Friday, August 21, 2009

"Keynes was Really a Conservative"

書きかけのまま、一週間ほど放置していた投稿を書きあげようと思う。  
  
ちょうど一週間前、法学を専門とする友人と飯を食いながら、政策について議論する機会があった(暑い最中に暑苦しいことでスイマセン)。そこで改めて感じたのは、基本的な論点を素朴に衝かれると、答えるのはすごく難しい」という、当たり前だが忘れがちな事実。普段、同じような学問的背景(僕の場合は経済学)を持った人たちとだけ話をしていると、そういう論点に目を向ける機会は少なく(というか、面倒臭く)、十分に検討することを怠ってしまいがちである。自分とは異なる「フレーム」で世の中を見ている人との会話は、フレーミングを共有する人との会話に比べ、確かに滑らかではないし、frastrativeになることも多いが、ときどき、こういった「異種格闘技」をするのも大切だなぁと思わされた夜であった。

その夜の議論の中心課題の一つだったのが財政政策の有効性。このblogでもときどき仄めかしている(笑)通り、僕は、乗数効果といったものには、正直言って非常に懐疑的で、その夜も、そちらサイドで論陣を張らせていただいたのだが、じゃぁ、「いま各国が行っているstimulusは、全部やらなかった方が良かったのだ」と断言できるかというと、そこまでではない。つまり、純粋な意味での“stimulus”(景気刺激)以外の部分で、なんらかの価値を認めている、ということなんだろう。しかし、それが何なのか、具体的に説明してみろと言われても、すぐには言葉が出てこなかった。理解が中途半端だなぁと反省…。    

落ち着いて考えてみると、「質」の面では、財政支出を、民間企業の収益性が高まるような方途に振り向けることで、潜在成長率を高め、支出の効果を長期的なものにする、という正当化が可能であろう。その意味では、アメリカのいわゆる“green stimulus”は、非常に良く練られていると思う。(参照:MSJ(2/10)城繁幸さんのblog(8/18)

一方、「量」の面で、どこまでの財政支出が正当化できるかという議論はなかなかクリアに言葉にするのが難しい(と僕は思う)のだが、Bruce Bartlettという、先のBush政権で財務省のエコノミストを務めたおじさんが、8/14付のForbes.comの記事(“Keynes Was Really A Conservative”)で、それなりに分かりやすくまとめてくれている。曰く、

In Keynes' view, it was sufficient for government intervention to be limited to the macroeconomy--that is, to use monetary and fiscal policy to maintain total spending (effective demand), which would both sustain growth and eliminate political pressure for radical actions to reduce unemployment.

One of Keynes' students, Arthur Plumptre, explained Keynes' philosophy this way. In his view, Hayek's "road to serfdom" could as easily come from a lack of overnment as from too much. If high unemployment was allowed to continue for too long, Keynes thought the inevitable result would be socialism--total government control--and the destruction of political freedom. This highly undesirable result had to be resisted and could only be held at bay if rigid adherence to laissez-faire gave way, but not too much. As Plumptre put it, Keynes "tried to devise the minimum government controls that would allow free enterprise to work."

つまり、財政支出政策の提唱者であるKeynes本人の考えによれば、政府の財政支出は、失業率の上昇に端を発する急進的な左傾化を回避し、健全な政治的・経済的自由を確保する、という目的の名において正当化されるのであり、また、その目的を逸脱しない範囲内にとどめるべきである、と。  

こういう記事を読むと、Keynesという人は、(多くの歴史上の人物がそうであるように)右からも左からも、大いに誤解されているような気がする。そして、今日のエントリーの書き出しに戻るが、「異種格闘技」を戦い抜いていくためには、最新の議論を追いかけることよりも(←こっちも、そんなに真面目にやっているわけではないが…)、Keynesのようなclassicalな経済学者の考え方を、原典に忠実に頭に入れておくことの方が大事なような気がしてきた。
my room, Washington, D.C., Aug 21, 13:43

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