Monday, May 31, 2010

First step does not have to be perfect.

先学期は、Comparative Foreign Policyなる授業(と、そのdiscipline)に対する不平不満を何度か書いたが、学期も終わり、その授業をもう受けなくなってから、若干、自分の考えを改めてみた。

当時、僕のフラストレーションの中心にあったのは、元来chaoticなはずのこの世の中を、いくつかのパターンでMECE(mutually exclusive and collectively exhaustive)に説明できると言うかのような、CFPのその姿勢。そこに、いかにも「象牙の塔」的な空気を感じ、なかなか好きになれなかった。こんなものは、実践の役には立たないと。

しかし、最近になってから、choticなものを(無理やりにでも)パターン化する(或いは、カテゴライズする)ことの実践的意味がなんとなくわかるようになってきた気がする。完璧には説明し切れなくとも――もっと言えば、完璧からは程遠くても――、とにかく、何らかの視点で対象物を斬ってみれば、多少なりとも理解が進み、ただただchaosなままに眺めているときより格段に速いスピードで、多くを学べるようになる。うまく斬れなかったとしても、それはそれでOK。その経験自体から、何かを学ぶことができるはず。とにかく、まずは斬ってみることが大事。ただ素朴に眺めているのではなく。

今さらながらだが、CFPの授業からは、少なくともこのことを学ばせてもらったように思う。
my home, Syracuse, May 31, 18:22

Good Bye, Kiyamachi

読者のみなさんの中に、そのお店の名前を知っている方がどのくらいいるのか定かでないが(じゃぁ最初から書くな、という気もする)、京都・木屋町のカレーうどん屋、味々香さんが、木屋町の店を閉じ、川を越えて八坂さんの方に移転されるらしい。

大学時代、木屋町で呑んだ時には、だいたいいつも、明け方近くに寄っていたお店。「〆にカレーうどん」というと、皆さん「えっ」とおっしゃるが、ここのカレーうどんは、良い具合に和風の出汁が聞いていて、荒んだ胃を潤すのに最適だった。一次会→二次会→ラーメン→カラオケ→味々香(→チャリで帰宅)というのが、王道パターン。このサイクルのどこかに、「三条河原ではしゃぐ」という、京都の学生の必須行事が挟まれば、もう完ぺきだった。

卒業後も、二、三度、お邪魔したことがあるのだが、それも全部、呑んだ後――さすがに、二次会+カラオケ後、ではなかったけど――だったと記憶している。夜の街から、ある意味、「京都の顔」とも言える八坂さんのお膝元に移られるということは、店の雰囲気もだいぶ変わるのかなと思ってみたり。祇園から、どのくらい近いかにもよるんだろうけど。星条旗たなびくMemorial Dayのアメリカで、京都のことを思い出してみました。
Maxwell School, Syracuse, May 31, 11:17

Sunday, May 30, 2010

"Dirty Dancing"

昨日のblogでは、「Thousand Islandsは“超”が付くくらいの金持ちたちの保養地」みたいなイメージで描いたが――実際、戦前まではそうだったと思うのだが――今では、もうちょっと庶民的なリゾートホテルが建っていたりもする。そんなホテルの脇をクルマで通過するとき、アメリカ人の同級生が、「“Dirty Dancing”みたいなセカイだね」と言った。「それ、なんね?」と聞くと、「アメリカ文化を知る上で欠かせない一作。今すぐ観ろ」と言うので、今日、さっそく、その『Dirty Dancing』(米・1987)とやらを鑑賞してみる。もう一人のアメリカ人は、「その前にIron Manを観た方がいいよ」と言っていたが、まぁ、順当と思われる判断により、とりあえず却下(笑)

NYC郊外のリゾートホテルで、長期の夏休みを過ごす医師一家。そこの次女である、高校出たてのinnocentなお嬢様が、ホテルで働くダンス・インストラクターと恋に落ち、父親の制止に抗いながら、大人の階段を上っていく、というストーリー。真っ先に浮かぶ感想は「お父さん、かわいそう…」てなもんだが、ここでは、むしろ、ストーリーより文化的背景の方に注目。

作中、NY郊外のリゾート地に家族単位でマイカーで集まってくる人たちは、長期(二、三週間?)の夏休みの間、ゴルフをしたり、湖水浴を楽しんだりしながら、ホテルでまったりと過ごす。客層は、中の上~上の下くらいの人たち。それこそSt. Lawrence川の島の上に別荘を建ててしまえるような、滅茶苦茶な金持ち層ではない。ある意味では、「普通」の人たち。

そんなわけで、ホテルは、Social School的なサービスも提供している。ダンス・スクールは、その中でも一番人気と見え、ホテルは、主人公(男の方)を含む住み込みのインストラクターたちを多数雇っている。リゾートシーズンの終わりには、宿泊客、従業員が参加してのパーティを開催。そこでは、従業員だけでなく、宿泊客の有志も一緒になって歌や踊りを披露。ある種、「大人の学芸会」な様相。その場面は、この映画のクライマックスにもなっている。

作中で、ホテルの支配人が、「世の中も変わった。このビジネスモデルもそろそろ限界かな…」とこぼすシーンがある。その言葉からして、この映画が公開された87年の時点では、こういったスタイルのリゾートは、既に過去のものになっていたということが分かる。今から言えば二世代近くも前の話だ。ただ、この「学芸会」文化、social party文化的なものは、今でもアメリカに息づいているように思う。あくまで、一定の所得層以上、ということではあろうけれど。この辺りは、単純に言葉だけでは割り切れない、文化的な「違い」の部分。そういうところに頑張って入り込んでいかないと、アメリカ人との本当の意味での人間関係はなかなか築けないものなのかなと思ってみたりもする。

アメリカの現代文化(というか、単純に言えば「ノリ」みたいなもの)を知る上で、この手のクラシック映画を観るのはなかなか便利な方法。と言いつつ、僕はこれまでほとんど観て来なかったので、これから留学される方には、早めにいろいろ観られることをお勧めします。
my home, Syracuse, May 30, 19:00

1000 Islands

この地に来てから初めて知った話だが、ドレッシングのThousand Islandsは、Syracuseからほど近い“Thousand Islands”地域に由来している…らしい。「伝説」の真偽はよくわからないが(Wiki参照)、ともあれ、今日は、二年目組の友人たちと一緒に、そのThousand Islands Regionに日帰り旅行に行ってきた。

五大湖の中で一番東(=下流)に位置するOntario湖から、St. Lawrence川がちょうど流れ出した辺りがThousand Islandsと呼ばれる地域。大型船舶も余裕で通れる幅広い河川の中に無数の島々が点在している。“Thousand Islands”なる地名の付け方は、長崎の九十九島や、ラオスのSi Phan Do(「4000の島」の意)とまったく同じ発想。観光ボートのガイドさんの話によると、実際には、この地域の島の数は、大小合わせて2000を下らないらしい。  

View Larger Map  
(Syracuseからだと、ほぼ真北にI-81を北上すること1時間半。)

この地域は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて開発された伝統的なリゾート地。American Dream全盛の時代、NYで一旗あげた富豪たちが築いたという別荘が、島々に残されている。もちろん、現役の建物も多いのだが、中には、使われることなく長年放置されてきたという曰くつきの建物も。
その一つが、アメリカ側の港町、Alexandria Bayからほど近いHeart Islandに残るBoldt Castle。プロイセンから渡米し、下積みの末に、ホテル事業で成功を収めたGeorge Boldtなる人物が、自分の夢を叶えるためにと建設に着手したのがこの“Castle”。しかし、愛妻の突然の死で、「夢」を追う理由を失ったBoldtは、電報で以て城の建設の即刻中止を命令。完成を目前に控えていた城と、それに付随する建造物群は、以降70年に亘り、誰に使われることもなく、ただただ放置され、風雪に晒されてきた。1970年代に入り、この地域の道路を管理する公的機関が島全体を買収。その後、少しずつ復旧を進めながら、今は観光地としても公開されている。

