Thursday, August 13, 2009

Policy Industry

アメリカのシンクタンクについては、これまでにも何度か書いてきたが(1/172/63/276/4など)、折角DCに来たからには、もう少し詳しく調べてみようと思い、今日は、とあるシンクタンクに勤めておられる日本人の方をお訪ねしてきた。
  
年齢的には、僕とそんなに変わらない方なのだが、相当の風格を持っていらっしゃる。数年間、「どaway」と言っても過言ではない、DCの地で戦い抜いてこられた故の貫録とでも言うべきか。また、複雑な話を、整理してシンプルに話す術にも非常に長けていらっしゃる印象を受けた。この辺りは、まさしく、シンクタンク業界で生き抜いて来られたからこその能力なのだろう。この手の技能は、役人の非常に苦手とするところ(そもそもその自覚のない人も多い)。僕自身、正直、あまり自信がない。
    
二時間以上にわたり、非常に貴重なお話をいろいろ聞かせていただいたのだが、とりわけ印象的だったのは、「シンクタンクの役割は何か」という、ある種、非常にfundamentalな議論。曰く、まず以て、「政治」と「政策」は違う、と。その上で、「政治」が右に左に、揺れ動くのは致し方がない(そこの事情はアメリカも同じ)こととして、だからこそ、シンクタンクが必要なのだと。シンクタンクの役割は、政治のトレンドから一定の距離を置いて「政策」づくりに徹し、その道を究め、適時適切な情報を意思決定権者にinputしたり、ときには、複数の意思決定権者間での合意形成を支援したりするなどして、国の政策が、(短期的なブレはあっても)中長期的には一定の方向に進んでいくよう、縁の下からサポートすることにあるのだ、と。そのために、リサーチをし、提言をまとめ、時宜を捉えて政治家(実際にはその政策秘書)や官庁を(広い意味で)説得することがシンクタンクの本分である、といった趣旨のお話であったと理解している。
   
お話を伺いつつ、思ったのだが、「「政策」立案機能を担うのは霞が関だけで十分」という、未だ霞が関界隈で根強い発想は、役人の思い上がり又は不見識以外の何物でもないと思う。別にそれは、霞が関が怠惰だとか無能だとかいうことではなく(それもあるかも知れないが)、これだけ、世の中が複雑化し、変化のスピードが速くなった時代にあっては、霞が関だけでその機能を担い続けることは、土台、不可能なのではないか、ということだ。もはや、「熱意」や「経験、勘、度胸」だけでどうにかなる時代ではない。
  
思うに、シンクタンクには、少なくとも二つの、役所にはない機能が備わっている。一つは、専門的なトレーニングを受けた「リサーチのプロ」が、十分な時間をかけてリサーチを行える、という点。もう一つは、政府の「公式見解」など、何らかの主義・主張に縛られない自由な立場から、研究・発言をすることができる、という点である。ちなみに日本にも、一つ目の機能を有する「シンクタンク」はあると思うが、二つ目の機能を有しているところが、一つとしてあるかどうか――全部見て回ったわけではないが、個人的には、甚だ怪しいのではないかと思う。
    
これらの機能は、役所が役所である以上、本質的に担いきれないものである。(一つ目の機能を役所に付与することは物理的には可能だが、この機能は、二つ目の機能と合わさってこそ真価を発揮するのではないかと思う。) したがって、固有名詞としての「霞が関」の出来不出来には関係なく、「政策」という製品の製造工程が本質的に持つ特性からして、「分業」は必須であり、その意味で、日本には、時間と技術を投入して政策の仕込みを行えるプレイヤー(=本当の意味での「シンクタンク」)が欠けているように思う。デンソーやアイシン精機がなければ、トヨタだけでは良い車が作れないのと同じように…。(別に、霞が関がトヨタ並みだというつもりはサラサラない。)
  
このことは、「霞が関の役人に政策を理解する能力は不要だ」ということでは決してない。述べ来たったように、霞が関が果たすべき役割と、シンクタンクが果たすべき役割は、「違う」ものだとは思うが、それらは、引き続き、隣接しあった領域(工程で言えば「前後」の関係)であり、互いの領域に関するそれ相応の理解があってこそ、分業による成果は最大化されると思う。このことは、上記のトヨタの例からも明らかであろう。霞が関がなすべきは、政策に関する十分な理解を持った上で、自らのコンピテンシーを見極め、外部の機関とも協力しつつ、よりそれに特化できる体制を築くことではないかと思う。
  
一方で、いかなる勢力からも独立した、本当の意味での「シンクタンク」を早急に準備する必要があるわけだが、反面、いくら必要だと言っても、個々のシンクタンクを支える財政的基盤がなければ、そういったシンクタンクは成立し得ないわけで、「寄付」の文化の乏しい日本において、この点をどう克服するかは、非常に難しい問題であると思う。ただ、今日聞いてきたお話では、アメリカでも、今のような「政策産業」が、戦前から発達していたわけではなく、'60年代に目覚ましい発展を遂げたのだとのこと。これについては、少しヒントとなりそうなお話もいただいてきたので、自前でもう少し調べてみた上で、後日、改めて記事にしたいと思う。
my room, Washington, D.C., Aug 13, 18:53

2 comments:

outernationjp said...

60年代というと、経済学等の知見を政策立案に反映させるという動きがメインストリームにのし上がった頃の話ですね(今日の公共政策/公共政策学の起こり)。

印象論ですが、アメリカにおけるシンクタンクの発展において、寄付やボランティアの文化に加えて、「コネ文化」と、みたいなものも影響している気がします。

メンバーシップとして会費を取る代わりに、政府高官や著名有識者を交えての(内輪の)意見交換・食事会(会費に応じて参加出来るものが変わる)、共通の話題になりうるクオリティの高い定期購読物の送付などのベネフィットを提供すると。

日本では芙蓉会みたいな財閥の内輪の集まりや、経団連がそれに似たものかもしれませんが、シンクタンクがその受け皿になっているような印象がありました。庶民感情が金科玉条になっている今日では、大っぴらにそんなことをすれば叩かれるだけですが。

政策が法律や財政と結びついているため、政策は政府の仕事という意識が強く、「政策産業」が霞ヶ関+省庁系シンクタンク+大学の間で民間のように系列化されていますし。政策分析や予測、推計みたいなものを軽視する結果として、政策が法律と予算と関わるところに押し込められているのかもしれません。

日本の排他的な内輪志向、過渡な庶民美化、行き過ぎた現場主義みたいなものが変わっていくと、民間でも政策シンクタンクみたいなものが発展するかもしれませんね。

髙林 祐也 said...

コメントありがとうございます。御指摘の「コネ文化」には、もちろん、功罪両面があるとは思うのですが、そういったものが、アメリカという国の(特に対外的な)政策を決める上で果たしている役割は非常に大きいのだろうなと思います。日本がそっくりそのままアメリカのようになるべきだとは思いませんが、やはり、行き過ぎの部分は多いにあるのでしょうね。こういった点がなかなか日本国内で論点にならないのは、残念なことですが・・・。