Sunday, May 31, 2009

CDMs in Western African Countries

明日からのインターンに向け、西アフリカ各国のCDMsの登録実績などについて、予習(付け焼刃?)。

■ 今年5月末現在、全登録(registered)件数(1,647件)のうち、アフリカ(サブサハラ以外を含む)がホスト国となっているCDMs案件の数は30件(全体の1.82%) [出典:UNFCCC]

■ 西アフリカでの登録済み件数はそのうちの2件のみ。いずれもホスト国はNigeriaで、いずれの案件も方法論は“Recovery and utilization of gas from oil wells that would otherwise be flared or vented”(油井からの排ガス回収及びその利用) [出典:UNFCCC]

■ CDM後進国におけるCDMsの開発を促進するため、UNEPは、“Capacity Development for the Clean Development Mechanism”(CD4CDM) プロジェクトを実施中。(with financial support from the Dutch Government) ガーナは、他の12か国(サブサハラでは、ガーナのほかに、コートジボワール、モザンビーク、ウガンダの4か国)とともに、Phase I に参加。 [出典:CD4CDM]

というわけで、ざっと見たところ、ガーナを含め、西アフリカでのCDMの実施は、まだまだ難しい状況の様子。登録には至っていない、準備中の案件がどのくらいあるのかについては、おいおい調べていこうと思う。以上、付け焼刃的予習でした。

Central Hotel, Accra, Ghana, May 31, 24:45

Where Here is??

Accraでの住居が決定。インターン先で働いていらっしゃる方(奥さんが働いておられて、旦那さんは今のところ専業主夫)のおうち(というか、日本で言うところの「マンション」)の一室を間借りすることに。
  
今日、部屋を見に行ってきたのだが、とにかく広い。リビング&ダイニング一続きの居間なんて、「いったい何畳あるんだっ!!?」っていうくらいにだだっ広い(まぁ、日本じゃないんで「畳」ってのもおかしいんだけど…。) オフィスからは乗合バスで10分くらい(ただし渋滞がひどいので、時間帯によってはもっと)とのことなので、至近というわけではないが、セキュリティがしっかりしてそうなのと、それに何より、いざというときに助けてもらえる方が間近にいるという環境が気に入って、昨日の大富豪さんには申し訳ないが、こちらに住まわせてもらうことにした。
  
ちなみに部屋の主夫妻は、イギリス人とカナダ人。Westernの方とルームシェアするのも初めてなので、これはこれで、また面白そう。今晩はもう一泊このホテルに泊まり、明日の仕事終了後、荷物をまとめてそちらのお家に移る予定。
  
そのマンションをおいとまさせていただいた後は、そこから車で5分くらいのところにある、Ghana国内最大のショッピングモール、“Accra Mall”へ。居候先のカナダ人の方が「mallに行くと、自分の国に帰ったような気持ちになる」と言っていたのだが、その言葉に偽りなし。一旦、モールの入口をくぐると、まるでアメリカのショッピングモールのような空間が広がっていた。
衣料品から電化製品まで、生活必需品ではない代物も、非常に豊富に取り揃えられている。 電化製品コーナーなんて、商品がてんこ盛り!!
値段はアメリカと同じか、下手をすると、逆にこっちの方が少し高いくらい。たとえば、ベッド用のシーツセットは、60 Cedi (=US$ 41) だった。客層はというと、確かに白人や中国人がそれなりに目立つが、そうは言っても、お客さんの約三分の二以上は黒人(ガーナ人なのかどうかは、正直、見分けがつかない)。地元の方でも、裕福な層になれば、かなりの購買力を有しているんだということがよく分かる。
  
というわけで、Ghana到着後3日目も無事終了。明日からはいよいよ、インターンが始まります。
Central Hotel, Accra, Ghana, May 31, 21:40  

Climate Change vs Development

最近、本や資料を読みながら考えているのは、「地球温暖化対策と(途上国の)開発の位置関係はどのようになっているのか??」ということ。というわけで、とりあえず今の時点での自分の頭の中のイメージを絵にしてみた。【※ マニアックな内容です】

ポイントは以下の通り。
  1. adaptation(適応策:起こってしまった温暖化に、どう「適応」するか、という対策)は、その大部分がdevelopmentと重なる。developmentの延長線上にadaptationがある、と言ってもいいくらい。途上国で求められるadaptationとは、具体的には、食料対策、風土病対策、砂漠化対策、ひいては、それらに起因する経済難民の取扱いなど。これらは、いずれも、既にdevelopmentとして行われている対策であり、それらをさらに推し進めることが、adaptationとなる。また、どこからがadaptationで、どこまでが「純粋なdevelopment」か、なんて線引きはできない。
  2. 途上国においては、mitigation(緩和策:温暖化を「緩和」するために、どれだけ温室効果ガスの排出を減らせるか、という対策)も、adaptationほどではないものの、developmentと重なる部分が大きい。先進国視点でmitigationを考えると、ついつい、「既にある設備・システムを、如何に低炭素型のものに置き換えるか」と考えがちであるが、途上国(特に低開発国)においてmitigationを考えるときには、「これから新たに設置する設備・システムを、如何に低炭素型のものにできるか」と考える方が良さそう。
  3. 京都議定書に基づくCDM(Clean Development Mechanism)は、まさにそれを体現する制度。先進国(=附属書Ⅰ国)的には、「如何に効率的にクレジットを生み出すか」という方向に目が向きがちであるが、途上国からすると、CDMを梃に、如何にdevelopmentを進められるかこそがポイント。
  4. ただし、CDMとして行われるプロジェクトの中には、「ホスト国の発展に寄与していない」と評されているもの(上の図で言えば、「development」の領域からはみ出ている部分)もある(HCFC製造工程からのHFC回収がその典型例)。

そもそも、京都メカニズムというものは、地球温暖化対策に市場の効率性を活かすことが、その目的の一つとなっている。その意味では、炭素「市場」を政策的に歪める政策(たとえば、HFC回収CDMを全面的に禁止する、など)が、一概に良い政策であるとは思わない。市場経済的にmake senseな行動を安易に否定してしまうと、制度自体が、木に竹を接いだようなものになりかねない。

ただ、竹に置き換えてしまわないまでも、ベースとなる木(=市場活用型システム)の枝ぶりを多少整えてやるくらいのことは必要だろう。根本の部分では市場の力を尊重しつつ、部分的に「市場の失敗」を是正する、といったアプローチが有効ではないかと思う。

とは言え、実際にどう制度を設計するかという具体の話になると、これは非常に難しい。明日からのインターンでは、その辺りの着想を多少なりとも得たいと思う。

Central Hotel, Accra, Ghana, May 31, 9:46

Saturday, May 30, 2009

Becoming a Secure Base

ヒマ人の連続投稿は続く(笑)
  
この部屋のテレビ、CNNやBBCは映らないのに、なぜかNHK Worldだけはきれいに映る。というわけで、ケータリングの夕食を食べながら、何となくNHKを見ていたら、茂木さんの“プロフェッショナル”が流れていた。

流れていたのは、日本で3月31日に放送された同番組のスペシャル版「これが“育て”の極意だ!!」。この番組が予想外にめちゃめちゃ面白かった。ここから飛べるページに、番組の要約が出ているので、ご興味ある方はどうぞ。

脳科学的に言えば、自発性を尊重することが人を育てる上での一番大事なポイントなんだとか。正直、脳科学を勉強したことはこれまでに一度もないが、この点は、非常にagree。昔、採用担当をやっていた時、「採用する上で、もっとも大事にすべきポイントは何か」ということをひたすら考え続けた結果、行きついた答えは「自律的に成長できる人かどうか」という点だった。自発的・自律的な成長意欲の高さは、人間が成長していく上で、すべての基本になる要素だと思う。
   
ここから先がこの番組のミソなのだが、子供や部下の自発性を伸ばすために、親や上司が取るべき行動とは何なのか、という点が、番組の後半で紹介される。曰く、「「安全基地」になる」ことなんだとか。自発性に導かれるまま、様々なことに挑戦していこうとする子供や部下。しかし、新たな挑戦にはリスクがつきもの。そして、人間誰しも、リスクを目の当たりにしては、どうしても尻込みをしてしまう。そんなとき、「たとえこの挑戦に失敗しても、自分には帰る場所がある」「たとえ敗者になったとしても、そんな自分を全面的に受け入れてくれる人がいる」という安心感が、その人の挑戦を後押しし、より伸び伸びと自発性の赴くままに挑戦に挑み、より大きく成長することができるのだとか。なるほど…。非常に納得。
  
というわけで、一年後、日本に帰ったら、ちょっとマジメに脳科学を勉強してみたくなったbayaでありました。

それにしてもこの番組、茂木さんと一緒にキャスターを務めている、NHKアナウンサーの住吉美紀さんが面白い。彼女の目のマジさ加減と、茂木さんのたじろぎ加減から想像するに、たぶん、住吉さんからの茂木さんに対する質問は、あらかじめ用意されているものではなく、その場で彼女が考えたものなのではないかと思うのだ。その質問が結構良い線ついていて、答えにくいイジワルな質問だったりするので、予定調和の質疑応答を聞かされるより、こちらとしてはよっぽど面白い。茂木さんも、たじろぎつつも、決して逃げずに、正面から答えようとするところが見ていて気持ちいい。
   
そんなことを思いながらテレビを見ていて、「茂木さんって誰かに似てるよなぁ」と思っていたのだが、このblogを書くために番組サイトを見てみて、ようやく謎が解けた。

村上ショージ似だ。ドゥーン!!!
Central Hotel, Accra, Ghana, May 30, 22:30

The Road to South Africa

世界中どこに行っても、現地の人と仲良くなるのに最適の話題はやっぱサッカーでしょう!! (← ※ USA以外)というわけで、サッカーGhana代表についてのお勉強を。
  
アフリカでは、現在、二次予選を勝ち上がった20カ国による最終予選が開催中。 5組に分かれてのリーグ戦が行われ、各組首位が本大会出場権を獲得する。Ghanaは、Mali, Sudan, BeninとともにD組。D組各国のFIFAランキング(5/6付)は、Ghana: 31位(アフリカ内で3位)、Mali: 49位、Sudan: 85位、Benin: 94位で、順当にいけば出場権を得られるだろうという感じら。ちなみに日本の5/6付順位は35位なので、FIFAランキング的に言えば、日本よりGhanaの方が少しだけ強いということになる。まぁそこを比べてもあんまり意味はないんだけど。
  
最終予選は、home & awayの二回戦総当たりで行われており、現在、一回目の対戦が終わったところ。Ghanaは、Benin相手にhomeで1-0で勝利。SudanとMaliは1-1で引き分けたので、とりあえず、暫定首位ということになっている。このリーグ戦は、断続的に今年11月まで続くが、6月には、6日(対Mali)、20日(対Sudan)と二試合が行われる予定。残念ながら両方ともaway gameなのだが。。。
  
国旗にちなんで“The Black Stars”と呼ばれるサッカーGhana代表は、アフリカ杯を過去4回(1963, 1965, 1978 and 1982)制しているが、ワールドカップ本大会出場には恵まれず、前回ドイツ大会が初出場。しかし初出場ながら、一次リーグでは、チェコ、アメリカを撃破する快進撃を見せ、アフリカで唯一、決勝トーナメントに進出(ちなみに同一次リーグ首位はイタリア)。決勝トーナメントでは初戦でブラジルに0-3で敗れて敗退。
  
FIFAのサイトによると、現代表のkey playersは、キャプテンStephen Appiah (MF / 土Fenerbahçe), Michael Essien (MF / 英Chelsea), Sulley Ali Muntari (MF / 伊Inter), Matthew Amoah (FW / 蘭NAC Breda), Samuel Kuffour (DF / 国内リーグAsante Kotoko), John Mensah (DF / 仏Lyon) らとのこと。
  
昨日の深夜、チャンピオンズリーグ決勝の再放送を観ていたフロントの兄ちゃんに「どこのファン?」と聞いたら、Chelseaと言っていたので、何でだろうと思ったのだが、たぶん、Essienの影響なんだろう。彼とAppiahがGhana代表の二枚看板ということらしい。その兄ちゃんに「準決勝はひどい試合だったね」と言ったら「決勝で、バルサはマンUに完勝したけど、準決勝のチェルシーには相当手こずった。だから、僕的にはちょっと満足」と、日本人的(阪神ファン的??)無理繰りpositive thinkingを披露してくれた。何となく、分かり合えるかも…と思った瞬間だった。
 
というわけで、既にお気づきかと思いますが、この週末、ここ数か月にないくらいのヒマを持て余しております。まぁ、勉強しろって話なんですが(笑)
Central Hotel, Accra, Ghana, May 30, 17:23

Housing Hunting

水曜日にAccraに着かれたという日本人の方(ボランティアとして来られていて、Accraには、最低一年以上滞在されるとのこと)が同じホテルに泊られていて、今日は家さがしに行かれるとのことなので、同行させていただくことに。
   
その前に、ホテルのすぐ近くの大通りを歩いて、スーパーマーケット“Koala”へ買物に。(↓ 大通りの様子。道の両側には屋台がいっぱい。洋服やカバンはもちろん、携帯電話なんかも屋台で売っている。)