実際、島に渡ってみて、城の中を見学してきたのだが、そのセンスの良さは圧巻。贅を尽くしたメインの邸宅の他、出島に作られた古城風の発電所、島の反対側には、同じく古城を模した見張り塔と、まさにやりたい放題なのだが、「いかにも成金」といった嫌らしさがあまり感じられず、全体として、非常にきれいにまとまっているから不思議である。銀閣寺と同じで、完成を迎えなかったことが結果的に良い方向に働いたのかな…なんても思ってみたり。まぁ、Boldtさん自身にとってみれば、悲劇以外の何物でもなかったわけだけれども。
建物の中には、凍結した冬のSt. Lawrence川でアイスホッケーを楽しむ人たちの写真や、別荘の主と思しき紳士淑女たちが、キレイに着飾って並んで立っている写真も。気持ちいい初夏の日差しの下、古き良き時代のアメリカに、少し触れることのできた一日だった。
my home, Syracuse, May 29, 25:45

Thursday, May 27, 2010

Conference Call

Capstoneのプロジェクトは、粛々と進行中。うん、「粛々」という言葉がピッタリくる。

そもそも、クライアントからの注文の内容が比較的はっきりしているので、プロジェクト管理さえしっかりやっておけば、そうそう大爆発は起こらない内容。そこに持ってきて、メンバーの過半(僕は含みません)が優秀なので、プロジェクト管理もほぼ問題なし。もちろん、この先の不安要素がゼロではないが、これまでのところ、文字通り「粛々」と進んでいる。班員は非常にビジネスライクな人たちで、その点が若干不満なのだが、まぁそれも、順調に進んでいるからこそ言えるゼイタクというものか。

他の班の様子を聞いていると、クライアントからの発注の曖昧さゆえに苦戦しているところが多そう。学生の「模擬店」的コンサルティングなのでなおのこと、というところはあるが、曖昧な(或いは、scopeの大きすぎる)発注ではコンサルタントが動きにくいというのは、現実世界にも当てはまる事実だろう。多くを狙いすぎてはダメ。基本的には世の中なんて、漸進的にしか変えられない。大きいけれど具体性の乏しい絵を描くより、分相応にscopeを区切り、その中で、より現実的な行動をとることが重要なのではないかと思う今日この頃。capstoneの話から、飛躍しすぎ?

今日からは、各州立法府事務局への電話インタビューが始まる。インタビュー第一弾はTexas。メモ取り要員(2号)として、最大限の貢献を期すも、Texasオヤジの、こちらの「質問リスト」を屁とも思わない勝手気ままなfree talkの前に、敢え無く惨敗。テーマが分からない議論を追うのは未だにキツイ。しかもそれが電話でとなるとなおさら…。明日は朝からMinnesota州。今日ほどの「自由」さは、Texanに特有のものと願いたい。。

夕食は、僕と同じ二年目組で、元N○VA講師のN君と一緒にMarshall St.のピザハウスへ。それぞれのcapstone projectの話に始まって、旅行のこと、仕事のこと、互いの奥さんのことと、二人でひとしきり盛り上がる。彼がルーマニア系移民の二世だという話を初めて聞いた。確かに珍しいfamily nameではあるが、珍しいfamily nameなんて、この国では、そんなに珍しくないので、これまで気にしたこともなかったし、たぶん、周りの人(アメリカ人含む)も全然気にしていないと思う。Europeanとそれ以外という差は、やはりあるとは思うが、それにしても、二世にして、これほど自然に“アメリカ人”になれてしまうところが、この国の凄さであり、強さの源泉なんだろうなと思う。
my home, Syracuse, May 27, 23:42

Wednesday, May 26, 2010

Recap: "Smart Grid" entries

最近、仲間内のメールで、Smart Gridが話題に上っていた。良い機会なので、関連エントリをまとめておく。既に古くなっている情報もあるが、何かの参考になれば幸いです。
2年前の夏に、勢いで、毎回のタイトルを英語にして以来、その伝統(?)が続いてしまっているが、こうして昔の自分のエントリを見なおすときには、なかなかこっぱずかしいものである。まぁ、あともうちょっとなので、このまま行かせていただきます(笑)
Maxwell School, Syracuse, May 26, 11:29

Monday, May 24, 2010

Cyber-shot

デジタル一眼故障中につき、小さい方のカメラ(某S社製Cyber-shot。伏せ字にする意味が自分でもよくわからない)にて撮影。慣れればこれはこれで楽しいかも。一眼レフとは完全に別物としてだけど。

最近のキャンパスは本当に人影がまばら。これなら、相当恥ずかしい体勢で写真撮ってても(って、変な意味ではなくて、たとえば、芝生に寝そべってキノコを接写するとか)バレない気がする。今日はやんなかったけど。

帰国前に、半日くらい、写真を撮るためだけに、Syracuse界隈で過ごす時間を持ちたいというのが、このところの密かな野望。そのときはもちろん、一眼レフの方で。
my room, Syracuse, May 23, 25:26

Sunday, May 23, 2010

reboot is not easy

ここ一週間以上、論文のことは、blogでまったく書いてこなかったので、(リアルやメールで)話していると、終わったものだと思われている方も多いのだが ―― という話題が出るくらいに関心を持っていただけているだけでも幸甚 ――、実はまだ完全には終わっていなくて、一週間半ほど前に、「ほぼ完成版」を先生に提出したところで、一旦、小休止状態になっていた。

先週金曜日、Popp先生から「ほぼ完成版見終わったよ」とのメールが届く。というわけで、論文モードを再起動しないといけないのだが、capstone(!!)やらpotluck(!?)やらで、実際に時間的に忙しかったのと、気分的になかなかそちらに向かえないのとで、ほぼ丸二日間、放置を決め込んでしまった(お礼のメールだけはいちおうすぐに出しましだけど)。capstoneの方も、週末にやるべき仕事はほぼし終え、言い訳もなくなってきたので、そろそろ再起動するしかない(と言いつつ、blog書いてる)。学期中に比べて、学校も一気に静かになったせいか、最近、エンジンのかかりが遅い。いかんなぁ…。

まったく関係ないが、isologue by 磯崎哲也事務所 のこのエントリ(『既に始まっている電子出版ービジネスマンのための書籍スキャン入門』)に唸る。IT系の話は、好きか嫌いかと言われれば、正直、あんまり好きではないが、情報を効率的に吸収するための技術は、好き嫌いに関わらず、アップデートし続けないとと思う(既に若干遅れ気味…!?)。その意味で、この記事はけっこう衝撃的。とりあえず、キンドルであれ、iPad(as電子書籍)であれ、電子書籍って何が出来て何が出来ないのか、ちゃんと知らないとなぁと思う今日この頃。誰か実際に使ってる人、いないかなぁ…。
Maxwell School, Syracuse, may 23, 17:47

what's the coolest job for MPA alumni?

