Saturday, January 9, 2010

The Hybrid


年末に読んだ本の感想をば。木野龍秀著『ハイブリッド』(文春新書 2009)

初代プリウスの開発ストーリー。各登場人物が生き生きと描かれていて、某公共放送の『プロジェクト○』を観ているような感覚でさらっと読める。

全編を通して強調されているのは、初代プリウスの開発が如何に「見切り発車」的で、「綱渡り」的であったかということ。プロジェクトの立ち上げから量産化の正式決定、販売開始に至る流れを時系列で整理すると、こんな感じになる。(肩書きはすべて当時のもの)
  • 93年9月…「トヨタが21世紀に向かって提案できるような、シンプルで高性能なクルマ」の開発を目標とする「G21プロジェクト」立ち上げ。
  • 94年7月…G21の開発コンセプトを「資源エネルギー・環境問題に答えを出すようなクルマ」とすることを役員が了承。(この時点では、量産化については何の決定もなし。あくまで「とりあえず」研究してみようという雰囲気。)
  • 94年夏…G21の量産に向けた開発の具体案が役員により了承。この時点では、ハイブリッドではない通常のガソリンエンジン搭載による燃費性能50%向上を想定。
  • 94年11月…和田技術担当副社長が内山田G21リーダーに、次回の“東京モーターショー用”として、ハイブリッド車の開発を指示。次回モーターショーは95年10月。
  • 「モーターショーの作業を始めてすぐ」…和田副社長が「G21のクルマの燃費を2倍(=100%向上=30km/ℓ)にしろ」と厳命。G21チームが「既存技術では50%が限界」である旨説明すると、和田氏はハイブリッド技術の導入を示唆。(※ モーターショー用はあくまで「コンセプトカー」。対するG21は、この時点で既に「量産化」が決まっているプロジェクト)
  • 95年5月…ハイブリッド車の量産化が正式決定。99年のオフライン(販売開始)を目指す。
  • 95年8月…奥田社長の指示により、オフライン、一年前倒し。(目標:98年12月)
  • 95年12月…豊田章一郎会長、奥田社長の指示により、更に一年前倒し。
  • 97年12月10日…初代プリウス発売。
この開発スケジュールが、如何に常識離れしたものであったかは、当時の開発担当者たちの弁を借りながら、本著の随所で示されている。

この流れを作るカギになったのは、94年の和田副社長による「(燃費を)倍にせいっ!」発言。なぜこのときに和田副社長が、このような、ある意味で「荒唐無稽」な“厳命”を下したのか(或いは「下せた」のか)。このことについて、本著は以下のような分析を示している。
  1. 和田氏は以前から、塩見技術総括部長に「ハイブリッドをやると燃費が上がる」と示唆されていて、ハイブリッド・システムの特性に関するレクチャーを何度も受けていた。
  2. 「信念と実績に裏打ちされた」和田氏一流の「カン」により、塩見氏の話を和田氏なりに咀嚼。
  3. 「ハイブリッドで燃料は倍になる」と判断。
つまり、塩見氏からハイブリッド技術についてのレクチャーを受けていたとはいえ、「二倍」という数字自体は、ほぼ完全な、和田氏の「カン」だったというわけである。あのプリウスの開発プロジェクトのトリガーが、こんな、ある意味「適当」な判断でなされていたというのは聊か驚きに値する。

しかし、イノベーションなんてものには、そもそも、完全な計算は伴い得ないわけで、こういったかたちでの、ある種の「賭け」或いは「決断」は不可欠なのかも知れない。初代プリウスのときのような、ある種、無理のある、見切り発車的な開発方法について、トヨタ社内で「ハイブリッドの父」と呼ばれた技術者八重樫氏は、「トップ役員がリスクを負うならアリ」と断言。同時に、「あれをやったから今のハイブリッドがあると自負しています」とも述べている。(p.170)

このことは、程度の差こそあれ、我々政策立案の業界にも妥当すると思う。ここで、「トップ役員」ならぬ、我々ペーペーに求められるのは、「上司を見る目」ではないかと思う。この人の「カン」を信じてついて行って大丈夫か――判断事項そのものの正確さは、客観的に判断しえない以上(今はそういう場合の話をしている)、最後は人を見て、obeyするか、反論するかを決めるしかない。と考えると、日頃から、上司の先見性・鑑識眼を値踏みしておくのは非常に大事なことだ。

もう一つ、一連の話の中で特に参考になると思うのは、技術者塩見氏の仕事の仕方。本著の中で、現副社長の瀧本氏は、塩見氏について、以下のように語っている。
「いつも、とんでもない先のことを言われていた。石油はなくなるんだから早く水素で動くクルマをつくれとか。遠い将来を見て、こんな芽を生やせと、種を探すというようなことをしていた」(p.69)
当の塩見氏曰く、
「あの頃にハイブリッドがどんなものかわかっていた人は、いないでしょうねえ」(p.70)
との由。更には、
「わかっていなかっただろうけれど、それに対して僕はなんの説明もしてないし、了解も得ていない。だから反対のしようもなかったんじゃないかな。ただ、僕の方ではとにかくモノをつくって『乗ってください』って、社長を含めて役員を乗せていたから、どの程度のものになったかはわかっているわけですよ。そうすると、『ああ、いいんじゃないの、なかなか』って言われる。そのうちに、『これはトヨタとしては当然、やるべきだ』っていう時流が、自然発生的に盛り上がっていったんです」(p.71)
とも。彼の、この「暗躍」が、先述の和田氏の「カン」に繋がっていくわけである。

この塩見氏の姿勢は、一組織人が、組織の中で、最大限に自由に泳ぎ回り、かつ、そのアウトプットを組織に還元するという意味で、一つのお手本のような事例だと思う。ここでポイントとなるのは、まだ、他の誰もが気付いていないような、「先の先」のことを取り扱うということ。「少し先」くらいのことだと、他の人も気付き始めていて、本来それをカバーすべき「正規軍」が、既に行動を起こしていたりする。「新しい」ということは、正規軍にとっても「目玉商品」になる可能性が高いわけで、彼らからしてみれば、横から茶々を入れられるのは面白くない。そんな中で何かを提案するとなると、正規軍との「調整」だけで疲弊してしまう。 

その点、「先の先」のことをやっていれば、誰かにバカにされることはあっても、本気で干渉を受けることは少ないだろう。大方の反応は、きっと、「あんたの趣味として、好きにやってれば」くらいのもんだ。その間に、コツコツ中身を詰めておいて、組織内トップ営業を仕掛ける――なかなか面白い戦略だと思う。そう、いつもいつも、ヒット商品を生み出せるとは限らないにしても。

塩見氏の話を見ていて、先月、このblogで紹介した、アメリカのAcid Rain Programの話を思い出した。SO2のcap-and-tradeという、非常に画期的な規制手法の法制化に成功した理由の一つとして、当時の担当者は、「国会議員の多くがcap-and-tradeを理解していなかったこと」を挙げておられた。別に、「騙し討ちにすればいい」というものではないが、他の人よりも、二歩以上、先を見て行動するというのは、何か大きな変革を組織にもたらす上で、一つの非常に有効な戦略なのではないかと思う。
my room, Syracuse, Jan 9, 22:20

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