Wednesday, September 30, 2009

Why narrow banking alone is not the finance solution

毎週一、二回、FT.comにアップされるMartin Wolf氏の金融コラム。月曜日に受講しているFinancial Securityコースの“課題図書”に指定されている。素人目ながら、毎回、「深いなぁ」と感じつつ、読ませていただいているのだが、その分、求められる英語と金融知識のレベルもそれなり。正直、僕からしてみれば、「さらっ」と読みこなすには、ちょっときつい内容のコラムである。

今日も、お昼休みに直近の記事を読んでみたのだが、一回読んだだけでは、十分に理解できず。食後の満腹感も手伝って、瞼がどんより下がってきたので、ここは一旦退却し、夜、再挑戦を期すことに。帰宅後、インターネットを開けてみたら、JB Pressのサイトに、件の記事の邦訳版がアップされているのを発見。ラッキー。

「危機が起こっている最中には、金融システムにとって重要だと見なされた金融機関の債務が全額、政府によって保証された。システムの中核にある金融機関は今日、国家の一部になっていると考えて間違いない」との指摘や、シャドーバンキングについての、「要は、期間が短く無リスクに近い債務と、期間が長くて高リスクな資産の組み合わせは非常に大きな利益を計上できるが、それは破綻するまでの話であり、現実に破綻する可能性は高いのである」との指摘に、いちいち膝を打ちながら読ませていただく(やっぱ日本語ってステキ。笑)。

しかし、そこから導かれる結論は、「当局は現在、規制を強化すれば(特に自己資本比率の基準を引き上げれば)こうしたリスクを封じ込められると考えている。しかし、それでは失敗してしまう可能性が高い。(中略)やはり準銀行という仕組みを禁止しなければならないだろう。そうしなければ、脆弱な銀行が倒れて救済を受ける世界に早晩戻ってしまう」という、著者本人も認める、非常に急進的な内容。practicalかというと、正直…。著者が急進的すぎるのか、はたまた、世の中が気づけていないだけなのか。

この記事を読んだあとに、同じJB Pressに出ているこちらの記事を併せて読むと、非常に複雑な感情を味わうことができる。うーん。。。日本は、そして、世界は、いったいどこに向かえばいいのだろうか。「日本型」と「英米型」の「中間」ってなもんは、作れないもんなのだろうか…。

非常に青臭い感想にて、恐縮。

(追伸) JB Pressから、ついでにもう一ネタ。こちらの記事(「砂上の最先端技術、日本のエコカー」)もたいへん読み応えがあった。経済の話も去ることながら、技術の話は、なお一層、本質を掴むのが難しいと感じる。とりあえずは、この手の記事を、こまめに読んでおくしかないのかも知れないが…。ちなみに、いちおう断わっておきますが、JB Pressのまわし者ではありません(笑)
my room, Washington, DC, Sep 30, 23:30

Tuesday, September 29, 2009

Climate Bill Splits Exelon and U.S. Chamber

米国最大手電力会社の一角、Exelon(本社:シカゴ)が、US Chamber of Commerceを脱会すると言いだした[NYT 9/28]。 日本で言えば、「東*電力が経*連を脱会する」みたいなもんだろう。理由がすごくて「USCCの気候変動問題に対するスタンスが気に入らないから」。記事によると、サンフランシスコのPacific Gas & Electricや、ニューメキシコのPNM Resourcesも、追随する動きを見せているらしい。
    
冒頭、日本の例を引き合いに出しはしたが、実際のところ、USCCは、参加企業数こそ多い(自称世界一)ものの、日本*団連のような鉄の結束を誇る組織ではないので、「東*が経団*を脱会する」ほどの大事件でないことは確かである(そんな事件、100年待ってもまず起こりそうにない)。それでも、エネルギー・商業委員会所属の下院議員が、“It’s a bit of an earthquake.”と言っているくらいだから、このニュースが、関係者の間で、相当なインパクトを持って迎えられたのは事実であろう。
  
もちろん、ExclonがUSCCを脱会したからといって、それだけで、Waxman-Markey法案の年内成立の可能性が高まったわけでもないし、またそもそも、こういったニュースの一つ一つに一喜一憂するのは、時間の無駄というものだろう。
  
しかし、このニュースは、アメリカの電力業界(ひいては産業界全体)が、日本のそれに比べて、はるかに拘束力が弱い――逆に言えば、各社が「業界全体」ではなく、「自社」の利害得失に応じて自由に行動しやすい――環境だということを示唆している。日本人の感覚だと、ついつい、「産業界=一枚岩」と思ってしまいがちだが、この国では、そもそもからして、そういう傾向は弱いし、さらにここにきて、いくつかの大手電力会社がUSCCに三行半を突き付けるということは、この先、電力各社が敵味方に分かれての、かなりダイナミックな駆け引きが始まるのではないだろうか。

ちなみに、Exelonが脱会の理由とした、気候変動問題に対するUSCCの公式スタンスはこちらで見られる。僕的には、かなり苦しい言い訳のように聞こえるのだが、如何なりや?
my room, Washington, DC, Sep 29, 23:30

“Think tank” v. “Advocacy”

今日は、週に一度の上司との面談の日。タスクの進捗状況を確認した後の雑談で、とある“a Japanese Think Tank”の“Executive Senior Fellow”の方が書かれた、とある論文が話題になった(ちなみに、この論文は、Climate-L.orgという、その道では結構メジャーなmailing listに投稿されていたので、アメリカ人の彼女も知っていたというワケ)。

面白かったのは、彼女が、「それぞれの主体にはそれぞれの立場があって当然なので、ここに書かれている内容自体が突飛だとはまったく思わないが、それを書いたのが、think tankの人だというのには驚いた。彼は、この論文を書いた後、干されてしまったりはしないのか?」と、皮肉や嫌味ではなく、マジメに僕に尋ねてきたこと。僕、答えて曰く、「日本で言うところの『シンクタンク』は、(建前上、中立を旨としなければならない)アメリカのthink tankとは、だいぶ様相を異にしています。こちらの論文を書かれた方の『シンクタンク』も、アメリカのスタンダードで言えば、限りなく“advocacy”団体に近いのではないかと。日本では、そのことはみんな重々承知の上なので、この方が、今回、こういった論文を書かれたからと言って、そのことで、仕事を干されるなんてことはあり得ないと思います」と。

彼女の思考回路を遡ると、アメリカのthink tank業界の一つの特徴が見えてくる。つまり、あまりに偏った意見や、特定の団体の意志を反映しているかのような意見を述べる人(もちろん、どういう論拠で以てそれを述べているかにも依ると思うが)には仕事を回さないという、「スクリーニング機能」が業界自体にbuilt-inされているということなのだろう。そういう慣習があってこそ、業界全体としてのcredibilityを維持できている、ということなのかも知れない。
my room, Washington, DC, Sep 28, 24:37

Monday, September 28, 2009

Debating Hybrids’ Fast-Lane Privileges

アメリカの政府ネタを二つ。
   
一ヶ月前、Berkleyでknj君たちと年甲斐もなくさんざん盛り上がったネタが、NYTのblogで取り上げられている。“Debating Hybrids’ Fast-Lane Privileges”

CaliforniaやVirginiaなど、恒常的な交通渋滞を抱えるいくつかの州では、高速道路の一つの車線を“carpool lane”(“fast lane”とも呼ばれる)に指定し、その車線は、一定人数(州によって異なるが、二人又は三人)以上乗っている車しか走ってはいけません、という制度を導入している。年がら年中すっからかんの某S市では、到底想像し得ない制度であるが、この制度、この国におけるハイブリッドカー(ってゆうか、プリ*ス?)の普及に一役買ってきた一面もある。というのも、「ハイブリッドカーであれば、一人しか乗ってなくてもfast lane走ってOKよん」といったハイブリッドカー優遇措置が併せて設けられていること多いのだ。

ところが、ここにきて、ハイブリッドカー(ってか、引き続きプ*ウス)が普及しまくったため、そいつら全部に「優遇措置ステッカー」を配っていたら、fast laneの意味がなくなるのでは、という懸念が増大。記事によると、CaliforniaでもVirginiaでも、とりあえず、「ステッカー」は、来年いっぱいで無効になることが決まっているらしい。

ただし、「優遇措置続けろ!!」との政治的圧力もあるようで、California州政府の職員の方が、苦肉の策を案じておられる。記事によると、
One idea is electronic signs that boot out solo-driven hybrids from the express lanes when there is too much traffic. In parts of the Bay Area, according to The San Jose Mercury News, there are also thought of allowing solo drivers to pay their way into the fast lane, with a steep toll.
とのこと。なかなか苦しい…(てかこれ、enforce可能か??)。

しかし、こうやって、次から次へといろんな制度を編み出してくる(そして、果敢にそれらを実行してしまう)のは、アメリカの行政の非常に面白いところ。州の権限がデカイとか、知恵を授けるシンクタンクがしっかりしているとか、(行政の)trial & errorに対する寛容度が大きいとか、「妥協」(compromise)することを日本人ほど嫌がらないとか…考えられる理由はいろいろあると思うが、いずれにせよ、アメリカのこういう一面は僕的には、たいへん羨ましい。

もう一つは、連邦政府関連のニュース。少し前になるが、先週後半、White Houseは、全連邦政府職員を対象に、「予算削減策コンテスト」を実施すると発表した。“President's SAVE Award” (SAVEはSecuring Americans Value and Efficiencyの略。)と題されたこのコンテスト、優勝者は、提案した内容を2011年度予算に反映してもらえるだけでなく、Obamaに会わせてももらえるらしい。やったぁ!!?

良案が出てくるかどうかは箱を開けてみるまで分からないが、とはいえ、このコンテストの実施のために、特別の出費がかさむわけでもなし、なかなかおもしろい企画だと言えるのではないだろうか。〆切は10月14日で、winnerの発表は11月とのこと。どんな案が出てくるか、人ごとながら楽しみである。
 my room, Washington, DC, Sep 28, 22:27

Sunday, September 27, 2009

Alumni Association Picnic

昨日は、MaxwellのDC Alumni Association主催のピクニックに行ってきた。
      
最初に断わっておかねばならないが、この国で言うところの“picnic”は、一般的な日本人が「ピクニック」という言葉から連想するものからは、かなりかけ離れている。“picnic”と言っても、別にどこかに歩きに行くわけではない。単に、気の合う仲間が数人集まって、屋外でご飯を食べれば、それだけで、“picnic”は成立するのである。(雪国Syracuseでは、「屋内picnic」なる、もはや、picnicの成立条件は何ぞやと、問い詰めたくなるようなイベントさえ催されていた。) したがって、「ピクニック」に付き物であると日本では広く認識されている「スキップ」を披露する機会も、“picnic”には通常、訪れない。別にやってもいいが、白い目で見られるか、はかなく黙殺されるのが落ちであろう。 
    
さて、あいにくの小雨舞い散る肌寒い天候ではあったが、Alumni Picnicには、懐かしのclass of 2009の面々も少なからず集まっていた。彼らとは、ガーナ逃避行以来の再開である。DC(及びその近郊)に移り住んでいるというだけあって、昨日、来ていた面々の就職先は、錚々たるラインナップ。State Department(外務省)、Treasury(財務省)、DoT(運輸省)、EPA(環境保護庁)、GAO(Government Accountability Office。会計検査院と総務省行政評価局を統合してツオくしたようなところ)、NIH(国立衛生研究所)etc. 一方で、目下就職活動中というメンツも何人かいましたが。
  