Capstoneのチームメイトの一人が主催するpotluck partyに参加してきた。メンツはほぼ全員アメリカ人&一年目組で、親しい友人はほぼゼロ。なかなか厳しい環境ではあったが、日本人パーティ隊長(?)Sさんのサポートにより、終始孤立することなく(目標が低くてスイマセン…)楽しませていただいてきた。capstoneのチームメイトがたくさん参加(自分を入れると7人中5人)していたのも僕的にはlucky。皆、普段は、ミーティングが終わるとちゃっちゃと散って行ってしまうので、これまで、ゆっくりおしゃべりする機会がほとんどなかったのが、今日は、プロジェクトの話だけでなく、パーソナルなことについてもいろいろ話すことができた。彼ら的にも、一週間前にいきなり現れたアジア人のパーソナリティが、多少は掴めたと思うし、今週以降のcapstoneは、もう少し議論の輪に入りやすくなるんじゃないかと思う(願望交じり)。

時期が時期なので、自然と、卒業後の進路のことが頻繁に話題に上る。例の“頭が良いと評判”のC君と、もう一人のチームメイトM君(彼もそれなりに優秀。バランス良くまとまっている印象)は、それぞれ、政策系の民間コンサル会社に就職が決まっているらしい。去年卒業組の動向を見る限り、なんだかんだいって連邦政府は、今も人気の就職先のようだが、日本に比べてアメリカの方が、政策に関連した仕事の選択肢の幅が広い分、「公務員」というオプションが相対化されているのは確実。C君やM君が、どういう動機でコンサルという就職先を選んだのか ―― 逆に言えば、なぜ公務員を選ばなかったのか ―― もう少し詳しく聞いてみたい気がする。日本も、今のような政治環境が続けば、どのくらいの速度でかはともかくとして、趨勢としては、公務員の在り方が、アメリカのそれに近付いていってもおかしくないように思う。それが良いことか悪いことかはともかくとして。であるならば、将来像をイメージする意味でも、アメリカの実情を知っておいて損はない。
my room, Syracuse, May 22, 26:12

Saturday, May 22, 2010

more once or twice ...

コースは違うが、今学期、いろいろとお話をさせていただいた、ある日本人の方がSyracuseを去られるというわけで、空港までの足を御提供する。

別に感傷的になるわけではないが、この空港に来るのも、あと一、二回かなぁ…なんてふうにも思ってみたり。Syracuseのようなアメリカの田舎町に住んでいると、どこに行くにも飛行機が便利なので、この二年間は、日本にいたときと比べ物にならないくらい頻繁に空港を利用した。留学期間の途中からは、どこかからこの空港に帰ってくるたび、(愛憎入り混じる思いで)「帰ってきたなぁ」と感じるようになったものだが、この空港に「帰ってくる」のも、あと、一回、あるかないか。

かといって、別に感傷的になっているわけではないのだが(なってる??)残り一月ちょっと、悔いのないように過ごそうと、改めて思ってみた次第。以下、Syracuseに初めて降り立った日の空港の写真を(やっぱり、感傷的になってる!?)
my home, Syracuse, May 22, 6:07

Mashup?

このプロジェクトは、当初 ―― 少なくとも僕が ――思っていたのより、幾分テクニカルな方向に向かい始めている。正確に言うと、“頭が良いと評判”のC君が、昨日あたりから、『依頼者の関心の中心は、単なる情報公開より、テクニカルな方にあるんじゃないの?』と言い始め、僕を含む他の面子が、一日遅れて今日あたりから『確かにCの言うとおりかも知れんなぁ…』と気付き始めたというわけ。てなわけで、今日の午後は、テクニカルな知識のお勉強に費やす。具体的には、Mashup、Web Service、API、etc.

これまでの僕の理解によると ―― と言っても、C君作成“まとめペーパー”に助けられている部分が非常に大きいのだが…(汗) ――、Web Serviceというのは、あるデータ又はアプリケーションの作成者が、自分以外の者の管理・運営するwebsite上でも、そのデータ/アプリケーションが利用できるよう、一定のルールに沿った様式で、データ/アプリを公開すること。あるいは、公開されたその情報のこと。たとえば、このblogでも、たまに、Flickrのスライドショーを埋め込んでいるが(たとえばこの回)、Flickrのああいう機能は、Web Serviceの一例に数えて良いんだと思う。API(Application Programming Interface )は、その中でも特にデータに関するもののよう(厳密に、どこまでを含むのかはよくわからない)。Widgetのように、具体的な形状は持たないが、あるデータのデータベースを外部サイトに提供するようなサービスがこれに当たるんだと思う。

で、それらをどこかから集めてきて、一体のweb siteとして見えるように組み合わせたものがMashup。いろいろ見てみた中で、その特徴が分かりやすく出ているなと思った例がこちら。Scorecard.orgという環境汚染に関するサイトで、住所を入れれば、その地域の汚染に関する情報がアウトプットとして返されるように出来ている。一見、普通の情報提供サイトなのだが、実は、この団体自体は、この機能のベースとなるデータベースを所有していない。政府や他の団体の提供している400以上のデータベースから情報を引っ張ってきて、それらを機械が自動的に処理し、検索結果として表示されるようにシステムが組まれているらしい。もちろん、なぜそんなことができるのかという具体的な話は聞かないでいただきたい(笑)

少し気になっているのは、文献を調べていて検索に引っかかる情報が、だいたいいつも2006~2007年のものだということ。いわゆるWeb2.0ブームの頃に一旦点火しかけながらも、(地図情報APIを除いては)結局、あんまり普及せず消えていった技術なのではあるまいかという気がしてきた。つまり、僕らのクライアントは、やや時代遅れな技術を追おうとしているのではないかと…(CRSがどうかは知らないけれど、一般論として、public sectorにはありがちな話)。まぁ、仮にそうだったとしても、僕らとしては、依頼された通り、調べ続けるしかないわけなんですけど。
my room, Syracuse, May 22, 25:35

Friday, May 21, 2010

Project gets complicated

Capstone5日目。僕らの班のプロジェクトは、①全米50州立法府のWeb開示情報に関するインベントリ作り と②それらの中での先進事例のケーススタディ の二本立て。まずは、来週前半までに①を済ませようということで、今週は、インベントリの項目を決めた上で、各人7~8州ずつを調べ、今日、その結果を持ち寄って「摺り合わせ」を行うというふうに一週間が過ぎてきた。

インベントリの質問項目は、たとえば、「法案を委員会ごとに検索できるか」「発案者ごとに検索できるか」といった、情報開示に関する基本的なものから、「掲載されている法案はauthenticationのなされたものか。yesの場合、その方式如何?」「Web Serviceがprovideされているか?」といった、より技術的な範疇に属するものまで。質問項目を決めていた前回までは、あまり細かい話に立ち入らず、それゆえ、議論は比較的スムーズに進んでいたのだが、いざ、実際の事例をインベントリにインプットしていく段になり、いろんな難問が噴出。限界事例が報告されたり、そもそも、班員の間での理解の不一致が顕在化したり…。てなわけで、今日のミーティングはややギクシャク。

そんな中、何となく班員各人の個性も見えてくる。頭が良いと評判のチームメイトは、決して、議論の次元を誤らない。その点、そうでもないかな(失礼)と感じてしまうチームメイトは、我慢しきれないのか何なのか、班としての今後の進め方を議論している最中に、突然、ひどく具体的なポイントについてのclarificationをtableしたりする。もっとも、そういう場面で、「次元」の不一致を英語で指摘するのは僕にはまだまだ難しい。日本語で「今はそういう次元の話をしていないよね」というべきようなとき、それを、嫌味にならないように英語で伝えるにはどう言えばいいのか…。難しく考えすぎなのかもしれないが、何と言っていいのかよくわからなかったので、とりあえず、竿はささずに場の流れに任せてみた。。。

斯く言う僕も、技術的な知識については、やや出遅れ気味。APIとかWeb ServiceとかBulk Downloadとか言われても、イマイチ、正確に理解できている気がしない。来週以降のケーススタディに備える意味でも、今週末は、その辺りのお勉強に充てようかと。
Maxwell School, Syracuse, May 21, 15:00