通りを歩くこと約10分。スーパーマーケット“Koala”に到着。アフリカなのになんでそのネーミング?? とツッコミたくはなるものの(まぁそんなこと言ったら、なんで中日のマスコットがコアラなの?? って話になるか…)、Accra屈指の品揃えを誇る店のようで、土曜日ということもあってか、店内は、家族連れ(白人率高し)で、結構なにぎわい。(ちなみに、麺類・乾物類コーナーの棚はこんな感じ。↓)
やや値段は高いが、基本的なモノはここで何でも揃いそうということがわかって、一安心。
  
というわけで、次はいよいよ物件探しに。例のKoalaで不動産屋さんと待ち合わせ、彼の車で向かった先は、市内中心部の豪邸。敷地は、当然のように有刺鉄線付きの高い壁で囲まれ、入口には常駐のガードマンさんが。邸内に通され、広々とした玄関ホールを通り過ぎて、二階に上る。階段の壁には、この一家の人たちのものと思われるたくさんのポートレイトが。瀟洒で広々とした応接間でしばらく待っていると、奥の方から、恰幅の良い、どう見てもステイタスの高そうなおばあさんがゆっくりと現れた。
  
聞くと、この家の主(故人)は、この国で大臣を務めた政治家だったとのこと。今は、その奥さんであるおばあさんが、不動産業などを営んでいる様子。今日は、おばあさんの邸内の空き部屋一つと、少し離れたところにある、息子さんのオフィスの二階のアパートを見せてもらった。
    
そのオフィスで、息子さんにも会ったが、彼は、年の頃なら僕と同じか少し上くらいの見るからに育ちの良さそうな青年で、Lawyerをしながら、いくつかのビジネスも手掛けているとのと。長年、海外で生活していたらしく、彼の英語はGhanaian独特の癖もなく、非常にfluent。彼の部屋には、アフリカンポップアートの作品が飾られ、部屋の隅に置かれた水槽では、熱帯魚さんが優雅に泳いでいた。
  
というわけで、部屋を探しに来たつもりが、アフリカの典型的(たぶん、典型的)なエリート一家の生活ぶりを垣間見させてもらえて、ある意味非常に満足。MaxwellのA君やSちゃんも、こんなところで育ったのかなぁ…なんて余計な想像を膨らませてみたのであった。貸し部屋自体もまぁまぁ悪くない感じ。あした、別の所を一軒見に行く予定になっているので、そちらと見比べた上で決めようと思う。
    
街を歩いていて思うことだが、多少お金を持っていそうな人(特に女性)の服装は、非常におシャレ。もともとスタイルがいいので、少しきれいに着こなせば、(我々アジア人と違って)すぐに「ハマる」ということもあるのだろうが、とはいえ、アメリカにいてても全然おかしくないようなキレイな服装で街行く女性が、想像していた以上にたくさんいることに、やや驚いている。
                                 Central Hotel, Accra, Ghana, May 30, 16:01
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Friday, May 29, 2009

First Day in Ghana

無事、ガーナに到着。
  
9時過ぎにAccra空港に着いた後、ホテルでしばし休憩後、午後は、インターン先とJICAさんへのご挨拶回り。JICAさんでの話し言葉はもちろん日本語だし、インターン先にも日本人の方がいらしゃったりして、意外にも、ガーナ初日は、日本語を多用する一日だった。
    
約一日過ごしてみてのガーナの印象は、「『なんじゃこれっ!!』というほどではない」ということ。3年前の夏休みにインドを旅行した時に感じたカルチャーショックに比べれば、少なくとも第一印象のインパクトは、それほど強くはなかった。
      
いま、この文書を書きながら思いついた仮説だが、僕ら(=日本人、或いはもう少し広くいうと、西洋文明に属する先進地域の中で生まれ育った人たち)が、その域外の国を訪れたときに感じるインパクト(「アウェイ感」と言い換えてもいいと思う)の強さは、その国の経済的発展度合いよりもむしろ、その国に固有の文化の強さで決まってくるんじゃないかと思う。インド然り、中国然り、メキシコ然り。経済的な発展度合いで言えば、これらの国々は、ガーナよりもはるかに発展していて、日本やアメリカの水準により近いところにいるわけだが、訪れたときに感じた「アウェイ感」は、今日、ガーナに対して感じたものよりも、ずっと強かった気がする。
  
もちろん、ガーナでも、田舎に行けばどうなのかはわからないが、少なくとも首都Accraに関して言えば、アメリカから逆流してくるAfrican American Cultureの波がそれなりに強く影響しているせいか、カルチャー面でのショックは、今日一日、良くも悪くも、あんまり感じなかった。
  
こちらの方は、社会的なポジションにかかわらず、基本的に誰でも英語を話せるみたい。独特のイントネーションがあるので、hearing面では、慣れるのにしばらく時間がかかりそうだが…。ただspaking面でいうと、逆に、「まとも」な英語を話さねばというプレッシャーがアメリカよりも少ない分(←今日初めて気付いたが、アメリカにいるときは、この手のプレッシャーを知らないうちに感じていたらしい)、むしろ自然に話せるかも、という気がする。

ガーナ人の人柄については、(もちろん、あくまで第一印象だが、)いろんな人から聞いてきた通り、確かに、温厚かつ快活な人が多そう。少なくとも、レストランなどで、こちらの英語を理解できなかったときに店員さんから向けられる露骨な嫌な顔がないだけでも、アメリカより快適(笑) 窃盗・ひったくりなど、「物盗り」系の犯罪はそれなりにあるみたいだし、ストリートを歩けば、何かを買わせようと寄ってくる人もたくさんいるので(とはいえ、インドに比べれば十分の一以下)、もちろん油断はできないが、その辺に十分注意して過ごせば、この二ヶ月間、それなりに楽しめそうだなぁという印象を持ったガーナ初日の一日だった。(下は、Accra空港に到着した時の様子。"Akwaaba"="Welcome")
















Central Hotel, Accra, Ghana, May 29, 23:46

Thursday, May 28, 2009

At the Aitport

4日前に「今回の準備は、けっこう余裕かも」なんて言ってのたはどこの誰だっけ・・・?? と自分に言いたくなるくらい、昨日の朝からの24時間は、バタバタでした。。。 が、いろんな人の助けをいただき、なんとか無事に(たぶん無事に)Syracuseの空港までたどり着くことができました。助けていただいた皆さん、本当にありがとうございますm(_ _)m なんだか、一方的に、してもらってばっかりの気がしますので、そのうち、どこかで恩返しします。このエントリーが「恩返し」のためのクーポンになりますので、「我こそはbayaを助けたぞ」という心当たりのある方は、このエントリーのキャッシュでも保存しておいてください。そうしないと、数日後にこっそり削除してるかもしれません。(ウソ)
    
昨日は、うちのルームメイトJ君と二人で夕食に。まぁ、予想通り、僕の送別会というよりは、彼のお悩み相談室と言った方がいい内容でした。まぁ、いちおう一年間お世話になったし、それはそれでいいんですけど(苦笑)。目下のところ、彼の最大の懸案事項は、J君の彼女と、J君の男友達(←二人とも、僕が抜けた後の部屋に移り住んでくるらしく、二、三日前から、J君のベッドルームに居候中)の取扱い。二人ともJ君の言うことを聞かずに部屋を散らかしまくるそうで。。まぁ、「勝手にやって」って話なんですが、J君にちょっと同情してあげるならば、中国人コミュニティに入りそうで入りきれない、“香港人”というアイデンティティの難しさってのも多少は影響してるのかなぁ…なんて思ったり。ともあれ、まぁまぁ、いろいろと勉強になった、一年間のルームシェア生活でございました。

このあと、10:10の便でJFKに飛んだあと、17時の便でGhanaの首都、Accraに飛び立ちます。驚くなかれ、Ghanaには、NYから直行便が飛んでいるのでございます!! とはいえ、 JFKで6時間待ちかぁ…。どうせあんまり楽しいターミナルでもないので、Ghana学(??)のお勉強にでも励みます。

というわけで、間もなくSyracuseを離れますが、今度ここに戻ってくるのは8月初旬。でもすぐにDCに引っ越してしまうので、次にここで暮らすのは雪深い、来年の1月から。この街を離れる一つの区切りに、この一年間撮りためた、Syracuse(とその周辺)の写真を載せておきます。




ではでは、行ってきます。
Syracuse Int'l Airport, May 28, 9:37

Wednesday, May 27, 2009

MPA Farewell

送別会第二弾は、MPAの留学生グループの人たちと。アメリカ人も若干名。日本人の皆さんと違い、一旦卒業してしまうとそうそう簡単に会えない人たちなので、正直、昨日以上に寂しいと言えば寂しい(日本人の皆さんがどうでもいいってことではないんですよ!! ←逆に白々しい??)。
  
先週の"African Development Seminar"の副産物は、英語の会話能力(listening、spaeking両方)がかなり(??)改善された(と本人的には思っている)ことだ。少なくとも、ある程度、自信がついた。そのおかげで、今日はこれまでの食事会と違って、英語の壁をあまり気にせず気楽に話すことができた。が、それが、farewell parytyだったというのは皮肉。もうちょっと前に今日くらいしゃべれていたら、もうちょっと深い話もいろいろできただろうに。。。まぁ人生って、そんなものなのかも知れない(笑)
      
昨日始めたばかりの英語版blogについても宣伝してきた。この企画、正直どうなっていくのか、自分でも予測がつかないが、いちおう、狙いとしているのは、このblogをハブにして、Syracuseの同級生たちとのaliveな関係――何年かに一回、同窓会的に近況を伝えあうのではなく――を維持し続けるということ。もちろん、全員とつながり続けられるわけはないが、数人とだけでもコンスタントに情報を交換し合える間柄になっていければ、結構おもしろいんじゃないかと思う。
   
僕自身は、そもそも今もほとんど使っていないので、なんとも言えないと言えばなんとも言えないのだが、Facebookの"wall-to-wall"のような、easyだけど内容があんまり濃ゆくないコミュニケーションツールをベースにしたコミュニティは、みんなが社会に出て働き始めたら、意外と脆く崩れてしまうんじゃないかという気がする。いまはかなり盛り上がってるみたいだけど。むしろ、ある種逆説的だが、読むのに多少時間を取られる(その代り、それなりの内容のある)「読み物」ツールの方が生き残っていくのではないかと…。Twitter全盛のアメリカにあっては、この考え方自体、既に時代遅れなのかもしれないが、まぁ空振ったところで誰に迷惑をかけるわけでもないので、とりあえずしばらく、自分の直観を信じて(というほどたいそうな話でもないけど)英語版blogを続けていきたいと思う。

今日は、日中に、Popp先生のofficeを訪問。Independent Studyのことについて相談。Independent Studyというのは、授業を取る代わりに、教授の下でリサーチをして論文を提出することで、一コマ分の授業と同じだけの単位(3単位)がもらえるという制度。いろいろ思うところあって(←そのうち詳説するかもです)、Popp先生の下で、Independent Studyをすることを一か月くらい前から企んでいた。
  
「再生可能エネルギーに関する新規技術の普及を促進する政策について研究したい」という、我ながら至って抽象的なアイデアだけを携えて研究室に乗り込んできたのだが、Popp先生は、「renewable energy」「innovation」「diffusion」といった言葉を聞くなり、一も二もなく、指導教官になることを了解してくださり(笑)、さっそく、いくつか資料を送ってあげようととまで言ってくださった。非常にありがたし。
   
夏・秋の間に、下準備を進め、本格的には春学期に執筆し、春学期終了時点に提出、というこちらの立てたプランもすんなり了解していただけた。
  
ミーティングがうまく運んで良かったなぁーとご機嫌になりながら、自分のラップトップの前に戻ってみると、Popp先生からのメールが既に届いていて、論文の添付ファイルが6,7本。ずっしり。やや重だけど、こんな感じでPopp先生の下で勉強積んで、論文書いていけば、次の一年間で、結構いい勉強ができるんじゃないかなぁと…ひそかに期待している。
my home, Syracuse, May 26, 26:00

Tuesday, May 26, 2009

might be a reckless challenge...