「就職組」と話をしていて、日本とは違うなぁと改めて思ったことが二つある。ひとつは、先日も触れた、オフィスの構造のお話。聞いてみると、やはり皆、就職早々から「キュービクル(半個室)」を与えられ、そこで仕事をしているらしい。日本人サラリーマン的感覚からすると、よくそれで回るなぁという気がするのだが、おそらく、組織としての仕事の回し方が、日本のそれとはそもそもだいぶ違っているのだろう。たとえば、よく言われる話にあるように、日本では、組織の一番下っ端が、ひーこら言いながら局内・課内の仕事の割り振りをしているケースが多いが、米国では、マネジメント層が、各部下に仕事の割り振りをするので、下っ端の人間が、大部屋で調整のために駆けずり回る必要がない、といったようなことがあるのかも知れない。
  
もうひとつは、今後のビジョンのお話。興味本位で、「この先ずっとそこで働くの?」と何人かに聞いてみたのだが、決まって帰ってきた答えは、「とりあえず2年は働くけど、その先どうするかはわかんない」というもの。「2年」というのは、たぶん、それに関連した制度か何かがあるからだろう。Federalの中で転職するときに、最低2年の勤務経験があれば、有利な条件でアプライできる、みたいな。某省のヤツに聞いてみたところ、特にactiveな行動を取らなければ、2年後以降もその役所に居続けられる、とのことではあったが、その彼も、「まぁ、その後のことはわからんなぁ」とおっしゃっておられた。

この国のホワイトカラー(特に政府機関)の労働慣行というのは、見えそうでなかなか見えないものだが、DCにいる間に、もうちょっといろいろ知っておきたいと感じる今日この頃である。
my room, Washington, DC, Sep 27, 11:13

Saturday, September 26, 2009

Japanese "Bubble" Experience


週明け月曜日のFinancial Securityの授業で、今学期最初のpresentationが当たっている。与えられた課題は、「なぜ日本は、バブル崩壊後の不況への迅速な対応に失敗し、以降の10年間で大幅に財政赤字を拡大させるに至ったのか、その原因・経緯を説明せよ」というもの。その道の専門家ならぬ自分には、些か荷の重い課題なのだが(しかも、「あんた日本人なんだから、そのくらい簡単に説明できるでしょ」という、ありがちな誤解に基づく謂れのないプレッシャーをびんびんと感じる…)、ぶつくさ言ってても仕方がないので、目下、必死に勉強中である。

何はともあれ事実関係を確認しておくと、日本を含む西側主要国(G7 -カナダ+スウェーデン+韓国)の政府債務残高の90年以降の推移は、冒頭のグラフのとおり。どこからどう見ても、日本のそれが、「ごぼう抜き」であることは認めざるを得ないだろう。

とりあえず以下のような筋道でしゃべろうと思っているのだが、論理が正しくない可能性も大いにあり、読者の皆さん(特にその筋の専門家の方)から見られて、おかしいと思われる点があれば、ご指摘いただければ、非常にありがたいところである。

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1980年代後半の長期にわたる金融緩和がバブルを引き起こし、バブル退治のための金融引き締めが景気悪化をもたらしたという評価については、既にコンセンサスがあると言えるが、その後の長期の停滞がなにゆえに生じたかについては、そもそも、コンセンサスは形成されていない。(原田・大西[2002] p.2) しかし、90年代初期の金融政策について見ると、緩和が十分ではなかった可能性が高く(原田・大西[2002] p.4)、このことが、同時期の景気後退をより一層深刻にした可能性は高いと言えよう。

一方、財政政策については、「92 年8 月の総合経済対策以来10 次にわたる財政刺激政策のパッケージが発動され、その総額は136 兆円となっている(三橋・内田・池田[2001]表1-2)。だが、乗数が小さいことも認められ、財政政策の効果は「財政拡大はその時点の経済を下支えこそすれ、その後の成長を保障する呼び水ではなかった」のである(堀・鈴木・菅[1998])というのが政府内のコンセンサスともなっているようだ(経済企画庁[1998]、第3 章第1 節)。」(以上、原田・大西(2002) p.4より抜粋)

つまり、(初期の段階での金融政策の失敗があったにせよ、その後、)景気後退に対する本質的な解決策が打たれないまま、効果の薄い財政発動を約10年の長きに亘って繰り返してきたことが、この期間における、日本の財政赤字拡大の直接の原因であると言えよう。

では、「本質的な解決」のためには、何がなされなければならなかったのか。98年、Krugmanは、“JAPAN'S TRAP”と称する論文の中で、日本は、いわゆる「流動性の罠」(liquidity trap)の状態に陥っていると分析した上で、日本経済に対する処方箋を以下のように示した(JB Press [2009.5.27])

  1. 構造改革が需要を喚起するかどうかは疑問
  2. バブル崩壊後、日本政府が非効率な経済対策を繰り返した結果、財政が急激に悪化し、これ以上の財政出動は許されない
  3. だから、ゼロ金利政策では十分ではなく、非伝統的な金融政策を中央銀行は取るべきだ
  4. インフレ期待を高め、実質金利をマイナスにすれば「流動性の罠」からの脱出は可能になる
その後、日銀は、「インフレ目標」の採用こそしなかったものの、ゼロ金利政策(99年2月)、量的緩和政策(2001年3月)、民間銀行からの株式買取(同年3月)といった、「非伝統的金融政策」を矢継ぎ早に打ち出したが(JB Press [2009.5.27])、それらの効果は限定的であった可能性が高い。なお、「インフレ目標」についてKrugmanは、昨年11月、10年前の自分の試みに誤りがあったことを認め、「無責任な国でインフレを起こすのは容易だが、そうでなければ容易ではない」(“creating inflation is easy if you’re an irresponsible country. It may not be easy at all if you aren’t.”)と述べている。

「インフレ目標」に代わって、最近のKrugmanは、“Exports were the driving force behind recovery.”と言っている。これに対し、小林 慶一郎は、輸出の伸びが2003年以降の日本の景気回復に大きく貢献したことを認めつつも(“True, exports did contribute greatly to Japan’s economic recovery that began in 2003”)、それは、日本経済回復のための必要条件ではあっても、十分条件ではなかった(“In short, export-induced, demand-led growth was a necessary but not sufficient condition for Japan’s recovery.”)とし、日本経済は銀行の不良債権処理が行われて初めて回復したのだ(“Japan’s stock market and economy only rebounded after the banks were cleaned up, specifically after the disposal of bad debt was accelerated following the temporary nationalisation of a troubled major bank and the creation of the Industrial Revitalisation Corp. ”)と、また、市場の信頼は痛みを伴う不良資産の処理を行って初めて回復されるのだ(“market confidence can be restored only when progress is made on the painstaking process of disposing of nonperforming assets.”)と述べている。

このことは、今年1月に行われた金融庁長官講演「グローバル金融危機と1990年代日本の経験」からも窺える。この講演では、「我が国の経験から得られる教訓」として、以下の5点が挙げられている;


  1. 迅速かつ正確な損失の認識が不可欠である。
  2. 不良資産はバランスシートから切り離す必要がある。
  3. 金融機関の自己資本不足には増資による迅速な対応が重要であるが、場合によっては、公的資金による資本注入が必要である。
  4. 預金の全額保護や問題が生じた銀行の一時国有化といった例外的措置が、危機的な状況においては選択肢となり得る。
  5. 短期的な措置と、中長期的な規制の枠組みの再構築を、バランスを取りながら同時に行う必要がある。
これらが、「我が国の経験から得られる教訓」として挙げられているということは、裏返して言えば、90年代、我が国は、これらの措置を迅速に講じられなかったということであろう。

1.については、同講演の中で、「1990年代初期の我が国には、不良債権に関して情報開示や引当を行うための実効性のある共通の枠組みが整備されていなかったため、金融機関に不良債権の処理を先送りするインセンティブが生まれ、我が国経済は信用収縮と実体経済の悪化という負のスパイラルに陥りました」と述べられている通りであろう。2. が本格的に行われ始めたのは、2002年の竹中平蔵、金融相就任以降のことである。3.については、宮澤喜一首相(当時)が、92年の時点で、既にその必要性を認識し、「必要なら公的援助をすることもやぶさかではない」と発言していたにもかかわらず、実際に行われたのはそれより3年以上もあとのこと。住専に公的資金(6800億円)が投入されたのが96年で、大手21行に2兆円が投入されたのは98年。同年には、危機管理用として、30兆円の公的資金が預金保険機構に準備されている(同年10月に60兆円まで増額)。4.に関し、日本でペイオフ凍結の措置が導入されたのは96年。5. についても、「中長期的な規制の枠組みの再構築」が本格的に行われ始めたのは、2002年の竹中プラン以降と見るのが妥当であろう。

というわけで、冒頭にも述べたとおり、コンセンサスが形成されているわけではないものの、「銀行の抜本的な不良債権処理が遅れたばかりに、市場における信頼がいつまでたっても回復せず、そのことが景気回復の阻害要因となっていたのであり、その間、一時的な痛み止め以上の効果を持たない財政支出が断続的に行われたことによって、財政赤字が大幅に膨らんだ」との、見方を示すことができる。
my room, Washington, DC, Sep 26, 27:37

Historical Event, should be...

今朝の電話で、奥さんから聞いた話によると、週明け月曜日に投開票を向かえる自民党の総裁選は、いま一つ盛り上がりを欠いているという。さもありなむと言ってしまえばそれまでだが、今回の総裁選は、来夏以降の日本の将来(「自民党の将来」ではない)を考える上で、非常に大きな意味を持つイベントではないかと思う。

この日のエントリーでも書いたとおり、日本に真っ当な二大政党制 ――「成長」に軸足を置く政治か、「分配」に軸足を置く政治かの選択肢が有権者に示されている状態、という意味で―― が根付き得るかどうかについて、僕はまだ、半信半疑であるが、今回の総裁選(とそれに続く動き)は、日本の政治がそれに近づくための、「ラスト」とまでは言わないまでも、かなり貴重かつ稀少なチャンスなのではないかと思う。

こんなこと、僕がわざわざ書くまでもなく、皆さんわかってらっしゃることだと思うのだが、僕自身で、後々振り返ってみるときのために、一言、そのように記しておく。

話は変わるが、英Financial Timesの国際問題コメンテーターが、鳩山首相のことをかなり好意的に記している。曰く、
Yukio Hatoyama, the new prime minister, is rapidly revealing himself as the fun guy of the G20. Obama said that he was amazed and envious that Hatoyama had managed to sneak out to “Pamela’s Diner”, a famous Pittssburgh pancake house. And then when I got back to my hotel to watch the late night news, there was Hatoyama again - throwing out the first pitch at that night’s Pittsburgh Pirates game, clad in the home team’s uniform and cap. Perhaps Britain’s gloomy Gordon Brown could take some tips from his Japanese colleague.
であると。確かに、政策の中身には何ら関係しない他愛もない記事ではあるのだが、渡米してこの方、日本や日本人のことが、こういう形で取り上げられる報道には絶えてお目にかかったことがなかったので、なんというか、良い意味での新鮮な驚きがあったというのが、偽らざるところである。
my room, Washington, DC, Sep 26, 19:00

Friday, September 25, 2009

House Office Building

Breakfast Meeting 第二弾。今朝の会場は、連邦議会下院(House of Representatives)の議員会館。「セキュリティチェックに時間がかかるので、10分は余裕を見て到着してください」とのことだったので、少し早目に行ってみたのだが、いざ行ってみると、アポ先も聞かれないどころか、IDの提示さえ求められない。淡々と手荷物検査だけを済ませて、30秒で終了。・・・・あれ??

