Sunday, February 28, 2010

Canadian #87 vs US #39

アメリカ人のクラスメイトが、「一日だけダイエットを中断してジャンクフードを食べまくる会」という、いかにもアメリカ人の考えそうなパーティを開くという。有難いことに、お招きをいただいたものの、どう考えても健康に良さそうにないので ― 今さら気にしてどうする、という話もある ―、どうしようかと迷ったのだが、結局、『オリンピック、男子アイスホッケーの決勝戦をその場で観させてくれるなら』という条件をつけて参加。というわけで、今オリンピック最後のイベント、カナダ vs アメリカの決勝戦を、アメリカ人6人組と一緒にTV観戦してきた。

試合の方は、優勝候補カナダが序盤に2点をリードし、アメリカ(彼ら流に言えば“Team USA”)が追い上げる展開。第2ピリオド中盤にアメリカが一点を返して2-1。その後も息詰まる攻防が続き、「真面目にホッケー観るのはこれが初めて」というアメリカ人たちも、次第に熱を帯びてくる。

2-1のまま迎えた第3ピリオド残り2分。“Team USA”はキーパーを下げて6人総攻撃(いわゆる“Empty Net”作戦)に出る。これが功を奏し ― あるいは、アメリカ人6人組 + 東洋人約1名が、会場から4000km離れたSyracuseの地で“USA!”chantsを叫んだ結果 ―、残り24秒で同点ゴール。試合はそのまま“sudden victory” (sudden deathと意味は同じ)の延長戦へともつれ込んだ。

第3ピリオド、約3分を残したところで、カナダの国民的英雄Sidney Crosbyがキーパーとの一対一を決め切れず、その後に、劇的なアメリカの同点シュートが生まれたので、流れはアメリカに来ているかと思ったのだが、結局、延長7分40秒に決勝ゴールを決めたのは、そのCrosbyだった。やはりヒーローというのは、技術だけでなく、こういう「星」も持ち合わせているものなのかも知れない。

最初は、ジャンクフードを頬張りながら、雑談半分に観戦していたアメリカ人たちも、第3ピリオドの途中からは真剣に観戦。延長戦で決勝ゴールを決められたときには、アメリカ人というイキモノにしては珍しく、がっくりと肩を落としていた。斯くいう僕も、それを見てせせら笑っていられたわけではなく、甲子園の決勝戦並みに感動。これまで観てきたホッケーの試合の中で、間違いなく、最高の一戦だった。

決勝ゴールを決めて「ヒーロー」振りを遺憾なく発揮したCrosbyとは、ある意味、対照的だったのが、アメリカのGoaltender、Ryan Miller。この大会、数々の好セーブを連発してきた彼だが、最後の最後に、Crosbyの一発に泣いた。イケメン豪傑揃いのホッケー選手たちの中にあって、Millerは(ぶさいくとは言わないまでも)なんとなく垢抜けない感じの、やや控えめな青年。そういう彼のキャラもあってか、この大会を通して、結構な彼のファンになってしまった。

控え選手も含め、今日の試合に参加した46人は、全員がNHLのチームに所属。彼らは、息つく間もなく、それぞれのチームへと戻っていく。CrosbyとMillerは、それぞれ、PittsburghとBuffaloへ。NHLに戦いの場を移した彼ら二人の再戦は、早くも今週火曜日、ピッツバーグの地で実現する。

(Photo by Harry How/Getty Images)
Maxwell School, Syracuse, Feb 28, 19:56

追記: Ryan MillerがMVPを獲得したとの。“He was the main reason we were in the gold medal game and why we got it to overtime”とは、チームメイトのforward選手のことば。forwardにここまで言わしめるとは、ゴーリー冥利に尽きるというもの。

Friday, February 26, 2010

overnight snow storm

この冬一番の大雪来る。

ひと晩の間に、車がすっぽり埋まるくらいの雪が積もった。そんなに寒くはなかった分、雪質がwetで、いつものようなサラサラ感がない。昨晩は何となく学校に泊。今朝の帰宅時には、車周りの雪と悪戦苦闘している光景を多数目撃。以下、帰宅時に撮った写真を。

my room, Syracuse, Feb 26, 23:12

Thursday, February 25, 2010

Congressional Hearing for Toyota on papers

昨日の米下院公聴会での豊田章男トヨタ自動車社長証言を受けての、今日の新聞記事を抜粋。(邦訳はすべてblog筆者による。)
Mary F. Calvert for The New York Times
Toyoda Is Wary Star of Kabuki at Capitol (トヨタ、議会“歌舞伎”ショーにて隙見せず@ Wall  Street Journal
Whether Mr. Toyoda's performance won over rattled consumers won't be clear for weeks or months. But he did earn some respect from lawmakers.
"I want you to know that I am impressed by the fact that you came voluntarily before the committee," said Mr. Towns, the panel's chairman. "It indicates your commitment [to] making sure that these autos are safe."
(今日の公聴会での)豊田氏の証言によって、消費者の信頼が回復するかどうかは、数週間~数か月経たないとわからない。しかし、議員からは、一定の評価を得た。議長を務めたタウン議員は、「あなたが自主的にこの公聴会に出席されたという事実に、私は、感銘を受けた。この事実は、あなたが、トヨタ車の安全性の証明に真剣であることを示している。」
  
WSJのテレビ番組。「とにかく真相を解明しないとね」、というのがコメンテーターのコンセンサスのよう。尋問する側の議員は、安全問題と同時に、地元選挙区のトヨタ工場で働く労働者の雇用も気にしているはずだ、との指摘も。

Toyota president apologizes under fire of U.S. officials (トヨタ社長、米政府高官からの非難受け、謝罪。) @ Washington Post
Still, the Toyota executives seemed to elude the thunderous condemnations that congressional hearings sometimes evoke. In part, this may have been because of Toyoda's translator -- it added a delay and sometimes confusion. Some members thanked Toyoda for having traveled so far. And at least two members of the panel offered "konnichiwa."
とにもかくにも、トヨタ幹部陣は、激しい糾弾は回避することができた。そうした激しい糾弾は、議会公聴会ではしばしばなされるものである。この結果は、ある面では、豊田氏の通訳によってもたらされたのかもしれない。通訳は、議論に後れを生じさせ、ときに混乱をもたらした。議員の中には、豊田氏の渡米に謝意を伝える者もあり、また、少なくとも二人の公聴会メンバーは「コンニチハ」と日本語で挨拶をした。
An Apology From Toyota’s Leader (トヨタ社社長、謝罪) @ NY Times
Under questioning, Mr. Inaba, Toyota’s highest-ranking executive in the United States, acknowledged that Toyota was aware of issues with sticking pedals in Europe for a year before accidents in the United States.
That has been a crucial issue, because Toyota executives in the United States have said they found out about sticking pedal issues only last October.
The first reports of sticking pedals surfaced in Britain and Ireland in late 2008. By August 2009, Toyota began a production change on cars sold in Europe that was completed by January, weeks before it recalled millions of vehicles in the United States.
“We did not hide it,” Mr. Inaba said. “But it was not properly shared. We need to do a much better job sharing what we knew in Europe with the United States to see if there is any danger to American consumers.” Mr. Inaba said the American side of Toyota “was not aware or not informed of” the European situation until January, when he learned of it.
尋問の中で、稲葉北米トヨタ社長は、アメリカで事故が起こった一年前に、ヨーロッパでは、トヨタが、アクセルペダルの問題を認識していたことを認めた。アメリカでは、トヨタ幹部はこれまで「ペダル問題が発覚したのは去年の10月だった」と言っていたので、このことは重大な問題である。ペダル問題に関する最初の報告は、2008年の末に英国及びアイルランドからなされていた。2009年の8月までに、トヨタは、ヨーロッパで販売される自動車の仕様変更を開始し、(今年)1月までにはこれを完了している。これは、アメリカで何百万台もの車に対するリコールが始まる何週間も前のことである。
稲葉氏は、「我々は隠していたわけではない。しかし、適正に(情報が)共有されていなかったのは事実。ヨーロッパで見つかった情報をアメリカ側と共有する方法を我々は改善する必要がある」と証言。また、アメリカ側のトヨタは、ヨーロッパにおける状況を、今年一月に彼(稲葉氏)自身が知るまで「知らされていなかった」とも証言した。

On Tuesday, James E. Lentz III, the president of Toyota Motor Sales U.S.A., told the House Energy and Commerce Committee that the prescribed repairs might “not totally” solve the problem. In response to a question, Mr. Lentz said that Toyota was still examining the sudden acceleration problem, including the possibility that the electronics system might be at fault.
Mr. Toyoda and Mr. Inaba both said, however, that they were confident that the computer system was not at fault.
今週火曜日、Lentz米国トヨタ自販社長は、下院エネルギー・商業委員会で規定の修理は、問題を「完全には解決しない」かもしれないと証言。質問に対し、同氏は、トヨタは引き続き急加速問題を調査中であり、電気系統に欠陥があった可能性もなくなってはいない旨、答えた。
これに対し、豊田氏と稲葉氏は両人とも、コンピューター系統には問題がないことを確信していると発言している。 
議会公聴会というのは、そもそもが「突き上げる」ための場であって、そのこと自体は、相手が米国企業や政府高官であっても変わりはない。去年のBig Threeや、先月のガイトナーなんかも、けちょんけちょんにやられていた。

各紙の報道を見るに、公聴会はそういうもんだという前提の上で、トヨタ陣営は「いちおう、公聴会を乗り切った」と評価しているように思う。ただ、NYTは、具体的な「証言の食い違い」的なところを衝いてきており、この辺りが、今後、どのように扱われていくかが一つの争点になるのかも知れない。
Maxwell School, Syracuse, Feb 25, 17:38

Wind Generation in UK

風力発電の勉強をしていると、その普及径路は、地理的要因と既存配電網の様態(←これ自体、そもそも、地理的要因の影響を多分に受けている)に、大いに規定されるということがよくわかってきた。今回の論文は、もはや軌道修正不可能なところまで来てしまっているので、このまま“NY州-focused on”で進めていこうと思うが、実際のところ、アメリカと日本とでは、前提条件が違いすぎていて、単純な比較はできない。目下、導入量を大幅に伸ばしているインド・中国ともなれば、前提条件は更に大きく違っているので、「なぜ印・中に出来て、日本に出来ないのか?」式の疑問は、あまり的を射てはいないように思う。

客観的に言って、日本という国は、世界の中でも、風力発電の普及がもっとも難しい土地に位置してしまっているように思う。たとえばデンマークなんかは、「国土の大きさ」という面では、日本以上のデメリットを負っているわけだが、反面、欧州大陸の巨大送電網に接続するという、日本には真似したくても真似できない、大きなメリットを享受している。

その意味で、(ざっくり言って)日本と同様の難しさを抱えているのはイギリスだろう。25日付のFT blog記事によると、同国政府は、昨年の独Vestas社の英国工場閉鎖を受け、国内風力産業を再点火させるかどうか ― それをするには当然、それに見合った財政支出が必要となる ― の瀬戸際に立たされている模様。その背景には、コストのかさむ洋上発電の推進に、今後、どれだけ本腰を入れていくか、というより大きな問題がある。