Energy Star faces scrutiny

少し気になる記事が出ていたのでご紹介(Sustainable Industries 5/18)。言わば、Energy Starの「偽装」疑惑。

疑惑を告発したGAO(無理繰り言えば、日本の会計検査院に当たる役所。ただし、検査の対象は会計面に止まらない。立法府に所属。)によると(これがGAOの出した紙。別途、30ページモノのレポートもあり)、Energy Starを所管するDOE及びEPAは、これまで、製造業者の“self-certifications”に基づいて、この制度を運用してきていたとのこと(両庁とも、その事実は認めている)。また、GAOがフェイクの製品でEnergy Star登録を申請したら、そのうちのいくつかが見事に通ってしまったらしい。その中には、“Gas-Powered Alarm Clock”なるトンデモ商品まで含まれていたんだとか…。

Energy Starは、クリントン政権下で始まった米国連邦政府のプログラムで、一定の省エネ基準を満たした商品に、ラベル認定を行っている。認定されなければ売ってはいけない、といった強制力をもつ制度ではないが、連邦政府の調達の際に効いてくるなど、実際のインパクトは相当のものらしい。

ちなみに、同ラベルは、経済産業省に申請を行うことで、日本でも取得が可能である(参照)。日本でラベルを取得すれば、同じ商品を米国で売る際にも、そのラベルを使えるという形式になっている。
my room, Syracuse, 5/21, 26:30

Thursday, May 20, 2010

to have atmosphere on my side

グループの中で意見を通すには、その場の空気を味方に着ける必要がある。もちろん、アメリカに限った話ではない。正しい内容をわかりやすく伝えることは、当然、重要なのだが、愚直にそれをしているだけで意見が通りやすくなると考えるのは甘すぎる。

そもそも、質問であれ、意見であれ、何か発言をするときには、その場の多数派意見と自分の考えとの間に、何らかのギャップがあるケースが多い。でなければ、敢えて口を開いて発言する必要はないからだ。それまでの議論の中で出ていなかった(或いは、それまでの議論の流れに反する)考えを聞かされれば、誰だって最初は、「はぬ?」と思う。一旦「はぬ?」と思われつつも、最終的には「あぁ、なるほど。こいつの言っていることは正しいかも知れんな」と思わせるところに、発言を敢行する価値がある。

ここで思うのは、「はぬ?」の直後にどういう空気が漂うかが、発言の内容そのものと同じくらいに、クリティカルだということだ。「こいつ、また訳のわからんことを言いよってからに」と思われるのと、「こいつはいつも良いポイントを衝いてくるから、今回も丁寧に聴いておこう」と思われるのとでは、その後の展開が全然違ったものになる。どれだけ良いことを言おうとも、端から「あしらい」モードで対応されるか、多少言葉に詰まろうとも、続きの言葉を待ってもらえるか。誰に対してもniceに振る舞えるだけのsophisticationを備えた人なら、とりあえずこちらの意見を聞いてはくれるが、そのことと、その場の空気がpositiveかどうかは、また別の問題。コンスタントに自論をねじ込んでいきたいのなら、相手のniceな反応に期待するのではなく、相手がこちらの意見を自発的に「聴きたい」と思えるような空気を勝ち取る必要がある。

というようなことを意識しながらcapstoneに参加しているのだが、3日目終了時点での空気は、まだまだaway。こちらの発言(の中身)は、そんなに間違っていないと思うし、彼らの議論のレベルが、そこまで高いとも思わないのだが、結果的には、まだ信頼を勝ち取るレベルに至っていない。

こっちの考えていることが、齟齬なく相手に伝わるよう、英語の表現方法を改善する必要があるのは確か。それ自体、難題なのだが、それに加えて、難儀だなと思うのは、どこまでの細かさ・正確さを追求すべきかという点。細か過ぎるところに立ち入ると、「確かにお前の言うとおりだが、今はそこまで詰める必要ないだろ」といった反応が返ってくる。それ自体は日本でも同じなのだが、じゃぁどの辺りに、「細かさ」に関しての米国式最適点があるのかが、未だによくわからない。今日、「細かすぎるかな」とは思いながらも、自分の気持ちに正直になって(笑)、3つ、4つ、質問/意見を投げてみたら、総じて、あんまり感じ良くない反応が返ってきた。その発言も、空気が良ければ、聞き入れられたのかも知れず、鶏が先か卵が先かみたいなところはあるのだが。

あとは、自分の存在価値をどこに求めるかということだろう。少なくとも、「この角度からの意見は俺に任せろ」的な領域を持てるといいのだが、今のところ、そういった「角度」はまだ確立できていない。次回ミーティングは、一日空けて、金曜日の正午から。
my room, Syracuse, May 20, 25:07

Wednesday, May 19, 2010

Capstone program starts

今週月曜日から、新学期が始まっている。卒業前、最後となる今学期は、capstone(4週間)とLeadershipナンチャラ(「ナンチャラ」部分が何回聞いても覚えられない)(3週間)の二本立て。7週間後の金曜日には、晴れて卒業式を迎えることになる(はず)。

capstoneは、7~8人のグループに分かれ、グループごとにclientを持ってその要望にお応えするという企画。期間中、他の授業はまったくない。僕のグループは、米国会図書館付属のシンクタンクであるCRS(Congressional Resource Service)からの要望で、米国各州議会のweb上での情報公開の内容(何を開示しているかと、どう開示しているかの両面)を調べる。月曜日には、DCから遠路はるばるCRSの職員の方がお二人お見えになり、このプロジェクトの趣旨を説明して行かれた。ちなみに言うまでもないが、お二人は空路にて来訪。この国で鉄道を使うなんてアホのすること(笑)

中身についてはまたおいおい書こうと思うが、とにもかくにも、この期間中、出来る限りのことをして、チームに食い込んでいきたいと思っている。そう思うのは、この反省を踏まえ、この言葉に感化されてのもの。二年の留学期間中、アメリカ人との交流に、終始、及び腰だったことは否めない。今さら意識を変えたところで、多くを取り戻すことは出来ないかも知れないが、留学中最後のチャンスとなるこのプロジェクトで、とにもかくにも、今自分にできる最大限のことをやってみて、自分の能力の外縁を少しでも広げたいと思っている。最後の悪あがきであれ、なんであれ。

チームメイトは、アメリカ人の男6名。全員一年目の生徒で、二年目組の僕と面識のあった人はゼロ。ただ、日本人一年目組の人たちから事前に聞いていた通り、なかなか優秀なメンツが揃っていて、最後の悪あがきをするには申し分のない環境。これまで二日間のミーティングでも、しょうもないやり取りはほとんどなく、サブ・ロジ両面で、非常に合理的な議論が交わされている。このグループに入れたのは非常にラッキーだったと思う。

その中で、自分が如何に付加価値を示し、同僚として認められるかとともに、プロジェクトの中身を離れたプライベートの領域でも、彼らとの間で、どれだけ実質的な親交を築けるかが、この先一か月間の勝負。英語力が足りていないのは重々承知だが、英語力だけでなく、これまでの自分の経験を総動員して挑んでみようと思う。
my room, Syracuse, May 19, 8:46

Monday, May 17, 2010

Precious experience??

