Thursday, April 29, 2010

Cause of defeat

論文執筆が失敗に終わった原因は何だったんだろうかと考えてみる。

まぁ、まだ完全に失敗と決まったわけではないし、それにそもそも、失敗であろうがなかろうが、もうしばらく書き続けないといけないことには変わりはない。たとえ「失敗作」であったとしても、いちおうは完成させなければIndependent Study分の単位が降って来ず、単位が降って来なければ、卒業させてももらえない。というわけで、否が応でも、もうしばらく(たぶんあと一週間くらい)は書き続けないといけないわけだが、いろいろと自分自身に対するフラストレーションが溜まっている今だからこそ、思いのたけを書いておけば、あとあと何かの役に立つかなと思ってみた次第。negativeな空気を排出しちゃってゴメンなさい(ある種の外部不経済ですね)。

敗因を一言で言えば、「経済学という道具は、どういうふうに使えば、上手にモノを斬れるのかをよくわかっていなかった」、約めて言えば「経済学をよくわかっていなかった」ということかと。情けないけど認めます。

経済学であれ何であれ、あるディシプリンの基本様式を十分習得し切らないうちに、応用編に走りだしてしまうのは、昔からの悪い癖。学部時代の卒論も、おかげでぐだぐだ~な仕上がりになってしまった。

こういうタイプは、環境をやっている人間(特に文系)に多い気がする。僕自身、学部時代の反省を踏まえ、自分の周囲の環境屋さんたちの、そういう生半可な姿勢を批判してきたものだが、蓋を開けてみれば、結局、自分も改心し切れていなかったということか。残念なことこの上ない…。

いまは、econometricsだとか、マクロ経済モデルだとか、そういう、ちゃんとした経済学を、もう少しきちんとした形で勉強しておきたかったなぁという思いが強い。まぁ、それをテーマに論文を書いていたらいたで、「もっとプラクティカルなことをやりたかった」と今頃愚痴っていたのかも知れないが(というか、その可能性は非常に高いに決まっている)。

こう、ついつい、「王道」をよけて、変な道から押し通ろうとしてしまう辺り、自分自身、要領が良いんだか悪いんだか、よくわからんなぁとときどき感じる。寄り道せずに、一発でシュパッと王道を見つけだし、シュルシュルッとその道を突き進んでいく人を見ると、非常に羨ましく思う。要するに、何をするにも、我流で乗り切ろうとするのではなく、もう少し謙虚になって、先人から学ぶ姿勢を大事にしなさい、ということなのかも知れない。天才でもなければ、「守」にかける時間をケチって「破」や「離」の境地に向かったところでロクなことはない。(そしてもちろん、天才ではない。)

そもそも、mandatoryでもないIndependent Studyを受講し、莫大な時間を費やして論文を書いてきたのは正解だったのだろうか、という疑問もある。確かに、電力の分野にそれなりに詳しくなりはしたけれども、それ以外の勉強――たとえば、上に書いたような、正統的な経済学の勉強――をしたり、nativeの人たちと積極的に絡んで、language skillを磨いたりする時間を犠牲にするという意味での、相応の機会費用を払ってきたのも事実。ただまぁ、こればかりは、しばらく年数が経ってからでないと、良いも悪いも評価は下せないのかな…。そんな気もする。

そんなことを言いだすと、論文に限らず、二年間の留学全体の過ごし方はどうだったんだ、という話に繋がってくる。しかし、それを議論し始めると、また随分と時間がかかってしまいそうなので、とりあえず今日はこの辺で。ぼちぼち、おうちに帰ります。
Maxwell School, Syracuse, Apr 28, 25:10

9 comments:

Kenji Shiraishi said...