洋上発電の問題については、昨年7月の同紙blog記事でも書かれている。抜粋すると、
Most of the rest of the world is simply not interested [in offshore wind]. Wind companies have overwhelmingly voted with their feet - the big growth markets for new turbines are China and the US, countries with huge open spaces available where companies can thrust up new turbines where they like, free from nimby attacks.
Almost the only people in the world pushing offshore wind are the UK government.
There is no export market for UK-built offshore wind turbines and in all likelihood there never will be. Few other countries are interested - only those with little land to spare, a bit of coastline and a deep green tinge are likely ever to be in the market.
との由。

最初に書いたような「前提条件」のおかげで、英国も、相当悩まされていることが見て取れるが、同国は、日本と同様の前提条件を抱えながらも、日本よりははるかに真剣に、風力発電の普及に取り組んできた歴史を持つ。「後発」の日本としては、“leapfrog”をかますにせよ、「熟慮ある撤退」に踏み切るにせよ、同国の悪戦苦闘の歴史から学ぶべきことが多くあるのではないかと思う。
Maxwell School, Syracuse, Feb 25, 15:01

Wednesday, February 24, 2010

de facto championship

こないだの日曜、アメリカが、何十年振りかにカナダを下すという“Giant Killing”をやらかしてくれたおかげで、優勝候補のカナダとロシアが、明日のquarterfinalで対戦することになってしまった…。あ、いちおう断っておくと、オリンピック男子アイスホッケーのお話。またホッケーの話かと、既にお察しでしょうが(笑)

今週の日曜は、Ovechkin vs Crosbyの対決を自宅でゆっくり観戦しようと楽しみにしてたのに…(ぶつぶつぶつ)。ロシアにしてもいい迷惑に違いない。普通にグループリーグを一位抜けしたはずなのに、なんで決勝トーナメントの初戦で、優勝候補かつ地元のカナダと当たらなければいけないの!?みたいな。

こんな異常事態を招いた一番の責任者(立役者?)は、何と言ってもアメリカ代表goaltender Ryan Miller。日曜日の試合で、シュート数42本に及ぶカナダの猛攻を3失点で凌ぎきった彼の働きは圧巻。NBCのサイトにいけば、彼の“best save集”なんてのも見られる(再生できるのは、たぶん、米国内のみ)。放たれたシュートに対する反応の速さもさることながら、打たれる前の「読み」がキレまくっている。

でもやっぱり、ロシアvsカナダの頂上決戦は、最後の最後に観たかった…。
my room, Syracuse, Feb 23, 25:49

Monday, February 22, 2010

Timeline of EPA's Carbon Emission Regulation

Carbon Emission Regulationの関係で、Washingtonが微妙に動いている。(関連の過去エントリはこちらこちら。)

先週の金曜、John D. Rockefeller IV議員(West Virginia)率いる、採炭州(coal states)選出民主党上院議員8人衆が、EPAに対し、Carbon Emission Regulationに関する「質問状」を送りつけた。Rockefeller議員のサイトに出ている記事によると、
The letter requests that Administrator Jackson clarify the EPA timetable and suspend EPA regulations for industrial facilities so Congress can consider comprehensive energy and climate legislation.
(拙訳) 「質問状」は、(EPAの)Jackson長官に対し、同庁の(Carbon Emission Regulationに関する)「タイムテーブル」を明らかにすること、また、固定発生源に対するEPAの規制を保留し、議会が包括的なエネルギー・気候法案を検討できるようにすることを求めている。
との由。

これに対して、EPAは、週明けの今日、さっそく返信letterを発出。同庁News Releaseによると、その要旨は、
  • No facility will be required to address greenhouse gas emissions in Clean Air Act permitting of new construction or modifications before 2011. (2011年以前に設置又は構造変更の許可が完了する施設に対しては温室効果ガス規制は適用しない。)
  • For the first half of 2011, only facilities that already must apply for Clean Air Act permits as a result of their non-greenhouse gas emissions will need to address their greenhouse gas emissions in their permit applications. (2011年の上半期は、既に現行Clean Air Actで規制対象となっている施設の設置又は構造変更の際にのみ温室効果ガス規制を適用する。)
  • EPA is also considering a modification to the rule announced in September requiring large facilities emitting more than 25,000 tons of greenhouse gases a year to obtain permits demonstrating they are using the best practices and technologies to minimize GHG emissions. EPA is considering raising that threshold substantially to reflect input provided during the public comment process. (規制対象となる施設の「裾切り」緩和を検討中。)
  • EPA does not intend to subject smaller facilities to Clean Air Act permitting for greenhouse gas emissions any sooner than 2016. (少なくとも2016年までは、小型施設に温室効果ガス規制を適用する予定はない。)
とのこと。返信letterの原文もこちらから読める。

EPAの反応の速さからして、質問する側とされる側は、あらかじめ、話をつけていたとしか考えられず、となると、Rockefeller他が質問状を出す以前に、話は、政権トップまで通っていたと考える方が素直だろう。

だとすると、この動きは何か?? 思うに、お尻を切ることによって、議会での審議に再びモーメンタムを与えたいWhite Houseと、地元向け得点稼ぎをしておきたい採炭州議員の“共闘” ― またの名を“妥協の産物” ― が成立したということなのではないだろうか。(双方にどれだけの実益をもたらすかはともかく。。)

あくまで、すべて、公開情報からの推測です。悪しからず。
Maxwell School, Syracuse, Feb 22, 21:07

追記:本題とはまっっっったく関係ないが、US版Yahooの写真記事に大ウケしてしまった。


追記2:本題関係。ここのページに、「質問状」にサインした8議員の名前が挙がっている。名前は見てもよくわからないので、選出州だけ挙げておくと、Alaska, W.Va.(×2), Ohio, Pa., Missouri, Mich., and Mont.。ちなみにMichiganって石炭とれるんでしたっけ? 

What do we want from sociology?

What this suggests to me is that piecemeal inquiry into specific social phenomena is a more promising approach than grand unifying sociological theories. And this in turn suggests the metaphor of toolbox rather than orrery -- a collection of explanatory hypotheses rather than a unifying theoretical system.
このことは、社会学の壮大な統一理論よりは、ある社会現象に関する部分部分の調査(piecemeal inquiry)の方が手法として期待できることを意味しているように思う。比喩的に言えば、太陽系儀よりも道具箱の方が良い、というわけだ。つまり、統一的な理論体系よりは、説明のための仮説の集合、ということである。
 【出典】
What do we want from sociology? @ UNDERSTANDINGSOCIETY (Feb 21) (オリジナル)
社会学に何を求めるか? @ himaginaryの日記 (Feb 22) (和訳記事)

「社会学って、何やってるんだろう?」 ― あるいは、そもそも「社会学って、何なんだろう??」 ― とは、普段からの僕の疑問点。社会学を実際にやっている人が、このエントリをどう見るのかはわからないが、個人的には、この説明で、わりと納得できた気がする。

“grand unifying sociological theories”を掲げる学問 ― economicsはその典型 ― は“一神教”的で、社会学は“多神教”的なのかも知れない。そのアナロジーで考えると、経済学が、他の学派の人たちから、しばしば鬱陶しがられる理由も分からなくはない気がする。
Maxwell School, Syracuse, Feb 22, 14:39

Sunday, February 21, 2010

"History was made"



年明け早々のエントリで触れた、“Mirabito Outdoor Classic”の観戦に行ってきた。

普段は、屋内で行われるアイスホッケーの試合を、屋外でやってしまおうというこの企画。これまで北米で行われた屋外試合は、せいぜい片手で足りるか足りないかくらい。それもすべて、NHL(一部リーグ)の試合で、Syracuse Crunchの所属するAHL(American Hockey League。野球のAAAにあたるMinor League)の試合が屋外で行われるのは今回が初。なぜ、寒いさなかに敢えて屋外で試合しなければいけないのかとか、なぜ初めてなのに“Classic”なのかとか、そういう難しいことを考えてはいけない。理屈抜きの「お祭り」なのである(ということにしておいてください)。

いざ会場入りしてみると、想像していた以上の客入り。地元TV局の報道によると、その数、21,508人。74年のAHL史上、最高の観客動員数だったらしい。もっとも、僕らの席(スタンドの端っこ)からリンクまでは果てしなく遠く、「無理やり、客入れ過ぎだろ」という気がしないでもなかった。まぁ、これも「お祭り」なので、やむなし。

試合の方は2-1で、地元Syracuse Crunchの勝利。たえずどちらか(あるいは両方)のチームが、一人、二人をpenaltyで欠いているような、やや荒れ気味の試合であったが、これもまぁ、「お祭り」の一環なのかも知れない(笑) ともあれ、Syracuseは数少ないチャンスをものにし、ゴーリー中心に、Binghamtonの攻撃をしのぎ切って、「歴史的」勝利を納めた。

ところで、アメリカのスポーツ観戦というのは、一般論的に言うと
  • 車でスタジアム入りし、
  • 駐車場でバーベキューセットを広げ、
  • 試合の前後に、肉を頬張りながら、仲間と盛り上がる
というのが、清く正しい(??)スタイル。とは言え ― 冬のSyracuseにしては比較的暖かかったとは言え ― 0℃弱の気温の中、これをやるヤツはさすがにおらんだろうと思っていたら、数組ではあったが、試合後に“寒空バーベキュー”を楽しんでいるグループを発見。彼らの生粋の「お祭り」魂にも乾杯。

帰宅してTVをつけると、ローカルニュースが、“History was made”とのタイトルで、今日の試合を報じていた。若干、タイトルが大袈裟すぎる気がしないでもなかったが、まぁ確かに、「AHL史上初」というのは事実だし、それに、こんな小さな町のイベントに、2万人以上が集まったということ自体、スゴいと言えばスゴいのかもしれない。ここは一つ、TV局のキャッチを素直に受け入れておこうと思う。

寒風吹きすさぶ中、ホッケー好きの粋狂な観戦企画にお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました~!
my room, Syracuse, Feb 20, 25:17

Friday, February 19, 2010

Thursday, February 18, 2010

Virginia Files Challenge to E.P.A. Greenhouse Gas Regulation

Virginia Files Challenge to E.P.A. Greenhouse Gas Regulation @ Green Inc. in NYT.com (February 18, 2010, 1:30 PM)

今週火曜日、Virginia州が、federal appeals court(日本でいうところの高裁)に、昨年12月にEPAが出した、いわゆる“endangerment finding”(参照:WP@Dec8, NYT@Dec7)の見直し(review)を求める請願(petition)を提出したとの由。

記事によると、
Speaking at a news conference on Wednesday, Mr. Cuccinelli (※ Virginiaの司法長官) called the E.P.A.’s finding “an incredibly far-reaching decision” arising from what he called uncertain data and a “flawed process.”
“The potential impact of the finding on Virginia agriculture, the energy industry, manufacturing jobs, and in truth the cost of living for every single Virginian,” Mr. Cuccinelli said, “would create a staggering burden.”
との由。

