Friday, March 26, 2010

COP 6, Election 2000, US Withdrawal ...

Comparative Foreign Policyのエッセイ、二つ目を提出。このエントリで少し触れたが、外交史上の事件を一つピックアップし、Foreign Policy Analysisのメソッドを使って分析していくという課題。エッセイは3回(各回、ダブルスペースで10ページ)に分けて提出することとされていて、一回目の課題は、事件概要の記述。僕は、2001年の米国の京都議定書からの脱退をピックアップし、それに至る米-EU間のやりとりを調べて書いてみた。
   
今日提出した二つ目エッセイの課題は、「これまで授業で扱ったtheoryを使い、当該事件を分析しなさい」というもの。いちおう断わっておくと、MaxwellのIR(International Relations)コースのクラスは、総じてこんな感じにアカデミック。実践性を期待してくると、少なからず肩透かしを食らう。MPA(Master of Public Administration)の方はそうでもない(と思う)けど。

この辺りのエントリで書いたとおり、IRという学問の考え方・方法論には、些か、のめり込めないものがあり、今回のエッセイも、あんまり気乗りせずに書いていたのだが、いちおう、体裁を整え、規定の10ページを満たしたところで、さっくり提出。

とは言え、書いてみると、やっぱり学んだことはある。詳しく書き始めると長くなる(し、あんまり面白くもない)ので端折らせていただくが、今回、使ったtheoryに基づいて言えば、あるpartyにとって、交渉相手が、①関係良好な相手であり、②経済的な相互依存度の高い相手であり、かつ、③相対的に自分よりも大きなcapabilityを持った主体である場合、当該partyは、相手に対し、譲歩をしてでもagreementを引き出そうとする、ということになる。しかし、実際に、2000年12月のCOP6において、EU代表団がとった選択は、米英二国がバイでまとめた妥協案を蹴り、同会議を「成果なし」で終えるというもの――EUにとって、上記①~③が当てはまると言えそうな状況であったのにもかかわらず。ちなみにその一か月後、米国ではBushが大統領に就任、更にその二か月後に京都議定書からの脱退を宣言するに至っている。

こんな定性的・感覚的なtheoryがいつも妥当するとは限らない、というのは確かにその通りなのだが、「役立たず」と斬って捨てたくなる気持ちを抑え、「なぜこのとき、theoryの御宣託は当たらなかったのか」と考えてみると、少しは面白くなってくる。

僕がエッセイの中で書いたのは、結局のところ、EU(もちろん、他の国もだが)の意思決定権者(特にpoliticalな)にとって、気候変動問題というのは、そこまでurgentな課題ではなかったからではないか、ということ。上記“theory”は、暗に、「二国間交渉=双方(少なくとも一方)にとってurgentな課題」との前提に立っているが、気候変動問題を巡るEU-US間の交渉は、実際にはそうではなかったが故に、theoryの主張と異なる結果がもたらされたのではないか、と。

と書いてみたところで、引き続き、当たり前のことを言ってるだけのような気もする。しかし、僕のような環境屋からしてみれば、ついつい、「希望的観測」や「べき論」といった色眼鏡で見てしまいがちな、この種の外交イベントを、客観的に、或いは、実際の意思決定権者のそれに近い視点で理解しなおすのを手助けしてくれるという意味では、こういったメソッドにも、それなりの御利益があるのかも知れない。

まぁ、それによって多少は気持ちが明るくなるかというと、実際には、その真逆なんだけどね。
Maxwell School, Syracuse, Mar 26, 17:08

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