Monday, May 17, 2010

Precious friends, precious words

前回のエントリをアップして以降は、NYとDCで密度の濃い36時間を過ごす。金曜午後、NYで勉強会(+ 懇親会)に参加した後、土曜朝一のバスでDCに移動。お昼前に到着後、DC時代の友人宅でのお好み焼きパーティにお呼ばれ。夕方からは、来月アメリカを発つ予定の、とある後輩のフェアウェルパーティに出席。三次会まで盛り上がった後、日曜早朝3:15amのAmtrakでワシントンを発。朝、NYで乗り継ぎ、Syracuseに向かう列車の中でこのエントリを執筆中。

DCでの僕の交友関係は、昨秋の、その後輩君との出会いをきっかけに、何倍にも広がった。そんな彼の送別会には、実にたくさんの人たちが集まり、彼の交友関係の広さと、人望の厚さとを物語っていた。彼との親交は、留学終了後も、末長く維持し続けていきたい交友関係の一つ。また、彼のおかげで知りあうことができ、昨日、数か月ぶりにお会いできたDC在住日本人の方の中にも、同じように連絡を取り続けたいと思える方がたくさんいらっしゃる。こうした出会いの機会を得られたことは本当にラッキーだったと思う。
    
その前夜、NYでは、こちらでお仕事をされてそれぞれ20年、30年になる在米邦人のお二人から、いろんなことを教えていただく機会を得る。お二人曰く、数としては、在米日本人はそれなりにいるけれども、「お客さん」ポジションを脱し、他のアメリカ人と変わらぬ扱いで、米国社会の中核に食い込めている日本人は、本当に少ないんだとか。加えて、日本本国の側が、そのことの重要性を認識できていないとも。むしろ、そういった方々の存在を「見なかったこと」にしようとする心理が働きがちだともおっしゃっておられた。
 
一方で、日本人(或いは非欧州系米人)がどうあがいても越えられない、ある種、本能的な「壁」が存在する可能性についても言及しておられた。それは、僕らが、自身の拙い英語力の故に感じるコミュニケーションの壁とはまったく異質のものなのだろう。何不自由なく英語を使いこなし、組織や社会に何ら遜色のない貢献を果たしていても、越えられない「壁」。それは、この国(の主流派)の人たちの、ある種本能的な反応であり、彼らが非常事態に見舞われ、理性が限定的にしか働かなくなったときに、顕在化するものなのかも知れない。
   
いずれにせよ、日本人が、この国の中でどのあたりまで食い込めて、どのあたりで「壁」を感じるのか、そこの微妙な感覚は、彼らのように、何十年もかけてこの国で苦労を重ねながらキャリアを積んでこられた方々にしか把握しきれないものなのだろうと思う。こういった、本ではとても勉強できないようなお話をうかがえたことも、留学の非常に大きな成果だと思う。
Amtrack車中にて May 16, 12:00 

2 comments:

blue-ink said...

具体的には、「米国社会の中核に食い込む」ってどういうことなんでしょうか。各分野で米国人のリーダーと同じような役割を果たせることでしょうか。

また、米国社会の中核で活躍する日本人を増やすことがなぜ重要なんでしょうか。日本を米国に影響力のある国として印象付けるため?米国で活躍している人ほど、日本を背負っているという意識は薄いのではないかと思ったりするのですが、そんなことはないのでしょうか。

あと、"本能的な壁"って人種の壁でしょうか、育った文化の違いによる壁でしょうか。それとも全く別のもの?

それらも皆、時間をかけないとわからないということなのかもしれませんが、私は在米歴の長い人と知り合う機会がなかったので、興味深い話だなと思いまして・・・。

髙林 祐也 said...

若干、機微な話もあるので、別途メールにて。後ほど、メールします。