有難いことに、今日から3夜連続で送別会でございます。第一弾の今夜は、日本人MPA会(?)の皆さんとご会食。いつもながら、「刺激」と「癒し」に満ちた、楽しいひとときでございました。
  
このメンバーでSyracuseで集まるのも、おそらくは、これが最後になるかと思うと(←僕以外のMPAの皆さんは6月で卒業してしまわれるので)、非常にさびしいものがありますが、これからもこのサイトで、無駄に(??)駄文・長文を発信し続けますので、ときどき遊びにきて、たまには、コメントも残して行ってくださいませ。今後も何かとお世話になることがあるかと思いますが、まずはとりあえず、この一年間、本当にありがとうございました。

さて、ここで一つお知らせが。Eggers CafeでのYさんとのテキトーな会話の勢いで(と言ってしまうと、たぶん言い過ぎですが。笑)、英語版のブログを始めることにしました。とりあえず、週一くらいで書いていこうと思うので、タイトルは単純に、"Weekly Marshall Street Journal"、略して"Weekly MSJ"です。まだまだ拙い英語ですので、お見苦しい点が多々あるかと思いますが、半分、英語の勉強と思って、ぼちぼち続けていこうと思いますので、気が向いたら、たまにはそちらも見てやってくださいませ。英語の誤りの指摘・修正・添削、大歓迎でございまーす。
my home, Syracuse, May 25, 25:25 

Monday, May 25, 2009

Public, Private, and Community

いろいろと紆余曲折はあったが、この9ヶ月間、香港人のルームメイトと暮らしてきた。
   
彼自身は、1月に「出戻り」してきて以降、人間的に、それなりに成長してくれたと思う(←超上から目線でスイマセン)。未熟なところを数え上げれば切りはないが、いろいろと悩める真面目な青年(少年?)であり、彼が是非にと言ってくれている明後日のディナーでは、そんな彼の人生相談にも、できる限り乗ってあげたいと思う。
  
しかし、彼の彼女、彼の友達、或いは「出戻り」以前の彼の姿を見ていると、Chineseという人たちについて、思うところがいろいろある。ある意味、いい勉強になった一年だったとも思う(苦笑)。
  
そんなに大きくもないサンプルから、母集団全体についての結論を引き出すことは統計学的に言えば邪道だということを重々認識しつつも、この一年間のルームシェアリングのまとめ(?)として、現時点での僕の「中国人観」を書いておきたいと思う。(当たり前の話として、この「中国人観」の枠に納まらない中国人の方は、いくらでもいらっしゃると思う。あくまで、僕の感じる一つの「傾向」として。)
    
彼らに関して僕が思うことは、日本人的な意味での(そしてそれは、世界の常識からそんなにずれていないと思うが)“private”と“public”の、両方に対する意識が極めて希薄だということだ。その代り、その中間的な位置づけとも言うべき“中国人community”という存在が、彼らの中で、絶対的な重要性を占めている。
    
この家での彼ら(=ルームメイトの彼女や、遊びに来る彼の友人)の振る舞いや、Maxwellの自習室での彼らの行動を見ていて思うのは、「完全に独りになる」という意味での“private”な時間は、彼らにとってはあまり重要でないらしい、ということ。ほぼ常に、同じメンバーで固まっている。自分も含め、日本人の「独りの時間」希求性は、確かに他の国の人たちと比べても強い方だと思うが、とはいえ、中国人の“communnity”帰属性の強さは、明らかに際立っている。
   
それと同時に言えることは、“community”の外側に対する彼らの関心・配慮は、非常に小さいということ。どこにいても、"Little China"とも言うべき彼ら独自のcommunityを形成し、外界とは、最小限の関係しか持とうとしない。その傾向は、大学院生になれば、学部学生よりも多少弱まる気がするが、それでも、Maxewllの中で、彼らのcommunityは確実に際立っている。
     
多少の主観が混ざっているかもしれないが、これが、現時点で僕が抱いている、中国人観、中国人コミュニティ観だ。この分析が、中国人一般に妥当するという根拠はどこにもないので、あくまで仮説に過ぎないのだが、この一年で僕なりに得た一つの「理解」の到達点として、書き残しておく。
my home, Syracuse, May 25, 22:52

Sunday, May 24, 2009

What EV will offer?

DCにいたときは「Syracuseに戻ったら、あっという間にGhanaに出発…」と思っていたものだが、4日間というのは意外に長いもんで、日中に部屋の片づけを済ませたら、「なんだ余裕じゃん」という気がしてきた。まだいろいろとpaper workは残っているので、ほんとに余裕かどうかは、3日後になってみないとわからないが(笑)、ともかく、一旦そう思ってしまうと、誘惑には抗いがたく、先日、奥さんが送ってきてくれた大量のニホン語booksの中から一冊を取り出して読み始めることに。

そんなわけで今、Nicholas Carrの“The Big Switch”(邦題『クラウド化する世界』)の邦訳版を読んでいる。各方面で評されている通り、非常に読みやすく、示唆に富んでいて面白い。敢えて比べる必要もないかもしれないが、『フラット化する世界』のトーマス=フリードマンより、よっぽど説得力がある。

ちょうどいま、半分まで読み終わったところだが、端的に言うと、こういうお話。

エジソンらによって電気の商業利用が開始された当時、電気は、それを使う事業者(工場)が個別に発電するのが当たり前だった。街灯などに用いられる非事業用の電気も、小規模な区画ごとに発電されるのが普通で、NYやシカゴといった大都市では、ひとつの街の中にいくつもの発電事業者が存在していた。そのような「分散型」発電システムが、徐々に、今日のような、集中的発電/広範囲送電システムにとって代わられることにより、電気をめぐる環境(ひいては近代社会そのもの)は、まったく新しい発展段階を迎えることとなった。

同様の転換が、今まさにITの世界で起ころうとしている。これまでは、各オフィスごとにサーバを設置し、諸々のアプリケーションを購入するのが当たり前だったが、Googleに代表される次世代のIT企業の登場により、コンピューティングサービスは、高速回線を通し、インターネットの向こう側から提供されるものになりつつある。このようなビジネスモデルの転換は、電気に関して起こったのと同様の、大規模な社会的転換をもたらす可能性がある。

この本についての感想は、全部読み終わってから改めて書くとして、今日、この本を読みながら考えていたのは、(しつこいようだが)betterplace社のEVビジネスのこと。

電気にせよ、ITにせよ、新しいモデルを導入するときには常に、「克服不可能」と思われるほどの技術的・経済的困難が伴った。しかし、それらの困難は、先見性に満ち、リスクテイクに積極的な各時代のベンチャー起業家らによって打ち破られてきたわけだ。ただ、ここでひとつ言えることは、(世間の人たちがどう思うかはともかく)少なくとも彼ら起業家たちの頭の中には、「もしそのモデルが軌道に乗れば、旧来のモデルを遥かに凌ぐメリットが得られるはず」という算段があったということだ。電気の集中発電化は、各工場を「発電機の保有・運転」という経済的呪縛から解放し、彼らの経済活動をより自由なものにした(当然、それによって得られるメリットの一部は、電気代という形で、発電事業者にも還元された)。ITにおけるサービスモデルの転換についても、本質的には同じことがいえる。逆に言えば、そのような「大きなメリット」が向こう側に見えていない状況では、大規模なシステム転換は起こり得ない、ということなのかも知れない。
  
と、考えたときに、自動車の動力を石油から電気に変えることの社会的メリットとは何なのだろうかと思えてきた。その点が、まだ十分見えていないことが、ベ社の挑戦の最大の弱点なのではないかと。
  
ベ社の仕掛けようとしているビジネスは、電気やITと同様、非常に大規模なインフラの転換を伴うものである。そうである以上、一定の過渡期を除き、<二つの形式>が併存し続けるとは考えにくい。大規模なインフラを二重に維持し続けることは、それ自体、社会にとってきわめて非効率だ。もし、ベ社型のEVモデルが本当に有利だと認知されれば、(現時点ではにわかに信じにくいことだが)ガソリンを動力とする今日の自動車システムは、数年後、十数年後には駆逐されるだろうし、そうでなければ、ベ社の挑戦は、遠からず、撤退を強いられるだろう。
  
一つ、確実に言えることは、電気自動車の方が、(システム全体で見ても)CO2の排出量が少なく、また、排ガスの問題も生じにくいということ。ただしこのメリットを、個々の主体の経済活動に織り込むためには、政策的な転換装置(=外部不経済の内部化=炭素排出の有料化)が必要だ。今のところ、十分な「転換装置」を導入していると言える国は、先進国の中にも見当たらないが。
  
本当のところ、ベ社の人たちが、何を「EVのメリット」として認識しているのか、その点は非常に気になるところである。が、もし唯一最大のメリットが、その「環境性能」なのだとしたら、そのメリットを顕在化させるためには、市場のデザインを変える必要がある。言うまでもなく、それは政府の仕事だ。そして、(ベ社に限らず)EVを普及させるために政府ができる、最大の貢献であるとも思う。補助金よりも、何よりも。
my home, Syracuse, May 24, 24:36

The Best Places to Work in the Fed Gov't

The Partnership for Public ServiceというNPOがAmerican Universityと共同で実施した“Best Places to Work in the Federal Government”というリサーチの2009年版調査結果が発表されている。

その名の通り、連邦政府の機関を「働きやすい」順にランク付けしちゃおうという企画。279の連邦機関及びその下部機関が対象で、21万2000人以上の官僚へのアンケート結果を元に集計しているらしい。その数、実にSyracuseの人口の1.5倍。

14の小項目について各機関を評価し、その結果を得点化。それをもとに、総合的な「職員満足度」を算出している(相加平均化なのか加重平均なのかは不明)。ランキングは、「Large Agency」「Small Agency」「Agency Subcomponents」ごとに行われており、「Large Agency」のトップ10は以下の通り。

1. Nuclear Regulatory Commission
2. Government Accountability Office
3. National Aeronautics and Space Administration
4. Intelligence Community
5. Department of State
6. Environmental Protection Agency
7. Department of Justice
8. General Services Administration
9. Social Security Administration
10. Department of Commerce

ついでに載せておくと、14の評価項目はこんな感じ。

  • Employee Skills/Mission Match
  • Strategic Management
  • Teamwork
  • Effective Leadership
  • Effective Leadership - Empowerment
  • Effective Leadership - Fairness
  • Effective Leadership - Leaders
  • Effective Leadership - Supervisors
  • Performance Based Rewards and Advancement
  • Training and Development
  • Support for Diversity
  • Pay and Benefits
  • Family Friendly Culture and Benefits
  • Work/Life Balance
この企画、2003, 2005, 2007と行われてきて、今回が4回目。 実施しているNPO(The Partnership for Public Service)はナニモノ?? と思って調べてみたら、2001年にJustice Departmentを退官したHeymanというおじさんが、最近の国家官僚の質の低下を憂い、連邦政府が、かつてのような“America’s best and brightest”を引き寄せる場に甦ることを願って(そのことは国益にも適うと考えて)、同世代のおじさんたちと一緒に立ち上げた機関らしい。詳しくはこちらを。

中央政府の無能ぶりが連日のように報じられているのは日米に共通だが、「如何にすればうまく機能するか」という前向きな議論は、アメリカでの方が積極的に行われている気がする。この手の調査にしても、霞が関で同じことをやろうと思ったら、えらい騒ぎになるだろう(というか、たぶん出来ない)。そもそもの国の成り立ちの違いが一つの原因なのかもしれないが、仮にそうだったとしても、日本も真面目に考えないといけない時期に来ていると思う。
my home, Syracuse, May 24, 20:01

What to do in Ghana

無事、Syracuseに帰還。

それなりに大きな期待を寄せて参加した、今週の“African Development Seminar”であったが、終わってみると、幸いにも、当初の期待をも上回る成果が得られたと思う。たくさんの情報を仕入れられたことは言うまでもなく有意義であったし、それにとどまらず、同級生たちとの議論を通して、気持ち・モチベーションの面でも、良い刺激を得られたように思う。

そんな中、先週、NYCで考えた、「この夏のインターンで何を見、何をすべきか」という問についても、一定の答えが得られた。
  
今後の人生で自分がやりたいことは、決して「開発」そのものではない。言うなれば、「開発」と「環境」という二つの世界を、より効果的・効率的に<繋げる>方法を見つけ出すということ(「開発」と「環境」だけでなく、「環境」といろんな分野を<繋げ>たい)。非常に抽象的な言い方なので、もう少し具体的に言うと、たとえばこんな感じ。
  
気候変動がアフリカに与える悪影響を強く懸念している「開発」分野の人は多い。彼らは、「砂漠化、食糧難、難民の増加、政情不安などの様々な問題が、気候変動によってアフリカ諸国で引き起こされる」と訴える。しかし、これらの問題を個別に扱うのではなく、「(気候変動への)adaptation」という括りで、集合的に扱おうとするならば、それを扱うアリーナは、おそらく、「開発」の世界ではなく、「環境」の世界の一部になるはず(京都メカニズムで、CERs発行益の2%がAdaptation Fundに収められると規定されているのはその好例)。少なくとも、「環境」と「開発」の共催アリーナで議論がなされるはずであって、「環境」の世界の人間のあずかり知らぬところで議論が進められるということは、多分あり得ない(なぜなら、adaptation名目でaidが行われる以上、その原資は、各国の環境セクションを通して拠出される可能性が高いから)。
   
問題は、「環境」の世界に、「開発」に明るい人間が多くはないということだ。少なくとも、日本についてはそうだと思う。「環境」の世界に本籍を置きつつ、「開発」の分野にも「関心」を持っている人、「simpathy」を抱いている人は多いと思うが、「開発」に関するきちんとした知識を持っている人がどのくらいいるかというと、かなり怪しい気がする。
  
僕のやりたいことは、「開発」の世界も見渡しながら、「環境」の世界の判断ができるようになること。たかだか一夏の付け焼刃で、「開発」分野の専門家に追いつけるわけはないのだが、「開発」「環境」両分野のnexusとして働けるくらいの理解を得ることは、もしかしたら可能なのではないか…と。とりあえず、そのゴールに少しでも近づくことが、この夏の目標。その意味では、僕がガーナでやるべきことは、きわめて当たり前と言えば当たり前で、開発と気候変動問題との関係(mitiagtion、adaptationの両面)に関し、自分なりの視点を得られるよう、見聞を積んでくるということだと思う。mitigationに関しては、「まだまだmitigationを考えるような発展レベルにはない」という結論に至るならば、それはそれで良し。いずれにせよ、どこかから借りてきた言葉ではなく、自分の言葉で語れるようになることが重要だと思う。
 