Syracuse到着予定時刻まで1時間を切った正午過ぎ、前掲のエントリを準備していたら、突然、大きな「ガタン」という音とともに、車輛両側の窓が粉塵に包まれる。「さすがに運転荒すぎだろう」と思っていたら、慣性力を使いきったところで列車は停車。と同時に、石油の臭いが車内に発ちこめはじめた。

「え?事故??」なんて思っていると、「車両後方に移動せよ」との車内アナウンスが。小さい方の鞄だけ引っ掴んで人の流れに乗る。車両後方の出口から地面に降りたところで待機命令…。というわけで、見事に鉄道事故に見舞われたのでありました。

現場では、事故原因についての説明はなかったが、この記事によると、隣に停まっていた貨車の破片を拾ったのが直接の原因だったらしい。その破片が、ディーゼル機関車の燃料系統を破損。線路の上にディーゼル燃料を撒き散らすとともに、機関車は自走能力を損亡。一瞬、火の手があがったとの話もあったが、その辺のところはよくわからない。とにもかくにも、幸い、けが人は一人も出なかった模様。
(とりあえず追い出されてみた人たち。)

線路の脇で2時間ほど待たされた後、地元消防署のバスに分乗して、最寄りのUtica駅に移動する。後続の列車が同駅に到着したところで、僕ら先行列車の乗客が乗り込む。それが3時半ごろ。事故現場の安全確認が出来次第、出発するという話だったが、それが結局8時ごろまでかかり、日が暮れかかった頃になってようやく出発。途中、事故現場で一旦停車し、事故列車から運び出された乗客の荷物をピックアップした上で、残りの旅程に向かった。幸い、僕の荷物は問題なし。

それにしても、こういう場面でのアメリカ人のおおらかさには驚かされる。日本で同じことが起これば、乗客の詰問の嵐の中で右往左往する乗務員の姿が容易に想像できるが、そういった局面は、最初から最後まで、一度も訪れなかったといっていい。「荷物はどうなるの?」との質問が出ても、乗務員が「消防署の現場検証が終わるまではまったく手出しが出来ないし、それが何時に終わるかも我々Amtrak側にはわからない」とだけ言ってしまえば、乗客の側はあっさり納得する。日本での様子を見慣れている側からすると、そのやり取りは、まるで魔法か何かのよう。線路で待たされている間もガタピシ文句は言わず、知らない者どうし、自然と会話を初めて適当に盛り上がるのみ。Utica駅への送迎に来た消防バスの運転手が「このバスは無料ですよ」なんて場違いなギャグを飛ばしたところで、「不謹慎だろう」的な反応はなく、皆、手を叩いて喜ぶ(それも、いわゆる「乾いた笑い」でなく、ホントの笑い)。というか、そのギャグを「場違い」だと感じたこと自体、そのバスの中では僕だけだったのかも知れない。

昔から思っていることだが、こういう局面で、なぜアメリカ人が「大人」な反応をとれるのかはよくわからない。一方の日本人が、ヒステリックに反応し過ぎなだけという気がしないでもないが、ただアメリカ人とて、あらゆる場面で「大人」なわけでは決してなく、むしろ子供っぽい性向の強い人たちでもあるわけで、なぜ事故や災害で交通機関が遅れたときの反応がこんなにおおらかなのかは、僕的に非常にナゾなまま。今日の事故で、そのことを改めて感じた。

そもそも、公共交通機関に対する期待値が低いということもあるのだろう。サービスに対する期待値が一般に低いということなのかも知れない。レストランのウェイター/ウェイトレスのサービスの悪さには、今でもたまに腹が立つことがあるが、アメリカ人のお客さんが、苛立っているような様子は見たことがない。

ただ一方で、苦境の時ほど力を発揮する、彼ら一流のユーモアの精神も功を奏しているのかなとは思う。この点に関しては、日本人も大いに学んで欲しい気がする。まぁアメリカ人にはそれと同じかそれ以上の勢いで、東アジア的勤勉さを学んでいただきたいですけど…(笑)
で、結局Syracuse到着は夜の10時。DCを3:15に出て以来、都合19時間の長旅でした。へとっ。
my home, Syracuse, May 16, 25:48

Precious friends, precious words

前回のエントリをアップして以降は、NYとDCで密度の濃い36時間を過ごす。金曜午後、NYで勉強会(+ 懇親会)に参加した後、土曜朝一のバスでDCに移動。お昼前に到着後、DC時代の友人宅でのお好み焼きパーティにお呼ばれ。夕方からは、来月アメリカを発つ予定の、とある後輩のフェアウェルパーティに出席。三次会まで盛り上がった後、日曜早朝3:15amのAmtrakでワシントンを発。朝、NYで乗り継ぎ、Syracuseに向かう列車の中でこのエントリを執筆中。

DCでの僕の交友関係は、昨秋の、その後輩君との出会いをきっかけに、何倍にも広がった。そんな彼の送別会には、実にたくさんの人たちが集まり、彼の交友関係の広さと、人望の厚さとを物語っていた。彼との親交は、留学終了後も、末長く維持し続けていきたい交友関係の一つ。また、彼のおかげで知りあうことができ、昨日、数か月ぶりにお会いできたDC在住日本人の方の中にも、同じように連絡を取り続けたいと思える方がたくさんいらっしゃる。こうした出会いの機会を得られたことは本当にラッキーだったと思う。
    
その前夜、NYでは、こちらでお仕事をされてそれぞれ20年、30年になる在米邦人のお二人から、いろんなことを教えていただく機会を得る。お二人曰く、数としては、在米日本人はそれなりにいるけれども、「お客さん」ポジションを脱し、他のアメリカ人と変わらぬ扱いで、米国社会の中核に食い込めている日本人は、本当に少ないんだとか。加えて、日本本国の側が、そのことの重要性を認識できていないとも。むしろ、そういった方々の存在を「見なかったこと」にしようとする心理が働きがちだともおっしゃっておられた。
 
一方で、日本人(或いは非欧州系米人)がどうあがいても越えられない、ある種、本能的な「壁」が存在する可能性についても言及しておられた。それは、僕らが、自身の拙い英語力の故に感じるコミュニケーションの壁とはまったく異質のものなのだろう。何不自由なく英語を使いこなし、組織や社会に何ら遜色のない貢献を果たしていても、越えられない「壁」。それは、この国(の主流派)の人たちの、ある種本能的な反応であり、彼らが非常事態に見舞われ、理性が限定的にしか働かなくなったときに、顕在化するものなのかも知れない。
   
いずれにせよ、日本人が、この国の中でどのあたりまで食い込めて、どのあたりで「壁」を感じるのか、そこの微妙な感覚は、彼らのように、何十年もかけてこの国で苦労を重ねながらキャリアを積んでこられた方々にしか把握しきれないものなのだろうと思う。こういった、本ではとても勉強できないようなお話をうかがえたことも、留学の非常に大きな成果だと思う。
Amtrack車中にて May 16, 12:00 

Friday, May 14, 2010

The experts know best

昨晩からNYCに滞在中。昨晩と今朝のそれぞれ、こちら在住の日本人の方とお話しをさせていただく。昨日は初めてお会いした方。今朝は二回目にお会いした方。

お二人とも、まったく分野は違うが、それぞれの道のプロとして、この街で活躍しておられる。別に「NYだから」というわけではないが、プロの方の話を聞くと、毎度、かなわないなと思わされる。そんなの当たり前なんだけど。餅は餅屋。

仕事として、ある分野、ある業務を扱っていれば、否が応でも、毎日、それに触れなくてはいけない。その日々の蓄積たるやすさまじく、門外漢が、多少、興味を持って勉強したくらいでかなうわけはない。という当たり前だけど、ともすれば忘れがちな ―― 忘れないまでも、過小に評価してしまいがちな ―― ことを、重々わきまえたうえで、賢く動かないといけないんだろうなと思う。ジェネラリストとしてやっていくためには。

今朝聞いた、欧州化学物質規制の話は非常に面白かった。ただ、「面白かった→近々もう少し勉強しよう」では、99.9%、お蔵入りして終わる。最低でも、①勉強した結果を自分の仕事にどうつなげるか、②具体的にどういう手段で勉強するか(特に、継続的な情報のupdateをどう行うか)の二点を明確にしておかないと、忙しい日々の中では確実に埋没してしまう。

