Tuesday, August 18, 2009

Community of Practice

『コミュニティ・オブ・プラクティス ―ナレッジ社会の新たな知識形態の実践―』という本の邦訳版を読んでみた。 三人のアメリカ人コンサルタントの共著で、日本語版の初版は2002年に出ている。本著が扱っているのは、タイトルどおり、“community of practice(=実践コミュニティ)”。若干、冗長ではあるが、「うんうん」と唸らされるポイントがいくつもあり、傍らに置いておいて、ときどき読み返しみたいと思える一冊だった。

本著のベースには、「有用な知識とは、(中略)自己充足的な独立体として管理できる「もの」ではない」(p.38)という発想がある。もう少し解説的に言うと、「専門家の知識とは、経験――つまり彼らの行動や思考や会話のいわば「残留物」――が蓄積したものである。(中略)この種の知識は、静的な情報の集まりというよりは、むしろ生きているプロセスに近い」(p.39)ということ。そうした「生きた知識」の「レポジトリー(貯蔵庫)」(p.39)或いは「世話人」(原文では「「世話」をするための理想的な社会的枠組み」)(p.43)として、理想的な役割を果たす存在が「実践コミュニティ」である、というのが本著の主たる主張となっている。

本著中、「実践コミュニティ」は「あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知能や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団」(p.33)と定義され、以下の三要素から成るとされている。 (p.16)

  • 領域 = 実践コミュニティが熱意を持って取り組む、知識あるいは専門分野が何であるか
  • コミュニティ = 実際に相互交流している人たちの集団
  • 実践(プラクティス) = 知識を生み出す活動

つまり、「自主的な勉強会」や「自発的な組織改革グループ」などが「実践コミュニティ」に当たるわけだ。通常、実践コミュニティは、企業の組織図に乗るような「公式」の存在ではなく、自主的に寄り集まってきた人たちの、非公式の緩やかな連携(=コミュニティ)という体裁をとる。また、各実践コミュニティは、ひとつの組織(企業、官庁、etc.)に属する人々によって形成されるのが基本形だが、組織の壁を跨ぐ場合も少なくはない。あくまで「非公式」な存在なので、面白い(=上質のナレッジを提供してくれる)人がいれば、所属組織にかかわらずリクルートする、というわけだ。

「形式知」だけでなく「暗黙知」までをもカバーする、本当の意味での「ナレッジ・マネジメント」を行いたいのであれば、物体を扱うかの如く、単に知識や情報を物理的に集め、「データベース化」するだけでは不十分。生きた知識というものは、なんらかの知的活動を介した、人と人との相互交流の中でのみ、蓄えられ、育てられていく――といったことが、繰り返し、繰り返し、(若干しつこいくらいに)述べられている。

本著は、実践コミュニティを主導する、自発的なリーダーに向けて書かれた本であると同時に、実践コミュニティを、自社内に育て、その活動を本業に役立てようとする経営者に向けて書かれた本でもある。したがって、「組織」はその内部に実践コミュニティを育てるために何が出来るか、また、実践コミュニティを評価・管理するためにはどうすればいいか――つまりは、実践コミュニティと、公式な「組織」とは、どういった関係を築くべきか――と、いったことについても書かれている。

著者は、「組織」と「実践コミュニティ」の関係は、「二重編み」だという。一見、「マトリクス構造」にも似ているが、「マトリクス構造は、指揮命令関係を増やすことによって、権力を配分し、資源を調整することだけに焦点を当てている」のに対し、「コミュニティは知識に焦点を当てた、異なる構造を組織にもたらす」という意味で、根本的に異なるのだと(p.53)。 つまり、実践コミュニティを本業に活用すると言っても、単純にコミュニティを「公式化」してしまっては、それ本来の良さを殺してしまうだけである。そうではなく、高度の自主性を残したままで、「公式と非公式な要素の「舞い(ダンス)」」(p.311)を演出しないといけない、ということが強調されている。

本著を貫いている思想を、僕なりの言葉でまとめてみると、

  • 組織も人も、あくなき学習と成長が必要だ、
  • その際、学習の糧となる「知識」は物質としては扱いきれない客体であり、また、絶えず変わり続ける動的な存在だ、そして
  • そういった性格を持つ「知識」の体系を随時アップデートしていく営みは、自発的なコミュニティによってのみ可能となる

といったところだと思う。

ここまで明確に意識していたわけではないが、振り返ってみれば、「実践コミュニティ」に当たる活動を、僕はこれまで、なんやかんやとやってきた。また、それらを通してやりたかったことは――自分自身、あいまいにしか認識していなかったが――つまり、こういうことだったんだろうと思う。そういう意味では、いちおう、頭の中にあるにはあったが、もわもわとした雲のような状態でしかなかった発想を、キレイに言葉に整理して、「はい、どうぞ」と見せてくれた感じ。こういう経験は、目の前の霧が晴れたような感じがして、非常に気持ちがいい。

というわけで、やや必要以上に紙幅を消費している気がしないでもないが、それを補って余りある、かなりお勧めの一冊である。後半は、「経営者」目線が強くなるので、僕ら世代の方であれば、第3章まで(そこまでなら100ページ強)読むだけでも十分。特に、僕と同じ組織の方には、ぜひ読んでいただきたい。読んでいただければ、いろんな場面で話が早くなるんじゃないか…というサボり根性から言っているのでありますが(笑)

Marshall Street, Syracuse, Aug 18, 10:27

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