議員会館はものすごく巨大な建物で(しかもそれがいくつかある)、どこかの国のそれとはスケールが違う。中に入ったわけではないが、廊下から見てみたところ、各議員の個室も相当大きそう。まぁ、永田町界隈にこれだけの土地を確保することなんて望むべくもないので、比べたところで、仕方ないといえば仕方ない(そもそも僕には関係ない)。

そんな感じで、朝っぱらから社会見学気分で乗り込んでみたわけだが、Meetingの中身はというと、正直言ってあまり面白くはなかった。Aliance to Save Energyという、省エネ関連の分野でお商売をされている方々のlobbying団体(なんだと思う)が定期的に開いている勉強会で、今日のテーマは、“Smart Manufacturing: Modernization to Marketplace”。 具体的に、どんな話を聞けるんだろうと思って行ってみたところ、「生産ラインもwi-fi化してユビキタスな生産管理手法を敷けば、生産工程から発生する無駄は、もっともっと省けまっせ」といったお話。まぁ、確かにそうなんだろうけど、話がいささか専門的すぎて、僕の興味の対象からは外れた(=眠気を誘う)内容だった。

ともあれ、こうやって、わざわざ議員会館で勉強会を開いているということは、(誰でも参加出来るとは言え、)議員スタッフの皆さんをターゲットにしているのは明らか。アメリカのlobbying活動の一端(と言うほど大げさなもんでもないかもしれないが)を垣間見れたという意味では、朝から出かけた甲斐もあったというもの。配られていたパンも、非常に美味しかったし(あまりにおいしかったので、帰りがけにもう一個、いただいてしまった)。

隣の席に座った人が、EIA(Energy Information Administration。DoEの外局)に勤めておられるおじさんで、「ワタシ、日本カラ来マシタ」と自己紹介すると、「IEEJという日本のシンクタンクは非常にイケてるよ」と教えてくれた。日本語では、(財)日本エネルギー経済研究所というらしい。へー、そんなんがあんねや、知らんかった。またひとつ、賢くなりました。
my room, Washington, DC, Sep 25, 21:19

A pattern emerges

景気の回復に懐疑的なワタクシ。いくらBernankeが“(the US recession was) very likely over” なんて言っても、「いーや、そんな容易なことはないはずだ」と、ついついマイナス思考をしてしまう。

なんてことを言いながら、実際のところ、マクロ経済学を完全には理解していない(どころか穴だらけの)ワタクシ。昨日、映画を観る前に、Y氏から「なんでそう思うわけ」と単刀直入に聞かれるも、まともな答えを返せずに沈黙…の末に「だって、どう考えても怪しいやん」 ほとんど答えになってない。。。

と非常にイケてない自分をかみしめていたら、渡りに船と言うかなんというか、ちょうどいい記事がFinancial Timesに出ていた(JB Pressにその日本語訳も出ていた)。曰く、
「これまでの世界経済の成長は、活発な民間消費や投資ではなく、政府の景気対策と、減らしてきた在庫を積み増す企業の活動に依存したものだ。」
「政策立案者が何より懸念しているのは、健全な回復を遂げるうえでの長期的な障害である。税収が憂慮すべきほど激減する一方で、景気後退がもたらす被害を抑えるために公共支出を増やした結果、各国政府の予算は経済危機にもろに直撃された。」
「最低でも、各国政府の追加的な資金調達ニーズは、長期金利の上昇を招く恐れがある。」
「今回の危機で失われた生産高と雇用は、ただ一時的に遊休状態にあって、需要と信頼感が回復するなり戻ってくるようなものではない、ということである。」
「つまり、世界は今、誰も欲しがらず、誰も買う余裕のないほどの大量のモノを作って輸送する能力を持っているのである。」
と。要するに、世界の消費が「リーマン前」の水準に戻ることはあり得ず、したがって、ある程度の経済規模の縮小は、受け入れざるを得ない。その現実を直視せず、財政政策で以て、さも需要が以前と同じ水準だけあるかのように振るまい続けていれば、当然、そのうち、国家財政の破たんを招く(最低でも長期金利の上昇を招く)ことになる― ということだろう。

同記事は、米英が日独中・産油国などからの巨大な赤字を抱える貿易不均衡パターンへの復帰は、今後、非常に容易に起こりか得るとした上で、今度それが起これば、米国で借入を行うのは、(住宅バブルのときのように)家計ではなく、公共部門なので、
「遠からず、多くのマクロ経済学者が何より懸念していたような危機が起きる土壌が整うかもしれない――ドルの価値が急落し、痛みを伴うマクロ経済の調整が起きるような事態だ」(プラサド教授)
とも述べている。
my home, Washington, DC, Sep 24, 27:09

GHG Regulation under Clean Air Act

先週木曜の朝に参加した、とある環境コンサルのBreakfast Meetingで、「事情通然とした重役さん」が、「Waxman-Markey法案は近い将来に成立するだろう」との見立てを示しておられた、という話を金曜日のエントリーで書いた。この重役さん、もちろんただ単に、山勘やフィーリングでそうおっしゃっていたわけではなく、なぜそう言えるかの根拠も併せて示しておられた。

その根拠というのが、2007年4月2日の“Massachusetts v. Environmental Protection Agency”最高裁判決。これは、
  1. May the EPA decline to issue emission standards for motor vehicles based on policy considerations not enumerated in the Clean Air Act?
  2. Does the Clean Air Act give the EPA authority to regulate carbon dioxide and other greenhouse gases?
の二点が争われた裁判で、判決は「1. NO、2. YES」。つまり、「EPAには、Clean Air Act (CAA)で温室効果ガスを規制する権限があり、また、その権限は行使されなければならない(権限の行使を控える自由はEPAにはない)」ということを、最高裁が示したわけである。

これは ―厳密に言うと、もうワンステップはさむのだがやや細かいので端折る―、気候変動対策法案(今年で言えばWaxman-Markey法案)が議会で成立しなかったとしても、GHGの排出は、結局のところCAAで以て規制される運命にある、といった構図が出来上がったことを意味する。「重役さん」の見立ては、このことに依拠していたわけだ。産業界は、EPAが独自に定める(CAAを執行するための)regulationによってGHGの排出が規制されるのよりも、新法案による規制を望んでいると言われている。その方が、議会での審議プロセスを通して、いろいろと注文を付けやすいからだ。

ところが、いま実際に起こっているのは、産業界による、Waxman-Markey法案潰しのlobbying。これはいったいどういうことなんだろうか、という問に対する謎解きが、こちらのGristの記事に書かれている。というのが、今日のエントリーで書きたかったことなのだが、ここに至るまでの前置きが、大変長くなってしまった…(汗)

この記事、非常に長大かつ複雑なのだが、その内容をごくごくごくごく掻い摘んで言うと― もともと、Clean Air Actは、伝統的な大気汚染物質(NO2、SO2、etc.)を規制することを念頭に作られた法律なので、そこに、無理やりGHG規制を接ぎ木しようとすると、いわゆる「裾きり」(排出量が一定量以下の小規模事業場を規制の対象から外す仕組み)の運用にムリが生じる。このため、その部分の規定を、いわば「勝手に」読み変えて(即ち、裾きり値を引き上げて)、GHGに適用しようというのがEPAの方針。だが、実際にそういった形でregulationが制定されたならば、反対勢力は、「EPAによる違法行為だ」として、regulationの無効性を司法の場で訴えにかかるだろう、と。というわけで、Waxman-Markey法案が下院を通過した時点で、
they (=industry people)’ve largely decided that they would rather have “the uncertainty of the Clean Air Act than the absolute certainty of a very expensive [legislative] program,” (産業界は、高くつくことがもはや明らかとなったWaxman-Markey法案を推すよりも、Clean Air Actの不透明さに賭けてみる方が得策であるとの判断を下した)
のではないか、というのがGristの記事のごくごく大雑把な要約だ。この記事の内容が本当だとしたら、冒頭でふれた「重役さん」の見立ても怪しいということになってくる。いずれにせよ、当座は、health care法案で忙しくて、他のことに時間を割いている場合ではない、というのが上院の現状かもしれないが。

※ ちなみに、Massachusetts v. Environmental Protection Agency判決については、UC-BerkleyのLaw Schoolで行われた、この判決の内容に関する授業の動画が、webにアップされている。
my room, Washington, DC, Sep 24, 25:51

Thursday, September 24, 2009

“FUEL”

FUELという映画が公開されていると知って、それもDCでの公開は木曜日までだと知って、急遽、夜の授業の終了後、9:45からの回を観に行くことに。「まさか来ぉへんやろ」とは思いつつ、Y氏にメールしてみたら、予想外にも「来る」と言うので、あらさ~おっさん二人でレイトショーを鑑賞してきました。
  
おバカなポスターから、エッジの利いた内容を期待していたのですが、結論から言うと、マイケル=ムーアの作品から「毒」と「笑い」を取り去ったような、映画としてはまったく面白くない作品で、何のひねりもないプロパガンダが延々112分間繰り返されてました。「バイオエタノール万歳!!」
  
わざわざ付き合ってくれたY氏には、申し訳ない気分でいっぱいでしたが、彼にとっては懐かしのNew Orleansの街が大々的にfeautureされていたので、ご勘弁いただければと思います(もちろん、全面的にネガティブに取り上げられてましたが…汗)。ちなみに、New Orleansだけでなく、BerkleyやDetroitの街も出てきます(Syracuseは出てきません)。以上、業務連絡。

映画館入口のカウンターで、“Lost in Translation”の(中古?)DVDが$ 12で売ってたので、帰りに買って帰ろうかと思ったんですが、映画が終わってカウンターの前を通ったときには、既に店じまいされた後でした。残念。まぁ、観客5人だけじゃ、待っててくれないですよね。。
my room, Washington, DC, Sep 23, 25:52

Tuesday, September 22, 2009

Mandatory Reporting of Greenhouse Gases

環境関連で今日一番のニュースと言えば、何といっても、国連での気候変動サミットでありましょう。鳩山首相が「2020年までに90年比25%削減」に言及したというニュースは、NY timesにも取り上げられている。しかし、その裏で、US-EPA(米国環境保護庁)が、GHG(温室効果ガス)の義務的算定報告制度案をfinalizeするという、地味だが大きな意味のある動きも起こっている。以下、EPAのpress relaeseから抜粋(下線はblog筆者);
EPA Finalizes the Nation’s First Greenhouse Gas Reporting System/Monitoring to begin in 2010
Release date: 09/22/2009
WASHINGTON – On January 1, 2010, the U.S. Environmental Protection Agency will, for the first time, require large emitters of heat-trapping emissions to begin collecting greenhouse gas (GHG) data under a new reporting system. This new program will cover approximately 85 percent of the nation’s GHG emissions and apply to roughly 10,000 facilities.
(中略)
Greenhouse gases, like carbon dioxide, are produced by burning fossil fuels and through industrial and biological processes. Fossil fuel and industrial GHG suppliers, motor vehicle and engine manufacturers, and facilities that emit 25,000 metric tons or more of CO2 equivalent per year will be required to report GHG emissions data to EPA annually. This threshold is equivalent to about the annual GHG emissions from 4,600 passenger vehicles.
The first annual reports for the largest emitting facilities, covering calendar year 2010, will be submitted to EPA in 2011. Vehicle and engine manufacturers outside of the light-duty sector will begin phasing in GHG reporting with model year 2011. Some source categories included in the proposed rule are still under review.

