留学してみて良かったと思えることの一つは、こうして、blogを書く機会を得られたことである。もちろん、東京でblogを書くことも物理的には可能だったわけだが、時間的制約とか、東京での自分自身の立場なんかを考えると、東京であのまま普通に生活していて、いつかのタイミングで思い立ったようにblogを書き始めていたとは考えにくい。
「思考の整理/深化のサポート」という意味でのblogの効用については、昨年11月のこちらの記事に書いた。今日のエントリーで強調したいのは、blogの効用のもう一つの側面――state-of-the-artな情報コミュニケーション・ツールに(ある程度)慣れ親しめた、ということである。
もともと、この分野に強い方ではない。blog自体、アメリカに来る前は、書くのはおろか、人の書いたものを読むことすらほとんどしたことがなかった。今でもそんなに強い方ではないし、好きかどうかもわからない。twitterも始めてはみたのはいいが、結局、使ったり使わなかったり使わなかったり使わなかったりで、しばらーーくほったらかしたままになっている。
とはいえ、―― いろんなマイナス面もあるにせよ ―― twitterなるものが大きな力を秘めていて、世の中の形をいくらかなりとも変える可能性があるということは、なんとなく想像がつくし、好き嫌いの問題でなしに、ある程度、関心を払っておかないといけないんだろうなぁとも思う。blogをつけ始める前の僕だったら、ここまで思えたかどうかさえ怪しい。twitterに限らず、kindleやiPadも含め、ソフト/ハードの情報ツール全般に関して言えることである。
ややメタ的に言えば、情報コミュニケーション関係の物事は、誰かの書いた評論を読むだけでなく、実際に自分の手を動かして使ってみないと良いも悪いもわからない、ということではないかと思う。
blogにしても、自分で書き始めてみるまでは、「なんでわざわざ、世間様に日記を公開する必要があるのか」と思っていた。しかし、いざ使い始めてみると、blogには、blogにしかない長所(もちろん短所も)があるということが見えてくる。公開性、即時性、日記としての機能、メモとしての機能、意見交換のフィールド、ネットワーキングのための道具、etc., etc. そのどれ一つを取ってみても、「blog」にしかないoriginalな機能・性質ではないが、その絶妙のブレンドが、blogをblogたらしめている。(まだまともに使ったことはないが)twitterがあれだけブレイクしている理由も、きっとそういうところにあるのだろう。
基本的な機能自体は、ほぼ出尽くした感があるので、ハードにせよ、ソフトにせよ、これからのメディアの勝ち負けは、そうした「ブレンドの妙」と、その産物としての「パッケージとしての使い勝手の良さ」で決まってくるのだろう。で、その「ブレンド」の善し悪しは――外から見て一発で優劣を見分けられるような性質のものではない以上――、結局のところ、自分で使ってみないとわからない、ということになるんじゃないかと思う。
まだまだ、「IT通」と自称するには程遠いし(というか、この言葉自体、死語??)、今後も、そういうふうになることはないだろうと思うが、曲がりなりにも、上に書いたような意識をこのタイミングで持てたことは、ラッキーだったと思うし、僕にとっては、留学の大きな効用の一つだったように思う。
my room, Syracuse, Jan 30, 14:26
3 comments:
twitterやiPhoneなんか使わなくても別に不便はない。そんな風に思っていたら、回りの人はガシガシ使い倒して面白い事に出会えている。
そんな現実を見ると、意図的に新しい物に興味を持つことは今後のオッサン人生を大きく変える要素なんだろうなと最近思っています。
とりあえずやってみて、合わなければ止めれば良いだけですしね。
で、実際、twitter使ってみてどうですか?僕はイマイチ、そのありがたみを感じられていないのですが。。followする相手のチョイスがよくないのかなぁ…。
即時的な双方向コミュニケーションが体験できると変わってくるかもしれないんですけど、今のところ意味があんまり感じられません…。
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