなのか(←ナイジェリア2件、ウガンダ、タンザニア、ケニアが一件ずつ)。

この問に対する最も一般的な回答は、「“CDM後進国”における ①削減ポテンシャルの不足②キャパシティ不足」というものだろう。

①の方は確かにその通りで、ガーナのような国が中国やインドやブラジルのように、バカバカCDMを量産できるわけはない。そもそも、削減ポテンシャルの量が違い過ぎている(逆に言えば、中国やインドやブラジルのように、バカバカGHGを排出しているわけではないということ)。ただ、そうは言っても、一つもCDMを作れないほど、削減ポテンシャルがないわけではないので(少なくともガーナはそうだし、他の国でも事情は同じだと思う)、①の理由は、案件が「0」、あるいは、それに限りなく近い状況であることの直接の説明にはならない。

②の方は、そもそも何の“キャパシティ”なのかがはっきりしないので、当たっているとも間違っているとも言えないのだが、仮に、ここでいう“キャパシティ”が、CDM申請のために必要な諸手続きに関するキャパシティのことなのだとすれば、対応は、比較的簡単なのではないだろうか。それにまつわる技能については、国際機関や各国ドナーが、途上国の政府職員に対するキャパシティビルディングをわりと頻繁に行っているみたいだし、また、その気になれば、コンサルタントを呼んできて、丸々お願いしてしまうことだってできる。
  
それよりむしろ根の深い問題なのは、CDMのベースとなる事業(たとえば、landfill gas回収型のCDMであれば、廃棄物処理場の建設、運営を行う事業)を的確に運営できるoperatorがいないこと、また、いたとしても、その事業を立ち上げるだけの資金を調達できないことではないかと思う。
  
CDMから生み出されたCERの売却益は、確かに事業収益の足しにはなるが、事業コスト全体をカバーしてくれるという保証はない。事業に要するコストの額と、削減されるGHGの量、それに、CERの市況次第。また、仮に、CERの売却益が事業コストを上回ったとしても、CERの売却益が入ってくるのは、一年以上事業を回した後なので、それまでの事業立上げ期は、CERの売却益以外の資本でファイナンスしなければならない。信用力の乏しい低開発国の事業者が、この部分のファイナンスに難儀することは、想像に難くない。


この点が、sub-Saharaの国々でのCDMの成立を難しくしている、ひとつの大きなポイントなのではないかと、最近、仕事をしながら感じている。こんなことは、ビジネスサイドからCDMを見ている方々にとっては常識なのかも知れないが。
my room, Accra, Ghana, June 22, 22:00

Sunday, June 21, 2009

expectation for 2010

開催国にとって、単なるスポーツイベント以上の「歴史的転換点」となった大会がある。1964年の東京五輪然り、1988年のソウル五輪然り。去年の北京五輪もそういった大会の一つに数えられるのだろう。
 
しかし、2010年のW杯は、南アフリカという国にとって、それらに勝るとも劣らない、歴史的転換点になるのではないだろうか。コンフェデ ブラジル-イタリア戦の中継を観ながら、そんなふうに感じた。
  
プレイの合間に映る観客達が、目の前で行われている試合を、本当に心から楽しんでいる様子が画面を通して伝わってくる。単に愛国的に自国のチームを応援するわけでもなく、自分達の国で、世界レベルの試合が行われているという事実に感動し、素直に喜び、楽しんでいる様子。
  
一年後、彼らの国にやってくるW杯は、コンフェデの何倍もの喜びと感動をもたらすことになるだろう。それが、白人やエリート層だけでなく、南アの人たちみんなの「自信」につながれば、南アという国にとって、来年のW杯は、文字通り「歴史的転換点」といえるイベントになるんじゃないかと思う。
  
それにしてもブラジルは強い。3-0の圧勝。イタリア相手に3点を稼いだFWもさることながら、DFの堅さを評価すべきだと思う。イタリアは、ブラジルゴールのペナルティエリア内でほとんど仕事をさせてもらえず。終始、単調にセンタリングとロングシュートを蹴り込むだけで、チャンスらしいチャンスを作ることができなかった。
my room, Accra, Ghana, June 21, 20:44

Carbon Market

ガーナのようなCDM未経験の国が、自国初のCDMプロジェクトを実現しようと思えば、そのホスト国の側にも、乗り越えないといけない壁は当然いろいろあるわけだが、CDMというものの性質上、そもそもお金が流れてこないことには何も始まらない。そんなわけで、今日はCDMをめぐる市場がどうなっているのか、少し調べてみた。プロの皆さんからすれば、基本の「キ」の内容だと思いますが、間違いあれば、添削していただければ幸い(笑)

CDMプロジェクトから生み出されるいわゆる「排出権」は、正式には、CER (Certified Emission Reduction) と呼ばれており、ロシア、ウクライナなどのもつ余剰AAU (Assigned Amount Unit) 、JIから生み出されるERU (Emission Reduction Unit) とともに、京都議定書上の約束達成に用いることができる(CER、AAU、ERUの3つをまとめて「京都クレジット」とも呼ばれる)。世銀が2008年5月に発表した推計によると、京都議定書第一約束期間(2008~2012年)における世界の京都クレジットの需要量(=京都議定書目標達成に必要な京都クレジット量)は約24億トン-CO2。この内、EUからの需要が19億トン-CO2、日本からの需要が4.5億トン-CO2で、この二つを合わせると23.5億トン-CO2。つまり、京都クレジットの買い手は、ほぼこの二者で独占されていると考えていい。しかも、EUのシェアは日本の4倍以上、全体の7割以上。

一方、CERには、京都議定書の約束達成の他に、もう一つの使い道がある。EU内では、EU-ETSと呼ばれる独自の排出権取引が行われているが、この制度においては、EUA (EU Allowance。EU-ETSでの本来の排出権) の不足分を、一定の比率で、CERで補うことが認められているのだ。このため、EU-ETSの規制を受けるEU企業は、EUAだけでなく、CERの売買も行っており、そのボリュームがCER市場の中で非常に大きな割合を占めているので、結果、CERの市場価格は、事実上、EUA価格に連動する形になっている。

(出典:NTTデータ経営研究所

ではEUA価格は何によって決まるのか。このレポートこのレポートによると、EUAの最大の価格形成要因は、エネルギー価格と、EUの経済活動水準とのこと。たとえば石油の値段が上がると、石油価格up→火力発電所における石炭への燃料転換進展→石炭使用量up→CO2排出量up→排出権需要upというパスを経て排出権の値段が上がる。逆もまた然り。また、景気が後退して経済活動が低下すれば、当然ながらCO2の排出量も減るため(また、機関投資家がそのようなシナリオを予測するため)排出権が売られて価格が下がることになる。

となると、ここ最近の排出権価格の市場動向は、お察しの通り。昨年8月から今年2月までの半年間で、EUAは70%以上、CERは60%以上、価格が下落している(出典:日本総研三木優氏)。 三木氏によると、こういった市場価格の下落に加え、以前はプライマリーCER(CDMプロジェクトの実施に伴って発行されるCER)よりも割高だったセカンダリーCER(既に発行済みのCERの転売商品)の価格が、ここにきて、プライマリーと同水準まで下がってきたため、リスクの伴うプライマリーCERの購入を見送るバイヤーが増加しているとのこと。「この状態が長く続けば、CDMプロジェクトへの資金の出し手がいなくなり、CDMプロジェクトの開発が停滞することが懸念される。」 (by 三木氏)

つまり、現下の状況は、CDM資金の出し手を探すには、かなり厳しい状況のようだ。三木氏は、「価格の低迷している今こそが、CDMプロジェクトの開発を進める絶好の機会とも考えられる」と書いておられるし、市場動向だけからすれば、確かにそうなのだが、CDMをめぐっては、第一約束期間以降(2012年以降)のルールが固まっていない(いちおう、今年12月のコペンハーゲンで固まる予定)という、さらにやっかいな(ある種、根本的な)問題もある。

こう考えると、残念ではあるが、ガーナが自国初となるCDMにチャレンジしようとしても、プロジェクト資金の出し手・クレジットの買い手を見つけ出すのは、かなり難しいだろうし、仮に見つかったとしても、大きなリスクプレミアムが織り込まれた、安い価格でのクレジット売却を覚悟しないといけないのだろう。

my room, Accra, Ghana, June 21, 13:26

Friday, June 19, 2009

Ghana is "Decoupled" ?

