Friday, February 5, 2010

right and wrong

こんなことを言うと、「お前、この二年間なにやってきたんだ」と言われてしまいかねないが、今期、law schoolで聴講しているInternational Trade Lawのクラスは、これまで受講してきたMaxwellのどのクラスよりもタメになっているんじゃないかという気がしている。

「何を教えるか」というコンテンツの問題ではなくて、「どう教えるか」という教え方の問題。Maxwellのクラスでは、教授がよく“There is no right and wrong answer in this class. (このクラスでは正解も不正解もないですからねー。)”なんてことを言ったりするが、International Trade Lawのクラスでは、間違っていれば、容赦なく、「間違っている」と指摘される。その意味では―昨日の話ではないが―、非常に“judgmental”(笑)

思うに、こういった「教え方の違い」が生まれてくる背景には、law schoolと公共政策大学院が卒業生の送りこみ先だと、それぞれに想定している“業界”の性質に大きな違いがあることがあるのではないかと思う。大半のlaw school卒業生の就職先は言うまでもなく法曹界であって、そこは、常に、勝ちと負け、rightとwrongが判別される世界。一方、公共政策大学院の卒業生が向かう政治・行政の世界は、正解・不正解がすぐには判明しない、究極的には「歴史の審判」を仰ぐしかない世界である。こういった、“業界”の性質の差が、教え方の差に現れているのではないかと。

しかし、用いられるべき教え方と業界の性質とは、本来、無関係な(というか、それも一要因ではあるが、最重要な決定要因ではない)はず。目指す先がどういう業界かということよりも、むしろ、現時点での生徒の能力がどのくらいか―基本のセオリーを学ぶ段階か、基本セオリーは習得済みでその応用力を養う段階か―を基準に決められるべきものだと思う。その意味で、Maxwellのクラスは、やや先走り過ぎ、言い換えれば、基本セオリーを習得しきれていない生徒に無理やり応用をやらせている面が無きにしも非ず、と言えるのではないかと。

経済学という学問について見てみても、lawに比べれば、「教え方」のメソッドは、まだまだ確立されていないように思う。もちろん、社会科学の中では、理論の「教科書化」が格段に進んでいる方だし、実際の教え方は、結局のところ先生次第、ということなのかも知れないが、少なくとも僕がこれまで受講してきた先生の中には、いま聴講しているlawのクラス並みに、基礎理論の使い方(※)を徹底的に叩き込むスタイルの人は一人もいなかった(※ 理論や原則は、単に「知っている」ではなく、「使える」レベルまで消化しておくことが重要)。

逆に言うと、この先、人に経済学を教える機会があるとすれば(大学で教える、という意味ではなくて、職場で後輩に教える、とか)、一つ一つの理論・法則に焦点を当て、その「意味」と「使い方」とを関連付けて、着実に教えていくというのが有効なやり方だよなぁと思う。抑揚付けずにさらさらさらーと教科書をなぞっていくだけでは、(学習効果がないわけではないが)学習の効率は、あまり高くはならない。
Maxwell School, Syracuse, Feb 5, 15:01

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