アメリカに帰国した直後は、高速インターネットとスタバとの再会に感動したものだが、一旦、こちらの生活に落ち着いてみると、今度は、スーパーに買物に行くのがとても楽しく思えてくる。「その気になれば、ここにある食材を使って何でも作れる」という思いが、僕をワクワクさせてくれるのだ――実際には、そんなにたくさんの食材を使いこなせるほどの腕前は持ち合わせていないのだが。
「何でも作れる」なんて書くと、なんだかとても大層なことのようだが、先進国の(とりわけ都市部の)スーパーにしてみれば、これは極めて当たり前のことだ。僕も、そんな「当たり前」のスーパーから徒歩3分のところで育った。なので、これまでの人生、スーパーに感動を覚えたことなんて、ただの一度もなかったと思う。それだけに、いま感じているこの興奮は、自分自身にとっても、すごく新鮮というか、何というか…。
きっと、こういうことが、ひとつの「ゆたかさ」の現れなんだろうと思う。先進国の側だけから見ていると、そんなことには、普通、気づきようもないわけだが。
斯く言う僕も、これからの人生、いちいちスーパーに入る度に、「すげぇー」なんて感動しているわけにもいかないので、もうあと何回か近所のSAFEWAYに通えば、この感動も、次第に薄れていくのだろうと思う。けれども、たとえ一時期だけであっても、こうやって、「当たり前」だと思っていたスーパーなるものの「偉業」に、ささやかな感動を覚えたという事実だけは、忘れずに記憶にとっておきたいと思う。
my room, Washington、D.C., Aug 10, 21:39
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