環境分野の複合的な問題を解くために、アカデミックな知識を使ってどこまで解決に迫れるかを図ろうとする者にとっては、誰もが感じる気持ちではないかと思います。その気持ち、よくわかります。

ただ、ディシプリンを極めようとすると、それだけで2年間を優に要することから、ディシプリンとイシューをつなぐことができなくなるということもあるかと。

機会コストが大きいことは否定できませんが、ひとつの問題に対してありったけの時間を使って挑む、というのはやはり留学中にしかできないことでもあり、明確には見えにくいとしても非常に価値のあることではないかと思います。

自分に言い聞かせているのは、留学中の学びは、これから始まる学びのスタートダッシュでしかないのだということです。そういう観点でいえば、留学の成果を切り離して評価するというよりも、今後のキャリア設計の一部として評価するのが適当なのではないかと思います。

また私~ said...

あら、なんかめっちゃ暗い。どしたの?

生まれて初めて英語で書く論文なんだから、そんなに力んじゃ駄目じゃん。そもそも日本の大学では論文の書き方とか教えないし。

2年研究に足を突っ込んで思うに、だいたい自分が「はっは、これは素晴らしいアイディア」と思うようなことは、すでに素晴らしく洗練された方法で先達が言ったり書いたりしてますね。そんなわけで、う~ん、自分が「なんかこれは書いておきたい」ってことを、教授にわかるように論文に書ければそれでOKなんじゃない?

論文は頭の体操だし、世に出版されてる論文も、初稿でOKなんて絶対ないです。私が現在書いてる論文は1年がかり、たぶん20版くらい(笑)。

まあそんなわけで、今から負けてる場合じゃないんで、帰国まで書き直し続けてください。P先生ともっとお話しなくちゃ、ってのもあり。もうこれ以上書くのが嫌だ、ってことならまあそれもしょうがないですが。

kenji said...

あ、ただ、がっつりと経済学のディシプリンを身につけるために、経済学部の大学院にいくのもありだったなとは思いますが(笑)。

髙林 祐也 said...

kenji君>
結局、留学期間全体をどうデザインするかって話に繋がってくるわけだけど、二年間って、ディシプリンをしっかり押さえて、かつ、応用編まで見ようとするには明らかに短すぎるわけで、その中で何を優先させて何をあきらめるか、各人で選択するしかないって話なんだろうね。

ただ、実際に二年間をやり終えるまでは、なかなかその事実を受け入れきれなくて、「やろうと思えば、あれもこれもできるんじゃないか」と思ってしまうところが曲者。

まぁ、二年間の過ごし方が良かったかどうかについては、また稿を改めて、一度、きちんと整理しておこうと思っています。

blue-ink said...

余計なことしないで基礎からしっかり積み重ねていける人が羨ましい気持ち、非常によくわかります。私もよくある文系環境屋ですね。

でも、対象が経済学一つ、英語一つであったとしても、4年間の学部教育とか2年間の留学で立派な応用力をつけるなんて、よほど才能に恵まれた人でないとできないのでは。普通は、新しいことを知れば知るほど、それに連なる知らないことは増えるものだし。

とにかく、自分に足りない部分をしっかり自覚することは、わかった振りしてなんとなく黙殺するよりいいと思います。とりあえずはあと一週間?頑張れー。粘っているうちに多少視界が開けてくるかも。自分もそうだと信じたい。

髙林 祐也 said...

私~さん>
コメント、ありがとうございます。
  
ご心配かけてすいません。今日のエントリを見ていただければお分かりの通り、本格的に凹んじゃってるわけではございませんので、どうぞご心配なく。
  
いま書いている論文については、その中で自分が展開している議論のレベル云々以前の問題として、テーマの設定の仕方が、(学術論文としては)あまり良くなかったのかなぁというふうに感じています。なんというか、そもそも、経済学での考察にあまり適さない事柄をターゲットにしてしまったのかなと。

もう少しターゲットを絞っておけば(たとえばtransmission upgradeのcost allocationの方法論だけに限定するとか)、経済理論を素直に適用した議論を展開しやすかったかなぁという気はするのですが、一方で、今回の論文を書くに当たっては、仕上がりの善し悪しは二の次にしてでも、まずは、電力に関する知識を広く習得したい、という目標を持っていたのも事実であり、その意味では、まぁこれはこれで良かったのかなぁという気もしています。(というか、いまこれを書きながら、そんな気がしてきました。)

