Mankiw御大ご推薦のYoram Baumanという経済学者が、今回の一件に絡めて、なかなか良いことを言っておられるように思う。本人のweb site(上のリンクから飛べます)は、極めてふざけた作りなのだが(笑)
以下は、Baumanと、Superfreakonomicsの著者の一人であるSteven Levittとの往復書簡の中の一節(Baumanのblogの中で公開されている)。
Your chapter pains me not because it’s factually incorrect but because it clearly gives a misleading impression of the scientific consensus on climate change.
(拙訳)君の書いたあの章が、僕を不快にさせたのは、それが事実に反しているからではなく、明らかに、気候変動に関する科学的コンセンサスについての誤解を招く書き方がなされているからだ。
I don’t mind if you do this in a straightforward way by getting involved in climate research, but to do it via insinuations is in my opinion a disservice to to climate science, to economists like me who work on climate change, to academic work in general, and to the general public that will have to live with the impacts of climate policy down the road.前回のエントリーでも書いたとおり、気候変動問題に関して「どちらの側に立つかは、各個人の良心(conscience)に従って決めるべきであ」り、財政規律の問題と同様、現時点で、断定的にどちらが正しいと言い切ってしまえるような性質の問題ではないと僕は思っている。
(拙訳)君がもし、気候変動の研究に真剣に取り組んだ上で、このように言っているのなら、僕は何とも思わない。しかし、当てこすり的にこういったことをすることは、僕に言わせれば、気候科学を、僕のように気候変動問題に取り組んでいるエコノミストを、学術的営み一般を、そして、今後、気候変動対策の効果とともに生きていかなければならない人類一般を害する行為である。
しかしBaumanの言う上の二つの点については、どちらの側に立つ人間も、前提として受け入れるべきと言えるのではないだろうか。いくらreferenceがあるとはいえ、揚げ足取り的にad hocな反論を並べることは、学術的に褒められた行為でないというだけでなく、実社会に対する貢献という意味でも、決して建設的な議論とはなり得ないし、また、自分の専門外で議論をするときには、その世界の学術的蓄積に対して十分な敬意を払った上で発言するべきとも言えるだろう。「専門外のことには口出しするな」というわけではないが、outsiderが各学問領域の学術的蓄積を十分踏まえずに発言し始めたら、それこそ、Baumanの言うとおり、「学術的営み一般(academic work in general)」を危険に晒すことになる。
ともあれ、(前回のエントリーの繰り返しになるが、)学問領域の壁をまたぐ研究が非常に難しいということが改めて感じられる。佐和先生の以下の言葉が思い出された。
「学際」という言葉は、しばしば安易に用いられがちだが、「言うはやすく行うはかたし」である。それぞれの研究者が自己の専門分野のパラダイムにかたくなにこだわりつつ、異分野の専門家の所説に対して疑問を呈したり、自己のパラダイムにてらしての解釈を述べたりする。「学際」とはそういう営みのことであって、ある分野ともうひとつの分野のあいだに、新しい学問領域をつくることではない。(『経済学への道』(岩波書店、2003)より)
my room, Washington DC, Oct 20, 22:01
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