日本の同制度(平成18(2006)年施行)が、(ザックリ言うと)事業場設置者と輸送事業者に算定・報告の義務をかけているのに対し、米国の新制度は、より上流の者(化石燃料のサプライヤー、自動車及びエンジンの製造事業者など)に義務を課しているせいか、そのカバー率は非常に高い。EPAのpress releaseをそのまま信じるならば、カバー率は全米GHG排出量の実に85%。これに対し、日本の算定・報告制度のカバー率は、約50%である(制度制定時の環境省の推計。昨年、制度が少し改訂され、今年度算定分からは、カバー率がいくらか大きくなるはずであるが)。米国版のやり方だと、明らかにダブルカウントされてしまう部分があるはずで(たとえば、自動車の使用に伴って発生するCO2)、その部分を、どうやって処理しているかは気になるところである。

米国版算定・報告制度に関して、もう一点、注目しておきたいのが、verification(検証)に関する建付け。webサイトのFAQ欄によると、報告者による“self certification”とEPAによるverificationを併用するアプローチを採っていくとのこと。おそらく、報告者に第三者認証を課すのは重すぎる、という判断があってのことなのだろう。EPAによるverificationは、“comprehensive electronic review”と“a flexible and adaptive program of on-site auditing”のcombinationで以て行うらしい。てか、“comprehensive electronic review”って何やろか…??

ともあれ、政府が何らかの義務を課す以上、「正直者がバカを見る」状況を生み出さないようにすることは、非常に重要であり、その政策目的のためには、第三者認証を課すのが最も有効な方法と言えるだろう。一方で、それをすれば事業者の負担が非常に大きくなるのも明らかなわけで(実際、CDMについては、DOEによるverificationの負担が重すぎるとの批判がよく聞かれる)、EPAは、その折衷案とも言うべき道を選んだのではないかと思う。あるいは、負担を自ら背負い込んだというか…。

実際、このアプローチがうまくいくかどうかは、走り出してみないとわからない(もしかしたら、走りだしてみてもよくわからない)が、EPAが、“on-site auditing”要員も含め、具体的にどのくらいの体制で臨もうとしているのかは、機会があれば、調べてみたいところである。
my room, Washington, DC, Sep 22, 20:50

Financial Security 2nd week

Issues in Global Economic and Financial Security二週目。授業そのものの話に入る前に、個人的な予習として、授業の前に読んだ記事から、いくつかのフレーズを抜粋・掲載しておく。
最大の問題は、(注:日本における)2003年以降の景気回復は何によるものかということだ。(中略)この原因は、不良債権処理の進展によって銀行の貸出余力ができ、企業の過剰債務が解消されて新規投資が出てきたことだろう。他方、財政支出との相関はまったくない。輸出との相関は見られるが、これはゼロ金利や為替の円安介入が大きかったのではないか。この点で金融緩和は一定の効果があったといえよう。他方、CPIはずっとマイナスのままだったので、「デフレを止めないと景気は回復しない」という主張は反証された。 【池田信夫blog 2009/4/28】
非伝統的金融政策とは、米プリンストン大学の教授で、著名な金融学者でもあったベン・バーナンキFRB議長によれば、次の三つに集約できる。【1】将来の金融政策ないし短期金利についての予想をコントロールする、【2】特定の資産を大量に購入する、【3】中央銀行のバランスシートの規模を拡大する、の三つだ。 【量的緩和とは何か。実は日本が世界の先達、非伝統的な金融政策(東洋経済・2009/2/27)】
... Japan’s stock market and economy only rebounded after the banks were cleaned up, specifically after the disposal of bad debt was accelerated following the temporary nationalisation of a troubled major bank and the creation of the Industrial Revitalisation Corp. The Japanese government’s generous injections of capital into the banking system without stringent asset inspections and pork-barrel fiscal spending in the 1990s did nothing but provide temporary pain relief. 【Fiscal policy again? A rebuttal to Mr Krugman (小林慶一郎・2009/4/27)】
さて、授業本体についてだが、このコースは、毎回、いくつかのテーマについて、あらかじめ準備をしてきた生徒が報告をし、それをベースにクラス全体で議論をするといった形で進んでいく。いわゆる「ゼミナール」の形態である。ちなみに、今日のお題は以下の3つ。
  1. 2007年以降、アメリカでは具体的に何が起こったか?
  2. 金融危機の原因は何であったか?
  3. それに対して米国政府はどのような対応を取ったか?
金融に関する専門用語と、ここ数年のアメリカのマクロ経済動向が、ディスカッションの前提知識となっているので、その辺は、正直言って、ちょっとしんどい。まぁ、いい勉強の機会なので、これを機に、言葉も歴史も覚えようとは思っているのだが。

以下、本題からははずれるが、今日の授業で聞いたトリビアなお話。アメリカの国立公園が、今日あるNational Park Systemのかたちに再編・整備されたのは、1930年代、FDRの治世のことであるが、この一大事業は、いわゆるNew Dealの一環として、雇用創出を狙って行われたものであるらしい。確かに、Wikipediaを引くと、“Among many other measures in 1933, President Franklin D. Roosevelt instituted a broad program of natural resource conservation implemented in large part through the newly created Civilian Conservation Corps.”とある。Civilian Conservation Corpsとは、1930年代にアメリカで行われた、若年層向け失業対策のプログラムである。

New Dealが不況対策として、果たして有効であったかどうかについては、議論の余地の残るところであるが、一旦その話は脇に置き、何らかの財政出動は(少なくとも政治的には)必須だったと考えるならば、非常に賢いお金の使い方だったのではないだろうか。厳密に計算してみてどうなるのかは知らないが、直感的には、「将来世代」に対して、債務だけでなく、それを補って余りあるだけの便益を残した事業だったように思う。
my home, Washington, DC, Sep 21, 24:06

Monday, September 21, 2009

Reflections on a Year of Crisis

明日のIssues in Global Economic and Financial Securityのクラスのreading課題の中に、米英日の各中央銀行幹部が、最近行った講演の原稿が含まれていた。いずれも、金融危機を総括的に復習したいときに、非常に便利そうなレポートなので、自分用の記録として、リンクと(ごくごく荒い)summaryを載せておく。

  • Ben S. Bernanke: Reflections on a Year of Crisis (Kansas City連銀主催年次経済シンポジウム(2009.8.21)での講演)

    「リーマン危機」前夜から今年8月までに起こったこと、及び、それに対する政策当局の対応に関する総括と、今回の経済危機の発生要因についての考察。核となるメッセージは、"In particular, the experience has underscored that liquidity risk management is as essential as capital adequacy and credit and market risk management, particularly during times of intense financial stress."

  • Charles Bean, the Bank of England’s Deputy Governor: The Great Moderation, the Great Panic and the Great Contraction (the Annual Congress of the European Economic Association(2009.8.25)での講演)

    今回の経済危機が発生したメカニズムを解説。筆者曰く、心理学や行動経済学をわざわざ引っ張り出してこなくても、"much of what went wrong can be analysed using standard economic tools."だと。 長く続いた低金利と(apparently)低リスクが金融機関のleverage取引を活発化 → "off-balance sheet"取引と複雑な金融技術の多様の結果、各金融機関の実情が外から把握できない状態に → 一旦市場が減速し始めると、"enormous uncertainty about the extent of counterparty risk"が発生。

  • Masaaki Shirakawa: International policy response to financial crises (Kansas City連銀主催年次経済シンポジウム(2009.8.21)での講演)

    グローバル時代の危機に対応するため、より広範な各国政策担当者の協調が必要であると主張。具体的には、①マクロ経済のstabilityを保つための金融政策(monetary policy)、②金融市場の安定性を保つための規制・監督政策(properly regulate and supervise individual financial institutions)、③流動性の確保の3つの分野において、“pre-established harmony”(事前に準備された協調)が必要であると述べておられるが、中でも、③に力点を置いてらっしゃる点は、Bernankeとも共通しているように思う。
my room, Washington, DC, Sep 20, 24:22

Sunday, September 20, 2009

The other exit strategy

少し前になるが、JB Pressに、Economist誌の面白い翻訳記事が出ていたので、忘れないようにクリップしておく。

同記事は、「財政の微妙な舵取りは、中央銀行の職務よりもはるかに難しい」としつつも、「しかし政治家は、近代の金融政策の秘訣をもっと真似ることによって、財政政策の決定に対する信認獲得に向けて大きく前進できるはずだ」と述べた上で、その一つの方策として、「独立した予算監視機関」を設置することを提唱している。以下、引用:
そこで、(註:財政の信認を確立するための)もう1つのアプローチ、つまり独立した予算監視機関を置くことが重要になってくる。政治家は、税制と支出に関する決定を、選挙で選ばれていない専門家に委託しない(すべきではない)が、すべての国は、財政計画を評価する独立した専門機関を持つべきだろう。
法的権限がなくても、そのような組織は影響力を持つ。例えばCBOが発表した最新のコスト試算は、ここへきて米国の医療保険制度改革の議論の前提条件を変えた。

これらの機関は政治家が立てた計画を評価するだけではなく、複数の財政施策のシミュレーションを示すべきである。英国の保守党は、CBOモデルを真似しようとしている。


彼らは正しい。どの政治家も後からとやかく言われることを嫌うだろうが、実は、そのようなルールと制度がもたらす財政の信認は、財務大臣が手を打つ余地を広げることになる
アメリカのCBOについては、このblogでも、過去に何度か触れてきたが(たとえばこちら)、僕の個人的な意見としては、日本にも、やはりこういった機関があってしかるべきではないかと思う。
  
今般の政権に限らず、小泉政権時代から、予算編成の主導権を巡る議論・争いは、散々行われてきた。確かに、それは、この上なく重要な論点なのだが、一方で、誰が(実質的な)予算編成権を握ろうとも、客観的立場からそれを「チェックする」機関が必要、といった議論がもっと活発に行われてしかるべきなんじゃないかと思う。(その場合には、少なくともリサーチ・スタッフに関しては、既存官庁から職員を募るのではなく、霞が関・永田町の外部から、エコノミストを募るべきだと思うが。)

どんなに良い制度であっても、時代を超えて「完璧」であり続けることなんてあり得ない。森羅万象、、物事にはバランスと緊張関係が必要である。
my room, Washington, DC, Sep 20, 17:56

Wal-Mart Sustainability Index

DCに帰ってきた。NYでは(特に朝晩)、秋の気配が感じられたが、DCは、まだそこまでではない様子。今回は、かの有名なコロンビア大学さんにもお邪魔させていただく。猫の額ほどの芝生の上で、若者たちがひしめき合って日光浴に興じる姿が印象的。どう見ても、ちょっと無理がある。ふっ。勝ったな(←そこだけ勝ってどうする?)