2日ぶりの投稿でございます。
   
リーマンショック以降、ひと頃、巷で話題になっていた「デカップリング」説。「新興国経済は、もはや西側諸国への依存から脱却した。したがって、西側諸国が不況になっても、新興国経済には影響がない(あるいは小さい)」というお話ですが、最近、また盛りあがっているとのこと。
  
そういえば、この国は、金融危機の影響をどのくらい食らったんだろうと気になったので、昨日、帰りに乗ったタクシーの運ちゃんに、最近のAccraの景気について聞いてみた。運ちゃん曰く、「何もかわっとらん。相変わらず物価は上がり続けとる」とのこと。なんと。デカップリング済み???
  
というわけで、何か検証できる数字はないかいなと思って(←webで拾える情報はかなり限られている)、Ghana Investment Promotion Center というところの出している、四半期ごとの国内投資実績データを調べてみた。毎回、フォーマットが違っているので(←なんでそういうことする!?)、経年データは激しく集めにくいが、一応、2007年以降のレポートは、すべてwebにアップされているので、それだけでもかなり優秀。

で、その結果がこれ。(赤い線は、新規登録案件。つまり、その期に新たに登録された投資の案件。額は推定。青い線は、実際にその期に投資された額。Y軸の単位は million US$)


うーん…。なんとも言えません。。

無理繰り解釈させていただくと、2007年第Ⅳ四半期の、アホみたいな新規登録案件の膨張が2008年第Ⅲ四半期の実投資の山をもたらし(それでもだいぶ逃げられてますが)、その後、新規登録案件、実投資とも、右肩下がり…という感じでしょうか。

ちなみに、2009年第Ⅰ四半期の新規登録案件は、(グラフ上はほとんど地面についてますが)18.05 million US$。同期の実投資は372 million US$あったので、それと比べても約20分の一。何か月後かに、実投資がこの水準まで落ち込むとなると、さすがにGhana経済にも大きな影響が出るのでは?? とこの数字を見て、一人、勝手に心配してしまいました。(ちなみにGhanaの2008年GDPは34.04 billion US$ by CIA

Accra, Ghana, June 19, 18:22

Tuesday, June 16, 2009

Belgian, American, Japanese

ワークショップ二日目。

昨日も書いたとおり、HCFCをガーナの市場からphase-outすることが、このワークショップの最終的なゴール。その道のりは、ガーナの人たちからしてみれば、それなりに厳しいものなので、ぎちぎち議論するだけでなく、「やればできますよ。がんばりましょう!」とポジティブに働きかけるのも大事なこと。ただ、そのやり方が、ベルギー人とアメリカ人で大きく違っていて、今日は、そんな二人の様子を興味深く観察させていただいた(←はるばるアフリカまで来て何を見てるんだという話ですが。苦笑)。
  
ベルギー人の方は、意識的にテンションを挙げて、ポジティブな話をされているご様子。その話術はなかなかのもので、ガーナの人たちの心をとらえていたと思うし、僕も感心して聞かせていただいた。だが、コーヒーブレイクのときなんかに二人になって話をすると、「ココとココがまだまだ課題なんだよねぇ…」といった感じで、本音の部分も聞かせてくれる → ある種、日本人とも似た雰囲気を感じる。

それにひきかえ、アメリカ人。

この人は、根っからのポジティブ。プレゼンをしていようが、二人だけでしゃべろうが、話す内容は全く変わらない。自分の持ってきたプランに絶大なる自信を抱いていらっしゃるご様子。はっきり言って、そのプラン、突っ込みどころ満載なんですけど…。

まぁ、このお二人の姿だけから、一般的なベルギー人(あるいは欧州人)像/アメリカ人像を描き出そうというのも無茶と言えば無茶なのだが、そうは言いつつ、それなりにそれぞれの特徴が現れているような気がした。特にアメリカ人の方は。なんというか、絵に描いたようなリベラル系アメリカ人。シリコンバレーとかに行くと、こういうタイプがゴロゴロいてそう(行ったことないけど。)。

ここから先は一般論。かつ、半分(以上?)推論なのだが、彼ら(=アメリカ人)の流儀を一言で言うと、「ビジョン先行」「細部なんて詰めない」「learning by doing」。細部は放っておいて、とりあえず美しいビジョンをどかーんと示すもんだから(←その見せ方は確かに上手)、聴いている側は一気に彼らの世界に引き込まれてしまう。そんな雰囲気の中、細部にまつわる質問なんてしようものなら、「そんなちまちました話をこんな場で聞くんじゃねぇよ、このコンサバ野郎!!」くらいの勢いで冷たい応対が返ってくる(←被害妄想??) 「悪魔は細部に宿るんだぞ!!」と言ってやりたいが、場の雰囲気は、完全に彼らの手中。吠えてみたところで負け犬の遠吠え。。。
  
それでいて、実際のところ、彼らのプランがいつもいつもうまくいっているかというと、もちろんそんなわけはない。詰まっていないプランがうまくいくわけはないのだ。ただ、彼らは失敗に対する返し技をよく心得ていらっしゃる。いくつかあると思うが、一つは、そもそも、失敗を失敗と認めない作戦。確かに、成功と失敗の境目はたぶんに主観的であるので、ポジティブな側面だけ捉えて「成功しました」と自信満々に言い張れば(←ここがポイント)、周りもいつしかそんな気にさせられてしまう。二つ目は、「方向性は間違っていなかった」とばかりに、次なるプランを「いけいけどんどん」で投入する作戦。投入に当たって、一つ目の「失敗」の反省なんて辛気臭いことはしない。そして極めつけは、「さっさと忘れる」作戦。「忘れたふり」ではなく、本気で忘れてしまえるところが強い(というか怖い)。
  
そんな彼らの行動原理は、日本人的価値観からしてみれば、「無責任」の一言に尽きるわけだが(言い過ぎ?)、それが彼らの弱みになっているかと言うと、これが皮肉にもそうでない気がするから複雑だ。個人でも社会でも同じだが、「失敗がないかわりに挑戦もない」状態よりも、失敗はあるが挑戦もある」状態の方が、早く成長できるのは事実。よく言われる話だが、アメリカは失敗に対する許容範囲が大きな社会。それを裏で支えているものの一つは、彼らの持つ、天性の「無責任性」だったりするんじゃないかと思ってみたり。もちろん、そのツケは、世界中にまき散らされているわけだけど・・・。
  
かといって、僕自信、そんな風になりたいかと言うと、正直、なりたくはないし、たぶんなれないとも思う。「失敗したら反省しなさい」という風土の中で育ってきたので、今さらそれを改めろと言われても、気持ち悪くて、まずできない(日本人社会の中では、「反省しない人」だとよく言われておりますが・・・汗)
  
ただ、日本という国・社会を見たときには、もう少し、社会全体が、失敗に対して寛容になる必要があるとも思う。別に、アメリカ並みになるべきだとは思わないけれど。
  
リスクをとってチャレンジする人のいない社会に進歩はない。自戒も込めつつ。
my rrom, Accra, Ghana, June 16, 23:26

Monday, June 15, 2009

HCFC Phase-out

今日と明日は、オゾン層関係のワークショップに出席。もう少し具体的に言うと、「ガーナが、HCFCの使用からどうやって卒業するか、みんなで考えましょう」というイベント。午前中のセッションには、ガーナの環境大臣もいらしていた(関係ないが、ちょうど今日、彼女関連の記事が地元の新聞に出ていた)。
  
HCFCというのは、代替フロンと呼ばれるものの一つで、いわゆるフロン(=CFC)に比べてオゾン層を破壊する効果は小さいが、ゼロではない。というわけで、国際合意により、まずCFCを全廃し、次にHCFCを全廃しましょうということになっている。途上国と先進国では、この全廃スケジュールが違っており、途上国のHCFC全廃期限は2030年。ただし、2013年以降は、年間使用量に上限が課せられ、以降、2030年まで、その上限が徐々に下がっていくという仕組みになっている。
  
フロンと言えば、その昔、東京で担当させていただいた案件。先進国の側から見ていた話を、逆の側から見れるというのはなかなか面白い。日本の援助が(←出資国は日本だけじゃないが)どうやって使われているのかを間近で見れるというのも貴重な経験。
  
ただ、このワークショップに出ていてそこはかとなく感じるのは、日本のフロン回収・破壊技術は(制度的・組織的な意味でのインフラも含めて)やっぱり世界一なんじゃないかという思い。別に各国の現状を見て回ったわけではないが、その道の第一人者とされる方々(NYやカリフォルニアから、はるばるこのワークショップのためにいらっしゃっている)の話を聞いていると、そんな風に思う。「日本の方がすごいぞ」と(笑)
  
