Thursday, February 18, 2010

about "Japanese snowboard guy"

今朝、出がけに大家さんが、“Japanese snowboard guy”の話題を振ってきた。国母君の件が、アメリカのTVニュースでも報じられていたらしい。

毎朝、教会に通い、“pro-life”を公言するうちの大家氏。そんな、コンサバなところもある彼(たぶん60代中盤)が、この一件をどう評価するのか、個人的には少々興味があった。結論から言うと、「コクモ全面支持」。大家氏の理屈は、「snowboarderを縛ろうなんて考えちゃいかんよ」の一言に尽きる。

僕自身、my boardを持ち、社会人になってからの骨折経験もある(なんの自慢にもならん!!)snowboard funだが、snowboardをオリンピック競技にするという選択をしたことについては、ときどき疑問に思う。今回の一件も然り。

スポーツというものには、その種目ごとに、多かれ少なかれ、文化的な要素が伴う。日本の武道なんて、その典型例。そもそも、武道が「スポーツ」にカテゴライズされること自体、拒否する人だっている。良い悪いの問題ではない。

snowboardも、そういう「文化的」色合いの濃いスポーツの一つだ。しかし、オリンピックという絶大なる“authority”の庇護に入る(或いは「軍門に降る」)ということは、そういった文化的色合いを薄め、純粋な「競技」としての側面への特化を迫られることを意味する。もちろん、その「決断」の裏には、興行収入を増やしたいオリンピック側と、ファン層を広げたいスノボ側の、“deal”があったわけなのだろうが、果たして、そのdealは、双方にとって、payしていると言えるのか。お金の面だけでなく、「文化的」な要素も含めて。

もっとも、そういうリスクを認識しつつ ― していなかったとしたら最悪 ―、“deal”を交わした以上、スノボ側もオリンピック一門のしきたりに適応すべきという意見は真っ当。柔道が“judo”になって、青色ユニフォームを受け入れたように。

ただ、少なくとも、そうした「大人」の背景事情を全く考慮せず、単純に「国母和宏」一個人の素行の問題として、今回の一件を処理しようとするやり方は、僕には聊か、不条理なことのように思える。
Maxwell School, Syracuse, Feb 18, 13:35

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