Saturday, June 27, 2009

Wraping-up CDM workshop

昨日で、三日間のCDMワークショップが終了。掛け値なしに、いい勉強になった。アメリカや日本にいても、あんな内容の濃いレクチャーを聴ける機会はなかなかないと思う。司会者の南アなまりの英語が多少聞き取りにくかったことを除けば◎。以下、ワークショップに出てみて、CDMについて思った点をいくつか。

低開発国にとってこそCDMをする価値がある。
あるプロジェクト(小型水力発電にせよ、廃棄物処理場の回収にせよ、なんでも)を、CDMとして行うとなると、プロジェクトの計画段階から、いろんな主体(CERの買い手、プロジェクト資金の貸し手、CDMコンサルタント、etc.)がコンソーシアムを組んで、プロジェクトに参画することになる。彼らは、それぞれの分野(CDM developing、project financing、engineering、etc.)のプロフェッショナルだというだけでなく、「利益を得るためにはCDM登録を成功させなければならない」という状況に置かれているので、プロジェクトマネジメントを必死に行おうとするインセンティブを持つ(←CDMの元となるプロジェクト(=小型水力発電、廃棄物処理場回収、etc.)が予定通り遂行されなければ、そもそもCDMは成り立たない)。プロジェクトマネジメントの能力に限りのある低開発国(←政府や援助機関が、開発プロジェクトを十分効率的にマネジメント出来ているかというと疑問。プロジェクトマネジメントの人的リソースは、質的and/or量的に不足している面がある)にあっては、そういったプロのプロジェクトマネジャーが、健全なインセンティブを持って(←好奇心に駆られた実験気分で参加するのではなくて、という意味)プロジェクトに入って来てくれるということは、かなり新鮮で、有効なことではないだろうか。中・印・伯・墨のようなemerging countriesであれば、有能なプロジェクトマネジャーはたくさんいると思うので、敢えてCDMにしなくても彼らがプロジェクトを回してくれる。しかし低開発国ではそういったプロジェクトマネジャーがなかなか見つからない。そう思うと、CDMというスキームは、低開発国にとってこそ大きな効果(←ただし、in terms of “development,” not “emission reduction”)があるのではないだろうか。

プロジェクトのファイナンスがボトルネック?
しかし皮肉なことに、低開発国(特にアフリカ)では、これまでほとんどCDMが行われてこなかった(数字はこちら)。走り始めて途中でこけたケースもあるのが、そもそも、走り始めた案件数自体が少ない。これはつまり、上に書いたように一旦コンソーシアムが出来てしまえば強力なマネジメントサポートを得られるのだが、そもそもコンソーシアムを組むところまでたどり着けていないということではないかと思う。考えてみれば当たり前の話で、プロジェクトの開始にあたり、いろんな主体を連れて来て、コンソーシアムを立ち上げるためには、広い知識(CDM制度、ファイナンス、エンジニアリング、etc.)と広いネットワークがないと無理。そんな仕事を、これまで間近でCDM案件の成り行きを見たこともない低開発国の人たち(←中印であれば、参考事例は身近にごろごろ転がっている)にやれと言っても、不可能に近いだろう。援助機関の国際スタッフにしても、別にCDMのプロフェッショナルとして雇われているわけではないので、そういった能力をはじめから持っているケースは極めて稀だと思う。コンソーシアムを組むにあたり、特に難しいだろうと思うのは、プロジェクトへの融資を引っ張ってくること。純粋な民間企業がproject ownerとなるケース(たとえば工場の省エネ化。一般的に言って、その国・地域の開発と言う意味では効果は薄く(あるいは間接的で)、“additionality”の面でも微妙)は比較的、融資を取りやすいと思うが、municipalityやインフラ系公社がproject ownerとなるケース(たとえば電源の開発やwaste management。開発の効果は大きい(=poverty reductionに直接的に資する)し、“additionality”もより明らか)では、規模が大きい上に、返済がCER売却益頼みということもあって、商業銀行が単独で融資するのは非常に困難。ここに、低開発国でCDMが進まない大きなボトルネックがあるのではないかと思う。

