さて、現在受講中の“African Development Seminar”も半分以上が終了。残るは明日と土曜日午前中の1日半のみとなった。
アフリカに関する授業を受けていながら、こんなことを書くのも変と言えば変なのだが、今日はアメリカについて書きたいと思う。
この授業を受けながら、改めて、アメリカのNGOの層の厚さを感じている。毎日、6人前後のゲストスピーカーが、代わるがわるやって来ては各分野のお話を聞かせてくれるのだが、これまでにやってきた人たちの半分以上はNGO職員。
日本でNGOというと、正直、advocacyのイメージが強いのだが、しゃべりに来てくれた人たちは、みな、経験豊富な実務家。外交官と同じセッションで話していてもまったく違和感はなく、広い意味での「同業者」といった感じで、会話を楽しんでいる人が多かった。
今日は、2、3人のグループに分かれてNGOを訪問するという企画があり、僕はもう一人の生徒と一緒にWWF本部を訪ねてきたのだが、そこで話を聞かせてくれた女性(僕と同じ年くらい)の雰囲気・話し方もこの国の行政官のそれとほとんど変わりなく(日本に比べて国の役人の物腰が、やたらフランクだということもあるのだが)、「ヒステリックに捕鯨問題を詰められたらどうしよう」という僕のささやかな心配は、まったくの杞憂に終わった。
彼女のディビジョンは、東アフリカ地域(ケニア、タンザニア、モザンビーク、マダガスカル等)の国立公園及びそれに隣接する海域の保護を担当している。担当地域内にいくつかある保護区ごとに保全のための計画を立て、地元政府と合意を結んだ上で、WWFの現地事務所職員を動員して計画の遂行に当たっている。分野が限られているとはいえ、彼女のディビジョンのやっている業務は、行政のそれとほとんど変わりない。海上での違反者(密漁者)の取締りに当たっては、地元政府だけでなく、US-navyの助力も得ているとか。ここまで来ると、ある意味、米国政府の一部として機能している、と言えなくもない。
さらには、ケニア-タンザニア国境を越えて移動するゾウの生息域を保全するため、国境沿いに広がる両国の国立公園を一体的に保全する計画を作ってみたり、はたまた、保全プログラムの一環で地元住民が作った有機作物を、WWFのヨーロッパの支部が欧州各国で販売してみたりと、一国の行政機関には真似できない“政策”までやってのけている。また、自然環境だけでなく、地元住民の生活水準も改善するため、貧困問題を扱う国際NGO CARE と連携し、住民の生活と野生生物の保護とを一体的に保全・改善するプロジェクトも動かし始めているとのこと。こうなってくると、Non Government Organization と Governmet の差は、かなり相対的である。
なぜアメリカのNGOには、こんなにも実行力があるのか。もちろん、「カネがあるから」「ヒトがいるから」が直接の答えなのだが、なぜカネやヒトがNGOに集まるのか…とさかのぼって考えてくと、「この国の人たちにとって、政府とNGOとの間には絶対的な違いがないから」という答えに行きつくのではないかと思う。やや極端な言い方かもしれないが。
この国の政府は、もともと、NGOみたいなものから始まった。ヨーロッパから新大陸に渡ってきた人たちが、自分たちの暮らしをよりよくするために、自発的に設立した「自治会」がこの国の政府の原型であり、日本のように、元から「政府」や「お上」が鎮座ましましていたわけではない。
「建国の経緯は確かにそうかも知れないが、建国から既に200年以上がたった今では、そんな名残も消えているのでは」と思いつつアメリカに来てみたのだが、実際、こちらで暮らしていると、この国の政府(←連邦・州・地方いずれも)の「自治会」的性格に気づかされることが意外に多い。
NGOが非常に強力なのも、政府が「相対的」存在であることの裏返しなのではないか。そう考えると、日本にアメリカ流の強力なNGOがなかなか育たないのは、単に「NGOの歴史が短いから」ではなく、そもそも、国の成り立ちが違っているから、という気がしてくる。
それが善いとも悪いとも、なんとも言えないのだが、とりあえず、アフリカについて勉強しながら、アメリカについて思ったことであった。
Calvert House, DC, May 22, 25:19
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