残念なのは、その情報が海外にほとんど伝わっていないこと。フロン回収・破壊というのは、モントリオール議定書(forオゾン層保護)と京都議定書(for気候変動対策)の間に落ちたような、なんともニッチな世界で、日本としても、そこに大きな勢力を割くわけにいかない台所事情があるのだが、こういう場に出てみると、なかなか歯がゆいものがある。
  
家に帰ってきてTVをつけると、CNNもAl Jazeeraもイランの話題で持ちきり。文字通りの「ガチンコ」で、落とし所がまるで見えない。Obama政権にとっても、ここのところ、イランとの関係改善を仄めかしていただけに難しい話だと思う。開票直後の声明では、どちらにも転がせる、様子見的なコメントに徹していたが、ここにきて、共和党の一部からは、Mousavi支持を鮮明に打ち出すべしとの突き上げも始まっているとのこと。この件については、Obamaがそう軽々に動くとも思えないが・・・。
my room, Accra, Ghana, June 14, 24:40

Sunday, June 14, 2009

Walking in Old Side of Accra

ただ洗濯機のそばについていてもどうしようもないので、結局、午後から散歩に行くことにした。
  
Accraに住んで、早や二週間になるが、この間、オフィスへの通勤と買物以外、外出らしい外出をほとんどしていない。仕事をする上で、肌感覚としてのガーナがなかなか掴めない(掴む機会がない)のも、ちょっとストレスだったので、今日は、昔ながらの庶民の暮らしが残っていそうな、旧市街の方に出かけてみることにした。
  
トロトロと呼ばれる小型乗合バス(というよりむしろ、多少大きめのバン)に乗って(というよりむしろ、詰め込まれて)、 Nkrumah Circleへ。初代大統領の名が冠されたこのサークルは、Accra市内の道路のハブ。市内では単に“Circle”と言えば、ここのことを指す。というくらいなので、それなりに(あくまで「それなりに」)近代的なビルが道路の周りに立ち並んでいるんだろうと思って行ってみたら、完全に期待を裏切られた(笑)
  
その後、海方面に向け、Nkrumah Avenueを南下。通りの名前からして、いちおうこの街の(というか、この国の?)メインストリートの一つのはずなのだが、のどかな(言い方を変えれば「パッとしない」)街並みが続く。
  
一日、二、三本の電車が発着していると言われている(←本当かどうかよくわからない)Accra駅に行ってみたら、正直、現役の駅とは思えない雰囲気。。 線路まで行って写真を撮りたかったのだが、駅舎の中にお住まいの方がたくさんいらっしゃいそうだったので、怖気づいて引き返す。駅周辺は、昔ながらのマーケット。しばらくぶらぶらしてみたが、外国人が珍しいらしく、やたら視線を感じる。いろんな人が声も掛けてくる。基本、悪意はないんだろうけど、一人で深入りするのもちょっと不安になってきたので、今日の散歩はそこで終了。タクシーを拾ってAccra Mallへ向う。
  
移動時間約20分。Accraの南から北に少し移動しただけで、街の雰囲気は大きく変わる。先週も書いたが、Accra Mallは、「ここはアメリカか」と見紛うばかりの近代的な大型ショッピングセンター。改めてモールの界隈を見回してみると、高級そうな新築マンションの建設現場が目立つ。市北部のこの地区は、Accraの新市街(というかベッドタウン)として、外国人やエリート層を中心に、これから発展していくのだろう。
  
以下、今日の散歩の写真を。


ちなみに、日本では(もちろんアメリカでも)たぶんまったく盛り上がっていないと思うが、南アフリカではコンフェデレーションカップが始まっている。アフリカ初開催とあって、Accraでもそこそこの盛り上がり。来年のW杯の開催を危ぶむ声もあるみたいだが、テレビで見る限り、コンフェデの試合は普通に行われている。今日の夕方やっていた、スペイン vs NZの試合は、スペインイレブンがかわいそうになるほどNZがへちょくて、見るに堪えない試合だったが、それは南アの責任ではない。。(苦笑)
my room, Accra, Ghana, June 14, 23:15

Water Leaking

洗濯が終わって、水を止めようとしたら、洗濯機につながる水道の水が止まってくれない。洪水のような駄々漏れではないが、放置するにはちょっと忍びない量。主はあと一週間戻ってこないし。まいった…。。
  
その辺に転がっていた止水テープみたいなので、蛇口のひねって回すところ(←そういえばなんて名前なんだっけ??)をぐるぐる巻きにして、なんとか応急処置はしたものの、完全には止まってくれない。イギリスにいる主夫妻にメールを出して、現在レス待ち中。今日はAccraの街をぶらぶらしようと思ってたんだけど、どうしたもんか。。
  
というわけで(どういうわけ?)汗だくになりながらソファに座ってMTVを観ていたら、突然、日本の風景が目に飛び込んできた。David Guettaというフランス人DJの “Everytime We Touch”という曲。 今年1月にリリースされた曲らしい。
  
Gwen StefaniのPVにもときどき日本が出てくるが、彼女の描く日本のイメージはだいぶ独創的(というか、何か間違っている。。) その点、この“Everytime We Touch”のPVに出てくる「日本」は日本人から見ても比較的自然(ドラえもん!? という突っ込みはありつつ。汗)。日本語版wikipediaでは項目が立っていなかったので、日本ではあまり知られていない曲なのかもしれないけれど。


my room, Accra, Ghana, June 14, 10:37

Wild Thunders

深夜、激しい雷雨に見舞われる。雷の数もさることながら、衝撃の大きさが尋常じゃない。雷の衝撃で家(コンクリート造4階建て)が揺れているのがはっきりとわかる。普段、雷に対する恐怖心なんてほとんど感じない方なんだけど、昨日の雷には、正直、まいった。
  
一度、本当に真上から爆音が降ってくるような雷があって、電気がダウン。気づけばインターネットもダウンしていて、万事休す。大人しくベッドに向かうことに…(とはいえ、雷のせいでしばし眠れず)。
my room, Accra, Ghana, June 14, 7:46

Saturday, June 13, 2009

Ghanaian Weding Party

インターン先の上司Sさん(←3週間の夏休み中♪)が、「妻の誕生日&娘のengagement」を記念してパーティを開くというので、Accra郊外のSさんのお宅へ。ホームパーティみたいなものを予想して行ってみたら、本気の結婚式だった。それならそうと言っておいてくれ。。。と言っても始めらないので、平服のまま(…)、ガーナ流結婚式に参加させていただく。
     
ガーナの人たちは(というか、僕以外全員そうなのだが)、基本、ガーナの民族衣装。上司Sさんも、普段職場で見かけるスーツ姿より、遥かに見栄えがする(失礼!?) ただ、洋装の人も少なくない。この辺は、日本と似ているかも。
   
新郎新婦不在の中、家族だけで式は始まり、両家メンバーの紹介が延々続く(もちろん現地語)。その後は、引き続き新郎新婦のいない中、大量の結納品が運び込まれる。ドレス、寝具、装身具、スーツケース、お酒…etc. ものすごい量の贈り物。隣の席のおじさんが教えてくれたところによると、新朗側から新婦側に贈り物を贈るのが習慣なんだそうで。これも日本の結納とそっくり。
  
律儀にも、贈り物一つ一つに説明がついてくる。しかも、毎回違う人が説明に立つ。たぶん、ドレスは新郎の両親から、スーツケースはおじさんから、お酒はいとこから…みたいな感じなんだろうと思う。ときどき笑いも起こっていて、皆さん非常に楽しそうなのだが、引き続き現地語なので僕にはさっぱりわからない(沈)
  
特段、「儀式」的なものもない中、年長者らしき人によるキリスト教式のお祈りを以て式は終了。参加者は、三々五々、部屋から庭に下りていく。あれ、新郎新婦は???
   