そして話は戻るが、本当にその分野を深く勉強しようと思ったら、どうにかして、仕事で関わるしかないのだろう。

午後はとある勉強会で、例の(出来の悪い)修士論文について発表(←ニホン語)してきます。
NYC, May 14, 12:16

Wednesday, May 12, 2010

Driving Habits vs Gas Prices

This looks interesting (via Chart Porn
my home, Syracuse, May 12, 13:03

"Economics" @ Wikipedia

英語版Wikipediaの“Economics”の項(小見出しとしては“Criticisms of economics”の下)に、気になる記述があった。Wikiから直接引くのは禁じ手かなぁとも思いつつ、手元に残しておきたい一節なので、引用させていただくことにする。
Economics per se, as a social science, is independent of the political acts of any government or other decision-making organization, however, many policymakers or individuals holding highly ranked positions that can influence other people's lives are known for arbitrarily using a plethora of economic concepts and rhetoric as vehicles to legitimize agendas and value systems, and do not limit their remarks to matters relevant to their responsibilities. The close relation of economic theory and practice with politics is a focus of contention that may shade or distort the most unpretentious original tenets of economics, and is often confused with specific social agendas and value systems. Notwithstanding, economics legitimately has a role in informing government policy. It is, indeed, in some ways an outgrowth of the older field of political economy. Some academic economic journals are currently focusing increased efforts on gauging the consensus of economists regarding certain policy issues in hopes of effecting a more informed political environment.
具体的にどういう方法で以て…というような正確な理解をすっ飛ばした、非常にざっくりとした感覚として、僕の頭の中には、social scienceとしてのeconomicsが、practicalなpolitical actsに、直接貢献できるかのようなイメージ/幻想があった。上の一節(の前半部分)は、その点を明確に示してくれていて(“Economics per se, as a social science, is independent of the political acts of any government or other decision-making organization”)、個人的には頭の整理に役立った。

昨日の話の続きで言えば、経済学という“道具”で調理できる“食材”の幅は、一般に、policymakerサイドで信じられているのよりも狭いと思う。MoFさんなりBoJさんならともかく、うちのような組織だと、経済学という道具に慣れていない分、ますますその傾向が強いかも知れない(例によって、自分のことはヨイショと棚に上げておく)。

そういう状況の中で、自分はどういう立ち位置を目指すべきかと考える。具体的にどういう貢献が出来るかというところから、逆算して考えていく必要があるのだろう。
my home, Syracuse, May 12, 10:35

What can you cook with your soup pan?

Independent Studyのダメだった点を改めて考えてみた。基本は、この日に書いたのと同じことだが、もう少し落ち着いて、冷静なアタマで分析してみる。

まず、前回の「反省文」を書いた時点でも、まだクリアには自覚していなかった点。論文を書き始める前に、経済学論文の“基本パターン”を押さえていなかったのは、(こんなところで書くのも恥ずかしいが)我ながら、恐るべき蛮行だったとと思う。

思うに、「論文を書く」という行為には、三つの要素が絡む。料理にたとえるならば、“食材”と“道具”と、料理人の“技量”。論文で扱う問題が“食材”ならば、それを分析するツール/方法論が“道具”、執筆者の能力が“技量”という具合いである(←あくまで僕オリジナルの発想であって、特に根拠があるわけではない)。

“道具”としては、economicsなりpolitical scienceなりengineeringなりといった方法論があるわけだが、料理に用いる道具と同様、方法論には、それぞれ、得意・不得意な“食材”がある。「炊飯器」という道具で「米」という食材は調理できても、「かぼちゃ」を調理するのは難しい(実際、試したことはないが、たぶん難しいと思う)。その点、経済学/economicsなる道具は、非常に多機能・多用途で、それ一つあれば何かと調理できるのは事実 ―― ソースパンくらいのイメージか。だが、そうは言っても、ソースパンとて、この世の全ての食材を調理できるわけではない。また、どの程度、幅広い食材を捌けるかは、料理人の“技量”にもかかっている。料理に自信がないのなら、スープパンで米を炊くのは止した方がいい。残念な結果に終わるのはだいたい目に見えている。

この例で言えば、僕は、食材を観察することばかりに気を取られ、手持ちの道具がどんな食材の調理に向いているのか、まともに勉強したことも、気にしたことすらなかったおっちょこちょい、ということになるのだろう。自分の技量を踏まえるならばなおさら、トリッキーな食材ではなく、ソースパンにお似合いのオーソドックスな食材の中からテーマを選ぶべきだったと思う。

この反省から今後の教訓を得るならば、「もっと“道具”に気を使うべき」ということだろう。短絡的に“食材”に目が向きがちなのは ―― 少なくとも僕の場合 ―― 論文執筆に限ったことではない。普段の仕事でも、手持ちの道具で何が出来るかを考える前に、単純に、問題の全貌解明に走ってしまったことがあった。

時間が無限にあるのなら(あるいは、全貌解明したところでたいして時間がかからないのなら)それでもいいかも知れないが、限られた時間の中で最大限のアウトプットを出すには、手持ちの道具の特性を常に意識しつつ、それを実際に使うためにはどういう情報が必要かという視点で、濃淡をつけて問題を理解していく方が効率的。

もういい加減大人なんだから、そういう仕事の仕方も覚えていかないとなぁ。我ながら、レベルの低いことを言っているような気もするが、ともあれ、それに気づかせてもらえたのは、論文を書いたことの、少なくとものメリットだった。
my room, Syracuse, May 11, 26:17

Monday, May 10, 2010

Uncomfortable Zone

少し前のことになるが、Lilacさんの5月3日のエントリには、正直、身につまされるものがあった。

MBAに行く意味を高めるためにはどうすればいいかというお題のエントリで、その一発目に書かれてあるのが、「『今の自分を根本的に変える』ような破壊的な自己革新目標」を持てというもの。エントリを読み進めていくと、ご丁寧にも、「割と年いってからMBAに行く人」向けの注意事項まで書かれてある。抜粋させていただくと、
特に30代とか、割と年いってからMBAに行く人は、このことは明確に心に留めておいたほうがいい。年をとると、どんな環境でも、自分が快適と思える逃げ場を作るのがうまくなる。それをやっていたら、破壊的な成長は出来ない。
との由。また、「破壊的な自己革新」を遂げるためには、“常に自分をUncomfortable Zone(つらいと思う状況)に置”かなければダメだとも、同じエントリの中に書かれてある。

どれもこれも耳が痛いお話。というのは、取りも直さず、非常に的を射た指摘だということなのだろう。

振り返ってみるに、僕の留学二年間というのは、ここで言う「破壊的」自己革新とは、ある意味で、対極に位置するものだったように思う。別に、遊んでいたというわけではない。その点だけは、いちおう自信を持って言える。ただ、その努力の仕方が、「破壊的」なものではなく、極めて「連続的」というか、要するに、自分を大きく変える方向にではなく、留学前からの自分の強みをコツコツと延ばしていく方向にだけ向かっていたように思うのだ。

このblogは、良くも悪くも、その最たる例だった。英語でのコミュニケーションがままならない中で、日本語という慣れ親しんだ言語で以て自分の思いを自由に走らせられるこの空間は、僕にとって、“Uncomfortable Zone”ならぬ“Comfortable Zone”の極み。期せずして、こういう空間を持てたおかげで、日々の執筆作業を通し、自分なりに思考を深めて来られたのは事実であるが、その反面、自分の中でのフラストレーションを「上手に」コントロールする術を覚えてしまい、自分の出来ないことに対して真正面からぶつかっていくモチベーションを少なからず宥める効果も持ってしまっていたように思う。まさに、Lilacさんのおっしゃる通り、『年をとると、どんな環境でも、自分が快適と思える逃げ場を作るのがうまくなる』ということの典型例だったのかも知れない。

せめて一年前にこの記事を読んでいたらと思う反面、一年前だったらここまで真剣には受け止めていなかっただろうなという気もする。結局、根底にあるのは、三十云年の時間の中で培われ、固定化されてきた、僕という人間のattitudeだ。本人を御存知の方なら重々ご承知の通り、いろんな物事(自分の中のフラストレーションも含めて)と折り合いをつけることには、それなりに長けているが、内面から湧き出るが如き情熱で以て、riskをどんどんtakeしていくような人間では決してない。そういう人間が、このLilacさんの記事を読んで、何らの言い訳をせずに、素直に反省できるのは、結局、留学期間も終わろうとしているこの時期だからこそなのかも知れない。