いつも思うことだが、この手の主張の理由づけは、往々にして、論理的一貫性を欠いている。一つ目のポイント(EPAのdecisionが“far-reaching”かどうか)にチャレンジするのは、自由だと思うが、そのことと、二つ目のポイント(「そんなfindingをされてはVirginia州民が難儀する」)とは、はっきり言って関係ない。

“finding”で問われていたのは、人為的な温室効果ガスの排出が“threaten the public health and welfare of the American people”かどうかであって、それに対する“yes”との答えを受け、実施される(であろう)政策が、足下の経済にどういう影響を及ぼすかは、まったく別の問題である。別に、後者の問題がどうでもいいと言いたいわけでも、前者に比べて重要度が劣ると言いたいわけでもないが、ごくごく客観的・論理的に考えて、これら二つは「別の問題」であり、前者の判断の際に、後者の理屈を持ちだすのはおかしい。

記事によると、テキサスも同様の“challenge”を提出したそうである。
Maxwell School, Syracuse, Feb 18, 16:38

about "Japanese snowboard guy"

今朝、出がけに大家さんが、“Japanese snowboard guy”の話題を振ってきた。国母君の件が、アメリカのTVニュースでも報じられていたらしい。

毎朝、教会に通い、“pro-life”を公言するうちの大家氏。そんな、コンサバなところもある彼(たぶん60代中盤)が、この一件をどう評価するのか、個人的には少々興味があった。結論から言うと、「コクモ全面支持」。大家氏の理屈は、「snowboarderを縛ろうなんて考えちゃいかんよ」の一言に尽きる。

僕自身、my boardを持ち、社会人になってからの骨折経験もある(なんの自慢にもならん!!)snowboard funだが、snowboardをオリンピック競技にするという選択をしたことについては、ときどき疑問に思う。今回の一件も然り。

スポーツというものには、その種目ごとに、多かれ少なかれ、文化的な要素が伴う。日本の武道なんて、その典型例。そもそも、武道が「スポーツ」にカテゴライズされること自体、拒否する人だっている。良い悪いの問題ではない。

snowboardも、そういう「文化的」色合いの濃いスポーツの一つだ。しかし、オリンピックという絶大なる“authority”の庇護に入る(或いは「軍門に降る」)ということは、そういった文化的色合いを薄め、純粋な「競技」としての側面への特化を迫られることを意味する。もちろん、その「決断」の裏には、興行収入を増やしたいオリンピック側と、ファン層を広げたいスノボ側の、“deal”があったわけなのだろうが、果たして、そのdealは、双方にとって、payしていると言えるのか。お金の面だけでなく、「文化的」な要素も含めて。

もっとも、そういうリスクを認識しつつ ― していなかったとしたら最悪 ―、“deal”を交わした以上、スノボ側もオリンピック一門のしきたりに適応すべきという意見は真っ当。柔道が“judo”になって、青色ユニフォームを受け入れたように。

ただ、少なくとも、そうした「大人」の背景事情を全く考慮せず、単純に「国母和宏」一個人の素行の問題として、今回の一件を処理しようとするやり方は、僕には聊か、不条理なことのように思える。
Maxwell School, Syracuse, Feb 18, 13:35

Hannah Arendt

先学期は、電車通勤していたおかげで、日本語の本もわりとたくさん読めたのだが、Syracuseに戻ってからは、その機会がめっきり減ってしまっている。そんなわけで、3週間前のエントリで触れた、仲正先生の本(『今こそアーレントを読み直す』 講談社現代新書(2009))を、今日、ようやく読み終えた。

ハンナ=アーレントという思想家が、何を、どう考えたかについて、仲正先生一流の解釈を、初心者にも分かりやすい言葉で示した一冊。なんてことは、僕が敢えて書かなくても、この本のタイトルを見ればだいたいわかる。もう少し詳しく言うとどうなるか。本著「終わりに」の中で、著者仲正さん自身が非常に簡潔にまとめておられるので、以下、引用させていただく。(※はblog筆者による注釈)
アーレントは「『全体主義の起源』によって“反全体主義(=自由)の闘士”としてアメリカの思想論壇に登場し、大きな期待を受けたわけだが、彼女は、「人間の自然な本性」をナイーヴに信じ、抑圧からの「解放」によって、人間本性が開花すると楽観的に考える当時の思想界の風潮に逆らった。彼女の「政治」哲学からすれば(※ アーレントには、独特の「政治」観があり、世間一般で考えられている“政治”とは別のものを想定しているので、ここはカギ付き)、右であれ左であれ、「人間の自然な本性」を一義的に規定し、人民を最終的な「解放」へと導こうとするような思潮は、「複数性」(※ アーレント哲学の最重要キーワード)を破壊し、全体主義への道を開くものに他ならない。そうした「人間の自然な本性」に対する過剰な期待、幻想に抵抗して、「複数性」を回復すべく、彼女は「政治」「人間性」「自由」の意味するところを、哲学的に掘り下げて考えようとしたのである。  
わかりやすい「気付き」の契機の多い本ではないが、(いい意味での)ボディブローのように、思考回路の「芯」の部分に、じわじわと沁み渡ってくる一冊。
my room, Syracuse, Feb 18, 26:23

Tuesday, February 16, 2010

Utility of Economics

ここ数日、何人かと議論してみて感じたこと。

経済学を勉強していて ― と胸を張って言えるほど、深く勉強しているわけでもないが ― 良かったなと思える理由の一つは、世の中の「常識」に対する疑いの目を持てること、世間一般で「良い良い」と持て囃されていることに対して、「ほんまかいな」と疑ってかかる、その「反抗」の手立てを得られたことだと思う。

もちろん、経済学自体の中にも「バイアス」は潜んでいるわけで、それ自体、無謬なわけでも全能なわけでもない。しかし、「世の中」というものが、そもそもバイアスに毒されたものだとするならば ― 正直、僕はそう感じているわけだが ― 無防備に、その「世の中バイアス」に身を晒すよりも、「カウンター=バイアス」を自らの思考回路に宿しておく方が、はるかに健全で、安全で、誠実なことだと思う。もちろん、その「カウンター=バイアス」が、経済学である必要はないわけだけれども。

ある前提の下、世の中の多くの人が「こうあって欲しい」と望む状態と、前提に基づく理論的推察の結果が異なるときには、往々にして、後者の予測の方が正しいことが多い。願望、常識、倫理観、社会通念…etc. そういった感覚的・感情的なものに流されず、「この前提からは、残念ながら、こういう結果しか生まれませんよ」とドライに言い切る考察結果を見るとき、経済学って素敵だなと思う。

現実をわきまえることからしか、良い戦略は生まれない。しかし、より「願望」に近い状態を想定したがる空気の中にあって、ドライな将来予測を主張し続けることは、精神的に全く以て容易なことではない。ある集団の中で、「異端」となる覚悟がなければ出来ないことである。

もしこの先、そういった覚悟を迫られる時が来たならば、そのとき、論理・精神の両面で支えになってくれるのは、僕の場合、間違いなく経済学であろうと思う。そう考えると、今のうちに少しでもたくさん、経済学のことを学んでおかなければな、という気がしてくる。

Maxwell School, Syracuse, Feb 16、21:40

Monday, February 15, 2010

parking ticket

いつまでたっても英語で文章を書くという行為が苦手で、一旦ものを書き始めると、それ以外のあれやこれやが非常に煩わしくなり、生活そのものが容易に崩壊してしまう。

就寝時間が遅くなるのは言うに及ばず ― かと言って、朝早くから稼働しているわけでもないのが問題 ― 、食事が一日1.5食+αになったり、皆さんからいただくメールへの返信を疎かにしてしまったりと、はっきり言ってろくなことがない。昨日は一日家にこもって課題のpaperを書いていたのだが、気が付いたら夜中になっていて、車の駐車サイドを変えるのを完全に失念してしまっていた ― この辺りは毎日除雪車が通るので、一日ごとに、路駐のサイドを変えないといけないルール ― 。というわけで、今年一枚目のチケットゲット。つい前日に、日本人同級生の皆さんと、駐禁の話題で盛り上がったところだったのに…。完全にやらかした。

自分自身を分析するに、文章を「英語で書き」ながら、参照先の文章を「英語で読む」というプロセスが、僕にとっては、非常に億劫かつstressfulかつtime-consumingなんだと思う。これをやっていると、時間が二、三時間のオーダーで、さくさくと過ぎていってしまう ― そんなに何行も進んでいるわけではないのに。

こういうのは慣れの問題だと思うので、いわゆる「下積み」期間はどうしても必要なんだろうが、問題なのは、(多少の改善は見られるにせよ)いつまでたっても、この「生活崩壊」癖が治らないこと。「生活崩壊」は、僕という人間の、人間としてのimmaturityの致すところだとしても、「崩壊」の主因である“time-consuming”の方は、多分に技術的・能力的な問題。nativeでもない限り、誰しも通る道だと思うのだが、皆さん、このフェイズをどうやって乗り越えていかれるのだろうか。非常に気になる。僕のやり方の何かが間違ってるなら、早急に教えていただきたいっ!!

一方で、こんな記事を読んでいると、技術論をぐちゃぐちゃ言っているより、「俺は出来る、俺は書ける、俺は飛べる!!!」と自分に思い込ませる方が早いのかなぁなんて思ってみたりもする。まぁ、別に「飛べる」とこまでいかなくてもいいんだけど。

ちなみに、そんな具合に生活は崩壊しつつも(あるいは、しているからこそ)web newsの方は普段以上に頻繁にチェックしてたりするわけで。US版のYahoo!で、(いまの日本人的に)面白い記事を見つけたのだが、別エントリでこれを書いていると、生活の崩壊ぶりにますます拍車がかかるので、リンクと抜粋だけ、以下、掲載しておく。

“Nate Holland thinks your pants are too tight” Feb 15, 10:00 am EST
The problem, according to Holland, isn't that the trend toward tighter clothing could lend a competitive advantage, it's that trim pants betray the anti-establishment culture that birthed snowboard cross. Holland is concerned for "the integrity of the sport," saying, "I'm a snowboarder through and through, and boardercross is a freestyle snowboarder's race. I think it should stay that way." Right, because it wouldn't be snowboarding if people wore tight pants.
つまり、「snowboarderちゅうもんは、ダボパン穿いてなんぼとちゃうんか!ピタッとしたズボンなんか穿いててどないすんねん(怒)」とおっしゃられたいようで。ちなみにNate Hollandさんというのは、今大会にも出場するSnowboard Crossのアメリカ代表ベテラン強豪選手。文化の違いって面白いですね。
Maxwell School, Syracuse, Feb 15, 13:37

