Sunday, January 17, 2010

Reliable ace was underhand

小林繁氏急死の報に驚いた。

78年生まれの僕にとっての、最初の野球の記憶は、85年の阪神優勝であり、したがって、83年に現役を引退した小林繁氏の現役時代は、僕の記憶にはない――はずである。

しかし、両親ともに(ついでに言うと祖母も)阪神ファンという典型的な関西の家庭に育った僕にとって、いわゆる「空白の一日」は、折に触れて聞かされた、忘れまじき「悲劇」であり、その「悲劇の主人公」である小林繁は、伝聞を通してではあるが、はっきりと僕の「記憶」に残る選手であった。関西ローカル局制作の昔を懐かしむ系の番組で、明石家さんまの大阪ガスのCM(さんま氏が、小林氏の形態模写をしていた。放映当時、関西では、かなりの人気CMだった、らしい)を、子供のころからたびたび観ていたことも一因なのかも知れない。

デイリーのこちらの記事によると、小林氏と江川氏が事件以来初めて言葉を交わしたのは、「事件から28年後の2007年に酒造メーカー「黄桜」のCMで共演」したときとのこと。また、「その後は一度も会うことはなかった」とも。つまり、この記事が正確ならば、事件以降、両氏が言葉を交わしたのは、後にも先にも、「黄桜」のCM撮影のとき一回だけ、ということになる。両氏にとっては、それだけ因縁の深い一件だったということなのだろう。

しかし皮肉にもというかなんというか、この一件(と、その主人公たる小林繁)は、サッカーも大リーグもなく、バブルもそれに続く不況もなくて、プロ野球(とりわけ阪神-巨人戦)こそが、名実ともに庶民の生活の中心にあった、古き良き時代の象徴であり、ドラマであり、その悲劇性ゆえに「花」でさえあったんだろうなぁと思う。 

小林さんの若すぎる死を心からお悔やみ申し上げたい。
Starbucks, Marshall St., Syracuse, Jan 17, 17:01

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