Wednesday, March 31, 2010

“Teaching” or “Talking”

今学期受講の、“International Trade Law”(以下、ITL)と“Comparative Foreign Policy”(以下、CFP)の授業スタイルを比べてみると、いろいろ面白いことが見えてくる。今学期はこの二つしか受けていないので、余計にそう見えるのかもしれないが、いろんな点で、対照的なのだ。

まず、reading assignmentの量が圧倒的に違う。CFPでは、毎週、読み切れないくらいのreadingが課されるのに対し、ITLは限定的。加えて、単純に「この論文を読んでこい」というだけでなく、「○ページの△段落目~◇ページまで」と、読むべきエリアの細かい指示が付される。

その実、授業中にreading assignmentに書かれてある以外の内容に話が及ぶ機会は、CFPの方が圧倒的に多い。「大学院生なら、これくらいのことはわかっていて当然」ということなのかも知れないが、カーターがどうした、ニクソンがどうしたと言われても、(少なくとも留学生にとっては、)正直、キツイ。その点、ITLの方は、reading assignmentを読み込みさえしていれば(ただし、精読は必須)、そこに書かれてある以外の知識がなくても、十分理解できる授業内容になっている。法律の授業なので、英米法の知識が必要となる場面はもちろん多々あるのだが、その都度、端折らずに、丁寧に説明してくれている(ただ一人、ロースクール外からの聴講生である僕向けのサービス、という面もあるのだろうが、客観的に見て、他のロースクール生たちにとっても、悪くはない復習の機会になっているようだ)。

ITLでは、毎回、「少なくとも、これを理解して帰りなさい」という何か(概念、考え方、ルールetc.)があるのに対し、CFPにはそれがない。先生の頭の中にはあるのだろうが――それを感じ取れるくらい、じっくり傾聴すれば、聴く側にも見えてくるのかもしれないが、僕のリスニング能力では残念ながら無理――、普通に受講している限りは、なんとなく、山も谷もなしに、先生のお話が2時間半続いて、眠くなってきた頃に終わる、というイメージ。

最後に、これはほぼ余談だが、ITLの先生は、生徒を笑わせるのに一生懸命(ただし、95%はブラックジョーク)なのに対して、CFPの先生は、喋りながら、ときどき、自分の話に自分で笑う。聴き手によっては、重要なポイントかも知れない――僕にとっては重要です。

なぜこういった違いが生まれるのかを考えていたのだが、おそらく、ITLの先生は、文字通り、「教える」こと、或いは、何かを「伝える」ことに主眼を置き、そこから逆算をして授業を構成しているのに対して、CFPの先生は、「語る」ことに主眼を置いてしまっているのではないかという気がする。もちろん、CFPの先生も、「語る」ことを通して「教え」ようとされてはいるのだろうが、やはり、なんというか、間接的で、効率が悪い。

こういう言い方をするのは申し訳ないのだが、CFPの先生は、自分の考えや思いことを語ることに満足してしまっていて、その内容を生徒が理解したかどうかについてはあまり関心が持てていないように見受けられる。毎回、授業の最後にquestionを受け付けたりはするのだが、全般的な印象としては、どうしても、“one-way”なのだ。もちろん、ITLの先生と比べれば、ということであって、彼女が突出して良くない、というわけではないんだけれど。

まとめると、「教える」という行為は、自分の口から何かを発すればそれで終了というものではなく、教えられる側の頭の中に、何か(=伝えたいこと)を着床させてはじめて完了するものなんじゃないか、ということ。また、そうであるならば、そこまでのプロセスを、もっとも効率的に提供するのが、良い「教え方」というものであって、「私が語るから、あとは自分で理解しろ」というのは、「教え方」として、あまり効率的でないのではないかということ。

書いてしまえば当たり前のことだが、実行するのは容易ではない。自戒もこめつつ。
Maxwell School, Syracuse, Mar 31, 16:28

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