「紛争解決方法に見る日米の対比について」
◎前提:以下のことは、日米両国において(というか、たぶん世界中で)成り立つ。
1.世の中には、いくら議論を尽くしてもわかりあえないことがある。(残念。。。)
2.あまり口には出さないが、深層心理では誰しもそのことに気づいている。
◎戦略:わかりあえないこと(=Conflict)に遭遇してしまったときの戦略
日本:理屈で議論し続けても、暗礁に乗り上げるだけだから、ある程度まで議論したら、情の世界になだれ込む。
米国:"禁じ手ナシ"の議論をしても、暗礁に乗り上げるだけだから、一定のルールの下での議論で以て勝敗を決する。(そして、その結果には従う。)
◎象徴的事例
日本:「みなまで言うな」、「武士の情け」、「呑みニケーション」
米国:ディベート好き、裁判制度の多用
◎日本式の長所・短所
<長所>
1.論点が浮き彫りにならないので、対立が先鋭化しにくい。
2.いったん「寝技」テクを習得してしまえば、いちいち頭を使わなくていいので楽ちん。
3.議論の中身より人間関係が重視される(=「かちょーが言うから仕方ない」のセカイ)ので、しゃかいちつじょが安定する。
<短所> ※1~3は長所の裏返し。
1.いつまでたっても論点が詰まらない。→臭いものにはフタしとけ!
2.「政局」に強い人間がやたら幅を利かせる。→中身の議論は…??
3.新しい意見が通らない。→かちょーが言うから仕方ないのだ!!
4.グローバルスタンダードたり得ない。
◎米国式の長所・短所
<短所>
1.議論の過程で対立が表面化しやすい。
2.一見、理屈が貫徹しているように見える(見せかけている)が、あくまで一定のルールの下での討論ゲーム。ある種の“バーチャル”。
<長所> ※ 1,2は短所の裏返し。
1.すぐに論点がはっきりする。
2.見せかけだとしても、その範疇では理屈が貫徹しているので、普遍的な説得力を持ちうる。→グローバルスタンダードたり得る。
つまり何が言いたいかというとですねぇ…。
「日本人は議論をアイマイにする」とよく言われますが(それは紛れもない事実ですが)、アメリカにだって、まともにやってたら解決しようのない問題は、当然ながら山のようにあるわけですよ。そもそも、全然違うカルチャーもった人たちが、海越え山越え(山は越えないか…)集まってきて、ひとつの国を作ったわけですから、「分かり合えない問題」は、島国社会・ムラ社会の日本よりも、むしろアメリカの方が圧倒的に多いはず。アメリカ人自身、たぶんそのことをよくわかっていて(少なくとも、カシコいアメリカ人はわかっていて)、それに対応するためのシステムを試行錯誤しながら開発したんだと思います。
それがどういうシステムかというと、「プロセス絶対重視!」の掟。彼らの流儀では、最終的な合意に至るまでに、「ここまでは異論ないよね」というかたちで、何回かちっちゃな合意を重ねていくわけですが、このプロセスは、神聖にして犯すべからず。いったん合意が成立した後で、「やっぱ俺、こう思うんだよね」なんて言い出した日には、誰からも口利いてもらえなくなります(試したことないけど、たぶんそうなると思う。)。
もちろん、アメリカ人にだって、「あのとき、ああ言っとけばよかった…」って思うことは、ときどきあると思うんですよ。でも、それを言い出したらきりがない(出自がバラバラなだけに、ゆーちょーに一人ひとりの話を聞いてたら、いつまでたってもまとまらない)ので、いったん決まったことには、誰も手をつけられないことにする――。これが、多民族国家アメリカの知恵であり、それゆえに絶対不可侵(ちょっと大げさ?)の暗黙の了解なんだと思います。
暗黙の了解を守れない輩は、たとえ、言ってる理屈が正しくても、「無粋で、面倒で、一緒にいたくないヤツ」というレッテルを貼られてしまいます。これは、呑みの席で突然、懸案事項の話を持ち出すヤツが日本で嫌われるのと同じ理屈ですよね。つまり、日本人にとっては、「いったん情の世界に突入したら理屈の話は休戦する」というのが暗黙の了解だから、それを破った輩は、「無粋で、面倒で、『お前と呑んでたらせっかくの酒が不味なるわ!!』なヤツ」になってしまうわけです。
そろそろ宿題やんないとなので、後の話は手短に。
1.日本式は「呑みにケーション」文化圏(日本、韓国、せいぜい中国?)でしか通用しないので、グローバルスタンダードには絶対になり得ない(たぶん日本人も、そのことはよくわかっている。)。一方、米国式は、少なくとも見せかけ上は理屈で議論し尽くしてるように見えるので、普遍的な説得力を持ち、グローバルスタンダードたり得る。ホントは、暗黙の了解の部分は、米国(あるいはアングロサクソン)のローカルルールなんだけど、そんなこと誰も言わないから、世界中の人たちが普遍的だと思い込んでいる。(アメリカ人自身、普遍的だと信じて疑っていないところが強い。迷いがない。自信満々。)
2.米国式は、対立を先鋭化する側面がある一方、その世界の中で暮らしていく中で、人々を対立に慣れさせる側面もある。つまり、アメリカ人は(少なくともカシコいアメリカ人は)、実際には感情的になっていないにもかかわわらず、あたかも感情的になったかのような勢いで、議論の相手を激ヅメすることができる(超怖い。)。ディベートがその典型例。しかし、実際には感情的になっていないので、より大きな問題が差し迫っていると判断するや、今のいままでやってた議論をさっさと撤収して、昨日の敵と涼しい顔して握手することができる。故に、危機対応能力がすごい。昨今の金融危機にしてもそう。「国家の危機」と見るや、あれだけ盛んに行われたマスコミの「ブッシュ政権叩き」が影を潜めている気が…。
ふー。書き疲れました。最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございますm(_ _)m
ちなみに今日の記事の内容は、クラスメイトのYさんとの立ち話の中でinspireされました。Yさんもありがとうございますm(_ _)m
my home, Syracuse, Sep 23, 24:02
2 comments:
あんまりまだばりばりアメリカ人とチームで仕事をやったことがないので、正確にはわかんないですが、ディベートやロールプレイでも、むちゃくちゃ感情移入してやるのは面白いです。議論自体に慣れてて、楽しんでる感じがします。対立も恐れる感じがしない。
Devil's advocateも買って出る。
ただ、うちの大学院にも今後チームでコンサルをやったりプロジェクトをやったりする機会があって、去年の話を聞くと、どなりあったり泣いたりするんだそうです。その辺の追い詰められた時の変化も見てみたいです。
どなりあったり泣いたりしてもなお、どこかで議論を楽しんでんじゃないかなぁ…って気がする。僕もまだ、どなりあったり泣いたりしてるアメリカ人は見たことないけどね(笑)
今日の夕方の、マケイン=オバマの共同声明も、この意味で、象徴的だよねー。O澤さんにこれができるか?? できないよね…。(O澤さんが悪いというより、そういう文化の国だってことだけど。)
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