最初に断わっておかねばならないが、この国で言うところの“picnic”は、一般的な日本人が「ピクニック」という言葉から連想するものからは、かなりかけ離れている。“picnic”と言っても、別にどこかに歩きに行くわけではない。単に、気の合う仲間が数人集まって、屋外でご飯を食べれば、それだけで、“picnic”は成立するのである。(雪国Syracuseでは、「屋内picnic」なる、もはや、picnicの成立条件は何ぞやと、問い詰めたくなるようなイベントさえ催されていた。) したがって、「ピクニック」に付き物であると日本では広く認識されている「スキップ」を披露する機会も、“picnic”には通常、訪れない。別にやってもいいが、白い目で見られるか、はかなく黙殺されるのが落ちであろう。
さて、あいにくの小雨舞い散る肌寒い天候ではあったが、Alumni Picnicには、懐かしのclass of 2009の面々も少なからず集まっていた。彼らとは、ガーナ逃避行以来の再開である。DC(及びその近郊)に移り住んでいるというだけあって、昨日、来ていた面々の就職先は、錚々たるラインナップ。State Department(外務省)、Treasury(財務省)、DoT(運輸省)、EPA(環境保護庁)、GAO(Government Accountability Office。会計検査院と総務省行政評価局を統合してツオくしたようなところ)、NIH(国立衛生研究所)etc. 一方で、目下就職活動中というメンツも何人かいましたが。
「就職組」と話をしていて、日本とは違うなぁと改めて思ったことが二つある。ひとつは、先日も触れた、オフィスの構造のお話。聞いてみると、やはり皆、就職早々から「キュービクル(半個室)」を与えられ、そこで仕事をしているらしい。日本人サラリーマン的感覚からすると、よくそれで回るなぁという気がするのだが、おそらく、組織としての仕事の回し方が、日本のそれとはそもそもだいぶ違っているのだろう。たとえば、よく言われる話にあるように、日本では、組織の一番下っ端が、ひーこら言いながら局内・課内の仕事の割り振りをしているケースが多いが、米国では、マネジメント層が、各部下に仕事の割り振りをするので、下っ端の人間が、大部屋で調整のために駆けずり回る必要がない、といったようなことがあるのかも知れない。
もうひとつは、今後のビジョンのお話。興味本位で、「この先ずっとそこで働くの?」と何人かに聞いてみたのだが、決まって帰ってきた答えは、「とりあえず2年は働くけど、その先どうするかはわかんない」というもの。「2年」というのは、たぶん、それに関連した制度か何かがあるからだろう。Federalの中で転職するときに、最低2年の勤務経験があれば、有利な条件でアプライできる、みたいな。某省のヤツに聞いてみたところ、特にactiveな行動を取らなければ、2年後以降もその役所に居続けられる、とのことではあったが、その彼も、「まぁ、その後のことはわからんなぁ」とおっしゃっておられた。
この国のホワイトカラー(特に政府機関)の労働慣行というのは、見えそうでなかなか見えないものだが、DCにいる間に、もうちょっといろいろ知っておきたいと感じる今日この頃である。
my room, Washington, DC, Sep 27, 11:13
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