Google's News Archive

何をいまさらと言われるかもしれないが、Google(US版)News Archivesの使い勝手の良さに感動してみた。

たとえば、「Bush + Kyoto」で1997年~2008年を検索すると、こんな感じの度数分布が現れる。
このグラフ上で、「2001年」のところをクリックすると、年単位のグラフの下に、月単位のグラフが現れ、更にその下に、記事の抜粋が並ぶ。

技術的には、極めてclassicなのだが、過去の記事を使って論文を書く身にしてみれば、この機能は非常にありがたい。一つ一つのポイントはすごく些細なことなんだけれども、その一つ一つが、使う側にとって、とても便利な作りになっているように思う。

こういう機能をデザインさせると、Googleという会社はやっぱり上手い。アカデミックの世界で育ってきた社員が多いので、使う側のneeds&wantsがよくわかっている、ということもあるのだろうが、「とりあえずβ版で走らせてみて、気付いたところから直していく」という彼ら一流のやり方が大きく幸いしているようにも思う。どんな道具・仕組みでもそうだが、使い始める前に、ありとあらゆる事態を予測して、設計に織り込むなんて到底不可能。許されるのであれば ― 当然、それが許されない商品というものもあるが ― 、使いながら改善していくやり方の方が、絶対に効率的だと思う。

ちなみに、このNews Archives、当然ながらGoogle日本語版にはありません。だって、そもそも、新聞の過去記事がweb上には落ちてないんだもん。日本もそろそろ、(有料で良いから)アメリカみたく、webで普通に新聞記事を引っ張って来れるようにすべきだと思うんですけど、どんなもんでしょうか…??
my home, Syracuse, Feb 14, 26:27

Sunday, February 14, 2010

Sho Fu Den

Syracuse Univ.のお隣、SUNY-ESF(State University of New York College of Environmental Science and Forestry)で教鞭をとっておられる日本人professorのお宅に、御呼ばれに預かってきた。御年75歳。Syracuse在住40年以上の大重鎮であられる。冗談交じりに、「自分は“後期高齢者”」なんておっしゃりながらも、奥様ともども、まったくお年を感じさせない若々しさで、いろいろ楽しいお話をお聞かせいただいているあいだに、気が付いたら夜中の1時過ぎまで長居してしまっていた。

SUNY-ESFの日本人の方の定期的な会合に、我々SU生数名が、お邪魔させていただいた格好。SU生以外は、ほとんどが初対面の方ながら、大変居心地のいい雰囲気に、心底、リラックスさせていただけた。久々に頂く手巻き寿司の味も格別。

アメリカ在住40年以上というだけあって、先生のお話は、大変面白く、また同時に、深い。既に、4世、5世を数えようかという、日系アメリカ人の方々が、どういうアイデンティティを持ってこの国で暮らしておられるかについては、日本にいては、ほとんど聞く機会すらないし、アメリカにいても、実際のところ、なかなか見えてこないもの。先生ご自身は、一世に当たるわけだが、日系人コミュニティとの繋がりも深いようで、今日はその辺りのお話もいろいろ聞かせていただけた。

こう言うと激しく陳腐になってしまうが、「(本国の)日本人が失ってしまった“古き良き日本”」を、こちらの日系人の方々が、むしろ、忠実に受け継いでおられる ― 先生のお話からは、少なからず、そんな印象を持った。(僕が勝手に美化しすぎている部分が多少あるかも知れないが。)

そんなお話の中でも特に興味深かったのは、NYC郊外に現存する寝殿造り建築「松楓殿」に関するもの。この建物、1904年(明治37年)のセントルイス万博の際に、日本パビリオンとして建造されたもので、閉会後、日本政府から譲り受けた高峰譲吉が、今の地に移築してきたらしい。彼の死後、米国人を含む複数の人の手に渡るも、実に100年以上に亘って保存され続け、いまは、日本人の個人の手に渡っている(現所有者による松楓殿紹介サイト)。そんな由緒ある日本文化の遺産が、自分の住んでいる町の比較的近くに残っているなんて、恥ずかしながら、今に至るまで、つゆも知らなかった。

実際に「松楓殿」を見て来られた先生ご夫妻によると、その壮大さには、相当のものがあるとの由。残念ながら、改修工事が途中で中断されているようだが、それでも一見の価値はありそう。日本に帰る前に、一度、実際にこの目で見ておきたい気がする。
my room, Syracuse, Feb 13, 27:29

Friday, February 12, 2010

follow-up for 'fast track' entry

火曜日のエントリに付けていただいたコメントへのfollow-upをば。(※ 注:かなりマニアックです)

まず、Komuさんからのコメントにあった「議会が大統領に委任するための具体的な手続き」ですが、Wikipediaによると、
It (= The Fast track negotiating authority) was in effect pursuant to the Trade Act of 1974 from 1975 to 1994 and was restored in 2002 by the Trade Act of 2002.
との由。通常の連邦法として措置されているようです。ちなみに、2002年法の条文はこちら。2002年法成立の際の両院投票結果は、同じくWikipediaによると、
At 3:30 am on July 27, 2002, the House passed the Trade Act of 2002 narrowly by a 215 to 212 vote with 190 Republicans and 27 Democrats making up the majority. The bill passed the Senate by a vote of 64 to 34 on August 1, 2002.
だったそうです。特に言及されていませんでしたが、基本的に、これ自体は「普通の法律」ですので、「両院の単純多数決」&「Senateではfilibuster使用可」ということではないかと思われます。

気候変動交渉との絡みで検索してみたところ、こんなarticleが引っ掛かりました。(下線・強調はblog筆者。)
The (U.S.) President can sign a climate treaty, but he relies on two-thirds of the Senate vote to ratify for it to become law, and Congress must subsequently pass implementing legislation. But judging from expressions of opposition to recent legislative proposals, sufficient votes for ratification of a climate change agreement are not assured; the President may decide to wait until Congress passes a climate change bill before making an international commitment that requires Senate ratification.
Other options may be available for advancing the international climate change agenda with U.S. participation, even without Senate ratification. It has been proposed, for example, that a congressional-executive agreement could be used instead of a treaty. The President has frequently used this constitutional authority; since the early twentieth century, over ninety percent of international agreements have been done as executive agreements rather than as treaties. However, such a move would appear to contradict a statement in the Senate Foreign Relations Committee report on ratification of the UNFCCC that “a decision by the Conference of the Parties to adopt targets and timetables would have to be submitted to the Senate for its advice and consent before the United States could deposit its instruments of ratification for such an agreement.” Still, measures related to adaptation, technology transfer and finance might be handled this way.
(Cymie R. Payne (2009). State of Play: Changing Climate at Copenhagen. ASIL Insight, Volume 13, Issue 24, December 2009, The American Society of International Law) 
更に遡ってみたところ、こんな文章も。
The Committee (=the Senate Foreign Relations Committee) notes that a decision by the Conference of the Parties to adopt targets and timetables would have to be submitted to the Senate for its advice and consent before the United States could deposit its instruments of ratification for such an agreement. The Committee notes further that a decision by the executive branch to reinterpret the Convention to apply legally binding targets and timetables for reducing emissions of greenhouse gases to the United States would alter the "shared understanding" of the Convention between the Senate and the executive branch and would therefore require the Senate's advice and consent.
(David M. Ackerman (2001). Selected Legal Questions About the Kyoto Protocol. CRS Report for Congress, National Council for Science and the Environment)
つまり、本来的には、Trade Actと同様の‘fast track’手続法を通しさえすれば、気候変動分野の国際交渉にもCongressional-Executive Agreement方式を使えるはずなんですが、殊、“legally binding targets and timetables for reducing emission of greenhouse gases to the United States”(米国国内における温室効果ガス排出削減に関する法的拘束力のある目標及び工程表)に関しては、「‘fast track’は認めませんよ」と、UNFCCC(国連気候変動枠組み条約)批准の際に、上院から釘を刺されてしまっているようです。

(ちなみに、このnoteの中に出てくる“advice and consent”は、米国憲法Article II, Section 2, Clause 2(いわゆる“Treaty Clause”: “[The President] shall have Power, by and with the Advice and Consent of the Senate, to make Treaties, provided two thirds of the Senators present concur....”)に出てくる表現そのまんまですので、「Treatyしか認めない(=Congressional-Executive Agreementは認めない)」ということを意味しているんだと思われます。)

このnote自体は、法律でも判決でも何でもないわけなので、どれだけ尊重されるべきかは、議会における慣習と、そのときどきの政情情勢で決まってくるんじゃないかと思われるのですが、現下の政治情勢を考えるに、これを無視して「手続法」を上院で通すというのは、なかなか厳しいのではないかと。と考えると、Iさんのコメントの中にあった、「条約に依拠したExecutive Agreement」で押し切る選択肢は、なおのこと厳しいと言わざるを得ないのかも知れません。
Maxwell School, Syracuse, Feb 12, 14:12

Thursday, February 11, 2010

"NO binding effect under the US law"

今日のInt'l Trade Lawのクラスのreadingに含まれていたUruguay Round Agreements Act(URAA。アメリカにおけるウルグアイラウンド合意事項の国内執行法)のStatement of Administrative Action(法案の採決に際し、Executive Branchが、当該法案の執行方針を議会に対して示すもの)の文言が、軽く衝撃的だったので、一部、抜粋してみる。(下線はblog筆者による)
Reports issued by panels or the Appellate Body under the DSU (※ 要するに、WTO協定に基づく紛争解決手続きを経て示された“reports”の意) have no binding effect under the law of the United States and do not represent an expression of U.S. foreign or trade policy. ... If a report recommends that the United States change federal law to bring it into conformity with a Uruguay Round agreement, it is for the Congress to decide whether any such change will be made. 
Furthermore, neither federal agencies nor state governments are bound by any finding or recommendation included in such reports. ...
論理的に間違った文章ではないと思うが、大統領から議会に向けた公式の「お手紙」の中で、ここまではっきりと、「DSUの裁定はアメリカ国内で法的拘束力を持ちません」と書ききってしまう国ってどうよ?? と、軽く衝撃を受けた次第。それだけ、議会の権力が相対的に強いということでもあるんだろうけれど…。(行政府にしてみれば、ここまでの言質を与えておかないことには、議会に法案を通してもらえなかったということなんだろう。)
Maxwell School, Syracuse, Feb 11, 17:14

Tanjin Climate Exchange


今日付けのFTのweb記事(“Will Chinese emissions trading schemes gather momentum?”)が、中国における排出権取引市場の展開について報じている。

中でも一番進んでいるのが天津市のTanjin Cilate Exchange(天津排放権交易所)。Chicago Climate Exchange (CCX)の支援を受けつつ、目下、pilot schemeを試行中で、今年中には、本格稼働に移行するらしい(参照)。

CCX自体の停滞が物語っている通り、排出権取引市場をつくればそれだけでうまくいくというものではないが、learning-by-doingによって得られる知見は、少からずあるはず。本来、日本としても、この辺りの動きは、きちんとfollowしておく必要がある。まぁいずれにせよ、遅かれ早かれ追い抜かれちゃう(既に追い抜かれてる?)とは思うけど。。
Maxwell School, Syracuse, Feb 11, 13:15

Wednesday, February 10, 2010

Googlook!?