庭に下りるとテントが張ってあり、さながら野外パーティ会場の様相。ざっと見た感じ、300席くらいはあったと思う。めちゃめちゃ盛大。披露宴は、そんな野外会場でのビュッフェパーティ。終始、アップテンポの音楽が流れていて、ご飯を食べ終わった人から、そぞろに踊り始める。年配の参加者は言うに及ばず、ご飯を運ぶ給仕さんや、3, 4歳の子供たちまで、自然と体が揺れているのが面白い。この辺は、さすがアフリカ。中でも一番盛り上がってたのは、Sさん夫妻だったりする(旦那58歳。奥さん60歳)
  
そんなこんなでしばらく待っているとメインテーブルにケーキが運び込まれる。ようやく新郎新婦の登場かと思いきや、なんと、奥さんの誕生日お祝い用のケーキだった。奥さんもノリノリ。happy birthday song大合唱のあと、なんと、奥さんによるケーキカットまで。さすがにちょっとやり過ぎやろう…と思って見ていたら、入刀の瞬間、ケーキ台の両端から花火が噴出。もはや言葉を失う僕。ここまでやるならある意味あっぱれ(笑)
  
ケーキ入刀(?)を見届けたところで、職場の人たちは帰るというので、僕も一緒においとまさせていただくことに。結局、新郎新婦にはお目にかかれずじまい。新婦の母が入刀したケーキの横に、もひとつ大きなケーキがセットされていたので、たぶん、これから出てくる予定だったんだろうけど。。とはいえ、僕がおいとまさせていただいた時点で、既に式の開始から5時間余り。新郎新婦が登場したところで「はい終了」なんてことになるとも思えず。あの会は、いったい、いつまで続くのやら…。

パーティを盛り上げる合唱団。その場で彼らのCDも買えます(笑)











披露宴会場の様子。皆さん、ご飯を取りに行ってたときなので空席がありますが、実際には満席でした。
                 
      
my room, Accra, Ghana, June 13, 18:44

Friday, June 12, 2009

Ghanaian Way?

インターン先で仕事をしたり、(日本人を含め)他の外国人と話をしたり、ただ街をぶらぶら歩いたりしていて思うのだが、この国の人たちには(という一般化も雑かも知れないが)、あまり野心というものがないような気がする。政府の方針では、いちおう、更なる発展を目指すことになっているが、一人一人の本音としては、今の状況に既に満足しちゃっている人が多いのではないだろうか。少なくとも首都Accraに関して言えば。
 
その点は、中国やインドと決定的に違う気がする。今後、何年、何十年と経ったとしても、ガーナが、年率二桁%以上の経済成長を経験する日なんて、まずやってこないんじゃないだろうか。
 
それが良いことか悪いことかは誰にもわからない。「これがガーナ流なんです」と言われたら、我々外国人としては「はい、そうですか」と言わざるを得ないだろう。
  
ただ、問題は、いまのガーナの定常状態(或いは、ちょびちょび右肩上がり状態)が、自立的に達成されているわけではなく、諸外国からの援助があって初めて達成されているという現実だ。援助なしでは、現状維持もままならないけれど、援助を続けたからと言って、援助の必要ないレベルまで発展していくわけでもない(たぶん、ない)。
  
よくよく考えると、これはなかなか難しい問題だと思うのだが、援助する側もされる側も、今の状態が「当たり前」になっていて、難しく考えている人がいないんだろうなぁという気がする。落ちのない話で恐縮です・・・。
my room, Accra, Ghana, June 12, 21:53

Thursday, June 11, 2009

Home Alone

主夫妻は、今日からしばらく、イギリスに里帰り。奥さんの方は、旦那の実家に寄った後、北アイルランドに飛んで、紛争解決の授業を受けてくるらしい。夕方、家に帰ったら、机の上に、旦那氏直筆の置き手紙が。見ると、“Try not to miss us too muh!!” とのこと。なかなかお茶目な御仁である(笑)
    
今日は、ガーナに来て初めての本格的な雨。そのせいか、帰りはタクシーがなかなかつかまらない。つかまえた後も、道の混雑が尋常じゃなかった。空気もひどく悪いので、タクシーに乗っているだけで疲れる。。 雨の日は、渋滞の時間を避けるべし。今日、学んだ教訓。
  
帰宅後は、久々に自炊。水屋からツナ缶を見つけ出してきて、ツナ入りペペロンチーノを作る。アメリカで一年暮らしてみて、ペペロンチーノだけは、そこそこ上手に作れるようになった。別に、アメリカの名物料理でも何でもないんだけど。さて、明日からは何を作ろうか…??
  
食事後、メールをチェックすると、インターン先からの新しい仕事が。えっ、締切、明日じゃん。というわけで、だだっ広い部屋の中、一人、パソコンに向かってお仕事中。まぁどうせこれと言ってやることもないのでちょうどいいと言えばちょうどいい。最近、仕事の関係で、CDMとか京都議定書の勉強をすることが多い。それはそれですごくいい勉強になるんだけど、せっかくガーナにいるんだし、もうちょっとガーナの現状についても深く知りたいなぁと思う今日この頃。

ついでに言うと、knj君のblogがすごくいい刺激になっている。インターン先で、日々力をつけているのがビシバシ伝わってくるので。インターンの分野は全く違うが、僕も彼に負けないように、いろんなことを吸収して帰らねばと思う。そう思うと、いまいち、踏み込み切れていない気がする。いま、自分の周りにあるものを活用しきれていないというか…。今日降ってきた仕事から、新たな世界が広がってくれるといいんだけど。
  my room, Accra, Ghana, June 11, 23:34

Wednesday, June 10, 2009

Voluntary Carbon Market

今週、インターン先では、ガーナでCDMができないものかと考えている。
ガーナがホスト国となって「登録」(Registration)まで漕ぎつけたCDM案件は、今のところゼロ。したがって、CDMの登録に必要なノウハウも、ガーナには蓄積されていない。(蓄積されていないからこそ、CDM登録が0件なんだとも言える。ニワトリと卵)。2013年以降のCDM制度の先行きが不透明な中、ガーナとして、国内一例目のCDMにどこまでこだわるべきなのかという、もっともなご意見もある。というわけで、今日は、CDM以外の可能性も探るべく、いわゆるVoluntary Carbon Market (以下、VCM)について調べてみた。以下、今日の成果を。(ここまででお分かりの通り、今日のMSJは些かマニアックです。)。
   
参照させてもらったのは、Ecosystem MarktPlace と New Carbon Finance という二つの機関が毎年共同でまとめているVCMについての年次報告書(2009年版)(2009/5/20発行)。これによると、2008年のVCMは、前年に比べて大きく成長しており、クレジット価格の上昇や、市場規模の拡大が認められたとのこと。クレジットの主な買い手は、CSR (Corporate Social Responsibility) やPR (Public Relations) のためにoffsetを行いたい民間企業で、国別では、アメリカが最大の需要元(39%)。また、同年に発行された全クレジットのうち、96%は、第三者認証を経ているとのこと。
   
というわけで、本報告書はVCMの未来は非常に明るい!!といった筆致で描かれているわけだが、VCM素人の僕からすると、いろいろ気になるというか、引っかかるところがいくつかある。
   
まず、そもそもの話として、急拡大しているとは言っても、CDM市場に比べれば、VCMの市場規模はまだまだ小さい。 同報告書p.6の下の表によると、金額ベースで見たVCMの市場規模は、CDM(Primary + Secondary)の約30分の1。
その中でもアフリカのシェアは非常に小さい。マーケット全体のわずか1%。アフリカのシェアが少ないのは、CDMも同じなのだが、VCMがCDM市場と違うところは、30%弱をUSA産のクレジットで占められているということ。CDMのような、京都議定書に基づく制度ではないので、アメリカ国内での削減からだって、クレジットをつくることができるわけだ。また、VCMクレジットの買い手は、基本、排出削減義務を負っていない者(アメリカの企業がその典型)で、文字通り“voluntary”に買うわけだから、買い手が1 t-CO2あたりのクレジットに払ってもいいと考える額は、CDMよりも小さいだろう。そう考えると、VCMにおけるアフリカ産クレジットの割合は、単にいま小さいというだけでなく、今後も、小さいままで推移する可能性が高い。そんな気がする。
また、2013年以降のCDMの将来は確かに不透明なわけだが、そういう意味では、VCMの将来も同じように不透明。VCMクレジット最大の買い手である米国が、京都議定書の後継枠組みに加入でもすれば(してほしいですけど)、米国企業がVCMクレジットを買うインセンティブは大きく下がる。CCXだって、レゾンデートルを失いかねない。そう考えると、確かに今年、来年くらいは、VCMは引き続き拡大するのかも知れないが、このトレンドがいつまで続くかは不透明と言わざるをえない。
  
というわけで、VCMについては、そんなに真面目に追いかける必要もないかなと思った次第ですが、プロの皆様のお見立てはいかがでしょうか?
my room, Accra, Ghana, June 10, 20:35

Tuesday, June 9, 2009

Home Party

今日は、インターン先の幹部の方(日本人)からHome Partyにお招きいただき、仕事後、その方のお宅にお邪魔。久々の日本語でのパーティを心おきなく楽しんできました。
  
