Monday, May 17, 2010

Precious experience??

Syracuse到着予定時刻まで1時間を切った正午過ぎ、前掲のエントリを準備していたら、突然、大きな「ガタン」という音とともに、車輛両側の窓が粉塵に包まれる。「さすがに運転荒すぎだろう」と思っていたら、慣性力を使いきったところで列車は停車。と同時に、石油の臭いが車内に発ちこめはじめた。

「え?事故??」なんて思っていると、「車両後方に移動せよ」との車内アナウンスが。小さい方の鞄だけ引っ掴んで人の流れに乗る。車両後方の出口から地面に降りたところで待機命令…。というわけで、見事に鉄道事故に見舞われたのでありました。

現場では、事故原因についての説明はなかったが、この記事によると、隣に停まっていた貨車の破片を拾ったのが直接の原因だったらしい。その破片が、ディーゼル機関車の燃料系統を破損。線路の上にディーゼル燃料を撒き散らすとともに、機関車は自走能力を損亡。一瞬、火の手があがったとの話もあったが、その辺のところはよくわからない。とにもかくにも、幸い、けが人は一人も出なかった模様。
(とりあえず追い出されてみた人たち。)

線路の脇で2時間ほど待たされた後、地元消防署のバスに分乗して、最寄りのUtica駅に移動する。後続の列車が同駅に到着したところで、僕ら先行列車の乗客が乗り込む。それが3時半ごろ。事故現場の安全確認が出来次第、出発するという話だったが、それが結局8時ごろまでかかり、日が暮れかかった頃になってようやく出発。途中、事故現場で一旦停車し、事故列車から運び出された乗客の荷物をピックアップした上で、残りの旅程に向かった。幸い、僕の荷物は問題なし。

それにしても、こういう場面でのアメリカ人のおおらかさには驚かされる。日本で同じことが起これば、乗客の詰問の嵐の中で右往左往する乗務員の姿が容易に想像できるが、そういった局面は、最初から最後まで、一度も訪れなかったといっていい。「荷物はどうなるの?」との質問が出ても、乗務員が「消防署の現場検証が終わるまではまったく手出しが出来ないし、それが何時に終わるかも我々Amtrak側にはわからない」とだけ言ってしまえば、乗客の側はあっさり納得する。日本での様子を見慣れている側からすると、そのやり取りは、まるで魔法か何かのよう。線路で待たされている間もガタピシ文句は言わず、知らない者どうし、自然と会話を初めて適当に盛り上がるのみ。Utica駅への送迎に来た消防バスの運転手が「このバスは無料ですよ」なんて場違いなギャグを飛ばしたところで、「不謹慎だろう」的な反応はなく、皆、手を叩いて喜ぶ(それも、いわゆる「乾いた笑い」でなく、ホントの笑い)。というか、そのギャグを「場違い」だと感じたこと自体、そのバスの中では僕だけだったのかも知れない。

昔から思っていることだが、こういう局面で、なぜアメリカ人が「大人」な反応をとれるのかはよくわからない。一方の日本人が、ヒステリックに反応し過ぎなだけという気がしないでもないが、ただアメリカ人とて、あらゆる場面で「大人」なわけでは決してなく、むしろ子供っぽい性向の強い人たちでもあるわけで、なぜ事故や災害で交通機関が遅れたときの反応がこんなにおおらかなのかは、僕的に非常にナゾなまま。今日の事故で、そのことを改めて感じた。

そもそも、公共交通機関に対する期待値が低いということもあるのだろう。サービスに対する期待値が一般に低いということなのかも知れない。レストランのウェイター/ウェイトレスのサービスの悪さには、今でもたまに腹が立つことがあるが、アメリカ人のお客さんが、苛立っているような様子は見たことがない。

ただ一方で、苦境の時ほど力を発揮する、彼ら一流のユーモアの精神も功を奏しているのかなとは思う。この点に関しては、日本人も大いに学んで欲しい気がする。まぁアメリカ人にはそれと同じかそれ以上の勢いで、東アジア的勤勉さを学んでいただきたいですけど…(笑)
で、結局Syracuse到着は夜の10時。DCを3:15に出て以来、都合19時間の長旅でした。へとっ。
my home, Syracuse, May 16, 25:48

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