Google版の「つぶやき」メディア、“Google buzz”のサービスが始まった。

昨日何かのwebニュースで、その話をちら見したときには、「へー。そうなんだ。。。」と薄い反応をしただけで、そのまま忘却の彼方に飛んでってしまっていたのだが、今朝、いつも通りgmailを立ち上げてみると、有無を言わせずGoogle buzzへのイザナイ画面がshow up。

「まったく、いつも強引なんだから…」と、内心、儚い抵抗を試みてみるも、「設定は不要」という、それだけ見ても何のことやらよくわからない(けど、確かに魅惑的な)甘い言葉に踊らされ、次の瞬間には、buzzの立ち上げボタンをクリック。ありゃ。

“本家”twitterにも、ほとんど着いていけていない状態なので(参照)、twitterとGoogle buzzの「つぶやき」バトルの行く末を占うなんて所業は、僕には完全にお手上げだが、たぶん今頃、世界中の人たちが、ああでもない、こうでもないと、自論を展開しまくっているんだろう(と、数分前、無邪気にbuzzでつぶやいてみた。笑)。

僕のようなgmailのheavy userからすると、別個にtwitterの画面を立ち上げなくてもそのままの流れで「つぶやけ」るというのは確かに便利。だからと言って、既にtwitterに定住している人たちが、どのくらいbuzzに引っ越してくるのかは、正直、僕にはよくわからない。

一方、僕が気付いていなかっただけでbuzzが始まる前からそこにあったんだと思われるが、gmailに ― という言い方が適当なのかどうか、もはやよくわからなくなってきたが ― 「アカウント」なるコーナーが出来ていて、写真やら趣味やら得意技(?)やら、とにかく何でも「自分」に関する情報をアップできるようになっている。これに「つぶやき」機能が加わったとなると、それって、twitterというより、むしろfacebookの対抗馬だよね、なんて思ってみたり。

去年、何かのIT系情報サイト(残念ながら名前は忘れた)で、「Google帝国に対抗できるのはfacebook、お前だけだ!」みたいな内容の記事を読んだ。ネットワークサービスの核である「幅広い個人の囲い込み」に成功しているのは、いまやGoogle(具体的にはgmail)とfacebookだけ。もし仮に、facebookが、メール機能をgmail並みに強化できれば、Google帝国を倒せるはず!!(でも、facebook君、キミはそのオプションを取らないよね?惜しいなぁ…) みたいな内容だった気がする。

その筆者の予測通り、facebookのメール機能は、今に至るも、イマイチ改善されないままだが、そうこうしているうちに、逆にGoogle帝国が、facebook領内への本格進撃を開始した、ということになるわけか…。

「便利」と「危険」は常に裏腹。このままGoogle帝国に呑みこまれていくのは、便利過ぎてさすがに危ないかも…なんて、素人ながらに考えてみた一日であった――なんてエントリーを、“powered by Google”のblogでしたためている時点で既に。。。
Maxwell School, Syracuse, Feb 10, 23:05

"Measure for Measure"

ときどき、このblogにもコメントをくださる某先輩が面白い記事を転送してくださった。“Measure for Measure” by Craig Pirrong @Global Energy Management Institute, Bauer College of Business, University of Houston。

いちおう、2月7日のFTの記事へのコメントという体裁になっているが、オリジナルの記事の方はたいして面白くもないので読む必要なし(何様だ、オレ?) Pirrongの記事だけ読んでも十分理解できるし、Pirrongの記事だけ読んでも十分に時間がかかる――blog記事にしてはめちゃ長い(笑)

この記事のポイントは、
although there is a strong conceptual case to be made for offsets (if it is cheaper to capture carbon somehow rather than reduce carbon output on other margins), the practical difficulties make it highly problematic to rely heavily on them.
The practical objection relates to transactions costs, notably what is sometimes called the measurement branch of transactions cost economics.
(拙訳) (他の利益を生み出す際に発生する炭素の排出を(その利益と一緒に)削減するのと比べて、どちらが安上がりかということについて)オフセットを支持する強い理論的論拠があるが、実務上の難しさを考えると、オフセットに強く依存することには大変疑問がある。実務上の反対理由となるのは、トランザクションコスト、とりわけ、measurement(測定)に関する部分である。
というところにある。

なぜそう言えるかについて、blog後半で(長々と)論じられているが、Pirrongの論点は、大きく分けて、以下の三点に集約できるかと。

1. carbonは“bads”である。
carbonは、正の価値を持つ“goods”ではなく、負の価値を持つ“bads”なので、goodsの場合とは違って、“consumer”は真面目にその品質をmonitorしようというincentiveを持たない。よって、その測定に関するpublic regulationが必要となり、transaction costが発生する。

2. 債権としてのpermanence(永続性)の保障が困難。
オフセット事業を実施するdeveloperが倒産した場合、約束されたはずのcreditが発行されなくなってしまう(=permanence loss risks)。このリスクをmanageする目的で、保険が売り出されたり、オフセットの「格付け」機関が登場したり、CDOs ― carbon derivative obligations ―が開発・販売されたりするだろうが、先だってのfinancial crisisで一般の債権に起こったことを思い起こすと、これらの仕組みが十分に機能するとは思えない。

3. additionality(追加性)の測定・判断が困難。
additionality(追加性)とは、あるオフセット事業から「産出」されるcarbon creditの量を算定する際のベースとなる考え方で、creditの販売益という「補助金」があろうがなかろうがいずれにせよ行われていたはずの事業と、実際にオフセット事業として行われる事業とのギャップを把握することで、「追加的」に削減されるcarbon emissionの量を特定しようというもの。しかし実際には、「いずれにせよ行われていたはずの事業」(“base line scenario”と呼ばれる)の排出量を特定するのが非常に困難。Pirrong曰く、“highly, highly subjective, and built on layer after layer of assumptions.” (とてもとても主観的で、何層もの仮定の上に立脚している)との由。

Pirrongがこの記事の中で言っていることは ― CDOsは、Collateralized Debt Obligationsに絡めたダジャレだと思うが ―、去年の夏、僕がガーナでインターンをしながら実際に感じた印象と非常に近い(参照)。だからといって、「CDM廃止論」や「オフセット不要論」に直行するわけではないが、CDMやオフセット(ひいては、cap-and-trade)を考える際に、こうしたmeasurement issuesへの配慮が少なすぎるというPirrong指摘には全面的に同意できる。

経済学の観点からbig pictureを掴むのも大事だが、こういうB-School的な観点から地に足の着いた議論をしていくことも、政策を考える上では非常に大事。問題は、経済学の議論以上に、耳を傾けてくれる人が政策畑に少なそうだということ。説明側の能力次第と言ってしまえばそれまでなのだが…。
My room, Syracuse, Feb 9, 15:02

Tuesday, February 9, 2010

The evolution of DC Metrorail, 1976-2010

久々の鉄オタネタを。DC地下鉄網の変遷(1976~2010) via Chart Porn
折からの財政難を受け、WMATA(ワシントン都市圏交通局)は、今年7月以降、営業路線の縮小を予定しているらしい(参照)。このサイトは、それによって、DC地下鉄網が如何に「後退」するかをビジュアル的に伝えるためのもの。

週末は、Yellow Lineでの“ポトマック川越え”が出来なくなるらしい。ペンタゴン周辺とかアレクサンドリアに住んでいる人たちにとっては、ダメージは確かに大きそうだが、正直、それ以外の人にしてみれば、Yellow Lineなんて滅多に乗らないわけで、この措置が、WMATA(ひいてはWashington市)の財政難状況に鑑みて、「やむを得ない」ものなのか、そうは言ってもやっぱり「やり過ぎ」なのか、そこのところは、正直よくわからない。

実際に毎日Metroに乗っていた身からすると、運行本数の削減の方が、総体的なダメージは大きいような気がする。今でも、週末の運行本数の少なさは相当のもので、そうなると、正味の移動時間が計算できない(そもそも、「運転ダイア」なる概念はない。あるのは「運行間隔」だけ)ので、駅の近くに住んでる人でも「じゃぁ、車で行こうか」というふうになりがち。この状況が更にひどくなるわけだから、まさにジリ貧。運転本数の削減によって$8.5 millionの節約を見込んでいるそうだが、このあたりのdynamicな影響はちゃんと加味されているのだろうか。
   
ちなみに、DC地下鉄の乗り心地は、僕が知っているコミュータートレインの中では、文字通り「最悪」。阪和線が荒いとか、京阪が揺れるとか、そういう次元の問題ではない。しかし、路線を縮小するなんて言ってるくらいだから、あの乗り心地の悪さ――車輛のせいなのか、運転技術のせいなのかは知らないけれど――が改善される日は当分(永遠に?)やって来ないんだろうな。。
Maxwell School, Syracuse, Feb 9, 18:30

'fast track'

外交関係の授業を受けていると、たまに、「その国際合意は、treatyか、それとも、agreement (other than treaties)か」みたいな議論に出くわす。これまで、その違いがイマイチよくわからないままに来てしまっていたのだが、今日のInt'l Trade Lawの授業で、とてもわかりやすく説明されていたので、忘れないうちにメモしておく。

まず、米国がヨソの国と結ぶ国際約束(international agreement)は、以下の4つに分類できる(国際的な効力はいずれも同じ)。
  1. “Article II” Treaties (或いは、単に“Treaties”)
  2. Congressional-Executive agreements
  3. executive agreements pursuant to treaty
  4. Presidential-Executive agreements
1.の“Article II” Treatiesは、合衆国憲法Article II, Section 2, Clause 2(‘Treaty Clause’:“[The President] shall have Power, by and with the Advice and Consent of the Senate, to make Treaties, provided two thirds of the Senators present concur....”)に基づいて締結されるもの。基本的には、どんな国際合意にも使えるが(※ 違憲でない限り)、Senateの三分の二以上の賛成(いわゆる“super-majority”)が必要なので、実際にはあまり使われない。

2.のCongressional-Executive agreementsは、連邦議会(Congress)が、一定の範囲・期間内に限り、交渉権限を大統領に委任(delegate)するというもの。この場合、〈議会によるdelegation〉 → 〈大統領による(相手国との)negotiation〉 → 〈議会によるvote〉という流れを経ることになるが、最後のvoteは、up-or-down形式(賛成か反対かの二択。修正は不可)の単純多数決で、filibusterも使えないので、1.に比べれば、はるかに成立させやすい。いわゆる“fast track”はこのoptionを使ったもの。ちなみに、議会によるdelegationは、憲法Article I, Section 1(“All legislative Powers herein granted shall be vested in a Congress of the United States, which shall consist of a Senate and House of Representatives.”)によって授権された議会の立法権(legislative Powers)に依拠している。

3. のexecutive agreements pursuant to treatyは、既に締結されているtreatyの「執行(implementation)」とみなされる範囲内であれば、新たな議会手続きを経ずに行政府だけでagreementを結べるというもの。手続きは簡単だが、当然ながら、このoptionを使える範囲は非常に限られている。