日本人ばかり、10人以上はいらっしゃったかと思いますが、Accraにいらっしゃる理由は、当然ながら、人それぞれで、どなたと話をしていても、正直、飽きません。その場で初めてお会いした方から、僕の勤め先(今のインターン先ではなく、東京にあるホントの勤め先の方)の後輩が最近結婚したという衝撃(!?)事実を聞かされるという一幕も。アメリカ人たちがよく使う“World is small”というフレーズどおりのシチュエーションだなぁと思っておりました。
  
でも最近本当に、世界って、広いようで意外と狭いもんだなぁと、感じることが多いです。どこで誰と誰がつながっているかわかりません。ほんと、アフリカにいようがどこにいようが、悪いことはできませんね(笑)
my room, Accra, Ghana, June 9, 24:04

Monday, June 8, 2009

Taxi Circumstances in Accra

言うまでもなく通勤電車や通勤バスなるものが走っていないAccra。インターン先への通勤には、基本、タクシーを使っている。朝夕の渋滞が激しいので、通勤時間は日によってまちまちだが、速いと10分、遅いときで30分。中には、2時間以上かけてマイカーで通勤している職員の方もいらっしゃる。距離自体は大したことないんだろうが、如何せん、渋滞がひどいので、ちょっと移動するのにも、えらく時間がかかってしまう。
  
ちなみに、この交通渋滞、Ghanaianたちが遅刻の言い訳をするときの常套手段にもなっている。まぁ実際に渋滞のせいでにっちもっさっちも行かなくなることはあるんだろうけれど、便利な(?)言い訳があるばかりに、みんなが時間にルーズになっているのも事実。まぁ、これがガーナ時間というものか。
   
別に驚くには値しないが、この街のタクシーには、「メーター」なる機械は装備されていない。「装備されていないものもある」ではなくて、「装備されているタクシーがない」。したがって、運賃は常に事前交渉制。だいたいの相場を知っていないと、どうにもならない。
 
うちからオフィスまでは、3~4 GHC(Ghanaian Cedi)が相場なのだが、毎朝毎晩、交渉は、15GHC辺りから始まる。ただ、ガーナ人の運ちゃんたちはそこまでガメつくもなく、こちらが「three」と切り返すと、一気に5GHCあたりまで下げてくる。そこからが本当の勝負…。

のはずなんだが、正直言って、僕はこの辺りまでくると、「3でも4でも5でも、まぁいいじゃん」と思ってしまう。とはいえ、すんなり 5 Cedi で受け合う気にもなれず、あとは、よくわからない義務感(??)で以て交渉を続ける。ちなみに、1GHC = 0.66USD なので、片道200円~330円くらい。
  
こういうときの欧米人というのは強い。うちのルームメイト(奥さんの方)と一緒に通勤することが多いので、そんなときは黙っていても(←黙っているから??)彼女が交渉してくれるのだが、普段温厚な彼女も、運ちゃんとの交渉となると、いきなり声のトーンを変えて、“Oh Gosh” なんて言って大げさに感情を露わにしてみたりする。わずか1 Cediの交渉でも、なかなか折れない。それでいて、一旦交渉が成立すると、突然普段の調子に戻って、超にこやかに “How are you doing, master?” なんて運転手に話しかけるもんだから、横にいるこちらとしては、「こういう人を敵に回すと大変だろうなぁ…」と朝から変な汗をかくことになる(笑)
  
こちらに来て1週間とちょっと。僕も一人でタクシーに乗るときは、例の謎の義務感で、なるだけ強気の交渉に臨んできたのだが、いつまでたっても、イマイチしっくりこない。どうしても、無理やり「演じてる」感が抜けない。と思っていたら、今日の帰り道、新しい作戦を思いついた―笑いに持ち込む作戦

相手が「15」と言ってきたら、別にキレるでもなく、逆ににやにや笑いながら、「いやいや、15セディて、あんた。どんだけボリますの!?」的な調子ですり寄っていく。と、相手も釣られて笑いながら、「しゃーないなぁ。ほな、なんぼやったら乗るんさ?」と聞いてくる。このやり方なら、しっくりくるどころか、交渉プロセスを楽しめることを発見。日本人には(大阪人には?)、高圧的にキレる方法より、こっちの方が向いているらしい。幸い、ガーナの人たちも、この手が通用するくらいに温和な人たちだ。
my room, Accra, Ghana, June 8, 22:50

Sunday, June 7, 2009

The Elusive Quest for Growth #1

アメリカを出る直前にAmazonで買った“The Elusive Quest for Growth”(『困難なる成長の探求』??)なる本を読む。
  
William EasterlyというWorld Bankのエコノミストが書いた本。副題は“Economists’ Adventures and Misadventures in the Tropics”。第二次大戦以降、国際社会は、主流派と言われるエコノミストたちの描いた処方箋の示す通りに援助を行ってきた。にもかかわらず、多くの途上国は、エコノミストが予想したとおりの発展を遂げることができず、未だ貧困の中にある。なぜ、エコノミストたちの描いた処方箋は機能しなかったのか――援助を考える上では、ある種、根源的ともいえるこの問に挑戦しようというのがこの本の主旨。筆者は、世銀のエコノミストだが、世銀の立場を代弁するわけでも言い訳するわけでもなく、虚心坦懐に自論を展開している。英語で本を読むと、恥ずかしながら、一冊読み終えるまでに最初の方を忘れてしまいそうになるので、とりあえず、今日、読み終わったところまでの感想を書く。
    
マクロの教科書にも出てくるSolowの成長モデルは―Solow本人は先進国への適用のみを念頭に置いていたらしいが―開発の分野でも、長らく理論的拠り所として「信奉」されてきた。この理論によると、追加的な資本一単位から得られる収益は資本が積み上がるに従って逓減していく。
  
先進国で暮らす者にとって、この前提に特に違和感はない。僕がもし、(奥さんの説得に成功して)PCをもう一台買うことができれば、レポートを書いたりブログを書いたり写真を整理したりする作業の効率は、それなりに上がると思うが、これが3台、4台…と増えていっても、正直僕一人では使いきれない。つまり、追加的なPC一台あたりの収益(この場合は作業効率の改善度合い)は如実に逓減していく。逆にもし、僕がいま1台もPCを持っていなかったとしたら、1台目のPCを手に入れることによって得られる作業効率の改善度合いは、非常に大きなものになるだろう。
   
斯く具合に、Solowの理論に従って考えると、より資本蓄積の少ないところで行われる投資ほど、効率よく収益を生み出すはず。つまり、先進国で投資するよりも、途上国(それも、より発展度合いの低い国)で投資する方が有利ということになる。これが本当なら、黙っていても民間の資本は途上国へと流れ、彼の地での資本蓄積に貢献し、途上国のcatch-upを後押しするはずなのだが、誰が見ても明らかなように、現実はそうはなっていない。2009年の今もなお、資本のほとんどは先進国に投下されている。  
  
資本投下の実態について、本著曰く、
In 1990, the richest 20 percent of world population received 92 percent of portfolio capital gross inflows; the poorest 20 percent received 0.1 percent of portfolio capital
inflows.(1990年において、世界の全資本の92%は、もっとも裕福な2割の人々へと投下され、もっとも貧しい2割の人々には、わずか0.1%の資本のみが投下された)
とのこと。[p.58] このようにSolowの理論が現実に妥当しない原因として、筆者は、political stability(政治的な不安定さ)、corruption(腐敗)、the risk of expropriation(政府による接収のリスク)などの可能性を示唆しつつも、より根本的な原因として、「投下された投資が、必ずしも十分に活用されるとは限らない」点を指摘している。筆者曰く、
Multiplying machines when incentives for growth were lacking was useless. Maybe the machines would produce things nobody wanted. Or maybe the machines were there but other crucial inputs were unavailable. (成長への誘因を欠いた中で機械を増やしても無意味である。その機械は誰も欲していないモノを生産するだけかも知れない。あるいは、機械はそこにあるが、他の重要な生産要素が手に入らないといった状況に陥るかも知れない。)
だと。[p.68]

先進国の経済を考えるとき、「投資が本当に活用されるかどうか」なんてことは考える必要がない。先進国での投資は、基本的に、民間主体によって自発的に行われるから、「投資はしたが使われなかった」なんてバカなことは、普通、起こり得ない(政府による投資ではしばしば起こる…)。だから、経済モデルを組むときに、「投資された資本のうちの何%が実際に使われるか」なんてことは、普段まったく気にされないし、Solowの成長理論も、御多分にもれず、その点はまったく配慮せずに設計されている(←Solow自身は先進国への適用を念頭に置いていたわけだから、当然と言えば当然)。そういう、先進国の常識の下で設計された経済モデルを、そのまま途上国に適用しようとしたことが、エコノミストたちの失敗の最大の原因、というのが筆者の主張。しかも、その誤った処方箋に則った援助政策が、何十年にもわたって行われてきたと、筆者は批判している。