今回のNY滞在中にとある人から聞いたお話。アメリカ、どころか世界最大のスーパーマーケットであるWal-Martが、自社の店舗で販売する商品のすべてに“Sustainability Index”なるラベルを貼付する計画を進めているらしく、目下、全supplierに、アンケートを送りつけて、回答待ち中なんだとか。googleで調べてみたら、確かに、今年7月に、それ関連の記事が出ていた。

記事曰く、この調査は、厳密には、Wal-Mart自身ではなく、sustainability consortiumという団体が実施する形になっている。同団体は、アーカンソー(←Wal-Martの地元)大とアリゾナ州立大が主催していて、Wal-Martも会員企業の一つ。Costco、Target、Krogerなどの他の大手retailerにも秋波を送っているらしい。

高々、一スーパーの動きと侮ること莫れ。実際、これまでにも、Wal-Martの仕入れ方針の変更が、めちゃめちゃ大きなインパクトを生み出した実績は何度かある(こちら)。中には、国が規制を変えるより、その影響はよっぽど大きかったんじゃないのと思われるものまで。今回のアンケートの提出期限は、来月一日とのことで、聞いたところでは、supplierさんたちは、目下、この件に相当頭を悩ませていらっしゃるらしい。そんなわけで、今週火曜日には、Wal-MartのSenior Director for Sustainabilityを招いてのwebinarなんてのも開催される(ちなみに、webinar = web上でのseminar。)。これでもし、そのSenior Director for Sustainability氏が出演料をもらっているのだとしたら、Wal-Mart、相当チャッカリしている。

アンケートの対象は、Wal-Martへの一次supplierだけだが、彼らが回答を作るために、当然、二次supplier、三次supplier…と、supply chainを遡っていろいろ聞いていくしかないわけで、そう考えると、この一件がアメリカの製造業に与えるインパクトは、相当のものになりそうな予感がある。個人的には、Wal-Martが配ったという「15の質問項目」とやらを非常に見てみたい。$99払って、webinarに参加すべきか否か。。。
my home, Washington, DC, Sep 19, 27:19

【補足】 Walmartの社長が、今年7月、この件に関して行ったスピーチのURLを送ってもらったので、載せておきます。曰く、

  • “As Step One, Walmart will ask all of its suppliers to answer 15 simple, but powerful questions on the sustainable practices of their companies.”
  • “as a second step that Walmart is helping to create a consortium of universities that will collaborate with suppliers, retailers, NGOs and government to develop a global database of information on the lifecycle of products…from raw materials to disposal.”
  • The third and ultimate step of the Index is to translate the information stored in the database into a simple tool that informs consumers about the sustainability of products.”
  • “We can’t do this without partners. This cannot and should not be a Walmart effort. It can’t be a U.S. effort. To succeed, the Index has to be global. It has to involve many stakeholders as vital partners.”

    とのこと。(下線はblog筆者) 【Sep 22, 22:49】

    Saturday, September 19, 2009

    USA.gov


    横江公美著 『アメリカのシンクタンク ―第五の権力の実相―』(ミネルヴァ書房・2008年)を読む。

    アメリカのシンクタンクについて、もう少し詳しく勉強してみたくなったので、Amazon.co.jpで検索して一番それらしい本を買ったのだが、半分アタリで、半分ハズレだった。「ハズレ」という言い方も著者に対して大変失礼だが、別に「面白くなかった」という意味ではなく、むしろ非常に興味深い内容ではあったのだが、買った時に予想していた内容からは少し「ハズレ」ていた、という意味で。
      
    「はしがき」に、本著は『アメリカの政治に関する情報環境の変化を整理し、ついで、政治情報が増加している様態を、シンクタンクの新しい役割の観点から分析しようとする』ものだとある。実際、本著の前半部分は、「電子政府」による情報急増と、それを受けたマス・メディアの在り方の変化の説明に充てられている。この部分、予想外ではあったのだが、読んでみると非常に面白い。とういわけで、今日は、まず前半部分についての感想を書きたい。次回のエントリーでは、シンクタンクそのものに焦点が当てられる後半部分について書こうと思う。
      
    この部分では、アメリカの「電子政府」が、政策関連情報のデータベースとして、如何に進んでいるかが述べられている。たとえば、「日本の電子政府は、発表情報を提供しているに過ぎず、アメリカの電子政府は、発表情報に加えて、政策過程で生じる公文書まで公開していることが両者の際立った違いになっている」(p.2)とか、「アメリカの電子政府では、電子情報自由法(1996年改訂)にもとづいて、頻繁に情報公開の請求を受ける公文書を、「電子政府」で公開している」(p.20)とか。同法は、「連邦政府内の各機関のサイトには、「電子閲覧室(Electronic Reading Rooms)」とうページを設け、各部門の年次活動報告などの基本情報や、頻繁に公開請求があった公文書を掲載することを義務付けている」らしく、見てみると、確かに、EPAならこちら、DOEならこちら、といった具合にそれらしきページが設置されている。

    国立公文書記録管理局(NARA: National Archives & Record Administration)が運営するArchives.govは、「省庁の情報を縦横無尽に検索する」ので、ここのデータベースで検索すれば、「他の(省庁の)サイトにアクセスする必要がない」(p.39)んだそうで、このサイトからは、「1845年に江戸幕府がペリーと結んだ日米和親条約の原文も検索できる」んだとか。確かに、ありました。また、電子政府の総合窓口にあたるUSA.gov(旧称:Firstgov.gov)は、2000年の開設以来、継続的に改善が加えられており、非常に使い勝手のいいportal siteに仕上がっているといったことも書かれてあった(p.53)。

    このように、アメリカで「電子政府」が目覚ましく発展してきた理由として、著者は、
    • インターネットの開発以前から、もともと政府情報の開示への取組が早かった。(1966年に「情報自由法」(政策過程の公文書を公開することを定める)を制定。ちなみに、日本で情報公開法が制定されたのは1999年。)(p.21)
    • そもそも、インターネットを国策として開発した国であり、したがって、「電子政府」への取組も非常に早かった。(1993年にはクリントン政権が「電子政府」の構築に着手。当時、インターネットはまだ一般的には普及していなかった。)(p.19)
    • 2000年の大統領選以降、インターネットを使った選挙活動が本格化。以降、通常の政治にもインターネットが本格的に活用されるようになった。(p.53)
    などの点を挙げている。

    実際、公共政策を学んでいる日本人学生の間でも、アメリカの政府系データベースの使いやすさには大変定評がある。公開されている情報の「量」と、それらを探し当てる検索機能の「質」の両面において。恥ずかしながら、僕はその恩恵を被った経験がまだそんなにないのだが、少ない機会ながら、Energy Information Administrion のサイトや、CIAのThe World Factbookを使った際には、その情報量の多さと調べやすさに、確かに舌を巻いた。
      
    この分野に関して言えば、「情報公開を進めよう」という意志と、「どのようにデータベースを構築するか」という技術の両面で、日本政府は、アメリカ政府に大きく水をあけられているように思う。本著の著者も述べている通り、このissueに取り組んできた歴史の長さの違いが、それだけの差が付いている一番の原因だとは思うが、じゃぁ、日本がいま、必死に追いつこうとしているかと言うとそういうわけでもなく、このままでは、今後も差は縮まらないばかりか、むしろ開いていくんじゃないかと思う。
      
    ともあれ、アメリカでは、インターネットの敷衍とともに登場した「電子政府」のおかげで、従来とは比べ物にならない量の政策関連情報に、誰もが容易にアクセスできるようになった。流通業界では、インターネットの登場により、まずは、仲介業者の役割が減少する「ディスインターメディエーション(disintermediation。いわゆる「中抜き」)」が起こったが、変化はそれだけに止まらず、「散在する小売店や中小企業などの情報を収集し、検索しやすいデータベースにして提供」する「リインターメディエーション(reintermediation。ebayや楽天がその代表例)」現象を生むに至った。著者は、「電子政府」の発展に伴う政策情報の急増 → シンクタンクの存在感拡大という、90年代後半に見られた一連の動きも「リインターメディエーション」の一形態として理解することが可能だという。つまり、入手可能な政策関連情報が急増した結果、マス・メディアのために、それらの情報を「整理し再編集する情報プロセッサーが必要」になり、「この新たな役割をシンクタンクが担うようになったのだ」と。
          
    というわけで、次回は、アメリカのシンクタンクそのものについて書かれた後半部分の感想を書きたい。
    Seventh Ave. 30th St, Manhattan, NYC, Sep 19, 18:42

    Friday, September 18, 2009

    Breakfast Meeting

    DCにいる間に、できるだけDCらしいことをしておかないと…というわけで、今朝は頑張って早起きして、とある環境コンサルタントの主催するBreakfast Meetingなるものに出席してきた。8:00から約一時間。会場に着くと、コーヒーのほか、ヨーグルト、ブレッド、フルーツ、カリカリベーコンetc.が無料で用意されている。一人、無闇にうれしがる。

    今日のお題はU.S. GHG Regulation Fall Updateとのこと。同社の重役さん達がプレゼンするのを、みんなしてコーヒーをすすりながら拝聴する。事前登録制(誰でも登録可)のaudienceは、40名程度。たまたま僕の隣に座ったお姉さんは、Du Pont社の方で、同社のclimate change戦略を考える部署で働いておられるとのこと。おそらくは、そういった企業の環境部署の方と、政策系の仕事(議員事務所、政策系シンクタンクetc.)をしておられる方が多かったのではないかと思う。あくまで、勝手な推測であるが。

    プレゼンは、Waxman-Markey法案、Regional Carbon Market Initiatives(RGGIなど)、post-Kyotoなどに触れた上で、それら制度面の変化が、技術(technology)と市場(market)にどのような影響を与えるかの予測を語る、といった感じ。特に目新しい話はなかったのだが、Waxman-Markey法案については、事情通然とした重役さんが、「近い将来に成立するだろうが、年内の成立は微妙」との見立てを示しておられた。へー。そうなんだ。

    当然ながら、lectureの前と後には、猛烈な名刺配り合い大会が展開される。僕は、その隣の席のDu Pontの方と名刺交換をしたくらいで、後はおとなしくベーコンをかじっていたのだが、多くの参加者にとっての本当の目的は、むしろこっちの方にあるのかも知れない。朝っぱらから会場を設営し、朝ごはんまで配ってみせる、このコンサル会社の本当の目的がこの点(=人脈形成)にあるのは、言わずもがなであろう。

    ちなみにこのコンサル会社、設立40年の老舗で、エネルギーと環境の分野に特化して仕事をされているらしい。具体的には、電力・エネルギー市場分析・予測、気候変動対策支援(企業向け)、送電網(transmission)分析、エネルギー関連資産のdue diligence…など。

    ともあれ、こういう機会に触れられるのはDCならでは。雪国に戻る前に、できるだけたくさん経験しておこうと思う。
    E 30th St., Manhattan, NYC, Sep 17, 26:30

    meeting again in NYC

    インターン後、バスに飛び乗り、NYへ。明日の飛行機で日本に帰る母と、しばしの時間を過ごす。先週金曜日にDCに着いてからちょうど一週間。ボストン、NY、ナイアガラと飛び回り、少々お疲れの様子ではあったが、逆に言えば、それだけ遊び尽くしていただけたということか。

    やはり、こちらの料理には閉口されたようであったが、行く先々で、そんなに堪能ではない英語ながら、現地の人たちとも積極果敢にコミュニケーションを図り、この一週間、立派にsurviveされてきたようで、我が母ながら、逞しい人だなぁと思う。ともあれ、(何ら特別なことをして差し上げたわけではないが、)いちおう、それなりに喜んでももらえたし、珍しく、親孝行らしきことができたみたいで、なんかよくわからないけれど、とりあえず、良かったんじゃないかと思う。

    それにしても、DCからNYに出てくると、雰囲気の違いに圧倒される。だいたい、街行く「若いカップル」なんてものを久しぶりに見た気がする。NYもたいがいだが、DCも(全く違う意味で)たいがいなところだ(笑)
    E 30th St., Manhattan, NYC, Sep 17, 25:30

    Wednesday, September 16, 2009

    Follow up, from right to left

    最近のエントリーのフォローアップを二つ。

    土曜日のエントリーで触れた、ワシントン市内での右派集会の件について、田中宇氏が9/16付の記事で書いている。曰く、「この集会(912DC)の規模について、ニューヨークタイムスは「数万人」と報じ、この日オバマ大統領が訪問したミネソタ州でオバマ支持のために集まった人々の数と同規模だと報じた。半面、主催者や参加者は、100万から200万人が参加したと述べており、参加者の規模に大きな開きがある。警察は、参加者の数を発表していない。集会参加者が撮影したいくつものYouTube動画などを見ると、どうみても「数千」や「数万」の規模ではなく、少なくとも数十万人は集まっている感じだ。 」とのこと。ちなみに、NYTの原文には、“The demonstrators numbered well into the tens of thousands”とある。

