「“Cash for Clunkers(ポンコツに現金を)”政策こそがClunkerでした」という記事。特段、目新しい話ではないのだが、大事なことなのでブックマーク。
We will blunder badly and repeatedly in climate change control unless we put some transparent control systems in place. We should rely heavily on price signals rather than one-by-one subsidized programs, except for the subsidies needed to bring new technologies such as electric vehicles to the commercial phase.
(拙訳) 透明性の高い何らかの統制システムが導入されない限り、我々は、気候変動対策の分野において、この手の大失敗を何度も繰り返すことになるだろう。我々は、一対一対応の補助金政策ではなく、価格シグナルこそに重点を置くべきである。電気自動車のような新技術を商業ベースに乗せるために必要となる補助金などを除いて。Cash for Clunkersはまさしくその典型例だが、不況のさなかに気候変動対策を実施するとなると、環境保護派と産業界の奇妙な共闘が成立して、その(効果との関係で、必要以上に大きな)ツケを国民経済が支払わされるといった事態に陥りがちである。経済学的考察においては、deadweight lossの大きさという形で、真っ先に目の行くその点が、実際の意思決定プロセスにおいては、兎角、ないがしろにされがちということなのだろう。
これは、「国民経済」なるものをきちんと代表できるステイクホルダーがいないからだと思うので、やはり、CBO的なものを設置することが重要なのではないかと思うのだが、どうだろうか。もっとも、アメリカはCBOを持ちながら、結局、Cash for Clunkersを止められなかったのだから、CBOはあっても役に立たないんじゃないかという反論も当然ながらありうる。この点は、このblogで前々から議論してきた点でもあり、なかなか難しい命題だと思う。
my room, Washington DC, Oct 28, 25:37
No comments:
Post a Comment