Thursday, May 20, 2010

to have atmosphere on my side

グループの中で意見を通すには、その場の空気を味方に着ける必要がある。もちろん、アメリカに限った話ではない。正しい内容をわかりやすく伝えることは、当然、重要なのだが、愚直にそれをしているだけで意見が通りやすくなると考えるのは甘すぎる。

そもそも、質問であれ、意見であれ、何か発言をするときには、その場の多数派意見と自分の考えとの間に、何らかのギャップがあるケースが多い。でなければ、敢えて口を開いて発言する必要はないからだ。それまでの議論の中で出ていなかった(或いは、それまでの議論の流れに反する)考えを聞かされれば、誰だって最初は、「はぬ?」と思う。一旦「はぬ?」と思われつつも、最終的には「あぁ、なるほど。こいつの言っていることは正しいかも知れんな」と思わせるところに、発言を敢行する価値がある。

ここで思うのは、「はぬ?」の直後にどういう空気が漂うかが、発言の内容そのものと同じくらいに、クリティカルだということだ。「こいつ、また訳のわからんことを言いよってからに」と思われるのと、「こいつはいつも良いポイントを衝いてくるから、今回も丁寧に聴いておこう」と思われるのとでは、その後の展開が全然違ったものになる。どれだけ良いことを言おうとも、端から「あしらい」モードで対応されるか、多少言葉に詰まろうとも、続きの言葉を待ってもらえるか。誰に対してもniceに振る舞えるだけのsophisticationを備えた人なら、とりあえずこちらの意見を聞いてはくれるが、そのことと、その場の空気がpositiveかどうかは、また別の問題。コンスタントに自論をねじ込んでいきたいのなら、相手のniceな反応に期待するのではなく、相手がこちらの意見を自発的に「聴きたい」と思えるような空気を勝ち取る必要がある。

というようなことを意識しながらcapstoneに参加しているのだが、3日目終了時点での空気は、まだまだaway。こちらの発言(の中身)は、そんなに間違っていないと思うし、彼らの議論のレベルが、そこまで高いとも思わないのだが、結果的には、まだ信頼を勝ち取るレベルに至っていない。

こっちの考えていることが、齟齬なく相手に伝わるよう、英語の表現方法を改善する必要があるのは確か。それ自体、難題なのだが、それに加えて、難儀だなと思うのは、どこまでの細かさ・正確さを追求すべきかという点。細か過ぎるところに立ち入ると、「確かにお前の言うとおりだが、今はそこまで詰める必要ないだろ」といった反応が返ってくる。それ自体は日本でも同じなのだが、じゃぁどの辺りに、「細かさ」に関しての米国式最適点があるのかが、未だによくわからない。今日、「細かすぎるかな」とは思いながらも、自分の気持ちに正直になって(笑)、3つ、4つ、質問/意見を投げてみたら、総じて、あんまり感じ良くない反応が返ってきた。その発言も、空気が良ければ、聞き入れられたのかも知れず、鶏が先か卵が先かみたいなところはあるのだが。

あとは、自分の存在価値をどこに求めるかということだろう。少なくとも、「この角度からの意見は俺に任せろ」的な領域を持てるといいのだが、今のところ、そういった「角度」はまだ確立できていない。次回ミーティングは、一日空けて、金曜日の正午から。
my room, Syracuse, May 20, 25:07

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