    当日、集会の近くに居合わせた者の印象を言わせてもらうと、「100万人」という数字はあまりにも大きすぎると思うが、確かに相当の人数であったのは確かで、10万人以上の規模だったのかも知れない。このあたりのニュース、日本でどのくらい報じられているのかはわからないが、health care法案をきっかけに、米国内の左右両派の対立が先鋭化しており、とりわけ、右派が勢いづいているのは、紛れもない事実のようだ。

    一方、日曜日のエントリーで書いた、中国産タイヤに対する追加的関税措置の件に関して、ことの経緯がきれいにまとめられているweb記事を見つけたのでリンクしておく。日曜日のMSJエントリーからの追加情報(一部、修正情報)としては、
    • コトの発端は、United Steel Workers(全米鉄鋼労組)による、ITC(米国国際貿易委員会)への提訴。
    • ITCは追加的関税措置を認めるとの勧告を今年6月に発表。その勧告に対する大統領の最終判断の期限が、今月17日に迫っていた。ちなみに、ITCは、(子)Bush政権下でも、通算4度のsafeguard発令勧告を行ってきたが、いずれも大統領により、退けられている。
    • 今回の措置に、米産業界の全体が賛成しているわけではなく、タイヤメーカーの中にさえ、明確に反対を表明している会社がある。(これらの会社は中国にも工場を持っている)
    • 中国側からの提訴を受け、両国は、WTOの規定に基づく60日間の二国間交渉に入る。そこで妥結に至らなかった場合、中国は、WTOに対し、紛争処理委員会(dispute panel)の開催を求めることができる。
    といった感じ。

    今夜のInternational Trade and Economic Negotiationのクラスでは、「貿易問題を考える際には、3つのスタンスがある。1. Lawyer、2. Economist、3. Political Scientist(又はPolitician)」とのお話があった。Lawyerが一番気にするのは、憲法に依拠したproperty rightの観点、Economistが気にするのはefficiencyの問題、Political Scientistが気にするのは、当然ながら、practicalな政治の情勢である。今回のタイヤ問題をこの整理に照らして考えてみると、1. 2.のスタンス(特に2.のスタンス)からは到底好ましいとは言えないが、3.に引っ張られて発動に至ったような感がある。今日のエントリーの前半でも触れた保守派の隆盛に対抗し、Health Care法案を通すためには、ここで労組の支持を引き留めておく必要があるとの、まさしく、「政治的」な判断なのだろう。
    my room, Washington, DC, Sep 16, 22:17

    Saying Germany in 1920's

    伊藤嘉啓とおっしゃる大阪府立大の名誉教授(比較文学)の書かれた『石原莞爾のヨーロッパ体験』という本を読んでみた。1923年~25年の二年半、ベルリン留学中であった石原莞爾が、東京の妻に宛てて送り続けた手紙の数々を読み解きながら、当時の石原の考えと、人となりとを読み明かしていこうという試みの本。留学生の心掛けの在り方として、何か参考になることが書いてあるかと思って読んでみたのだが、結論から言うと、それほど面白い本ではなかった。

    僕自身、石原莞爾なる人物を、それほどよく知っているわけではない。昔読んだ司馬遼太郎か誰かの小説で少しだけ触れられていたのを通して、断片的にその経歴を知っているくらいのものである。ただ、― やったことの善悪は別にして ― 類稀なる構想家というイメージが僕の中にはあった。また、彼のその一大構想が、ドイツ留学中に練られたものだったという話をどこかで聞いたことがあったので、留学中、彼がどんなことを考え、どんな風に構想を練り上げていたのかを知りたいと思い、この本を読んでみた、というわけだ。
      
    しかし、本著の紙幅の大半は、石原の人間性を現すエビソード(的な手紙)の紹介に割かれていて、肝心の本業(=戦史研究)の部分については、それほど深く、掘り下げられていない。また、筆者は石原という人物が相当お気に召していらっしゃるらしく、あまり客観的とは言えない石原贔屓の解説を、しばしば付してらっしゃるのもいただけなかった。

    石原本人も、この本で書かれているところによれば、僕の思っていた以上に、日蓮宗に傾倒しており、また、(日蓮思想とも無縁ではないようであるが)欧米、特に米国との戦争を、戦略的にというよりは、なかば運命論的に、予想・確信していたようである。伊藤氏は、「石原は強い信仰心を有していたが、戦略自体は、科学的・合理的に研究・立案していた」といった趣旨のことを、本著のどこかで書いておられたが、合理的な研究・立案の部分があまり詳しく書かれていなかったのが残念。
    my room, Washington, Sep 15, 25:34

    “I'm sold.”

    留学生活が始まって、今日でちょうど14か月目。おかげさまで、一語一語の単語の音は、だいたい聞き取れるようになってきたが、その意味を(文章として)即座に理解できているかとういと、まだまだ怪しいときがある。特に、nativeどうしの会話となると、厳しい時は相当に厳しい。

    何が話されているのか、背景知識をあらかじめ持っているときは、比較的すんなり聴けるのだが、予備知識なしで、ぽこっとnativeの会話に飛び込んだりすると非常に厳しい。意味の取れなかった部分を補うべく、話の前後からの類推を必死に試みるのだが、この「類推」という作業がなかなかの曲者で、それをするときに、ついつい日本語脳の方のスイッチをonにしてしまう。これをやっているうちは、nativeのスピードには、とてもじゃないがついていけない。「類推」も、英語の頭のママでやってしまわないと。

    もちろん、nativeの会話に頻出する、「口語的な言い回し」とやらにも引き続き苦しめられている。今日、「へー、そんな風に言うんだぁ」と思ったのは、インターン先での会議の中で飛び出した“I’m totally sold.”という言い回し。“sell”には、「~を良いと思いこませる」「~を強く勧める」といった意味があり、その受身形で 「納得したよ」の意味。一瞬、「ふむ?」と考えて、「たぶんこんな意味だろう」と類推できたものの、そんなことをやっている間(時間にすれば1秒、2秒かも知れないが)にも、会話はどんどん進んでいく。この手の慣用句は、それこそ何度も何度も耳にして、単語レベルに分解しなくても、句全体としてそのまま意味をとれるくらいになってしまうしかないのだろう。道はまだまだ長そうだけど。
    my room, Washington, D.C., Sep 15, 24:01

    Monday, September 14, 2009

    Issues in Global Economic and Financial Security

    今学期、二つ目の授業が開講。講義のタイトルは“Issues in Global Economic and Financial Security”で、シラバスによると“The course will discuss global economic and financial security issues through the prism of the current global crisis, the worst since the Great Depression” とのこと。「リーマンショック」からちょうど一周年を迎える今日、この講義の開講日としては、打って付けの日と言えるかもしれない。
      
    講師は、IIF(The Institute of International Finance)のAsia/Pacific Departmentで、現職のDeputy Directorを勤めておられるおじさん。南アジアのご出身と見え、ほのかなインド訛りが時折り混ざるが、総じて言えば英語は非常に流暢で、アメリカ人のそれよりもむしろ聞きやすいんじゃないかと思うくらい。今日は、これから一学期間の授業のframeworkを整理するということで、マクロ経済学の基礎をざっくり総ざらいしてくださったのだが、生徒(僕を含めて全部で10人)の経済学知識レベルが総じて高いこともあり、授業は非常にテンポよく流れていく。退屈に思う暇もなく、3時間があっという間に過ぎ去った感じであった。授業中のディスカッションをより深く味わうためには、いちいち立ち止まって考えなくても、事象Aと事象Bの因果関係が即座に思い浮かべられるよう(それももちろん英語で)、マクロ経済の基礎を少しく復習しておく方がいいかなとも思った。
      
    先生曰く、いかなる国の経済情勢について考える場合であっても、その国における以下の4要件がどのようなっているかを、常に意識しなければいけないとのこと。
    1. Macro Stability
    2. Growth Enhancing Structural Reforms
    3. Politics and Institution
    4. Global Setting
    つまりは、これら4つの要件によって、一国の経済の基礎状況が規定されるとうことなのであろう。次週とその次の週で、まずは、今回のfinancial crisisの震源地であるアメリカの状況について見ていくとのことである。
    my room, Washington, D.C., Sep 14, 23:07

    Sunday, September 13, 2009

    Tariffs on Chinese Tires

    解せん。解せませぬ。

    「オバマ米大統領は11日、中国製タイヤの輸入制限措置として上乗せ関税を発表した。(中略)ホワイトハウスによると、今後1年間乗用車およびライトトラック用中国製タイヤに対し、現行の4%に35%の関税が上乗せされる。実施は9月26日から。上乗せ幅は2年目は30%、3年目には25%となる。」とのこと(by 日本語版ロイター)。 当然のことながら、中国は反発を強めており「中国商務省の報道官は、同省のウェブサイトで「中国は米国による重大な貿易保護主義を非難する」と反論。「今回の措置は世界貿易機関(WTO)のルールに違反するばかりでなく、20カ国・地域(G20)首脳会議で米政府が明らかにした方針とも相容れない」と批判している。」との由(by 同記事)。そりゃそうなりますわな。更に、中国が、アメリカからの自動車及び鶏肉の輸入に対して追加的関税を課す準備がある、なんて報道もある。(by NYT
      
    日頃、それほど熱心にニュースを見ている方ではないが、とはいえ、中国からのタイヤ輸入がアメリカで大きな政治問題になっているなんて話、つい最近まで、全くと言っていいほど聞いたことがなかった(USITC(米国国際貿易委員会)からの勧告自体は、今年一月に出ていたようであるが)。そもそも、アメリカにおけるタイヤ産業がそれほど大きな雇用主になっているなんて話も、ほとんど聞いたことがない。

    にもかかわらず、中国側からの反発が確実に予想される中、このタイミングで関税上乗せに踏み切るというのは、いったいどういう政治判断だったのだろうか。この論者によれば、背後にUSW(United Steelworkers Union)がいるのではないか、とのことだが…。
      
    Obamaと胡錦濤は、今月24・25日にPittsburghで開催されるG20で会合するほか、11月にはObamaの訪中も控えている。こういった微妙な政治日程の中、この案件、いったいどういった方向に進んでいくのだろうか。。
    my room, Washington, D.C., Sep 13, 22:55

    Saturday, September 12, 2009

    “Don’t Tread on Me.”

