Monday, March 8, 2010

revolving door

城氏のこのblog記事を読んで、アメリカの官僚機構のことを考えてみた。

アメリカの官僚機構(とりわけ連邦政府)を「成功例」と看做せるかどうかは甚だ疑問だが、城氏のいう“序列ではなく成果に応じてキャッシュを支払う年俸制”に、近いと言えば近い形態をとっていると思うし ― あくまで日本の官僚機構との比較という意味においてであって、米国内の他の民間業種に比べれば、なお“安定的”かも知れない ―、“改革の推進者”とは言わないまでも、少なくとも、改革に対してニュートラルではあり、多くの場合、“抵抗勢力”としての毒牙は抜かれているように思う。CIAとか、DoDとかは、またちょっと話が違うんだろうけれど。

僕は日本とアメリカのケースしか知らないので、これら二か国で見られる以外のスタイルの「官僚機構」が存在しうるのかどうか、知識もアイデアもないのだが、この二か国のケースを対比して見ている限り、「機構自体に色・考え・方向性を持たせない」ことと、「機構に推進力・積極性・自発性を発揮させる」ことの間には、いわゆるトレードオフの関係が存在してるように思う。言うまでもなく、日本は前者が×(機構自体が独自の方向性に固執しがち)で後者が○、アメリカはその逆である。

アメリカの官僚組織というのは、日本のそれに比べて、確かに「抵抗」の度合いは弱いが、その代わり、政治に方針決定の下駄を預けてある分、組織内にはある種の「諦念」が漂っており、推進力・積極性・自発性といった性質に乏しく、いわゆる「お役所」のイメージ通り、粛々と仕事を「こなして」いる印象がある。政権が代わって政策の方向性が変われば、具体的に「やりたい政策」のイメージを持っている人ほど、役所を出て、シンクタンクなどに転身して行きがちなので(いわゆる“リボルビングドア”)、その傾向は、ますます強くなるのかも知れない。

理想的に言えば、日米の官僚機構の良いとこどりのような組織ができればいいのかも知れないが、よくよく見てみると、両者の雇用慣習は、結構根本的なレベルから違っており、単純に、足して二で割ったような形が実現可能なのかどうなのか、何ともよくわからない。

僕自身の留学期間は、残り僅かとなってきてしまったが、まだ時間のある方々、この辺り、調べられてみれば面白いと思うし、日本への貢献の度合いも少なくないのではないかと思います。
my room, Syracuse, Mar 8, 23:06

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