財務省は28日、高田英樹主計官補佐(36)を大臣官房付兼内閣府秘書室に異動させ、国家戦略室のスタッフとする人事を発令した。戦略室に現役官僚が入るのは初めて。9月28日付産経新聞の上記事に触れ、件の報告書を拝読させていただいた。ちなみに、高田さんご本人とは、全く面識はありません。
高田氏は平成15年から約3年間、英財務省へ出向した経験がある。英国の予算編成の実情や政治家と官僚の関係を分析した報告書が、菅直人国家戦略担当相の目に留まり、戦略室への起用につながったという。
この報告書では、著者ご自身の日英両財務省でのご経験を踏まえ、「日本への示唆」を織り交ぜながら、英国財務省と日本の財務省(ひいては霞が関全体)との比較・分析が示されている。全体的に抑制の利いたトーンで書かれており、双方の長所・短所を、客観的に記述しようとする著者の姿勢が窺われるが、それでありながらも、多くの点において、英国財務省の方が、日本のそれ(或いは霞が関一般)に比べて、はるかに効率的に出来ており、組織として理にかなっていることが、窺い知れる内容となっている。
挙げ始めればきりがないが、以下、印象に残った点を何点か、転載させていただく;
<「各局の構成」より>
組織構成において日本の官庁と大きく異なるのは、局に「総務課」に相当する課が無いことである。FRIの局長にはレンジEレベル(注:概ね日本の課長補佐級)の秘書がおり、その他スケジュール等を担当する補助職員数人と合わせて、局長及び2人の部長のサポートを行っているが、日本でいうと「付き」に近い仕事が中心であり、局の政策のとりまとめや官房との調整を行う機能はあまり無く、日本における「総務課総括補佐」のような存在とは全く異なる。
文書課や各局総務課に相当する総合調整部局の欠如は、Treasuryの組織的な弱さであり、おそらくこの点では、日本の方が機能的には勝っているのではないかと考えられる。ただ、こうしたモデルでもそれなりに滞りなく業務を行っているわけであり、日本で文書課・総務課が本当に効率的に機能しているか、単なる阻害要因とはなっていないかを問い直してみることは有益であろう。
<「職員の階層」より>
英国財務省では日本の官庁に比べて、業務のスタイル及び電子化の徹底により、コピー取りや書類配布等の物理的な雑用負担がはるかに小さいため、部下がいなくても日本における同じ状況ほどの不便は感じない。補助職員の数を近年減らしているのも、こうした業務の合理化に対応するものと考えられる。日本においても、限られた人員数で増大する行政需要を満たしていくためには、こうした組織のフラット化を進めていくほか無いのではないか。(実際、金融庁では、財務省に比べて、事実上こうした傾向が強まっている。)特に、新入省者をも一人前の戦力として尊重していくことは、優秀な人材の官庁への定着を促すためには不可欠であると考えられる。
<「採用・異動・昇進」より>
採用は、省全体で行うというより、課や局の単位で実質的に行われており、特定の課で特定のポストが空いた場合(あるいは新しくポストをつくりたい場合)に、そこに充てるために人を採用するのが最も典型的なパターンである。このような場合に、そのポストを、内部からの異動で埋める場合もあれば、外部から採用することもある。建前としては原則として、外部も含めて公募を行うことが求められているが、実態としては個別の「はめ込み」も行われる。内部からの異動については、省内のイントラネットでポストの募集が全職員に告知され、希望する職員がそれに申請するという形となる。ポストへの申請は、CV(履歴書)をその担当部局に送って、面接を受けるという手続を踏むことになり、まさに就職活動に近い。
<「出向・転籍」より>
官庁と民間との間においても、頻繁な出入りがあり、これは日本には見られない慣行である。むしろ、現在では、幹部級の重職に就く前に、官庁の外の仕事を一度は経験することが求められているとされ、そのため、多くの職員がキャリア形成の一貫として意図的に外部に転出している。幹部級を含め、民間からの職員の登用も多い。
<「勤務時間」より>
英国と比較すると、日本の行政は、官庁の内部、官庁間、あるいは国会との関係も含めて、パブリック・セクターの内側であまりにもエネルギーを消費しており、それが必ずしも国民に対する便益に結びついていないという面がある。これは、コンセンサスをどの程度重視するかという文化的な要素のほかに、行政官の役割の違いという要素もある。前述のように、英国の官僚は政治的な調整責任を負っておらず、政策決定は大臣が行うという意識がある。そのため、官僚のレベルであまりこだわっても仕方がない、という割り切りが感じられる。
(中略)
また、日本の官僚(や、それを取り巻く人々)は、「無限の時間」の中で生きているため、時間に対するコスト感覚が無く、追加的労働はタダだと思っている節がある。もちろん、残業時間が増えても、それに比例して給料が増えるわけではないので、その意味ではタダなのであるが、実益に乏しい超過労働をさせることは、職員個人の生活の侵害であるのみならず、能率性や士気の減退等、有形無形のコストを国家にも発生させていることを認識すべきである。しかし、少し冷静になって考えれば、ここで書かれている英国財務省のやり方は、何も特別に洗練された組織運営といったようなものではなく、むしろ、その多くが、組織を合理的に運営するという意味では、至って普通なシステムであるようにも思われる。翻って、それが出来ていない組織が東京は千代田区の一角に厳然としてましましていることを思い出すと、気分が重くなるのだが・・・。
問題は、どうすれば、その「普通」の状態に復帰できるかだが、正直言って、これはなかなか難しい問題である。論文の「結び」の部分で、高田氏は、
“私は日本の財務省から来たということで、機会ある毎に、幹部を含めた様々なレベルの同僚から日本の財務省とTreasuryの比較について尋ねられる。興味深いのは、良きにつけ悪しきにつけ、日本の官庁の特徴を挙げるたびに、極めて頻繁に、「Treasuryも10年ほど前はそうだった」という返事が返ってくることである。”と述べておられるが、英国財務省はこの10年間で、どういった改革の道をたどってきたのか、非常に興味深く思ったところである。
my room, Washington, DC, Oct 3, 23:09
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