    40年来の友人と連れだって、大阪より、母来る。今日は一日、母とその友人さんと御一緒に、ワシントンの街を観光してきた。

    女三人寄ればかしましい――否、関西のおばさまが寄り合えば、二人でも十分かしましい(笑) 相当程度予想してはいたものの、お二人のエネルギーには終始、圧倒されっぱなし。ともあれ、出国以来、一年と二か月ぶりに母にも会え、非常に楽しい一日であった。
      
    お二人は、昨日のお昼前にワシントンに到着し、メジャーどころは、既に昨日のツアーで観光済みとのことだったので、今日は、お二人がまだ回っていない、ややマイナーな観光地(National Cathedral、Georgetown、Washington Monument、それにあと、拙宅)を見て回った。還暦間近(というと怒られるかもしれないが…)のお二人だが、歩き疲れることもなく、存分に楽しんでいただけた様子で、息子としても非常にうれしい。明日朝一の便でボストンに飛び、その後は、ボストン、NYC、ナイアガラと観光して、来週金曜日にNYCから日本に向けて御帰国の予定。NYCにて、もう一度、アテンドさせていただくつもりである。
      
    ちなみに今日のWashington市内では、Health Care法案の反対派による大規模な集会が開かれていた。NYTによると、一万人以上が参加していたんだとか。とぐろを巻いた蛇の絵の下に“Don't Tread on Me.”と書かれた、見慣れない黄色い旗を持っている人が多かったのだが、Wikipediaによると、これは、Gadsden flagと呼ばれる旗で、「星条旗が国旗として制定される以前に用いられていた、アメリカ合衆国の最初の国旗の一つ」であり、「独立戦争以降は、愛国心の象徴として、また、時の政府に対する不信の象徴として、用いられてきた」んだとか。
       
    Obamaを“socialist”と呼ぶ彼らの政治マインドは、「国民皆保険」の国で生まれ育ってきた我々には、にわかに理解しづらいものである。この国は、一部の日本人が信じているほど、こちこちの「新自由主義」の国ではないが、この国の一部に、日本人の想像を絶する生粋の右派libertarianが生息しているのは、紛れもない事実のようである。
    my room, Washington, D.C., Sep 12, 24:20

    Friday, September 11, 2009

    France's Sarkozy urges carbon tax

    Mankiwもblogで取り上げていたが、サルコジさんが、「炭素税、導入しよっかなぁ」と言い始めたらしい。以下、9月3日のThe Postより抜粋。

    記事曰く、「仏サルコジ大統領が、家庭及び事業者からの二酸化炭素の排出に税をかけたいと発表した」が、「多くの人から疑いの目を持って見られている」とのこと。導入当初は、排出権の市場価格と同じ水準(現在、€17($24.74)/t-CO2)で始め、以後、段階的に税率を上げていく。炭素税から得られる税収 € 3 billion(導入時の税率にての仏政府見込み)については、他の税の減税及び還付を通してその全額を家計及び事業者に返還。課税対象は、ガソリン、ディーゼル燃料、石炭及び天然ガスで、その大半が原子力発電によって賄われている電気には、課税しない。(注: ちなみに、仏日米の原子力発電依存度は、それぞれ、およそ8割、3割、2割。) ガソリンを例にとると、税率は、リッターあたり4 ユーロセント(= 5.28円)。雑誌Paris-Matchの世論調査によると、賛成34%、反対65%とのこと。
      
    記事では特に触れられていないが、EU-ETSとの関係はどうなるのだろうか。直観的には「二重課税」に当たりそうな気がするのだが、その点、どう整理するおつもりなのか(というか、そもそも整理するつもりがあるのかどうか)はわからない。
      
    ところで、聞くところによると、税とcap-and-tradeのどちらが優れているかと言えば、「税の方がいい。ただ、新たな税を導入することのpoliticalな意味での難しさを考えればsecond bestとしてのcap-and-tradeもあり。その場合、できるだけ排出権の全量をオークションで販売すべし」というのが、アメリカのエコノミストの間での一応のコンセンサス(らしい)。
      
    これはつまり、排出権のallocationに政府が関与することによって発生する非効率(厚生損失)のことを問題にしているわけだろう。ただ、実際には、cap-and-tradeだと政策ターゲットである「排出量」を直接管理できるのに対し、税だと社会全体のelasticityを推測した上で税率を決めないといけないといったことがあったり、逆に、税だと税率が決まっているので私企業が炭素コストを織り込みやすいのに対し、cap-and-tradeだと排出権価格が変動するので操業計画を立てにくい、といったことがあったりするなど、ミクロ経済学のグラフには現れにくいメリット/デメリットもいろいろある。
      
    この点に関し、「国際炭素税」(?)推奨派のNorhaus先生は、“A Question of Balance”の中で、税によるアプローチ(price approach)の方がcap-and-trade(quantity approach)より優れている理由として、以下の6点を挙げておられる。
    1. ベースラインについての議論をする必要がない。
    2. コストの方がベネフィットに比べてより非線形的であれば、税の方が有効。vice versa。 → GHGの排出削減について言えば、税の方が有効。
    3. quantity approachの下での排出権価格は、その性質上、安定性を欠きやすい。
    4. 税の場合、税収を還元することで、課税導入によって生じる死荷重を解消することができる。
    5. 排出権のallocationに絡む公平性の問題が生じない。
    6. 政府がallocationを差配するquantity approachは、より、coruptionの温床になりやすい。

    ちなみに、ここアメリカでのcap-and-trade法案(American Clean Energy and Security Act 2009)の上院審議は、とりあえず、医療保険法案の形がつくまで、一旦保留、ということのようで。

    my room, Washington, D.C., Sep 11, 22:24

    Fall has come.

    最近、突如、秋めいてきたワシントン。街ゆく人の中には薄手のコートを羽織って歩く人もちらほら。こちとら、北の果てから来ておりますので、寒の備えは十分過ぎるほど十分であります…と高をくくっていたのだが、ワードローブを見渡して見て、はたと考える。あれ、都会で着れそうなまともな冬服、一着もなくね??
       
    秋インターン、一週目終了。今のところ、比較的落ち着いている。否、「絶対的に」と言うべきか。
       
    お世話になっている組織のカルチャーというよりは、この国自体のカルチャーによるところが大きいんじゃないかと思うのだが、とにかく自由放任主義。まぁ夏のインターンでも、それなりに放置プレイは食らっていたが、あちらでは、なんというか、他の人の手が回らなくて結果的に放置されていた傾向が強かったのに対して、こちらでは、単に僕が放置されているということではなく、そもそも、組織全体がそういうやり方で回っている、といった印象。もちろん、日本のような大部屋ではなく、「キュービクル」と呼ばれる、二畳ほどの半個室に各人が納まるスタイル。周りから干渉されることのない至ってパーソナルな空間で、住み心地はきわめて快適なのだが、ちょっと静かすぎてたまに寂しい気もする。それぞれ、一長一短あるのだろうが、ともあれ、このあたりの事情は、日米で真逆といっていいほど違う。
     
    こういう環境で新人クン・新人サンたちは、どんな風に教育されるんだろうか…なんて考えてみたりもするのだが、おそらく、「新人」が習得することを期待されているスキルからして、日本とアメリカでは全然違うんだろうし、また、終身雇用を前提としないこの国では、「新人教育」なる発想自体があまり強くないのかも知れない。どっちがいいかと言われれば…この点については僕は正直、ビミョーです。日本の社会人一年生が経験する、「雑巾がけ」的御奉公も、自分に関して言えば、あれはあれで、非常に意味があったと、本気でそう思うので。若いうちの苦労は買ってでもするべき!! とまでは言いませんが…。(あ、やっぱり、言いたい。)
      
    「最初は無理のないように」との、ご好意からであることは疑うべくもないのだが、正直、ちょっと暇を持て余しているところもあるので、来週以降、ここでの泳ぎ方をいろいろ探ってみようと思う。せっかくなので、自分の所属する部署だけでなく、いろんなところも覗いてみたい。
    my room, Washington, D.C., Sep 11, 20:24

    It's a good question.

    今日、ひとつ思ったことがある。まぁ大したことではないのだが、忘れないうちにということで、連続投稿。
       
    何か質問をされたとき、アメリカ人はよく“It's a good question.”とか、“That's a good point.”と、のたまう。これらの表現が“It's a very difficult point to answer”と同義であるというのは有名なお話。もっと直接的に、“That's a complicated issue.”とか“It is controversial.”と言っているのも、よく耳にする。good question/good point系の返答も合わせてカウントするならば、質問を受けたアメリカ人が、「うん、それって難しいんだよね」と答えてしまう確率は、何気に結構、高い気がする。日本人だと、ここまであっさりとは「難しさ」を認めてしまわないのではないだろうか。
       
    ただ、アメリカ人のエラいところは、一旦「難しい」と断った上で、結局、なんやかんやと語ってみるところ。「難しい。はい、おしまい」と言って話を切り上げるアメリカ人には、未だかつてお目にかかったことはない気がする。
      
    一旦「難しい」と認めているわけだから、その後の「自論」は、逆に伸び伸びと展開できるのかも知れない。この点、日本人は、「難しい」とは言わずに、どうにかこうにか切り抜けようとするので(実際、「難しい」と言ってしまうとその時点で「負け」みたいな空気が流れる。――と思っているのは僕だけかしら??)、無理な理屈を重ねる結果となり、ときに、かえって建設的な議論が阻害されてしまう。

    世の中、シロクロつかないことだって多いのだから、アメリカ人を見習って、難しいときは「難しい」と正直に認めることも、ひとつの見識かも知れない、と思ってみた夜だった。

    ほら、大したことなかったでしょ。
    my room, Washington, D.C., Sep 10, 24:43

    Thursday, September 10, 2009

    Risk Communications

    夕方、こちらのシンクタンクで働かれている日本人の方が主催してくださった、日本人向けの勉強会に参加する。スピーカーは、長年、FEMA(連邦危機管理庁)に勤めておられた、危機管理の専門家の方(←数年前にリタイア)。2001年、同時多発テロの直後に米東海岸各地で起こった炭疽菌事件を例に、災害時における「リスク・コミュニケーション」のあり方についてお話をしてくださった。
      
    危機管理の現場を取り仕切っておられた方だけに、そのお話は非常に分かりやすく、説得力がある。細かい中身は端折るが、結論として、同事件からの教訓は、
    1. Don't be too quick to over-reassure people.
    2. Be honest with the public about risks.
    3. Communication must flow in both directions.
    4. Problems with risk communication means problems with response.
    5. Information must move as quickly as possible.
    6. Information must be shared across jursidictions.
    7. Disaster plans must include public relations/media relations.
    の7点とのこと。特に、7つ目のポイント(=メディアへの対応)の重要さを強調しておられたように思う。
      
    不正確な情報や危機を煽る情報が、メディアで大々的に報じられると、社会全体に無用の混乱を招く結果となるが、正しい情報が報じられている限り、メディアという存在には、危機の拡散を防ぐ上で非常に大きな役割を担ってもらうことができる。情報の出し手(=国・地方の政府)も、その点を十分に弁え、忙しいからと言って、ただ単に紙を撒いて対応を済ませるのではなく、メディアとの窓口となる人を置き、きちんとした対応をすべきだ、というのがスピーカー氏のご意見。政府が、メディア・国民からの「信用」を失ってしまうと、危機対応上の致命傷になりかねない、最終的には、担当官の“personal credivility”に懸かっている――とのお話であった。
      
    よく言われることだが、アメリカに比べ、日本での「メディア教育」は非常にお粗末で、まともな「メディア教育」なんて、ただの一度も受けたことがないという人が多いのではないだろうか(僕もその一人)。そんなところからくる「相互不理解」が、(危機対応時に限らず平時も含め、)報じる側と報じられる側の、比較的不幸な関係を招いてしまっているような気がする。我ながら(そして、いつもながら)、単細胞過ぎる気がしないでもないが、来学期、Syracuseに戻ったらPublic Relations関係の授業を一つとってみるのも悪くないかなという気もしてきた。
      
    勉強会後、参加者数名で近くのアジア料理屋に向かう。初対面の方も多かったが、年齢的には、皆さんほぼ同じくらいで(と先方から思われていなかったとしたら辛い…汗)、気兼ねなく日本語トークで盛り上がった。そういえば、関西弁じゃない日本語でしゃべるのって、かなり久しぶりのような気がする。うぅ、この言語、なんか話しづらいぞ。。。
    my room, Washington, D.C., Sep 10, 24:04

    International Trade and Economic Negotiation

    インターン終了後、初日の授業に向かう(昨日はオリエンテーションだけだったので、本格的な授業は今日が最初。)。6時から始まる、International Trade and Economic Negotiationという授業に出席。
       