彼我の違いが見えているときに、アプローチの仕方を調整するのは比較的簡単。本当に怖いのは、彼我の違いが目には見えないとき、つまり、疑いもなく万国共通だろうと思っていたルール・習慣が、実は彼の地では通用しなかった、というようなケースだろう。一昨日の「中間層」の話にも通じるが、途上国での政策を考える上で、この点は非常に重要なポイントのような気がしてきた。
my room, Accra, Ghana, June 7, 19:56

p.s. Weekly、更新しました。こちらからどうぞ。

Saturday, June 6, 2009

Construction Boom

【AM】 
昨晩、友人宅のパーティに出かけていた主夫妻(←何時に帰ってきたのか知らない。少なくとも1時以降)は、お昼頃まで惰眠を決め込んでいらっしゃる御様子。というわけで、一人起き出して、洗濯を始める。昔懐かしの二槽式 、かつ、自動すすぎ機能なし ⇒ 10分ごとに洗濯機に呼び出される(←正確にいうと、呼びだしてさえくれない。自分からすごすご寄っていく)。
  
一週間分の洗濯物が溜まっていたので、大きくもない洗濯槽には一回では納まりきらず。二回に分けて洗濯したら、それだけで午前中が終わってしまった。しかし、時間に余裕があるというのは素晴らしいもので、そんな、まどろっこしいプロセスも、特に「面倒くさい」とか「まどろっこしい」とは感じずに楽しめる。時間的な意味で、こんなに気持ちに余裕があるのはいつぶりだろうか…(えーっと、たぶん7年ぶりくらい??)
  
主曰く、このマンションの他の部屋の人たちは、乾燥機を使うか、お手伝いさんを使うかしているらしいが、主夫妻は、自分たちで(正確には、専業主夫の旦那氏が)洗濯物を干している。というわけで、必然的に僕もそのポリシーに従うことに。とはいえ、約一年ぶりの洗濯物干しは、これはこれで楽しい。アメリカの人たちも乾燥機なんて使わずに、戸外に干せば気持ちいいのにと思う。何かの記事に、「アメリカでは、外に洗濯物を干す=乾燥機を買えないと思われる=貧乏人だと思われる ので、みんな乾燥機を使う」と書いてあったのを思い出した(そういえば、六本木ヒルズのレジデンツもベランダに洗濯物を干すのは禁止らしい)。

【PM】
お昼過ぎに起きてきた主夫妻は、二人でどこかへお出かけ。僕はケーブルテレビのチャンネルを回して、サッカー日本代表のW杯予選を探すも、案の定見つからず。というわけで、諦めてスーパーに買い物に行くことに。

片道15分の道をとことこ歩く。30秒ごとにタクシーが寄ってくるが、気にせず歩く。

Accraはちょっとした建設ラッシュ。主に外国人向けと思われる高級マンションが、「そこかしこに」というほどではないが、「ところどころで」建てられている。右の写真は建設中のマンションの様子。おとといのカナダ大使館パーティの席で、超いい加減そうなアメリカ人の兄ちゃんから聞いた話によると、こういった建設案件では、いわゆる「サブコン」の位置を中国系企業が占めることが多いらしく、彼らは、昼夜分かたずに仕事して、バンバン建物を造っていくらしい。

いろいろと聞いてみたところでは、当地の高級マンションの賃貸料は、日本と同じかそれ以上。$2,000/月もざらだとか。そんなに広い部屋は要りませんと言っても、セキュリティの問題なんかで、結局、外国人の皆さんは、それなりのレベルの部屋を借りざるを得ないらしい。となると、Accraのレントが値崩れすることは当分なさそうで、そう考えると、いまAccraでマンションを建てるというのは、多少(?)のリスクさえとれれば、かなり効率のいい投資なのかもしれない。素人ながら、直観的には、まだ「バブル」というほどの建設ラッシュではないと思う。左の写真は、そんな高級マンションの一つの広告看板。
  
職業柄、先週から少し気になっているのが、この街のごみ処理事情。何人かに話を聞いてみたところでは、いちおう「ゴミ処理場」ということになっている土地がところどころにあるらしい。誰がどんな権限で指定したのかは不明だし(ていうかたぶん誰も指定とかしてない)、地下への浸透防止の処理がなされているはずもない。が、そういう「ゴミ処理場」まで運んで行って捨てるケースはまだマシなんだとか。多くの場合、地元の人たちの生活ゴミは、そこら辺の空き地に捨てられているらしい。
   
たぶん、昔はそれでも回っていたんだろうが、ゴミの量も増え、その中にプラスチックもたくさん含まれるようになった今では、そんな方法は、sustainableなはずもなく。。。我が家からスーパーに続く道沿いの側溝にも、ご覧の通りプラスチック系のゴミが散乱。幸か不幸かblogでは伝えられないが、異臭もかなりひどかった。
   
こういうのをどうにかしないと…、と思うのは、先進国から来た人間の趣味的発想なんであって、現地の人からしてみれば、まずは衣食住を足りさせろ、ということなのかも知れない。しかし、Accraくらいの街にもなれば、そろそろゴミのことも考え始めていいんじゃないかという気もする。結局のところは、この国の人たち次第なんだけど。
  
15分の散歩後、スーパーに到着。一週間分の食材を買い込んだ帰りはタクシーに乗ることに。口々に「你好」「你好」と言って近づいてくる運ちゃんたちに、いろんな意味でムカつきつつ、独り「你好」とは言わずに近寄ってきた運ちゃんのタクシーに乗る。

【夕方】
帰宅後、Yahoo! Japanをチェック。W杯本戦出場決定、おめでとうございます。
my room, Accra, Ghana, June 6, 20:04 

Friday, June 5, 2009

Lack of the middle class

今日、ある人から聞いたお話。

エリート層だけを見れば、ガーナにも、世界基準で「一流」と呼べる人材がある程度揃っているが、問題なのはその下。中間層がいない。「一流」の下がスカスカ。なので、いくらトップが良い政策を描いてみても、それをimplementするだけのリソースがない。トップが描いた「ビジョン」は、具体的な「執行」プロセスに落としこまれないまま、抽象的な「ビジョン」のままで葬り去られていく…。
  
なるほどな、と思った。結局、何をするにもそこがネックになるのだろう。この問題をクリアしない限り、中国やインドのような、加速度的な発展段階には進めない。いうなれば、「アイデア」を具体化・実現化するための回線が、ダイアルアップのまんまで、ブロードバンド化されていない。そんな“ダイアルアップ”環境下では、いくらトップが頭で想像的なアイデアを考えようとも、実際にできることの範囲は限られてくる。
    
「飛びぬけて優秀」というわけではないが、「そこそこに優秀」で、一定レベル以上のアウトプットが確実に期待できる――そんな中間層の存在が、一国の社会・経済にとってどれだけ大切か。この地に来てみてよくわかった。ガーナも、Sub-Saharaの中では比較的うまくいっている方とはいえ、中間層の厚みという意味では、まだまだ中・印や東南アジア諸国との間に大きな差があるのだろう。
   
そして言えることは、10人の「一流」を育てるより、1000人の「中流」を育てる方が、はるかに難しいということ。「一流」を育てるための教育インフラなら、「留学」というかたちで、外国のものを借用できるが、「中流」を育てるためには、そうはいかない。国内に、それに見合った教育インフラを作らねばならない。お話を聞かせていただいた方曰く、ガーナの教育システムは、そんな中間層を分厚く生み出すためには、質量とも、まだまだだということであった。

ともあれ、インターン一週目も無事終了。今週末は何をしようか。。
my room, Accra, Ghana, June 5, 24:29

Thursday, June 4, 2009

Surrounded by ...

