Monday, October 5, 2009

Nomonhan

半藤一利の『ノモンハンの夏』を読んだ。なんとも言えない読後感である。

この本は、その名の通り、1939年(昭和14年)に日ソ間で争われた、いわゆる「ノモンハン事件」の顛末について書かれたものであり、450ページにわたる大部の書物の大部分が、陸軍首脳による「無謀、独善そして泥縄的」な言動と、それによってもたらされた戦場での悲劇の描写に充てられている。背景説明の必要上、ノモンハン事件と同時並行的に進行していた、独ソ間、日独間それぞれの外交交渉、及び、それへの対応を巡る日本政府内の紛糾ぶりにもそれなりの紙幅が割かれているが。

作中、著者が何度も繰り返し指摘しているのは、服部卓四郎氏と辻正信氏という、この事件の主導的役割を果たした二人の陸軍エリートの独善ぶりが、この大きな(それもおそらくは無用であったはずの)犠牲をもたらした直接にして最大の原因であったという点である(著者は、「あとがき」の中で、第二次大戦終戦後に辻氏と面会した時のエピソードに触れ、「およそ現実の人の世には存在することはないとずっと考えていた「絶対悪」が、背広姿でふわふわとしたソファに座っているのを眼前に見るの思いを抱いたものであった」とまで述べている)。僕自身、この事件については、多元的に知識を得たわけではなく、ほぼ、この著作からの情報だけに依っているのであり、公正な視点とは言えないかもしれないが、少なくともその限りにおいては(本著作の執筆動機がその点にあるので、当たり前と言えば当たり前だが)、上記の著者の主張に大いに納得するところである。

しかし、その一方で、単にその二人だけの責任に帰すことができないのも、また厳然たる事実であろう。事件前夜から戦線の拡大、ひいては戦後処理に至るまでの間に、旧帝国陸軍(ひいてはそれをコントロールしきれなかった内閣)という組織の持つ「弱さ」、「脆さ」、あるいは「歪み」といったものが、様々な形で露呈していった様子が、作中、ありありと描かれている。これらの弱点のうちの多くのものは、「旧帝国陸軍」という一つの組織に固有のものではなく、組織一般 ―なかんずく官僚機構というもの― に、多かれ少なかれ、内在するものと理解しておく方が賢明ではないだろうか。

実際に「ノモンハン事件」に参戦した、野戦重砲兵第一連隊長の三嶋大佐という方が、事件後の会議で行った陳述の内容が作中(p.452)に示されている。非常に説得力があるように思われるので、やや長くなるが、以下、転載させていただく;
(1) ノモンハンで戦わなくてはならない必然的な理由がなんなのか、結局わからずじまいに終わった。
(2) 指揮命令の失態、軍事的失敗は下級部隊ではなく、上層部にある。作戦はあまりに煩雑な指揮命令系統と、必要以上に多数の高級将校を経由しなくてはならなかった。
(3) 日本軍の装備・組織が不適格であった。とくに、輓馬を使うにいたっては論外である。軽傷を負っただけでも輓馬は役をしなくなる。
(4) 広漠たる平原では機動性が決定的に重要である。自動車化が必要である。
(5)(6) ―半藤氏により略―
(7) ソ連軍を甘くみた。中国戦の経験は通用せず、日本軍は「煉瓦の壁」に突き当たった。
(8) 結論として、武士道精神がノモンハンでは間違って解釈されていた。指揮系統という動脈に血が通っていなかった。何事も公式的、事務的で温かみがなかった。
今日的な文脈の中においても、示唆に富んだ指摘と言えるのではないだろうか。
 my room, Washington, DC, Oct 5, 20:49

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