    講師は、自分で法律事務所を持っているという法律家のおじさん(というか、おじいちゃんに近い)。かつては、USTRに在籍したり、逆に、米中貿易交渉の中国側法律顧問を務めたりしたこともある、その道のツワモノ(らしい)。ジョンズ・ホプキンスのほか、ジョージタウン、ジョージ・メイソンなど、DC近郊の名立たる大学で教鞭をとった御経験もおありなんだとか。そんな御仁の講義を、生徒数9名のクラスで受けられるというのは、何気に有難いことなのかも知れない。
      
    講義の内容はというと、至ってpractical。これから4か月かけて、国際貿易にまつわる諸々の事項 ― 具体的には、International Trade Negotiation (Multi/Bi), Foreign Market Development, International Administration Law, Customs, Commodities, Legistlation, Judical Review, Export Controls, Trade of services ― を話していく、というもの。
      
    まとまった時間のある留学期間中だからこそ、もうちょっとacademicに走った授業を取っても良かったかなぁ…という気がしないでもないが、Washingtonに来ると決めた時点で、授業内容がpracticalに走るのは目に見えていたこと。当時は、むしろその方がいいと意識的に判断してこっちを選んだんだから、今更ブレはすまい。「貿易」というのも、非常に重要なドメインながら、これまでまともに体系だてて勉強したことのなかった分野。幸か不幸か、留学生は自分だけという若干、タフな環境ではあるが、来週以降も、ぼちぼち、頑張っていこうと思う。

    愛想もそっけもないエントリーだが、今日のところはこの辺で。09/09/09の日でした。
    my room, Washington, D.C., Sep 9, 25:35

    Tuesday, September 8, 2009

    the real reason I couldn't fit in

    秋インターンと秋の授業が同時に始まった。長かった夏休みも明け、留学二年目のシーズンが本格的に始まった感じ。
      
    インターンの方は、今日のところは、PCのセッティングや、入館章の申請手続きなど、house-keeping的なお仕事が中心。今後4ヶ月のインターン期間中、具体的に何を担当させてもらうかは、明日以降、ボスさんと相談することに。周りはアメリカ人ばかりなので、当たり前だが、皆さん英語がめちゃくちゃキレイ。夏のインターン先とは比べ物にならない。ここで4ヶ月間暮らしたら、僕の英語もさぞかし上達するだろうなと、勝手な期待を抱きつつ、インターン初日を終えた(←でも何気にマジで期待している)。
       
    インターン先を少し早目に抜けさせてもらい、大学のオリエンテーション会場に直行する。約4か月ぶりに会うInternational Relationsコースの同級生たちと話してみてわかったことは、僕が彼らの輪の中にイマイチ溶け込めなかった原因は、英語の問題も去ることながら、連中との年の開きが一番の要因だったということ。圧倒的な英語力不足から来る自己不信のあまり、ついつい連中のペースに取り込まれがちだった当時は、あれもこれもが混然一体となって自分の力不足のせいに思われ、事あるごとに自分を責めていたものだが(と文字で書くほど本格的に凹んでいたわけでもないが)、曲がりなりにも一応は聞いたり喋ったりできるようになった今、改めて連中と対峙してみると、「若すぎて、よぅついていけまへん(というか、ついてかんでいいし)」というのが素直な感想。我ながら、気づくのが遅すぎた気がしないでもないが、自信のなさは、それだけ、心の眼鏡を曇らせるということなのかも知れない(とまとめておく)。
      
    その点、MPAとIRのdual degreeの面々は、皆、それなりに落ち着いていて、特に頑張ってテンションを上げなくても普通に会話が続くのでありがたい。まぁ、今更ムリやり頑張って、友達増やそうなんてタイミングでもないので、秋学期は、dualの仲間とまったりやりながら過ごしていくのも悪いくはないかという気がしている。
    my room, Washington, D.C., Sep 8, 22:18

    Monday, September 7, 2009

    One of the toughest jobs in Washington

    なんとなく気が向いて(というわけでもないのだが)、一年前の秋学期の授業で使った“Environmental Policy -New Directions for the Twenty-First Century-”という本を引っ張り出して、その中のUS-EPAに関する章を読んでみた。

    曰く、EPA長官というのは、“One of the toughest jobs in Washington”なんだとか。なんとなれば、EPAの任務である環境基準の設定に当たっては、「強力な政治的圧力」、「互いに食い違い、複雑怪奇な様相を呈する法的要求」、「論争を呼ぶデータ解釈」、そして、「(法によってEPAに)委託された権限」に、同時に苛まれてしまうから、というのがその理由らしい。Bush Jr.時代に行われた大気の水銀基準と、水のヒ素基準の設定を巡るケースを紹介しながら、純粋な「科学」だけに立脚して政策決定することを許されず、政治(その筆頭はWhite House)との「バランス」の中でしか政策決定を下すことができないEPAの姿が描かれている。(そういえば去年の9月にはこんな記事も書いていた。)
     
    まぁ確かに、それはそれで大変なんだろうということはよくわかるが、民主主義というのは、そもそもそういうものなわけであって、それを是とする以上、民主的に選ばれた政治家の決断は、「科学」よりもエラいと割り切るしかない。その点、役所どうしの足の引っ張り合いで疲弊するのよりは、「政治判断ですからヨロシク」と言われる方が、役人としてはあきらめも尽くし、またシステムとしても、民主主義の本旨に遥かに近いのではないかと思う。
      
    果たして、日本は今後、どちらの方向に向かうのだろうか。
    my room, Washington, D.C., Sep 7, 24:48

    Hmart

    長かった夏休みも終わり、今週から、クラスとインターンが始まる。のだが、今日9月8日(月)は、Labor Dayの祝日。というわけで、アイロン台、米、うどんといった生活必需品(←うどんはもちろん必需品です)を買いに、家から車で20分のWheatonという街に行ってきた。
     
    まずは、アイロン台を入手すべく、Target(←アメリカのどこにでもある巨大雑貨屋)の入ったショッピングモールへ。SyracuseにあったCarousel Centerと何ら変わらない。というか、アメリカのショッピングモールなんてどこに行ってもだいたいこんな感じだろう。JC PennyとMacy'sがとりわけ大きな区画を占め、残りの区画には、Old Navy、ALDO、Abercrombie & Fitch、Radio Shackといったいつもどおりの面々が軒を連ねる。そんな様子を眺めながら、「あ~ぁ、味気ない場所に帰ってきてしまったなぁ…」と些か冴えない気分を噛み締めたのだった。
      
    ところが、である。次の目的地に着いた瞬間、僕の中の、そんなグレーな気持は一気に吹き飛んだ。僕の訪れた場所というのは、Han Ah Reum(韓亜龍)、通称「Hmart」というAsian grocery。Asian groceryと言えば、Syracuse時代には、Han's Marketに大変お世話になったが、Han'sには、アジア関係のものしか置いていないし、値段も高い、その上、賞味期限切れの商品も平気で並べられているので(まぁこの点はあんまり気にしていなかったけど)、Han'sでは、絶対にそこでしか買えないものだけを買い、あとの食品・雑貨は、普通のスーパーで買うことを強いられていた。しかし、今日、Hmartを訪ねてみて、もはや、そんな二度手間の必要はないことを思い知らされる。
      
    品揃えで言えば、アジア食材の豊富さもさることながら、普通の商品も普通に陳列されている。値段も穏当。もちろん、賞味期限切れの商品も並んではいない。要するに、日本や韓国にありそうな、普通のスーパーマーケットが、そっくりそのままぽこっと、ワシントンの郊外に引っ越してきた感じ。都会とはこういうことなのかと改めて感動を覚える。米とうどんだけを買って帰るつもりが、勢い余って、豆腐とか、お刺身用鮭の切り身とか、ヤクルトとか、どら焼(抹茶味)とか、ハーゲンダッツ(←もはやアジアと関係ないし)とか、いろいろ買って帰ってきてしまった。
      
    この先4ヶ月間は、このHmartさんに大変お世話になりそうだ。
    my room, Washington, D.C., Sep 7, 17:44

    Sunday, September 6, 2009

    Election, at this late date...

    DCに帰還。
      
    改めて衆院選の結果を確認するべく、報道各社のサイトをいくつか訪ねてみたのだが、はっきり言って各社とも非常に見づらい。こちらとしては、伝え手の主観の混ざった「記事」を読みたいわけではなく、客観的な「情報」を知りたいだけなのだが、どうも日本のメディアはそういう作りになっていないようで。これは、技術とか予算の問題というより、そもそもの報道姿勢がそうなっているから、ということなのだろう。その点、CNNの選挙サイトなんかは、ああだこうだ言わずに、ひたすら客観データを並べてくれているので、興味・関心の赴くまま、好きなように調べられて、非常に便利。まぁ、日本には、客観情報・統計情報に対する需要が、そもそもあまりないということなのかも知れないが…。
      
    ともあれ、そんなわけで、報道機関のwebサイトには見切りをつけ、溜まりまくっている購読blogの方を読むことに。どうせ主観的な書きモノを読むんだったら、新聞よりもこっちの方が面白い。
      
    民主党の大躍進を受け、いろんな人が、今後の二大政党制確立の可能性に言及していたが、正直、僕はまだまだ懐疑的である。二大政党制が安定的に機能し続けるためには、両党間の対立軸が明確であると同時に、その対立構造が長期に亘り維持されていく必要がある。しかし、今年一月のエントリーでも書いたとおり、日本社会の中にそういう対立軸を見出すのは容易なことではない。この点は、日本社会が、アメリカ社会と(たぶんイギリス社会とも)大きく違っている点であろう。

    いま一番、「対立軸」になれそうなのは、「(いわゆる)新自由主義か、福祉国家か」という二項対立であろう。が、これとて結局のところ、どっちの党がどっちの考えを代表しているのか、はっきりとわかったものではない。鳩山代表はことさら、新自由主義との決別を叫んでいるようであるが、惨敗の中、生き残ってきた自民党議員の多くは、そもそも、小泉改革に異を唱えていた人たちであったりもする。

    自民も民主も、今後、それぞれの党是を明確にしていかないことには、いくら一時的に勢力が均衡することがあっても、本当の意味で価値のある、成熟した二大政党制には移行していけないだろう。そもそも、日本社会に、そんなにわかりやすい「対立軸」なんてものが存在するのか?? という点は、僕の中で引き続き、疑問として残っているのだが…。
    my room, Washington D.C., Sep 5, 28:08

    Saturday, September 5, 2009

    Fully charged

    一週間前に妻を待ちながらblogを書いていた空港で、妻の出発を見送り、一週間前と同じレストランでインターネットをしながら、少しずつ、現実世界へのリハビリテーションを始めています。

    日本がすごいことになっている最中に悠長なことで大変恐縮ではございますが、この一週間、ほとんどネットに繋がることもなく、Wyomingの大自然の中、妻と二人、幸せな時間を過ごしてきました。休みの前半に訪れたYelowstone国立公園はもちろん素晴らしかったのですが、Yellowstoneに比べれば知名度の落ちるGrand Teton国立公園も、美しいTeton連峰のふもとに広がる静かで落ち着いた公園で、本当に素敵なところでした。

    これまで、妻の猛プッシュにも拘わらず、「山」というものにはまったく興味を示してこなかった僕ですが、Grand Tetonのあまりの美しさに、にわか山好きになってしまいそうな勢いです。まぁ、実際、山に登るかどうかは、日本に帰ってからゆっくり考えるとして…(笑)

    ともあれ、この一週間で、十二分に充電完了。留学の残り一年は、自分にとって「勝負」と思って、走りぬけようと思います。
    Jackson Hole Airport, Sep 5, 8:44 MST