ここまで考えると、出発前に勉強しておくべきこともおのずと見えてきた。明日からの4日間、引っ越し準備を進めつつ、どこまで勉強しておけるかが、まずは勝負。
   
ここ一週間、もっぱらアフリカ関係の記事を書いてきたが、環境関連のニュースを一つ。今週21日(木)、下院のEnergy and Commerce Committeeは、Waxman-Markey法案を可決したとのこと。Gristによると、他にも最低6つの下院委員会が、本法案の jurisdictionを主張しているらしく、成立はもちろん、下院通過まででも、道のりは、まだまだ、まだまだまだまだ長そうだが、ともあれ、歴史的な一歩が刻まれたということで、拍手。
my home, Syracuse, May 23, 25:28

Saturday, May 23, 2009

Wrapin' up African Development Seminar

今日で、“African Development Seminar”の授業は、実質的にほぼ終了。というわけで、この授業から得られた新たな発見をまとめておきたい。超基本的なことも混ざっていると思うが、どうかご容赦のほどを(←読者さんの中には、その道のプロの方もいらっしゃるので…。恐縮)。
  • 一国の経済が安定的な成長を遂げるためには、とにもかくにも健全な農業を育てることが大事。農業が発展する中で、それに付随するインフラ(作物輸送用の道路、国内市場、輸出港etc.)が整い、将来の工業化への礎が築かれる。香港・シンガポールといった都市国家以外の国で、このステップを飛び越して工業化に成功した国はない。
  • 南アフリカを除くSub-Sahara諸国の中で、最も経済的に成功している国はBotswana。他のSub-Sahara諸国とは異なり、“middle-developed”に分類されている。政治的にも40年来の伝統を誇る民主主義制度が安定的に機能。ただし、近年は、世界最高の感染率を記録しているHIV/AIDSが非常に大きな国家的課題となっている。
  • Sub-Saharaは、気候変動の影響が最も深刻に発現する地域と言われている。そもそも、世界的な温暖化の進行に伴って、地域的な気候変動が大きく現われると予測されている上に、その大半(97%)が非灌漑で行われている同地域の農業は、降雨パターンの変化に対して脆弱で、多少の変化でも深刻な食糧難につながりかねない。当然ながら、食糧難は、新たな難民問題にもつながる。
  • 現在、アフリカ諸国では、欧米を本拠とする多くのNGOが活動しているが、それら地域の中には、複数のNGOによる「サービスの重複」が生じてしまっている地域もある。たとえば、HIV/AIDSが深刻なある地域では、蔓延の実態を把握するため、3,4の団体が、それぞれ独自に住民からの血液サンプル収集を行った、なんて話もあるとか。NGO間のcoordinateを進んで買って出ようとするNGOはないため、この「重複」問題は放置されているケースが多い。諸団体間のcoordinationをmisionとする国連機関OCHA(UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs)が設立されてはいるが、これまでのところ十分に機能しているとは言えない。
  • 中国・インド両国(特に中国)による、近年のアフリカ進出には目を見張るものがある。この話は、この一週間、本当にいろんな人から聞かされた。詳しくは火曜日のエントリーを。
  • 世界金融危機はさまざまなチャネルを通してアフリカ諸国にも深刻な影響を与えている。Sub-Saharaの多くの国は、GDPの大半を特定の資源・作物の輸出に依存しているため、当該商品の輸出減少は、それら国々の国民経済に壊滅的な影響を与えている。また、近年、ODAから民間FDIに、主たる資本供給元をシフトさせつつあった国も多く、そういった国々は、金融危機以降の民間投資の干上がりに苦しんでいる。
  • 政府からのaidについては、援助する側が、長くても2, 3年以内の短期的な予算を好む(実際、国内の予算編成・執行プロセスを考えると、10年モノなどの予算を組むのは困難)のに対して、援助される側の国は、2, 3年というスパンは短か過ぎると考え、より長期での援助を望む傾向にある。援助期間に関する恒常的なミスマッチが生じているといえる。
ちなみに、ガーナについては、
  • (Sub-Saharaの中では)非常に安定した民主主義体制の下、首都のある南部を中心に、一定の経済発展がなされている。
  • 近年、ガーナの経済発展の足かせとなっているのは、更なる工業化に必要な、エネルギー供給の不足。このため、三軒隣のナイジェリアから、天然ガスのパイプラインを引いてくる計画が進められている。
  • また、北部はいまだ低開発の状態にあり、灌漑も十分ではないため、今後、温暖化が進行した場合には、農業に深刻なダメージが生じる可能性が高い。

とのこと。

明日、最終日の授業(午前中のみ。今週一週間のまとめ)に出た後、また6時間かけて、えっちらおっちららSyracuseに帰ります。
Calvert House, DC, May 22, 25:19

Thursday, May 21, 2009

NGOs in US

気がついたら、ガーナ出発の日まで一週間を切っていた。来週の今頃は大西洋の上空を飛んでいるはず。手続きミスでJFKに足止め、なんてことになってないことを祈る…(←この人、わりとやりかねない)。
  
さて、現在受講中の“African Development Seminar”も半分以上が終了。残るは明日と土曜日午前中の1日半のみとなった。
  
アフリカに関する授業を受けていながら、こんなことを書くのも変と言えば変なのだが、今日はアメリカについて書きたいと思う。

この授業を受けながら、改めて、アメリカのNGOの層の厚さを感じている。毎日、6人前後のゲストスピーカーが、代わるがわるやって来ては各分野のお話を聞かせてくれるのだが、これまでにやってきた人たちの半分以上はNGO職員。
  
日本でNGOというと、正直、advocacyのイメージが強いのだが、しゃべりに来てくれた人たちは、みな、経験豊富な実務家。外交官と同じセッションで話していてもまったく違和感はなく、広い意味での「同業者」といった感じで、会話を楽しんでいる人が多かった。
  
今日は、2、3人のグループに分かれてNGOを訪問するという企画があり、僕はもう一人の生徒と一緒にWWF本部を訪ねてきたのだが、そこで話を聞かせてくれた女性(僕と同じ年くらい)の雰囲気・話し方もこの国の行政官のそれとほとんど変わりなく(日本に比べて国の役人の物腰が、やたらフランクだということもあるのだが)、「ヒステリックに捕鯨問題を詰められたらどうしよう」という僕のささやかな心配は、まったくの杞憂に終わった。
  
彼女のディビジョンは、東アフリカ地域(ケニア、タンザニア、モザンビーク、マダガスカル等)の国立公園及びそれに隣接する海域の保護を担当している。担当地域内にいくつかある保護区ごとに保全のための計画を立て、地元政府と合意を結んだ上で、WWFの現地事務所職員を動員して計画の遂行に当たっている。分野が限られているとはいえ、彼女のディビジョンのやっている業務は、行政のそれとほとんど変わりない。海上での違反者(密漁者)の取締りに当たっては、地元政府だけでなく、US-navyの助力も得ているとか。ここまで来ると、ある意味、米国政府の一部として機能している、と言えなくもない。
   
さらには、ケニア-タンザニア国境を越えて移動するゾウの生息域を保全するため、国境沿いに広がる両国の国立公園を一体的に保全する計画を作ってみたり、はたまた、保全プログラムの一環で地元住民が作った有機作物を、WWFのヨーロッパの支部が欧州各国で販売してみたりと、一国の行政機関には真似できない“政策”までやってのけている。また、自然環境だけでなく、地元住民の生活水準も改善するため、貧困問題を扱う国際NGO CARE と連携し、住民の生活と野生生物の保護とを一体的に保全・改善するプロジェクトも動かし始めているとのこと。こうなってくると、Non Government Organization と Governmet の差は、かなり相対的である。
   
なぜアメリカのNGOには、こんなにも実行力があるのか。もちろん、「カネがあるから」「ヒトがいるから」が直接の答えなのだが、なぜカネやヒトがNGOに集まるのか…とさかのぼって考えてくと、「この国の人たちにとって、政府とNGOとの間には絶対的な違いがないから」という答えに行きつくのではないかと思う。やや極端な言い方かもしれないが。
  
この国の政府は、もともと、NGOみたいなものから始まった。ヨーロッパから新大陸に渡ってきた人たちが、自分たちの暮らしをよりよくするために、自発的に設立した「自治会」がこの国の政府の原型であり、日本のように、元から「政府」や「お上」が鎮座ましましていたわけではない。
 
「建国の経緯は確かにそうかも知れないが、建国から既に200年以上がたった今では、そんな名残も消えているのでは」と思いつつアメリカに来てみたのだが、実際、こちらで暮らしていると、この国の政府(←連邦・州・地方いずれも)の「自治会」的性格に気づかされることが意外に多い。
  
NGOが非常に強力なのも、政府が「相対的」存在であることの裏返しなのではないか。そう考えると、日本にアメリカ流の強力なNGOがなかなか育たないのは、単に「NGOの歴史が短いから」ではなく、そもそも、国の成り立ちが違っているから、という気がしてくる。
  
それが善いとも悪いとも、なんとも言えないのだが、とりあえず、アフリカについて勉強しながら、アメリカについて思ったことであった。
Calvert House, DC, May 22, 25:19

Tuesday, May 19, 2009

China and Development in Africa

今日の授業のお題の一つは「アフリカの開発と中国」。以下、今日の読み物からの抜粋を。
  • アフリカ各国は、中国の経済成長とそれに伴う天然資源への需要増大から、大きな経済的利益を得ている。アフリカからの中国向け輸出額は、2000年から2005年までの5年間に、年平均48%の割合で増加。この増加率は、同期間の米国向け輸出増加率の2.5倍、EU向けの4倍。
  • 中国は、天然資源の購入にとどまらず、西側諸国が長らく手控えてきた分野(大規模インフラ、製造業、農業)への投資・支援も積極的に行っている。
  • 中国製の安い工業製品もアフリカ各国に大量に流入しており、衣料品などを中心に、アフリカの国内製品が市場から駆逐される事態も。
  • 中国系企業による工業製品の現地生産も行われているが、労働力・原材料とも中国本国から持ち込んでくるため、地元経済へのプラスの波及効果は限定的。
  • 中国の企業は国営(或いはその系列)であるため、各企業ごとに黒字を出す必要がなく、パッケージを組んで参入する(言わば「損して得取る」)ことが可能。更に、商談とaidのofferがセットになっていることも。OECDでは、こういった形でのdealを控えるよう取り決めしているが、OECD国でない中国には無関係。
  • 「十分な民主化がなされていない」などの理由で、西側各国やIMFなどの(西側)国際機関が援助を控えている、スーダン、アンゴラなどの国にも、中国は無条件で援助を行う。
  • 西側の援助の対象になりうる国にとっても、援助と引き換えにもろもろの条件をつけられ、かつ、手続き(環境アセスなども含めて)にやたらと時間がかかる西側の援助よりは、無条件かつ迅速に動いてくれる中国の方が便利。

これだけ読んでいると、「あぁ、やっぱり良貨は悪貨に駆逐されちゃうのね。。」と、思いそうになるのだが、事態はそんなに単純でもないようで…。

授業後、例の相部屋のべニン人のおじさんと、この件について話をしてみたところ、彼が言うのにも、やはり、中国のaidは迅速かつ効果的らしく、USAIDと違って被援助国が本当に望んでいるものを提供してくれるんだと言っておられた。地元に雇用を産み出さない(=労働者を本国から連れてくる)点については批判していたが、総じて言えば、中国から援助を受ける方が「より便利」なんだと。

また、アメリカの「民主主義の押付け」には、相当、嫌気がさしておられるご様子。彼自身、「自由と民主主義が大好きだ」と言いつつも、「民主主義にもいろんなフェイズがあるんであって、各国の発展段階にお構いなく、単純に“アメリカ流”を押し付けられるのはかなわん」という趣旨のことをおっしゃっておられた。(ちなみに、彼の出身国であるベニンは、20年の伝統を持つ安定した民主主義国家。)
   
ベニンでも、中国は積極的な投資・援助を行っていて、中国製品も盛んに流通しているとのこと。これといった天然資源のないベニンのこと、「何が彼らの狙いなんだろう?」とCさんに聞いてみたら、「市場だろうね」とのお答え。首都には、made by Chinaの巨大なサッカー場もあるらしい。ちなみに中国の援助は、USAIDやJICAのようなAgencyを通さず、大使館自らが取り仕切って行っているとのこと。
  
ゲストスピーカーで来ておられたCSISの研究員の方は、「中国の援助の仕方にはいろいろと問題もあるが、USAIDがここ20年の間に見失ってしまっていたpracticalityを多分に備えているのは否定できない。中国、アメリカ双方ともにお互いから学ぶべきところがある」とまとめておられた。言いたいことも分かるが、そんなにきれいにまとまる話ではないような気もする。中国については、他にもいろいろ書きたいことがあるのだが、明日も朝から授業なので、またの機会ということで。
Calvert House, DC, May 19, 25:21