4.のPresidential-Executive agreementsは、憲法Article II各sectionに規定された“executive power”だけに基づき、議会手続きを経ずに諸外国とのagreementを結ぶというもの。

Executive Branch(行政府)の立場からすると、4.を使えるならそれに越したことはない、ということになるが(それが無理なら2.がsecond best)、じゃぁ、どういう場合に4.が使えて、どういう場合には使えないのか――そこの線引きが次の問題になってくる。

これについて、最高裁のJackson判事は、Youngstown Sheet & Tube Co. v. Sawyer事件(1952)のconcurring opinion(同意意見)の中で、大統領と議会の権限の線引きが微妙な場合があり得る(“...there is a zone of twilight in which he [the President] and Congress may have concurrent authority, or in which its distribution is uncertain.”)と認めつつも、議会の意思が明示的又は非明示的に示されている場合(“with the expressed or implied will of Congress”)には、大統領の権限は、「憲法によって授権された大統領権限から議会権限を差し引いた部分」(“he [the President] can rely only upon his own constitutional powers minus any constitutional powers of Congress over the matter.”)に限定されるとしている。

憲法Article I, Section 8, Clause 3(‘Commerce Clause’:“[The Congress shall have power] To regulate Commerce with foreign Nations, and among the several States, and with the Indian tribes;”)で、外国との商取引を規制する権限が議会に属することは明確に示されているので、貿易関連の国際合意に、4.を使えないのは明らか。したがって、WTOをはじめとする貿易交渉においては、2.のoptionが使われているというわけ。

ちなみに――先生から言われて初めて気づいたのだが――日本は、何もしなくても「万年fast track」みたいな状態になっている。以下、日本国憲法上の「条約」締結に関する規定(第7条(天皇の国事行為)を除く)をば。
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第60条 (略)
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて30日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第61条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第2項の規定を準用する。

第73条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
1.、2. (略)
3.条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
4.~7. (略)
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Maxwell School, Syracuse, Feb 9, 17:35

Monday, February 8, 2010

Google, 'Parisian Love'

昨日のSuper Bowlは、アメリカ人に言わせれば、“So nice!!”なゲームだったらしい。僕も「いちおう観とかないとネ」くらいのノリで、一通り、だいたい全部観てみたが、「まぁ、こんなもんかなぁ」と。本音で言えば、やっぱり、昼間のCapitals vs Penguinsの方が断然面白かったと思う(もーいいって?)

Super Bowlと言えば、各社選りすぐりの新作CMを投入してくる(Super Bowl限定CMなんてのもザラ)ことでも有名。僕的には、どちらかと言うと、試合自体よりこっちの方を真面目に観ていたという説も。雑誌TIMEのwebサイトに、昨日放映された全68編のCMのリスト(そのままyoutubeに飛べる)が出ているので、ご興味ある向きは参照されたし。

僕的に一番上手いなと思ったのは、こちらのCM。だいたいのCMが、「おバカ」か「プチエロ」かその両方か、といったトーンで作られている中にあって、このCMだけは、明らかに異彩を放っていた。さすがgoogle。面目躍如と言ったところか。

TIMEの評価は「B」(可もなく不可もなく?)なるも、個人的には結構お気に入りだったのが、デニーズのこのCM。おバカCMの典型例(笑)

「環境blog」を標榜している(??)MSJ的には、いちおう、こちらも紹介しとかないとですかね…(苦笑)
Maxwell School, Syracuse, Feb 8, 19:56

Transmission Congestion

朝から、Independent Study(I.S.)の担当教官(Popp先生)との面談に臨んできた。今の方向で進めいって良しとの御沙汰をいただき、一安心。

一週間前のエントリーで、「風力発電がtransmission(送電網)に与える影響は、いくつかの分野に分けられる」と書いたが、I.S.の論文では、このうち、transmission congestion(送電線混雑)問題に焦点を当てようかと考えている。

悩ましいのは―というのは、論文の書き手にとって、という意味でだが―日本とアメリカで、最初にfocusすべき分野が違っているということ。日本ではfrequency control(周波数調整。数秒~数時間の単位での電気の需給調整。参照)が一番の問題だが、アメリカでは、むしろ、transmission congestionの方が大きな問題となっている。これは、“系統規模が大きければ周波数は動揺しにくく、結果として送電容量の混雑などが顕在化しやすい”(*1)という、transmissionの特性のため。北米(米国&カナダ)の電力系統は、アラスカとケベックを除くと、Eastern、Western、Texasの三つに分割されている(参照)が、一番小さいTexas Interconnectionでも日本の総面積の二倍弱もある。それに、―これは僕の想像だが―、アメリカの送電網は相対的に容量が小さく、もともとcongestionを起こしやすい状態だったんじゃないかと思う。

どちらにfocusすべきか迷ったのだが、結局、「アメリカ型」の問題を選択することに。日本に帰れば、「日本型」問題のエキスパートはいくらでもいるだろうし、だったら、「アメリカ型」を学んで帰る方が、多少なりとも稀少価値をアピールしやすいのでは?というスケベった判断から。「アメリカ型」問題の方が、経済学で斬りやすそうという(一応まともな)理由もあるにはある。(「日本型」問題は、economicsより、engineeringで斬るべき部分の大きな問題であるように感じられた。)

最終的に、現在、アメリカの各州(参照)で行われているRenewables Portfolio Standard(通称“RPS”。発電事業者に、一定割合以上の再生可能エネルギー源の利用(又はそれを代替するcreditの購入)を義務付ける制度。transmissionはカバーしていない)の改善案にまで辿り着ければbestなのだが、実際、そこまで届くかどうかは不明。まずは、なぜアメリカでは、再生可能エネルギー自体の普及は目覚ましいスピードで進んでいるのに―これ自体のスピードは、既に日本のそれを上回っている(参照)―、transmissionへの投資は滞ったままなのかを考えていこうかと。たぶん、今日のLilacさんのエントリー(“いまさら3Gのカバレッジが問題になるアメリカ”)にも通じるような話になるんじゃないかと思う。

具体例として、地元NY州か、お隣のPJM Interconnectionを取り上げようと思っているのだが(NYはRPSを導入済み。PJM傘下13州(DC含む)のうち9州もRPS導入済み(ただし、うち3州は未稼働)(*2))、どちらを選ぶかは引き続き検討中。PJMだと、面積的にも、プレイヤーの数の面でも、若干、話が大きすぎかなぁという気がしていて、地元というこもあって、やや心はNY州に傾いている。

*1 伊藤 学 (2007). 海外における風力発電の動向について ―主に電力系統への影響評価事例を中心に―, 季刊 エネルギー総合工学, 30 (2), 47-54.
*2 PJM web site http://www.pjm.com/Home/faqs/renewables.aspx#FAQ3 


Maxwell School, Syracuse, Feb 8, 12:22

the Washington Hilton vs. the Gaylord Opryland Hotel, Nashville

先週から今週末にかけて行われたアメリカの二つの政治イベント――the National Prayer Breakfast @ D.C. と the tea-party convention @ Nashville――について書きたかったのだが、時間がないので、その両方に触れられているNewsweekの記事をクリップしておく。

How the Tea Party Could Help All of Us by Jon Meacham (Feb 5, 2010)

記事は、この二つのイベントを、今日のアメリカ内部の対立を象徴するものとして描こうとしている。National Prayer Breakfastが“the establishment”かつ“the elitists”の集まりだとすれば、一方のtea-party conventionは、“the outsiders”かつ“the populists”な人たちの集まり。そんな対立構造を示した上で、記事は、tea-party conventionに批判的な内容へと進んでいく。「彼らの主張には一貫性がない」的論調で。

別にその論調自体に異論があるわけではないが、非米国人からしてみれば、tea-party conventionもさることながら、National Prayer Breakfastの方も、いったいこれが何なのか、さっぱりよくわからない。毎年、連邦議会の議員によって“organize”され、キリスト教団体「The Fellowship Foundation(通称、“The Family”)」によって“host”されているこのイベントには、「外国からの来賓」を含む「3,500人」前後のゲストが出席し、大統領はじめ政府の高官も出席、スピーチするのが慣例(from “National Prayer Breakfast”@ Wikipedia)って、いったいそれ、どんなイベントですか…というお話。“host”しているという、The Fellowship Foundationなる団体と合わせていろいろ調べてみたいのだが、残念ながら今はあんまり時間がない。

上の話とはまったく関係ないが、NY州知事が辞めるの辞めないのといった話が出ているらしい。(HuffPost) 噂によると、明日のNYTにDavid Paterson知事のsex scandalが載るんだとか。Patersonは、元々副知事だった人で、前知事の辞職を受けて今のポストに昇格した。ちなみに前知事の辞職理由もsex scandal。その前知事Eliot Spitzerが、今週木曜日に、うちの大学で講演会を予定しているというから、面白いと言うか何と言うか…。とにかくスゴいタイミングであることだけは確か。
my room, Syracuse, Feb 7, 25:17

Sunday, February 7, 2010

Hat Trick!!!

世の中的には、今日は何と言っても“Super Bowl Sunday”…。なわけですが、個人的には、ホッケーの方がもっと気になるわけで、ここのところ週刊化しつつあるホッケーネタを。


つい先ほど終わったばかりの、その“気になる”一戦は、Washington Capitals vs Pittsburgh Penguins。東地区の強豪チーム同士の対戦と言うこともさることながら、オリンピックの優勝候補、ロシアとカナダの両エース(Russia-Ovechkin@Capitals、Canada-Crosby@Penguins)の直接対決というわけで俄然盛り上がったこの一戦。NHLとしても、満を持して、このカードをSuper Bowl Sundayにぶつけてきたわけです(今日、アメリカで行われているNHLの試合はこの一戦だけ。カナダを含めても二戦だけ)。ビデオから伝わってくる、Verizon Centerの熱気が、いつもとは一味違う感じ。
開始6分のCrosbyの先制ゴールに始まり、一時は、1-4までリードを広げられたCapitalsなるも、3rd period、この日3点目となるOvechkinのゴールで4-4の同点に。続くOver Time(延長戦)2分、OvechkinのアシストからKnubleが決勝ゴールを決めて、Capitals、破竹の14連勝。Ovechkin、カッコよすぎです。
Maxwell School, Syracuse, Feb 7, 16:07

Saturday, February 6, 2010

Dupont Circle Snowball Fight

なんだかとっても楽しそうです。@ Washington Post (注!! 音が出ます)

やっぱり、同じ雪が積もるにしても、人がたくさんいるってのは良いことですね。Syracuseのクリントンスクエア(こんな感じ)じゃ、誰もこんなことやらないだろうな…。ま、この街の人たちにしてみれば、雪なんて、珍しくも何ともないしね(笑)