仕事の後、ルームメイトに誘われて、カナダ大使館主催のパーティへ。白人だらけの会場の中、久々のどアウェイ空間をしばし彷徨う…。
  
Syracuseにいたときもそうだったが、こういう飲み会の席が一番しんどい。「所在なげ」という言葉があるが、「なげ」どころではなくて、どう考えても「所在ない」。そんなわけで、会場では、「来なきゃよかった」と何度か思っていたのだが、帰り道、ルームメイトから“Did you have a good time?”と聞かれ“Sure”と答えてしまうあたり、「日本人だなぁ」と思ってみたり。まぁそれ以外になんて答えられる??って話なんだけど。
  
ここから先は、いちいち真面目に分析するような類の話でもないのかもしれないが、半分、愚痴ということでお許しいただきたい。
  
こういう会に出てみると、「世界は結局、アングロ=サクソンな皆さんの間で、よろしく転がされているわけね」という気がしてくる。普段は別に、従属理論の信奉者でもなんでもないんだけど。
  
今日の会にしてみても、なかば、在ガーナ英米豪加人の「サロン」といった様相。黄色人種は自分だけで、他には、日本人も中国人もゼロ。パスポートさえ見せれば誰でも入れる会なので(会費も不要。飲食代は実費だが激安)、「オープンだ」と言ってしまえば確かに「オープン」なのだが、実際のところ、僕みたいに、たまたまカナダ人のところに転がりこんでいるような稀有なケースを除けば、英語を話す白人以外の人間が、この会に誘われることは、おそらく稀。結果、あくまで「結果的に」ではあるが、アングロ=サクソンだけの閉じたコミュニティが形成され、その人たちの間での「ツーカー」の関係が醸成されていく。そして、その「ツーカー」コミュニティの間で、政・財の重要な事柄が決められていき…と考えるのは、被害妄想が過ぎるだろうか…??
my room, Accra, Ghana, June 4, 24:42  

The Power of Thinktanks

少し前だが、Japan Business Pressというサイトに、「日中で差が開くシンクタンク力」という記事が出ていた。(読むのに会員登録を求められるかもしれません。無料ですが)
  
この記事の筆者である富士通総研の柯隆(Ka Ryu)氏は、記事の冒頭、「この20年間で、日中の外交力は完全に逆転したが、その背景には、日本のシンクタンク力の弱さがある。本来、シンクタンクは、その名の通り「知恵袋」として、その母体(国や企業)の進むべき方向を指し示すべき機関であるが、日本ではシンクタンクにそのような機能が期待されておらず、「刺身のつま」程度の存在になり下がっている」旨、述べた上で(ここまではbayaによる要約。柯氏の文章そのものではない)、以下のように書いている。

しかし、だからといって国や企業にとってシンクタンクの貢献が必要ないというわけではない。グローバル化が進む中で、市場競争は激しさを増す一方だ。それに勝ち抜くためには、強力な情報収集能力と情報分析能力が不可欠である。これは企業レベルのみならず、政府レベルも同じである。

例えば、日本の外交が弱体化したのは、その重要な原因の1つとして、戦略がおろそかになり、評論家を中心に戦術しか議論されなかったことが挙げられる。日本経済と日本の産業を立て直すために、知恵袋としてのシンクタンクの再構築が不可欠である。


このあと、筆者は、中国社会科学院、マクロ研究院(国家発展改革委員会傘下)、国務院発展研究センターといった中国の有力シンクタンクを紹介。これらが中国政府の戦略的な政策立案(とりわけ外交)に大きく貢献しているとしている。
    
中国のシンクタンク事情については全く以て“I don't know”だが、筆者の、一般論としての「シンクタンク」に関する考え方、また、日本のシンクタンク事情に関する認識には、完全にagreeだ。
   
日本に限らず、民主国家でありさえすればどこでも同じだと思うが、「政府」が「政府」である限り、はっきり言って 「言えること」 と 「言えないこと」 がある。企画立案の段階であってもそうだ。したがって、政府部内だけで企画立案を行っている限り、はじめから、「言えること」の範囲内でしかモノを考えることができない。そんな、後ろ手を縛られたような状況の中で、本当に戦略的な構想を描くことができるだろうか。
    
僕は正直、難しいと思う。別に日本に限ったことではなく、民主国家ならどこでも。本当に価値のある戦略を立てようと思ったら、知識と思考力のある人たちが、とことんfact baseで議論をし尽くさなければいけないだろう。そのとき、議論のbaseとなるfactの中には、都合の悪いものや、必ずしも道徳的でないものも含まれるかもしれない。しかし、factはfactである。どんな理由があろうとも、factを曲げて(あるいは実際よりも弱めて)解釈し、それをbaseに構想を描こうとする限り、outputとして出てくる「構想」の戦略性は、当然、不十分なものにならざるを得ない。この「fact baseでとことん議論する」というところに、シンクタンクの本領があると思うのだがどうだろうか。

筆者は、そのあとの部分で、米国のシンクタンクの言葉を引きつつ、以下のようにも述べている。
米国のシンクタンクであるアーバンインスティチュートの研究によれば、政策提言のシンクタンクは非営利的かつ独立した立場が重要であると言われている。確かに、シンクタンクが知恵袋である以上、利益を上げることは第一の目的ではない。そのスポンサーはシンクタンクがコストセンターであることを寛大に容認すべきである。シンクタンクはスポンサーからの影響をできるだけ受けずに、政策立案に取り組んでいくべきである。

先にも書いたように、中国のシンクタンク事情については、僕は全く以てno ideaだが、アメリカの事情については、この一年間、多少なりとも見てきた。そして思うのは、アメリカという国は、この「シンクタンク」という曰く形容しがたい、微妙なる存在を、非常に(異常に?)巧みに活用している、ということだ。誰かが意識的にデザインしたというよりは、長い歴史の中で自然発生的に出来てきたものなのかもしれないが、現代アメリカの政策立案機能を考える上で、「シンクタンク」という存在(「システム」と言ってもいいかもしれない)の果たしている役割は、到底無視できるものではないだろう。

その機能・役割は、非常に複雑かつ見えにくいものなので、なかなか全貌はつかみづらいが、アメリカに戻ったら、日本に帰国するまでの間、彼の国のシンクタンク事情について、もう少し真剣に掘り下げてみようと思う。

Accra, Ghana, June 4, 18:55

Wednesday, June 3, 2009

Adaptation for the Climate Change

(気候変動対策)=(mitigation)+(adaptation) 

環境屋さんの間では、いまや常識になった関係式(?)である。しかし、我々先進国で暮らす者にとっては、“adaptation”の方がいまいちピンとこないのも事実。だいたいが、「高波に備えて堤防でも作りまっか」という話で終わる。もちろん、東京を高波から守ることは、それはそれで大変大事なのだが、adaptationの主戦場(??)は、あくまで途上国。とりわけ、サハラ以南のアフリカは、気候変動の影響が世界で最も顕著に現れる地域といわれている。
  
では、アフリカに来てみれば、adaptationの何たるかが手に取るようにわかるのかというと、これが案外そうでもない。こっちはこっちで、「これから気候変動が起こりますよ。今のうちにadaptation(適応策)やっておかないと大変なことになりますよ」と、ようやく、環境庁が関係機関にふれて回っている段階のようで、現地の環境屋さん以外の人たちにとっては依然、“Adaptation, so what??”というのが実情のようだ。
    
自分自身、adaptationについてはほとんど素人のまま、ここまで来てしまったわけだが、この3日間、働いてみて、少しはガーナにおけるadaptationの現状が見えてきた(気がする)。そして思う。「これはなかなかややこしい話になりそうだ」と。――援助する側にとって。とりわけ、援助国の環境省/庁にとって。
  
何がそんなにややこしいかだが、まず、何より、「伝言ゲーム」の距離がやたら長い。典型的な二国間援助のケースで考えると、
  
(援助側)環境省→外務省→援助機関(又は国際機関)→(被援助側)外務省→環境省→(財務省)→各事業官庁
  
みたいな話になる。援助国自前の援助機関(ex. JICA、US-AID )の代わりに、国際機関がこの位置を占めることもあるし、また、お金の振分けの話なので、被援助国側の環境省と事業官庁の間に、財務省が割って入って来たっておかしくない。こうやって考えてみると、援助国側の環境省にしてみれば、自分の手元からめちゃくちゃ離れたところで(←物理的な距離の問題ではなく、間に入る人・機関の数の問題)adaptationのお金が使われることになる。そうなると、その予算が、どんな形で使われるのか、具体的に把握しろと言われても、正直、難しいと言わざるを得ないだろう。加えて言えば、adaptationとして実際に行われるプロジェクトは、たとえば食糧対策、たとえば農村対策、たとえば感染症対策…といった具合で、環境屋のナレッジが全面的に活かせる分野ではない。
    
もう一つの難しさは、日曜日の記事にも書いたとおり、adaptationプロジェクトと、通常の(=adaptationではない)開発プロジェクトを明確に線引きすることは、非常に困難(というか事実上、不可能)というところにある。確かに、同じ食糧対策、農村対策、感染症対策であっても、adaptation基金でfundされたプロジェクトはadaptation、それ以外の財源からfundされたプロジェクトは通常のプロジェクト、という具合に事後的に分類することはできる。しかし、このような分類は、結局のところ、文字どおり、事後的にしか役に立たない。
   
