Friday, December 4, 2009

Acid Rain Program

環境コミュニティの間では有名な話であるが、cap-and-tradeを世界で初めて導入した国は、他でもない、アメリカである。1990年のClean Air Act (CAA) 改正の際、東部及び中西部諸州の110の石炭火力発電所を対象とする、SO2排出についてのcap-and-trade制度――通称“Acid Rain Program”――が導入された。このAcid Rain Programは、単に「世界初」のcap-and-tradeだったというだけでなく、政策としての評価も非常に高く、現に以下のグラフに見られるように、SO2排出量の大幅な削減(emissions)と、予想(project cost)を遥かに下回る削減コスト(actual cost)の両方を、同時に実現している(制度の開始は95年。その年を境にemissionsが大きく下降したことが見てとれる。99年のphase I終了後、2000年からはphase IIを開始。phase IIでは、対象事業所の範囲を拡大するとともに、排出制限レベルの強化が図られた)。


今日、幸運にも、当時のEPAで、その'90年CAA改正を担当された方と、昼食をご一緒させていただく機会に恵まれた。なぜこんな斬新な政策の導入が可能だったのか――そのことが知りたくて、注文した料理が出てくるのも待ち切れずに、早速おうかがいしたところ、「当時の状況は、いろんな意味で非常にラッキーだった」と断った上で、同Programが実現した理由として、以下の6点を挙げられた。

1. 機が熟していた。
「酸性雨」の危険性が社会一般に知られるようになっていたにも関わらず、1981~1989年のRegan政権下では、CAA改正法案が毎年のように提案されては廃案となっており、早急な、SO2排出規制強化を求める社会的機運が高まっていた。ちなみに、N.J.Vig & M.E.Kraff 編Environmental Policy (Sixth Edition)p.133にも、以下のように書かれてある。
Success on the Clean Air Act was particularly important because for years it was a stark symbol of Congress's inability to reauthorize controversial environment programs. Passage was possible in 1990 because of improved scientific research that clarified the risks of dirty air, reports of worsening ozone in urban areas, and a realization that the U.S. public would tolerate no further delays in acting.
2. 大統領の強力なコミットメントがあった。
1989年に大統領の職に就いた(パパ)Bushは、着任早々、CAA改正の意思を明らかにするなど、この案件を、政権の最重要課題の一つに位置づけていた。背景には、Great Lakes周辺での酸性雨被害が、カナダとの間で大きな懸案事項になっていたと、いったようなこともあったらしい。

3. 野党大物政治家の強力なサポートがあった。
「野党」と言っても、当時の上院はDemocratsがmajority。そのmajority leaderであるGeorge Mitchell (D-Maine) こそが、誰あろう、Regan政権時代に何度もCAA改正法案を提出しては苦杯をなめ続けていた張本人であっただけに、Bush大統領のイニシアティブを強力にサポート。両党(実質)トップの共闘により、bipartisan体制を築けたことが、この法案の成立を図る上で非常に大きな後押しとなった。

4. 制度の根幹の部分はexecutive branchで立案した。
議会に提出する法律案はexecutive branch主導で作成された。つまり、実質的に書いたのは役所(EPA)。それ故、いわゆる“pork barrel”の部分はさておき、制度の根幹部分については、合理的かつ実質的な設計となっている。(ここのアプローチは、現政権とは大きく異なる)

5. cap-and-tradeという制度自体に「新鮮味」があった。
Regan政権時代に何度もポシャっていたCAA改正法案は、いずれも、command-and-controlを柱とするconventionalな法案だった。このため、旧来型の「規制」ではない新しい制度を提案したということが、「規制」に反対であった人たちの間でも、比較的好意的に受け止められた可能性があるとの由。

6. 国会議員の多くはcap-and-tradeの中身をほとんど理解していなかった。
その実、cap-and-trade制度の具体的な中身はというと、ほとんどの国会議員が理解できていなかった。しかし、それがかえって幸いして、法案の骨格の部分に関しては、無駄に揉みほぐされることもなく、ほぼ提出案のまま、成立させることができた。

このお話をしてくださった方は、まさに、その改正案の立案作業に当っておられたうちのお一人。当時、この法案に反対する人たちには、cap-and-trade制度(当時はまだ、この言葉自体はなかったそうだが)の“efficiency”を強調して、説得に当られたとのこと。「efficientである」ということそれ自体についは、誰も反対のしようがないから、と。また、折角新しい制度を作るのだから、「新しいタイプの失敗をすることはあっても、古いタイプの失敗を繰り返すことだけはしたくない」との姿勢で制度設計に臨まれたとのこと。このことが、画期的とも言えるContinuous Emission Monitoring Syrstem (CEMS) ――連続測定、一時間ごとのEPAへの報告、データのWeb上での公表、etc.――の導入にもつながっており、このシステムがあるからこそ、Acid Rain Program全体の信頼性が担保されていると言っても過言ではない。(ちなみに、それまでの規定では、「二年に一度の報告」だけが課されていたとのこと)。

食事の最後、お話の全体を振り返りながら、「Acid Rain Programの導入は、私の人生の中で、もっとも大きな仕事だろうなぁ」とおっしゃっていた。まだまだ現役の方なので、「そんなこと言わずにこれからも頑張ってください」と申し上げたくなる反面、これだけの画期的な仕事に立ち会える機会というのは、確かにそうそう多くはないだろうという気もした。その意味では、おっしゃられた言葉の意味が非常にしっくりも来たりもする。まさに、「役人冥利に尽きる」と言うべき経験だろう。
my room, Washington DC, Dec 4, 22:48

追記: Gristが、12/2の記事でAcid Rain Programについて書いているのを発見。書かれている中身自体は基本的だが、リンクがたくさん貼られているので便利。

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