米国国内法(Trade Agreements Act of 1979)は、貿易に関する国際法又はそれに基づく措置が、何らかの米国内法に抵触する場合の、自動執行を禁じている(19 U.S.C. § 2504(a))。つまり、米国のある措置が、WTOの紛争解決機関(DSB)によって、WTO法上「クロ」と判定されたとしても、争点となったその措置が米国内法上「合法」のものである限り、DSBの判定は、自動的には履行されないということ。当然ながら、履行しなければ、米国は、国際法上の違法状態に陥るわけで、また、、国内法の規定を盾に国際法違反を正当化することは、ウィーン条約(Vienna Convention on the Law of Treaties)で明確に禁じられている( Article 27: “A party may not invoke the provisions of its internal law as justification for its failure to perform a treaty.”)。
ではどうするかだが、米国内法は、米国政府機関に対し、WTO-DSBの裁可に従うための措置を講じるに際しての、議会(Congress)との協議を求めている(19 U.S.C. § 3533(g), 3538(a), 3538(b))。これはつまり、本来、“legalかつmultilateral”なはずの貿易紛争を、“politicalかつbilateral”なものにすり替えるための仕組みである、というのが教授の解説。
実際、以前にこのblogでも紹介した、米-ブラジル間の貿易紛争(アメリカの国内綿花農家に対する補助金のWTO違反が確定しているにもかかわらず、米国が具体的な改善措置を採らなかったため、ブラジルがWTO協定に準拠する形での報復関税の適用に訴えようとしたもの)はちょうど先週、米国が、問題の補助金を多少引き下げる(と言っても、WTO協定上の違法状態が完全に解消されるわけではない)のに加え、軍事協力の提供という、貿易とは全く関係のない便宜供与をブラジルに申し出ることでdealが成立したらしい。
言うまでもないことだが、こうしたdealは、WTO協定に則った純legalな交渉からは、間違っても生まれない。“Politicalかつbilateral”な交渉によってのみ到達可能な解だろう。経済学的には、Pareto基準ベースでガチガチ喧嘩しないといけない純legalの世界から、貿易以外の何かでの“補償”を議論に絡めて来られるKaldor-Hicks基準の世界に移行することで、双方にとっての交渉の幅が広がった、というふうにも言えるかもしれない。もちろん、アメリカという国にしてみれば、そうした客観的メリットに加え、「一対一の交渉に持ち込んだ方が自分にとって有利」という、世界一の国力を笠に着れる立場であるが故の特殊事情もあるのだろう(というか、その方が大きいけどね、絶対)。
この話を、僕自身の関心分野にひきつけて言えば、たとえば、昨秋、このblogでも何度か(こことかこことかで)取り上げたcarbon tariffについて考えるとき、それが、WTO上、シロかクロかというところで思考を止めてしまうのではなく、(「シロ」と判定されるに越したことはないが)仮に「クロ」であったとしても、その後に、どういう展開・交渉が可能かと考えること――さらに言えば、最初から、そこまでの見通しを織り込んだ上で、プランを練ること――が大事なんだろうと思う。
何はともあれ、ことほど左様に、非常に良い勉強になった良いクラスだったと思う。このクラスの先生とは、卒業後も、ぜひとも関係をkeepしておきたいところ。
Maxwell School, Syracuse, Apr 27, 18:07
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