Monday, May 18, 2009

Key Challenges to Development in Africa

African Development Seminar 2日目。今日から金曜日までは、朝から夕方まで、みっちり授業。

この講座、先生が講義することはほとんどなく、ゲストスピーカーのスピーチと、それを踏まえてのディスカッションが中心。今日は“Key Challenges to Development in Africa”というテーマの下、食料問題、感染症(主にマラリア、HIV/AIDS)対策、gender equity、気候変動への対応など、幅広い論点についての議論がなされた(←報告電かよ…)。
 
受講生は13人。うち、アフリカ出身者4人、ヨーロッパ人2人、アジア人が一人(=僕)で、残りはアメリカ人という構成。先生(女性)は、元国務省の役人で、元在ギニア大使という経歴をお持ちの方。genocide直後のルワンダ駐在も経験されたらしく、ルワンダ関係の著作もあるとか。とにかく、アフリカに関する知識が半端ない。
  
生徒の中では、行きの車を同乗してきたベニン人Cさんのお話が面白い。地元NGOで10年間働いていたというだけあって、単なるアフリカ擁護論でもなく、奥が深い。今日、一番印象に残った彼の話は、「aidのdonor国がしたいことと、受入国がして欲しいことはかみ合わないことが多い」というもの。donor国としては、自国内でのaccountabilityの問題もあり、一定期間で目に見える形の成果を挙げようとする。一方の受入国からしてみれば、いくら援助が入ろうと、これまでの長い積み重ねのある文化・習慣を短期間に変えるのは困難。そこにミスマッチが生まれる。donor国の国内事情も分かるのだが…とのこと。
 
開発の世界の皆さんからすれば常識的な話なのかもしれないが、僕的には、軽く目から鱗が落ちる思いがした。税金を使ってaidをする以上、何らかの「評価」は当然必要なのだろうが、評価のフレーミングが不味いと、遡って、政策そのものが歪んでしまう。aidに限らず、国内政策でも起こりうる問題だと思うが、こうなると完全に本末転倒。とかく、政策評価というのは大事なのはわかるが、そのやり方は難しい。
    
お昼休みには、秋インターンでお世話になる予定の機関に挨拶に行く。ボスになる予定の方がMaxwell almuniという話は聞いていたのだが、vacation中でお休みとのことで、同じチームの別の方にお会いさせていただくことに。お会いして少しお話するうちに、なんと、その方もMaxwel alumniであることが判明。 たまたまとは言え、Maxwell ネットワーク、恐るべし。
 
夜は夜で、世銀系の某機関で働いておられる日本人の方とお食事。アフリカの開発の話で盛り上がる。その方曰く、「『日本は輸出依存から脱却すべし』という議論はナンセンス。日本の生き残っていく道は、輸出と(その延長線上にある)直接投資(FDI)しかない。何年後かにはアフリカも発展の軌道に乗り、(援助ではなく)FDIの候補地の一つになる、はず」との由。安易な「輸出依存脱却」論よりも、僕としては、よほど合点のいくお話だった。
Calvert House, DC, May 18, 22:41

Sunday, May 17, 2009

African Development Seminar

一週間の短期集中講座、“African Development Seminar”が始まりました。今日(日曜日)から来週の土曜日までの7日間。基本的に毎日、「読み切れない」量のreadingが課されているので、とにかく読めるだけ読んで授業に臨む、という一週間になりそうです。そんなわけで、しばらくは更新も滞るかもしれませんが、元気にやってますのでご心配なく。でも、できるだけ、少しずつでも毎日、何か気付いたことを書くようにしたいと思ってます。

今日は、お昼に、職場の先輩から、中華料理をご馳走になり、夜には、先生以下、この講座の受講生みんなでエチオピア料理を食べにいって、確実に体重の増量に成功しました。最近、ほんとヤバいと思います。。。
Calvert House, DC, May 17, 21:42

Farewell Excursion, Side Effect, and Drive down to DC

久々に二日続けて投稿、サボってしまいました。今日はこの間の日記を。

【15日】
MPAの留学生メンバー(+アメリカ人若干名)で、お別れ遠足に。目的地は、Skaneatelesという、Syracuseから車で一時間くらいの湖畔の避暑地。地元名物レストランのfish & chipsをいただいた後、湖畔の芝生で、サッカー、フリスビー、記念撮影 etc. フリスビーが湖に落ちるというお約束付き(←その辺に浮かんでた木の枝のおかげで無事生還)。一緒に行った人たちのほとんどは一年コースなので、僕がGhanaから帰って来る前には卒業してしまう。みんなと、こんな風にのんびり遊べるのも最後かと思うと、いささか寂しいものが…。とはいえ、最高のお天気の下、木々の緑も湖の青も美しく、非常に素敵な一日でした。

と言っていたら、夜中ごろから、なんだか体調がおかしい。頭が痛く、ムカつきがあり、勉強に集中できない。うーん、疲れだろうか、風邪だろうか、それとももしや、豚!? と思っていたら、夕方に、腸チフスの経口ワクチンを飲んだことを思い出す。説明書きを改めてじっくり読んでみると、「よくある副作用」の症状と完全に合致していることが判明。と言ってる間に、気づいたら寝ていた。。

【16日】
体調不良は続き、DC行きの準備はなかなかはかどらず。予定では、前日までには荷物のパッキングも済んで、事前提出ペーパーを書きあげてるつもりだったんだけど。。。イマイチ体調の戻らないまま、午後1時に友人たちをピックアップし、車でDCに出発。車は僕のを出したのだが、体調不良ということで、運転は、他の二人にやってもらうことに(ありがたし)。

Penn Stateに入ったらあたりからなんとか体調も回復。同乗メンバーともぼちぼちしゃべり始める。今回のメンバーは、ナイジェリア人A君、べニン人Cさんと、アメリカ人のP君。アフリカのお二人は、僕と同じ、DCでのコースに出るためで、アメリカ人のP君は、単純にDCにいる彼女に会いに行くためとのこと。内輪ネタで恐縮だが、P君はGAOへの就職が決まっているらしく、彼曰く、彼のほかにもう一人MPAの中からGAOへの就職が決まった人がいるとのこと。また、他にも何人か、まだ選考過程に残っている人がいるそうだ。なんだかんだいって、アメリカ人の同級生たちはそれなりにFederalに就職するのだろうか、なんて思ってみたり。どうだろうか?

で、夜、DCに到着。今朝、事前レポートをようやく書きあげて提出。これから、DCの某先輩とランチをご一緒させていただき、今晩から、African Development Seminarのintensiveな一週間が始まります。
Calvert House, DC, May 17, 10:25

Friday, May 15, 2009

Africa’s Stalled Development

今週末から始まる一週間の短期集中講座“African Development Seminar”の予習用課題図書“Africa’s Stalled Development -International Causes & Cures-”を読む。2003年に出版された本で、著者は、UC BerkeleyのPolitical Scienceの先生と、University of Wisconsin-Madisonの同じくPolitical scienceの助教授。

旧宗主国から独立して以降の40年間、なぜアフリカ諸国の発展は停滞(Stall)したままだったのか――その理由に迫ろうという趣旨の本。

同じ主張の繰り返しが多くて論理の流れが明快でなく、あまり読みやすい本ではなかったが、本書の主張の中心部分を短くまとめると、たぶんこういうことだと思う。

アフリカ諸国の低成長の原因を、それら国々の文化的特徴に求めるのは誤り。(植民地時代の遺産である)それら国々の社会構造にこそ、本当の原因がある。

多くのアフリカの国の経済は、enclave production――特定の地域から産出される一次産品(通常、枯渇性)であって、そのほとんどが輸出に回される商品の生産。石油・鉱物などの天然資源及び大規模プランテーションで生産される輸出向け商品作物など――に著しく依存している。enclave productionの利権さえ掴んでおけば、諸々のrent(税、賄賂、顧問料など)が自然に転がり込んでくるので、そういった国のエリート層は、envlave productionの経営にばかり関心が向き、generalに国の生産性を上げようというインセンティブを持たない。

一方で、enclave productionに付随するrentは、特定の集団への利益供与の温床となり、大統領及びその取り巻きによる“personal rule”(国家の私有化/私的国家経営)を惹起、国民一般が利益を享受できる健全な形での経済の発展の妨げとなる。

多額の財政赤字と先進諸国からのODAのコンビネーションも、アフリカ諸国の停滞に一役買ってしまっている。多くのアフリカ諸国では、財政赤字の額が、ODAなしには利子を払い続けられない水準に達しているため、毎年、(その国の経済規模に比して)多額のODAを受け入れることが必須化・常態化。結果、エリート層は、よりよい内政を敷いて国内の生産力を高めることに関心が向かず、外交にばかり関心を払うこととなる。

このような事情が重なり、アフリカ諸国と欧米諸国との関係(connection)が、発展を妨げる中心的な原因となってしまっている。先進各国は、「従属理論」が指摘するように、意図的にアフリカ諸国を低成長の状態に留めておこうとしているわけではなく、アフリカ諸国の発展を本当に望んで諸々の援助などを行っているのだが(先進国にとっては、アフリカ諸国が安定的に発展してくれる方が、より大きな経済的利益が得られる)、結果的にはそれが裏目に出ており、この両者の関係を根本的に改めないことには、アフリカが低成長から脱することはない。

目から鱗というほどではないが、「なるほどね」という内容の本であった。

今日の記事とは全く関係ないが、数日前に紹介したベタープレイスについて二点。一点目。シリコンバレーの新聞San Jose Business Journalの今日(5/14)付け記事で、13日に横浜で行われたベタープレイスのバッテリー交換デモンストレーションの模様が紹介されていた。ご参考まで。
  
二点目は、ある読者さんから個人的に頂いたご指摘。「車の保証・バッテリーの保証」を誰が行うか(車メーカー?バッテリーメーカー?システム供給者?)が最大のネックとなり、ベタープレイスのビジネスモデルの成功は厳しいのではないか、とのこと。
  
こういうご指摘は本当に勉強になる。言うまでもないことだが、(自分も含め)役所の人間はビジネスの話に疎い。都市国家的な国ならともかく、日本くらいの大きさの国になれば、財/官の分業は徹底せざるを得ないから、役人がビジネスに(ある程度)疎いこと自体は致し方のないことだと思う (疎いどころか無関心なのは大問題だが)。ポイントは、政策を走らせる前に、どれだけ実業界からの意見を聞いて政策に反映させられるかだろう。以前のエントリーでも書いたように、Obama政権のstimulusの環境・エネルギー関連部分(←日本で、“グリーンニューディール”と呼ばれているもの)の立案に当たっては、実業界を巻き込んだ、相当入念な準備が行われている。
my home, Syracuse, May 15, 25:43

Wednesday, May 13, 2009

Back to Syracuse –NYC #3–

昨日の午後は、一風堂でラーメンを食べる以外にこれと言って具体的な予定もなかったので、カメラ片手にNY市内をぶらぶらしてみた。一か所、前から気になっていた場所があったので、その場所にも足を運んでみることに。

その場所というのは、Manhattan島の東に浮かぶ細長い小島、Roosebelt Island。地下鉄のほかに、空中トラム(一種のロープウェイ)でManhattanと結ばれているのだが、初めてNYCを訪れたときに観た、ビル群の中をロープウェイが飛んでいく光景が忘れられなくて、いつか、そのトラムに乗って、上陸してみたいと思っていた。

島内には、これといった観光地もなく、普通のガイドブックにはその名前すら出てこない。Wikipediaによると、島全体の土地がNY市政府に保有されており、市政府はその土地を、1969年から99年間の契約で、NY州の都市開発公社に貸与しているとのこと。なんで「土地の租借」となると、世界中どこでもお約束みたいに「99年間」ということになるんだろう?? ともあれ、その半永久的な租借契約の下、主に開発公社が住宅を整備しており(少しだけ、民間保有の高級アパートもあるらしい)、2000年の調査では、9,520人が、島内に居を構えているとのこと。
  
以前、島をまたいでManhattanとQueensを繋いでいるQueensboro Bridgeの上からRoosebelt Islandを見下ろしたときには、あまり活気があるようには見えなかったので、治安を若干心配しながら上陸してみたのだが、いざ、歩き始めてみると、さほど危険を感じる空気ではなく、近年、再開発が進んでいるのか、かなりの高額所得者向けと思しき集合住宅もいくつか建てられていた。島南部の土地は大学病院に占められていて、更にその突端は警察の管理する一般人立入禁止区域。高級マンションとのアンバランスさが島全体を、ある種、不思議な空間にしている。
  
それにしても、この島から見るQueensboro Bridgeは素晴らしい。大きすぎて、写真では、その迫力をうまく再現しきれないのだが、何枚かはいちおうまともな感じで撮れたので、後で載せておく。

今日は、朝一にNYCを発ち、Amtrakに乗って、一路Syracuseへ。Penn StationからSyracuseまで、所要5時間30分。一度、アメリカでの汽車旅をやってみたいと思ってたので、比較的時間に余裕のあった今回、敢行することにした。

