Thursday, July 16, 2009

Reflection on CDM

一か月半前、ガーナに到着したての頃は、実務的なことをほとんど知らないながらも(或いはそれ故に??)、CDMという仕組みに、そこはかとない希望を抱いていた。従来、値段のつかなかった「温室効果ガス(GHG)の排出」という行為に(負の)値段が付されることにより、それを減らす事業に経済的な価値が生まれる。その結果、先進国の資本が、政府という「必要悪」を介さずとも、市場メカニズムを通して、直接、途上国でのGHG排出削減に流れるようになる――その、ある種、理想的とも思える美しいビジョンを眼前にして、様々な批判があることはそれはそれとして知りつつも、CDMというものに、かなり前向きな期待を抱いていたことを否定するつもりはない。
  
しかし、あれから一か月半がたった今、あの頃の希望は、正直、幻滅へと変わりつつある。この間、CDMに関する実務的な知識が身に着いた一方で、CDMの抱える本質的な限界についても、かなり明確に認識できるようになってしまった。
  
CDMが経済的にpayableになるためには、次の二つの条件をクリアしないといけない。
   
一つ目の条件は、CER(いわゆる排出権)の売却によって得られる利益が、CDM登録に要する諸々のトランザクションコストを上回らなければならないという条件である。ごく初歩的な、当たり前ともいえる条件だが、残念なことに、いわゆる「草の根」的なCDMプロジェクト(家庭を対象にしたenergy efficiencyプロジェクトなど)は、現実的に試算すれば、この条件だけで、そのほとんどがはじかれてしまうだろう。
  
二つ目の条件は―このハードルがより困難なのだが―、プロジェクト全体から得られる利益(CER売却益を含む)が、[underlying projectのコスト+CDMのトランザクションコスト]を上回らなければならないというものだ。「GHGを減らす」という行為は、(極めて特殊な場合を除き、)それだけでは存在しえない。何らかのプロジェクト(発電するとか、製品をつくるとか、廃棄物を処理するとか)を、よりクリーンな(=GHGの排出が少ない)方法で行った場合と、通常の方法(=GHGの排出を気にしない方法)で行った場合の、GHG排出量の「ギャップ」という形でしか存在しえないのだ。したがって、(この点は意外と忘れられがちなのだが)CDMという所業は、常に何らかのプロジェクト(しばしばunderlying projectと呼ばれる)と同時に(或いは「一体不可分に」)行われるものであり、underlying project部分も合わせた全体としてpayしないことには、プロジェクトとして成り立たない。
 
ここで再びキーになるのがいつかのエントリーでも触れた“additionality”という条件だ。CDMとして承認されるためには、そのプロジェクトが、「CER売却益なかりせば成立しなかった」ものでなければならない。ということは、underlying project部分だけでpayするような案件は、そもそもCDMとして認められないということになる。逆に言うと、「CER売却益なしではギリギリpayしない」くらいの案件がちょうどいいわけだが、そんな都合のいい案件は、そうゴロゴロと転がっているものではない。かたや、CERの売却益でどれだけのお金を稼げるかと言うと、ほとんどの場合、(もちろん、プロジェクトの種類にもよるが、)underlying projectの初期費用の5~10%程度といったところらしい。その程度の決して大きいとは言えない額で、赤字から黒字に転ぜられるような「ちょうどいい案件」というのは、普通に考えて、そう多くはないだろう。

ここまでの話では、「リスク」という要素を全く考慮してこなかったが、勿論のことながら、実際のCDMプロジェクトには、多種多様、色とりどりのリスクが絡む。そのうちのいくつかは、致命的(=そこで躓けば、CDM登録にたどりつけない)なものであったりもする。また、無事に登録(registration)されたとしても、予定していたとおりの分量のCERを産出できる保証はないし(現に、予定排出削減量を大幅に下回るケースが頻発しているらしい)、周知の通り、CERの市場価格のvolatilityは非常に大きい。
    
斯く具合に、実務的に考えると、CDMという仕組みがworkしうる範囲は非常に限られていると言わざるを得ない。確かに、CDMという制度を支えている経済学的理論には何とも魅力的な美しさがあるのだが、その理論が適用できない“例外ケース”を取り除いていくと、“適用できるケース”は、結局、ほとんど残らなかった、というのが実情ではないかと思う。施行から数年が経つ中で、この分野に早くから携わっていたビジネス界の人たちは、trial & errorを通してこの仕組みの本質と限界を見抜き、CDMの世界から手を引き始めているように思う。おっとり刀でようやく最近CDMに取り組み始めた後進国の人たちだけが取り残されているというのが現状なのかも知れない…。

以上は、「実務的」観点から、CDMの限界を僕なりに説明したものだが、今日のエントリーでは、もともとは、なぜこんなことが起こってしまったのかを、もう少し経済学的な観点から書きたいと思っていた。すでに長くなってしまっているので、今日のエントリーはここまでにしようと思うが、CDMの失敗に関する「経済学的説明」の項目だけ、とりあえず挙げておく。それぞれの項目の中身については、後日、改めて、ということで。

<CDMが成功しなかったことの経済学的(??)説明>
  1. 収益源の密度が薄すぎる。
  2. 収益の大きさと比べてトランザクションコストが大きすぎる。
  3. 期待収益の大きさと比べてリスクが大きすぎる。
  4. GHGの排出削減という行為が、underlying projectと不可分にしか存在しえない。

my room, Accra, Ghana, July 16, 22:39

No comments: