Sunday, May 31, 2009

Climate Change vs Development

最近、本や資料を読みながら考えているのは、「地球温暖化対策と(途上国の)開発の位置関係はどのようになっているのか??」ということ。というわけで、とりあえず今の時点での自分の頭の中のイメージを絵にしてみた。【※ マニアックな内容です】

ポイントは以下の通り。
  1. adaptation(適応策:起こってしまった温暖化に、どう「適応」するか、という対策)は、その大部分がdevelopmentと重なる。developmentの延長線上にadaptationがある、と言ってもいいくらい。途上国で求められるadaptationとは、具体的には、食料対策、風土病対策、砂漠化対策、ひいては、それらに起因する経済難民の取扱いなど。これらは、いずれも、既にdevelopmentとして行われている対策であり、それらをさらに推し進めることが、adaptationとなる。また、どこからがadaptationで、どこまでが「純粋なdevelopment」か、なんて線引きはできない。
  2. 途上国においては、mitigation(緩和策:温暖化を「緩和」するために、どれだけ温室効果ガスの排出を減らせるか、という対策)も、adaptationほどではないものの、developmentと重なる部分が大きい。先進国視点でmitigationを考えると、ついつい、「既にある設備・システムを、如何に低炭素型のものに置き換えるか」と考えがちであるが、途上国(特に低開発国)においてmitigationを考えるときには、「これから新たに設置する設備・システムを、如何に低炭素型のものにできるか」と考える方が良さそう。
  3. 京都議定書に基づくCDM(Clean Development Mechanism)は、まさにそれを体現する制度。先進国(=附属書Ⅰ国)的には、「如何に効率的にクレジットを生み出すか」という方向に目が向きがちであるが、途上国からすると、CDMを梃に、如何にdevelopmentを進められるかこそがポイント。
  4. ただし、CDMとして行われるプロジェクトの中には、「ホスト国の発展に寄与していない」と評されているもの(上の図で言えば、「development」の領域からはみ出ている部分)もある(HCFC製造工程からのHFC回収がその典型例)。

そもそも、京都メカニズムというものは、地球温暖化対策に市場の効率性を活かすことが、その目的の一つとなっている。その意味では、炭素「市場」を政策的に歪める政策(たとえば、HFC回収CDMを全面的に禁止する、など)が、一概に良い政策であるとは思わない。市場経済的にmake senseな行動を安易に否定してしまうと、制度自体が、木に竹を接いだようなものになりかねない。

ただ、竹に置き換えてしまわないまでも、ベースとなる木(=市場活用型システム)の枝ぶりを多少整えてやるくらいのことは必要だろう。根本の部分では市場の力を尊重しつつ、部分的に「市場の失敗」を是正する、といったアプローチが有効ではないかと思う。

とは言え、実際にどう制度を設計するかという具体の話になると、これは非常に難しい。明日からのインターンでは、その辺りの着想を多少なりとも得たいと思う。

Central Hotel, Accra, Ghana, May 31, 9:46

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