Tuesday, March 2, 2010

bottlenecks

世の中の多くの問題は、往々にして、一つ、乃至は、二つ三つの「主因」で以て説明できるものだが、電力システムの世界は必ずしもそういうふうになっていない。causalityの矢印が、あっちこっちを向いていて、一言で言えば“chaotic”。よって、この世界では、ある問題の解決法を考えようとすると、そもそもボトルネックの特定のところで、たいへん手こずることになる。

加えて、このエントリでも触れたとおり、同じchaosでも、国・地域によって、その形状は大きく異なる。したがって、同じ問題 ― たとえば、「風力発電の系統連結capacityを増やすにはどうすればいいか?」 ― を考えるにしても、国・地域が異なれば、第一のボトルネックがそもそも違っていたりするわけで、その先の解決法を考える段階では、まるで別々のゴールを追っているかのように、まったく異なる事象が論じられていても不思議ではない。

なんてことが、この分野を本格的に勉強し始めて二か月で、ようやく分かり始めてきた。不満なのは、それなりの数の論文を読んでいるのに、こういう「違い」の存在をきちんと説明してくれている論文には、案外、お目にかかれないということ。まぁ、「誰に対して不満なんだ?」と言われれば、難しいんだけど(笑) だいたいの論文が、一つの国・地域にフォーカスを当てていて、国際間・地域間の比較分析を試みているものが少ないからなのかも知れない。

ついでに言うと、一つの論文では、一つだけ、多くてもせいぜい二つの「原因」に焦点が当てられている場合が多い。このため、個々の論文を読んでいるだけでは、この世界のchaos性はあまり見えてこない。複数の論文を読み比べてはじめて気づくことになる。(そして大いに苦しむ。うぅ…)

このことは、実際に論文を書いている身からすれば、よくわかる。一本の論文の中に、あれもこれもと、いろんな「原因」(とその解決法)の分析を取りこんでしまうと、はっきり言って、論文としては収拾がつかなくなる。したがって、説得力のある論文を書こうと思うならば、どれか一つ(ないしは二つ)の「原因」にフォーカスしなければならない。その際、論文の書き手には、「なぜその『原因』にフォーカスしたのか」を“正当化”するという課題も同時に課せられる。そこで「ウソ」が混ざるとまでは言わないが、元来、“chaotic”なはずの世界を、ある程度、単純化して見せ、いかにも一つor二つのボトルネックをたたくことで、問題が大きく改善されるかのように描こうとするインセンティブは、どうしても働きがちなのではないかと思う。

電力システム関係の論文を読む際には、この点、注意が必要かと。
my room, Syracuse, Mar 1, 24:35

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