この「線引き不可能性」は、今後、先進国が途上国のadaptationのために、どの程度の支援を行うべきかという議論を詰めていく上で、非常に気持ちの悪いポイントになってくるんじゃないかという嫌な予感がする。何と言うか、南北両陣営の、お互いに対する疑心暗鬼の源になるんじゃないかと思うのだ。ただ、残念ながら、(たぶん)どこまでいっても「線」は引けない。adaptationをめぐる今後の議論の中で、にっちもさっちもいかなくなって、「線」が引けたことにするレトリックが現れる可能性は全く否定しないが、レトリックはあくまでレトリックであって、本質的な意味での「線」引きは、いくら知見を集めてもできないと思う。そもそもそういう性質のもんなんだと。
   
インターンが始まってからまだわずか3日なので、わからないこともまだまだいっぱいある(というか、ほとんど何もわかってない)。そんな状況なので、今後、思いなおして前言撤回、なんてこともあるかもしれないが(←すいません、予防線張りました)、とりあえず、今の時点での「思考メモ」として書き残しておく。

p.s. 「援助側にとって厄介」=「援助すべきでない/する必要がない」ということを言いたいわけでは全くありません。念のため。
my room, Accra, Ghana, June 3, 22:07

Tuesday, June 2, 2009

Harvard Professors debate over cap-and-trade

cap-and-trade法案について、ハーバード大のRob Stavinsは賛成を唱え、ハーバード大のMarty Feldsteinは反対を唱えている――と、ハーバード大のGreg Mankiwが彼のblogの中で紹介している。(ちなみに、Mankiw自身は、何のコメントも付していない。)

両方を読み比べてから感想を書こうと思ったのだが、Stavinsの方は途中で読み疲れてしまい、今日のところは断念。というわけで、とりあえずFeldsteinの記事についての感想を書いておこうと思う。Stavinsはまた後日。

で、Feldsteinの記事であるが、字数制限のある新聞コラムということを差し引いて考えても、ちょっと「場当たり的」に過ぎるというか、目に着いたところをとりあえず批判してみたという感じがして、アカデミックな深さの感じられない内容だった(言い過ぎ??)。

Waxman-Markey billについての、彼の批判のポイントは以下の通り。
  1. 得られる効果に比べて、家計への負担が大きすぎる。
  2. 排出権のほとんど(向こう20年間に配付される排出権の85%)は、オークションではなく、無償配付されることになっているので、政府が、その売却益を得られない。
  3. 一部の配電事業者への特例措置(排出権の30%はlocalの配電事業者に無償で配付されることになっている(らしい))は、その恩恵を被らない、他の家計に皺寄せが行くだけ。

まず、一見して明らかなように、2と3の論点は、細かな制度設計に関する批判である。2を「細かな」と言ってしまうと、確かにちょっと言い過ぎのような気もするが、ともあれ、2も3も、cap-and-tradeという制度の持つ本質的な欠点でないことは確かだ。排出権の無償配付が気に入らないだけなら、オークション枠の拡大を主張すればいいのであって、“Cap-and-Trade: All Cost, No Benefit”との表題の下、cap-and-tradeそのものを否定する必要はない。

1の論点は、より大きな問題を突いてはいるが、今度は逆に大きすぎて、cap-and-tradeというより、温暖化対策そのもののに対する批判のようになってしまっている。記事の中で彼は、「15%のGHG(温室効果ガス)排出削減を、cap-and-tradeによって達成するために平均的なアメリカ家計が負担する追加的コストは年間 $ 1,600」とのCBOの試算を示している(確かにこれは大きい!!)が、この値が、環境税(あるいはもっと古典的な非経済的手法(直接規制))と比べてどうなのか、という点についてはまったく触れられていない。つまり、「他の手法に比べてcap-and-tradeはイケていない」と言いたいのか、そもそも、「アメリカは、今の時点で、こんなにハイレベルな温暖化対策を取るべきではない」と言いたいのかがわからない。
   
わからないと言えばわからないのだが、同じ記事の中で、“The U.S. should wait until there is a global agreement on CO2 that includes China and India before committing to costly reductions in the United States.”(アメリカは、中国やインドを含むCO2に関する国際合意が成立するまでは、費用のかさむ排出削減に取り掛かるべきでない)とも書いていることを考えると、筆者の本音が、後者(温暖化対策そのものの否定)にあることは、ほぼ間違いないだろう。
   
まぁ、外交戦略上、そういう選択肢もあるといえばあるのだろうが(もちろん、それが良いとは思わない)、それならそれで、某テキサスおじさんのように、正々堂々と「温暖化対策そのものに反対」と論じるべきであって、cap-and-tradeだけを攻撃するのはあまりfairなやり方ではない。また、本質的な問題(=climate change)に対するスタンスを示さず、方法論のみを批判する筆者の論法は、将来世代の財政負担を考慮しない単純な増税反対論と同じであって、ポピュリズム以外のナニモノでもないと思う。
   
と、気づいたら言いたい放題書いてしまったが、僕としては、別にcap-and-tradeに全面的に賛成というわけでもない。ざっと読んでみただけだが、Stavinsの記事(cap-and-tradeに賛成)にも、突っ込みどころはいろいろあると思う。Feldsteinが主張するように、温暖化対策を単純に先送りすることは、僕的にはあり得ないと思うが、その対策手法として、cap-and-tradeの方が良いのか、環境税の方が良いのかについては、両者、一長一短であり、また、その国の社会・経済システム次第という面もある(たとえば、電力市場の自由化が進んでいる国での方が、cap-and-tradeは効果を発揮しやすい)。そういう意味では、cap-and-tradeが良いとかcarbon taxが良いとかいう、advocacy的な二者択一の議論はもういいので、より客観的・建設的な視点から、両者の長所・短所を比較してくれる記事をそろそろ読みたい。

my room, Accra, Ghana, June 2, 21:42

Too strong...

インターン二日目終了。なんだか頭が痛いっす。。

熱はないのでマラリアではないと思う。たぶん、強烈すぎる陽射しにやられてるんじゃないかと…。blogにも書いたとおり、昨日の夜も同じような症状(というほど深刻ではないですが)だった。思い返してみれば、一日の仕事に疲れたというより、帰り道で疲れたんじゃないかと思う。今日も、お昼を買いに外に出て戻ってきたら、グヘっとなってしまった。
  
暑さだけに関して言えば、東京や京都の夏も十分“terrible”なので、それなりに慣れているはずなのだが、陽射しの強さが、日本とはやはり全然違う(もちろん、Syracuseとも違う)。さすがは赤道に程近いだけのことはある。。

なんて悠長に言ってる場合じゃなくて、何か対策を考えねば。頭痛抱えながら英語読むのは、ちょっとしんどすぎる。。
Accra, Ghana, June 2, 16:53

Monday, June 1, 2009

First Day of Internship

インターンが始まりました。

午前中は、同じ課のガーナ人のおばさん(というか上司ですが)に連れられて、各課へのあいさつ回り。午後は資料を読んだり、課の皆さん(といっても僕以外には3人)と意見交換したりして終了。勤務時間は7:30~16:00なので、昼休みから戻ってきたら、午後の部はあっという間に終わってしまいます。朝は早いですが、基本、皆さん、残業もしないようなので、ライフスタイルは非常に健康的。言わずもがなですが、某島国(とりわけ某K**u**g**k*)とは、労働事情がかなり違っているようで。。。
  
そんなわけで、比較的楽チンなはずなんですが、今日は、4時過ぎに仕事が終わってタクシーに乗る頃には、激しい疲労が…。ちょっと暑さにやられている気がします。とはいえ、オフィスの中はいちおうクーラーも利いてて、某K**u**g**k*の某K省よりはだいぶましなはずなんですが・・・。

インターンの具体的な内容を書くのはちょっとまずいので、このblogでは、一般化した形で書いてみたり、公開情報をもとに記事を書いたりしていこうかなぁと思っています。まぁ、おいおい、ぼちぼち、ということで。
  
業務終了後、新しい家に越してきました。にわかに信じられないくらいの快適さを享受しています。今日の夕食は、「白身魚のソテー、トマトソースがけ」。旦那さんDさんの力作。Syracuseのレストランではまず食られないくらいの上等なお味でした。ひとつ問題といえば問題なのは、インターネットが、従量制のダイアルアップしか使えないということ。まぁふた月くらい、つなぎっぱなしの世界から解放されるのもそれはそれで悪くないかなと、ポジティブに、思っております。
my room, Accra, Ghana, June 1, 20:49