Friday, April 23, 2010

How does differ "discussing" from "reporting"?

論文執筆に没入しはじめて今日で4日目。予定では、昨日までに書きあげているはずだった分量のうちの半分くらいを、昨日までに書きあげた。ほぼ予定通り(!?)

先日いただいた「“論文”と“報告書”は違う」とのご指摘を踏まえ、構成を編み直してみる。正直、最初はピンとこなかったのだが、やっているうちに、その違いが何となく見えてきた気がする。

僕的には、“論じる”ことと“報告する”こと、というふうに両方とも動詞形にた上で比較する方が、何となくしっくり来るのだが――もちろん、言わんとしていることは同じ――、“論じる”の方が「説得する」に近いイメージなのに対して、“報告する”の方は(やや極端に言えば)見聞きしてきたことを「並べる」「開陳する」に近いイメージなのかなと。

いちおう、単なるアホではないので――そうだと思いたい…――、何の脈略もなく、知っていることをただただ「並べる」なんてことは、元々していなかったはずで、曲がりなりにもテーマを設定し、それに関するストーリーを描いた上で、それに沿わせた形で“収集物”を並べる、くらいのことはしていたように思う。

ただ、「テーマ」という言葉で表わされるsomething ambiguousをpaperの礎石に据えるのと、「paperの目的=○○というquestionに答えを与えること(だけ)」という意味での“research question”を明確にidentifyした上でpaperを書き進めるのとでは、やはり明らかに質的な違いがあるなと。それによって、要る部分/要らない部分がはっきりと見えてくるようになるし、また、「知ってはいるが自分のものにし切れていない理論・考え」というのも如実に浮き上がってくる。そういったものは、引用という形で単に「並べる」ことはできても、自分の頭で理解し切れていなければ、読者を「説得」するための材料としては使えないので。

このことは、おそらく、「paperを書く」という行為に限らず、一般化可能ではないかと思う。何か物事を見るときに、ただ漫然と眺めている――本人的には手を抜いている、サボっているといった意識はなくても――のと、何らかの問題意識を持ってそのperspectiveから分析的に眺めるのとでは、理解の深さが全然違ってくる、という意味で。たとえばスポーツを観るとき、ある選手、あるポジションの視点から試合を観るようにすれば、何となく全体(或いはボールの周辺だけ)を見ているだけより、ゲームの流れをより深く理解できるようになる、というのもその一例。

去年の同級生の方(そう、あなたです。笑)が、よく「この問題をどう斬るか」「この論者のこの斬り方が面白い」といった文脈で「斬る」という動詞を使っていた。今思うと、彼の言う「斬る」のイメージも、これに近いものだったのかなぁ…なんて思ってみたり。「全然違いますよ。分かってないなぁ~」なんて怒りのコメントが早速入るかも知れませんが…(笑)
Maxwell School, Syracuse, Apr 23, 11:48

2 comments:

blue-ink said...

明確な問題意識を持って物事を見るのと漫然と見るのとでは大きな違いという点はとても共感します。何か軸がないとうまく情報を体系化できないんですよね。

とりわけ学術論文は、(主張全開のものから現状分析にちょこっとコメントが入った程度のものまでいろいろありますが)一応何らかの筆者の主張(仮説)が初めにあって、それを検証していくという形を取っているような気がします。検証する方法が事例分析だったり、データ解析だったり、数式による証明だったり、場合によっては他人の論文の切り貼り+主張のみだったりする訳ですが、最初に(先行研究をレビューして)自分の立ち位置を明確化してから本論を展開するという構成はほとんどの論文に共通かな、と。そういう論文の構造みたいな話を昨年Academic Writingの授業でよく聞いたのですが、残念ながらその当時はあんまり重要性を理解していなかったのが惜しまれます。。

内容を一読しただけでコメントするのも恐縮ですが(試験前なのでごめんなさい)、手持ちの論文の構造(論理展開)を分析して参考にするだけでも、全体の構成が変わってくるのではないでしょうか。Academic Writingの基本に沿って、主題文>例>締め(主題文の繰り返し)の形を各パラグラフでできるだけ保つことも論文らしい構造にする助けになるかもしれません。形式的なことを徹底する時間的余裕はあまりないかもしれませんが、(メール含め)これまでの話を聞いている限り、自分なりの視点は既にお持ちで、見せ方に少し工夫の余地があるのかなと思います。

うひゃは~私~~ said...

相変わらずまじめですな、ほんと(笑)。

なんつ~か、論文を書く、という作業が流行してるのってアメリカが突出していて(欧州にも波及し始めたらしいけど)、よって、アメリカなんで、「どう論文を書くか」的テクニックもいろいろあります。

教える側に回ってみるとわかるんですけど、読者が時間を割いて読む価値があるか、って結構大事でして。で、bayaさんの論文の場合、やっぱ教授が第一読者。ってなことで、論文書きのテクニックを使ってみたほうがいいでっせ、ってなことです。

ま、私のテンプレートは別途送付しましたけど、そういう感じで。同じことを書くのでも、構成を変えるだけでがらっと読みやすさが変わります。あと、盛り込みすぎないこと。これ、いまだに私やっちゃうんですけど、論文で全てを論じることはできない。無駄な文は非情に削って、最悪、脚注で残すくらいですかね。

教授に読ませる論文書くのが一番です。はい。