ていうか、相当ヤバいことになっているみたいですね、DC。DC近郊在住の皆さま、ご無事でしょうか?DC市長は「うちの職員の働きぶりはincredibleだ!! だからみんな、うちの職員を褒めろ!!」的なことを言いながら自画自賛のapplauseまでやっちゃってますが(AP)、この画像を見るにつけ、彼らの目標=“月曜までに除雪終了”は、完遂されないんだろうなぁ…なんて気がしてきます(笑)


先日のLilacさんのblog記事(「トヨタ文化の強みが弱点になる日」)ではないですが、この国では、“行動で誠意を示す”という日本流のやり方の真逆で、言葉で以て「僕たち、やれるだけのことはやってるんです」と言っちゃったもん勝ちみたいなところがある気がします。何故無理なのか、何故時間がかかるのか(あと、ついでに、自分たちがいまどれだけ激しく頑張ってるか)を一通り、言葉で伝えておけば、それ以上はあんまり深追いされない、みたいな。頑張った(らしい)けど、結果的に、電車が動かなかった、飛行機が飛ばなかった…etc.ということに対しては、この国の人たちは、日本人よりはるかに寛大な気がします。

話がそれましたが、DC近郊の皆さん、餓死しないように生き抜いてくださいまし。
Maxwell School, Syracuse, Feb 6, 18:16

Friday, February 5, 2010

right and wrong

こんなことを言うと、「お前、この二年間なにやってきたんだ」と言われてしまいかねないが、今期、law schoolで聴講しているInternational Trade Lawのクラスは、これまで受講してきたMaxwellのどのクラスよりもタメになっているんじゃないかという気がしている。

「何を教えるか」というコンテンツの問題ではなくて、「どう教えるか」という教え方の問題。Maxwellのクラスでは、教授がよく“There is no right and wrong answer in this class. (このクラスでは正解も不正解もないですからねー。)”なんてことを言ったりするが、International Trade Lawのクラスでは、間違っていれば、容赦なく、「間違っている」と指摘される。その意味では―昨日の話ではないが―、非常に“judgmental”(笑)

思うに、こういった「教え方の違い」が生まれてくる背景には、law schoolと公共政策大学院が卒業生の送りこみ先だと、それぞれに想定している“業界”の性質に大きな違いがあることがあるのではないかと思う。大半のlaw school卒業生の就職先は言うまでもなく法曹界であって、そこは、常に、勝ちと負け、rightとwrongが判別される世界。一方、公共政策大学院の卒業生が向かう政治・行政の世界は、正解・不正解がすぐには判明しない、究極的には「歴史の審判」を仰ぐしかない世界である。こういった、“業界”の性質の差が、教え方の差に現れているのではないかと。

しかし、用いられるべき教え方と業界の性質とは、本来、無関係な(というか、それも一要因ではあるが、最重要な決定要因ではない)はず。目指す先がどういう業界かということよりも、むしろ、現時点での生徒の能力がどのくらいか―基本のセオリーを学ぶ段階か、基本セオリーは習得済みでその応用力を養う段階か―を基準に決められるべきものだと思う。その意味で、Maxwellのクラスは、やや先走り過ぎ、言い換えれば、基本セオリーを習得しきれていない生徒に無理やり応用をやらせている面が無きにしも非ず、と言えるのではないかと。

経済学という学問について見てみても、lawに比べれば、「教え方」のメソッドは、まだまだ確立されていないように思う。もちろん、社会科学の中では、理論の「教科書化」が格段に進んでいる方だし、実際の教え方は、結局のところ先生次第、ということなのかも知れないが、少なくとも僕がこれまで受講してきた先生の中には、いま聴講しているlawのクラス並みに、基礎理論の使い方(※)を徹底的に叩き込むスタイルの人は一人もいなかった(※ 理論や原則は、単に「知っている」ではなく、「使える」レベルまで消化しておくことが重要)。

逆に言うと、この先、人に経済学を教える機会があるとすれば(大学で教える、という意味ではなくて、職場で後輩に教える、とか)、一つ一つの理論・法則に焦点を当て、その「意味」と「使い方」とを関連付けて、着実に教えていくというのが有効なやり方だよなぁと思う。抑揚付けずにさらさらさらーと教科書をなぞっていくだけでは、(学習効果がないわけではないが)学習の効率は、あまり高くはならない。
Maxwell School, Syracuse, Feb 5, 15:01

"Going Rogue"

イギリス留学中の職場の後輩Iから、「(アメリカでは、Sarah Palinの)何がそんなにウケるんですかね。」と聞かれて、返答に窮してしまった。確かに、何がそんなにウケてるんだろうか?

McCain-Palin陣営の敗北で2008年の大統領選挙が終わって既に一年以上が経っているというのに、彼女のニュースは、引き続き、断続的にメディアで報じられているし――その大半がゴシップネタであるにしても――、昨年秋に発売された彼女の回顧録“Going Rogue”は、政治家の回顧録とは思えないほど快調な売れ行きを見せている。(NY Timesベストセラーランキング(1/29付)Hardcover Nonfiction部門 第4位、10週連続ランクイン中)

念のため、アメリカ国外にお住まいの方のために断わっておくが、そうは言っても、多くのアメリカ人にとって、Palinは、引き続き「ネタ」担当おばちゃんであり、マジメに「次の大統領候補」と目されるような政治家ではない(と思う、というか、思いたい)。後輩Iがblogの中で「(英メディアの)多くの特派員が共和党のSarah Palinに言及している」と書いていたが、これは、彼女の友人氏がいみじくも言い当てている通り、“バカなアメリカ”をニュースにしたい英メディアの趣味の投影であると思う。アメリカにしてみれば、Palinよりも注目すべき問題は他にいくらでもある。(風船少年問題とか、タイガー=ウッズ不倫騒動とか…。うーん、どうでもいいな。)

とは言いながら、“Going Rogue”がこれだけたくさん売れているというのは、落ち着いて考えれば、結構スゴい(或いは、ヤバい)ことである。一年半もアメリカに住んでいると、それが当たり前に思えてきてしまうが、この件については、イギリスから見ている後輩Iの感覚の方が、「まとも」と言うべきだろう。 

というわけで、クラスメイト数人に、「何がそんなにウケてるんですかね?」とメールで聞いてみたところ、そのうちの一人が、Washington Postの書評を送ってくれた。読んでみると
I'll go out on a limb and predict that if you like Palin, you'll like "Going Rogue" -- and if you don't like Palin, well, I hear the new Stephen King is pretty good.”
(拙訳) 思い切って言っちゃいますけど、もしあなたがPalinのことが好きだったら、“Going Rogue”も気に入ると思いますよ。――でもね、もしあなたがPalinのこと、嫌いだったら……そうそう、Stephen Kingの新刊が結構イイって評判ですよ(汗)
なんてことが書かれてあったりする。一見、そんな当たり前のこと言ってもしょうがないじゃないかと思うのだが、最後まで読んでみると、要するに、
  • アメリカのconservativesとliberalsは、このところ激しく二極化しており、
  • conservativeな人たちにとっては、この本(とその著者であるPalin)がすごく魅力的に映っているのに対し、
  • liberalな人たちは、「Palinなんてどうしようもないバカだから、とっとと消えてくれ」と思っている 
  • この本は、奇しくもその二極化を映し出すレンズとなっている(読んだ人の考え方に影響与えるなんてことは、まぁ滅多に起きないだろうけどね)
みたいなことが言いたいらしい(イマイチ、英語の解釈に自信がない)。

少し話は逸れるが、その書評の中に、興味深い一節があった。(下線、blog筆者)
To her supporters, she is, as she puts it, a "common-sense conservative" who isn't afraid to make moral judgments. To her detractors, she's a moronic zealot who has no place in American public life.
アメリカ人と話をしていると――大学にいるアメリカ人なんて、たいがいliberalだが――、“judgmental”という言葉をときどき耳にする。それも否定的な文脈で。“Don't be judgmental!”とか“I don't wanna be judgmental, though I think blablabla...”みたいに。この“judgmental”という言葉、敢えて日本語に訳すと「断定的」みたいな感じになるのだが、それとも少しニュアンスが違っている。というか、まったく同じニュアンスの言葉は日本語には多分ない。つまり、ある種のアメリカ人(=liberals)にとって、「価値観の押しつけ」をすること(=judgmentalにふるまうこと)は、一般的日本人が考えている以上に、やってはいけない(或いは、やりたくない、美しくない、かっこ悪い)ことなのだ(と思う)。

そういう層が普通にたくさんいる一方で――或いは、そうだからこそ――、逆に、Palinみたいな、“who isn't afraid to make moral judgments.”な「価値観ゴリ押し」おばちゃんに惹かれる人もいる。とどのつまりは、そういう二極化した状態が、今日のアメリカの姿、ということなんだろう。おそらく。。

答えになっているかどうか、よくくわかりませんが、Iさん、少しはお役に立ったでしょうか…?
my room, Syracuse, Feb 4, 26:11

Thursday, February 4, 2010

reserve price of GHG allowance

2月4日付のThe Economistで面白い記事(“Don't hold your breath - Why hasn’t the carbon price fallen further? -”) を見つけたのでクリッピング。
If European politicians actually wanted to raise the price of carbon in the short term, they could, says Michael Grubb, a Cambridge professor who is also chair of Climate Strategies, a network of policy advisers. New EUAs are regularly auctioned by Germany and Britain. They could set a reserve price of, say, €20. If no one were to bid, the supply of allowances would tighten until the price rose. When this idea was first raised last year, it attracted brickbats for constituting political interference. A fair criticism, perhaps, but given the political nature of the market, a redundant one.
オークションでallowance(排出枠)を競売する際に「最低落札価格」を設けておき、それ以下の買値しか付かなかったときには、その価格に達するまで、競売にかけるallowanceの量を絞っていくというもの。言わば、Kerry-Boxer法案(現在米上院で審議中の気候変動法案)の“排出権価格上限リミッター”(参照)の逆版(※)。

発想自体はそんなに目新しいものではないが、これが実際に導入されれば、いわゆる「低炭素型投資」はかなりやりやすくなるのではないかと思う。もちろん、最低価格の額次第ではあるんだけれども。

※ ざっくり言うと、「逆版」(K-B法は「価格上限」で、EU-ETSの新ルールは「価格下限」)なのだが、少なくとも以下の二点は違っていると思う。
  1. EU-ETSでは(この記事を読む限り)オークションの際にのみリミッターが発動するのに対し、K-B法案では、市場価格が上限値を上回った場合にもリミッター(=政府による「売りオペ」介入)が発動する。
  2. K-B法案では、介入量の上限が設定されている(=価格上限値は絶対のものではない)のに対し、EU-ETSのオークションでの価格下限値は(この記事を読む限り)不動である。
Maxwell School, Syracuse, Feb 4, 17:24

community service

少し遅くまで学校に残って勉強をして、11時過ぎに帰ってみたら、普段は10時前には寝ているはずの大家氏が、携帯電話で誰かと話をしていた。話し終わった大家氏曰く、「これからUniversity Hospital(Syracuse市内にある大きな病院の一つ)に行って来る」との由。理由を聞くに――そりゃまぁ聞きますわな、こんな時間ですから――、とあるおじいさんが、いままさに、息を引き取ろうとされていて、その奥さんが一人では持ち堪えられそうにないので、その精神的サポートをしに行くんだとのこと。