登録要件の緩和は本当に解なのか。
低開発国でのCDM案件数を増やすため、CDMの登録要件を緩和すべしとの声があり、国際会議においても、それなりに有力な意見となっているようである。具体的に、どこをどう緩和すべしということなのか、そこの議論は正直followできていないのだが。おそらく、いくつか論点があり、中には妥当なものもあるのだろう。だが、現学習段階での僕の印象を言わせてもらうと、要件の緩和は本質的な解決策にはならないのではないかという気がする。たとえば、“additionality”の要件を緩和し(←今回の講義によると、CDM理事会における登録rejectの57%までは、additionalityの証明不十分が理由とのこと)、「CDMなかりせば…」の基準を緩めるとしよう。そうすると、確かに、登録案件数自体は多少なりとも増えるだろう。しかし、この要件緩和によって恩恵を被るのは、上に書いたような純粋民間企業ownedのケースであり、そういったプロジェクトは、CDMにならなかったとしても、他の経済的利益だけで十分break evenし、implementされていた可能性が高い。もちろん、より大きなCDM資金がそういった分野に流れることによって、これまで以上に民間企業の省エネ/低炭素型事業が活性化されるという主張はありうる。それは確かにそうなのだが、逆に言うと、限りあるCDM開発資金が、そういった「グレー案件」(←additionalityの面で「グレー」。別に法的・倫理的に悪いことをしているわけではない。念のため)に持っていかれてしまい、本当の意味で開発に資する案件へのお金の流れがますます干上がってしまう可能性もある。これをGHG削減の観点から言えば、「CDMがなかったとしても」行われていたプロジェクトを「CDM」だと追認してあげることで、CDM案件数自体は増えるが、それによるGHGの追加的な(=文字どおり“additionally”な)削減はあまり期待できない、ということ。

一番の解決策はCERの値上げ。
では、今後、低開発国でのCDM開発を促進するにはどうすればいいかだが、経済学的に言って一番合理的な方法は、単純に、CERの値段を引き上げることだろう。そうすれば、おのずとより多くの資金がCDM開発市場へと流れ、開発のより困難な(しかし、additionalityは大きい)案件の掘り起こしも進むことになる。それをするためには、排出削減義務を負う国の排出削減量の総和を大きくする(=より厳しい削減目標を課す)ことが必要。(個人的には各国が、排出削減達成に用いることのできるクレジットの割合に上限を課す必要はない(というか、課すべきではない)と考えている。)もちろん、これは簡単なことではないが、これをすることによって、先進国の中でも儲けを増やせるセクターは必ずある。コンサルティングの市場が広がるのは間違いないし、インフラ技術を(援助ではなく、ビジネスとして)輸出できる機会も増える。それに何より、金融機関や機関投資家にとっては、新たな投資先が増えることを意味する。Wall St.の上の方の人たちが、温暖化問題やCDMを、本音の部分でどう考えているかという点は、非常に気になるところ。

最後に一言。ガーナのような未だCDM登録ゼロの国であっても、実業界(特に金融)には、豊富なCDM知識を持った人がそれなりにいる。政府の役人だけを見て、それがこの国の最高レベルの理解度だと勝手に決め付けてはいけない。今回のワークショップからの教訓。
my room, Accra, Ghana, June 27, 13:53

2 comments:

rdaneelolivaw said...

興味深く拝読させて頂きました。
国連交渉でもここ数年、プロジェクトの地理的偏在の問題は、それこそガーナのような国々から何度も提起されてきました。でも、あまり有効な手だてが出されてこなかった問題だけに、現場を近くから見てどういうことが必要なのか、という視点でのご意見は大変参考になります。
昨年のポズナニの国連会議では、一応、1)登録プロジェクトが10件未満の国のための簡素化されたプロセスを検討しなさい、2)あんまりプロジェクトがない(underrepresented)国のために、方法論の開発を促進してあげなさい、という2点を理事会にはふっています。
でも、記事の通り、それが本当に「解」なのか、と聞かれると、なんだかそれで解決するのかという気がします。
高いCERの価格が必要ということは、さかのぼって言うと、先進国の目標が厳しくないといけないってことにもなりますね。あと、HFCやN2Oが早くなくなる(!)こととも必要かも。

髙林 祐也 said...

いくら簡素化されようとも、結局、それなりの額のプロジェクトファイナンスを組むことは必要で、そのためには、それなりのレベルの人のコミットメントが必要となり、その時点で、彼らに「CDMとは何ぞや」ということを理解してもらう必要がある―というのが一つの大きな壁になっているように思います。その「幹部に理解してもらう」プロセスをはしょってでも回せるくらいに簡素化するとなると(←具体的にそれがどういう形での「簡素化」なのかはさておき)、今度は「それってホントにやる意味あるの??」という話になってくるでしょうし…。

なかなか難しいですね。国際会議の場では、どんな問題もすごく単純化されてしまうじゃないですか。もちろん、百何十か国からの代表が合意に至るためには、そうせざるを得ない部分もあるわけですが、そういった雰囲気のテーブルの上で、この、非常に具体的な課題の答えが、どうやれば見つかるのか、本当に難しいなぁと思います。

単純に、「カネ(=CERの値上げ)がすべてを解決する」的な部分はあると思うんですが、そもそもCERの値上げ=先進国の目標強化が難しいわけで。。。悩ましいです。