当時、僕のフラストレーションの中心にあったのは、元来chaoticなはずのこの世の中を、いくつかのパターンでMECE(mutually exclusive and collectively exhaustive)に説明できると言うかのような、CFPのその姿勢。そこに、いかにも「象牙の塔」的な空気を感じ、なかなか好きになれなかった。こんなものは、実践の役には立たないと。
しかし、最近になってから、choticなものを(無理やりにでも)パターン化する(或いは、カテゴライズする)ことの実践的意味がなんとなくわかるようになってきた気がする。完璧には説明し切れなくとも――もっと言えば、完璧からは程遠くても――、とにかく、何らかの視点で対象物を斬ってみれば、多少なりとも理解が進み、ただただchaosなままに眺めているときより格段に速いスピードで、多くを学べるようになる。うまく斬れなかったとしても、それはそれでOK。その経験自体から、何かを学ぶことができるはず。とにかく、まずは斬ってみることが大事。ただ素朴に眺めているのではなく。
今さらながらだが、CFPの授業からは、少なくともこのことを学ばせてもらったように思う。
my home, Syracuse, May 31, 18:22
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