乗ってみると、これが意外と快適。greyhound(長距離バス)の乗り心地の悪さとは比べ物にならない。所要時間もバスとほとんど変わらないし、値段で言えば、Amtrakの方が安い。ネックは本数が極端に少ないこと。NY-Syracuse間のまともな直通列車は、日に二、三本しか運行されていない(まともでない列車だと、Albanyの乗り継ぎで、数時間待たされたりする)ので、運よくタイミングが合わないと、実質的に使えない。ちなみに、僕が今日乗ってきた列車は、カナダ・トロントに直行する国際列車。Penn Stationの改札には、国境越えをする人たちのための簡単な手続きデスクも設けられていた(正式なパスポートコントロールは、実際に国境を越えるときに行われるんだろう)。
  
先週末、車でボストンに行った時にも思ったことだが、この国には(少なくともこの国の東北部には)、「近郊農業」なる概念は存在しないらしい。いわんや、「里山」なんてものは皆無。日本だと、都市の周辺にまず住宅地が広がり、その外に近郊農業地帯が続いて、さらにその側には里山が広がり…という具合に段階的に集住の密度が下がっていくのが一般的だが、この国は、やや大げさに言えば、市街地から、手つかずの自然へと、一気にストンと落ちる感じ。ボストンやNYといった、世界的にその名を馳せる街でさえも、日本人の僕からすると意外なほどに、原生自然がすぐそばまで迫っていることに驚かされる。
  
ただ、そういった原生的な自然が美しいかというと、若干、疑問符が付く。要するに、「人間の手が入っていない土地」というだけであって、それが必ずしも美しいとはいえず、むしろ雑然とした印象を与える空間でさえある。「手つかずの土地=遠隔地=美しい」という二連方程式は、どうもこの国では通用しないようだ(あるいは、それが通用するのは日本だけなのか??)。

Amtrakに乗ってみて、もうひとつ驚いたのは、路線が電化されていないということ。それに気づいたのは、Albanyを過ぎてからだったので、もしかしたら、NYC-Albany間は電化されていたのかもしれないが、少なくとも、Albanyより西側は、未電化。つまり、僕が今日乗って帰ってきた列車は、「電車」ではなく、「ディーゼル機関車+客車」だった、というわけ。

この電化のことにしてもそうだし、上に書いた、列車の本数のことにしてもそうだが、この国では、圧倒的なまでの高速道路網が整備されている反面、鉄道に対しては、非常に小規模な予算しか注ぎ込まれてこなかったらしい。どっちが鶏でどっちが卵かはわからないが、実際、この国の人たちと話していても、鉄道への関心・期待度は著しく低く、長距離移動の手段として鉄道がオプションに上がることは、ほとんど(というか、全く)ない。来年度の通常予算に盛り込まれた「世界基準の高速鉄道」の建設が進めば、こういった状況も多少は変わってくるのだろうか。

以下、今回の旅の写真を。


NYCもまぁもちろん良かったのだが、Syracuseに着いて、緑あふれる静かな街の中をCR-Vで走っていると、妙に「帰ってきた」という感覚を覚える。今がSyracuseにとって、一年で一番いい季節(だと思う)と言うこともあるんだろうが、約一年間、この街で生活する中で、それなりの愛着が芽生えてきたのも事実。
  
そんなSyracuseで生活するのも、Ghana出発までには、残り僅か5日間。そう考えると、なんとなく、もったいないような気分もする。この街とのしばしのお別れの前に、気持ちいい新緑を、十分満喫しておきたいと思う。
my home, Syracuse, May 13, 26:00

Japanese Soul Food –NYC #2–

NYといえば、一風堂(違う?)前回3月にNYを訪れたときには、行列が長すぎて断念したが、今回は、満を持して、空いていそうな夕方を狙って行ってみた。NY店には、去年の年末以来、2度目の来店。今回もいつもどおり(日本にいたときから)、「白玉」をいただいてきたが、日本で食べるのとまったく変わらぬ味に感動。たぶん「赤玉」も他の料理もそうなんだろう。ちなみにNY店は、ラーメンのほかに、夜には居酒屋的なメニューも出していて、日本で言うところの「一風堂」と、「五行」(←一風堂が展開しているダイニング)がくっついたような感じの営業形態になっている。

このお店、前回に来た時にも思ったのだが、店員さんの雰囲気が非常に良い。もちろん、繁盛しているからということもあるのだろうが、店内に流れている空気がすごくポジティブで、かつ、良い意味で「日本的」なのだ。

店員さんの構成は、ざっと見たところ、日本人半分弱、(日本語を流暢には話せない)日系人半分弱、日系人以外のアメリカ人少々。なので、店員さんの間でのコミュニケーションは、日本語がdominantというわけでもないのだが、流れている空気は明らかに日本のそれ。アメリカの普通のお店で感じる空気とは根本的に違うし、他のなんちゃって日本料理屋さん(失礼)の空気とも何かが違う。

「白玉」を啜りながら、何が違うんだろうと考えていたのだが、たぶんこれじゃないかと思ったのは、自発的かつ分権的な改善意欲の存在。見ていると、店員さん同士で仕事の仕方を教えあったり、何人かで集まって、料理の出し方を話し合ったりしている光景がときどき目に映る。そういう光景を通して伝わってくるのは、店員さんが、自分の店、自分の仕事を愛していて、上の人から言われるまでもなく、自ら進んで何かをより良くしていこうとしている姿勢。

また、「上から言われるまでもなく」とは書いたが、「チーフ」的な感じのお兄さん(僕より5つくらい上くらい?)もすごくいい。いつもにこやかに店内を歩き回りながら、決してきつい言葉は使わずに、しかし、こまめに、店員さんへの指示を出し続けている。そして、店員さんみんなが、彼のことを素直に尊敬している様子がなんとなく伝わってくる。

日本にいれば、こんな光景を見ても当たり前にしか感じないのかもしれないが、この国で見ると、ある意味新鮮で、「こういうのってやっぱ日本の良さだよなぁ」と妙に感心してしまう。組織に対して無批判に忠誠を誓うことが正しいことだとは決して思わないが、自らの仕事を愛する姿勢は、日本の美風であり、強みであるとも思う。楽しみながらそれをできるなら、もはや言うことはない。「最高」の一言に尽きる。

もちろん、みんながみんな、そんな楽しい仕事にありつけるわけではないし、どう考えても楽しめない(あるいは「愛せない」)仕事は日本にだってたくさんあると思う。が、少しでもたくさんの人たちの間で、「働く」ということに関する日本の美くしい感覚が受け継がれていってほしいなと、外から日本を見る者として、ふと思った午後だった。

my home, Syracuse, May 13, 14:22

What to do before leaving to Ghana –NYC #1–

ガーナ渡航の手続きをしに、一泊二日でNY市に行ってきた。

昨日の午前中は日本とガーナの領事館に行って、それぞれ所要の手続きを済ます。ガーナ領事館の窓口のお姉さんの、意外なほどの手際よさに、(失礼ながら)驚く。職業のわりに、この手のペーパーワークが頗る苦手な僕、何か不備がないだろうかとビクビクだったが、なんとか両方とも、一発で手続きが済んで一安心。これで法的には、いつでもガーナに入れる状態になった。

お昼は、職場の先輩の友人で、国連で働いておられる日本人の方(Nさん)と昼食をご一緒させていただく。このNさん、この4月からはNYにある国連の一機関で働いておられるが、その前は西アフリカのシエラレオネで働いておられた。ガーナでのインターンの前にお話を伺わせていただきたいと、先輩を通してお願いしたところ、ご快諾いただいた。

Nさんが特に強調しておられたのは、「国連の強みは人を現地に送り込むことだ」ということ。電気や銀行といった、ごくごく基本的なインフラさえ整っていない地域では、「お金を渡して誰か(=agent)に何かをやってもらう」というやり方はほとんど機能しない。実際に現地に乗り込んで自ら回していくしかないんだ、と。限られた法的・物理的ツールを使って山積する課題を解決していくプロセスは非常にクリエイティブであり、そういった仕事にこそ、一番の醍醐味を感じる、ともおっしゃっておられらた。逆にある程度インフラが整い、現地政府が機能し始めると、aidの額の大きさがモノを言う世界になり、そうなると国連よりも、世銀や地域開発銀行(アジアで言えばADB)の出番となる。世銀と国連のaidの額には“billion”と“million”の差がつくこともザラだそうで、そういった発展段階の国の国連現地事務所の中には、オリジナルな強みを発揮するのに苦戦しているところもあるとのこと。

その意味では、ガーナはたぶん、中間的な位置にある国。もちろん、中国やASEAN諸国などと比べれば開発はだいぶ遅れているが、たとえば、Nさんのおられたシエラレオネに比べれば、はるかに安定的な発展を遂げている。少なくとも、地元政府は十分に機能していると言っていい。だからこそ「環境」などというテーマにも取り組めるわけだが、そういった発展段階の国で国連が何をできるのか、よく見てきたいと思う。

もう一つ、Nさんとのお話しの中で見えてきたのは、僕自身、このインターンの中で何を見、何をしたいのかが、十分に自分の言葉で語れるレベルまでには詰め切れていないということ。

言うまでもないことだが、「温暖化問題も大事だが、途上国の発展・開発も大事だから」というような浅薄なレベルの回答では意味がない。「地球温暖化は現実に起こっており、その原因は人為的な温室効果ガスの排出であって、したがって、国際社会はこの問題に対して何らかの効果的な対策を講じる必要がある」と信じると同時に、「日本を含む先進国の社会水準は(少なくとも国民の「幸福」という評価基準において)可能な限り維持されるべきである」と考えている「僕」という人間が、その人格を維持したままで (つまり、「それはそれ、これはこれ」と、問題を切り離してしまうのではなく、)途上国の問題を考えるとき、どういった方向性を「解」として導き出すことができるのか、言いかえれば、温暖化問題を中心に、僕がこれからの“仕事”を展開していく中で、途上国の開発問題には、どのようにアプローチしていけばいいのか、それに関する「仮説」を十分に描けていないことが、自分の言葉で語れない最大の原因だろうと思う。アメリカを発つまでに、「仮説」を煮詰めることができれば、インターンの場は、その「仮説」の正しさを確認するための場として、また、「仮説」が十分に描ききれていない部分(missing piece)を埋めるための場として、有効に活用できそうな気がする。

正直言って、今の自分には「仮説」を立てられるだけの背景知識が備わっていない。この状態で無理やり「仮説」を立てようとしても、単なる当てずっぽうにしかならず、ほとんど無意味。まずは知識が必要。出発までちょうど残り二週間。短い期間ではあるが、ちょうど来週にはアフリカの開発に関する短期集中講義も受講するわけで、出発までに、できる限りたくさんの文献に触れておきたいと思う。

my home, Syracuse, May 13, 14:00

Monday, May 11, 2009

Electric evangelist

去年12月9日のエントリーで少し触れたbetter place社への注目が日増しに高まってきている。4月30日号のEconomist誌も同社に関する記事を掲載。"Electric evangelist"(電気(自動車)の伝道師)という表題で、同社社長Shai Agassiの戦略を紹介してる。
   
better place社(以下、ベ社)のフィールドは電気自動車。だが、その商品は、電気自動車そのものではなく、それを走らせるためのインフラ、あるいはシステムの方。携帯電話で言えば、NokiaやSony Ericssonではなく、DoCoMoSoftbankに当たる会社と言えよう。
 
具体的には、自動車本体から着脱可能なバッテリーを開発し、そのバッテリー自体は、ベ社が保有。ベ社は、バッテリーをユーザーに貸与し、その使用量(=走行距離)に応じて課金するというビジネスモデル。ユーザーが電気をチャージする方法は2つ。一つは停車中に充電する方法。充電器は、街中の駐車場などに設置され、駐車している間に充電が完了するという仕組み。もう一つは、専用の“ステーション”で、充電器そのものを交換するという仕組み。この方法だと、充電に要する時間を大幅に削減することができる(40秒で交換可能)。バッテリー交換ステーションは、高速道路沿いなどに設置される予定とのこと。それぞれの充電方法は、ベ社作成の動画でビジュアル的に紹介されている。


Economist誌曰く、電気自動車の最大のネックは、バッテリーの値段と充電時間の長さ。ベ社のビジネスモデルは、この二つのweak pointsを一挙に解決できる可能性を秘めている。Agassi社長曰く、“Only when the battery is physically and economically separate from the vehicle, will electric cars be cheap and convenient enough for the mass market.

一方で、当然ながら否定的な意見もある。具体的には、
  • ユーザーはインフラの制約を受けない普通のプラグイン電気自動車を好むはず。
  • インフラに莫大な費用がかかる(バッテリー交換ステーションを1つ作る費用は50万ドル)。
  • 最新の電気自動車は、バッテリーを車両のボディー回りに這わせる構造になっており、これは、バッテリー交換システムと相性が悪い。

など(いずれもEconomist誌から要約・抜粋)。ビジネスの世界のこと(=僕にとっては専門外)なので、確たることはまったく言えないが、個人的には、どのくらいのユーザーがベ社対応の自動車を買いに走るかが成否の分かれ目になるんじゃないかと思う。携帯電話と違って、自動車は、簡単に「試し買い」できるような安いシロモノではない。今後、インフラがどのくらい整備されるのか、本当にストレスなく使用できるのかがはっきり見えない中で、どのくらいのユーザーが、ベ社タイプの自動車を買いに走るだろうか??

