Tuesday, April 20, 2010

The Limits of Public Administration School

今日のInt'l Trade Lawのクラスは、いつにも増して秀逸だった。と、同時に、これと同じだけ「役に立つ」授業を公共政策系のスクールでするのは、構造的に無理なんじゃないかと思ってしまった。

要は、その職業で使うメインのスキルが、教室で教えられるような類のものであるかどうか、ということだ。実際にやったことはないので本当のところ、どうなっているのかはわからないが、おそらく、法律家が法律家として生きていく上で必要なスキルの大半は、文字通り、「法律」に関するものなのではないかと思う。相手を攻撃したり、自分(のクライアント)を守ったりする上で、いかに巧みに法律を使えるか、その出来不出来で、法律家としての資質の大半が決まってくると言っても過言ではないのではないかと。

行政官という職業に、それに対応するようなmajorなスキルがあるかというと、たぶんない。人付き合いの良さだとか、チームワークの能力だとか、そういう「社会人基礎力」と呼ぶべきなような基礎的スキルはさて置いても――こういったスキルなら、法律家にしても必要だろう――、法律学、経済学、政治学に始まって、関連する自然科学諸分野から、果ては“経験・勘・度胸”の世界に至るまで、必要とされるスキルは極めて広範囲に散らばっている。この時点で既に、一つの「スクール」という形態で以て、その道のプロを養おうというのには、些か無理があるように思えてくる。

糅てて加えて、実際の業務の中で使うスキルは、多かれ少なかれ“経験・勘・度胸”の方に偏っている。“経験・勘・度胸”なんてものは、あんまり教室で教えるような性質のものではないし、ケースを使って教えられなくもないとはいえ、こんどは教える側の人間の問題として、そういうアカデミズムに馴染みにくい世界を、敢えて自分の専門にしようという人はたぶんそんなに多くはないはず。結果、経済学なり、統計学なり、政治学なり…といったところが、カリキュラムの核になってくるわけだが、それらは本当は、あくまで「経済学」であり、「統計学」であり、「政治学」なのであって、直接的に行政官が日常的に用いるスキルを習得・鍛練するための講座ではない。この意味において、公共政策系スクールの授業は、どう頑張っても、法律家の卵たちにとってのlaw schoolの授業ほどには、職業訓練として「役に立つ」ように提供することは不可能なんじゃないかと思う。別にMaxwellが悪いということではなく、行政官という職業の構造上、どうにもならない問題なのではないかと。

と、なんだか悲観的なことを書いてしまったが、その上で、公共政策系スクールは、生徒に何をどう教えるべきなのか、また、そこに通う生徒たちは、そこで何を学ぶべきなのかを考えることが大事なんだろうなと思った次第。一つ確実に言えることは、公共政策系スクールで何を教え、何を学ぶべきかは、law schoolのそれらに比べてはるかに曖昧で、定式化されておらず、それだけに、学ぶ側にしてみれば、どういう戦略で臨むかによって得られる効果が大きく違ってくる、ということではないかと思う――問題は、その「効果」を計る尺度からして、非常に曖昧だということなのだが…。
Maxwell School, Syracuse, Apr 20, 16:42

1 comment:

outernationjp said...

プログラムの付加価値とは何か、多かれ少なかれ 固有のディシプリン・手続きを持たない学際的プラグラムであれば、professional/academic school 問わずに直面する問題ですね。

行政系大学院は、特に固有の profession の仕様書が先にあってそれに適応する形でプログラムを練り上げたというよりも、「公共セクターの担い手あるいは行政府の職員はこうあるべきだ」という理念が先にあってそれに併せてプログラムをくみ上げてる側面もあるので、行政の役割や行政課題が変化していけば、profession のあり方も変化するし、当然理念と実態との乖離ギャップも出てくるんでしょう。

Retrospective に考えれば、行政系大学院は、職場から離れた環境で「自分の軸」あるいは今後必要とされる技能なりを見つめなおし、鍛えなおす機会であったり、公共セクターに入る前の学生にとっては「自分の軸」を見つけるための「モラトリアム」という色合いが強いかもしれませんね。

行政機構あるいは公共セクターの担い手が多様で、しかもその時々で柔軟に変化していく中で、学者や弁護士と比べるとどうしてもジェネラリストにならざるを得ない行政官にとっては、(場数を踏む中で培われるコネ、人脈、経験、勘や度胸とは別に)自分の付加価値を客観的に見直し、鍛え直す機会は貴重だと思います(意識的に他のディシプリンとの他流試合に励むとか)。