この論文をどこまでブラッシュアップするかですが、正直、キャップストーン中まで引っ張りたくはないなぁという思いがあり、その前には店じまいしようと考えています。

キャップストーン自体もそうなんですが、帰国後のスタートダッシュに向けたお勉強も、始めておきたいなぁという気がするんですよね。帰ってから何をするかはわからないので、結局、何を勉強するかは、山を張って狙い撃ちするしかないんですが。

髙林 祐也 said...

blue-inkさん>
kenji君への返信に書いたことともかぶるんだけど、「4年間の学部教育とか2年間の留学で立派な応用力をつけるなんて、よほど才能に恵まれた人でないとできない」ということを、心底、得心するまでに、時間がかかっちゃったってことなんだよね、僕の場合。なんとなく、頑張ればどうにかなるんじゃないかって気がしてました(笑)

一方で、僕らのお仕事って、「どうにか」しないといけなくもあるんだよね、実際。騙し騙しであれ何であれ、走り続けるしかなくて、「まだ勉強が追い付いてませんから、答え出せません」なんてことは許されないわけだから。基礎を重んじつつも、一方では、応用を常に意識しておかないといけない。

kenji君が一つ目のコメントで言わんとしてることも、だいたいそういうことかなぁと思うけど、結局、それって、永遠の課題と言うか、これからも、ずっと付き合っていかないといけない問題なんだろうなと思います。

でもまぁ、「そういう構造の問題があるんだ」ってことを有自覚的に認識できるようになっただけでも意味があるのかな。blue-inkさんのおっしゃるとおり、「わかった振りしてなんとなく黙殺するよりいい」よね。絶対。

yk said...

baya 様

はじめまして、yuと申します。
カナダのUBCでplanningを学んでいる
M1生です。
knjさんの所からやってきました。
いつも非常に勉強になる投稿
楽しみにしています。

僕は日本の学部を出てそのまま
留学したのですが、この投稿を
読んで自分の学部時代の卒論、
現在の修士プロジェクトor論文の
題材選びの葛藤や思いと非常に
重なり、思わずコメントさせて
頂きました。

自分も文系環境屋の端くれで、
multidisciplinaryな分野の中で
明確なdisciplineなしでどれだけ
論文らしい議論ができるんだろうか、という点で非常に悩んでいます。

blue-inkさんが仰る「余計なこと
しないで基礎からしっかり積み
重ねていける人が羨ましい気持ち」
というのも大きく頷いてしまい
ました。
わかった振りしてなんとなく黙殺
するよりいい、というのは絶対
そうですよね。無知の知、という事を
常に自覚していたいと思いました。

留学先を考えている時に訪問した
UCBerkeleyのDan Kammen先生の
HPにも少しこの件と関連するような
記事があったのでご紹介します。
http://kammen.berkeley.edu/EnergyJobs.htm
(USEFUL EXPERIENCE AND FORMS OF TRAININGというセクションです)

長々と失礼致しました。

これからもブログ楽しみにして
います!

髙林 祐也 said...

yuさん>
コメント、ありがとうございます。

Kammen先生の文章は、なかなか面白いですね。教えていただいてありがとうございます。

理想的には、

1.自分はナニモノになりたいか?
2.その「ナニモノ」かになるためには、どういう知識体系を身に着ける必要があるか?
3.その知識体系を身に着けるためは、どういったルートを通るのがもっとも効率的か?

のそれぞれに答えを見つけられればいいのでしょうが、1.には大きな不確実性が付きまとうし、(仮に1.が強固に固まっていたとしても)2と3については、事前に得られる情報が不完全だし、ということを考えると、ある程度の寄り道・回り道は避けられないんでしょうね。

タイムロスを少しでも少なくするためには、やはり、先人の知恵を拝借するのが一番賢いやり方なのかなぁという気がします。もちろん、いろんな人のアドバイスのパーツ、パーツをまとめてきて、最後に判断を下すことは、自分以外の誰にもできないわけですが。

今後とも、よろしくお願いします。