逆に言うと、初期の携帯電話のビジネスと同様、端末(=自動車)自体は原価割れの超安価で売る、という戦略が登場するのかもしれないとも思う。ただ、少なくとも日本でそれをやるとなると、日産(←ベ社に自動車を提供)とそのディーラーとの関係が大変なことになったりはしないだろうか。

Economist誌によると、ベ社は、これまでに、イスラエル、デンマーク、カナダ、オーストラリア、米国二州(ハワイ・カリフォルニア)の政府との間で、充電施設ネットワーク構築の契約を取りつけたとのこと。日本でも、ちょうど今、横浜で、バッテリー交換ステーションのデモンストレーションが行われている(詳細はこちら)。

ベ社のビジネスモデルが成功するかどうか、頭の体操としてはなかなかおもしろいと思うのだが、賢明なる読者諸兄姉の皆様はどう思われるだろうか?

(ベ社のビジネスモデルを説明するAgassi氏。SAPのCEO待ちポストまで上り詰めたというだけあって、そのプレゼン能力は相当のもの。スピーチ終了後には、スタンディングオベィションまで。)


my home, Syracuse, May 11, 25:06

Sunday, May 10, 2009

Shades of Greem

ときどき、このblogにもコメントを寄せてくださっている「私~」さんこと、Maxwell SchoolのS先輩が、“Shades of Green”という論文を送ってくださった。

ミシガン大学(University of Michigan)でSustainable Enterprise(持続可能な事業論?)を教えているAndrew Hoffmanという 教授の書いた、ごく最近の論文。social networking toolsを使って、企業と環境系NGO(=ENGO)の関係を「map」形式で視覚化し、その結果をもとに、ENGOを5つのグループに分類して、それぞれの特性を分析しようという試み。僕みたいなsocial network素人さんにでも容易に理解できる内容で、同業者の方々(特にアメリカの環境政治事情に興味のある方)にはお勧め。ちなみに、Hoffman先生はUS-EPAでの勤務経験もアリとのこと。

全米6,493のENGOの中から、予算規模の大きい順に69の団体を抽出。各団体が、どんな企業とrelationshipを持っているかを調べ上げ、最低一つ以上の企業と関係のあった44団体(逆に言うと、69団体中25団体は、いかなる企業とも関係を持っていなかった)のデータを、the UCINET Social Networking Analysis Softwareというソフトにぶち込むと、以下のような「map」がoutputされる(らしい。残念ながら、ここのプロセスは、僕にとってはブラックボックス。)。 

簡単に言うと、緑の丸がENGOを、青い四角が企業をそれぞれ表していて、緑の丸のサイズが大きいほど、たくさんの企業と結びつきがあることを示している。また、緑の丸の位置は、eigenvector centralityの度合いを表現。mapの中心に近いほど、eigenvector centralityが大きいことを示している。eigenvector centralityという概念を完全には理解できていないのだが、直観的に言うと、「Googleの検索結果で上位にランクされる」=「eigenvector centralityが大きい」ということらしい。

この「map」と、もう一つの同様の「map」をベースに、69のENGOを分析した結果が以下の表。まず、企業との関係を一切持っていない25の団体を“Isolate”グループに分類。その他の44団体を、縦軸・横軸のマトリックスで整理し、“Mediator”、“Bridge”、“Independent”、“Captive”の4グループに分類している。横軸が示しているのは、“the ENGO's position between the core and the periphery of the corporate network”、つまり、企業とのネットワークの中で、どのくらい中心的な位置を占めているか、という指標。一方の縦軸は“the diversity of sectoral ties that the ENGO has”、つまり、どのくらい幅広い業界と関係を持っているかを示している。
  
長くなるので、各グループの特性に関する分析は端折るが、ごくごくザックリ言うと、autonomy(自律性)とinfluence(影響力)の二つの軸で各グループを分析。単純に言えば、Mediatorは、企業との関わりが深い分、企業への影響力がある反面、自律性を制限されるリスクがある。一方、企業と一切の親交を持たないIsolateは、自律性を保ちやすいが、如何せん、企業への影響力には欠ける、といった具合。

それを踏まえての筆者の主張は、
Regardless of which of the fi ve roles an ENGO plays, the organization must continually manage the tension between exerting influence over the corporate sector and maintaining autonomy from it.
というもの。influenceとautonomyのバランスを保つことが大事だ、ということだ。そのための一つの方法として提案されているのは、異なるタイプのENGOが協働することで、結果的にバランスを保つという方法。たとえば、IsolateグループのENGOが、特定の企業に対してプレッシャーをかけると同時に、MediatorグループのENGOが、当該企業が批判の対象となった活動を改善するのをサポートする、といった具合に。筆者の主張は、(どのタイプのENGOが優れているとかいないとかいうことではなく、)役割分担に応じた共闘こそが重要だということ、またそのために、各ENGOが自らの立ち位置・役割を十分理解して行動することが重要だ、とのかたちでまとめられている。

アメリカの環境問題を語る際に、必ず出てくるのがNGOという存在。しかし、メジャーどころを数えてみただけでもかなりの数のENGOが活動しており、どのNGOがどういうキャラクターかを理解するだけでも、我々外国人にとっては、結構大変。その意味で、この論文の「分類表」は非常に便利。

また、筆者の結論は確かにその通りだと思うのだが、それを踏まえて、日本を振り返ってみたときに、Mediatorに当たる有力なNGOが皆無と言っていい状況であることに気づかされる。筆者は、アメリカにおけるENGOの多様性を指して、“This diversity is a historical product of the changes that have occurred in the environmental movement over the past century”と述べているが、歴史の長さについてなら、(それが良いことか悪いことかは別にして、) 日本の環境問題も、アメリカのそれに負けていない。日米のNGOの層の厚さの違いは、何も環境分野に限った話ではなく、そう考えると、日本にMediator的ENGOが育たない原因は、文化、道徳観、或いは人生観といった、環境問題の世界に納まらない、何かもっと根本的なところにあるのではないかという気がする。

Maxwell School, Syracuse, May 10, 20:33

Harvard, Fenway, and more

というわけで、2泊3日のボストン旅行を満喫して、さきほど、Syracuseに帰ってきました。詳しくは、写真の方を見ていただくとして、本文では旅のあらましを。

7日(木)…Boston到着。Vietnamese Lちゃん友人宅でフォーをいただく。深夜、ホテルからレポートを提出して、春学期完了◎

8日(金)…終日、KoreanのY君と二人でボストン散策。午前中はHarvardのキャンパスへ。ビジネススクールの美しさに驚嘆。世の中で、一番大事なものはやっぱ金、かもね(??)。North End(Little Italy)のイタ飯屋(←死語?)で昼食をとった後、ハイソ(←これも死語??)なショッピング街、Newbury界隈を散策。5時頃、午後7時の試合開始を待ちきれず、二人してFenway Parkへ。球場周辺のお土産屋をしばし徘徊した後、ハンバーガーで腹ごしらえし、いざ球場へ(スタンドで日本人のJさんと合流)。試合は、0-3のビハインドで迎えた5回裏、Red Soxが3Rと2Rの二本のHRで逆転。8回裏にも2点を追加し、終わってみれば7-3の完勝。逆転劇あり、HRあり、オカジマあり、イワムラあり(←この人は相手チーム)の盛り沢山の内容に、Y君ともども大興奮&大満足(野球のルールを知らないJさんも、たぶんそこそこ満足)。0時頃、歩き疲れてへとへとになりながらホテルに到着→爆睡。

9日(土)…Massachusettsの隣の州、Rhode IslandのNew Portへドライブ。大西洋に面したこの町は昔ながらのリゾート地。市内には、BostonやNYCの富豪たちの別荘と思しき大邸宅が立ち並ぶ。市内中心部のレストラン街を散策した後、大西洋に面したOcean viewの道をドライブ(残念ながら、おっさん二人で)。数々の別荘群に、Y君、大興奮。曰く、「Bostonも良かったけど、ここはもっと良い」との由。peacefulな景観好きな人には確かにそうかも。なんていうか、“海のある軽井沢”みたいな感じで確かに素晴らしい。Boston市内に戻り、Lちゃん、Jさんをピックアップ後、一路、Syracuseへ。途中、州境でこれまでの人生で経験したことないほどの豪雨に見舞われるも、名ドライバーY君の運転により、無事、Syracuseに到着。

これじゃ、人様にお見せするものというより、ほとんど自分用の「旅の記録」ですが、ともあれ、3日間、ボストンとその周辺を楽しんできたということで。あとは、いつものとおり、写真をご覧くださいませ。


my home, Syracuse, May 9, 27:19

Friday, May 8, 2009

Completion of the Semester

Economics of Science & Technologyのレポートは、今日の午前中に提出できたものの、もう一つのレポート(Evaluation of Int'l Program)が午後イチまでに終わらず、結局、旅行先にまで持ち越すハメに(沈) ついさっき、ホテルの部屋からメールで提出し(〆切は7日中)、2009年の春学期をなんとか無事に終えることができました。それにしても綱渡りやったなぁ。。。
  
で、今僕がどこにいるかと言いますと、ボストン郊外の安ホテル。学期終了後のリフレッシュに、同級生のKorean Y君、Vietnamese Lちゃんと一緒に2泊3日で遊びに来ています。Lちゃんを彼女の高校時代の友人宅に送り届けに行ったら、思いもよらず、Lちゃんのお友達さんが特製フォーを御馳走してくれることに。気分的に高校時代にタイムスリップしてしまったのか、いつも以上(!!)に天真爛漫にはしゃぎまくる一児の母、Lちゃんを横目に見ながら、お友達さん特製フォーを有難く頂戴してきたのでありました(笑)
  
というわけで、今は郊外の安ホテルにおっさん二人で滞在中。明日は、Y君と一緒に、ボストン市内をぶらぶら徘徊した後、夜には、念願の、あの球場で、レッドソックスの試合を観戦してきます!!
Malden, MA, May 7, 24:39

Thursday, May 7, 2009

Farewell Panda

お別れの季節であります。

今学期、某えんじ色大学の大学院から、一学期間の交換留学生としてMaxwellに来られていたJさんが、SUでのカリキュラムを終え、明日朝の便で日本に帰ることに。今夜は、Jさんが幾度となく訪れたであろう思い出のお店(??)、Marshall Streetの中華料理屋さんPanda Westで、ささやかなFarewell Dinnerを開催。お店を出た後もJさんを囲む同級生たちの輪はなかなか解けず、その光景を見ながら、お別れの季節が訪れたことを実感したのでありました。
   
今年の1月にJさんがSyracuseにやってきてから4か月とちょっと。そのほとんどの期間を、圧倒的な雪と、斜めからしか世の中を見れないおっさん連中に囲まれて過ごしてきたJさんですが(笑)、何年かたって振り返って見たときに、この4か月間の経験が、彼女の人生にとって、大きな意味を持つものであったと思えるようになってくれるといいなぁと思っています。些か、責任(←何の?)の一端を感じている、おっさん連中の一人として…(笑)
  
僕はと言えば、引き続き、fainal papersを執筆中。Economics of S&Tの方はだいたい終わりましたが、Evaluation of Int'l Programの方がまだもうちょっと。。。明日(というか今日ですが)のお昼過ぎには旅行に出発するはず(!!)なので、いよいよ、ちょっとヤバいかなぁという気がしてきました。いったん寝てから頑張るか、このまま書き続けるか、しばし思案中です。。。 (追伸:気づいたらソファーで寝てました。)
Maxwell School, Syracuse, May 6, 25:56

Wednesday, May 6, 2009

Pork Cutlet on Rice

Economics of Science & Technology のtake home exam 2日目。とりあえず、日本語での下書きを終わらせ、現在、英訳作業中(なんだかんだ言って、このやり方が一番速いという結論に、最近、落ち着きつつある)。目下、3問あるうちの2問目を英訳中。今晩中に、2問目の英訳まで終わらせて帰る予定。うーん、あと一時間半はかかるかなぁ。。

今晩の夕食は同級生と一緒にMarshall Streetの怪しいnoodle houseに。Syracuseのような東海岸の田舎町には、この手の“なんちゃって”和風料理屋が氾濫している。リアルな和風料理屋は、残念ながら東海岸の田舎にはほとんどない。Albanyに行けば、本格的な日本料理を食わせる店があると聞いたことがあるが、片道2時間以上となると、他に何か用事でもなければなかなか行けない(そしてAlbanyなんかに用事はない。笑)。
  
ともあれ、その“なんちゃって”和風料理屋さんで、僕は「塩ラーメン的な何か」を食べたのだが、一緒に行った同級生の頼んだ"Bento"なる商品名の「弁当的な何か」の中に、「かつ丼的な何か」が入っているのを見て、無性にかつ丼が食べたくなった。彼女が食べている「かつ丼的な何か」には、そんなに惹かれなかったが、僕の頭の中は、「リアルかつ丼」でいっぱい。
  
僕の中で「かつ丼」と言えば、何といっても、東山御蔭東入ルの「おくだ」。まだやってるのかなぁと思ってググってみたら、無事、ひっかかった。が、「みぞれおろしとんかつ」の写真を見たら、ますますかつ丼(とんかつでも可)が食べたくなった。ちなみに、「おくだ」のすぐ隣にある喫茶店「ケニア」(←外装も内装も、全然、アフリカっぽくない)は、森見登美彦の小説『太陽の塔』に実名で登場する。森見氏、最近、どうしてんだろう?(←面識ないけど同い年) 万城目学は絶好調だけど。
    