このエントリをどう閉じればいいのか、よく分からなくなってきた。たぶん、日を改めて、この先に言うべきこと――たぶん、自分に対して――を見つけ出して、blogにアップするんじゃないかと思う。
Maxwell School, Syracuse, May 10, 18:40

Sunday, May 9, 2010

Second Straight Win

シカゴから無事帰還。シカゴの空港でのチェックイン時に、「目的地のお天気:1℃/Snow」と表示されているのを見たときは、正直、我が目を疑ったが、幸い、僕が到着したときには雪は降りやんだ後だった。もっとも、お昼間には、かなり本格的な雪が降っていたらしい。卒業式間近だからと言って、天気の神様もそこまで本格的に演出を施す必要はないと思うのだが…(って、アメリカ人の頭の中に、“卒業式=寒いモノ”なんてイメージはそもそもないのか)。

シカゴでは、このブログでも予告(??)していた通り、数年ぶりに会う後輩と何をするでもなくぶらぶらと過ごす。お互い、是が非でも観光地を巡らねばというタイプではないので、非常に気がラク。街をぶらぶら歩いたり、ホテルの部屋でTVを観るともなく観たりしながら、近況報告に華を咲かせる。
    
二カ月の短期間とはいえ、こちらにいる間、アメリカ人の部下を従えて仕事をしているという彼の話は、なかなか面白い。英語自体もさることながら、労働習慣という意味でも、日米の違いに日々接しながら、次々と押し寄せる壁を乗り越え(たり乗り越えられなかったりし)ているのだろう。そう考えると、自分も、去年の秋インターン中、もっともっと積極的にアメリカ人ワーカーたちと絡むべきだったなぁと反省。。

ゼミの同期や先輩/後輩の近況話になると、ややしんみりした気持ちにもなる。卒業から10年近くも経てば、当たり前だが、結婚していたりしていなかったり、東京にいてたり地元に戻っていたりと、各人各様の人生を歩んでいる。互いに比べてみたところで何の意味もないのだが、数年前には、みな、だいたい同じ地点に立っていたのが、今や、「てんでバラバラ」とまでは言わないまでも、人それぞれに違った方向を目指して進んでいっていることを思うと、彼らもそうだが、自分自身も、戻りようのない数年間を送ってきたんだなという事実に気付かされる。必ずしも、いまの仕事を一生続ける必要はないにしても、これまでの経験をチャラにして新しいことを始めるのには遅すぎる年齢に達しているのもまた事実。良きにつけ悪しきにつけ、これまでの蓄積を土台にして、その上にキャリアを積み上げていくしかない。蓄積なくして大きな仕事はできないので、むしろ、積極的に評価すべきことなのかもしれないが、自分の取りうる選択肢が狭まりつつあることに、寂しさや、一抹の不安を覚えるのは、それはそれで、人間のサガというものだろう。

なんてことを書いてはみたものの、シカゴ滞在中は、完全に弛緩しきったモードで過ごす。一昨晩に続き、連夜の野球観戦となったWhite Sox vs Toronto戦では、途中、野球を観るより、周りの人間の人間観察に忙しくなる一幕もあったが(突っ込みどころ満載な人多すぎ!!)、気が付けばWhite Soxが勝利を収めていて、前夜のSyracuse Chiefsに続き、僕の中では二連勝。試合後には、予想だにしていなかった勝利の花火大会までオマケで付いてきた。

唯一問題だったのは、5月ともあろうに非常に肌寒く、街行く人たちがコートを羽織っている中、我々二人は、シャツにセーターという薄手の出で立ちでChicagoに乗り込んでしまった点。後輩君は結構寒さにまいってしまって、ホテル帰宅後には、寒さからくる腹痛に苦しめられていたほど。非常に申し訳ないことをしてしまったのだが、僕はというと、なんだかんだでまぁまぁやり過ごしてしまい、二年間のSyracuse生活の成果を改めて確認する結果に(←そこで!?)

ともあれ、特にこれといって派手なことはしなかったものの、後々、良い思い出として記憶に残りそうな、たいへん良い感じの週末Chicago旅行でした。以下、いつも通り写真を(なぜか表示順がランダムなので、時系列順に見たい方はflickrサイトをどうぞ)。

Maxwell School, Syracuse, May 9, 22:09

Saturday, May 8, 2010

ready-to-use knowledge

帰国の日が近付くにつれ、「すぐに役立つ」知識に対する欲求が高まってきている気がする。何が「すぐに役立つ」知識かは、与えられる仕事次第で違ってくるので、最終的には、東京に戻ってみないとその範囲は特定できないが、よほど特殊な部署に配属されでもしない限り、理論的な経済学が、そのままの形で「すぐに役立つ」知識になり得ないことは明らか。政策づくりを理論的に支える縁の下の力持ちとして重要な役割を果たすにしても、文化包丁的にそれ一本で何から何まで料理してしまおうとするには無理がある。

その点、「すぐに役立つ」知識として、もっともその目的に適っているのは、何と言っても、過去のケースからの教訓であろう。成功例であれ、失敗例であれ、過去の同様の取組事例を知っていれば、それだけでも政策立案の際には「すぐに役に立つ」し、そういった事例をいくつか集めて、そこから共通する傾向を引き出せれば更に有効な情報となり得る。経営学の世界では、大々的に行われている研究手法である。

なまじっか抽象化された理論(経済学、政治学、etc.)の方が高度に発展し過ぎてしまっているせいか、政策の世界では、経営の世界ほどにはケースタディ的研究手法が発展していないように思う。あるいは、この世界では、ケーススタディが、正統派の学術研究よりも一段低いものと見なされている結果――まぁ、それ自体は別にそれでもいいんだけど――、国をまたいでの知見の収集・体系化がそれほど進んでいないということなのかなぁとも思う。

もっとも、政策の世界でも例外はあって、金融政策や、military operationも含めた防衛政策の世界では、理論的な研究と併せて、ケーススタディ的な議論も盛んに行われているように思う。一方で、例えば僕の専門領域である環境政策について言えば、他国の事例を横断的に学ぼうとしたときには、いったいどこにアクセスすればいいのか、といったところからして迷ってしまう。僕の勉強が足りていないだけなのかもしれないけれど。
たとえば、環境を学部名に冠したスクールなどでにいけば、そういったケーススタディを横断的・体系的に教えていたりもするのだろうか。 この辺りにアクセスすれば、それなりの情報が取れる、といったところがあるのであれば、押さえておきたいようにも思う。
Chicago, May 8, 11:07 CT

Friday, May 7, 2010

weekend trip

最近、更新が滞りがちですが、基本、元気に過ごしてます。引き続き、二本のペーパー(Independent Studyのthesisと、もうひとつ、他の授業のterm paper)と格闘中。いちおう、ゴールに近付いている…とは思いたい。まぁ、たぶん近付いてるんでしょう。そうであっていただきたい(笑)

先ほど、今学期最後のプレゼンを終えたところで、今晩からは、二泊三日のChicago旅行に行ってきます。主たる目的は、大学時代の後輩との再会。日本にいたときから長らく会っていなかったので、彼と会うのは、二年どころじゃなく、何年ぶりか。そんなわけで、観光をするというよりは、彼とゆっくり話をするのがメインになりそう。といいつつ、明日のランチは、彼がChicagoに到着する前に一人で済ませることになりそうなので、メキシコ料理チェーン店、Chipotleの在処をGoogle mapで打ち出しておく。どんだけ好きなんだよ!? と突っ込まれそうだが、この気持ちは、いつでもChipotleに行けてしまう都会の人にはわかるまい(笑)