話しぶりから察するに、そのご夫婦とうちの大家氏とは、特に面識はなさそうな様子。そこの病院で、ときどきボランティアをしているという話は前にも大家氏から聞いていたのだが、ボランティアでそんなことまでやるんだと、正直、少し驚いた。

この国の人たちは、「政府」なる存在をあんまり信用しないというだけあって、たまに、僕なんかからするとビックリするような“助け合い精神”――なんて言い方しちゃうとひどく安っぽいですけど――を発揮する。まぁもちろん、みんながみんな、そうだという訳ではないにしても。

このvolunteerismと、彼ら一流のcapitalismは、どうやって結合しているのだろうか、なんてことも考えてみたり。一見、相容れないように見える、二つの“-ism”は、「アメリカ的liberty観」という、共通の思想的土台によって結び付けられているのです――なんて説明になるのだろうか。

あ、豆撒くの忘れた…。
my room, Syracuse, Feb 3, 24:07

Wednesday, February 3, 2010

Efficiency of Executive Branch

International Trade Lawのクラスで、ハーゲンダッツアイスの輸入に絡んだlaw case(The Pillsbury Co. v. United States)を扱う。

GATT1994の一部を、縦書きにした(とは言わないわな。。)米国内法(Note 5 to Chapter 21, The Harmonized Tariff Schedule of the U.S.)の解釈を巡って争われた2005年の訴訟。Charming Betsy 原則(“An act of congress ought never be construed to violate the law of nations, if any other possible construction remains.”)とConstitutional Avoidance原則(“If a statute is susceptible to more than one reasonable construction, courts should choose an interpretation that avoids raising constitutional problems.”)を使って正しい解釈を見出しましょう、というのが今日の授業の趣旨なのだが、僕的には、
日本だったら、こんな、どっちとも取れる文言、そもそも、法令に使われないよなぁ…
なんて思ってみたり。

もちろん、日本の法令でも、そういった「どっちとも取れる」ケースがゼロではないだろうが、アメリカに比べれば、おそらく格段に少ないんじゃないかと思う。なぜなら、そうならないように、細心の(というか偏執的なまでの)注意を払って書かれているから。

ちなみに、――それ自体が良いことかどうかは別にして――現状、日本の法制事務の大半(=内閣提出法案+政省令の作成)を担っているのは立法府ではなく行政府。そこが、多義的な解釈がなされないよう、注意を払って法令(案)を作成しているおかげで、国民全体の負担する司法コストが――たとえばアメリカに比べて――少なくて済んでいる、といった面が少しくらいはあるのではないか。よく、「国民一人当たりの公務員の数」なんて国際比較を見かけるが、行政機関の効率性を比べるときには、こういった要素まで加味して考えないと、ホントはフェアじゃないよね…。

なーんてことを、6割冗談、4割本気で考えておりました。
my room, Syracuse, Feb 3, 27:51

Tuesday, February 2, 2010

"What the world must do to sustain its convalescence"

Martin WolfによるDavos会議の総括 from FTweb。ちなみに、“convalescence”は、「(病後の)回復期」(らしい by 英辞郎)。
要約すると、
世界は、幸いにも、金融危機後の最悪期を脱することに成功した。今年は、金融政策と財政政策の“出口(exit)”の模索が課題となるだろう。早すぎても、遅すぎてもいけない難しい問題である。
しかし、“出口”の問題は、当面の課題であるにすぎない。その先には、金融部門の改革(financial sector reform)と需要不均衡の調整(durable rebalancing of demand in the world economy)という、より困難な二つの長期的課題が待ち構えている。
特に難しいのは、不均衡調整の方。世界が危機の只中にあった昨年は、各国間の協調(co-operate)が目覚ましいほど機能したが、政治状況が通常状態に戻るにつれて、そういった国際協調は、今後、ますます難しくなっていく。危機直後は、グローバル経済を救わなければならないという緊張感が、ローカルな政治的事情を押さえこんだが、この先は、「(各国の)政治状況の通常化が進む中での(世界経済の)回復期治療(convalescence and the associated return to politics as usual.)」という難しい課題に向き合わなければならない。
もしそれがうまくいかなかったら、世界経済と世界の協調は破綻を迎えることになるだろう。それが、今年のDavos会議から得た私の教訓である。(“If it is not, the global economy and global co-operation might yet founder. This is my principal lesson from Davos.”)
との由。
my room, Syracuse, Feb 2, 21:34

Cop-out

論文のdraftに着手するも、遅々として進まず。曲がりなりにも「論文」と呼べるものを書くにしては、まだまだ知識が足りていないんだなぁと痛感。いちおう、知識の「線」みたいなものはあるんだけど、「網」(=体系)になっていないもんだから、ちょっと切り口をずらして書こうとすると、途端にことばが出てこなくなる。無理やり書くも、自分で書いててウソっぽい。イライラする。NHLのハイライト見始める…。全然あかん(爆)

現実逃避ついでにご連絡。来る3月5日と6日、それぞれ、NYCとDCにお邪魔させていただく予定です。8日の週は春休みなので、状況が許せば(といいつつ、「状況」のカギを握っているのは、まさにこの論文なんですが…)、DCには二、三日滞在するかも。5日@NYC、6日@DCとも、夜は予定ありますが、それ以外の時間で、良かったらどなたか遊んでくださいまし。
my room, Syracuse, Feb 1, 26:42

Monday, February 1, 2010

Budget Freeze

Obama政権がFY2011予算教書を発表。先週のState of the Unionでも予告されていた通り、「三年間の予算凍結」措置が盛り込まれているわけだが、この「予算凍結」の対象には、社会保障費、国防費などが含まれておらず、巷では「あんまり意味ね~んじゃね~の」と言われている。

どのくらい「意味ね~」さそうかを示すグラフがKrugmanのblogに載っていたので、一つ拝借。
このうち、“Non-Security Discretionary”に当たる部分(Krugmanの言葉を借りれば“that little wedge off to the left”(左の方のちっちゃな三角形))だけが“凍結”の対象。ホントに「意味ね~」かどうかはともかくとして、とりあえず、このくらいのボリューム感だというわけですな、ふむふむ。

こんなグラフを引用しつつ展開されるKrugman先生のエントリは、正直、何が言いたいのかわかりません(わかるけど)。 財政支出が小さすぎると言いたいのか、財政の立て直しが弱すぎると言いたいのか、どっちなんでしょう(前者なんだけど)。つまるところ、「政治が腐っとる」(“how sick our political system is”)とおっしゃりたいことだけは確かみたいです。

'90年代、日本の財政運営を散々バカにしていたアメリカも、いよいよ本格的に“stop-and-go”の境地に突入したということなんでしょうか。。 
Maxwell School, Syracuse, Feb 1, 18:04

追記: いつもながら、NY Timesの図説がスゴい。ここまでやる必要あんのかという疑問はさておき…(笑)

Don't "twitter" on the Twitter

まえさんからもレスをいただいたTwitterの話の続き。

経済blog“ECONO斬り!!”の安田さん(って、別に面識はないんですけどね。)が、“Twitterの経済学:共有知識編”と銘打って、関連するご自身(とその「つぶやき」相手)の「つぶやき」をまとめておられる。曰く、“Twitterと掲示板やブログのコメント欄との違いを、経済学的な視点から考察。情報構造や匿名性の違いに注目した一連のやりとり。”との由。

(普通にリンク張れば済む話なんだけど、埋め込みURLが付いてたので、なんとなく使いたくなって使ってみました。笑)

安田さんの最初の「つぶやき」からリンクが張られている青木さんという方(UCバークレィの経済学博士課程にいらっしゃる方だそうです)の記事によると、Twitterの革新的なところは、“一方的にフォローし始めるのがデフォルトという仕組み”にあるらしく、この特性のおかげで、“意味のあるコメントをすれば相手がフォローし返すこともあり、何の関係もなかった人間と「友達」になることができる”との由。ただし、“他人にフォローしてもらうためには、なるべく有益な情報や興味深い議論を提供する必要があ”り、また、“ストリームの価値を上げるにはノイズ比を下げる必要があり、それは大した意味のない「つぶやき」をしないことを意味する”とも。

僕なりの飛躍的解釈をお許しいただくならば、つまり、こういうことではないかと。現代人にとっての真の稀少財は、「情報」(とりわけ、「スクープ」的な性質ものより、「発想・アイデア」の類に属する方)と「時間」であって、当然ながら、それら二つはトレードオフ。たくさん「情報」を集めようと思ったら、それだけ「時間」を消費してしまう。また、良質な「情報」(アイデアと言い換えるのも可)は、特定の人間から提供されることが多い。となれば、「“良質な情報(アイデア)を提供しがちな人間”を如何に短時間で効率的に探しあて(て、あわよくば繋が)れるか」が、勝負と言える。Twitterは、現代人のそんなneedsに非常にマッチしたツール、ということなのではないだろうか。

ただ、“良質な情報(アイデア)を提供しがちな人間”を探しあてて(一方的に)捕まえておくだけなら、blogでも十分なわけで――実際、僕は、数分前に、その「青木さん」なる方のblogを自分のフィードリーダーに登録した――、青木さんのおっしゃる“何の関係もなかった人間と「友達」になる”ところまで行かないとTwitterの真価は享受できないんだろうな、とも。

しかし、そういう意味では、僕なんて、blogにさえ「ノイズ」を混ぜちゃってる状態なのに(こんなんとかこんなんとか)、“意味のあるコメント”をTwitterでコンスタントに流し続けられるかというと、そんな自信はどこにもない。てか、そんな人、世の中にそんなにたくさんいるのか??という気もする。そう考えると、Twitterの真価を享受できているのは、かなり、「賢い」、あるいは「特殊技能に秀でた」、はたまた「特殊情報にアクセスできる」層の方々だけなんじゃないかなんて思ってみたり。まぁ、これだけ世間全体で――少なくともアメリカでは――盛り上がっているということは、単純に、文字通り「つぶやいて」、それだけで満足している層も人数としては、それなりにいるんだろうけど。(彼らがFacebookとTwitterを併用する理由はよくわからんが。)

ともあれ、僕なりに、「Twitterバカ売れ」のナゾが少し解けて、面白かったです。

ちなみに、安田さんご自身は、その“まとめつぶやき”の中で、主に、Twitterの「抗“炎上”性」について論じておられる。ふむふむといった感じではあるのだが、弊blogみたく、炎上とは縁もゆかりもなく、世界の片隅(の雪に閉ざされた田舎町)でこそこそっと営業させていただいている者にとっては、いまいち、そのありがたみが実感できないわけで…。もちろん、おっしゃっていることが間違っていると言いたいわけではないんですけどね。

とまぁ、そんな感じで。お勉強に戻ります。
Maxwell School, Syracuse, Feb 1, 13:21