こんな話を書いていたら、無性に京都に帰りたくなってきた。住んでた時間の長さで言えば、大阪>東京>京都の順なのに、日本を離れて一番思いだす街は何といっても京都。まかり間違っても、一番最近住んでたはずの東京ではない。不思議と言えば不思議だが、京都がそんなに恋しくなるのは、「奥さんの生まれ育った街だから」という理由にしておこう。きっとそうに違いない(笑)
Maxwell School, Syracuse, May 5, 27:11

Monday, May 4, 2009

The final of the finals

今学期最後の課題、Economics of Science & Technology のfinal paperと格闘中。制限時間は72時間。残り60時間…。
  
これが終わったら(昨日書いた、もひとつの課題もあともうちょっと残ってますが)、しばしの休憩です。あと一息。。
Maxwell School, Syracuse, May 4, 23:24

Disemination of LP Gas in Ghana

今日は一日、Evaluation of Interntaional Programのfinal reportを執筆。今日中に終わらせる予定だったが、ちょっと無理そう。あす以降、今学期最後の課題(Economics of Science & Technology のtake home exam)と並行してやるしかない。。
  
前にも一度書いたが、このコースのfinal paperは、「実在する国際機関のプログラムの政策評価プロジェクトを立案せよ」というもの。評価項目の選定から始まって、データソースの指定、評価に必要な期間・人数・費用の算定に至るまで、とにかく具体的に詰めてこいという課題。いろいろ調べているうちは楽しかったのだが、いざ詰め始めると、ほんとの仕事みたいで、ちょっと飽きてきた(笑)
  
僕が「バーチャル政策評価」の対象に選んだのは、UNDP GhanaのLPガス普及プロジェクト。都市部での電気普及率は、サハラ以南のアフリカ諸国の中で飛びぬけて高いガーナだが、田舎の方(具体的には北部三州)に行くと、薪以外にまともな燃料のない地域もまだまだ多い。森林破壊・砂漠化を促進し、NOx・SOxを発生させるだけでなく、女性の教育の機会をも奪う(←薪集めに時間を取られるので)薪燃料。その使用を卒業し、LPガスへの移行を促すプロジェクトが、UNDP、ガーナ政府etc.の協力の下、数年前から行われており、その2008年プロジェクトを、今回の課題の「バーチャル評価」の対象として選んだ。
   
当たり前だが、とにかく話が具体的。たとえば、初期投資として各世帯が買わないといけないガスボンベの値段の高さが、普及の進まない大きな原因の一つになっているのだが、これに対する解決策として、「micro-financeで融資する」という案があるのはもちろんのこと、その他にも、「現行の5kgボンベではなく、比較的安い2kgボンベを販売する」「ボンベはガス販売会社が保有・貸与することとし、そのコストは、毎月のガス代に含めて回収する」などなど、いろんな案が検討されている。しかもそこで必要とされる知識は、"finance", "supply chain management", "mass marketing"など、どちらかというと、ビジネスの世界で求められるものが多い。ビジネスコンサルから開発の世界に転身する人が多いのも、この辺の事情が関係しているのだろうかと、何となく思ってみたり。
  
ともあれ、新しい世界を知れるのは面白い。ガーナに飛び立つ前に、micro-financeの話は、もう少し勉強しておきたいと思う。

ガーナの話とは全く以て関係ないのだが、最近、Maxwellのトイレがおかしい。いつ行っても、やけにむっとしているし、用を足して水を流すと、水じゃなくてお湯が出てくる(もちろん触ったわけではないが、熱気で十分伝わる)。手洗い場の蛇口も、お湯と水が表示の逆。というわけで、工事の人が、熱水と冷水の配管を間違えて繋いでしまったのではないかという疑惑が立っている。こういう日本では聞いたことないようなミスが起こってしまうのが、アメリカのアメリカたるところ。まったく、簡便していただきたい。。
Maxwell School, Syracuse, May 3, 26:02

Saturday, May 2, 2009

Trip to VP's Hometown

今日は久々にSyracuseを抜け出して、お隣の州、PennsylvaniaのScrantonという街に遊びに行ってきました。 (位置関係はこんな感じ↓ 範囲が広すぎて字が読めない?範囲を狭めると、それはそれで、地元民以外にはさっぱり意味分からん地図になるのでご勘弁を。)
Interstate(州間道路)81号線を南にひた走ること2時間。延々と続く丘陵地帯の谷間にScrantonの街は広がっています。Wikipediaによると、人口72,485人(2007年現在)で、Syracuseのちょうど半分くらい。Penn Stateの中では、7番目の都市だそうです。  
  
とはいえ、勃興期のアメリカ産業を支えた由緒ある街の一つでもあるScranton。George Innessという画家が19世紀中頃にこの街を描いた風景画(The Lackawanna Valley, 1855)は、ワシントンにあるNational Gallery of Artの所蔵の一つに数えられています。

今回の旅の目的は3つ。
  1. Lackawanna County Coal Mineで廃炭鉱を体験する。
  2. Steamtown National Historic SiteでSLに乗る。
  3. 井川慶のプレイするSWB Yankeesの本拠地を訪れる。

最高の行楽日和の下、(多少、道には迷いましたが)無事、3つの目的を達成。日本人5人(一家+2人)、ベトナム人1人、アフガニスタン人1人というアジア人一行で、日がな一日、のんびりと、short tripを楽しんできました。
  
最初の目的地、Lackawanna County Coal Mineでは、実際に使われていたと思しきトロッコで地下深くに降りていき、廃鉱路を歩きながら、地元の兄ちゃんの解説を聞くという炭鉱ツアーに参加。観光施設としては、あんまりsophisticateされていないのですが、それが故に、在りし日の炭鉱の姿が、逆にvividに伝わってくるツアーでありました。今まさに僕が使っているこのPCも、その動力である電気の半分は、こういった炭鉱から必死の思いで積み出された石炭から生まれてくるんだと思うと、あんまりアホなことも書いていられないなぁという気がしたり…(と言いつつ、書いてますが)。今日、僕らが体験したのとまったく同じ内容のツアーの様子がYoutubeにアップされてますので、もしよかったらどうぞ。
  
Scranton/Wilkes-Barre Yankeesは、その名の通り、かのNew York Yankeesの二軍(AAA)球団。我がSyracuse Chiefsと、同じリーグで戦っています。かつて、阪神で(いちおう)エース(ということになっていたみたい)だった井川慶がプレイする球団。というわけで、球場の外観だけでも拝ませていただくことに…と思って行ってみたら、ちょうど試合が終わったところで、選手出口には出待ちファンの一群が。メンバー表片手に、出てくる選手を一人一人チェックしている超コアな感じのおばちゃん(お姉さん?)に、"Has Igawa already left?"と聞いてみると、どうやら彼は、今日は登板がなかったらしく、試合終了後、真っ先に帰っていったとのこと。井川本人に会えそうで会えなかったのは残念でしたが、少なくとも、ファンの間で「Igawa? Who is he??」なんてことにはなっていないことを知って、ちょっと安心して帰ってきました。
  
しかし、なんだかんだ言っても、間違いなく、今日、一番の盛上りを見せたのは、SteamtownでのSL乗車!!! この施設、Department of the Interior(連邦内務省)のNational Park Serviceが管理・運営しているNational Historic Siteの一つで、言うなれば、国立公園の文化史跡版。蒸気機関車の衰退に伴って使われなくなり、荒れるがままに放置されていたroundhouse(ターンテーブルを中心にして、その周囲に放射状に汽車の車庫が作られている建物。Innessの絵の遠くの方に描かれている円形の建物がまさにそれ!!)を行政が買い取り、史跡として整備したもの。博物館化されたそのRoundhouseを中心に、屋外にも、たくさんの機関車が展示されています。
  
到着するなり、Yさんのお子さん(2歳・男子・無類の汽車好き)が、今まで見たことないほどのハイテンション(普段から、基本、ハイテンションな御仁なんですが…)でおおはしゃぎ。つられて僕も(というか自発的に??)、30歳にしてはあり得ないハイテンションで盛り上がってしまいました。
   
しかも、ただ見るだけでなく、動いているSLに実際に乗れちゃうのが、この施設のうれしいところ。30分くらいの小行程ではありますが、遊園地のSLのような子供だましではなく、リアルに石炭で動いている蒸気機関車に乗れるのは鉄道オタクな人たちには堪らない体験(だと思う。自分はそうじゃないので断言できないけど。)。少なくとも記憶にある限り、人生初のリアルSL乗車に、年甲斐もなく大興奮してしまいました(笑)
   
ちなみにこのScranton、現職のアメリカ合衆国副大統領にして、(たぶん)いまアメリカで一番有名なシラキュース大OB、Joe Bidenの出身地でもあります。聞くところによると、彼も、無類の鉄道好きとのこと。(実際、この間、Obamaが新幹線の整備計画を発表した時には、ナゼかBidenおじさんも横に同席してましたね。)こんな素敵な施設のある街で幼少時代を過ごせば、鉄道好きになるのもむべなるかな、と思うのは僕だけでしょうか…??

my home, Syracuse, May 2, 25:35

Spam blog???

このブログをご覧いただいている皆さん、もしかして、変なメッセージが表示されていたらゴメンなさい。さっき、今日のblogを更新していたら、googleから突然、以下のようなメッセージが。
Blogger のスパム対策ロボットにより、このブログにスパム ブログの疑いがあることが検出されました(スパム ブログとは)。しかしながら、自動システムを使用しておらず、このメッセージをご覧になられている場合は、スパム ブログではないと考えられます。
スパム検出システムは自動化されているため、誤って検出された場合はお詫び申し上げます。
別途、英語のメールも届いていて、曰く、
Your blog will be deleted in 20 days if it isn't reviewed, and your readers will see a warning page during this time. After we receive your request, we'll review your blog and unlock it within two business days.
との由(下線を追加)。恐ろしい。。。
  
スパムブログではないことを示すための操作を行ったところ、次に表示されたメッセージがこれ。

スパムではないブログをロックしてしまったことを、ロボットに代わってお詫びいたします。 お知らせいただきましたブログを調査し、スパムではないことが確認されるまで、しばらくお待ちください。
「ロボットに代わって」って、こらgoogle、なめとんか!! と言いつつ、この人たちをあんまり信用できなくなってきたので、自分のPCに、過去エントリーのバックアップを取っておくことにしました。
my home, Syracuse, May 1, 26:18

Friday, May 1, 2009

Who oversees energy issue?

日本で、エネルギー問題を担当している役所は、経済産業省内の資源エネルギー庁。したがって、エネルギー問題担当閣僚は経済産業大臣。一方、ここアメリカでエネルギー問題を担当しているのは閣僚を頂く一個の独立した機関であるDepartment of Energy。日米を比較しただけでも、エネルギー所管官庁の在り方は大きく違っているわけだが、他の国ではいったいどうなっているのか。前々から気になっていたのだが、今日、なんとなく思い立って、G20全部について調べてみた。

  • Argentina: ―Ministerio de Planificación Federal, Inversión Pública y Servicios (Ministry of Federal Planning, Public Investment and Services)―Secretaría de Energia (Secretariato of Energy)
  • Australia: Department of Resources, Energy and Tourism
  • Brazil:Ministerio de MInas e Energia (Ministry of Mines and Energy) 
  • Canada: Natural Resource Canada
  • China: 【企画】国家能源委员会/【実務】国家发展和改革委员会―国家能源局
  • France: Ministère de l'Écologie, de l'Energie, du Développement durable et de l'Aménagement du territoire (MInistry of Ecology, Energy, Sustainable Development, and Territory Management) ― Agence de l'Environnement et de la Maîtrise de l'Energie (French Environment and Energy Management Agency)
  • Germany: Federal Ministry of Economics and Technology/Federal Ministry for the Environment, Nature Conservation and Nuclear Safety
  • India: Ministry of Power/Ministry of New and Renewable Energy
  • Indonesia: The Department of Energy and Mineral Resources
  • Italy: Autorità per l'energia elettrica e il gas (Authority for Electric Energy and Gas)??
  • Japan: 経済産業省―資源エネルギー庁
  • Mexico: Secretaría de Energia (Secretariato of Energy)
  • Russia: Ministry of Energy
  • Saudi Arabia: Ministry of Oil/Ministry of Water and Electricity
  • South Africa: Department of Minerals and Energy
  • South Korea: Ministry of Commerce, Industry and Energy (産業資源部)??
  • Turkey: Ministry of Energy and Natural Resources
  • United Kingdom: Department of Energy and Climate Change
  • United States of America: Department of Energy

イタリアのAuthority for Electric Energy and Gasは、どうも電気・ガスの市場管理を担当しているだけのようで、より大きな意味でのエネルギー政策をどこが担当しているのかは不明。韓国の産業資源部は、既に、Ministry of Knowledge Economyに改組されているようなのだが、その中にエネルギー所管部局が収まっているのかどうかは確認できず。

時間があれば、いろいろ考察してみたいと思う。

my home, Syracuse, May 1, 25:21