Wednesday, September 30, 2009

Why narrow banking alone is not the finance solution

毎週一、二回、FT.comにアップされるMartin Wolf氏の金融コラム。月曜日に受講しているFinancial Securityコースの“課題図書”に指定されている。素人目ながら、毎回、「深いなぁ」と感じつつ、読ませていただいているのだが、その分、求められる英語と金融知識のレベルもそれなり。正直、僕からしてみれば、「さらっ」と読みこなすには、ちょっときつい内容のコラムである。

今日も、お昼休みに直近の記事を読んでみたのだが、一回読んだだけでは、十分に理解できず。食後の満腹感も手伝って、瞼がどんより下がってきたので、ここは一旦退却し、夜、再挑戦を期すことに。帰宅後、インターネットを開けてみたら、JB Pressのサイトに、件の記事の邦訳版がアップされているのを発見。ラッキー。

「危機が起こっている最中には、金融システムにとって重要だと見なされた金融機関の債務が全額、政府によって保証された。システムの中核にある金融機関は今日、国家の一部になっていると考えて間違いない」との指摘や、シャドーバンキングについての、「要は、期間が短く無リスクに近い債務と、期間が長くて高リスクな資産の組み合わせは非常に大きな利益を計上できるが、それは破綻するまでの話であり、現実に破綻する可能性は高いのである」との指摘に、いちいち膝を打ちながら読ませていただく(やっぱ日本語ってステキ。笑)。

しかし、そこから導かれる結論は、「当局は現在、規制を強化すれば(特に自己資本比率の基準を引き上げれば)こうしたリスクを封じ込められると考えている。しかし、それでは失敗してしまう可能性が高い。(中略)やはり準銀行という仕組みを禁止しなければならないだろう。そうしなければ、脆弱な銀行が倒れて救済を受ける世界に早晩戻ってしまう」という、著者本人も認める、非常に急進的な内容。practicalかというと、正直…。著者が急進的すぎるのか、はたまた、世の中が気づけていないだけなのか。

この記事を読んだあとに、同じJB Pressに出ているこちらの記事を併せて読むと、非常に複雑な感情を味わうことができる。うーん。。。日本は、そして、世界は、いったいどこに向かえばいいのだろうか。「日本型」と「英米型」の「中間」ってなもんは、作れないもんなのだろうか…。

非常に青臭い感想にて、恐縮。

(追伸) JB Pressから、ついでにもう一ネタ。こちらの記事(「砂上の最先端技術、日本のエコカー」)もたいへん読み応えがあった。経済の話も去ることながら、技術の話は、なお一層、本質を掴むのが難しいと感じる。とりあえずは、この手の記事を、こまめに読んでおくしかないのかも知れないが…。ちなみに、いちおう断わっておきますが、JB Pressのまわし者ではありません(笑)
my room, Washington, DC, Sep 30, 23:30

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