Wednesday, January 13, 2010

Rule of Equity

昨日のエントリーの最後に触れた“equity”が、今日の授業のメインテーマの一つ。この概念、正直、完全には理解できなかった…。授業後に残る得も言われぬ、このもやもや感。。。

授業で聞いた内容とWikipedia(英語版)の記事から推察するに、“equity”(或いは“rule of equity”)というのは、
  • 英国流common lawの世界で用いられる法概念であり、
  • 民事司法システムでのみ用いられ、
  • “rule of law”と並立的(或いは補完的)に存在し、
  • 法に照らして判断するのではなく、「equity(公正さ)が確保されているかどうか」を拠り所にして裁判官が判断するもの
ということらしい。そもそも、昔は、lawとequityで扱う裁判所が違っていたのを、近代化の過程で、一つの裁判所で両方をカバーできるよう制度が改変されてきたんだとか。その名残で、今でもアメリカの多くの州では、lawを扱う裁判ではjury(陪審員)が判決に加わるが、equityの裁判では裁判官だけが判断する、といった具合に手続き上の違いが残っているらしい。

今日の授業のreading assignmentによると、80年代以降、アメリカでは、刑務所の環境改善を求める連邦訴訟が急増。federal courtは、これに対して、「“equity”の法理」と「憲法(主に修正第8条)に基づく囚人の権利」を理由に、原告(囚人)側の主張を幅広に認め、改善命令を出しまくったため、多くの州政府が、多額の出費を迫られることに。この結果、federal courtの裁量権(discretion)を制限すべしという機運が高まり、1996年、Prison Litigation Reform Act(PLRA)が成立。同法の目玉である“Automatic Stay”規定は、裁判所の救済命令(relief)に対して異議申立て(filing)がなされた場合、当該申立てに対する裁判所の判断を待つことなく、申立てから30日が経過した時点で、自動的に、その救済命令が停止(stay)する、というものである。(その後、Miller v. French (2000)で、“Automatic Stay”の合憲性が争われたが、最高裁は、5-4で「合憲」と判断。)

“equity”なるモノにまったく馴染みのない国から来た人間からすると、何らの明文化されたメルクマールにも依らず、「公正か否か」という極めて抽象的な基準だけで判断する権限を裁判所に与えていれば、当然、こういう混乱も起こってくるわなぁという気がする。ここまでの僕の理解が間違っていなければ(その可能性は50/50くらいだと思うが…)、“rule of equity”の下にアメリカの裁判所が保持している権限は、日本の場合、立法・行政・司法の三権が、分掌しているのではないだろうか。立法府が憲法第14条(法の下の平等)を具現化する法令を制定し、行政がそれを執行、裁判所がそれらを憲法の規定に照らして十分か否か判断する、といった具合に。
  
直観的には、日本のシステムの方が機能的であるように思うのだが、今日のエントリーの冒頭に書いたとおり、僕自身、この“equity”という概念の理解にイマイチ自信を持てていないので、あまり断定的なことは言わないようにしておきます。
my room, Syracuse, Jan 13, 21:03

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