今晩は9:41発の夜行列車に乗車。それまでは、同級生たちと一緒に、地元AAA球団、Syracuse Chiefsのナイターを観てきます。誘ってくれた日本人のN君(元高校球児)によると、今夜の試合は、昨年全米ドラフト一位の剛速球ピッチャー、ナントカ君(←名前忘れた)のAAAデビュー試合なんだとか。うまくいけば、二、三年後に、「オレは、ナントカが一軍デビューする前からずっと追っかけてたんだぞ!!」と自慢できるようになるかも(←若干、脚色気味)。そんな期待を込めつつ、今宵のナイター、楽しんできます。

ちなみに、球場と駅があるのは、ともに、市内から車で15分程かかる中途半端に不便なところ。ただ、その二つは隣り合っているので、ナイターを見終わった後に夜行列車に乗る人(←そんな人、僕以外にいるか??)にとっては非常に便利。二年間、この街に住んでいて、初めて「Syracuse駅って便利なところにあるな」と感じた瞬間。
Maxwell School, Syracuse, May 7, 17:41

Wednesday, May 5, 2010

‘shrimp-turtle’ in US

NYT blog reports that "About 35 endangered sea turtles have washed up dead on beaches along the Gulf of Mexico." Regardless of where I'm working for, personally, I do love sea turtles (honestly, much more than other wild animals), and therefore this news was tragically sad for me...

According to the article, those suspected of killing the turtles are not BP's oil, but shrimpers. Shrimpers? Shrimpers and turtles?? That sounds familiar...

Yes, 'shrimp-turtle'is a classic WTO law case, in which US claimed the legitimacy of its import ban of shrimps that were "harvested with technology that may adversely affect certain sea turtles." Simply put, US's measure was ruled as legitimate under GATT Article 20 (Exceptions) unless it is applied in a discriminating way between WTO members.

But, I believe that WTO Appellate Body's rule premised successful enforcement of US domestic Endangered Species Act, which requires US shrimpers to use “turtle excluder devices” (TEDs) when fishing in areas where there is a significant likelihood of encountering sea turtles. Now, this premise looks somehow questionable, "the real culprit" has not yet been clear, though.

If this premise had gone, how would it affect the conclusion of 'shrimp-turtle' case? I think this point has not been discussed so much.
Maxwell School, Syracuse, May 5, 19:22

Another advantage of MPA school

去年組のお二人(日本人のYさんと、スウェーデン人のくNくん)が、時を同じくしてSyracuseを再訪中。昨日は、Syracuseに居残っている去年組数名で、二人を囲んでのささやかな昼食会を開催した(@パンダ某)。

スウェーデン外務省に二年契約で勤務中と言うNくんが、一年ぶりのセサミチキンに感嘆の声を上げる(まぁ、普段からよく叫ぶ男だという話もある)。彼によると、ストックホルムの中華料理屋は、セサミチキンをやっていないらしい。言われてみれば日本の中華料理屋にもそんなメニューはあんまりなかった気がするが、ないと困るというシロモノでもなかろうにと思ってしまう僕。個人的には、いわゆる普通の「からあげ」が、この国の中華料理屋にないことの方が大いに不満。甘辛ソースとか、ピリ辛ソースとか、そういうわけのわからんもんがかかっていない、純粋無垢な(?)からあげを食べたいだけなのに…。王将との再会が今から待ち遠しい。

そんな話はどうでもよくて、言いたかったのは、先週、DCで開催されたN君を囲む会に、Class of 2009のメンツが20人も集まったらしいというお話。N君の人望の厚さは言うに及ばずとしても、それ以前に、同級生が20人もDCに住んでいるという事実に驚く。聞けば、大半は、federalの機関で働いているんだとか。毎年、このくらいのペースで卒業生を“inside the Beltway”送りこめば、確かに、それなりのネットワークになるのだろう(実際、インターン先の上司は、うちのalumniだったし)。難しいことは抜きにしても、たまに会っては、学生のノリに戻ってバカ騒ぎできるメンツが近くにそれなりにいるというだけでも、若い間は十分楽しいだろうなと思う。

先日、公共政策スクールの価値とは何ぞや?みたいなことを云々書いたが、アメリカ人にしてみれば、こうした卒業後の人的ネットワークも、公共政策スクールの一つの大きな(もしかすると最大の??)アドバンテージであることは間違いない。
Maxwell School, Syracuse, May 5, 14:37

Tuesday, May 4, 2010

playing on others' grounds

After a long study on renewable energy, I finally got to the cost allocation issue about public infrastructures, which is somehow similar to the one concerning telecommunication industry's universal service.
  
Apparently, I'm in a place where I never expected to be, when I was started this research last December. Before recognizing it as the core of my answer, so long time already had passed; and not so much time was left, when I noticed it. But, if I knew this before I started my research, I'm not sure whether I still picked up this topic as my Independent Study's, because I'm not a guy highly concerned with infrastructure cost allocation issue. Simply saying, my area of concern is environment.

I think such phenomena should be common not only in the academic research field, but in the practical world. Even though quested value is environment, required policy tools to achieve it do not necessarily fall within the environmental policy field. Besides, such tendency has to grow as the environmental policy challenges are becoming increasingly complex.

Knowing this fact, I'm asking now what should I study? how should I collaborate with others? and in short, what should I do after coming back to my place? I have no clear answer.
Maxwell School, Syracuse, May 4, 22:06

Summary History of KGL bill 

Movement of immigration? Offshore drilling? What was the bill about??

But anyway, here is the good overview of what's been going on so far about Kerry-Graham-Lieberman's climate bill. (from New York Times, May 4, 2010)  

Independent Study goes on...

Although I went to school this morning with firm determination to finish the 1st draft of my thesis before the end of the day, in the evening I got an email from my professor loaded with his comments, which just didn't seem to be able to be digested in a matter of hours. That should be appreciated, and actually I do (really I do!!); but at the same time, I felt certain that I have to keep on being involved in this thesis more couple of days.

My Independent Study goes on ...

my room, Syracuse, May 3, 26:07

Monday, May 3, 2010

Deepwater Hrizon

This figure would be helpful to understand the structure of the collapsed oil rig, and what measures are under consideration to stop the continuing oil leak. (via: Legal Planet
Maxwell School, Syracuse, May 3, 17:13

Saturday, May 1, 2010

Prom at Zoo

昨晩は、Maxwell生徒会主催による、いわゆる“prom”が行われ、いちおう僕もこれに出席。

会場はなぜか動物園。といっても、動物たちに見守られながら踊り狂うわけでも、動物の檻の中でパーティをするわけでもなく、あくまで、動物園のイベントスペースを借りきってのパーティ、ということなのだが。

いくらSyracuseといえども、パーティスペースならほかにもあるはずで、なぜ運営チームの皆さんがそこを選んだのかはナゾ。まぁ別にいいんですけど。

今年組の人たちには、正直、あんまり(全然!?)友達がいないので、僕と同じ去年組のクラスメイトや、僕以外にもう一人参加していた日本人のK君たちとしゃべりながら過ごす。あとは、適当に踊ったり、適当にお酒飲んだり、適当にチョコレートフォンデュ(こんなの)で遊んでみたり。

二年目組のアメリカ人たちも、わりと彼女たちだけで固まっているのを見て、「この変則二年制システムの下で、新たに友達作るのは、アメリカ人にとってもやっぱ容易じゃないんだね」と、変な納得をして帰ってくる(笑)。

近所のバーで、男三人で小一時間ほど呑み直したあと、AM2:00に解散。今朝は例のごとくの二日酔い。いちおう、寝る前に“予防措置”は講じてみたんだけどなぁ…。最近、あまりにも弱すぎます。
Maxwell School, Syracuse, May 1, 15:04