Sunday, June 7, 2009

The Elusive Quest for Growth #1

アメリカを出る直前にAmazonで買った“The Elusive Quest for Growth”(『困難なる成長の探求』??)なる本を読む。
  
William EasterlyというWorld Bankのエコノミストが書いた本。副題は“Economists’ Adventures and Misadventures in the Tropics”。第二次大戦以降、国際社会は、主流派と言われるエコノミストたちの描いた処方箋の示す通りに援助を行ってきた。にもかかわらず、多くの途上国は、エコノミストが予想したとおりの発展を遂げることができず、未だ貧困の中にある。なぜ、エコノミストたちの描いた処方箋は機能しなかったのか――援助を考える上では、ある種、根源的ともいえるこの問に挑戦しようというのがこの本の主旨。筆者は、世銀のエコノミストだが、世銀の立場を代弁するわけでも言い訳するわけでもなく、虚心坦懐に自論を展開している。英語で本を読むと、恥ずかしながら、一冊読み終えるまでに最初の方を忘れてしまいそうになるので、とりあえず、今日、読み終わったところまでの感想を書く。
    
マクロの教科書にも出てくるSolowの成長モデルは―Solow本人は先進国への適用のみを念頭に置いていたらしいが―開発の分野でも、長らく理論的拠り所として「信奉」されてきた。この理論によると、追加的な資本一単位から得られる収益は資本が積み上がるに従って逓減していく。
  
先進国で暮らす者にとって、この前提に特に違和感はない。僕がもし、(奥さんの説得に成功して)PCをもう一台買うことができれば、レポートを書いたりブログを書いたり写真を整理したりする作業の効率は、それなりに上がると思うが、これが3台、4台…と増えていっても、正直僕一人では使いきれない。つまり、追加的なPC一台あたりの収益(この場合は作業効率の改善度合い)は如実に逓減していく。逆にもし、僕がいま1台もPCを持っていなかったとしたら、1台目のPCを手に入れることによって得られる作業効率の改善度合いは、非常に大きなものになるだろう。
   
斯く具合に、Solowの理論に従って考えると、より資本蓄積の少ないところで行われる投資ほど、効率よく収益を生み出すはず。つまり、先進国で投資するよりも、途上国(それも、より発展度合いの低い国)で投資する方が有利ということになる。これが本当なら、黙っていても民間の資本は途上国へと流れ、彼の地での資本蓄積に貢献し、途上国のcatch-upを後押しするはずなのだが、誰が見ても明らかなように、現実はそうはなっていない。2009年の今もなお、資本のほとんどは先進国に投下されている。  
  
資本投下の実態について、本著曰く、
In 1990, the richest 20 percent of world population received 92 percent of portfolio capital gross inflows; the poorest 20 percent received 0.1 percent of portfolio capital
inflows.(1990年において、世界の全資本の92%は、もっとも裕福な2割の人々へと投下され、もっとも貧しい2割の人々には、わずか0.1%の資本のみが投下された)
とのこと。[p.58] このようにSolowの理論が現実に妥当しない原因として、筆者は、political stability(政治的な不安定さ)、corruption(腐敗)、the risk of expropriation(政府による接収のリスク)などの可能性を示唆しつつも、より根本的な原因として、「投下された投資が、必ずしも十分に活用されるとは限らない」点を指摘している。筆者曰く、
Multiplying machines when incentives for growth were lacking was useless. Maybe the machines would produce things nobody wanted. Or maybe the machines were there but other crucial inputs were unavailable. (成長への誘因を欠いた中で機械を増やしても無意味である。その機械は誰も欲していないモノを生産するだけかも知れない。あるいは、機械はそこにあるが、他の重要な生産要素が手に入らないといった状況に陥るかも知れない。)
だと。[p.68]

先進国の経済を考えるとき、「投資が本当に活用されるかどうか」なんてことは考える必要がない。先進国での投資は、基本的に、民間主体によって自発的に行われるから、「投資はしたが使われなかった」なんてバカなことは、普通、起こり得ない(政府による投資ではしばしば起こる…)。だから、経済モデルを組むときに、「投資された資本のうちの何%が実際に使われるか」なんてことは、普段まったく気にされないし、Solowの成長理論も、御多分にもれず、その点はまったく配慮せずに設計されている(←Solow自身は先進国への適用を念頭に置いていたわけだから、当然と言えば当然)。そういう、先進国の常識の下で設計された経済モデルを、そのまま途上国に適用しようとしたことが、エコノミストたちの失敗の最大の原因、というのが筆者の主張。しかも、その誤った処方箋に則った援助政策が、何十年にもわたって行われてきたと、筆者は批判している。

彼我の違いが見えているときに、アプローチの仕方を調整するのは比較的簡単。本当に怖いのは、彼我の違いが目には見えないとき、つまり、疑いもなく万国共通だろうと思っていたルール・習慣が、実は彼の地では通用しなかった、というようなケースだろう。一昨日の「中間層」の話にも通じるが、途上国での政策を考える上で、この点は非常に重要なポイントのような気がしてきた。
my room, Accra, Ghana, June 7, 19:56

p.s. Weekly、更新しました。こちらからどうぞ。

1 comment:

久々に私~ said...

ご無沙汰です。楽しんでそうでよろしいことで。Easterlyの本は、結構クラシックですな。某学校の某マクロ系の教科書で使ってますよ(笑)。

ちなみに、私、タクシーの交渉、負けないほうです。「外人だからってぼったくろうってのが許せん」というわけのわからない公平感に燃えます。某アジアのT国で、30分戦って50円ぼったくられるのを防いだことがあります。ほほ。